今回から新編に入りますが、一つ悩んでいる事があります。
宏人どうしよ…。
構内にチャイムが鳴り響き、講師が講義終了を告げて講堂を出ていく。
本日俺にとっての最後の講義が終わり、荷物をまとめて席を立つ。
そのまま帰ろうとする俺に昭久達がブーイングを浴びせてくるが無視。挨拶を交わしてからそのまま外に出て大通り。
毎週この曜日はシフトがないためこの後の予定は空いている。いつもなら部屋に帰ってゲームをするなりレポートを済ませたりと一人の時間を過ごすのだが、今日はこの後ある人と会う約束をしている。
今はその人と落ち合う店に向かっているのだ。
ちなみに落ち合う店はステラではない。この事を俺はまだナツメには伝えていない。伝えるかどうかも決めていない。
ナツメに隠し事はしたくない。しかし、今、俺がしようとしている事を伝えたとしてナツメがどんな反応をするのか…。怒りはしないだろうが、俺がしようとしている事を止めようとする姿は容易に想像できる。
「…まあ、結局話をしない事には何も始まらないんだけどな」
何にしても、今から落ち合う人と話をする事が第一だ。それに俺の考えもその人に断られてしまえばどうにもならないものだし。
「いらっしゃいませー」
国道沿いに位置する喫茶店。そこに入店すると、入口付近に立っていた女性の店員がお辞儀と共に落ち着いた声で挨拶をしてきた。
「お一人様ですか?」
「いえ、待ち合わせで─────」
店員の問いかけに返答をし終わる前に、奥の席に座っていた少女がこちらに手を振っているのが見えた。
店員もまた、俺の視線を追って同じものを見て察したらしい。その後は特に何も言われることなくこちらに手を振った少女と相席をする。
「悪い、待ったか?」
「ううん、そんなにだから気にしなくていいよー」
少女の正面の椅子を引いて腰を下ろしながら問いかけると、少女は笑いながら答える。
そんな他愛ない挨拶を交わしながら着ていたコートを脱いでいると、先程入口にいた店員とは違う女性の店員が注文をとりにきた。
その人にアールグレイを頼んでから、正面の少女と改めて顔を合わせる。
「…とりあえず、久しぶり。染井さん」
「うん。本当に久しぶりだね、柳君?」
「…その節は本当にすみませんでした。色々とあったんです」
ニヤリと笑いながら目を細めてこちらを見るこの人の名前は染井志津華さん。
以前、クリスマスの日に店に置かれた忘れ物を届けに病院へ行った時に会った、あの人だ。
本当はあの時、まだ入院中だった染井さんとまたお見舞いに行くと約束をしていたのだが─────まあ、色々あったせいで行けなかった。というか、約束を完全に忘れていた。
約束を思い出した時には遅く、すでに染井さんは退院しており、病院へ行ったは良いものの会う事は出来なかった。
しかし偶然、気を落としながら帰ろうとした時に、深山先生と会えたのだ。俺は深山先生に頼んで染井さんと連絡先を交換して、今日会う約束を取り付けるまでに至った。
「本当、いつになってもお見舞いに来ないんだもん」
「誠に申し訳ありませんでした」
テーブルに両手をつけて頭を下げる。いや、これに関しては全面的に、完全に俺が悪い。
色々会ったのは事実だが、結局怪我も次の日には治った訳だし、少なくとも冬休みの途中までは入院していたらしいし。
約束を忘れてさえいなければ…、いやもう今更何を思おうと遅いのだが。
「…今日は奢りね?」
「仰せのままに」
文句なんて言える筈もなく、染井さんの命令に従うしかなかった。
顔を上げれば、染井さんはにっこり笑顔でこちらを見つめ続けていたらしい。その笑顔が怖いと思うのは俺の気が変になったからではないと思いたい。
そうこうしている内に俺が注文したアールグレイが届き、そしてその際に染井さんが追加で注文したチーズケーキも少ししてから届いて、ようやく俺は本題を切り出すべく口を開いた。
「染井さん。そろそろ聞かせて欲しい」
