あのお方の久々の出番。
覚えてる人はいるのだろうか?
~Another View~
今でも、心の中に大きな悲しみは残っている。それでも─────前を向こうという気持ちが今の俺の心の中に確かに存在していた。
再び奇蹟を起こした事をミカドは俺を責めはしたが、その償いを手伝ってくれる事を誓ってくれた。
ミカドだけじゃない。この店の仲間達がいれば、俺はまた前を向けるような気がする。栞那の後押しが、俺にまた歩き出す力をくれたのだ。
そして俺はまた明日から、幸せを求めて生き続ける
「残念だ。本当に残念だよ、高嶺君」
俺は、世界の理をねじ曲げ愛する人を求めたその代償を、見誤っていた。
「だけど、自業自得だね。君の愛する人の気持ちを無視してしまったその罪は─────」
その人は─────神は。俺に審判を下すべく、この場にすでに参上していた。
「君が考えている程、軽くはないよ?」
真冬という季節を差し引いても、あまりに過ぎる寒さが辺りを包み込む。
その寒さが、気温によるものではないと、昂晴は分かっていた。
強大すぎる存在感を醸し出しながら目の前に立つ彼女の視線が、真っ直ぐに昂晴を射抜く。それに対して昂晴もまた、真っ直ぐ視線を返していた。
いや、その言い方は正確ではない。昂晴はその場から動く事も、視線を彼女から逸らす事すらも許されていないのだ。
本当ならば今すぐにでも目を背けたい。彼女に背中を向けて逃げ出したい。しかし、何か不思議な力に縛られたかの様に、昂晴の体は昂晴の意志に従わない。
「朔夜様…。それは一体、どういう事なのですか」
「彼は再び奇蹟を起こした。だから、その代償をここで支払ってもらう」
彼女、朔夜は別に昂晴を縛りつけよう等とは思っていない。そんな必要はない。たとえここで昂晴が逃げ出したとしても、捕まえる事は彼女にとって容易い。
ならば、何故昂晴は身動き一つとれないのか。
生き物としての格が違う相手の存在感を前にして、ただ臆しているだけ。昂晴の体を縛っているのは、ただの恐怖。たったそれだけで、昂晴は言葉も発せず、視線すら動かせず、その場に立ち尽くすだけの状態になっているのだ。
「高嶺昂晴の魂を…刈るのですか」
「仕方ないだろう?大体、理を一度乱した時点で問答無用で刈らなければならなかった。それを君とあの死神に懇願されて、嫌がる星を何とか説き伏せて、この子の魂を生かしてあげたというのに」
ミカドの方を向いていた朔夜の視線が再び昂晴を向く。先程よりも鋭さを以て、昂晴を突き刺す。
「彼女と約束したんじゃなかったのかな?彼女が消えても泣かないと。前を向いて歩くと」
「─────」
「早く気付くべきだったね。彼女が君に掛けた言葉は君への願いだったと同時に、忠告でもあったという事に」
これは昂晴もミカドも、無論朔夜も知らない栞那の心の内。昂晴へ掛けた言葉は、栞那の心の底から出た本心だ。しかし、朔夜の言う忠告、とは少し違うのだが。
心の片隅に、もし昂晴が自分の存在に囚われ、やり直しを求めてしまうのではという恐れもない訳ではなかった。
「残念だ。本当に残念だ。君には期待していたんだよ?奇蹟を渇望する人間は何人も見てきた。その度に、私達はその魂を排斥してきた。…だから、君が初めて、奇蹟を求めない人間になるのではないかと、期待していたんだよ」
昂晴に対して、朔夜は態度と声色に失望を隠さず込めながら言う。
そう、朔夜は昂晴に期待していたのだ。これまで見てきた人間とは違う結果が見られるのではないか、と。内心、昂晴の行く末を楽しみにしていたと言っても過言ではない。
しかし、朔夜の期待は裏切られた。消えた栞那を求めて、昂晴は奇蹟を望んでしまった。
「でも…、一番残念がっているのはその娘だろうね」
