喫茶ステラと死神の蝶と見える人   作:もう何も辛くない

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赤い蝶の生前、三百年前の過去話です。
原作の設定からかなり改変しているのでご注意を。


第七十六話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…何故何も言わん」

 

 目の前に立つあの方としばらくの間視線を交わし続けてから、不意にあの方はそう口にしました。

 

「俺は貴様を殺しに来たんだぞ。何故何も言わん」

 

 言われてみれば確かに、とその時私はようやく我に返りました。

 一目見た時点でこの方は私達とは違う存在なのだと察する事は出来ていました。

 巌のような外見は勿論、発せられる雰囲気に神聖さが感じられ、人間とは違うと根拠もないままこの時の私は理解していました。

 

 しかし何故でしょう。急にそんな突拍子もない事を言われたからでしょうか。

 …いえ。この時から私はあの方の心根を何となくでも悟っていたからかもしれません。

 

 どうしてもあの方が私を殺そうとしているとは思えなかったのです。

 

「…人間とはこういうものなのか?いやだが、人間とは臆病な生き物だと奴は言ってたし─────」

 

 あの方は表情は動かさないまま、しかし僅かながら動揺した様子を見せながらぶつぶつと呟きます。

 そして一度言葉を切ると、再び私の方を見て口を開きました。

 

「分かったぞ。貴様、おかしな人間なのだな」

 

「失礼な」

 

 出会って数分と経たず、私はあの方におかしな人間認定を受けたのでした。

 

「失礼なお方。私をおかしな人間と評しておきながら自己紹介もしない失礼なお方。貴方は何者なのですか?」

 

「…なるほど。おかしいと同時に貴様は無礼だな」

 

「無礼なのはいきなり他人をおかしい認定する貴方の方かと」

 

「俺は神だぞ。何故人間に礼を尽くさねばならん」

 

「かみ…?」

 

 普通、出会ったばかりの人に自分は神だと言われれば何て思うかは言うまでもありません。この時のあの方の様にその人をおかしい人だと思うのでしょう。

 しかし私はその言葉がすっと胸の中に入り、容易く納得する事が出来ました。

 

 常人離れした外見、浮世離れした神聖な雰囲気。私が抱いていた神の姿の想像とはかけ離れた姿ではありましたが、確かにどう見ても人間とは思えない。神と言われても疑いは湧いてきませんでした。

 

「貴様はほんに失礼な奴だな。まあ恐ろしい見た目をしているとはよく他の神には言われるが…」

 

 なお、私の胸の内の失礼な考えはあの方に筒抜けでした。

 それと同時に、言葉に出していない胸の内を読まれた事であの方が人外の存在である事の確信が深まったのです。

 

「それで、その神様が何故私などを殺すというのです?」

 

 そして私は核心に迫ります。

 この方が神というのなら何故私の前に現れ、私を殺そうとするのか。それを問い掛けます。

 

「…そう命令されたからだ」

 

「命令?」

 

「そうだ。貴様が危険な魂を持っているから殺せ、と。そう命令された」

 

 返ってきた答えに驚愕を隠せませんでした。何しろ神の口から命令された、なんて言葉が出たのですから。

 それではまるで、神に命令が出来る上位の存在がいると言っているようなもの。それが私には信じられなかったのです。

 

「だが、俺には分からん。貴様のどこが危険なのか。こんな簡単に首をへし折れるひ弱な女のどこが危険なのだ」

 

「…」

 

「無礼だから殺せと言われた方がまだ理解できた」

 

 一言言ってやりたい気持ちを抑えて、私はあの方の言葉を聞きながらここに何をしに来たのかを思い出します。

 手には籠に入った野菜。そうだ、早く帰って昼食を準備しなければ。あの子がお腹を空かせて待っている。

 

 しかし─────

 

「あの…」

 

「む?」

 

「娘が帰りを待っているのです。話は家で…、昼食を食べた後でよろしいですか?」

 

「…」

 

 私を殺しに来たというこの方が素直に帰してくれるのか。もしかしたら駄目だとここで殺されて─────そうなれば、あの子は一人になってしまう。まだあの子は一人で生きていける程成長していない。

 一人になったあの子を待つのは─────考えるだけで恐ろしい。

 

「せめて…。せめてあの子とお話だけでも」

 

「…」

 

 死ぬのならせめて娘と話をしたかった。死ぬ前にあの子の顔を見たかった。

 あの子を置いていくかもしれない恐怖を抱いて、真っ直ぐにあの方の目を見据えて頼み込む。

 

