喫茶ステラと死神の蝶と見える人   作:もう何も辛くない

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はず!


第八十三話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~Another View~

 

 墨染神社に背を向けて、千尋に背を向けて逃げ出してからどれくらい時間が経っただろう。

 ただただ走り続け、境内を出てすぐには聞こえていた戦いの音はすっかり耳に届かなくなって、今は私達の走る音と荒い息遣いの声だけ。

 

 今すぐにでも引き返したい。引き返して、千尋の顔を見たい。

 千尋はどうなったの?走り続ける間、その思いだけがずっと私の胸の中でぐるぐると回る。

 だけどそれは出来ない。千尋に逃げろと言われたから。私があそこに戻ったとしても、何も出来ずに千尋の迷惑にしかならないって分かっているから。

 

 頭では理解できても納得してはくれない心に何度もそう言い聞かせながら走り続ける。

 神社の境内を抜けて足を止める事なく走り続けて、私の体力もいよいと限界が近づくどころかそれを越えようとした時だった。

 

「っ─────」

 

 境内を抜けてから私の肩を降りて先頭を走っていた閣下がふと足を止める。そして、勢いよく私達の方へと振り返って、私達の誰でもないどこかへと視線を向ける。

 

「…ミカド?」

 

 息を切らしながら高嶺君が突然足を止めた閣下に声を掛ける。だけど、閣下はその声に反応しない。目を見開いてどこかに視線を向けたまま、その表情はどこか信じられないという逃避に満ちているように見えて。

 

「…閣下」

 

 そして、分かった。分かってしまった。今、閣下がどこを見ているのか。

 

「…ナツメ」

 

「千尋に…何かあったんですか」

 

 私の呼び掛けには反応して、私を見上げる閣下に問い掛ける。

 閣下は少しの間口を開かないまま、不意に気まずそうに私から視線を逸らすとようやくその重い口を開いた。

 

「…何があったのか、詳しい事までは分からん。だが─────」

 

 閣下はそこで一拍置いてから、私が一番聞きたくなかった言葉を口にした。

 

「千尋と朔夜様の力の波動が感じ取れなくなった」

 

 誰かが息を呑む音が聞こえた。それは誰のものなのかは分からない。もしかしたら、私のかもしれない。

 それは定かじゃないけれど…、今重要なのはそこじゃない。

 

「閣下、それはつまり─────」

 

「分からない。さっきも言ったが、詳しい事までは分からない。…だが」

 

 閣下は悲痛な表情を変えない。それだけで、もう分かってしまった。

 

「二人の力は感じ取れなくなったが─────あの邪神の力は未だにはっきりと感じられる」

 

 千尋と朔夜さんは、負けてしまったのだと。

 

「─────」

 

 言葉がでない。声がでない。胸の中がぐるぐると回って感情がハッキリしない。

 

 負けた。それはつまり、死んだ?千尋が?死んだの?

 

「そんな…」

 

「…っ!」

 

 墨染さんのか細い声と、高嶺君の言葉にならない吐き捨てた怒りの声が耳に入る。

 

 私は─────何も出来なかった。嘘だと否定する事も、信じられないと吐き捨てる事も、悲しみの涙を流す事も、何も。

 胸にポッカリと穴が空いたような、そんな空虚な気持ちのまま呆然と立ち尽くしたまま。

 

「ナツメさん…」

 

「…悪いが、ここで止まってもいられない。千尋と朔夜様を退けたのなら、次の狙いは恐らく我々だ。早くここから離れよう」

 

 明月さんの声と閣下の声が耳に入ってくる。

 

 そうだ。あの神は確かに、明月さんと高嶺君を狙っている様な事を言っていた。

 それなら今すぐここから逃げなくちゃいけない。ここにいては追い付かれて皆殺されてしまう。

 

 そう分かっているのに─────。

 

 千尋にも逃げろって言われたのに─────。

 

 千尋を置いて逃げようってどうしても思えない─────!