「っ」
その一言に昂晴が息を呑む。朔夜が向ける視線の先には昂晴──────いや、昂晴の周りを飛び回る一匹の蝶。
「本当に…本当に、君を愛し、心配していたんだろう。なのに、君はそれを裏切った」
「俺が…裏切った…」
「そう。君は奇蹟にすがる程に求めてやまない彼女を。明月栞那を裏切ったんだ」
昂晴の体が震え出す。朔夜の存在感に圧倒され、身動きすらとれなかった体が、絶望に苛まれ震え出す。
「前を向く?幸せになる?」
膝が崩れ、アスファルトの歩道に踞る。昂晴の目にはもう、何も映っていない。心の中に満たされた絶望が視界を覆い尽くす。
「そんな資格はもう、君にはない」
朔夜が何かを言っているが、聞き取れない。いや、もうそんなのはどうでもいい。昂晴はもう、全ての気力を失っていた。
先程まで、奇蹟によって再会した栞那の後押しで満ち溢れていた活力は、目の前の彼女に奪い尽くされた。
「明月栞那が自身の存在を懸けて生み出した最後のチャンスをふいにした罪─────その魂で贖え。高嶺昂晴」
次の瞬間、全てが終わる。昂晴の、昂晴の魂の長い旅路。一人の少女の言葉を信じて、幸せを求めて回った長い旅路が、ここで終わろうとしていた。
だが、これは当然の報いなのかもしれない。栞那を裏切ったその報いを受けるだけなのかもしれない。それならば─────仕方ないのだろうか。
「…どういうつもりだい?」
「?」
振り下ろされる神の裁きを大人しく待っていた。しかし、いつまで経っても何も起こらない。自分は死なない。
何故、と胸の中で過った直後、昂晴の視界に青い小さな光が舞った。
「っ…!」
勢い良く顔を上げる。視線を上げた先には、昂晴の方を見ながら、それでいて昂晴を見ていない朔夜の顔。
しかし、昂晴が目を奪われたのはそんな彼女の端正な顔ではなかった。
「かん、な…?」
まるで、自分の前に立ちはだかっているかの様に。昂晴を朔夜から守っているかの様に、一匹の蝶がそこに飛んでいた。
「君を裏切った。君の願いを振り払った。そんな男を、君はまだ守るつもりだというのかい?」
朔夜の言葉に返事を返す声はない。だが、変わらずそこに蝶は飛んでいる。昂晴の前で、朔夜と対峙している。
それが、栞那の返答。
「…どいた方がいい。でないと、奇蹟に荷担する存在として排斥を命じられるかもしれない」
「なっ─────」
朔夜の口から飛び出た言葉に昂晴が絶句する。
何故そんな事になる。栞那は関係ない筈だ。むしろ栞那は、そうならない様に頑張ってきて、でもそれを自分が裏切った。彼女は関係ない。
「もういい。栞那、俺の事は放って行ってくれ。じゃないと、栞那が…」
自身が口にしようとしたその台詞の恐ろしさに言い切る事が出来なかった。
このままだと、自分と一緒に栞那も消される。生きる希望を失い死神になり、長い時を経てようやく新たな人生を歩む資格を得たばかりなのに。
そんな事を許してはならない。罪を犯したのは自分一人で、裁きを受けるべきなのも自分一人なのだ。栞那は何も関係がない。
「どいてくれ、栞那!」
しかし、栞那の欠片はそこから動かなかった。昂晴に何と言われようとも、朔夜の神気を向けられようとも、この場を譲らない。
「…美しいね。たかがほんの一欠片。明月栞那として生きてきた記憶も持っていない。だというのに、愛する人を守り通そうとする。愛の奇跡と呼ぶ他がない」
その言葉は、栞那の行動を讃えている様にも聞こえるものだった。
昂晴の前で飛ぶ蝶は、明月栞那の魂のほんの一部。この中に込められているのは明月栞那の少しの心残り程度。
明月栞那の記憶を持たない。どうして自身がここにいるのかも分からない。自分が何者かも分からない。いや、思考能力を持っているかすら危うい、そんな矮小な存在。
