試合場の整理が行われ、いよいよ個人戦の決勝が始まる。初めはザワザワとしていたが、審判の紹介が始まると、すぐにしんと鎮まった。次に、選手の紹介が為される。決勝進出者の特権だ。
「男子決勝。赤、県立六ツ寺高校、新津浩二選手。白、県立中島工業高校、松川
「女子決勝。赤、県立六ツ寺高校、米倉勇子選手。白、県立六ツ寺高校、白河清美選手」
呼ばれた四人が、試合場に一歩入る。号令で正面に礼をすると、ドッと拍手が起こる。その後、互いに礼をし、三歩前に出て蹲踞をすると、会場の緊張感は最高潮に達した。
「試合開始」
その宣言の後、各試合場で審判の「はじめ」の号令がかかった。
***
松川が、蹲踞から立ち上がってすぐに気合を発しながら間合いを詰めてきた。浩二も気合を発するが、短く発声し、すぐさま上段に構えた竹刀を振り下ろした。防がれたが、そのまま体当たりする。すぐに鍔元に竹刀を持ち替え、鍔迫り合いに入った。
気合を発しながら、松川が押す。彼の方が浩二よりも小柄だが、隻腕というハンディがある以上、特に鍔迫り合いでは不利だ。浩二は松川の力をいなすにとどめ、早々に鍔迫り合いを解消した。
松川は間合いが切れると、すぐに足を使って自分の間合いに持ち込もうとした。そうして動きを見せる度に、浩二は決まらなくともメンやコテを打って牽制する。そのうち、松川は間合いを作れないと見たか、裏からのメン擦り上げメンを狙ってきた。深すぎて一本にはならなかったが、何かしらの要因があれば一本になっていたかもしれない。浩二は肝を冷やした。
(しかしこれで、勝機も見えた)
浩二はメンを打つ素振りを見せた。松川の竹刀がまた先程と同様に動く。浩二はその瞬間に、松川の左メンに強烈なメンを叩き込んだ。彼も慌てて応じるが、浩二のメンに旗が三本上がった。
「二本目!」
残り時間は一分を切っている。浩二は体感でそれがわかっていた。松川も同様だろう。グッと間合いを詰め、コテに飛んだ。しかし次の瞬間には、浩二がその出鼻にメンを打ち込む。コテを当てられた感じはしたが、勢いで押し切った。結果は、松川に一本、浩二に二本の旗が上がった。
(とりあえずこれで、自分の戦いは終わりか)
浩二はホッとした気持ちで蹲踞から礼をし、審判の号令で正面に礼をしてから試合場から出る。その時、未だ続く女子決勝をチラリと見た。そこで、信じられない光景を見た。勇子が、清美に相メンで完全に負けていたのだった。
***
勇子は、自失しかけた。少なくとも中学の時から、同級生に相メンで敗れたのは全中個人戦四回戦、
幸いだったのは、勇子が一本先に取っていたことだった。清美の竹刀を表から押さえて、手元が上がったところに打ち込んだコテだった。もしこの一本が無ければ、勇子の心は完全にへし折られていただろう。
(切り替え切り替え。これを引きずったら、清美に勝てない)
二本目の審判の合図とともに、試合時間終了のホイッスルが鳴った。延長戦開始の宣言の前に、勇子は軽く深呼吸する。今の勢いは、土壇場で取り返した清美にある。本当に、気持ちの切り替えが出来なければ負ける。勇子はそのように確信した。
(私は勝つ。清美に勝ってみせる!)
「延長、はじめ!」
その合図の直後、勇子は裂帛の気合を発した。今までで最も力強い発声だった。そのまま間合いを詰めると、清美は下がって間合いを切る。そこを追い込んでメンに飛んだ。しかし、清美はそれを竹刀で受け止めると、手首を返して胴を抜こうとする。しかし、体当たりでそれを潰した。
再び会場中に勇子の猛獣のような気合いが響く。負けじと清美も気勢を発する。鍔迫り合いは膠着し、一旦分かれてから構え直す。するとその瞬間に清美が前に詰め、勇子の竹刀が彼女の竹刀に持っていかれる感じがした。
(巻き落とし!)