「お願いします」

 

 地面に両膝、両手をつき額が地面に付くまで深々と頭を下げる。

 あの方が私を見下ろす視線を感じながら、その体勢のままじっとあの方の返事を待ちました。

 

「…好きにしろ」

 

「っ!」

 

 胸の奥から希望が湧いてきたかの如く、踊る心を抑えて見上げれば、あの方は私を見下ろしたまま動いていませんでした。

 視線が交わってもあの方は私を見下ろしたまま。

 

 両目から溢れ出そうになる涙を堪えながら、私はもう一度頭を下げる。

 

「ありがとう、ございます…っ」

 

 震える声でお礼を言ってから、立ち上がって駆け出す。

 すれ違い様にもう一度頭を下げ、あの子が待つ家へと急ぐ。

 だいぶ待たせてしまった。きっとお腹を空かせているだろう。そう思い、急ぐ。

 

 そんな私の背中をあの方は見つめていました。

 

「…この女のどこが危険なのだ。教えてくれ、星よ」

 

 その呟きは、家にいるあの子で頭が一杯の私の耳には届きませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私の帰りをあの子は笑顔で出迎えてくれました。遅くなってしまった事に一言も文句を口にせず、すぐにご飯の準備に取り掛かる私を笑顔で待っていました。

 

 …その笑顔を前にすると、先程の事を口に出来なくなってしまいました。

 この笑顔が曇ってしまうと思うと、これから自分がいなくなると言えなくなってしまいました。

 

 昼食を食べ終えて、外で駆けて遊ぶあの子を見守って、疲れて眠ってしまったあの子の隣で私もお昼寝をして。

 夕方頃に目が覚めて、今度は夕食の準備を始める。夕食の匂いで起きた娘と一緒に出来上がった夕食を食べて、二人で静かな時間を過ごして。

 

 その間、あの方は私の所には来ませんでした。

 夜の帳が深まり、暗闇に包まれた外を照らすのは淡い月の光だけ。

 

「─────」

 

 娘が眠ってすぐ、家のすぐ前で足音がしました。その足音の主が誰なのかは、すぐに分かりました。

 

「お入りください」

 

 外に届くよう大きく一声掛けると、少し間を置いてから家の中に一人の男性が頭を屈めて入ってきます。

 

「…お待ちしておりました」

 

 あの方は何も言わず、私を見下ろし続けます。

 

「…逃げなかったのか」

 

 何故この場所が分かったのか、という疑問は口には出さずに驚きと共に見開かれたあの方の目を見つめる。

 

「すでに問うたが…、何故そうやって受け入れられる。貴様は何も悪い事はしておらん。そこの娘と穏やかに過ごしていただけだ。…それなのに、まるでそれが悪いかの様に、罰を受ける様にこれから貴様は殺される」

 

「…」

 

「今一度聞こう。何故貴様は俺に殺される事を受け入れられる」

 

「受け入れてなど、いません」

 

 この時のあの方の言葉には一部誤解がありました。私は死を受け入れてなんていなかった。

 

「死ぬのは怖いです。この子を置いて死ぬのは…嫌です」

 

「では何故、貴様は未だにこんな所で呑気にしていられる」

 

「…何故、なのでしょう」

 

 本音を語れば、この時の私はどうして娘と一緒に逃げようとしなかったのか。逃げずにあの方に殺されるのを待つ様な真似をしたのか、分かりませんでした。

 

「…貴方は本当に私を殺すのでしょうか?」

 

「そうしろと命じられている」

 

「誰に」

 

「俺を生んだ、謂わば親に」

 

「だから貴方はここにいる」

 

「貴様を殺すためにな」

 

「…ですが、どうしても私はこれから貴方に殺されるとは思えないのです」

 

 何の根拠もない。なのに、自分は殺されない。死なない、なんて確信を持っていた。

 この時の私はどうしてもその理由が分からなかった。

 

 その理由が分かるのは、もう少し後の事。

 

「訳が分からん。本当に貴様はおかしな人間だ」

 

「…本当に貴方は失礼な神です」

 

「…おかしくて、無礼で。貴様と話していると、貴様のどこが危険なのか。本当に貴様を殺す必要があるのか分からなくなってくる」

 

 出会ってからずっと、無を描いていた表情が僅かに和らいだように見えました。

 

「故に、見極める事にする」

 