フォークを手に、チーズケーキの味を堪能する染井さんが目をぱちくりさせながらこちらを見る。
あぁ、この様子から見るに、何で自分がここにいるのか忘れているなとそれとなく確信する。
「…そうだった。今日は君にその話をするために来たんだった」
言ってから、染井さんはフォークを皿の上に置いて一つ息を吐く。
そして、俺が来る前に頼んでいたと思われるコーヒーを一口飲んでから、染井さんはゆっくりと語り出した。
その話は何て事はない、とある子供達の何気ない出来事の話。
あの病院で行われたとある行事。入院していた子供達は、自分が退院してからしてみたい事というお題で絵を描いていた。
その時に描かれた絵は一部だが俺も見た。サッカーをしている絵や山登りをしている絵、野球、ケーキ作り、様々な絵が飾られていた。
そしてその中の一枚が、笑顔の人達が描かれたステラの店内。何故か既視感を覚えたその絵。
『かかないの?』
声をかけてきたのは、当時の染井さんよりも年下の小さな男の子だったという。
不思議そうに真っ白な画用紙を眺めながら、その男の子は絵を描いたその子に話し掛けた。
直後、男の子の兄と思われる少年が慌てた様子で駆け込んできて、男の子の手を掴んで離れようとしたのだが、男の子は繰り返しどうして?と画用紙に何も描かれていない理由を尋ねていたという。
『…退院してやりたい事が分からない、から』
困ったように苦笑いしながら、それでいて瞳に僅かな悲しい影を差しながら、その子はそう答えた。
『…何もないのか』
男の子を連れて離れようとしていた少年が問い掛け、その子は頷いて肯定する。
『何か遊びたいとか、何も?』
『…』
『変な奴だな、お前』
名前も知らない同年代の少年にいきなり変な奴、と言われ流石に腹が立ったのか、その時その子は少年を鋭く睨んだ。
しかしそんな鋭い視線を物ともせず、少年はその子の隣に腰を下ろすと続けて口を開いた。
『どこかに行きたいとか、何でも良いだろ。退院したら富士山を見に行きたいー、とか』
『富士山…?』
『は?富士山知らねぇの?』
『いや、そうじゃなくて…』
染井さんの耳にハッキリ届いた会話はそこまでだったという。ただ、ふと気付けばその子は絵を描き終えていて、そして少年はその子が描いた絵を満足そうに笑って眺めてから、男の子を連れて去っていった。
『●●●ちゃん、絵できた?』
少年が去ってから、染井さんはその子に話し掛けた。その際に見た絵は、どう見ても完成されたように見えた。
『…ううん、もう少し』
しかし、その子は染井さんの絵にそう答えてから、再びクレヨンを走らせ始めたという。
そうして、出来上がった絵が─────
「私が覚えてるのはこれで全部だよ」
「…」
染井さんが話し終え、一つ息を吐く。
俺の少年時代のちょっとした話。染井さんから聞いたは良いが、正直な話思い出せない。
だが、言われてみればあの絵に描かれたたくさんの人達の中に、俺に似ている眼鏡を掛けた男の子がいた。
似ている、といっても様な気がする、と曖昧な表現がついてしまうが。
もし染井さんの話に出てきた少年が俺なら…といっても、名前までしっかり覚えている。その少年はまず間違いなく俺なのだろうが。
「そうか。…俺はずっと前に、ナツメと会ってたのか」
「─────」
あの絵を描いたその子、四季ナツメと昔に会った事があるのだ。
運命なんて信じる質ではないが─────ちょっぴり信じてみたくなるじゃないか。こんな事をされてしまったら。
「…ねぇ、柳君ってさ。もしかして─────」
「ん?」
「ナツメちゃんと付き合ってる?」
目を丸くした染井さんからそう聞かれる。
俺がナツメを下の名前で呼んだのを聞いたからか、感付かれたらしい。
「まあ、そうだけど」
別に隠すような事でもないし、普通に頷きながら肯定する。
「…ふーん?」
初めは驚いたように目を見開いていた染井さんだったが、次第に意味ありげな笑みを浮かべ、これまた意味ありげな視線を寄せてくる。
