「大量の蝶?」
平日ながら、今日は講義を一コマも入れていなかったために完全休日、だったのだが。とはいえバイトはある。
しかしまだオープンしていないため、正確なシフト時間は決まっておらず、いつ店に行こうか悩んでいた午後の事。高嶺から急いで店に来て欲しいというLIMEのメッセージが入り、慌てて準備して店に行った。
すでに高嶺は店に来ていて、明月さん、ミカドと一緒に俺が来るのを待っていた。
そして俺が来てすぐ話に入り、高嶺が口にしたのが、大量の蝶の事だった。
昨日高嶺が言っていた、パンケーキやデザートについての当て。早速今日、その当てとなる人の弟と一緒に会いに行ったらしいのだが、その人の部屋で大量の蝶が飛び回っていたという。
何でも職場で上司と反りが合わずに仕事を辞め、その後の再就職も上手くいかずにいるという。しかも、元の職場の上司が周囲の職場に圧力を掛けているという疑いがあるらしい。
まあ、圧力云々に関しては証拠がないため何とも言えないが。
そして今、その人は弟と一緒に実家に帰っているらしいのだが。
「英断だ。蝶が集まっている場所から離す事には意味がある」
「そうなのか?それなら良かった」
「とはいえ、一定の場所に留まり続ければ、再び蝶は集まるだろう」
その人を実家に帰らせるのは良い選択だったらしい。とはいえ、まだまだ予断は許されない状況に変わりはないらしい。
「あれは俺と同じように、汐山さんも蝶を取り込んでいるのか?」
この質問から続く話は、口を挟む事の出来ないものだった。
まず、蝶が現れた事による周囲の人への影響について。
これには二つあり、一つは人の魂に取り込まれ、肥大化する場合。そしてもう一つが、蝶の思念に魂が染められる場合。
今回の汐山さんという人は後者の影響を受けているという。
本来、蝶に人の魂を染める程の力などないのだが、何らかの理由で魂が弱ってしまった場合は別の話。その汐山さんという人は、仕事に関しての件で気落ちして、魂が弱ってしまったのだろう。
最悪の場合、蝶の思念に引き摺られ、生きる事を諦めかねないという。
「…待て。大量の蝶が飛んでたって事は、その汐山って人ヤバイんじゃないか?相当影響受けてそうだけど」
「それって…っ」
「落ち着け。話を聞く限り、人の話に反応し、会話が成立していた。そうだな?」
「あ、あぁ…」
「それならまだ時間はある。全てを諦めてしまった者は、もはや何の反応も返す事はない」
時間はある、か。高嶺はミカドの言葉に安堵しているようだが、ミカドは俺の台詞を否定しなかった。
つまり、やはり蝶の影響は確実に、汐山さんの魂を蝕んでいるのだ。今、こうしている間にも。
「で、だ。この話の流れで聞くのもあれだけど、このまま聞いてるだけだといつ聞けるか分からんから聞かせてもらうぞ」
「む?何だ」
「俺が呼ばれた理由って、なに?」
冷たいと思われるかもしれないが、全く面識のない人間のピンチに危機感を覚えるほど俺は優しくはない。結局は他人事だ。勿論、出来る事があるのならしてやりたいとは思うが…、どちらかといえば人助けは進んでやらない方である。
だからこそ、俺にとって重要なのは、何故俺がこの話を聞かされているかだ。
この場には蝶について知っている四季さんがいない。しかし、俺はいる。つまり、四季さんにはこの話をすぐには伝える必要はなく、逆に俺にはあるという事。
「貴様を呼ぶように高嶺昂晴に言ったのは、我輩だ」
「…へぇ。で、その理由は?」
自ら俺を呼び出したのは自分だと名乗り出たミカドに問い掛ける。
「貴様には栞那と共に、蝶が集まっている場所に行ってもらう」
「…蝶の収集を手伝えと?前にも言ったが、俺は見えはするが他には何も出来ないぞ」
明月さんが蝶の集まっている場所に出張る理由は言う迄もなく、蝶の収集だ。しかし、それに何故俺まで付き合う必要があるのか。
出来るのは、明月さんにも見える蝶を眺める事だけだ。手伝うなんて出来やしない。それなのに、何故。
「あれから、貴様の目について調べた。だが、複数の候補にまで絞れたものの、断定までは出来なかった」
「で?」
「大量に蝶が集まっている場所に行けば、貴様の目について何か分かるかもしれん」
