邪神が自身に向けられる刃の切っ先を見つめ、不意に大きく息を吐く。
始まりは冷たい風が俺と奴の間を通り抜けていった直後、甲高い金属音と共に告げられた。
ぶつかり合うは星によって生み出された神剣と邪神の腕。振り下ろされた刃と振り上げられた腕は交わり、両者の力は拮抗する。
「ッ─────」
拮抗したが、先にこの拮抗から逃げ出したのは邪神の方だった。
無理やり自身の腕に圧し掛かる刃を振り払い、俺から距離を取る。
そんな奴を俺は追う事はせず、一振り刀で空を切ってから再びその切っ先を邪神に向ける。
「…ソノ刀ハ何ダ」
邪神はその腕に付けられた
その返答として俺が選んだ行動は無言の疾走。地面を踏み出し、今の状態から受けられる神力の恩恵を存分に使ったフルスピードで邪神の懐へと潜り込む。
「チィッ!」
今度は振り上げる刃に神力を込める。これにより刃の威力、切れ味は急激に増して邪神の腕を斬り落とす事が出来る、筈だった。
奴もこの刀の正体こそ掴めずにいるもののその危険性は察していたらしく、防御のために差し出された腕に神力を纏わせる。
それによって強度が増した邪神の腕は傷一つつく事無く、真っ向から刃を受け止める。
劈く金属音が鳴り止む前に連撃を仕掛ける。上下から、左右から、邪神の肩を、足を、時に急所を狙って振り上げ、振り下ろし、突き出す。
俺の攻撃を邪神は両手に神力を纏わせ全て捌きながら時折俺へ反撃をしてくる。
邪神からの反撃はその全てが刃での防御が間に合わないタイミングで繰り出された。
だが刀以外で防御手段がない訳じゃない。俺も邪神と同じく、刀を握っていないもう一方の腕に神力を纏わせ邪神の拳を受け止める。
「何故ダ…、何故ッ!コレ程ノ力ヲ一体ドウヤッテ!」
「もうお前には分かってるんじゃないのか?その手でこの刀に何度も触れてるんだ、気付かない筈がないだろ!?」
「ッ─────!」
掌で受け止めた邪神の拳をしっかり掴み、邪神の首元目掛けて刃を袈裟気味に振り下ろす。
邪神が拳を引き抜こうとしたのは一瞬、抜けずに表情を歪ませたその直後、邪神は思い切り俺に掴まれたままの拳を振り上げた。
「なっ!?」
両足が地面から離れ、体が持ち上がる。
「ヌゥンッ!」
驚くのも束の間、邪神は持ち上がった俺の体を地面に叩きつけようと拳を振り下ろす。
その前に邪神の拳から手を離し、何とかその場から逃れる。
結果的に邪神に体を投げられた形になり、後方へと吹き飛ばされる。
両足と片手を地面に着き、踏ん張って投げられた勢いを収めてから前を向く。
「─────」
その時にはすでに、邪神は俺との距離を詰めて拳を腰溜めに構えていた。
即座に体を翻し、その直後、先程まで俺の心臓が位置していた場所を邪神の拳が通り過ぎていく。
『埒が明かないね』
再び刀と邪神の拳を交わらせた直後、頭の中で声が響く。
この声に邪神が反応する様子は見られない。当然だ。この声は今、俺にしか聞こえていない。
この瞬間、彼女と一つになっている俺にしか。
『このままじゃ君の限界が先に訪れてしまう。その前に奴を消す』
邪神と連続して交錯しながら、隙を見つけてその場から後退して距離を取る。
『やり方は覚えているね?私達の全力を刃に乗せる』
右手で掴んでいた束にもう一つ、左手も重ねる。
朔夜さんの言う通り、覚えている。
この魂が、邪神の滅ぼし方を知っている。
「ッ!?」
星詠みの力を通して得た神力と、朔夜さんから送り込まれた神力。そのありったけを両手を通じて刃に流し込む。
流し込まれた神力によって、刃が輝き出す。
やっている事自体はあの空間を切り裂いた時と同じ。
だが、あの時よりもさらに強く、多くの神力を刃に流し込み続ける。
「クッ!」
その光景を前に足を止めていた邪神が動き出す。
神力のチャージを阻害する事を選択した邪神は、瞬きするよりも速く俺の目の前に辿り着き、その手を伸ばす。
ただただ愚直な、分かりやすい正面からの攻撃─────という訳でもない。
