「…さっむ」
朝、目が覚めてから布団を出る。天国のような温もりの外に出た途端、身を包んだのは容赦ない真冬の寒さ。
昨日の天気予報では、今日は天気こそ良いものの気温は冷え込む真冬日との事。
大晦日、今年最後の日。外出する人も多いだろうがこのクソ寒い中でご苦労な事だ。
「…」
ベッドから両足を出して、その場に座る体勢になる。部屋中を見回してもいつもと何ら変わらない、
そう。今、この部屋には俺一人しかいない。ナツメは今頃、実家に帰る準備をしているんじゃなかろうか。
あ、別にナツメと喧嘩した訳じゃない。実家に帰らせてもらいますとか言われた訳じゃない。ただ、大晦日くらいは実家に顔を見せに行きたいらしく、今日は実家で一泊してくると言っていた。
俺もナツメの彼氏として挨拶に行くべきかとも思ったが、ナツメはまだ彼氏が出来た事を両親に言っていないらしい。
今回の帰省でその事も話すつもりだとナツメは言っていたが、両親への挨拶はまたの機会という事で見送られた。
「…ふぅ~」
モーニングティーを淹れてパジャマ姿のまま一息吐く。さて、今日一日はマジで何もする事がない訳だがどうしようか。
さっきも言ったがナツメはいない。バイトも当然ない。今この場でパッと思い付く事といえば、ゲームをする事くらいだが─────
「最初に思い付くのがゲームって…」
そこまで考えてから、我ながら寂しい男だと自虐の念が湧いてくる。大晦日のこの日に一人寂しくゲームって。いやまあ父さんも母さんも海外にいて、帰省が難しいのだから仕方ないのだが。
それにしたって何かこう、ないものか。
「…外出するのもな」
窓の外を眺めながら呟く。
外は雲一つない快晴。しかしその綺麗な青空に騙される事なかれ、実態は今季一番の冷え込みとすら謳われる真冬日である。
そんな中、特に宛もなく出歩く気になんてなれる筈もない。
「…よし」
紅茶のカップを揺らし、動きに合わせて揺れる水面に視線を落としながら決意する。やっぱり、今の俺にはこれしか残されていないようだ。
カップを持って立ち上がり、そのままPCデスクへと向かう。デスクにカップを置いてから椅子を引いて腰を下ろし、目の前のパソコンを立ち上げる。
結局俺が選んだのは外出ではなく、部屋でゲームをする事だった。
仕方ないだろ。外に出る用事もないし外は寒いから出る気になれないし、気軽に遊びに誘える奴らは皆帰省してるし─────
「…」
ふと思い立ち、トップ画面が開いた直後に再び立ち上がり、ベッドの枕元に置かれたスマホを手に取る。
スマホのスリープモードを解いて、ライムを起動して画面を開く。ホーム画面から友達一覧の画面へ移り、ディスプレイに指を走らせてある名前を探す。
そして目当ての名前を見つけると、俺はその名前を親指でタップしようとして─────止める。
「…何て言えば良いんだよ」
画面の中央に書かれた名前とその傍に映された画像。その画像には二人の男女が写っている。
黒みがかった茶髪のごく平凡な見た目をした男と、長い銀髪を靡かせた美しい女性。二人は幸せそうな笑顔を浮かべてこの画像に写っていた。
気軽に遊びに誘えて、俺と同じ様な理由で親元には帰らずこの街に残っている友人が一人、いる。
そう、高嶺である。高嶺も父親が海外にいるため、年末年始は一人で過ごしている筈だ。昨日の事もあるし、励ます意味も兼ねて高嶺を部屋に呼ぼうと思い立ってスマホを手に取ったまでは良いが─────今の高嶺の気持ちを考えると、メッセージを打とうとする手の動きが勝手に止まった。
高嶺に何と言葉を掛ければ良いのか分からない。愛する彼女を失い、塞ぎ込んでいるであろう高嶺に掛けるべき言葉が見つからない。
いや、むしろ俺は高嶺に何もしない方が良い気すらしてくる。何故なら、高嶺とは違って俺にはまだ傍にナツメがいるから。ナツメを失ってはいないから。そんな俺が高嶺に何を言っても、アイツには嫌味にしか聞こえないんじゃないだろうか。
「…その方が良いかもな」
このまま放っておく訳にもいかない。ただ、まだ一日しか経っていない。高嶺には一人で現実を受け止める時間が必要な筈だ。
俺はスマホを持ったままPCデスクへと戻り、再び椅子に腰を下ろす。点いたままの画面を前に、マウスを動かしてカーソルを操る。起動するゲームはEPEX、聞き慣れたBGMと共にゲームが起動する。
「チーターと出会いませんように」