 

「ナツメッ!」

 

 切羽詰まった閣下の声がする。だけど私の心は動かない。

 虚ろのまま、足を動かせないまま、この場に立ち尽くしたまま─────

 

「モウ少シ遠クマデ逃ゲテイルト思ッテイタンダガナ」

 

 愛する人の所に行けるのを、私は心のどこかで待っているのかもしれない。

 

「ドウヤラ観念シタト見エル」

 

「くっ」

 

 閣下が足下を駆け、私達の前に立つ。

 そんな閣下を、私達の目の前に現れた男神はただ無感動に見下ろす。

 

「…何ノツモリダ?」

 

「─────」

 

 ケット・シーを含めた幻想と謳われる生き物達は神に仕える存在。つまり、閣下にとって神は圧倒的に格が上の存在。こうして不躾に見上げる事すら本来許されない。

 

 男神に見下ろされた閣下は一瞬体を震わせ、その場で固まってしまう。

 

「ヤメテオケ、何ヲシテモ無駄ダ。オトナシクシテイレバ貴様ニハ何モシナイデオイテヤル」

 

 男神は閣下に下ろしていた視線を私達へ─────正確には高嶺君と明月さん、墨染さんに向けた。

 

「…見苦シイ嫉妬ダト分カッテハイルンダガナ。ヤハリドウモ貴様ラ二人ハ許セナイラシイ」

 

 男神はそう言いながら、こちらに歩み寄ってくる。

 

「何故ダ。何故貴様ラハ許サレタ。何故貴様ラハ許サレテ、ハツハ許サレナカッタ?」

 

 高嶺君と赤い蝶─────はつさんには奇蹟を起こす強い魂を持っているという共通点がある。

 そしてもう一つ、これは共通点とはいかなくとも類似点として、高嶺君は奇蹟を起こし、はつさんは奇蹟を起こそうとしたという所が似ている。

 

「何故貴様ラハ生キテイル…。何故ハツハ死ナナケレバナラナカッタ!?」

 

 今の男神の姿は邪神としての禍々しさを感じさせながら、それよりもどこか哀れに見えた。

 愛する人を奪われた、なのに同じ境遇の筈の別の人間は生きている。その理不尽に嘆き哀しむ一人の人間の様に思えた。

 

「ハツハ貴様ト同ジダッタ!愛スル人ヲ…子ヲ!コト、オ前ト再ビ会イタカッタ!ダガ…貴様ハ生キテ、ハツハ死ンダ…」

 

 肩を震わせ、歯を食い縛り、何かに耐えながら拳を握り締める男神。

 

 少しの間、そうして立ち尽くしていた男神は不意に拳を解いて、気付けば体の震えも収まって力を抜いていた。

 

「許セ。俺ハ貴様ラ二人ヲ自己満足ノタメニ殺ス」

 

「「っ─────!」」

 

 高嶺君と明月さんが、すぐ傍らにいる墨染さんが息を呑む。

 直後、高嶺君が明月さんを庇って前に出る。

 

「抵抗ハ無駄ダ。貴様ラヲ助ケニ来ル者モイナイ」

 

「っ…」

 

 今度は私が息を呑む番だった。

 今のこの言葉、つまり、やっぱり千尋はもう─────

 

「安心シロ。貴様ラ二人一緒ニ殺シテヤル。オ望ミナラバ、ソコノ女モ一緒ニ殺シテヤロウカ?」

 

 男神の視線が私に向けられる。そこの女というのは私の事らしい。

 

「なっ…、ナツメさんは関係ない筈です!」

 

「…ソウカ。ダガ、コイツハ柳千尋ト心ヲ通ワセテイタノダロウ?ナラバ、イッソノコト殺シテヤッタ方ガコノ女ノタメダト思ウガ」

 

 明月さんの台詞に返事を返す男神の言葉を聞いてふと思う。

 

 あぁ、そうか。死ねば千尋と同じ所に行けるんだ、と。

 死んで魂となって、それから転生して。その後に千尋と再会出来るかなんて分からないけど…、今この世界で生き続けても千尋と会える事はどうしても出来ない。

 