今、この刃に溜め込まれている神力は膨大なもの。通常、それ程の神力を溜め込みながら自由に動き回る事は不可能といっていい。
それを分かった上での最短、最速の攻撃を邪神は仕掛けてきている。
確かに邪神がとった選択は最善のものだった。普通ならば。
「─────何故、動ケル」
突き出された邪神の拳を、右足を引いて半身になって躱す。
自身の拳が空を切ったその事実を信じられず、呆然と見開いた邪神の瞳が俺を映す。
俺が一人だったなら、神力を留めるための集中をほんの少しでも阻害されれば溜め込まれた神力は霧散していただろう。
だが、俺は一人じゃない。操縦権は俺にあるため神力の使用、移行こそ出来ないが、俺が刃に溜めた神力を留める事ならば朔夜さんにも可能だった。
「ぁぁぁぁあああああああああああああ─────!!!」
限界まで溜めた神力を二人で留めながら、邪神を見据えて刃を振るう。
「俺ハ─────マダッ」
邪神が逃げ出そうと、この場から離れようとするが間に合わない。間に合わせない、逃がしてたまるか。
「消ぃえぇろぉぉぉぉおおおおおおおおおお!!!」
「オノレ─────」
左足を踏み出して、後方へ逃げようとする邪神との距離を詰める。
内心、逃げられない事を察しているのだろう。呪い殺すと言わんばかりの視線を向けられる。
構うものか。始まりは純粋な恋心だったのかもしれない。だが、もうそれで片付けられない域にまでこいつは足を踏み入れてしまった。
そうなった以上、邪神に成り下がったこいつの末路は決まっている。
「柳、千尋ッ─────」
刃が邪神の胴体を切り裂く直前、怨嗟の声が俺の名を奏でた。
だがその声が、俺の名が辺りに響き渡る事はなく─────
邪神の半身は高らかに宙へと飛び上がり、鮮血を散らしながらコンクリートの上へと落ちるのだった。
~Another View~
視界が宙へと浮き、ぐるぐると回る。
そんなあり得てはいけない状況の中で、何故か俺の思考は冷静だった。
頭の中で直前に起きた事を整理して、何故こんな事になっているのかを理解する。
要するに、俺は負けたのだ。柳千尋に斬られ、奴と朔夜に敗れたのだ。
三百年間、この時のためだけに生きてきたのに。力を蓄え続け、ようやくはつを生き返らせる事が出来ると思ったのに。
三百年間夢見続けた生活を、やっと実現させられると思ったのに。
こんなにもあっさりと、俺の夢は破れてしまった。一人の人間と、一人の神擬き如きに。
『私はこんな事を望んではいませんでした』
不意に聞こえてくるその声は、三百年間愛し続けた人間の声だった。
落下していく視界の動きがスローモーションになる。遅延していく世界の中で、愛しい声は更に聞こえてくる。
『貴方様がこんな姿になる事を、望んではいませんでした』
聞き通りが良い涼しい声はどこか悲しげに俺に語り掛けてくる。
その声を耳だけではなく全身に染み渡らせながら、俺はかつてのはつとの会話を思い出していた。
『…お前は言ったな。いつか俺を絶望から救ってくれる人間が現れると』
『…はい』
『お前の言う通り、待つべきだったのかもしれん。だが…、俺にはお前以外に考えられなかった。俺を救ってくれる人間はお前だけだと、そう信じていた』
信じていた存在を奪われたからこそ、湧き上がる憎悪が止められなかった。憎悪に身を任せるしかなかった。
そうしなければ俺自身が壊れそうだったから。憎悪と悲しみに耐えられなかったから、邪神に身を堕としてしまった。
『俺は、お前を愛する資格などなかったのかもな。お前の言葉を忘れ、怒りを当たり散らし、人間を殺し回った』
『…』
『…こんな俺がこうしてお前と話せる事すら奇蹟と思える。生まれて始めてこの星に感謝出来た気がするよ』
柳千尋に斬られる前は─────はつと再び言葉を交わすまでは、あんなにも心を怒りと憎しみが満ちていたというのに。
今では胸の中で渦巻いていた負の感情の一切が消えて、こんなにも穏やかな気持ちでいられる。
