喫茶ステラと死神の蝶と見える人   作:もう何も辛くない

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第六十四話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正座して対面する俺とナツメ。縮こまる俺と見下ろすナツメ。そんな俺達を眺める高嶺と明月さん。

 

 思えば初めてだな。こんな風に本気でナツメが怒っているのを見るのは。今まで俺がナツメに怒る事はあったけど、その逆はなかった。

 

 しかし、ここまで怒るとはおもわな…いや、怒るのも当然か。逆に俺がナツメの立場だったなら、きっと同じ様に怒っていた筈だ。

 自分が知らない所で、好きな人が命の危機に瀕していたのを報されないなんて。怒って当然だ。

 

 だがしかし、だがしかしだ。怒って当然とは思うが、俺にだって言い分はある。

 何しろ事が起こったのは昨日。まだ一日しか過ぎていないのだ。

 じゃあ昨日の内に報せろよと思われても仕方ないとは思うが、昨日は疲労困憊で帰ってすぐにベッドで死んだように眠るのは極々自然な流れ。

 

 そう、ナツメに連絡できなかったのは仕方なかったんだ!

 

「ふーん」

 

「…」

 

 なお、これらの話を聞いたナツメの反応がこれである。たった一言、ふーんである。

 冷たい表情と鋭い視線はそのまま変わらず、俺を見下ろし続ける。

 

 おかしいな、俺はナツメより背は高い筈なんだけどな。なのに何でナツメに見下ろされてるように思えてしまうんだろう。

 

 いやそんな事はどうでもいい。今はどうやってナツメの機嫌を直すか…いや、そうじゃない。ナツメの機嫌とか許して貰うとか、そういう事じゃない。

 重要なのは、ナツメの事がどうでもいいから連絡を後回しにした訳じゃないのを分かって貰う事。それを分かって貰った上で機嫌を直すか、俺を許すのか、決めるのはナツメ次第。

 

 とはいえさっきの説明で納得して貰えないとなるといよいよとれる手は泣き落としくらいになってしまうのだが。

 そんなんでナツメは揺らいでくれるだろうか─────

 

「…ごめん」

 

「へ?」

 

 ナツメが突然謝ってきたのは、いざ土下座を決行しようかと決心した直後だった。

 あまりに不意を突かれて呆けた声を漏らしてしまう。

 

「…急にどうした?」

 

 先程までの怒りの表情とは打って変わって、沈んだ表情を浮かべるナツメの姿に驚きよりも心配の念が強くなる。

 ナツメは俺から目を逸らし、俯きながら口を開いた。

 

「今私がしてるこれは、ただの八つ当たりだから」

 

「─────」

 

 ナツメの返答に言葉が詰まる。事実、仮に何も知らない第三者がこの事を知ればそんな感想を持たれてもおかしくはない。

 確かにナツメに連絡をするべきではあった。しかし、連絡を出来ない明確な、やむを得ない理由がある以上、ナツメが怒るのは筋違いではある。

 

 あるのだが、ここで俺はナツメに色々と言い返しても良い立場ではあるのだが、そんな気にはならなかった。

 だって、ナツメが本気で俺の事を好きでいてくれてるからこそ、俺を本気で心配して、怒ってくれてるのだから。

 

「連絡しなかったのは俺も悪かったしな。お互い様だろ」

 

「でも…。千尋は大怪我して、治して貰ったのは良いけど、昨日はきっと疲れてたんだろうし…。それなのに私は、感情のままに千尋に当たって…」

 

 ここでナツメにそんな事はないと言っても納得しない。それでナツメは誤魔化されない。

 だからナツメが言う事を肯定しつつ、俺にも否があると伝えたのだが、優しすぎるナツメは必要以上に責任を背負い込んでしまう。

 

 さてどうしよう。いや、どうしようも何も俺がとる行動は決まっているのだが。

 だが、どうしても今はその行動をとりづらい。何故ならば─────

 

「…」

 

「「…?」」

 

 今この場にいるのが俺達だけではないからである。

 ナツメが怒っている理由の一端だからとついてきてくれたは良いが、ここに来てまさかの、言い方は悪いが邪魔になるという。

 

 高嶺と明月さんの方へと目配せし、アイコンタクトを試みるも二人は首を傾げて伝わっていない様子。

 

