普段は穏やかな空気が流れる店内には絶えない笑い声が響き渡っていた。
多くのお客さんで一杯になった時とは違う、際限なく広がっていく笑顔の輪。その輪の中にいない俺達でさえも釣られて笑顔になる、そんな光景がフロアの中央で広がっていた。
一番に来た同窓会の参加者に続いて続々と参加者達はやって来た。そして今日ここに来る予定のメンバー全員が集まってすぐ、同窓会は始まった。
初めはちょっとした世間話から、その後は退院してから今まで何をして来たか。その話の中には当然、皆で描いた絵の話もあった。
あの絵に描いた夢、目標、やりたい事を実現できたのか。
勿論全員が全員それを実現できた訳ではなかった。退院してからやりたかった事ではなく、将来の夢を描いた者は特に実現するのは難しかったのだろう。
だが誰もが、自身の夢を実現させるためにしてきた努力を楽しそうに語っていた。そしてその話を聞く側もまた楽しそうに耳を傾けていた。
因みに、今のナツメの格好についても突っ込まれていた。初めは何故メイド服?といった空気だったが、当時ナツメが描いた絵を思い出した一人の女の子がその事について話し、今のこの状況がかつてナツメが思い浮かべた夢そのものだという事に皆が気付いた。
ナツメは少し恥ずかしそうにしていたが、自分が描いた絵を他の誰かが覚えていた事。そしてその絵の光景をようやく実現出来た事への祝福をどこか擽ったそうにしながらも喜んでいた。
「そういえばよ。あの絵の四季の隣にいた眼鏡の奴って誰なんだ?」
「─────」
ふと耳に入ったその言葉に想わず固まってしまう。それと同時に、俺と同じく同窓会の成り行きを見守っていた他の幹事組から注がれる視線。
特に昭久はそれはもう本当に楽しそうな笑顔を向けてきた。守りたくない、その笑顔。殴りたい、その笑顔。
「えっと、それは─────」
「あの時一緒に入院してた奴で眼鏡かけた男子っていなかったよな?だから当時からちょっと不思議に思ってたんだよな」
言い淀むナツメに更なる追撃が加えられる。
おい、いなかったのかよ眼鏡の男子。そこはいろよ。ふざけんな、使えねぇな全国の眼鏡男子。
「ふっふっふ…」
「…急にどうした染井」
突然笑い始める染井さん。戸惑いながらどうしたと問い掛ける男。
嫌な予感がする。今すぐここから避難しろと勘が叫ぶ。いやしかしナツメの様子を見ていたいし、ただの勘違いかもしれないし。
そんな小さな迷いが生じた時にはもう遅かった。
「そこにいるよ」
「は?」
「だから、そこにいるの。今はナツメちゃんの彼氏だよ」
一瞬凍り付いた空気、直後同窓会の参加者全員の視線が注がれる。
いや待て、違う、あいや違わないけど違うんだ。いやだから違わないんだって。我ながら思考が意味分からん事になっている。
だってこんな風に注目浴びるなんて初めてだし。嫌だこっち見ないで。
「四季、彼氏いたのか!?」
「いや、そりゃいるだろ。いない方が不思議なくらいだ」
驚く者、予想していた者と反応はそれぞれだったが、とりあえず視線は俺の方へと向けられる。
本当にやめて、注目しないで。
「あの人…。そっか、だからあんなに必死だったんだ」
「必死?」
「うん。もし入院してた時の事を少しでも懐かしく思うなら、同窓会に出席して欲しいって。ナツメちゃんも志津華ちゃんも待ってるからって。そう言われたから私は踏ん切りついた所あるし」
目を見開いたナツメがこちらを見た。しかし視線を合わせる事が出来ず、ナツメから目を逸らしてしまう。
「俺も同じ事を言われたよ。そんで、他にも同じ様にあの時の事を懐かしく思ってる人がいるなら…って、同窓会に出る事にした」
「そっか~。あの人がナツメちゃんの彼氏か~。愛されてるじゃん」
「…」
ナツメが返事をする声が聞こえない。恥ずかしさで返事が出来ないのだろう。
こっちも同じだ。口止めなんてしていないのだからこうなっても仕方はないのだが、あまりそうやって詳しく言い触らさないで欲しかった。恥ずかしすぎる。
あとニヤニヤしてる昭久を殴りたい。ボコボコにしたい。流石に暴力沙汰なんて起こしたら洒落にならないからぐっと我慢するが。
「で?何で染井は自慢気にしてんだよ」
「この中で一番最初にナツメちゃんの彼氏を見てるから!」
「んだよそれ…。染井はいないのか?彼氏」
一通りナツメを弄った後、矛先は染井さんへと向く。
思わぬ話題転換に染井さんは目を丸くしながら固まり、やがてけらけら笑いながら返事を返す。