叶うかどうか怪しい願いを呟きながら、画面に映し出される戦場に意識を集中させるのだった。
─────あぁ、これは夢だ。
目を開き、視界に広がる見覚えのない光景を前にして、すぐに悟った。
見覚えのない、ゴミが散乱する汚い部屋の中で何故か俺は立っていた。床に踞る、女の子の前で。
この感覚、この立ち位置、覚えがあった。以前、涼音さんの部屋に明月さんと侵入した時、気絶した俺は夢を見せられた。
無差別に選ばれた、過去に起こった無数の死。今、俺が見ているこの死は、果たして以前に俺が見てきた死の一つなのか。それとも、俺が見た事のない別の死か。
女の子は小さな子供という点を差し引いても、明らかに痩せ細っていた。
痩せ細った女の子はか細い声で、この部屋にいない親を呼び続けている。
見慣れた、とは言いたくない。しかし、無数の死を見せられた俺は他人の死を見慣れている、といって差し支えなかった。馴染みのある知り合いならばともかく、こんな見知らぬ、子供の死であっても俺の気持ちは揺らがない筈だった。
─────何で、助けたいと思う?
今、俺はこの子を助けたいと感じていた。見知らぬ子供を、話した事もない筈の子供を、俺は助けたいと思っている。何故だろう。
いや、待て。本当にそうか?本当に俺はこの子を知らないのか?
そのほんの少しの疑いから、俺の中で確信に至る。俺はこの子に…正確には、この子の魂に見覚えがあった。最初にこの子を見た時に似ているな、とは思っていたが、この子が
似ているなんてレベルじゃない。この魂は、間違いなくあいつのものだ。容姿が違えど、性別が違えど、その魂だけは誤魔化しようがない。
─────高嶺、なのか…?
呆然と呟く俺の前で、女の子がゆっくりと倒れていく。それを見て慌ててその子を支えようと駆け寄る。
女の子が倒れる前に傍に辿り着き、両手を伸ばす。俺の両腕に、女の子の重みが乗っかる筈だった。女の子の体は俺の両腕をすり抜けて、床に倒れる。
女の子の体が床に激突する音が嫌に響いて聞こえた。
両腕を伸ばした体勢のまま、倒れた女の子を見下ろす。
これは俺が見ている夢。この光景を記憶する星の視点から見ている俺の夢。俺には何も出来ない。過去に確定しているこの子の死を覆す事なんて出来やしない。
女の子の体は動いていない。呼吸をする際の体の揺れもない。正真正銘、たった今この瞬間、この女の子は死んだのだ。
高嶺と同じ魂を持った女の子が俺の目の前で、誰にも見送られる事なく、見捨てられたまま死んだのだ。
─────…蝶。
倒れた女の子の体から、青い光が舞い始める。その正体は蝶。人の魂の残滓という話だが、この場においてはこの子の魂そのもので間違いないだろう。
女の子の魂、つまり高嶺の魂が、まるでどこに行けば良いか分からない、迷子のように周囲を飛び回る。
『これが人の魂…ですか?』
その時だった。背後から人の気配と共に、聞き覚えのある声がした。
『そうだ。案内するのが、我々の仕事だ』
再び、先程の声とは違う男の声。しかしこの声もまた、俺には聞き覚えがあった。
背後には一人の少女と、一匹の二足立ちをする猫がいた。
この言い方でもう分かるだろう。そこにいたのは、明月さんとミカドだった。
『でも…、せめて、この子に親の声を聞かせてあげる事はできないんですか…?』
『我輩達には、どうしようもない』
これはどういう事だ。どういう偶然だ。高嶺の魂を持った、恐らく高嶺の前世と思われる少女の魂を案内するために、明月さんとミカドが来たというのか。
『…戸惑う気持ちは分かる。だが、この魂が迷わぬよう導く事しか我々には出来ない』
浮かない顔をする明月さんにミカドが声を掛ける。
この感じから、この明月さんはまだ死神になって間もない頃といったところか。多分、これが初めての死神の仕事だったのではないだろうか。
死神となって最初に出会った魂が高嶺のものだったとは、二人が出会ったのは運命なのではとすら思える程の偶然だ。
この時はまだ、俺はそう思っていた。
『…次の人生では、あなたを愛してくれる人の下に─────幸せになれるように』
明月さんのその言葉が区切りだった。場面が転換し、俺の視界に新たな場所が広がる。
これもまた、以前に見た夢と同じだった。ある瞬間から突然視界が切り替わる。そして、また別の人物の死が始まるのだ。
だが、俺の目に映ったのは思わぬものだった。
─────高嶺?