「見極める…?」

 

「そうだ。貴様が本当にこの世界に害を及ぼす存在なのか。貴様を殺さねばならない存在なのかを見極める」

 

 視線が絡まる。

 和らいだあの方の表情に視線が吸い寄せられ、離せなくなる。

 

「…あの」

 

「なんだ」

 

「何故、家の中に上がってくるのでしょう?」

 

 あの方の動きを目で追いながら問い掛ける。

 あの方は自然に、まるでこの家に住む家族の一員かの如く無遠慮に畳の上へと上がって腰を下ろします。

 

「何を惚けた事を言っている。先程言っただろう、貴様を見極めると」

 

「は…?」

 

「しばらくここに住まわせてもらうぞ。なに、苦労はかけん。俺は神だからな、食事なども必要としない」

 

「…は?」

 

 この方は何を言っているのだろう?

 この時の私の正直な気持ちはまさに一言一句違わずこの一文そのものでした。

 訳が分からず頭の中がぐるぐる混乱する。頭の中どころか実際に頭がくらくら、眩暈のような症状が出てくる。

 

 本当にこの方は何がしたいのだろう。いえ、私を見極めると言っていたのですからそうしたいのでしょうが。

 それが何故ここに住む事になるのかさっぱり分かりませんでした。

 

「無論、住居に居座る分の働きはさせてもらう。掃除洗濯、何でも言ってくれ」

 

「そ、そんなっ。神様にそんな事させられません…!」

 

 大声が出かかりますが、眠っている娘を思い出して何とか耐える。それでも動揺は表に出てしまい、声量は少し大きくなってしまい、娘は身じろぎしていましたが。

 

「な、何故ここに住むのです…?私を見極める事とどう繋がるのですか…?」

 

「戯け。貴様を見極めるには近くから貴様の事を見るのが一番だろう。だからこの家に住み、貴様の生活を観察する。どこにおかしい事がある」

 

「─────」

 

 おかしい事しかない、と突っ込まなかった当時の私を誉めてあげたいです。

 

 結局私は押し切られ、というより初めから拒否権などなく、あの方はこの家に住まう事となったのです。

 

「…おじちゃん、だれ?」

 

「俺は神だ」

 

「かみさま?おじちゃん、かみさまなの?」

 

「そうだ」

 

「…おかーさん!かみさまがいる!」

 

 明らかに小さい子供が直視するには酷な見た目をしているのに、娘は妙に懐いて─────

 

「おじちゃん!肩車して!」

 

「…娘。俺をおじちゃんと呼ぶのを止めろ」

 

「んー?おじちゃんはおじちゃんでしょ?あと、おじちゃんもわたしをむすめってよぶのやめて!わたしには●●っていうなまえがあるんだから!」

 

「…まずは貴様が俺をおじちゃんと呼ぶのを止める事だ。娘」

 

「むー!」

 

「それと、肩車とは何だ?」

 

 あの方もしつこく構われても嫌な顔一つせず娘の相手をしてくれて─────

 

「あはははは!たかいたかーい!」

 

「…こんなものが楽しいのか、娘」

 

「うん!たのしい!」

 

「…高いところが好きなのか」

 

「んー?うん!」

 

「…そうか」

 

 でも、娘を肩車したまま空を飛び始めた時は肝を冷やしました。

 娘に怪我はなく、危険な経験をしたにも関わらずとても楽しそうにしてたので安心はしましたが…。あの方が神という事も忘れて本気で怒りを覚えて説教をしてしまい、我に返って謝り倒したのは別のお話です。

 

 当初は殆ど面識のない方、しかも男の方と一つ屋根の下を共にしている緊張というものを抱いていましたが、あの方に懐く娘につられるように私も次第に三人での暮らしに馴染んでいって─────三人で過ごす事が当たり前に感じるようになっていました。

 

「おじちゃん。おじちゃんはどうしてごはんをたべないの?」

 

「俺は貴様ら人間と違って食事を必要としない」

 

「んー?でもおいしいよ?」

 

「そうか。おいしいか」

 

「…たべる?」

 

「いや。…自分で食え。大きくなれんぞ」

 

「っ!それはやだ!」

 

 この子が生まれてすぐに亡くなってしまった亭主。この子は父親の顔を知らない。父親というものを知らない。

 もしかしたら、あの方を父親の様に見ていたのかもしれません。

 

 そして私も、気付けばあの方を─────

 

「はつ」

 

