本当はもう少し書く予定だったけど間が空いたので投稿します。
張り詰めた空気の中、背後にナツメ達を庇って前に出る。
直後、肩に軽い衝撃。さっきまで明月さんの肩に乗っていたミカドが俺の肩へやって来ていた。
はつさんへと向けられていた男の視線は今は俺に向けられている。憎しみと殺意が一身に注がれる。
「千尋」
「分かってる。でも…何でこいつがここに入ってこれる」
もうこの男の正体は分かっている。一度対面した時と姿形は異なっているが先程のはつさんと俺への台詞から考えるに、まず間違いなくこいつはあの男神だ。
しかし分からないのは何故こいつがこの神社に侵入できたかだ。
一昨日に一度ここへ来た時に、
その細工というのがどういうものかは知らないが、少なくともそう簡単にここへ侵入される代物ではなさそうだが。
「ソレヲ貴様ラガ知ッテ何ニナル」
「っ…」
再度響き渡る二重の声。
その声を聞きながら、目の前の男を注視する。
…最初にこの男の顔を見た時からどうしても気になっていた。どうも俺はあの顔に見覚えがある。
それだけではない。俺の瞳には確かに、その男の胸部辺りに鈍く輝く二つの光が見えている。
生きている者であれば誰にでも存在する光。本来ならば一つしか持ち得ない筈の魂の光だ。
しかし目の前の男には二つの魂が存在している。
「…人間にとり憑いているのか」
考え得る可能性はただ一つ。何らかの方法であの男にとり憑いているのだ。
しかし分からないのは、神をその身に宿しながら身体が無事に居続けられている事。
朔夜さんと星詠みの瞳について色々と話しているからこそ分かる。神と比べて人の身体は余りに脆い。
それを思い知っているからこそ、神にとり憑かれながら無事でいられるその男がどうしても信じられない。
「神を宿しているだと…?馬鹿な、そんな事はあり得ん…」
ミカドも俺と同じく人が脆い事を知っている。だからこそ、声を震わせながら驚愕しているのだ。
そんな俺達を嘲るように奴が嗤う。
「我ノ全テヲコノ男ニ注イデイル訳デハナイ。訳デハナイガ…ソウダナ。コノ男ガ我ヲ宿シナガラ無事デイラレルノハ─────」
男神の視線が始めに俺達の前に現れた時と同じ様に、俺とナツメに向けられる。
そう、これも引っ掛かっていた。こいつの狙いは俺の瞳の筈。その理由であるはつさんに視線を向けたのは当然だろう。
だがこいつは、俺とはつさんだけでなく
「柳千尋。四季ナツメ。貴様ラ二人ニ対シテノ憎シミガコノ男ノ肉体ト魂ノ存在ヲ保ッテイルカラダロウナ」
「─────」
「え…?」
息を呑んだ俺の背後から小さくナツメの声がする。
「我ガコノ男ヲ見ツケタノハタダノ偶然ダッタガ…。驚イタゾ。アソコマデ深イ憎シミヲ感ジトッタノハ久シブリダッタカラナ」
目の前に立っている見覚えがある男の姿と、奴が口にした俺とナツメに対して憎しみを抱いている人物。
覚えが悪い俺にしては珍しく、この二つの要素から心当たりを導き出せた。
といっても名前を覚えている訳ではない。確か昭久がそいつの苗字を呼んでいる所を一度聞いただけだったから、流石にそこまでは思い出せなかった。
ただ、ナツメにその男が絡んでいた光景を俺は確かに思い出した。
しかし俺に対して恨みを持つのは─────それでも逆恨みにも程があるとは思うのだが、それはまあ良いとしてもナツメに対して恨みを持つその理由が分からない。
まさかとは思うが、冷たくあしらわれた事への苛立ちというやつなのか。それこそまさに逆恨みそのものだ。
だが、本当にそれだけなのか。今こうして対峙しているだけでもあの男からの負の感情は伝わってくる。
始めは男神からのものだとばかり思っていたのだが、恐らく俺に向けられているこの憎しみは奴だけではなく、あの男の中の感情も含まれているのだ。
これ程に強く他人を憎む。その理由は本当に、ただの逆恨みなだけなのだろうか。
「サテ─────」
深く沈み込んでいた思考が男神の声で引き上げられる。思考に集中しすぎていたせいで、男神の所作に注意を向けていなかった。
我に返ったその時には、すでに男神は掌を宙に掲げて行動を起こそうとしていた。
その直後、俺達の周囲で一斉に鳴り響くガラスが割れる様な破砕音。
何が割れたのかは──────言うまでもないだろう。
「ミカド!ナツメ達を連れて逃げろ!」
その
ニタリと嗤った男が俺に襲いかかってきた。
意識を切り替え、頭の中でカチリと小さく音が鳴る。
それと同時に視界に映る全ての動きがスローになる。瞳に爛々と憎しみの闇を輝かせ、歯を剥き出しにしながら嗤う男は俺の喉に狙いを定め、獣の如く伸びた爪を突き立てる。
「っ─────!」
即座に首を傾け避けようとするもかわしきれない。