「はぁ…」

 

 これは腹を括るしかない。溜め息と共に決意を固めてから、俺はナツメを見つめながら口を開く。

 

「ナツメ。こっちおいで」

 

「え?…なに?」

 

 軽く手で仕草をしながらナツメを呼ぶと、ナツメは四つん這いになってこっちに近づいてくる。

 近づいてくるナツメを見つめる。そして俺の両腕が届く所まで来た時、俺はナツメを抱き寄せた。

 

「っ─────!?」

 

 いきなりの抱擁に驚いたか、両腕の中でナツメの体が震えた。

 だが抵抗はしない。おとなしく腕の中に収まったまま大人しくなる。

 

「…ありがとう」

 

「え─────?」

 

 そんなナツメの耳元で小さくそう呟いた。

 視界の端で目を丸くしたナツメが俺の方を見たのが分かった。

 

「あそこまで怒ったのは、俺を心配したからだろ?だから、ありがとう」

 

「…」

 

 こっちを見たままナツメは何も言わない。この沈黙を肯定として受け取る。

 

「俺は別に気を悪くしたりしてない。むしろ、ナツメが俺の事を本気で思ってくれてるんだって実感できて嬉しいくらいだ」

 

「…当たり前じゃない。好きなんだから」

 

「うん。俺もナツメが好きだ」

 

 ナツメと視線が交わる。すぐそこにあるナツメの顔は笑っていた。

 笑ったナツメの声からは沈んだ様子は消え、俺の背に両腕が回される。

 

「千尋…」

 

 どのくらい抱き締め合っていただろうか。不意にナツメが両腕を回したまま体を離し、正面から俺を見つめてきた。

 

 僅かに赤らんだ頬、潤んだ両目。ナツメが俺に何を求めてるのか、すぐに分かった。

 

 どちらからともなく、顔を近づけ合う。目を閉じて、これから唇に伝わる柔らかい感触を心待ちにして─────

 

「うおっほんっ!」

 

 弾かれるようにナツメから顔を離した。俺だけでなくナツメもまた俺から離れ、すぐさま俺の腕から脱け出して距離をとった。

 

「仲直りしたのは良いけどさ…」

 

「私達の事を忘れないでくださいね?」

 

「「すみませんでした」」

 

 苦笑いを浮かべる高嶺とニコニコ満面の笑みを浮かべる明月さんに向かって俺とナツメで同時に頭を下げる。

 

 いや、本当にすっかり二人の存在を忘れていた。二人の前でナツメを抱き締めると決めてからそう時間は経ってないのに。

 それもこれもナツメが可愛すぎるからいけないな、うん。

 なんて心の中で言い訳をしながらもう一度ナツメの方を見る。

 

 顔を真っ赤にしながら恥ずかしがっているナツメ。うん、可愛い。

 じゃなくて─────

 

「ナツメ、どうする?今日はもう部屋に帰るか?」

 

「え?んー…」

 

 ナツメは実家から戻ってきたばかりで、何なら荷物を部屋に置いてすらいない状態である。

 距離はそこまで遠くないとはいえ、移動で疲れたというなら部屋に帰って休むべきだろう。

 

 そう思ってナツメに問いかけたのだが、返ってきた答えは思わぬものだった。

 

「…ねぇ、皆で初詣に行かない?」

 

「初詣?」

 

 思わずオウム返ししてしまう。それに気にした様子もなく、ナツメは笑って頷く。

 

「俺は別に構わないけど…、二人は?」

 

「俺も良いぞ」

 

「私も賛成です」

 

 俺にはナツメの提案を断る理由もないし、すぐに承諾する。

 その後高嶺達の方へ振り返り、二人にもどうなのか問いかけるとすぐに承諾の返事が返ってくる。

 

 という事で、今から墨染神社へと初詣に行く事に相成った。

 さっきも乗った俺の車に再び乗り込み、早速神社へと車を走らせたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初詣へ行くために部屋を出た時と比べて辺りはすっかり夜の帳に包まれる時刻。高嶺と明月さんの二人を高嶺のアパート前で降ろした後、俺はナツメと一緒にナツメの部屋にいた。

 

