喫茶ステラと死神の蝶と見える人   作:もう何も辛くない

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第六十七話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 穏やかで優しい空気が流れる静かな部屋の中、ナツメが食器を洗う音だけが響き渡る。

 ナツメとそれぞれ別の飲み会に行った次の日、俺達はいつも通り大学に行き、ステラで仕事をして、そして今日は俺の部屋で二人で過ごしていた。

 

 今日は、といったが昨日は飲み会の後に俺とナツメはそれぞれの部屋に帰って夜を過ごした。大晦日以来の一人で過ごした夜になった。

 ナツメの方の飲み会は何事もなく終わったらしいのだが、俺の方が大変だったのだ。

 飲み会が終わった時刻は日を跨ぎ、ベロンベロンに酔っ払った阿呆二人を俺と昭久でタクシーを使ってそれぞれの部屋まで運び、昭久と別れて部屋に帰って来た時には疲労困憊で風呂に入る気力すら湧かなかった程だ。

 ちなみにベロンベロンになった二人は今日、二日酔いで苦しんでいた。ついでに二人がダウンしなければ使う必要がなかったであろうタクシー代はしっかり徴収しておいた。そこまで面倒見る気はない。

 

 割と散々だった飲み会だが、それでも楽しくなかったと言ったら嘘になる。久しぶりに友人とバカ騒ぎが出来て、楽しかったというのは正直な気持ちだ。

 しかしそれよりも、やっぱり俺は今の時間の方が好きだとハッキリと言える。昨日、一人がほんの少し寂しかったのはナツメには秘密だ。

 

「…」

 

 食器洗いを続けるナツメの後ろ姿から視線を移し、部屋の中央、カーペットの上に何も置かれていない小さな空間を見つめる。

 

 今日、仕事終わりに高嶺から聞いたのだが、あいつの部屋にはこたつがあるらしい。電気代は少しかかってしまうが、それに見合う働きをしてくれていると高嶺は言っていた。

 特に俺の心を引いたのは、同じこたつに明月さんと一緒に入った事を話すあいつの幸せそうな顔だった。

 いや、別に高嶺の顔に心が引かれた訳じゃないが、しかし一緒にこたつに入って過ごす高嶺と明月さんを頭の中で自分とナツメに置き換えて妄想してしまった。

 

 こたつ、もう一月も中旬に差し掛かる。まだまだ寒い時期は続くが、二月に入れば少しずつ温かくなっていくだろう。

 高嶺の話を聞いて一瞬買おうかと考えが浮かんだが、今のこの部屋の状態だと買ったとしても置けない。

 厳密に言えば置けはするのだが、歩くスペースが一気に狭くなる。今俺が座っているこの椅子とテーブルを退ければ…、売るか?そんなにいい値段にはならなそうだが。

 

 いやいや、よく考えろ。第一、俺は来年で大学を卒業する。そうなればこの部屋に住んでいない可能性の方が高いのだ。

 こたつはいずれ来るであろう引っ越しを期に買えば良いのではなかろうか。そうすれば、この部屋を出る時の荷物が減る。いやだが…こたつでナツメと過ごす時間…むぅ…。

 

「─────」

 

 こたつの思考が途切れ、ふとつい先程考えていた事が脳裏を過る。

 そうか、もう来年には卒業なのか。大学では就活の話が本格的に始まっている。俺もいい加減、卒業後の未来について本気で考えなければならない。

 

 どこかの会社に就職して、この部屋を出て、勤務地によってはこの街を出ていく事にもなる。

 そうなれば、ナツメとも離ればなれになってしまう。ナツメはきっと、卒業後もステラを切り盛りしていくだろうから。

 

「…いや、待て」

 

 待て。何で俺はこの街を出ていく前提で考えた?どこかの会社に就職する前提で考えた?

 違うだろ。俺はナツメが好きだ。それならば、好きな相手のためにするべき事があるのではないだろうか?