斬られたというのに。志半ばで敗れてしまったというのに。このままはつに見守られながらなら、地獄に落ちても良いとすら思える。
それ程までに、俺の中で渦巻いていたいた憎しみは失われていた。はつと再び言葉を交わした、たったそれだけの事で。
『行きましょう』
『…いいのか?ことと話をしなくても』
『彼女はもう、私の娘ではありませんから。…またお母さんと呼んでくれた、それだけでもう充分です』
妥協でも諦めでもなく、はつは心の底から充分だと言った。もう何も未練はないと、現世に留まる必要はないと。
俺に、共に行こうと手を差し伸べた。
『そうだな、行こう。─────だが』
差し伸べられたはつの手を取る前に、奴の背中を見る。
俺を斬った、忌々しい男の背中を。全て終わったと
『その前に一つだけ、やり残した事を片付けてくる』
そんな奴の背中に向けて愉悦の視線を向けながら、最期の力を振り絞った。
「千尋っ!」
分かたれ横たわる奴の半身を眺めていると、背後から俺を呼ぶ声がした。
それと同時に、複数の気配が近づいてくる事に気が付いた。
その気配の正体に、彼女達が近づいてくる足音についつい表情を和らげながら振り返る。
振り返った先には俺が思っていた通り、ナツメ達がこちらに駆け寄ってきていた。
俺の無事な姿を見て笑顔を浮かべて、全てが終わったのだと安堵しながら、
『まだだっ、千尋っ!』
緊迫した朔夜さんの声を感じた時には遅かった。
死んだと思っていた奴の顔は
この時点で俺はとある二択を迫られていた。どちらを救い、どちらを諦めるのかを。
いや─────確かに選べる選択肢は二つだったのだが、二択ではなかった。
何故なら、二択を迫られた瞬間に俺はどちらを選ぶのか即決していたのだから。
「ナツメ─────!」
すぐに体を奴が持ち上げた腕とナツメが立っている場所を繋ぐ直線上に割り込ませる。
その直後だった。腹部に熱い感覚が奔ったと同時、視界が真っ赤に染まったのは。
「─────」
奴は俺を見ながら笑っていた。
それは無邪気な、ざまあみろとでも言いたげな顔で、倒れゆく俺の姿を眺めたまま消えていった。
満足そうに、心残りはないと言わんばかりのスッキリとした顔で。
最後の最後で油断した。お陰で見事に一杯食わされた。
それでも。
「ちひ…ろ…?」
残された力で振り返って、背後のナツメを見る。
両足でしっかりと立って、傷一つついた様子のないナツメの姿を見て、安堵する。
この身は邪神の最期の悪足掻きを後ろに通す事なく受けきったのだと。
最期まで愛する人を守りきれたのだと。
「ナツメ」
言いたい事はたくさんある。その中で、愛する人に送る最期の言葉として俺は選んだ。
「生きろ」
これからも生きてほしい、と。
生きている姿を見させてほしい、と願いを込めて。
~Another View~
倒れ横たわった体が、溢れ出る血に沈んでいく。
私を愛おしく見つめていたその瞳にはもう光は差さず、景色を映す事もない。
「うそ、だろ…?」
さっきまででは考えられない程に静まり返る中で、呆然と高嶺くんが呟きを漏らす。
終わったと思っていた。全部が丸く収まって、また明日から愛する人との日常が続くのだと思っていた。
それは勘違いだと私に突き付けた元凶はもういない。影も形もなく、最期はあの憎しみに満ちた顔が嘘のように満ち足りた表情で消えていった。
私達全員が目の前の現実に呆然とする中、明月さんの肩に乗っていた閣下が地面に降りて、千尋の体に歩み寄る。
血溜まりで足が濡れる事も厭わず千尋の顔の近くで足を止めた閣下は、そっと千尋の頬に手で触れて、少ししてから手を離す。
そして、私を見上げて首を横に振った。
「柳さん…」
「そんな…!」
その無言の行動が何を意味するかはこの場にいる全員、私も例外ではなく理解した。
正真正銘、私の恋人は死んだのだ。目の前にあるのは死体。
もう二度と私を抱く事も、触れる事も、呼ぶ事も、動く事さえしない生を失った死体なのだ。
「─────」
全身から力が抜けて、膝から崩れ落ちる。
「千尋」