しかし、昂晴の事だけは覚えているかの様に、栞那の一部は昂晴を守ろうとする。愛する人を、自身の存在を賭けて守り通そうとする。
「理解できないな」
朔夜は、神は、そんな人の美しさを理解し得ない。理解しようともしない。
「たかだか他人のために。今、私がその気になれば本当に君は転生の機会を失うよ?」
蝶に…、いや、蝶を通して朔夜は呼び掛ける。
「なに。生まれ変わればまた高嶺昂晴程に愛し合える男が見つかるさ」
栞那へと忠告を続ける。
「長い間この魂を見守ってきたんだ。愛着はあるだろうね。だがそろそろ君のためにも諦めるべきだ。この男の魂の末路はもう定まっている。君が何をしようと変わらない」
何をしても徒労に終わる。どころか、何もしない方が身のためだ、と。
「…それは君も同じだよ?千尋」
「─────」
その台詞に目を見開いたのは昂晴だけではなかった。黙って成り行きを見守るだけだったミカドもまた、昂晴と同じ様に驚きを露にした。
「話の流れについていけてないんですが、とりあえず一つだけ聞かせてください」
その声は昂晴から見て正面側から聞こえてきた。姿は正面に立っている朔夜に隠れて見えない。
しかし、聞き間違う筈がないその声は、先程朔夜が口にした名前を持つ青年の声だ。
「高嶺と明月さんに何をしようとしてるんですか?朔夜さん」
そしてその声には、隠しきれない敵意が込められていた。
家を急いで出た直後だった。どこからか鳴り響いた鼓動が全身を震わせたのは。
思わず足を止め、呆然としたのは一瞬だけ。すぐに再び駆け出しながら今の鼓動は何だったのか考える。
何かの音が聞こえてきた訳じゃない。言い表すなら、空気が震えたとでも言えばいいのだろうか。言葉にし難い、初めての感覚だった。
その感覚について何も分からない。だが何故だか、ステラに急がなければならないという強い焦燥感に駆られた。
メガネを外して瞳の力を解放しようかとも考えたが、まだ通りには少ないながらも人が出歩いている。だから星との接続はしないまま、人として与えられた脚力のみでステラへと急ぐしかなかった。
「─────」
しかしそれも途中まで。ある瞬間を境に、メガネを投げ捨てて星との接続を試みる。
直後、走るペースが急加速する。接続は成功し、身体能力が向上、その効能をとことん活用して全力でステラへと急ぐ。
─────やっぱり、これは。
ステラへ急ぎながらも、周囲に気を配る。星と接続をする直前、背筋に奔った悪寒。そして、突如感じなくなった人の気配。
これには覚えがある。以前、俺を襲ってきた奴が俺を追い詰めるために張った結界。あの時も今と同じ様に人の気配が全く感じず、この場にいる人間が俺だけなのではないかと錯覚した。
だが、その時と今とでは明確に違うものがあった。
俺以外の人の気配が感じられる。どころか、俺の瞳はハッキリと、俺以外の存在を捉えている。
まるで処刑されるのを待つ罪人の様に踞るだけの高嶺と、高嶺に何かを言っている朔夜さん。そして、何故かその場から動かず黙ったままのミカド。
─────もしかしたら…。
走りながら、先程の感覚を思い出す。突然響き渡った鼓動。ただの仮説だが、あの鼓動はもしかしたら─────。
足を止める。正直、まだ何がどうしてこうなっているのかは掴みきれていない。
「…それは君も同じだよ?千尋」
一応予測は立てているが、それで確定という訳ではない。俺にはまだ、殆ど何も分からない。
「話の流れについてけないんですが、とりあえず一つだけ聞かせてください」
だが、その中で一つだけ分かる事がある。
「高嶺と明月さんに何をしようとしてるんですか?朔夜さん」
こちらを向く彼女は、今の俺にとって対峙すべき敵なのかもしれない。