今回で過去編が終わります。
少し…というよりだいぶ早足な気がしますが、過去編をだらだら長々書いてもだれるのでこれで投稿します。
「君は一体何をしているんだい?」
あの方が私の前に現れ、私達親子と共に暮らすようになってから二ヶ月程経った頃でした。
艶やかに流れる黒い髪を靡かせて、突然彼女が現れたのは。
「…朔夜」
「いつまで経っても命令を実行する気配がないからここまで足を運ぶ羽目になった。で?何をしているんだい?随分楽しそうじゃないか」
彼女…朔夜様が現れたのは空が夕暮れに染まり始めた時間帯。そろそろ家に帰って御夕飯の準備をしなければと考えた時でした。
あの方の目が警戒の色に染まったのが分かりました。そして、朔夜様から漂うあの方に似た雰囲気から、この人もまたあの方と同じ存在なのだとすぐに察しがつきました。
朔夜様の口振りから、彼女が何のためにここへ現れたのかは明白でした。
「おじちゃん?」
「大丈夫だ。…はつと一緒に家に帰っていろ」
娘を肩から下ろして、私のもとへ行くように促す。娘は両目に心配の色を浮かべてあの方を見ながら、私の所へ向かってきます。
「…」
「…大丈夫だ。先に帰っていろ。俺もすぐに帰る」
私を真っ直ぐ見ながらあの方がそうハッキリと告げる。私に出来るのは、その言葉を信じる事だけでした。
「今日は…」
「なんだ」
「…今日は、ご飯を一緒にたべませんか?貴方様の分も作って、お待ちします」
「─────」
僅かにあの方の目が見開かれたのが見えました。
今まであの方は神には食事は必要ないと、必要ないものに私の手を煩わせる訳にはいかないと、ずっと食事をとろうとしてきませんでした。
「…あぁ。楽しみにしている」
「っ…、はい」
だから、この時はこうして私の作るご飯を楽しみにしていると言ってくれて嬉しかった。
突然他の神が現れた事への不安なんて、それだけで吹き飛んでしまう程に。
「行きましょう、●●」
「うん。おじちゃん、まってるね!」
二人で手を振ると、あの方も手を振り返してくれました。
その姿を見てから私達はあの方に背を向けて先に家路へと着きます。
歩き始めてからすぐ、あの方と朔夜様が何かを話し始める声が聞こえてきました。ですが御二人が何を話しているか、その内容までは聞き取る事が出来ず─────それでもきっと、私の事を話しているのだろうという確信だけは抱いたまま。
家へ着いた私は
あの方が帰ってきたのは外がすっかり夜の闇に染まってしまった頃。家の真ん中では三人分の食事が並んで、娘と二人であの方の帰りを待ち始めてから半刻程が過ぎた頃でした。
「すまない、遅くなった」
もしかしたら彼女と何かしらで決別し、争いが起こっているのではないか。そんな不安が過った頃、あの方は何ともない顔で帰ってきたのです。
「おじちゃん!おかえり!」
「あぁ、今戻った。…俺の分か」
娘と挨拶を交わしてからあの方は家の中へと足を踏み入れて、そして私の分でも娘の分でもない、もう一人の分の食事を見てから私の方に目を向けます。
「はい。貴方様の分です」
「…そうか」
僅かにあの方の表情が和らぐ。
こうやってあの方が表情を和らげる回数も、ここで暮らしてから時が経つ毎に増えてきました。それだけ私達に心を許してくれているのだと、そう思って良いのだろうか。
そんな事を考える中で、あの方が自分の分の食事の前に腰を下ろします。それを見てすっかり待ちくたびれてしまった娘が早速、両手を合わせて何かを期待する目で私を見ます。
「おかあさん!」
「はいはい。…それでは」
私も両手を合わせ、今度は二人であの方へ視線を向けます。
あの方はきょとんとしながら私達を見返して、そして私達が何を求めているのか察したのか、一度小さく息を吐いてから私達と同じ様に両手を合わせます。
「「「いただきます」」」
何かを食べる前に必ず行う儀式。私達の糧になって頂く食材達への感謝の言葉。
それを神様と共に行っているという事にほんの少しの可笑しさを覚えながら、私は勢い良く口にご飯を入れていく娘とやや慎重に食べ進めていくあの方を見つめます。
娘は相当お腹が空いていたのかあっという間に食べ終わり、あの方も味が気に入らなかった訳ではなかったようで、私が作ったものを完食してくれました。