手を伸ばす。が、ここから伸ばしても到底千尋まで届かない。千尋に触れるにはもっと近付かなければならない。
千尋に近付かなければならないのだ。
「千尋」
力なく手を伸ばしたままもう一度千尋の名前を呼ぶ。当然、返ってくる返事はない。
「千尋」
でも私には何度も名前を呼ぶ事しか出来なかった。
知りたくなかったから。
千尋に近付けば、千尋に触れれば、否応なしに千尋が死んだと思い知らされるだろうから。
「ナツメさん…」
「お願い」
動く事も出来ず、ただ私は声を上げる。
「私を呼んで」
「私に触れて」
「私を抱いて」
「千尋」
何を言っても千尋の体は動かない。返ってくる返事もない。
当然だ。
「やれやれ、見ていられないね」
必死に遠ざけようとしていた現実がついに私にも突き付けられようとしたその時、この場にいる誰のものでもない声が響き渡った。
一瞬、思考が停止し呆けた直後、千尋が握っていた刀が輝きだした。
その輝きは強くなっていき、やがて目を開けていられなくなる程までになり─────今度は次第に輝きが弱くなっていくのを感じ、堪らず閉じていた目蓋を開けた。
「朔夜様…?」
さっきまでいなかった筈のその人の姿を見て最初に反応したのは閣下だった。
刀が発した輝きが消えると、さっきまで刀を握っていた千尋の右手付近にその人は、朔夜さんは立っていた。
「四季ナツメ。こうしてただ見ているだけでも君が絶望しているのがよく分かる。三百年前の彼を思い出させる程にね」
それは朔夜さんの皮肉なのだろう。彼女の口から発せられる声には棘があるように思えた。
けれど、私の心には届かない。何も響かない。苛立ちも、悲しみも、私の心からは何も湧いてこない。
「…重症だね、これは。この様じゃ私は心配になってしまうよ」
朔夜さんが言う言葉が入ってくる耳から反対の耳へと抜けていく。
頭の中に内容が全く入ってこない。
「これから君に千尋を任せようと思っていたのに」
「─────」
そんなポンコツの状態の私でもその名前を聞き流す事だけは無意識の内にでもしなかった。
千尋の名前を認識して、今朔夜さんが口にした台詞を反芻して、頭が混乱したまま顔を上げて朔夜さんを見上げる。
「それって、どういう…」
「…」
朔夜さんは何も返事をしなかった。
ただ微笑み、少しの間私を見つめてから視線を切ると、腰を下ろして両膝を地面につく。
血の色に朔夜さんが履いているデニムが濡れても彼女は構う様子もなく、そっと両手を千尋の腹部の傷口に当てた。
「私が生き続けた目的を君に託すよ、四季ナツメ」
朔夜さんが私に向けてそう告げた直後、彼女の両手が淡く光り出す。
いや、それだけじゃない。彼女の両手を包む光は傷口を通して少しずつ千尋に注がれている。
「朔夜様、何をっ!」
私達には朔夜さんが千尋に何をしているのか分からず、ただ見ているだけしか出来ない。
ただ一人、私達の誰よりも長く生き、物事を知っている閣下だけはその光景を見て驚愕し、朔夜さんに喰い掛かった。
「何だいミカド。見ての通り今私は忙しいんだ。後にしてくれないか」
「バカなっ!貴女が今仕出かしている
千尋に何かをしようとしている張本人である朔夜さんは勿論、朔夜さんがしようとしている事を察している閣下との間でならば通じる言葉も、未だ何も呑み込めていない私達には二人の会話の意味がさっぱり分からない。
「閣下。朔夜様は何を…」
「…」
明月さんが険しい表情を浮かべている閣下に問い掛ける。
閣下は千尋と向かい続ける朔夜さんを睨んだまま、やがて一つ大きく息を吐いてから口を開いた。
「あのお方は─────千尋を生き返らせようとしている」
「え…?」
そして、閣下が発した返答はあまりに衝撃的で、同時に絶望に沈んでいた私の心に僅かな光を与えた。
けれど、驚くべきなのは今じゃなく、これからだったのかもしれない。
「自身の全てを犠牲にしてな」
険しい表情を浮かべたまま、閣下は重々しい口調でそう続けていた。
残り二話+あとがき
の予定