理解が出来なかった。勝ち目のない戦いに挑むその意味が。結末は決まっている。その事を悟っていながら足掻き続けるその理由が。
理解が出来なかった。いずれ別れると知っていながら、魂の欠片を残してしまう程まで他人を愛し、自らを厭わず相手を守ろうとするその感情が。
いつもならばどうするか、迷わず即断していた。邪魔をする輩は即刻消し去り、目的を達成する。それで終わり。
世界のバランスを崩しかねない奇跡の力を持つ者等、最初から消しておけば良かったのだ。珍しくそれに待ったをかけられ、つい物珍しさに釣られてその頼みを受け入れたのが間違いだった。
一度見逃してやったそいつは再び奇跡を起こし、結果的には何事も書き換える事なく奇跡は終わりを告げたが、そこで我に返った。
とっとと排斥すべきだ。手遅れになる前に。
そう思い、すぐさま行動に移したのだが、もしかしたらすでに手遅れになっていたのかもしれない。
それを邪魔しに来たのが、まさかの自身の一部を分け与えた人間だった。
役目を終えて貰う前に死なせる訳にはいかない。だから、そこに関しては殺害命令を出さないでいた。
しかしそれが更に不味い事態を引き起こす。強大な相手との戦いを通して、急激な勢いで瞳の力の使い方を吸収し、自分から力を引き出していく。
今頃交戦しているであろう神が負ける事はまずない。だが、このままでは人間の肉体が膨大な力に耐えきれなくなる。そうなればどうなるか、言う迄もない。
神朔夜も分かっている筈だ。だからこそ必死に、死なせない程度に痛め付けようと努めているが、いよいよ加減したままでは辛くなってきているらしい。徐々に身体に傷が刻まれる様が見えるようになってきた。
この様子だと、そう遠くない内に神の一柱か星の瞳かどちらかを選択しなくてはいけなくなる。
とるべき方針は定まっている。こうなっては致し方ない。だがその前に、どうしても話しておきたかった。
「誰…?そこにいるのは、誰なんですか?」
自分の姿を捉えられず、キョロキョロと周囲を見回すこの少女。
明月栞那と。
『君に質問する権利はない。ただ質問に答える。我が求めるのはそれだけだ』
動揺した様子の少女に淡々と告げる。事実、ノンビリこの少女と談話していられる時間はない。刻一刻と手遅れになる瞬間は近付いている。
それでもその前に、この少女に抱いた疑問を解消しておきたい。
『単刀直入に聞こう。何故君は、あそこまであの少年に固執する』
「…はい?」
いけない。さすがに単刀直入が過ぎた。
この少女には自覚がない。あれはこの少女の魂のほんの一欠片。高峰昂晴を心配した少女が無意識に零した魂の一部。
そして少女本人はそんな事をした自覚も覚えもなく、いきなりこんな事を聞かれても訳が分からないだろう。
『気付いていないだろうが、君は消える瞬間、魂の一部を現世に零した。一人残された高峰昂晴が気にかかったのだろう』
「─────」
引っ掛かった部分はあったらしい。表情が固まった少女は何も言わない。この沈黙は肯定と見なして良いだろう。
『だが、高嶺昂晴はそんな君との約束を破り、再び奇蹟を起こした』
「…」
どうやらそこも覚えはあるらしい。高嶺昂晴が奇蹟を起こした際、確かにこの少女の魂は引っ張られていた。
この少女の中に、あの奇蹟の中で高嶺昂晴と言葉を交わした記憶が残っている筈だ。
『今、我の命を受けた神の一柱が高嶺昂晴の排斥を実行している』
「っ…!」
この言葉を聞いた少女の表情が悲痛に歪む。
高峰昂晴は死ぬ訳ではない。死ぬとは少し違い、排斥されるのだ。
生物は死ねば肉体を失い、魂だけの存在となり、やがて新たな何かとして生を宿す。
しかし排斥されてしまえば魂までも失われ、二度と生を受ける事もない。ある意味これこそ、本当の死といえるだろう。
「高嶺さん…」
『心配か』
「そんなの…、当たり前じゃないですか…!」
『悲しいか』
「当たり前じゃないですか!」
続けざまの質問に同じ答えを返す少女。そんな少女に気を遣う様子もなく、質問を投げ掛け続ける。
『君はこれから新たな人間として転生する。当然、高嶺昂晴との思い出は失われる。失われると分かっていて、なおあの男を愛し続けるか』