 

「どうしたの?」

 

 思考にのめり込みかけたその時、隣の椅子が引かれる音がして我に返る。直後、椅子に腰を下ろしながらナツメが声を掛けてきた。

 

「いや、何でもない」

 

 一瞬の空白の後、俺は頭に浮かんだ考えを今は呑み込む事にした。

 正直、考えが頭に浮かんだは良いのだが、そのためにどう行動すべきなのか全く分かっていない。今までもボンヤリとだが、自分の進路というものは考えてきた。しかし、先程浮かんだものはその考えの中に一度も入った事がない、それこそ今までの俺にとっては興味すら湧かなかったものだ。

 

 とりあえず、近くにそれで生活している人生の先輩がいるからその人から色々話を聞いて、その上でどうするか考えて、本当に本気でそれを目指す覚悟が定まってからナツメに話す事に決めた。

 

「そう?」

 

 首を傾げて、きょとんと分からない表情を浮かべながら、ナツメは椅子を俺の方に寄せて近付き、頭を肩に乗せてきた。

 

「…なんか、昨日一日離れて過ごしただけなのに、一緒にいるのが久しぶりな気がする」

 

 我ながらそれはどうなんだと苦笑いしながらポツリと呟く。小さなボリュームだったが、すぐ傍らにいるナツメの耳にはしっかり届いていた。

 

「どれだけ私と一緒にいたがってるの」

 

「本当にな。自分でもちょっとどうかと思ってる」

 

「…でも、私も同じだったりして」

 

 ナツメの表情を見ずとも、その声から俺と同じく苦笑が溢れているのを察した。

 だがそれは俺の気持ちに対してではなく、俺と同じ気持ちを抱いている自分に対してのものだった。

 

「実家に帰った時もそうだったけど、寝てる時とか隣に千尋がいないのが、こう…。違和感があったというか、何というか…」

 

「寂しかった?」

 

「っ…、ぐむむむ…」

 

 素直にそう言うのは恥ずかしかったのだろう。俺が代弁してやると、ナツメはパッ、と俺の肩から離れると頬を羞恥に染めながら唸り声を上げて睨んできた。

 全くもって迫力を感じさせない、むしろ可愛いとすら思える、普段のナツメからは考えられない幼い仕草。

 俺以外誰も知らないナツメの無防備な一面を、独占している。

 

「きゃっ!ち、ちょっと…」

 

 堪らずナツメを両腕で引き寄せる。胸元で小さく抗議の声を上げるが、ナツメは抵抗しない。胸元でおとなしく、そしてゆっくりと俺の背中に両腕を回してきた。

 

 こうしてナツメを抱き締めるのは何度目だろう。柔らかくて、温かくて、強く引き寄せればナツメの胸の鼓動が感じられる。

 ナツメを抱き締める度に全身に伝わる幸福感。飽きる事なんてない、むしろナツメと過ごす時間が重なるごとに、ナツメという女の子を知っていくごとにその感覚は増していく。

 

「ナツメ」

 

「千尋…」

 

 蕩けた表情のナツメと顔を合わせる。高鳴る衝動を耐えながら、顔を寄せてナツメと唇を合わせる。

 

「はむ…ん…む…」

 

 時折顔を離し、少しの間見つめ合ってからまたキスを交わす。繰り返す度にキスの激しさが増して、部屋の中に水音が響くようになっていく。

 

「んっ…ちゅ…ぷはっ!」

 

 今日一番の長いキスを終えて、ナツメが真っ赤な顔で息を乱す。

 俺も少し苦しかった呼吸を整えながら、潤んだ瞳で見つめてくるナツメを見返す。

 

 あぁ、これは駄目なやつだ。昨日は一緒にいられなかったからか、我慢の限界がかなり早く訪れてしまった。

 そしてそれをナツメも察したのか、目を丸くして俺を見上げた。

 