俺の目が蝶や霊などの超常的な存在を捉える事は既に説明した。しかしそれだけのヒントでは俺の目がどういったものなのか分からず、結果ミカドと明月さんが調べてみるという結論に至ったのだが。
結局、俺の目については分からず終いだったらしい。
だが、ミカドの台詞は一体どういう事なのか。
「なに、どうもない。情けない話だが、貴様の目について、我々にはもう調べようがないのだ。だから、貴様にとって初めての、経験のない場所に行かせ、その目がどういう反応をするかを確かめる。手伝いなど期待していない。貴様が栞那についていくのは、その目について調べるためだ」
「要するに実験ってことか」
「気を悪くしたならば断っても構わない。選ぶのはお前だ」
「いや、むしろ逆だ。いいじゃん、面白いね。俺もこの目にはいい加減うんざりしてたんだ。正体が分かるかもしれないんだったら、喜んでついてくよ」
何やら勘違いされているようだが、俺は気なんて悪くしていない。もしろさっき言った通り、この目の正体が分かるかもしれないのなら、或いはそれに繋がるヒントがあるのなら、俺は喜んで明月さんについていこう。
「本当に良いんですか?危ないかもしれませんよ?」
「危なくなったら助けてくれ。俺はか弱い
「…何ですか、それ」
俺に真剣な眼差しをぶつけて問い掛けてくる明月さんに、少し茶目っ気を混ぜて答えを返す。
その試みはどうやら成功だったようで、明月さんは小さく笑みを溢した。
「それでは閣下、高嶺さん。行ってきます」
「あぁ。大丈夫とは思うが、緊急になったらすぐに念話を寄越せ」
「はい」
ミカドと明月さんが一言かけ合ってから、俺達は店を出ていく。
汐山さんの部屋は高嶺が住んでいるアパートの一室らしいのだが、その高嶺が住んでいるアパートの場所を知らない。なので俺は明月さんの後をついていくしかない。
「そういえばさ、明月さん」
「はい?」
歩いている途中、ふとある事に気付く。というか、本当に今更になって気付くのもどうかと思うが。
「部屋にどうやって入るんだ?死神パワーで何とかなるのか?」
「そんな力はありませんよ」
そう。高嶺の住んでいるアパートに行くのは良いが、汐山さんの部屋にはどうやって入るのか。今、汐山さんは実家に帰っていて、間違いなく部屋は鍵が掛かっている。
もしや死神パワーで解錠するのか、と思ったのだがどうやらそんなパワーはないらしい。
「ならどうすんの?」
「ふふ…。ピッキングは得意です」
「こそ泥かよ」
「失礼なっ」
ピッキングて、いやピッキングて…。もう少しマシな入り方はないのか。こう、窓を派手に割って入り、何かしらの不思議パワーで窓を修復する、みたいな。
死神ならそのくらいやってくれよ、お願いだよ。
「出来ないです」
「心を読まないでくれ」
なお、現実は無情である。男であれば、子供の時に一度は憧れる魔法なんかは見られそうにないらしい。
期待してたのになぁ…。何かこう、地味なやつでも見たかったのになぁ…。
ガッカリする俺に気付いているのか否か、前を歩く明月さんの足は止まらない。
時折人とすれ違い、何度か交差点を曲がり、そうして歩くこと十分程経っただろうか、比較的綺麗なアパートの前で明月さんは立ち止まった。
「高嶺さんから聞いた住所は、ここですね」
「ほう…。あいつ、結構良いとこ住んでんじゃん」
外観の綺麗さから、築数年と見える。部屋の間取りは分からないが、エントランスはオートロック式で、防犯機能は大学生が住めるアパートとしてはしっかりしている。
─────……で、…が…………に…
「?」
いつか高嶺の部屋に遊びに行こうなんて思いながらアパートを見上げていると、不意にノイズが混じったような声が聞こえてきた。
いや、聞こえたという感覚とは少し違う気がする。何というべきか、耳に聞こえたというよりは、頭に直接響いてきたという方が感覚としては近いか。
「柳さん、どうかしましたか?」
俺が戸惑っている間に明月さんは既にエントランスに入ろうとしていた。
立ち止まったままの俺が気になったのか、振り返って問い掛けてくる。
「明月さん。さっき、何か言ったか?」
「さっき?いえ、特には?」
「…そう、か」
さっきの声の主は明月さんではないらしい。いや、途切れ途切れに聞こえてきた声は男の声だったから、予想はしていたが。