「…いえ」
首を振った少女を見て少し驚く。当然、頷くものだろうと考えていたからだ。
しかし少女は首を振った。否定したのだ。
だが、少女が否定したものは、自分が考えていたものと違っていた。
「私はきっと忘れません。高嶺さんの顔を、声を忘れようとも。高嶺昂晴という人を愛した事だけは、絶対に」
『…それは今、君が君でいられるから言える事だ。実際に転生して生を受ければ間違いなく─────』
「あり得ません。私は…絶対に忘れません」
最初はきっと、と曖昧に言った癖に意見を変えて絶対にと言い切り始めた。
根拠のない自信ほど愚かなものはないのだが─────この少女に会いたいがために奇蹟を起こした高嶺昂晴と、魂の一部を切り落としてまで彼を気にかけた少女。
そんな二人に興味を抱いてしまったからだろう。
『何故言い切れる』
そんな疑問が漏れた。
生前─────この少女に対してこの表現は正確ではないが、転生前の記憶を転生後へ継承する事は出来ない。というより、許していない。
この少女が何と言おうと、どうしようと、高嶺昂晴だけでなく、死神として生きたかつての記憶は全て失われる。これは決定事項だ。決して覆し様のない現実だ。
なのに少女、明月栞那は忘れない事を微塵も疑っていない。
「何者であろうと、この気持ちを消し去る事は出来ません」
栞那は胸に手を当てながら、遠い何かを思い浮かべるように瞳を閉じて言葉を紡ぐ。
「高嶺さんとの思い出を消されようとも、高嶺さんが好きだという気持ちまでは消せません」
こんなにも。人と人が心の底から愛し合うというのは、こんなにも幸せになれるものなのか。
少女の幸せそうな顔を見て、返す言葉が見つからない。
「こんなにたくさんの好きだという気持ちが消えるなんて、考えられないから」
『─────』
断言しよう。どれだけ大きな気持ちであろうと、消える。少女が転生すれば、ここで交わした会話も全て忘れ去る。
何故、この少女にそう伝える事が出来ないのだろう。
まさか、疑っているのか。もしかしたら、とでも思っているのか。
『それなら、試してみるとしよう』
「え?」
もし少女が言った通りになったなら─────
『もし、君の中から高嶺昂晴を好きだという気持ちが消えていなければ、彼の排斥を取り止めよう』
「っ、本当ですか!?」
『約束…いや、契約だ。君の言った通りになれば、彼に手出ししない。無論、再び奇蹟を起こす様な事になれば話は別だが』
仏の顔も三度までという言葉はいつから使われるようになったのか。二度あることは三度ある、という言葉もあった気がするが、とりあえず今それは忘れるとしよう。
「え、何が─────」
突如少女の体が光り出す。自身の体の変化に戸惑う少女は直後、その場から消えていた。
『…さて、どうなるかな』
少女の記憶には強力な
映像として映し出されるのはつい先程までここにいた少女。生まれたままの姿で現世に放り出され、何が何だか分からないといった様子でキョロキョロしている。
彼女が現れた事に彼等はもう気付いているだろう。
初めに動き出したのはケット・シー。続いて高嶺昂晴が後に続く光景を眺めながら、この後の展望を待つとしよう。
朔夜さんの動きが止まったのは余りに不意に、突然の事だった。
冴え続ける意識の中、何度目か分からない交錯の後、すぐさま振り返って彼女の姿を目に捉えた、その時だった。
動きを止め、目を見開いて何やら驚愕を顕にする朔夜さんの姿を見たのは。
「─────」
そしてその直後、俺は信じられない光景を目にする事になる。
意識が冴え渡るごとに広く、クリアになっていった視界の中に捉えた一人の人物。その姿に動揺が止まらない。何故、という疑問符が止まらない。
同時に湧いてくるのは喜び。心中を満たす混乱を押しのいて、喜びが笑顔となって外に漏れる。
「馬鹿な…。この気配は…っ!」
俺達から少し遅れてミカドも気付いた様だ。勢い良く建物の方へと振り向き、少しの間屋根裏部屋がある方を見上げてから、そちらに体を向ける。
「高嶺昂晴、ついてこい!」
「え?急になに…」