食事が終わった後は私とあの方で、娘が今日は何が楽しかった、実はこんな事があったという話しに耳を傾けて。
そんな話をしている内にいつしか娘は頭を揺らして舟を漕ぎ始め、あの方が娘の体を横にさせ、私が横になった娘に布を掛けてやるとすぐに眠りについてしまいました。
娘が眠ると、家の中には娘の寝息と囲炉裏で燃える火の音だけが響き渡ります。
あの方は娘の寝顔を眺めたまま何も言いません。何も言おうとしません。
「…あの神様。朔夜様とはどんな話をされたのですか?」
なので私は、自分から聞く事にしました。
あの方は娘の寝顔から私の方へと視線を移します。
「…お前は気にしなくてもいい」
「そういう訳にもいきません。…私の事なのでしょう?」
少しの間の後、あの方からの返答はきっと私に気を使ったものだった。
でも、そんな筈はない。朔夜様は私とは一言も言葉を交わしませんでしたが、あの方と話をしながら時折私の方へ視線を向けていました。
朔夜様が何らかの興味を私に持っていた証です。
「…お前を殺さないのか、と問われた」
私と視線を交わし続けてやがて、観念したようにあの方は一言そう言いました。
「私の事は、他の神様にも知られているのですね」
「…」
「貴方様は言いました。私は危険な魂を持っている、と。…その意味を今、聞いてもよろしいですか」
その言葉はあの方と出会ったその日に言われたもの。
危険な魂、それを私が持っているから私を殺しに来たのだとあの方は言いました。
あれからこの日まで、ふとした時に危険な魂とは何なのか、どういう意味なのかを考える時がありました。
ですが、ただ危険な魂と言われても詳しい事までは考えが及びません。それに、この家での穏やかな日々の中で、危険な魂というのが何なのか分からなくても良いとすら最近では思う様になっていました。
しかし、そういう訳にもいかなくなった。あの方は私を殺さず、そしてそれを察知した他の神がここへやって来てしまった。
ハッキリとあの方は口にしませんでしたが、恐らく私を殺すよう促された筈です。それでも私を殺す素振りは見せず、今までの日々を続けようとしてくれる─────。
何も知らないままでいるのはここまでだと。知れば、私を見逃してくれるあの方に何か報いる事が出来るのではないか、と。
私はあの方に問い掛けました。
「…お前の魂は、奇蹟を起こし得る力を持っている」
「奇蹟…?」
「そうだ。奇蹟といっても様々だ。だが共通するのは─────奇蹟が起きれば世の理が捻じ曲がるという点だ。流れ続ける時を止めて遡る。過去にはそんな奇蹟を起こす者もいたらしい」
「時を…。そんな力が私に宿っていると?」
「だから私は貴様を殺せと命じられた。奇蹟を起こす前に─────理を汚される前に殺せと」
奇蹟。
私はそうとしか言い様のない光景を目にした事はあった。
近くの家の子供を冒した、医者の方もどうしようもないと言われた病が治った事。あの時は村の皆で奇蹟だ、奇蹟だと騒いでいました。
しかし、あの方が言う奇蹟とはそれとはまるで違う別物。人の手では決して実現させる事が出来ない、その筈の理外の領域。
それを私は実現させられるという。
「…だが、そんな力を持っていたからどうだというのだ。それを使いさえしなければ何も問題はない筈だ」
両手で拳を握りながら、あの方は力の籠った口調でそう言いました。
「お前がどんな危険な力を持とうとも、それを使わなければ良い。それだけなのに─────何故そこまで過敏になる必要がある」
それは私への言葉でありながら、私ではない誰かに向けた言葉の様に聞こえました。
「…俺がどれだけお前は大丈夫だと説得を試みても、聞く耳を持ってくれなかった」
あの方と朔夜様との会話。それが私についての事だとは分かっていたけれど、まさか私を救うために説得をしようとしてくれていたなんて思ってもいませんでした。
驚き、目を見開いて険しい顔をするあの方を見つめます。
「恐らく、俺にはもうお前を殺す気はないと奴にバレている。…奴はお前を殺そうとするかもしれない」
あの方は顔を上げ、真っ直ぐに私を見ました。