先程とは別の人物ではある。性別も男の子だ。しかし、俺にはハッキリと先程の少女と同じ魂が見えていた。
結論から先に言おう。明月さんの願いは叶わなかった。この男の子も…いや、この魂はまた、誰にも愛されずに死を迎えた。誰にも看取られる事なく、一人で。
場面が切り替わり、またも俺は同じ魂を目にする。そして、孤独に死にゆく光景を見せられる。
─────魂が、強くなっていく…。
夢を見続けている内に、その魂の輝きがどんどん強くなっている事に気付く。死を迎える度に、転生する度に、まるで次こそはと魂が意気込んでいるかの様に、輝きが、力が増している。
─────そうか。あいつの魂が奇蹟を起こす程に強いのは…。
この繰り返しがあったから。誰にも愛されないまま迎える死を繰り返した。しかし、この魂は明月さんの言葉を信じていたのだ。
そして─────
『まさか…。奇蹟を起こしてしまうようになるとはな』
今度の景色は俺にも見覚えがあった。ステラのフロア内にて、ミカドと明月さんが何かを話し合っている。
ミカドが口にした
『こうなっては仕方あるまい。時を戻す事の出来る人間など放置はできん。魂を刈るしかあるまい』
そして、ミカドの口から出てきた台詞は信じられないものだった。
魂を刈る、つまり今、ミカドは高嶺を殺すと口にしたのだ。
『待ってくださいっ。その場合…、あの子はどうなるんですか?』
『恐らくは、もう転生の機会は失われるだろう』
明月さんの問い掛けに淡々と答えるミカド。この時のこいつは、本気で高嶺の魂を刈り取るつもりだったのだろう。
世の理をねじ曲げる力を持った危険な魂を、高嶺を殺すと。ミカドとて思う所はあるのだろうが、それでも自身の役目を全うするべく私情を殺している。だがもう一人は、明月さんはそれを認められないでいる様だ。
『そんな…っ』
ミカドの返答に対して目を見開いて拳を握る。
『幸せを望んでいるからこそ、こんなにも頑張っているのに…。私の言葉を信じて、ここまで頑張ってきたのかもしれないのに…。その結末がそれじゃあ…、寂しすぎますよ…』
『だが、奇蹟を起こせる魂を放置はできん。…たとえ我輩達が見逃したとしても、遅かれ早かれ他の誰かが処理するだろう』
明月さんが俯き目を伏せる。僅かに震える彼女は何を思い、何を考えているのだろう。
『…私が、何とかします』
『なに?』
『高嶺さんを消さずに済むように、私が何とかします』
顔を上げて明月さんが口にしたその言葉にミカドは僅かな間、驚いたように目を見開くがすぐに表情を戻す。
そして、明月さんを真っ直ぐに見据えてミカドが口を開く。
『その具体案は』
『高嶺さんが奇蹟を起こせなくなる程度に、私が高嶺さんの力を削ぎます』
『無理だな。その力の範囲は決して小さくはない。魂が大きく損なえば、肉体にも影響が及ぶ。恐らく、体がもつまい』
『ですが、そのショックは一時的なものですよね?乗りきればまた安定する筈です』
明月さんは固い決意を宿した瞳でミカドを見て、一拍空けてから告げた。
『ショックが収まるまで、魂が安定するまで、私が補います』
『なっ…!?』
今度こそミカドの表情が崩れた。驚きに大きく目を見開き、信じられないと言わんばかりに体を震わせる。
『分かっているのか。死神は生物ではない。肉体という枠組みを持っていない。人を象った魂そのものだ。そんなお前が魂を分け与えれば─────』
『このまま見過ごしたら、私は報われないこの世界に絶望してしまいます。そうなったら、生まれ変わる事もできずに終わります。…それこそ、どの道ですよ』
