喫茶ステラと死神の蝶と見える人   作:もう何も辛くない

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ここ最近の投稿に比べてくっそ文字数多くなってしまった…。
まあ一万字は超えてないからいいですよね。


第七十二話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰も居ない静かなバックルームで、椅子に座って四季家の話が終わるのを待つ。

 この場を離れようとする俺に気にしないで良いと、君もここに居て良いとナツメのお父さんが言ってくれたが、三人で話をするべきだと気遣いを丁重にお断りして俺はここにいる。

 

 今、ナツメ達はどんな話をしているだろう。

 普段ならばフロアからお客さんの声や音がここまで僅かながら届くのだが、今はフロアには三人しか人はいない。

 話し声も音も、ここには届かない。

 

「…」

 

 扉に目を向ける。ただこのバックルームとフロアを隔てるだけの扉の筈なのに、この場にいる俺と向こう側にいるナツメを隔てている、そんな風に思える。

 ここにいるのは俺の提案で、自分から言い出したくせに何を考えているのやら。そんな事を思う自分に呆れてしまう。

 

 だが、もしかしたらナツメも似た気持ちでいたのかもしれない。

 俺が父さんと母さんと三人で話をしていた時、ナツメはお店で仕事の最中だった筈だ。

 自意識過剰なだけかもしれないが、ナツメも今の俺と似た気持ちを抱いていたのかもしれない。

 

 だからといって親子の会話に首を突っ込む訳にもいかないのだが。俺は空気を読める男なのだ。

 

 しかし心配な気持ちはある。

 ナツメは両親の気持ちを素直に受け止められているだろうか。ただ気を使っているだけだと曲解してはいないだろうか。

 それだけが心配だ。本当に、それだけが。

 

 そのお陰でフロアに三人を残してバックルームに入ってから約二十分くらいだろうか。モヤモヤしっぱなしだ。

 

「…帰るか?」

 

 よくよく考えれば、俺の時は家族で食事をした。ナツメ達はどうなんだ?折角両親が娘に会いに来て、ただ話だけして帰るのか?

 この後、家族で食事とか行きたいのではないか?だとすれば、俺は邪魔なのでは?

 

 そんな思考が頭の中をぐるぐると巡り始めた、その時だった。不意に扉が開かれる。

 

 俺は触っていない。勝手に開いた訳でもない。開いた扉の向こうからナツメが顔を覗かせていた。

 

「千尋」

 

 俺の名前を呼びながらナツメがちょいちょい、と手招きする。

 何だろうか。不思議に思いながら席から立ち上がり、ナツメが開けた扉からフロアへと戻る。

 

 フロアでは、ナツメのご両親がまるで俺を待っていたかのように席から立って、こちらを見ていた。

 

「千尋君、だったね」

 

 いや違う。ように、ではない。二人は俺が来るのを待っていたのだ。

 ナツメのお父さんが俺に真っ直ぐ目を向けて、俺の名前を呼んだ。

 

 直後、全身に緊張が奔る。好きな人の、恋人のお父さんに初めて名前を呼ばれた、ただそれだけなのに。どうしようもなく今、俺は緊張している。

 

 何を言われるのだろう。もしかしたら別れろとか言われるのではなかろうか。何だ、俺は何をした。この人の機嫌を損ねる事をしてしまったのか。

 

「ありがとう」

 

 ひたすら混乱する俺の前で、ナツメのお父さんがお礼を口にして頭を下げた。その隣ではナツメのお母さんも俺に向かって頭を下げている。

 

 それを見て、俺の脳内は更に激しく混乱する。

 

「い、いきなり何を…」

 

 辛うじて問い返す言葉を口にする事が出来た。

 いきなり二人に頭を下げられ、何が起きているのかさっぱり分からない。

 

 そんな中、二人は頭を上げて俺を見て、そしてナツメのお父さんが再び口を開いた。

 

「君のお陰で、久し振りにナツメと家族として話が出来た気がする」

 

「─────そんな事、ないです。俺が何もしなくても、きっと…」

 

「いや、君のお陰なんだよ。ナツメが臆病なのは知っているだろう?どうやら、私達によく似てしまったみたいだからね」

 

 その通り、普段のナツメは物怖じせずバシバシ言いたい事を口にするキッパリとした性格なのだが、重要なところで尻込みする臆病さも持っている。

 この人曰く、ナツメの臆病な部分はご両親に似てしまったらしい。

 

「それに、君にお礼を言いたい事はまだあるんだ」

 