致命傷こそ避けられたものの、避け切れなかった代償は頬に切り傷として刻まれる。
とはいえ死を避けられた事には間違いない。すぐさまその場から後方に飛び退いて相手との距離をとる。
男はそんな俺を嗤顔のまま眺めているだけ。
俺に視線を向けたまま、自身の爪の先に付着した皮膚と血を舌で舐めとる。
「…オ前ノ血ダ」
「…」
「モット…。モット、流セ」
血を舐め恍惚とするその姿は最早人ではなく、憎しみに堕ちた怪物。
ぞくりと奔る背筋の寒気を無視して、向かってくる怪物を迎え撃つ。
この男の身体を動かしているのはあの男神の意思で間違いないだろう。先程から何やら発せられる声が二重になっている事は気になるが、身のこなしから察するにあのチャラ男がこれをしているとは思えない。
だが、防御に差し出した腕から伝わってくる拳の衝撃は明らかに人間のそれを越えている。
今、俺は星詠みの瞳の力で身体能力の底上げを行っている。以前、朔夜さんと戦った時と同じく、全力を注いでいる。
だというのに、少しでも気を抜けば力負けしそうになる。伝わってくる衝撃に思わず顔をしかめてしまう。
俺が言うのもあれなのだろうが、人間が出して良い贅力を完全に逸脱している。
「っ!」
回し蹴りが左方からこめかみ目掛けて迫る。
即座に左腕を割り込ませて防御の体勢をとるが、男の足は防御ごと俺の身体を吹き飛ばす。
鈍い音と共に浮く両足。踏ん張る事が出来ないまま身体は後方へと傾き、背中から地面に倒れ込む。
「ごほっ、はっ…!」
数メートル程吹き飛び、その勢いのまま叩き付けられた背中の痛み。肺にまで衝撃は伝わり思わず咳き込む。
それでも目を閉じる事はなく、視線は男から逸らさない。
「千尋っ!」
「ナツメ、足を止めるな!」
だからこそ、男の後方でナツメが足を止める所を。そしてナツメの声に反応し、男が振り返ってナツメへと視線を向けた所を見逃さずに済んだ。
「余所見を─────」
「ッ!」
「するなぁっ!」
故に、奴が狙いをナツメに移す前に間に合わせる事が出来た。
直前に視線がこちらを向いたのに構わず、奴の横顔に回し蹴りを喰らわせる。
それは先程の再現の様に。俺がそうだった様に吹き飛び、転がっていく。
それでも大してダメージはないのか、すぐさま体勢を整え両足を地面に着き、踏ん張って勢いを止める。
「何をしてる!早く逃げ─────」
立ち止まったまま事を見守るナツメに向かって声を荒げる。
だが言葉を言い切る前に、ナツメ達を狙う獣の姿を視界に捉えた。
その獣は三本の尾を持つ狐の姿をした、以前に俺を襲ってきたあの狐で間違いなかった。
ナツメは気付いていないが、ミカドは殺気を感じ取ったのか狐がいる方へと視線を向ける。
しかし、遅い。ミカドの防御は間に合わない。俺もこの位置からではどうする事も出来ない。
あの狐の視線、殺気の先から狙いはミカドらしいがナツメの肩に乗っている以上ナツメごと押し潰されるのは必定。
俺はただその光景を見ている事しか出来ない。
「ナツメっ!」
名前を呼ぶ。俺の声に反応してナツメの視線がこちらを向く。
ナツメに向かって駆け出し、手を伸ばすが到底届く距離ではない。
今の俺にはナツメを救う手立てはない。救う事は出来ない。
「…来タカ」
小さく男の声が耳に届いたその直後だった。
黒い影が猛スピードでナツメの眼前に割り込み、そして高い金属音が鳴り響く。
「─────」
目の前に突如現れた存在を視認した瞬間、狐がその場から飛び退いて距離をとる。
一方突然の乱入者は右手に握った刀を一度振るい、切っ先を狐に向けながら視線を背後、ナツメとミカドの方へ向けた。
「朔夜様…!」
「走るんだ。どこでもいい、とにかくここから離れて」
突然現れ、ナツメを守った乱入者である朔夜さんは視線を背後に向けながらナツメとミカドに向けて告げる。
一瞬、心配そうに揺れるナツメの視線と目が合う。
今すぐにでも飛び込みたい。ナツメの瞳はそんな気持ちを雄弁に語っていた。
「逃げろ!早く!」
「─────っ」
ナツメが俺を思ってくれる事は嬉しい。しかしそれを許す訳にはいかない。
有無を言わさずナツメに逃げろと叫ぶと、悲しげに顔を歪ませてナツメが駆けていく。
「
鳥居へ走る、見える背中が小さくなっていくナツメに男神が反応する。
男神ではない声で、男神ではない誰かがナツメの名前を呼びながら立ち上がり、ナツメの背中を追い掛けようとする。
男神が追跡の足を踏み出すよりも先に懐に飛び込む。
数メートルの距離を一瞬にして詰め、がら空きの顎に向かって拳を振り上げる。
「
「くっ…!」
俺の拳は狙い通りに命中する事はなく、直前に掌に掴まれ阻まれる。
ならばと掴まれた拳を振り払ってその場から離れようとするが─────
─────振り払えないっ…!