 それなら、いっそ─────

 

「少シ待ッテ貰ウ事ニナルガナ。柳千尋ニハマダ役目ガアル」

 

 死んでも良いのかもしれない。そう思った所で男神の言葉に違和感を覚え、顔を上げた。

 

「役目…?」

 

「アァ。星詠ミノ瞳ヲ貰イ受ケルマデ死ンデ貰ッテハ困ルカラナ」

 

「死んで貰っては困る…って、それって…」

 

 生きている。死なれて困るという事は、まだ千尋は生きている。

 千尋がどんな状態かは分からない。もしかしたらどこか怪我をしているかもしれない。

 けれど少なくとも、千尋は生きている!

 

 そう考えるだけで、空虚だった胸の中がほんの少し喜びに浸された。

 我ながら単純とは思うが、千尋が生きているだけで気力が湧いてきた。

 

「…千尋が生きてるなら」

 

「?」

 

「まだ諦めちゃ、駄目だよね」

 

 湧いた気力が決意を漲らせる。

 漲った決意が希望の言葉を口にさせる。

 

 私の声を聞いた男神は僅かに目を見開いて私を見る。

 

「…愚カナ」

 

 すぐにその目は無機質なものに戻り、呆れたように男神は頭を振る。

 

「貴様ゴトキニ何ガ出来ル。死ニタクナイノナラオトナシクシテイロ。ソウスレバ手ハ出サン」

 

「でも千尋は死ぬ。だったら私は抵抗する。貴方にとっては取るに足らないものだとしても─────全力で」

 

「─────」

 

 頭を振った後興味を失い私から外された視線が再びこちらに向けられる。

 

 視線が交わり、神の眼力が真っ直ぐ突きつけられる。それを、それ以上の決意を持って迎え撃つ。

 絶対に引かない。引いてたまるか。諦めないって決めたんだ。最後まで抵抗するって決めたんだから。

 

「…良カロウ」

 

「っ、やめて!」

 

「オトナシクシテイロ、コト。散々忠告ハシテヤッタ。ソレヲ無為ニシタノハコイツダ」

 

 墨染さんが叫ぶ。その叫びは男神の耳には届いたが、心には届かない。

 

 高嶺君と明月さんは動かない。いや、動けないんだ。今にも私に向かって飛び出そうとする両足は、神の神気によって動かない。

 

「貴様。名ハ」

 

「…貴方に覚えて貰いたい名前なんて持ち合わせてない」

 

「─────ククッ」

 

 有無を言わさない迫力と共に突きつけられた問い掛けに精一杯の強がりを込めて返すと、男神は一瞬呆気に取られた表情を浮かべてから愉快そうに笑みを溢した。

 

「女。貴様ノ顔ハ覚エタゾ。トイッテモ、貴様ハ不愉快極マリナイノダロウガ」

 

「…本当にそうね。今すぐ忘れてほしいくらい」

 

「ハハハッ!ソレハ無理ナ相談ダ!貴様ノ様ナ()()()()()()()()()()()ダカラナ!」

 

 さっきまでとは打って変わって、本当に楽しそうに笑う男神はこれから私達を殺そうとしているとは思えなかった。

 しかし、その表情に笑みを浮かべながらも次に私達を射抜いた彼の視線は殺意に満ちていた。

 

「モシ俺ガハツニ出会ッテイナケレバ─────貴様ガ柳千尋ニ出会ッテイナケレバ、ドウナッテイタノダロウナ」

 

 男神が私の方に歩み寄りながらそんな事を口にする。

 

 そんな仮定の話なんてどうでもいいけど─────どうでもいい筈なんだけど、死ぬ直前だからだろうか。その仮定についてふと考えを馳せた。

 もし千尋に出会わず、この男神もこんな風に邪神にならないまま私と出会っていたら。さっきみたいに私と話してこの男は笑ったのだろうか。はつさんの様にこの神に興味を持たれていたのだろうか。

 

 ─────ううん、多分それはないかな。

 