 それでも、と言い募るよりも先に言葉が続けられる。

 

 百歩譲って今回の事でお礼を言われるのはまだ分かる。お礼を言われる程の事じゃないとは思うが、この場をセッティングしたのは一応俺だからだ。

 だが、まだ、とは一体何の事だろうか。本当にそんな大した事はしていない筈だ。…筈だ。

 

「実はね、私達はたまにこのお店の様子を見に来ていたんだ」

 

 早速ナツメのお父さんの口から出てくるカミングアウト。そうなのか、全く気が付かなかった。

 いやしかし、当然と言えば当然なのか。娘が管理しているお店、しかも一度自分達が開店するのを諦めたお店だ。気になるのも当然だろう。

 

「心配はないというのはすぐに分かった。ナツメを支えてくれるたくさんの人のお陰で、このお店に来て笑っているたくさんのお客さんを見て、私達の心配は杞憂だったとすぐに分かったんだ。でもね…。どんどんナツメの雰囲気が明るくなっていくんだ。お店の外からでも見ていて分かった。接客するナツメの笑顔が少しずつ変わっていく。ふとした時に従業員の方と言葉を交わす表情が変わっていたんだ」

 

 黙って話に耳を傾ける。

 ナツメのお父さんは笑顔を浮かべたまま続ける。

 

「特に、君といる時はね」

 

「…」

 

 あぁ、これはもうバレているんだろうな。

 この話の場をセッティングするために会いに行った時点でバレバレなんだろうが、もっと早い段階で俺とナツメの関係は知られていたらしい。

 

「ありがとう。君は、私達の恩人だ」

 

「…俺がしたのは二人の背中の後押しだけです。そんな恩人だなんて大層な─────」

 

「ナツメを救ってくれた。私達家族を救ってくれた」

 

「ナツメを支えたのは俺だけじゃないです。それに、貴方達の事もさっき言った通り、俺がしたのは…」

 

「…本当にナツメが言っていた通りだね。ここまで頑なとは」

 

「はい?」

 

 見れば、ナツメのお父さんは苦笑いを浮かべている。隣のお母さんも同じく。

 そして、やり取りを横から見ていたナツメは俺を呆れた目で見ていた。

 

「これは色々と苦労するぞ、ナツメ」

 

「もうとっくに覚悟してるから大丈夫」

 

 何となく失礼な扱いを受けている気がする。苦労って何だ。覚悟って何だ。

 たとえ恋人の親だとしても不当な扱いには抗議の声を上げられる男だぞ、俺は。

 

「ナツメ、何を言ったんだよ」

 

「別に?」

 

 ぷいっとそっぽを向くナツメ。ちょっと怒っている気がする。多分、このドッキリについて機嫌を損ねているのだろう。

 両親との話については別として、ドッキリを受けるのは本当に嫌がっていたから仕方ないのかもしれない。後で誠心誠意を持って謝罪をしよう。

 

「君が受け入れてくれないのなら、受け入れてくれるまで何度でも言おう」

 

「え?」

 

「「ありがとう」」

 

「え、え?ちょっ、なにを…」

 

 ただただ戸惑う事しか出来ない。

 目の前では再び俺に向かって頭を下げるナツメのご両親。しかも今度は頭を下げた体勢のまま留まっている。

 

 もしかしてこれは俺が二人の感謝の気持ちを受け入れるまでこのままでいようとしているのか?

 待ってくれ、別にお礼を言われる事自体は良いんだ。それに関しては何も抵抗はない。

 

 だが、この人達は俺のお陰だと言った。ナツメと和解出来た事は俺のお陰だと言った。

 それは違う。ナツメと話し、ナツメの心を解かしたのはこの人達なのだ。俺は何もしていない。

 

 ナツメの雰囲気が変わったのだって、決して俺だけの力じゃない。第一、初めにナツメを救おうとしたのは明月さんとミカドだし、彼らがナツメを見つけてくれなければ俺はナツメと出会えていたかも分からない。

 それなのに俺のお陰だと言われても、受け入れられる筈がないじゃないか。二人が口にしたどちらの事も、俺だけが頑張った訳じゃないし、俺が一番貢献した訳でもないのだから。

 

「あの、頭を上げてください。お願いします」

 

「君が私達の感謝を受け入れるまでこのままでいる」

 

「本当にやめて…」

 

 思わず本音が溢れてしまう。なお、俺の頼みは受け入れられず二人は頭を下げたまま。

 