いつもの何の感情も浮かばない無の表情ではなく、真剣に、それとどこか何かを怖がっているような。それでも必死に勇気を振り絞る、そんな人間味を感じさせる表情で。
「はつ。…ここから逃げないか」
「…え?」
「ここにいてはいつどこから命を狙われるか分からない。ここではないどこか遠くに行って…、誰にも見つからない場所で静かに暮らそう」
「─────」
それはまるで、あの方からの結婚の申し込みの様で。心臓が高鳴り、頬に熱が集まっていく。
今、私の顔は真っ赤になっていると容易に自覚できました。そんな私を、真剣な表情のままあの方は見つめます。
「…それは」
それは、とても幸せなのだろう。誰にも見つからない場所であの方と娘と、この家で過ごした穏やかな日々を過ごす。
三人だけの日々。想像するだけで胸が踊るようでした。
「それは…出来ません」
ですが、それを選ぶ事は私には出来ませんでした。
「誰にも見つからない場所、というのは一体どこなのでしょう。…どこまで往けば辿り着けるのでしょう」
「…」
踊るようだった心境が落ち着き、やがて涙が溢れそうになる程に胸が締め付けられる。
「本当にそんな場所はあるのでしょうか。たとえあっても…、私とこの子の足ではそんな所まで辿り着けません」
「そんなものっ、俺が…!」
「駄目です」
─────俺が何とかする。
あの方が言おうとした言葉を遮って、私は涙を堪えながら必死に笑おうとして─────上手くいかずにぐちゃぐちゃな顔になりながら続けました。
「そんな事をすればきっと…貴方様も殺されます」
「っ…。俺はそれでもいい!ずっと一人で…この胸に何も浮かばない日々にまた戻るくらいなら、俺はお前と…!」
「私は、貴方様にこれからも生きて欲しいのです」
あの方の口振りからどことなく、あの方と朔夜様の力関係は窺えました。仮にあの方と朔夜様が対峙した場合、あの方は朔夜様には敵わない。だから、私に逃げようと提案してきたのでしょう。
そして、これ以上あの方が私に深入りをしてしまえば─────私の監視という建前を越えてしまえばきっと、あの方は殺される。
それだけはどうしても耐え難いものでした。
「…俺に生きろというのか」
「はい」
「幸せを覚えてしまった俺はきっと、あの日々を絶望するだろう。絶望の中で生き続けろというのか」
「貴方様を絶望から救ってくださる方と必ず出会えます。それが何時になるかは分かりませんが…、貴方様の悠久の時の中でその方は、必ず現れるでしょう」
「…」
今にも何かを叫びたい。そんな衝動を耐えている、そんな風に見えました。
やがてあの方は私から視線を切って、口を開きました。
「…
「貴方様に殺されるのなら、本望です」
「…そうだな。他の奴にお前を殺されるくらいなら、それも良いかもしれん」
あの方はどこか吹っ切れたような、何かが抜け落ちたような。そんな顔で天井を見上げながら、力のない声で続けました。
「だが…。情けない事だが、どうも俺はまだ
今日の私とあの方との会話はここで終わりました。この後は互いに何も話さず、やがて私は眠気に耐えられなくなり、次の朝を生きたまま迎えていました。
次の日、あの方はいつもと変わらない様子で娘と戯れ、昨日と同じ様にご飯を食べて、寝床につく私と娘を見守っていました。
─────私を殺したくない。
あの方がそう言ってから時は過ぎ、やがて辺りは凍てつく寒さに包まれる季節へと変わっていきます。
「ごほっ、ごほっ!」
娘が病に罹ったのはそんな時でした。初めは時折咳き込んで、額に手を当ててみれば少し熱い程度でした。
一日横になって養生すれば治るだろう。そう高を括ってしまったのが間違いだったのか、それともこの時すでにどうしようもない段階まで来てしまっていたのか。それは分かりません。
娘の病状は日に日に悪化していき、医者の方の治療も空しく娘は床から動けなくなるまでになってしまいました。
苦しそうに呼吸を荒げて、額から大量の汗をかき、そして激しく咳き込む。
「…おかあ、さん」
「●●…」
娘はもう昨日から何も食べていません。食欲がないのか食べたくないと言い、それでも無理矢理食べさせ、そして吐いてしまう。
何とか水だけは飲めるようで、私を呼ぶ声を合図に水を飲ませる。
