『今日はお客さんも少ないし、お昼時だけど私と昂晴だけで大丈夫よ』
涼音さんのこの一言で、俺はフロアへと誘われる事となった。
作業服を脱ぎ、元々着ていた服装で店内のあるテーブルに俺と他二人で座っている。勿論、他二人というのは俺の両親である。
どうして二人がここに、とは思わない。二人にはステラがオープンする前の段階で、この店について話していたのだから。
店の場所については教えていなかったが、《美和市 喫茶ステラ》とでもスマホで検索すれば簡単に場所を特定できる。
恐らく日本に来たらこの店に行くと前から決めていたのだろう。容易に想像がつく。
「ちーちゃん、このオムライス美味しいわよ!」
「そうか。作ったのは俺じゃないけどな」
「でもちーちゃんが作っても同じ味になるんでしょ?ならちーちゃんが作ったも同然じゃない」
「…」
母さんの台詞にやや引きながら、母さんと同じくオムライスを食べる父さんの方を見る。
苦笑いを浮かべているのは今の母さんの台詞に対して俺と同じ心情を抱いているからだろう。オムライスの味が気に入らないからではない筈。
現に苦笑いしながらもスプーンを持つ手の動きは止まっていない。
「この紅茶は千尋が淹れるのと味が似てるな」
一心不乱にオムライスを口に掻き込む母さんを他所に、父さんは落ち着いた様子で合間に紅茶を飲んでからそう口にする。
「まあ、皆に紅茶の淹れ方を教えたのは俺だからな」
「なるほど、道理で」
そりゃ俺の淹れる紅茶の味と似て当然だ。俺の淹れ方を教えたんだから。
そう返事を返すと、父さんは笑みを浮かべながら食事を再開する。
一方の俺も涼音さんが作ってくれた賄いのカルボナーラを食べ進める。
「バイトはしっかりやってるのか?職場の人と仲良くやってるか?」
「別にサボったりとかしてないから。普通に皆優しいから誰かと気まずい、とかいう訳でもないし」
食事をしながら時折父さんが話し掛けてくる。それに返事を返しながら手は止めない。
涼音さんからはゆっくりしてきて良いよ、と言われたがそういう訳にもいかない。規定の休憩時間である一時間はここで過ごすつもりだが、それ以上は許されない。
たとえ涼音さんと高嶺が許しても、俺自身そこまで図々しくなれないし、何より父さんも母さんも良しとしない筈だ。
「はぁ~…。美味しかった…」
そうこうしている内に、俺も二人も昼飯を食べ終えて一息をつく。
父さんと母さんは紅茶のおかわりを頼んで二杯目を、俺もナツメに頼んで淹れて貰ったアールグレイを飲む。
「良いお店じゃないちーちゃん。私達のお店には負けるけど」
「自慢乙」
母さんの誉め言葉に混じった自慢を聞き流しながら紅茶に舌鼓を打つ。
ナツメに紅茶の淹れ方を教え始めてから何度も飲んできたが、やはり美味しくなっている。そんな素振りは見た事はないが、一人で練習してたりするのだろうか。
そうでなければ、この上達ぶりは考えられないが。
「まあうちの店とは雰囲気が違うから、比べても意味ない気がするけどな」
俺と母さんの会話を聞いていた父さんが口を挟んでくる。
父さんの言う通り、ステラと二人が経営する店の雰囲気はかなり違う。
ステラはナツメ達接客担当の女の子達のユニフォーム姿とインテリアによって、店内は明るい雰囲気に包まれている。
しかし二人の店はそれとは違い、店内は落ち着いた雰囲気となっている。決して暗い訳ではなく、来店したお客さんにリラックスして過ごして貰うための店を父さんと母さんは目指していた。
ステラは近くに大学があり、周辺に若者が多く住んでいる事もあって落ち着いて過ごして貰うというよりは、楽しく過ごして貰うという所を目指してお店を作ってきた。
だから、父さんの言う通りステラと二人の店を比べてもあまり意味はない。
─────そういえば、今まで忘れてたけど…。
そこまで考え、ふと思い出す。
ステラをオープンしてこれまで、たくさんのお客さんに恵まれてやって来た。先程の通り、来てくれたお客さんに笑顔になって貰えるお店を目指してきた。
しかし、そのために俺達が選んだ方向性と、ナツメが理想とするステラの雰囲気とは食い違っていた。
ナツメはそれでも良いと、たくさんのお客さんに来て貰えるならと、今のステラを作るための方向に踏み出してくれたが、実際のところ本人はどう思っているのだろう。