「ち、ちょっと待って!今日は駄目!」

 

「…はい?」

 

 かと思えば、ナツメは突然そんな事を言い出した。思わぬ台詞に呆けた声を漏らして動きが固まる。

 

「というより、しばらくは駄目。我慢して、ハウス」

 

「俺は犬か」

 

 まさかの犬扱いに苦笑が漏れる。

 

「危ないところだった…」

 

「…嫌だったか?」

 

「そ、そうじゃないけど」

 

 嫌ではないとは言うが、乗り気ではなさそうだ。

 こっちとしては準備万端といった感じなのだが、だからといって最後までいかなくとも途中まで─────という中途半端な行為はむしろ逆効果で終わりそうに思われる。

 ここはこの生殺しのまま我慢するしかなさそうだ。

 

 したい、が、気が進まないナツメを無理やり、という形ではしたくない。そこは俺の中で絶対の決まりだ。

 

 とりあえず…、落ち着くように頑張るか。ちょっとおかしい頑張り方だが。

 

「本当に嫌な訳じゃないから」

 

 俺の内心を知ってか知らずか、ナツメが口を開く。

 真剣な顔つきで、真っ直ぐにこちらを見て、ふと表情を和らげてからナツメは続けた。

 

「もうすぐテストもあるし、少し控えようって思っただけ。それに─────」

 

「それに?」

 

「…ちょっと、急ぎすぎてる気がしたから」

 

「?」

 

 ナツメの言う通り、今月末から試験が始まる。正直な話、今までとは違って少し不安がある科目があったりもする。

 シフトを入れられるだけ入れて、そして今はナツメという恋人もいて、そういえばレポート課題以外で部屋で机と向き合う時間がない気がする。というか、ない。

 

 落としそうな単位がある以上、ナツメの控えようという提案はありがたく受け取る事にする。

 しかし、急ぎすぎてるとは一体どういう事なのか、意味が分からない。

 

「その…。私達、付き合い始めたその日に、その…したじゃない?」

 

「…あぁ、うん」

 

 俺の様子を察したナツメが何を言われる事もなく語り出す。

 その口から思っても見ない言葉が飛び出し呆気に取られながらも、その言葉は正しいと頷いて返す。

 

「それからも何回もしちゃったし…、こうしていつも一緒にいるし…」

 

「…」

 

「だから、その…」

 

 要領を得ない言い方をするナツメを急かしたりせず、黙ってナツメのペースで進む話に耳を傾ける。

 

「…一緒にいる時間が長すぎたり、急激に仲が深まったカップルはマンネリ化しやすいって」

 

「…はぁ?」

 

 しかし、ここで声が出ちゃったのはちょっと許してほしい。流石に予想外すぎた。

 

「マンネリ化って…え?いやでも…あー…」

 

 しかしよく考えてみたら、ナツメの言う通りかもしれない。

 俺とナツメが一日で一緒にいる時間は多分他のカップルと比べて長いだろうし、仲の深まり方も他のカップルと比べて急と言っていいだろう。

 

 なるほど、だから急ぎすぎてるか。

 

「要するに、お互いの時間を大切にした方がいいって事か?」

 

「そ、そうっ」

 

「ふーん…」

 

 どうしていきなりナツメの口からマンネリ化なんていう単語が出てきたのかは─────少し考えたら分かった。恐らく昨日の飲み会だ。

 その席で一緒にいた友達と何か話をしたのだろう。どんな話をしたのか少し気にはなるが、今の話の焦点はそこじゃない。

 

「…ナツメは、俺と一緒にいる時間を減らしたいって思ってるのか?」

 

「え?」

 

 俺の質問にナツメは呆気に取られた表情になった。

 その表情はみるみる焦りの表情に変わっていき、そして、ナツメは勢いよく頭を振る。

 

「違う!そんなんじゃない!そう思わせちゃったんなら…、ごめん」

 