 本当にどうしよう。いや、どうしようも何もないのだが。ただ俺が二人の感謝を受け入れれば良いだけなのだから。

 だが、それだけはどうしても出来ない。

 

「…ナツメと話をしたのはお二人であって、俺じゃありません。ナツメの心を解かしたのも俺ではなくお二人なんです。俺が出来たのはその切っ掛けを作った事だけ」

 

 二人の頭は未だに下がったまま。表情が見えないから、俺の話に耳を傾けてくれているかも分からない。

 それでも、ちゃんと聞いていてくれている事を信じて続ける。

 

「だから、俺のお陰だなんて言わないでください。自分の事を過小に思わないでください」

 

 ナツメが嫌に自分を優先しようとしないのも、もしかしたらこの二人に似たからなのかもしれない。

 そんな事を思いながら頭を下げたままの二人を見つめていると─────

 

「それ、千尋が言うと説得力ない」

 

 ナツメの容赦ない言葉の刃が心に突き立てられた。

 

「…あの、ナツメさん。ちょっと待っていただけると─────」

 

「自分を過小に思わないでって、それ私が千尋に言いたい台詞なんだけど」

 

「待って、本当に待って。ほら、ここでそんな事言うと色々と台無しだから。だから待っ─────」

 

「でも本当の事でしょ?」

 

「…」

 

 遂に返す言葉がなくなる。いやもう最初から言い返す言葉なんて無いようなものだったのだが。

 

「本当に頑なだね、君は。ここまでとは思わなかった」

 

 ナツメへ言い返す言葉を探している最中、ナツメのお父さんが苦笑を浮かべながら口を開いた。

 

「確かに君の言う事にも一理ある。だが、我々の気持ちも汲んでほしい。…ナツメが言っていたよ。君と出会えて良かったと。君のお陰で色々なものが明るく見えるようになったと」

 

「─────」

 

 思わずナツメの方へ視線を向ける。その前にナツメはそっぽを向いてしまっていた。

 しかし僅かに染まった頬までは隠せていなかった。

 

「勿論、君にだけじゃない。ナツメを支えてくれた人達全員に同じ事を思っている。…だけど、最初に君に言わせてくれ」

 

「「ありがとう」」

 

 声を合わせて再びお礼の言葉を向けられる。

 

 それに対して、何も言葉を返す事が出来ない。何とも形容し難い、くすぐったくて、恥ずかしくて、だけど嬉しくて。そんな気持ちで胸が一杯になる。

 

「これからもナツメを頼むよ。千尋君」

 

「…はい」

 

 肩に置かれた父親の手は優しく、暖かく、されど重かった。重く、大切なものを託された瞬間。そんな風に思えた。

 

 ナツメのお父さんは少しの間俺と視線を交わした後、手を離すと体を翻した。

 

「それじゃあ、私達は帰るよ」

 

「え?」

 

 そしてそう口にした。

 思わぬ言葉に思わず驚きの声が漏れる。

 

「帰るって…。もうですか?ナツメと食事にでも…」

 

「ナツメとはいつでも会える。もうお互い遠慮する必要はないんだから。…まあ、最初からそんな必要はなかったんだが」

 

 二人は今から帰るという。折角の機会なのだから、これからナツメと三人で食事にも行けば良いのにと思っていたのだが。

 彼は振り返ると、悪戯っぽい笑顔を浮かべながら俺を見た。

 

「ナツメに断られてしまってね。…今日一緒に過ごしたい人は他に居るみたいだよ」

 

「お父さん!」

 

 一瞬、何を言われたのか呑み込めなかった。そんな中で響き渡るナツメの怒声。

 それでようやく自覚する。ナツメのお父さんが言った言葉の意味を。何故ナツメがこんなにも怒っているのかを。

 

「まあ、年末帰ってきた時も寂しそうにスマホ眺めてたものねぇ~。片時も離れたくないのよ、きっと」

 

「お母さんっ!!」

 

 今度はさっきよりも大きく怒鳴るナツメ。

 

 というかそんなに寂しがってくれていたのか。実家に帰ったのだからゆっくりしたいだろうと、メッセージは日を跨いだ時の明けましておめでとうの挨拶だけにしたのだが。

 そんなに寂しかったのならナツメからメッセージをくれればいくらでも付き合ったのに。今更そんな事を考えてもどうにもならないが。

 

「それじゃあナツメ。体調には気を付けてな」

 

「…うん。お父さんも気を付けて」

 