まだステラがオープンする前の事。ここで改めてバイトに誘われた時に着ていたナツメの服装を思い出す。
それは、かつてナツメの両親がこのお店で喫茶店をオープンさせようとして、そしてナツメと一緒に作り上げた制服。
今のステラで採用されたユニフォームと違い、落ち着いた雰囲気のメイド服。
そして、病院で見たあの絵。もしかしたらナツメは、今でも─────
「──ちゃん。ちーちゃん?」
「っ…、なに?」
「なにって、今の話聞いてた?」
完全に思考に没頭していた。母さんが何かを話していたらしいが、全く聞こえていなかった。
「聞いてなかった」
なので素直にハッキリとそう答える。それに対して母さんは不満げに頬を膨らませ、父さんは苦笑いを浮かべた。
「もうっ。お母さんの前で他の女の子の事を考えるんじゃありませんっ」
「今の台詞親バカ過ぎてちょっときもい。寒気した」
「きもいとか言うなぁっ」
ていうか可愛い子ぶってるけど、まあ容姿だけ見たら似合ってるのかもしれないけど、年齢考えたらやっぱきもいんだよな。
後、その仕草をしてるのが親だって考えると尚のこときもい。
「…てか、何で俺の考えてた事が女の子の事になってるんだよ」
「え?ナツメさんの事じゃないの?違った?」
「…合ってるけど」
普段はアホっぽい母さんも、俺に関しての勘は鋭い。
俺の返事を聞いた母さんが表情を変え、にまにまと笑みを浮かべながら頬杖を突いて俺の顔を覗き込んでくる。
「んー?ナツメさんの何を考えてたのかなー?」
「やめろ。聞かれてる」
周りでは一人を除いて、仕事をしつつ時折ちらっとこっちの様子を見る皆がいる。
ちなみにその一人とはミカドの事だ。我関せずと興味なさげにカウンターの方で黙々と仕事している。
「んー?聞かれちゃまずい事を考えてたの?」
「違う」
「なら教えてくれたって良いじゃーん」
うりうりー、とテーブルの下で俺の足をつついてくる。
やばい、面倒臭い。こういう時の母さんは割としつこい。
「人のプライベートを聞くのは趣味悪いぞ」
「ふーん?ちーちゃんとナツメさんのプライベートについて考えてたんだ」
「その言い方は卑しく聞こえるからやめろ」
ほら見ろ、ナツメが顔を赤くしてこっち見てるじゃないか。別に何かやらしい事を考えてた訳じゃない。結構真面目な事を考えてたつもりだぞ。
「それより、話って何だよ」
「あー、話題逸らそうとしてるー」
このままじゃまずいと、話題を逸らそうと試みる。なお、その試みは一瞬で見抜かれてしまったが。
しかし、俺に答える気はない事を察してくれたからか、それ以上突っ込まれなかった。母さんは一度これ見よがしにため息を吐いてから口を開いた。
「私達、明日帰る事にしたから」
「─────」
その思わぬ言葉に思わず目を丸くして驚いてしまう。
数秒の空白の後、おずおずと口を開いて言葉を絞り出す。
「何か用事でも出来たのか?」
いつもなら正月を日本で過ごしてから帰っていたのが、今年はすぐに帰るという。去年なんか面倒臭がる俺を強引に引っ張って、ここから車で二時間ほどの所にある温泉街まで連れてったのに。一昨年も寒いから外に出たくなかった俺をあっちこっちに無理矢理引っ張り出した癖に。
今年は果たしてどこへ連れてかれるのかと飽々してた俺がバカみたいじゃないか。
「用事とかじゃないの。でも…」
母さんが俺の問いかけに頭を振って答えてから、悪い笑みを浮かべる。
それを見た瞬間、嫌な予感が奔る。この質問はするべきじゃなかったと、俺の勘が叫ぶ。
「私達、お邪魔でしょ?」
「あー、はいはい邪魔邪魔帰れ帰れ」
そんな事だろうと思ったよ。変な気の使い方しやがって。そこまで気が回るんなら去年と一昨年も回してほしかったわ。
まあ去年の温泉旅行は普通にリラックスできて良かったけど。
しっしっ、と左手を払いながら右手でカップの取っ手を掴んで口元へ運ぶ。
そんな俺の仕草を見て母さんが笑う。
「ていう事で、私達は帰るから。ちーちゃんはナツメさんと存分にイチャイチャしてください」
「何なら去年行った温泉にナツメさんと行ったらどうだ?」
母さんと一緒になって父さんまで俺を口撃してくる。
やめて、ここで父さんが母さんの味方になったら俺のストレスがマッハになって堪忍袋の緒が切れちゃう。お願い、キレないで俺。ここでキレたら、ナツメの大切なこのお店はどうなっちゃうの?