「落ち着け。別に気を悪くしたりしてない。むしろナツメが俺と同じ気持ちみたいで安心した」

 

 俯いていたナツメの顔が上がり、きょとんとした顔で俺を見る。

 

「俺は出きる限りナツメと一緒にいたい。それに今だって、四六時中一緒にいる訳じゃないんだし気にしなくて良いんじゃないか?」

 

「…」

 

 学科が違うから大学では基本別行動。昨日は昼食を一緒に食べたが、今日はそれぞれ別れて友人と食べたし、決して互いの時間を蔑ろにしている訳ではないと思う。

 ナツメと一緒にいる時でも俺はやりたくなればゲームをするし、ナツメも読みたい本があればそっちに集中したりする。その中で、俺がやってるゲームに興味を持ってナツメが話し掛けてきたりとか、ナツメが読んでる本がどんなのか気になった俺が話し掛けたり。

 そういう時間が俺はとても好きだったりするのだ。

 

「そう、なのかな?」

 

「まあ、どうしても気になるなら互いに一人になる日を作るとか、そういうの考えるけど」

 

 ナツメが気にしてるのも分かるっちゃ分かる。

 さっきも言ったが、他のカップルと比べて二人で一緒にいる時間は長いし仲の深まり方も急だった。そしてそれは、マンネリ化の大きな原因でもある。

 だから、ナツメが不安に思うのも理解はできる。

 

 だからといって、今からそれを気にして色々と制限するのはどうなのだろう。

 いやでも一日くらいなら…、今のこのナツメと一緒にいられる幸福感を味わえるのなら、一日くらいは良いかもしれない。

 あれ、俺、言ってる事と考えてる事違くね?

 

「…うん、ごめん。私も、千尋と一緒にいたいから。さっきのは忘れて?」

 

「…いや、でもたまになら」

 

「おい」

 

 ナツメの声音が急変した。

 

「い、いや、だってさ。昨日一緒にいられなかったからなんだろうけど、今すっげぇ幸せだからさ。これを味わえるなら、たまには良いかなって…」

 

「…まあ、それは、私も分かるけど」

 

 どうやらこの幸福感を味わってるのは俺だけではなかったらしい。

 

「…ま、この話はまた後でいいか」

 

「うん」

 

 これから俺達の関係がどうなっていくのか、それは俺達にだって分からない。ただ、今は俺もナツメも、互いに一緒に過ごす時間が一番だと思っている。

 そんな時に、互いの時間を大切にするためにとか考えても結論は出ないだろう。だからこの話は後回しにする。

 

 今は、二人一緒のこの時間を大切にしたい。

 

「ストップ」

 

「…やっぱ駄目か」

 

「駄目」

 

 ナツメに顔を近付けようとした所で、むんずと掌で口許を押さえられ止められた。

 

「キスぐらい良いじゃん」

 

「キスで我慢できるならね」

 

「…」

 

「ほら、自信ないんじゃない」

 

 呆れ顔でそう言うと、ナツメは立ち上がってどこかへ歩き出す。

 その先にあるのは壁に取り付けられた給湯器。慣れた手付きで操作するナツメの後ろ姿を眺めていると、どこからかバイブ音が響いた。

 

 ナツメのスマホは基本マナーモードにはしていない。逆に俺のスマホは常にマナーモードにしている。切り替えるのは面倒臭いのだ。

 

 多分俺のだろうと考えながらスマホを手に取り、スリープモードを解くと、案の定俺のスマホにライムのメッセージが入っていた。

 通知からライムを起動し、受信したメッセージを確認する。

 

「─────」

 

 画面に書かれた送り主とメッセージの内容を見て、小さく笑う。

 

 年末年始に色々とあったせいで遅くなってしまったが、ようやく()()()()()

 

 俺はメッセージにシフトが休みの日と都合の良い時間を載せて、静かに返信ボタンをタップしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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