 そこまで考えて、私はその可能性を否定した。

 だって、私が千尋と出会う事がない未来。それはつまり、千尋に救われる事なく私は過去に囚われたままだという事なのだから。

 そんな私にこの男神は興味を持たないだろう。死を受け入れて、何もかもを諦めていた私になんて間違いなく興味を持たないだろう。

 

「…三人とも、逃げて」

 

「ナツメさん…!」

 

「閣下も、早く三人を連れて逃げて。私は…ここで」

 

「駄目です!ナツメさんも一緒に…!」

 

 勢いよく頭を振る明月さんも、高嶺君も墨染さんも閣下も、最後まで私を見捨てようとしない。

 

「最後まで諦めないって言ったじゃないですか!それなのに、どうして…!」

 

「…千尋なら、こうするだろうから」

 

 明月さんにどうして、と問われてすぐ、私は答える。

 千尋なら、もし千尋が今の私の立場にいたなら、同じ事をするだろうから。

 現に墨染神社で、千尋は自分を残して逃げろと私に言った。

 

 だから、私は─────

 

「─────ナニ?」

 

 千尋の恋人として、最期まで誰かを守る姿勢を貫きたい。そう口にしようとした時だった。

 不意に男神が足を止め、何かに驚いたように目を見開くと、戸惑った様子を見せながら右手で胸を押さえる。

 

「バカナ…!何ガ起キテ─────ゴフッ!?」

 

 かと思うと突如苦しみだし、体を前傾に折り曲げて咳き込んで口の中から赤い液体を吐き出す。

 それが血だと分かったのは、吐き出されたそれがコンクリートの歩道に落ちてからだった。

 

「朔夜ガ…イヤ、奴ハアノ空間ヲ破ル程ノ力ハ持ッテイナイ筈…!ナラバ一体─────」

 

 苦しみ出した男神を目の当たりにして困惑する私達だが、それ以上に困惑しているのは当の本人である男神だろう。

 その男神は必死に状況を整理しようとする中、不意に何かに気付いた様に私達の方に視線を向けると大きく目を見開いた。

 

「…?」

 

 いや、男神が見ているのは私達じゃない。私達の誰でもない、視線は確かに私達の背後に向けられている。

 それに最も早く気付いた私が男神が視線を向けている背後へと振り返る。

 

「あ─────」

 

 そして、私もまた男神と同じ様に驚きに目を見開いた。そして、背後にいた()()視線が交わったと同時に堪えきれない微笑みが溢れる。

 

「何故ココニイル…、ドウヤッテアソコカラ抜ケ出シタ…?イヤ、ソンナ事ハドウデモイイ!何故ダ!何故─────」

 

 私だけじゃない。閣下達もたった今この場にやって来たもう一人の存在に気付き、そして安堵の笑みを溢す。

 

 一方の男神は─────彼に向けて強烈な憎悪を向けながら叫んだ。

 

「何故、残リ数分ヲジットシテイラレナカッタ!」

 

「…ふっ」

 

 邪神の憎悪を一心に受けている筈の彼は、まるで平気そうにただ一笑に付す。

 

 それだけじゃない。今の彼が見ているのは自身に憎悪を向けている男神ではない別の誰か。

 

「待ったか、ナツメ」

 

「…大遅刻。落とし前はつけて貰うからね」

 

「そうか。…それは大変そうだ」

 

 彼は私の台詞に観念する様に小さく頭を振ってから、笑みを浮かべたまま歩き出す。

 

「少し待っててくれ。ミカド、ナツメ達を頼む」

 

「…貴様に聞きたい事が山程ある。だが…、聞くのは全て終わってからにしてやろう」

 

「助かる。正直、あまり時間がないんだ」

 

 閣下と言葉を交わしてから高嶺君から順番に明月さん、墨染さんと視線を交わして、私とすれ違う。

 

「じゃあ、ちょっと行ってくる」

 

「…うん。行ってらっしゃい、千尋」

 

 彼─────千尋は()()()()をその手に、私達の前へと出て男神と対峙した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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