「いないいない。まあ、ナツメちゃんみたく素敵な彼氏は欲しいけどね~」
「染井さんっ」
訂正。まだナツメはターゲットにされていた。
「え?あの時の男の人、志津華ちゃんの彼氏だって思ってたんだけど」
「へ?」
「んだよ。染井も彼氏持ちかー?」
「ち、違う違う!いない、いないからっ!」
あの時の男の人。同窓会のメンバーを集めている途中、恐らくあの女の人には直接会いに行ったのだろう。
だとすればその男の人というのは汐山だろう。染井さんは汐山と二人組で準備を行っていたからまず間違いない。
「へー?」
「な、何だよ…。染井さんも言ってるけど、別にそういう関係じゃないからな」
「ふーん」
高嶺が含みのある笑みを浮かべながら汐山を見る。高嶺だけじゃなく、俺達も。
こいつらいつの間にそんな関係だと見られるくらいに親しくなったんだか。汐山は何となく、高嶺程じゃないが俺達側、つまり陰キャだと思っていたが案外そうじゃないのかもしれない。
「ひ、宏人君とは別に─────」
「名前呼び!?」
「おいおい、交際まで秒読みか」
「あ、ち、ちがっ…!宏人君にはお姉さんがいて、ややこしいから名前で呼ぶって事になって!」
「家族ぐるみ!?」
「四季と染井、どっちが結婚一番乗りになるんだろうな。式挙げるなら俺達も呼べよー」
「だから違うの!それに、ナツメちゃんは柳君…、彼氏の両親に挨拶済ませてるんだから!」
「ちょっ、染井さん!?」
「「「親公認!?」」」
なんか話が混沌としてきてるな。
あと、親公認ではない。俺の親は大歓迎といった様子だが、ナツメのご両親からはまだそういった許可は貰っていないからだ。
勿論、いずれは正式に挨拶をして、許可を貰いに行くつもりではいる。
少し先の話だろうが。
俺が考え事をしている間も同窓会は続く。同窓会のために用意しておいた料理はあっという間になくなり、涼音さんに頼んで作ってもらったお菓子も気付けば完食されていた。
一息吐きながら、昔話に花を咲かせる彼らの声に耳を傾ける。
時折聞こえてくる過去のナツメの性格や行動の話にちょっと驚きながら、時間は過ぎていく。
ナツメは笑っていた。心の底から笑顔を浮かべていた。そんな風に俺には見えた。
ナツメだけではない。この同窓会に参加した人達皆、ナツメと同じ笑顔を浮かべていた。
ナツメのためにと思って同窓会の準備を手伝ってきたが、彼らの笑顔を見ていると頑張った甲斐があると強く思う。
「…」
ふと誰かが発した一言で笑いが巻き起こる。ナツメもまたその中に混じって笑っている。
本当に、この同窓会を手伝って良かった。
そんな夢のような時間も終わりは訪れる。日は落ちかけ、空が茜色に染まる頃に解散となった。
だが店の外に出たのは良いが、やはり名残惜しいのだろうか。未だに同窓会に参加したメンバーは誰一人帰らず、店の前で話し続けていた。
すでに昭久達は帰っている。というより、帰らせた。この後の事を考えると、正直な話そろそろ解散して欲しいのだが、彼らの様子を見ているとそんな本音は口に出せない。
だが、先程と似たことを繰り返すが、何事にも終わりはやってくる。
「そんじゃ、俺は帰るわ」
その一言で一瞬、沈黙が流れる。それはまるで、夢から覚めたかのような、そんな風に思える一瞬だった。
「そうだな。…俺もそろそろ帰らねぇと」
口々に皆が言う。帰る、と。
ナツメの表情が僅かに歪んだ。
終わるのだ。ずっと楽しみにしていた同窓会が。彼らとの再会が、終わる。
だが、違う。確かに同窓会は終わるが、これは始まりでもあるのだ。決してこれは別れじゃない。
それを伝えようと、ナツメへと一歩踏み出そうとした直後、聞こえてきた言葉に俺は足を止めた。
「なに寂しそうな顔してんだよ四季。今生の別れじゃあるまいし」
ナツメが言葉を発した男がいる方へと目を向ける。
今俺がいる位置からではナツメの表情は見えない。
ナツメの向こう側、先程口を開いた男は笑顔を浮かべながら続けた。
「また集まろうぜ。今度は今日来れなかった他の奴らも一緒に」
「その時はまたこのお店を借りて大丈夫?ナツメちゃん」
男に続いてナツメの隣に立っていた女性も笑顔でナツメに声をかける。
かけられた言葉を呑み込むのに少し時間が必要だったのだろう。数瞬の空白の後、ナツメは頷いた。
「うん。…またね、皆」
またね、と皆と挨拶を交わした。
きっと、輝くような笑顔を浮かべながら。