『…』
明月さんの決意を前にして何も言えなくなったミカドが黙り込む。そんなミカドに、明月さんは更に続けた。
『後は高嶺さんがやり直したいと思わなくなるくらい、幸せになれば問題はない筈です』
『…』
『ミカドさん、お願いします』
目を瞑り、考え込むミカド。やがてゆっくりを目を開けたミカドは大きく息を吐きながら頭を振り、明月さんの方を見ないまま口を開いた。
『分かった』
『っ、ミカドさん!』
『勘違いするな。お前の気持ちは分かった、と言ったまでだ。お前の方針を採用した訳ではない。…我輩の一存で決められる範疇を越えているからな』
ミカドはもう一度、今度は小さく息を吐いて、腹を括った様な真剣な表情を浮かべて再び口を開いた。
『この件について、朔夜様に掛け合ってみよう。それで駄目だった場合は…、諦めろ』
『…お願いします。このまま放ってはおけません。絶対に』
明月さんのその言葉を最後に、突如周囲の音が聞こえなくなる。それと同時に視界が光に覆われ、何も見えなくなっていく。
明月さんとミカドの姿が、ステラの店内が見えなくなっていく。そして─────
「─────」
次に目に入った景色は、見慣れた自室だった。視界の端で何かが光っている。目線を動かして、それがPCの画面だと分かる。
そこで思い出す。ゲームを始めてそのまま没頭してしまい、気付けば昼をすぎていた。かなりの時間熱中していたため、疲労を感じた俺はそのまま眠ってしまったのだろう。記憶は定かではないが。
部屋の中は暗い。相当の時間熟睡してしまったらしい。いや、そんな事はどうでもいい。それよりも、今は。
「…明月さんが消えたのは、高嶺に魂を分けてたから、なのか?」
眠っている間に見た夢の内容を思い出す。あれは、高嶺の魂が転生していく様を見てきた星の記憶。いや…、高嶺の魂の行く末を見守る明月さんを眺めてきた星の記憶、というべきか。少し分かりづらいが。
その夢の中で、明月さんが口にした高嶺に魂を分け与えるという言葉。そして、死神は肉体という枠組みを持っていないというミカドの言葉。その他にも、明月さんとミカドの会話を考えれば、明月さんが以前に俺に説明した彼女が消える理由が違う、或いはそれだけではないと察する事が出来る。
だが─────
「本当に、そうなのか…?」
一縷の疑惑が過る。本当に、明月さんは高嶺に魂を分け与えたから消えたのか?
だとすれば、明月さんが犠牲になるのを承知の上で、最終的に明月さんの方針を了承したという事になる。
ミカドも、ミカドが掛け合ったという朔夜さんも、明月さんよりも高嶺を優先したという事になる。
勿論、明月さんの熱意に負けた、というのも考えられるが…、駄目だ。どうも引っ掛かって仕方がない。この引っ掛かりの正体が何なのか、過去の記憶を呼び起こす。
明月さんと出会ってから今まで、明月さんが消えるまでの記憶。高嶺に対してだけじゃない。他の、明月さんが魂を浪費せざるを得なくなる何か─────
「…あ」
あった。明月さんが魂を浪費したかもしれないその瞬間を。確定ではない。何しろ俺は、その場面を
だが、もしかしたら。もし、本当に俺の考え通りだったなら。
「っ─────」
明月さんが消えてしまった理由は、俺なのかもしれない。
そう考えが過った瞬間、俺は駆け出していた。なりふり構わず、今の格好のままアパートを飛び出したのだった。
ヒント
原作ではあるとある話がこの小説にはない事