「ふぅー…」
「あ、耐えた。いつもならキレてるのに」
「─────」
二人が確信犯でからかってた事に緒が切れかかるがここも耐える。ここが俺とは全く関係のない場所だったら分からなかったけど、そうじゃない。
とにかく自分にキレちゃダメだキレちゃダメだと何度も言い聞かせて気を静める。
「とにかく、俺達は明日帰るよ。しっかりやれよ、千尋」
「帰れ帰れ。見送りも行かねぇ」
頬杖を突いて返事をする俺の姿は、二人から見れば不貞腐れた子供に見えたのかもしれない。俺も、二人が笑ってるのを見てから自覚する。
しかし、さっき笑われた時とは違って少し気恥ずかしさはあるが、嫌な気はしない。
そんな自分の気持ちを感じながら、この両親の事をどうしても嫌いにはなれないのだと改めて思い知らされる。
俺を腫れ物の様に扱っていたあの時から突如掌を返して優しくなり、そんな無責任な姿を見せられても俺はこの人達を憎めなかった。
それはきっと、俺自身もまた、俺の事を二人と同じ様に思っていたから。そしてこんな俺を経緯はどうあれ、ここまで見捨てず育ててくれた事に感謝しているから。
「─────」
だからこそ、俺は今、それを見逃さなかった事に感謝した。
不意にレンズについたゴミが気になり、眼鏡を外して裸眼になった時だった。
二人の周囲に吸い寄せられるように、一匹の蝶が寄ってきたのは。
思考が止まる。動きが硬直する。何故、という疑問で頭が一杯になる。
何故なら二人の周りを飛び回る蝶は、
それは人から零れ落ちた魂の断片。人間の負の感情に吸い寄せられる性質を持つ、二人にとって無縁の筈の代物だったから。
「千尋、どうした?」
「っ…、いや。何でもない」
眼鏡を外したまま動かない俺を怪訝に思ったのだろう。父さんが俺にどうしたのか問いかけてくる。
問いかけに対して何でもないと答えながら、隣の母さんの表情も一緒に目にする。母さんもまた、父さんと同じ様に首を傾げていた。
しかし首を傾げたいのはこちらの方だ。二人が蝶に集られる理由がさっぱり分からない。
いやまずその前に、蝶を引き寄せているのが本当に
─────どう見ても、
蝶はどちらかの周りを飛んでいるのではなく、明らかに
つまり、蝶を引き寄せる原因を二人で抱えているという事でもある。
だがどうすればいい。とにかくこの蝶の対処はすぐに明月さんがしてくれるだろうが、それは根本的な解決にはならない。
解決するためには、まずは蝶を引き寄せる元を知らなければならない。手っ取り早く聞くのが一番なのだろうが─────
『最近、悩みとかあるか?』
『え、ちーちゃんどうしたの?いきなり』
単刀直入に聞いても戸惑われるに決まってる。かといって、時間を掛けて調べるという暇もない。何しろ二人は明日、帰ってしまうのだから。
─────とりあえず、ミカドに相談するしかないな。
何にしても俺一人で考えてもどうせ何も浮かばない。だから、他者の手を借りる事にする。
内心で溜め息を吐きながら、俺と同じく蝶の存在に気付いていたと思われる、じっと俺の方を見ていたミカドと視線を交わした。
ミカドが一度頷くと、傍にいた火打谷さんに何か一言告げてバックルームの方へと歩いていく。
「そろそろ戻るわ」
二人にそう言ってから俺も席から立ち上がる。
立ち上がった俺を見上げながら、笑顔を浮かべた父さんと母さんが口を開く。
「そうか。それじゃあな、千尋」
「しっかりね」
そう声を掛けてくる二人を見て頷いてから、二人に背を向けてバックルームへと急ぐ。
何を抱えているのか、何に苦しんでいるのか。己の大切な産みの親達を救う方法を探すため、ミカドの下へと急いだ。