 まず最初にナツメのお父さんがお店を出ていく。それに続いてナツメのお母さんが出ていく─────直前で立ち止まり、振り返ると先程ナツメのお父さんが浮かべていた笑顔と同種の笑顔を浮かべた。

 

「二人とも。若いから色々とやんちゃしたくなると思うけど、適度に我慢しなさい。学生の身で子育ては大変だろうから」

 

「そんな心配しなくて良いからっ!!!」

 

 今まで聞いた事がない程の声量のナツメの怒声を受け流し、笑顔のままナツメのお母さんもお店を出ていった。

 ベルの音と共に扉が閉まる。そして、俺とナツメの二人だけが残されたフロアの中に沈黙が流れた。

 

 ナツメはしばらくの間、二人が出ていった扉の方を見つめていた。その胸中はどんなものなのだろう。

 もしかしたら、やはりもっと二人と一緒にいたかったのかもしれない。まだ二人が出ていってそう時間は経っていない。今ならUターンして貰ってもそこまで迷惑にはならないんじゃないだろうか。

 

 そう思って、ナツメに声をかけようとした時だった。

 

「で?」

 

 低いナツメの声が響き渡った。

 直後、悟る。まずい、怒ってる、と。

 

「これは何?説明して」

 

 有無を言わさぬ口調、雰囲気。ナツメが振り返り、鋭い視線で睨まれる。

 

「私、ドッキリは嫌いだって言わなかったっけ?」

 

「…言ってた。覚えてる」

 

「ふーん。覚えてたのにこういう事しちゃうんだ。私との約束ってその程度だったんだ」

 

 まずいまずいまずいまずい。本気で…とまではいってない様に見えるが、返答次第では本気でキレられる。まさかこんな形で破局の危機が訪れるとは付き合い始めた当初の俺は思いもしなかっただろう。

 

 だが、こうなる事は覚悟していた。ナツメが怒るだろうと予想していた。それでも俺は、ナツメには報せない事を選択した。

 

「…ナツメと付き合い始めて、もうすぐ一ヶ月だな」

 

「…どうしたの、急に」

 

「付き合い出してからほぼずっと一緒にいたよな。それだけ居たら、ナツメの行動はある程度予想がつく。…この事を報せたらきっと、ナツメは断ろうとしてた」

 

「─────」

 

 鋭く細められたナツメの両目が見開かれ、息を呑む。

 ここですぐに言い返せないのは、俺の言葉に理を感じたという証拠。

 

「俺も直前まで悩んだよ。好きな人との約束だぞ。破りたい訳ないだろ。でも…ナツメが考えてた事とナツメのお父さんとお母さんが思ってた事の食い違いを知った時、俺は悪いと思ったけどナツメとの約束を破る事に決めた」

 

「…」

 

 まだナツメと付き合い始める前の事。一度だけ聞いた事があるこのお店と、ナツメ達家族の過去。ナツメはこう言った。自分のせいで両親はこのお店を、夢を諦めたのだと。

 だが実際は違った。あの二人はナツメのせいでこのお店を諦めたのではなかった。色々な不運が重なって、そして、自分達の覚悟が足りないと痛感させられて、そして開店する事を取り止めた。

 

 決してナツメのせいではない。それだけは違う、と二人に言われた時、俺はこの場をセッティングする事を決めた。

 

「ナツメ、どうだった?俺のドッキリにどう思ったかじゃなくて、両親と話が出来て、二人の本当の気持ちを聞いてどうだったのか聞かせてほしい」

 

「…安心した。嬉しかった。二人が私のせいじゃないって教えてくれて。…生まれてきてくれてありがとうって言ってくれて」

 

「…それなら良かった。反省する必要はあるけど、後悔する必要はなさそうだ」

 

 一泊置いてからのナツメの返答に胸を撫で下ろす。

 二人の様子から大丈夫だとは思っていたが、ナツメの反応を見て確信する。両親との話し合いは、俺の選択は正解だったのだと。

 これで、ナツメは大丈夫だ、と。

 

「でも、ドッキリについては別。それについては落とし前つけて貰うから」

 

「…許してくれたりは」

 

「ダメ」

 

 僅かな望みをもって聞いてみるもダメらしい。理由はどうあれ約束を破ったその罰は受ける事になりそうだ。

 

「それじゃあ、千尋は先に部屋に帰ってて。私はちょっと準備があるから」

 

「は?準備?」

 

 え、準備って何。俺への罰を執行するために準備がいるの?何それ普通に怖い。待って、もしかして俺が思ってる以上にナツメは怒ってるのか?