 お参りを済ませた後、俺達は四人でおみくじを引いて今年の運勢を占った。

 ちなみにナツメと明月さんが大吉で高嶺が吉、俺は末吉だった。何か俺だけ物凄く微妙な運勢だったが、恋愛運だけは結構良い事が書かれていた。というより、四人とも恋愛運は良しと紙には書いてあった。

 ナツメと付き合ってから初めての年越しで、たとえおみくじでとはいえ今年の恋愛運は悪いとか書かれてなくて良かったと心底ホッとしたものだ。

 

 その後は巫女のバイト─────といっても給料は出ないが─────をしている墨染さんに挨拶をして、その最中に偶然にも同じタイミングで初詣にやって来た火打谷さんに涼音さんとも新年の挨拶を交わし、墨染さんのお父さんから軽いお叱りが入るまで話し込んでしまった。

 

 神社を出た後、そのまま帰るのは勿体ないという明月さんの提案によりステラへと戻り、俺が淹れた紅茶で一息吐きながら談笑した。

 気付けば窓の外は暗くなっており、ナツメと高嶺を連れて店を出ようとしたのだが─────その前に高嶺が明月さんを自分の部屋へと誘い、車に乗るメンバーがもう一人増えたのだった。

 

 今頃高嶺の部屋では─────いや、それを考えるのは無粋というものだ。まあ流石に帰ってきてすぐおっ始めるなんて事はないだろうが。きっと、俺が初めてナツメの部屋に来た時と同じ様に、互いにガチガチに緊張している事だろう。

 

「お待たせ。お皿運んでくれる?」

 

「あぁ、分かった」

 

 なお、こっちでは緊張なんて全く無縁の和やかな空気が流れている。台所では料理をするナツメが、俺は夕食が出来上がるのをナツメの後ろ姿を眺めながら待っていた。

 

 ナツメに言われ、完成した料理が盛り付けられた皿をテーブルへと運んでいく。

 今日ナツメが作った夕食のメインは豚のしょうが焼き。

 高嶺と明月さんを送ってから近くのスーパーの中を歩きながら二人で献立を考えた結果、豚のしょうが焼きに決まった。

 ナツメ曰くそこまで手間がかからないらしいし、俺も肉料理は好きだし、そこからの流れは早かった。

 

 買い物を終わらせてから、まだナツメの荷物が車にあったため行く先はナツメの部屋。夕食もナツメの部屋で一緒にする事になり今に至る。

 

「「いただきます」」

 

 湯気がたつ白米にお味噌汁、メインのしょうが焼きに添えられるのはキャベツの千切りとその上に載ったミニトマト。

 

「うん、美味い」

 

 早速メインへ手を伸ばす─────前に、軽く味噌汁を飲んでからしょうが焼きに箸を付ける。

 マナーとしては次にご飯を食べるべきなのだが、我慢できなかった。できる筈がなかった。だってめっちゃ美味そうだし。てか実際美味いし。

 

 俺の感想に笑顔になるナツメを視界に映しながら食事を進める。

 ご飯の炊き具合も味噌汁の味も、当然しょうが焼きだって完璧だ。

 いや、しょうが焼きが少し甘めだったのは最初気にはなったが、気に入らない訳じゃない。むしろこっちの方が好きなくらいだ。

 

 まあそれも、ナツメが作ったからなのかもしれないが。

 

「…そういや、いつもナツメに作って貰ってるな」

 

「え?どうしたの、急に」

 

 しょうが焼きと一緒にご飯も口に含めて味のコンビネーションを楽しんでいてふと、思う。

 

「いや、何となく思い出してさ。夕食はいつもナツメに作らせちゃってるなって」

 

「確かに私が作ってるけど…。朝御飯は千尋が作ってくれるじゃない」

 

「それも毎日そうじゃないしさ。ナツメにして貰ってばかりだなと」

 

 ナツメの料理は美味しいし何の不満はない。だからといって作って貰ってばかりというのは悪い気がする。

 

 そんな俺の心情を察してか、やや困ったように笑いながらナツメが口を開く。

 

「そんなの気にしなくていいのに」

 

「そう言ってもな…」

 

 ナツメがそう言うのは分かっていた。だからといって気にしないという方が無理だ。

 

「…それなら、千尋がシフト休みの日は千尋が当番の日っていうのはどう?」

 