「…つめたい」
「冬だから水も冷えているでしょう?気持ちいい?」
「うん…」
小さく笑顔を浮かべながら頷いてくれる。
すると、娘は私から視線を離して、私と同じ様に娘に寄り添うあの方を見上げました。
「おじちゃん…」
「どうした」
「かたぐるま…して」
「…病気が治ったらだ」
肩車をしてほしい、遊んでほしい、という娘の願いに一瞬言葉に詰まりながらも、あの方は娘の髪を撫でながら優しくそう諭します。
「おびょうき…なるのかな…?」
「●●…」
「わたし…このまま…しんじゃうのかな…?」
「そんな事…あるはずないでしょう…!病気が治ったら、また三人でお外で遊びましょう?今は冬だから、雪遊びが出来ますよ」
「ゆき…。ゆきがっせん、したい…」
「…っ!」
力のない声で、入り口がある方に視線を向けながらそう呟く娘。その姿を見て、あの方は悔しそうに歯を食い縛り拳を握る。
神であるあの方でも、娘の病気はどうにも出来ませんでした。
元々そういった治癒の力をあの方は持ち合わせておらず、唯一あの方が知る者達の中で治癒術に長けているのはあの朔夜様だといいます。
ですが、朔夜様は間違いなく手を貸してはくれない。人間の問題は人間で、もしそれで解決が出来なければそれはそれで終わらせるべき、というのが朔夜様のお考えだという。
例外として、神側の問題に人間を巻き込んでしまった場合はまた別だというのも朔夜様のお考えらしいのですが、娘の病気はそれには当てはまりません。
「した、かったな…っ、ごほっごほっ!」
「●●!」
激しく咳き込んでしまう娘の手を握る。その手は暖かいを通り越して熱い。明らかに異常な体温をしていました。
「おかあさん…おじちゃん…いる…?」
「●●…?どうしたの?お母さんはここにいますよ?」
「いる…。そこに、いるの…?みえない…」
「っ…!」
虚ろな瞳で虚空を見上げながら、繰り返し娘は私とあの方を呼んでいました。
何度も、何度も、何度も。その度に私はここにいると、あの方もここにいると。娘の手を握りながら語りかけました。
次第に娘が問い掛ける感覚が広がっていき、私の手を握り返す力も弱くなっていくのが分かりました。
「おかあさん…おじちゃん…」
そして、娘は─────
「だい、すき─────」
その言葉を最後に目を閉じて、もう二度と言葉を発する事も、目を開ける事もなくなりました。
「…●●?…●●、●●。●●!」
ぐったりと力をなくして床に落ちる娘の腕。それが何を意味するのか受け入れられず、受け入れようとせず、私は娘の名前を呼びました。
何度も、大きな声で。それでも目を開けない娘の姿に現実が押し寄せ、受け入れたくないと心が叫び、やがて耐えきれずぼろぼろと涙が溢れていきます。
「いや!いやぁ!どうして!?どうして…!?」
娘の体に─────いえ、亡骸にすがり付いて泣きじゃくる事しか出来ませんでした。
どうして…どうして娘がこんな目に遭ってしまうの。どうして私から娘を奪うの。どうして私より先に死んでしまったの。
どうして、どうして、どうして、どうして、どうして。
「●●…、●●…」
「…はつ」
あの方が私の名前を呼んだのは本当に久し振りでした。ですがその喜びに浸る事など出来る筈もありません。
ただ、娘が死んだという現実を前に泣き崩れる事しか出来ない。
「…いや。
「はつ?」
「違う…。
「はつ…っ、お前っ」
ぼろぼろになった心にほんの少し力が湧いてくる。
そうだ、
嫌ならば、どうすればいい?
そう、
「はつ!それだけは駄目だ!そんな事をしても何も変わらない!いや、変わらないどころか─────」
「…返して」
「正気に戻れ、はつ!!!」
「●●を返して─────っ」
湧き上がる衝動をそのまま解放する。いえ、解放したつもりでした。
不意に風が吹いた音がした気がしました。それと同時に、お腹の辺りがとても熱くなって…視界に何か真っ赤なモノが広がって…真っ赤な何かの向こうで、あの方が私に手を伸ばしているのが見えました。
それが私が生前に見た最期の光景。
こうして呆気なく、私の生涯は幕を下ろしたのです。
次回から舞台は現代に戻ります。
千尋君視点が帰ってきます(笑)