 

 そんな風に内心びくびくする俺を、ナツメは横目で見ながら続けた。

 

「楽しみにしてて」

 

 そう言ってバックルームへと入ったナツメを置いて、先に一人部屋に帰る。本当はナツメを家まで送りたかったが、あそこで言う通り行動しないと更に機嫌を損ねるかもしれないと思うと逆らう勇気は湧かなかった。

 

 明かりをつけて、静かな部屋の中でナツメが来るのを待つ。テレビをつける気分にはなれない。

 ナツメが言った落とし前というのが何なのかが気になり、緊張が奔る。

 もし別れろなんて言われたら、という不安が何度も胸を過る度に流石にそれは、と必死に胸の中で否定する。

 

「─────」

 

 部屋に帰ってきてからどれくらい時間が経っただろう。部屋のインターホンが鳴り、カメラには扉の前にいるナツメが映し出されている。

 すぐに玄関へと向かい、鍵を開けて扉を開いた。

 

 ナツメは少し大きめの鞄を持って、部屋の中へと入ってきた。靴を脱ぎ、玄関から部屋の奥へと入っていく。

 

「はぁ~、寒かった~」

 

 部屋に入ってきたナツメの声には怒りや苛立ちなどは感じられない。いつもの優しいナツメの声だ。

 

 その声を耳にして少し安堵しながらも、俺は今のナツメの格好から目が離せなかった。

 

 膝上までを囲う黒色のチェックのスカートと、膝下までを覆う黒のロングソックス。

 言い表せば別段何の違和感もないのだが、何故か今のナツメの格好からほんの少しの幼さを感じる。

 

「どうしたの?」

 

「…いや、何でもない」

 

 じっと見すぎたせいか、ナツメに気付かれた。

 ナツメの問いかけに何でもないと答えると、ナツメはさして興味はなかったのか、短くそう、とだけ返してから俺に真っ直ぐ視線を向けた。

 

「それじゃあ、落とし前をつけてもらいましょうか」

 

「…あの、その前に少し良いか?」

 

「なに?言っておくけど、千尋が何を言っても…」

 

「分かってる。落とし前は受ける。でもその前に一つだけ言わせてくれ」

 

 こちらに向き直るナツメと正面から向かい合い、そして俺は勢いよく頭を下げた。

 

「約束を破ってごめんなさい!なので別れるのだけは許してください!」

 

「─────」

 

 傍から見ればあれだ。彼女に捨てられそうになっているダメ男の図である。

 しかしそんなのは関係ない。ナツメが本気でそうしたいのならばもう止めるつもりはない。それでも、俺の本音は伝えておかなければ。

 

 もっとナツメと一緒にいたい。その気持ちだけはどうしても伝えたかった。

 

「えっと…、何を言ってるの?」

 

 さあ、ナツメの返答は如何に。そうやって内心緊張しっぱなしだった俺に呆けた声が降りかかった。

 

「別れるって…そんな事しないわよ」

 

「え」

 

 続けて隠そうともしない呆れた声が降りかかる。それに驚いて顔を上げると、まさに声が表す通りの顔をしたナツメがそこにはいた。

 

「…そんなに必死になるくらいなら、最初から約束を破らなければいいのに」

 

「いや、それは…」

 

「あー、大丈夫。分かってるから」

 

 俺と言葉を交わしながらナツメが近付いてくる。

 

 しかし、別れなくて済むなら俺にとっては最高なのだが、それならば落とし前とは一体何を要求されるのか。

 どうも、今のナツメの格好がヒントになっているように思えてならない。

 何故だか幼さを感じさせる今のナツメの格好。これがナツメが求める落とし前に関係しているように思える。

 

 いつもと違うナツメに俺は何を要求されるのだろう。

 

「んっ…」

 

 ぐるぐると疑問が脳内を巡る俺の視界一杯にナツメの顔が映る。直接触れる鼻先と、呼吸の音。唇に感じる温もり。

 

 真っ白になる思考。何も考えられないまま、しかし本能のままにナツメの要求に黙って応える。

 

「ぷはっ」

 

 少ししてからナツメが唇を離し、こちらを見上げる潤んだ目が合う。

 

「落とし前って…これの事か?」

 

「千尋はここで終わりでいいの?」

 

「…もっとこう、罰を受けるとばかり思ってた」

 