「…なんだよ」
思わず内心身構えながら問いかける。
染井さんは意味ありげな笑みをそのままに、口を開いた。
「彼女に内緒で別の女と二人で密会しちゃうんだ。悪い男だなー」
「…」
何か言い返そうとは考えた。言い返す言葉を思い浮かべようとした。
だが、染井さんの言う通りすぎて何も思い浮かばなかった。
だって、ナツメに内緒にしてるのは事実だし、染井さんと二人なのも事実だし、密会なんて言い方はしたくないけど事実だし。
マジで何も否定できる要素がないからただ黙り込む事しか出来ない。
「でも…、そっか。ナツメちゃん、凄く綺麗になってるんだろうなぁ」
「世界で一番綺麗で可愛いぞ」
「うわっ、気持ち悪っ」
気持ち悪いとはなんだ。俺は事実しか言っていないぞ。しかも本気で気持ち悪がってる顔してるし。
「…なんか、こんな話してたら皆と会いたくなってきた」
染々と、染井さんがそんな事を口にした。
皆、が誰なのか、想像するに難くはない。
「退院してから誰とも連絡取ったりしてないのか」
「誰ともって訳じゃないけど…、殆どの子達とはあれから話してないかな」
少し寂しげな表情を浮かべながら俺の質問に答える染井さん。
彼女の返答を聞きながら、俺の脳裏にはあの絵が浮かんでいた。
子供の頃のナツメが描いた絵。ナツメとご両親と、染井さんと入院してた頃の友達と、俺。
そんな素振りを見た事はない。しかし、ナツメも今の染井さんと同じ気持ちになる時があるのではないか。
ステラに来て、笑顔になるお客さん達を見て、ふとその光景をあの絵と重ねる。
ただの妄想だ。妄想だが、あり得ないと言い切る事も出来ない。
「…同窓会」
「え?」
「同窓会。すればいいんじゃないか?」
きょとん、と目を丸くする染井さんと真っ直ぐ目を見合わせる。
ふと頭の中に浮かんだ提案。実現するには相当難しいであろう同窓会。
染井さんは当時入院していた子供達と殆ど連絡を取り合っていないという。しかし、連絡を取り合っている一部の人達から辿っていけば。
希望が薄いのは承知している。しかし、試みる価値はあると思う。
「同窓会かぁ…。うん、いいかも」
驚きから微笑みへと表情を変えた染井さんが一度頷きながら呟いた。
かと思えば、不意にニヤリと悪戯気な笑顔を浮かべてこちらを見る。
こうしてまともに話すのは今日が初めてだというのに、見慣れたとすら思えるその笑みに一抹の嫌な予感を覚える。
「勿論、柳君もメンバー集めを手伝ってくれるんだよね?」
「…」
「言い出しっぺだもんね?」
「…そこまでする筋合いは「ちょっとステラに行きたくなってきたなー。ステラに行って今日の事を口滑らせたくなってきたなー」喜んでお手伝いをさせて頂きます」
内心歯軋りしながらも掌返しせざるを得なかった。
いやだが、まあ─────
「まあどっち道、ナツメちゃんも誘うんだから今日の事は話す羽目になるんだけどね」
「…そっすね」
どの道ナツメに今日の事を話すのは避けられないのである。
ただ、俺から進んで話すのか、俺は内緒にしたまま染井さんからナツメへと話が伝わるのか、どちらがナツメにとって心証が良いかは明らかだが。
「という事で、お手伝いよろしくね?柳君?」
「…出来る範囲で尽力するよ、染井さん」
染井さんはにこやかな笑みを向けてきたのに対し、俺はひきつった笑みを返しながら返答する。
こうして、思わぬ形で俺とは殆ど関係のない同窓会の開催に向けて手伝いをする事となった。
実のところ、同窓会とまではいかずとも、染井さんを通じて当時彼女と一緒に入院していた仲間達とナツメと、交流を繋げたいと考えてはいた。
皆で、というのは難しくとも、少しでもあの絵の光景に近付けたい。当時のナツメが見たかった景色に近いものを見せてやりたい。そんな事を思ってはいた。
しかし、俺の考えていた以上に事は大きく、ややこしくなってしまった。
いや、本当にどうしてこうなった…?