しかし、ならばあの声は誰のものだったのか。気のせい、とは思わない。辛うじてとはいえ、俺は確かに感じたのだ。
「それでは、早速」
「…」
ふんす、と気合いの入った吐息を吐きながら明月さんはどこからともなく二本の工具を取り出し、鍵穴を弄り始める。
俺は作業をする明月さんの姿が歩道側から見えなくなるよう位置を計算して立ち尽くす。
たまに背後に人がいないかを確かめながら明月さんのピッキングが終わるのを待つ。
「…よし、開きました」
その一言の後、手早く道具を片付けた明月さんが扉を開ける。明月さんと一緒に建物の中に入る。
─────も…と……てい……っ…
「…」
直後、再び先程と同じ感覚。しかも、先程よりもはっきりと、そして違う声が聞こえてきた。
それだけではない。明月さんについて階段を上っている今も、声は聞こえてくる。そして、その声は大きく、はっきりしていく。
「この部屋ですね」
「…」
明月さんが立ち止まった扉の向こう側。そこが汐山さんの部屋。
ここまで来れば、もう俺の頭に響くこの声の正体は容易に予想がつく。この扉の向こうにいる
明月さんのピッキングが再び始まる。今度は先程よりも鍵の開く音がした。
建物に入る時と同じ様に、明月さんが扉を開け、続いて俺が部屋の中に入る。
声が、さらにはっきり聞こえるようになった。
玄関で靴を脱ぎ、奥の扉を開けて部屋の中へと入る。
「これは─────」
部屋の光景を見た明月さんが言葉を失う。そこまで酷いのだろうか。眼鏡をかけたままの俺にはまだ何も見えない。
声は未だ聞こえてくる。ノイズは混じりつつも、まだ言葉を聞き取れないものの、声に込められた無念、遺恨、悔恨、憎悪。それらは嫌でも伝わってくる。
俺は眼鏡を外し、この声の主の姿を目に納めようとする。
しかし、この時俺は失念していた。そして、後悔する。
この眼鏡が遮断するのは俺の視界だけじゃない。
「っ─────」
眼鏡を外した途端、体が重くなる。実際に何かがのし掛かったという訳ではない。これは飽くまで感覚的な問題だ。
しかし。
─────死にたくなかった
─────もっと幸せになりたかった
─────どうして、私だけ
ノイズが消え、言葉が俺の中に入ってくる。
それだけじゃない。俺のではない誰かの感情が、気持ちが、胸の中に無理やり入り込もうとする。
─────どうして俺を置いていったんだ
─────どうして私を捨てたの
─────どうして僕を殺したの
憎しみが、悔いが、怒りが、哀しみが、声と一緒に俺の中に入り込んでくる。
「っ…、あ…」
「柳さん?」
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
俺のものじゃない感情が溶け合い、ぐちゃぐちゃになる。その感覚は何とも形容し難い、気持ちの悪いものだった。
─────どうして
─────どうして
─────どうして
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして
「あ…ぐっ…うぇっ…」
全身を包む気持ち悪さは吐き気となって、体の中から喉へ上がってくる。堪らず蹲り、せめて吐き出さないように力を込め、掌で口を押さえる。
「柳さん!?どうかしましたか、柳さん!」
先程はきょとんとしていただけだった明月さんもここまで来れば異変に気付かざるを得ない。
蹲った俺に寄り添うようにしゃがみ込み、俺に声を掛ける。が、俺にはその声に応える余裕はなかった。
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして
呑み込まれないよう、必死に耐える。耐える内に、次第に感覚が薄れていくのが分かった。
視界が揺らぎ、流れてくる声が途切れていき、そして思考が黒く塗り潰されていく。
「大丈夫ですか柳さん!しっかりしてください!っ、閣下、緊急事態です!すぐにこちらに来て………!」
遂にはすぐ傍らにいる明月さんの声まで聞こえなくなる。
あぁ、なるほど。これが、意識を失う感覚ってやつか。
そんな風に他人事に今の感覚を考えた直後。
俺の意識は闇の中へと沈んでいったのだった。
い、一体何が起きたというんだ…!?(棒)