「いいからとっとと来いと言っているのだ!」
「いって!マジでなに!?ちょっ、蹴るな!蹴るなっ!」
高嶺は彼女の出現に全く気付いていないらしく、ミカドの様子の豹変に戸惑いながらも店の中へと入っていった。
静かになる俺の周り。この場に残されたのは俺と朔夜さんの二人だ。
「…それで、こういう結果になりましたがどうしますか」
「─────そうだね、とりあえず」
硬直を続けていた朔夜さんは俺の声を聞いて我を取り戻し、ゆっくりと穏やかな笑顔を浮かべる。
そして、ミカドと同じく建物の方へ向いていた視線を俺の方へと向け、こう続けた。
「君の腕を治すとしようか。話はそれからだ」
そう言うと朔夜さんはこちらに歩み寄り、俺の左隣で立ち止まると、千切れた二の腕の傷口に向けて掌を翳す。
朔夜さんが目を瞑り、何かを呟いた直後、翳した朔夜さんの掌から光が溢れだす。その光は傷口へと宿っていき、すると不意に痛みが和らぎ始めた。
治癒の魔法だろうか。ファンタジーの世界にてよく見られる魔法だが、こうして現実で自分が受ける事になるとは─────いや、もう一度受けているんだっけか。その時の俺は意識を失っていたから覚えていないけれど。
「本当に無茶をする。死んでいたらどうする気だったんだい」
「本気で殺そうとした貴女が言いますか…?」
「?殺すつもりはなかったよ?両手両足切り落とす覚悟はあったけど」
「え」
「え?」
え、なにそれ。もしかしてこの人、というか神、あれでまだ全力じゃなかったの?
きょとんと首を傾げる、先程までの殺気に満ちた顔と打って変わって惚けた表情を浮かべる朔夜さんの底が全く見えない。
この神と戦って、少しは追い詰めていると思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。まあ、神が人間に追い詰められるなんてあり得ないものなのかもしれないが。
「…何が起きてるか、聞いても良いですか?」
いや、そんな話は良い。今は他に大切な事が、聞きたい事がある。
俺の聞きたい事を、朔夜さんは聞かずとも察した筈だ。傷の治癒を続けながら一度ため息を吐いてから、やがて口を開いた。
「正直、分からない。高嶺昂晴はもういい、って言われたと思ったらこうなっていた」
「高嶺はもういいって…、それはあいつは助かったって事ですか?」
「今の段階ではそう思って構わないだろうね。少なくとも、あの子がまた奇蹟を起こさない限りは。…けど」
言いながら朔夜さんが建物を見上げる。それに釣られて、俺もそちらに意識を向ける。
俺の瞳に映し出されたのは屋根裏部屋にて対面する二人の男女の姿。男の方は女の姿を大きく見開いた目で見つめ、女の方は初めこそ虚ろな瞳で男を眺めていたが、次第に瞳に色が宿り、そして涙が零れ出す。
弾かれるように同時に動き出した二人は互いに駆け寄り、そして抱き締め合う。二人共にボロボロと涙を流し、互いの存在を確めるように。その両腕で力一杯抱き締め合って、そして─────
そこで瞳を閉じる事にした。これ以上覗き見るのは野暮というものだろう。それくらいのデリカシーは俺だって持っている。
「この様子なら、そんな心配はないと思いたいね」
そう台詞を溢す朔夜さんはすでに店の方は見ておらず、左腕の傷の方に再び意識を─────
「朔夜さん。俺の腕、伸びてる気がするんですが気のせいですかね?」
「気のせいじゃないよ?」
「…」
「大丈夫。ちゃんと再生するから」
「再生するの!?」
片腕生活を覚悟していたのだが、そんな覚悟は不要だったらしい。
ゆっくりと元の形を取り戻していく俺の左腕の様子にちょっぴり気持ち悪さを覚えながら、一段落がついたこの穏やかな余韻に身を任せるのだった。
「…荒れるだろうな、あいつ」
そんな朔夜さんの呟きを聞き逃し、呑気にこれで終わったと、全て終わったんだと勘違いしていた。
「高嶺昂晴…、明月栞那…!」
「ナゼ…、キサマラフタリダケ…!」
怨嗟の声は小さく、誰の耳にも届かぬまま風の中に消えていった。
不穏な終わり方ですがとりあえずこれで今回の事件は解決という事で。
次回からはまた日常回へ戻ります。