 ナツメがそう口にしたのはどうするべきか頭を悩ませていた時だった。顔を上げて、笑顔のナツメと目を合わす。

 

「それだとナツメの負担の方が大きいだろ」

 

「負担だなんて思ってない。好きな人に自分の料理を振る舞って、美味しいって言って貰えて…幸せなくらい」

 

 それは、心の底からそう思っている様な、幸せな笑みを浮かべてナツメが言う。

 

「別に私は今まで通り毎日作っても良いけど?」

 

「おーけーわかった。俺がシフトない日は俺が作る。それで了解した」

 

「よろしい。あ、食器ちょうだい?洗ってくるから」

 

 いつの間にかナツメが毎日作るか俺が週に一回作るかの二択にされ、俺は後者をとらざるを得なかった。

 しかし、あんな顔をされちゃナツメの料理を食べる機会を減らしてくれ、なんて言えないじゃないか。

 

 内心溜め息を吐きながら、空の食器を重ねて台所へ運んでいくナツメの後ろ姿を追い掛けようとする。

 

「いや、食器洗いくらいはやらせてくれよ」

 

「千尋は昨日大変だったんでしょう?今日はゆっくりしてて」

 

「…」

 

 ナツメにそう返され、浮きかけた膝を戻して再び腰を下ろす。

 いや、もっと食い下がる事もできたが…、鼻歌なんて歌いながら食器洗いをするナツメの背中を見ていたらできなくなってしまった。

 何でそんなにご機嫌なんだか…。

 

 水が流れる音と食器がぶつかる音だけが響く。付き合い始めてから今まで、ほぼ毎日見てきた光景。

 そういえば、初めてナツメの手料理を食べたのは付き合う前だったか。あの時は初めて異性の部屋、それも独り暮らしの部屋に入ってかなり緊張していたものだ。

 それも、ナツメの料理を口にしたらどこかへ飛んでいってしまったが。

 

 ─────ハンバーグだったっけ、最初に食べたのは。

 

 もう一ヶ月近く前になるのか。初めてのナツメの手料理はハンバーグだった。

 初めてナツメへ恋心を抱いているのを自覚したのもその日だった。

 

 幸せだ。心の底からそう思う。

 思えば、この幸せを俺は手放しかけていたのか。昨日、もし俺が死んでいたら。朔夜さんにその気はなかったらしいが、何かが違っていたら、そうなっても可笑しくはなかった。

 

 そう考えるといきなり怖くなった。今更になって恐怖を感じた。

 昨日の選択を俺は後悔していない。間違っていたとも思っていない。でも…、そうか。危うく俺は、ナツメとお別れするところだったのか。

 

 死ぬのが怖い訳じゃない。ナツメと離れてたかもしれない事実が、どうしようもなく怖い。

 

「千尋?」

 

 呼ぶ声が近くから聞こえる。ふと振り向くと、すぐ隣に不思議そうな顔をするナツメがいた。

 いつの間にか食器を洗い終えて、俺の傍まで来ていた。

 

「どうしたの─────」

 

 ナツメを抱き締める。

 瞬間、体の正面から伝わってくる柔らかさと温かさ。温もりが全身へと伝わっていき、心に染み込んで恐怖を解していく。

 

「好きだ」

 

 もうナツメは俺の様子が可笑しい事に気付いている。でも、さっきまでの俺の気持ちを素直に伝えるのは少し情けない気がした。

 

 だからナツメに何か聞かれる前に、今の俺の心の中から溢れる感情を口にする。

 

「好きだ、ナツメ」

 

 もう一度。何度口に出したって足りない。分かっていても、口に出さないでいられない。

 

「うん。私も好き。大好き」

 

 ナツメが両腕を回して力を入れてくる。

 それは、俺がナツメに怒られた後と同じ体勢だった。

 

 しかし、あの時と違う事が一つある。あの時は俺とナツメ以外に高嶺と明月さんがいた。

 

「「─────」」

 

 あの時と同じ様にナツメが両腕を回したまま体を離す。

 赤らんだ頬、潤んだ両目、求めているものが何なのかなんて、考えるまでもなく分かった。

 

 邪魔する者はいない。

 

 あの時にはお預けを食らった口付けを、ようやくここで交わした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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