清美の一番の得意技だ。清美が急に伸びたのはここ最近のことだが、巻き落としだけは入学当初からの得意技だった。だからこそこの技に対する対処は分かる。勇子が考えるより早く、体が動いた。手首を返し、露わになったコテを捉えた。その直後に清美のメンが当たった気がしたが、勇子は気にせず残心を示した。
「コテあり!」
審判の声を聞き、旗を確認してから勇子は心の底から安堵した。何とか勝てた。昨日今日の清美は見ていて強いと感じていたが、これほどとは思いもしていなかった。体のキレや気迫は最早一流選手のそれだった。勇子は彼女の手の内を知っているから勝てたようなもので、もしも彼女が知らない誰かだったら、確実に負けていた。
それに、勇子は今の勝ち方に不満を覚えていた。中心を攻めて、大技で決めるのが自分のスタイルだが、二本目は特に、清美に勝つことに執着してしまった。もちろん目的は勝つことなのだが、最後の最後に自分の技を信じて試合をすることができなかったことは、心が痛んだ。
試合場から出て、二人並んで面を外した。そして、晴々とした表情で清美が脳天気に声を出した。
「いやあ、やっぱ勇子には敵わないなー」
「そんなことないよ。私に相メンで勝ったじゃん」
「まぐれだよまぐれ。コテ二本取られて負けたってことは私が隙だらけだったってことだし」
それも否定しようとして、勇子は一旦躊躇してしまった。自分の方が強いと彼女が認めているし、実際に勝ったのは自分だった。最近力をつけてきた彼女に対して優越感に浸りたい、そのような気持ちが芽生えたが、すぐにそれを摘み取った。
(何考えてるんだか、私。驕れる者久しからずって言うじゃんか)
「こっちこそ、最後のは清美を知ってるから打てたようなものだから。次は県大会の決勝でやりたいね」
勇子はそのように言って、手のひらを差し出した。すると間髪入れずに清美はその手を強く握った。
「もちろん!」
清美の手のひらから、彼女の情熱の一端が垣間見えた気がした。力強い手と、その煌々とした瞳からは、剣道が純粋に好きな気持ちがありありと感じられた。
「良い試合だったよ、二人とも」
ふと浩二が歩み寄ってきた。その時、勇子だけにコッソリみせてくれたVサインが、彼女の心に深く刻まれた。
***
閉会式と記念撮影を経て、その日は解散となった。勇子は夕焼けを背に家に帰り、風呂に入ってから食卓につく。優勝祝いと県大会の願掛けということで、今日のメニューはカツ丼だった。
「試合見たけどさ、全体的に勇子ちょっと相手を見過ぎなんじゃないかなあ。落ち着いてるのは良いんだけど、全国見るならもうちょい積極的になった方がいいよ」
そのように話すのは、六個上の姉の紀子だった。福岡の強豪校の
「そうかな。昨日今日は全部二本勝ちだったし、二振りで終わらせた試合も多かったと思うけど」
「その中でもって話だよ。高校時代の私なら同じ二振りでも、もっと早く決着付けるよ」
「お姉ちゃんと私じゃ剣風全然違うじゃない」
「二振りでケリつけるのに剣風も何も無いよ」
紀子のいうことはもっともだった。勇子はこの後も何かと文句をつけて反抗を試みるが、全部いなされるか正論を言われた。政治家になったら大物になるのではと思ったほどだった。
あえなく反抗に失敗した勇子は、肩を落として自室に戻った。何気なしにスマートフォンを見てみると京からのメッセージが届いていた。彼女とは全中で対戦して連絡先を交換して以来、たまにやり取りをしていた。
『昨日と今日試合だったんよね? どうだったと?』
勇子はこれに対して普通に返信しようとして、何となく話してみたい気分になった。それで気がつくと、通話ボタンを押していた。
「通話するならそう言ってよ」
ややあって、通話口から京のむすりとした声が風音混じりに聞こえた。とはいえ、京の口調はそこまで怒っていない様子だった。
「ごめん。何となく電話したくなったの」
「いやまあいいけどね。で、尾張予選どうだったの」
「個人は優勝したけど、団体は私のせいで負けちゃった。個人戦も、決勝で自分らしくない試合しちゃったし」
「だから私に電話をかけたと」
電話口の向こうで、いたずらっぽく笑う京の顔が想像できた。
「心配しなくてもええんじゃない? まだ二年だし、私もブロック予選で負けることあるけん」
「そっちは福岡でしょ。ブロック予選からハイレベルじゃない。それに、全国行きたいのにこんなんじゃ来年も難しいよ」
勇子が弱音を吐くと、一呼吸置いて京が話を切り出した。
「勇子ちゃん。私と約束しよう。高校生の間に、私と公式戦で試合するの。朱雀旗とかのオープン大会でもいいから」
「突然何を」
「こうすれば、全国行くのは勇子ちゃんだけの問題じゃなくなったけん、負けられなくなるでしょ?」
無邪気な京の言葉に、勇子は胸がどきりとし、言葉を失った。様々な感情が胸に渦巻く中、京は言葉を重ねる。
「ちょっと辛いこと言うとね。勇子ちゃんてウチの上市含めて結構な強豪校からラブコールかかってたのを無視して普通の進学校行ったじゃない。それでさ、今でも『米倉は姉と違って剣道を諦めた』とか色々言う人いるんよ」
その話をされて、勇子は少しげんなりした。それは今まで影に日向に言われ続けていたことで、彼女自身へのプレッシャーにもなっていた。全中で結果を残し、強豪校に進学し、警察に奉職するという文字通り剣道のエリートコースを進んできた姉と比較されることは彼女にとって負担でしかない。
「私は勇子ちゃんが剣道諦めたわけではないし、何で六ツ寺に進んだかも知っとるけん、それ聞くとちょっとイライラするんだよ。やけん、そのイライラを解消するために全国出て、ついでに私と対戦して欲しい。陰口叩いてた連中をぎゃふんと言わせるんだよ! 私のために!」
熱く語る京に対して、なんてめちゃくちゃなことを言い出すんだと勇子は思った。しかし、嬉しくないわけではなかった。全国トップクラスで既に活躍している友人にここまで言われて、勇子も燃えないわけがなかった。
「分かった。全国行って、対戦しよう!」
気が付いたら、勇子は反射的にそう口にしていた。この瞬間、胸に湧き上がる何かで、体が破裂してしまいそうだった。