挨拶を交わした皆が帰路につくのをナツメはじっと見つめていた。彼らの姿が見えなくなるまで、静かにその場に立ち、見つめ続けた。
「ナツメ」
彼らの姿が見えなくなってから、ナツメを呼び掛ける。
すぐにナツメはこちらに振り向いた。寂しさなんて微塵も感じさせない、穏やかな笑顔を浮かべて。
「ありがとう、千尋」
そして、お礼を言った。それが何に対してなのかは考えるまでもない。
今回の同窓会をナツメは喜んでくれた。それはこれ以上ない成果だ。
しかし、しかしだ。ナツメは一つ思い違いをしている。
同窓会は確かに終わった。だが、それと同時に俺の計画がスタートした事にナツメは気付いていない。
「お礼はまだ早いぞ」
「え?」
目を見開いて驚くナツメ。
そんなナツメに、後ろを見るよう促した。
俺の仕草の意図を察してすぐに後ろを向くナツメ。
その視線の方向にいたのは妙齢の二人の男女。特に女性の方はどことなくナツメの面影を感じさせる。
「お父さん…お母さん…?」
ナツメが呆然と呟く。
そう、まだ終わりじゃない。ナツメが描いた夢はまだ終わらせない。
あの絵の光景そのままを実現させる事は出来なかったがせめて、この二人には今のナツメとステラを見て欲しかった。
「どうしてここに…?」
「彼に…いや。確かに彼が誘ってきたのは事実だけど、それだけじゃないな」
すらりと長身の男性、ナツメの父が一瞬こちらに視線を向けてから向き直り、そして続ける。
「ここに来たかったから。ナツメと話がしたかったから」
「え…っと…」
戸惑うナツメ。当たり前だ。もし俺が同じ立場だったら同じ様に戸惑っていたに違いない。
そしてきっと俺はアポ無しで来るなと文句を言うのだろう。あの馬鹿両親に。
まああの二人とナツメの両親は完全にキャラが違うし、もし俺の親があの人達だったらそんな事口が割けても言わないんだろうけど。
「本当はもっと早くお店に入ろうと思ったんだけどね」
「ナツメのあんな笑顔見るの久し振りだったから。邪魔するのは無粋だなと思ってな」
「っ、み、見てたの!?」
おっと、これは俺も予想外だった。今日は同窓会があり、このくらいの時間に終わると思うのでその時に、と説明していた筈なのだが、我慢できず来てしまったらしい。
ナツメも驚愕し、つい大声を上げてしまう。
「可愛い笑顔だったぞ?」
「えぇ。最近のナツメはいつも謝ってばかりだったから…、とても嬉しかったわ」
「う…」
ご両親に言いたい事があったのだろう。しかし、どこか安堵が混じった二人の微笑みに何も言えなくなったナツメはたじろぎ、小さく呻くだけ。
「それに…。その格好もすっごく似合ってるわよ?私と比べたらちょっと劣るけど」
「そうだな。凄く綺麗だぞ、ナツメ。母さんには少し劣るけど」
「…はいはい」
ナツメのご両親は俺の親とはキャラが違うと思っていたけれど、どうやらそうでもなかったらしい。
このバカップル加減、俺の親と通ずる所がある。勿論、あそこまで酷くはないのだろうが。
だが一つ、空気を読んで口には出さないが心の中ででも言わせてくれ。
ナツメが一番綺麗です。貴女は二番目です。
「お話の途中すみません。立ち話も何ですし、中に入りませんか?」
一言申し付けたい気持ちを抑えて三人に話しかける。
話したい事はたくさんあるだろう。この寒い中で話すような事はない。
温かい店内でゆっくりと、時間をかけて、ナツメの中で止まったままの時を動かして欲しい。
俺だけではダメだから。俺だけじゃなく、この人達の力が必要だから。だから託すのだ。
「そうだな。中に入らせてもらうか」
「あっ。私、ナツメが淹れた紅茶が飲みたいな」
「…うん。すぐに準備するね」
三人の先頭に立って、扉を開いて中に入るよう促す。俺が開けた扉から三人が話をしながら店内へと入り、それを見届けてから俺も店内へと入って扉を閉める。
ベルの音が鳴り響く中、扉が閉まる音が鳴る。
視線の先ではナツメが二人を席に案内し、紅茶を淹れるべくカウンターの奥へと足を向けていた。
ナツメの顔に緊張はない。その実際、内心でどう思っているかは分からないが、大丈夫だと思う。
ここから先、俺は不要だ。というより、居てはいけない。親子だけのやり取りに不純物を混ぜてはいけないのだ。
そう、俺が父さんと母さんと腹を割って話をした時のように。あの時はナツメが俺の背中を押してくれた。
だから今度は、俺がナツメの背中を押す番だ。
基本原作と変わらない箇所は省略気味で進めていきます。