 あの方との生活にもすっかり慣れてきたある日の夜でした。

 私はなかなか寝付けず外に出て夜風に当たっていました。そんな時、家の中からあの方が外に出てきて私の方に歩み寄ってきます。

 

 あの方は私を()()、と名前で呼ぶようになりました。娘の事も娘、ではなくこの頃には名前で呼んでいた筈です。

 もうあの子の名前を、今の私は思い出す事が出来ませんが。

 

「眠れないのか」

 

「…少し」

 

 一言、私にそう声を掛けてからあの方は何も言わずに私の隣に立ちました。

 近くに寄り添う訳でもなく、かといって離れている訳でもない。そんな微妙な距離感で、私とあの方は並んで星空を見上げていました。

 

 私達の間で沈黙が流れ、聞こえてくるのは風が流れる音とそれに混じる虫の鳴き声。この沈黙がどうも気恥ずかしく感じてしまい、何か話さなければと思うのですが言葉は出てこないまま。

 

「─────」

 

 ですが、ふと私の頭の中でとある疑問が浮かんできました。

 それを問い掛けるべく私はあの方を見上げて口を開きます。

 

「あの…、今不意に思い浮かんだのですが…」

 

「どうした」

 

「貴方のお名前は、何というのでしょう?」

 

 私の中に浮かんだ疑問、それはあの方の名前。

 あの方は自分は神だとだけ告げて、それ以外の事は何も言わなかった。自身の名前でさえも。

 

 私に問われたあの方は星空から視線を私へと移して、いつもの無表情で返事を返します。

 

「名前などない」

 

「…え?」

 

 あの方からの返答に思わず呆けた声が漏れてしまう。

 

「名前が…ない?」

 

「あぁ」

 

「それは─────」

 

 名前がない。それは、何なのだろう。可哀想?不便?頭の中に浮かんだ言葉はたくさんありました。

 しかし、あの方にとって自分に名前がないのはごく自然な事であって、何も特別な事ではない。あの方の顔を見ていると、本気でそう感じているのだと察する事が出来ました。

 

 むしろきっと、私達人間全員にそれぞれ名前がある事を不思議にすら思っていたのでしょう。

 そう考えると、それは、の後に続く言葉が口から出てこなくなってしまいました。

 

「俺のような星から生まれ落ちた神は名前を持たない。()()()()()()

 

「…名前が欲しい、とは思わないのですか?」

 

「思わん。そんなものがなくとも、貴様ら親子は俺を見てくれる」

 

 真っ直ぐに私を見ながら投げ掛けられたその言葉に、つい目を見開いてしまう。

 

「はつと呼べば。●●と呼べば。…たとえ呼ばなくとも、貴様らは俺を見て、俺を呼ぶ。名前などなくとも、貴様らは俺を認めてくれている」

 

「─────」

 

「それで充分だ」

 

 ほんの少しだけ、あの方の表情が和らぐ。初めて会ったあの日にも見たあの表情に目を奪われる。

 あの時と同じ様に、柔らかい視線が真っ直ぐ私に向けられる。

 

「…貴様はどうだ」

 

「え…?」

 

「俺は…この場所で貴様らとこうして過ごしていられる事に充足を感じている。だがそれは俺個人の感情だ」

 

「…」

 

「貴様はどうなのだ」

 

 この時、少し驚いたのを覚えています。

 出会い、私達と過ごすようになってから今まで、こんな風に他人の気持ちを気にした事なんて一度もなかったから。

 だから少し、私の気持ちを気にしてくれている事に少し、嬉しさを感じてしまう。

 

「私も…、貴方と同じ気持ちです」

 

「…そうか」

 

「●●もきっと、同じ気持ちです。貴方にすごく懐いていますから」

 

「…●●はお転婆がすぎる。あちこち走り回って、この前も俺がいなければ転んで怪我をする所だったぞ」

 

 娘と二人で暮らすようになってから、幸せでありながらどこか日々が目まぐるしく過ぎていく様に感じていました。

 こんな風に誰かと、落ち着いた時間をゆっくり過ごすのは本当に久し振りで─────幸せで。

 

 叶うならこのままずっと、こんな日々を過ごしていけたらと。胸の内でそんな願いを抱いて。

 

 しかし、頭の隅では分かっていたのです。この幸せな時間はずっとは続かないと。いつか必ず、この幸せは壊されてしまうのだと。

 

 そしてその瞬間は、私が思っていたよりも早かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回に続く
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