「落とし前をつけるとは言ったけど、罰なんて私は言ってない」

 

 再びナツメと唇を合わせる。もう、ナツメが部屋に来る前の緊張なんてどこかに吹き飛んでしまった。

 今、俺の心を満たすのは愛する人と深く繋がりたい欲求。もっと愛し合いたいという欲求だけ。

 

「はぁ…、んむ、ちゅ…」

 

 キスは激しさを増して、啄むようなキスから舌を絡めるものへと変わっていく。

 いつの間にかナツメの両腕は俺の首に絡まり、俺の両腕もナツメの腰を抱えていた。

 

 そうしてどれだけキスをしていただろう。不意にナツメが俺から顔を離し、身を捩って俺の腕から離れた。

 

「ナツメ?」

 

 俺から離れたナツメは着ていたコートに手を掛ける。だが、その体勢のまま何故か固まってしまった。理由が分からずナツメに呼び掛ける。

 

 するとナツメはこちらを一瞥してから大きく深呼吸をして、そして勢いよくコートを脱いだ。

 

「─────」

 

 コートの下のナツメの服装を目にして、今度は俺が固まる番だった。

 ナツメが振り返り、正面からその服装を目の当たりにする。

 それと同時に俺は感じていた違和感の正体を悟る。

 

 白い襟元と、水色の服の胸元にはリボン。そして、さっきも見た黒いチェックのスカートと黒のソックス。

 この服装を俺は見た事がある。ナツメが着ている所をではないが、何度か目にした事がある。

 

「それ、確か…。火打谷さんが通ってる高校の…」

 

「…そう。巻機の制服」

 

「…何で?」

 

 今のナツメが着ているのは、火打谷さんが通う巻機女学院の制服だった。そういえば、ナツメもそこの出身だと言ってたっけか。

 

 そうか、だからいつもの私服姿よりも幼いと感じたのか。

 いやだが、ナツメがこの制服を持っている理由は分かったが、着ている理由はさっぱり分からない。

 

 興奮と混乱が入り交じる内心を抑えながら、ナツメのその理由を問いかける。

 

「…落とし前をつけるため」

 

「は?」

 

 こうやって呆けた声を漏らすのも今日何度目か。ナツメは羞恥に顔を真っ赤にしながら続ける。

 

「今日のドッキリ…、悔しいけど嬉しかった。お父さんとお母さんの本心が知れて嬉しかった。そして何より…、千尋が私のために頑張ってくれたんだって思うと、本当に嬉しかった」

 

「…」

 

「だから…考えたの。どうしたら千尋が喜んでくれるのかって。それで…」

 

「それでコスプレか」

 

「ま、前に友達が言ってたからっ。コスプレが嫌いな男はいないって…。高嶺君もコスプレ好きみたいだし、千尋もそうなのかな…って…」

 

 いや、嫌いじゃないけど別に好きでもないというか…いや今すぐに好きになりそうなんだけど。というかナツメのせいで好きになっちゃったんだけど。

 

 どうしよう、彼女に開発されてしまった。

 

「…いやだった?」

 

「─────」

 

 だからさ、ずるいんだって。わざとやってるんじゃないだろうな。

 そんな筈ないと分かっていても、内心でそんな考えが浮かんでしまう。

 

 もう我慢できなかった。不安そうに見上げるナツメの腕を掴み、引き寄せて抱き締める。

 

「嫌な訳ないだろ。…可愛すぎる」

 

「っ…、そ、そういう事言わないで。恥ずかしいから…」

 

 ナツメが俺を見上げる。何を求めてるのか、直接聞かなくとも顔を見るだけで分かった。

 

「んっ…、ちゅ、る…。すき…だいすき…」

 

「俺も。…好きだ、ナツメ」

 

 キスをしながら溢れる気持ちを言葉にして交わす。

 

「せきにん、とって…。ここまで千尋をすきにさせた、落とし前つけて…んんっ」

 

 その台詞で、辛うじて繋がっていた理性の糸が完全に切れた。

 

 口から流れる涎に構わず、キスが更に激しくなる。

 ナツメは抵抗しない。まるでナツメもそれを望んでいたかの様に俺の要求に応えてくれる。

 

 留まる事を知らない幸せに満たされながら、ナツメの温もりを感じながら、頭の片隅で夜更かし決定という思考を他人事のように流して、ナツメとのキスに没頭した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ナツメの巻機女学院の制服姿の画像ってないんですかね…。めっちゃ見たいんですけど…。
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