ガッチリ掴まれた拳は解放されず、拳を覆う男の五指が食い込む。
強烈な痛みに顔をしかめながら、尚も拳を引き抜こうと試みるも男の手を振り払えない。
「何度モ何度モ、邪魔ヲッ!」
「このっ…!」
振り払えないのなら、離させれば良い。
空いている左手を握り、顔面目掛けて突き出す。
「─────」
憎しみに満ちた男の目がギョロリ、と俺の左手の動きを追う。
それと同時に右足を地面から離し、男の足を狙って払う。今、男の目は俺の左手に向けられている故に足の動きは見えていない。
「ッ!?」
目論みは成功し、足払いを受けた男の体勢が傾く。先程と同じ様に拳の軌道上に掌を向けて防御をしようとしていた男が目を見開きながら視線を下に向ける。
今頃気付いても遅い。体勢を崩した男に防御の術はない。俺の拳は狙い通りに男の左頬に命中し、男の身体は後方へと吹き飛ばされる。
その際に一瞬意識が抜けたか、俺の右手を掴んでいた男の手から力が抜けて右手が解放される。
拘束から解き放たれ、自由になった拳を握り吹き飛んでいく男に追撃をかける。
男との距離を詰め、左掌と左足を前に、引き溜めにした右拳の狙いを定める。
狙うは先程と同じ顔面。だが今度は頬ではなく正面、鼻っ柱を打ち抜く。そう心に定めながら溜めに溜めた力を解放して拳を突き出す。
「─────」
直後、男の目がこちらを向く。浮いていた男の両足が地面に着き、踏ん張りを見せる。
視界の端に男の右拳が握られているのが見えた。
構わない。このまま拳を突き出せば相手に体勢を整える時間はない。体勢が不十分ならば力比べでも勝ち目はある。
突き出した拳に奔る衝撃、それと共に拳に、腕に、全身にまで伝わってくる強烈にこちらを押し込もうと反発してくる力。
確かに強烈だが─────いける。やはり相手の体勢が不安定なのが幸いしたか、このまま押し込める。
確信を胸に、左足を踏み出して体勢を前に、右の拳に更なる力を込める。
─────なんで
耳に聞こえたのとは違う感覚。声が聞こえたのではなく、声が響き渡ったといった方が感覚としては正しいか。
─────どうして
再び響き渡る声。どこからその声が発せられているかは分からない。
だがこの感覚には覚えがある。耳に届くのではなく、頭の中で声が響き渡る様なこの感覚。
─────俺の方が先だったのに
そう、まだステラがオープンする前。墨染さんと火打谷さんがステラでバイトする事になってすぐの頃か。明月さんと一緒に涼音さんの部屋に侵入したのは。
あの時俺は涼音さんの部屋で飛び回る大量の蝶の声を受け取った。大量の死者の無念の声を背負い、気を失った。
─────なんでお前なんだ
今の感覚はまさにあの時と似ている。違うのはあの時のように聞き取れない程に無数の声を受け取っている訳じゃない事。
─────なんで俺じゃないんだ
その声に聞き覚えがあり、その主が分かってしまう事。
「先ニ四季サンヲ好キニナッタノハ俺ナノニッ!!」
「っ!」
吐き出された叫びと共に拳を通して伝わってくる力が大きくなる。
こちらも姿勢を低くして体勢を固く整えながら、押し込まれないよう注意をしつつ力を込める。
自由の筈の左手を使う気配は感じられない。それでも一応左手の動きにも注意を払って一歩、左足を前へと踏み出す。
「クッ─────!」
男の口から苦悶の声が漏れる。
それと同時に、拳を突き合わす男の右腕から突如血が噴き出した。
「!?」
一ヶ所だけじゃない。先程血が噴き出た箇所から、男の拳から、手首から、肘から、二の腕から、肩から。
まるで自身に備わった力に肉体が耐えきれていないかの様に。男の肉体が徐々に傷付いていく。
「なんで…そこまでっ」
何故、そんなになってまで。いや、そうじゃない。俺が知りたいのは
「なんで、そこまで好きなのに─────あんなっ…!」
この拳を通して伝わってきた、星詠みの瞳で読み取ったこいつの想い。
どうしてそこまで純粋に人を好きになって、それであんな風になってしまったのか。何を、どこから間違えてしまったのか。
俺を憎んで、こんな風に堕ちてしまう程にナツメを好きだったこいつが、何故。
知りたい、と思ってしまった。そんな俺の欲求を、瞳は読み取ってしまう。
「─────」
故に、星詠みの瞳は働く。俺の欲望を叶えるべく、俺と同じ女の子に恋をした男の記憶を覗くのだ。