約束のケーキ   作:プロッター

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第11話:家族の話

 惜しい結果になった無限軌道杯も終わり、世間は本格的に冬一色だ。

 BC自由学園も冬休みに突入している。以前なら、寒い上に、いざこざには事欠かないこの学園で過ごす冬など、曙光にとってはただの心労の種でしかなかった。

 しかし今は、状況が今までと違う。受験組とエスカレーター組の溝は、ほぼ完全に埋まったと言っていい。おかげで、在学中の最大の悩みは解消され、幾分か過ごしやすくなったと言える。

 

「ここからここまで、全部くださいな」

「かしこまりました」

 

 そして、寄港地のケーキ屋でブルジョアな注文をするマリー。彼女の存在もまた、今の曙光が心穏やかでいられる要因の1つだ。

 

「好きだね、マリーも」

「何を食べるか悩むなら、全部頼めばいいじゃない」

 

 ふふんと得意げなマリーに、曙光は可愛らしさを抱きつつコーヒーを飲む。

 マリーと付き合い始めてから何度かデートを重ねているが、大体マリーはケーキを食べたがる。そして決まって、先ほどのように食べられるケーキは全て頼んでいた。その一見お嬢様らしそうでらしくない行動に、今や曙光はいちいち驚かなくなった。

 

「曙光だっていつも結構頼んでるじゃない」

「それでもマリーみたいに、あんなペースで食べないさ」

 

 いくらケーキが食べ放題でも、ケーキが好きでも、曙光はそんなにポンポンと頼みはしない。自分の胃の容量は弁えているし、1つ1つゆっくりと味わいたい気分だ。一方のマリーは、とにかく様々なケーキを早く食べたいタイプのようで、同じケーキ好きでも楽しみ方に違いがあった。

 そんな小さな違いに気づけるのも、こうして付き合うことができたからだと思う。

 協力関係だった時よりも近い距離で接している中で、自分たちの小さな違いにも気付きやすくなった。そして、それを拒絶せずに受け入れることも重要だと、あの内部抗争に干渉して理解しているから、マリーのスタイルにも口出しはしない。

 

「お待たせしましたぁ」

 

 やがて、色とりどりのケーキがマリーの前に並べられていき、マリーの瞳の輝きも増していく。その様子を眺めながら、曙光もケーキを受け取った。

 

「それじゃ、いただきます」

「いただきます♪」

 

 いつも通り、食材に対する最大限の敬意を払ってから、ケーキを楽しむことにする。マリーは、やはり一番の好物のモンブランから、曙光はレアチーズケーキからだ。

 

「すっかり冬になったな」

「ホントねぇ。こうも寒いと、温かいコーヒーとケーキが手放せないわ」

「いつもそうじゃないか」

 

 窓の外を眺めながら、のんびりと話す。雪こそ降っていないが、道行く人はコートやマフラーを身に纏い、どうにか寒さをしのごうとしている。かくいう曙光も今日はコート着用で、マリーだってダッフルコートとストールの防寒装備だ。

 冬になると温かい料理が恋しくなるが、マリーはいつも通りでの組み合わせを好むらしい。

 

「冬になると、マリーたちはどう過ごすんだ?」

「私の場合だと、そうね・・・家族で過ごす感じよ」

「そうなのか・・・意外とシンプルなんだな」

「年がら年中パーティとか舞踏会とか開いていたら疲れちゃうもの」

 

 ため息をつきながら、マリーはカヌレを食べる。一般市民としては馴染もないが、名家なりの苦労があるのだろう。尤も、それも曙光にとって他人事にはならなさそうだが。

 

「そうだ、曙光」

 

 カヌレを食べ終えたマリーは、コーヒーで口を潤すと、曙光のことを見る。

 

「私たちのこと、いつ家族に伝えたらいいのかしら」

 

 決して、軽い話ではないそれに、曙光もフォークを止める。

 マリーと付き合ってから少し経つが、未だそれは家族には伝えていない。だが、こうした深い関係は隠し通せるものでもなく、遅かれ早かれきちんと話を付けねばならない。それは曙光もマリーも分かっている。

 その過程で、主にマリーの家族とひと悶着起きることを、曙光は覚悟していた。何せ自分は、相手先からすればただの一般市民であり、マリーとは住む世界が違う。それに、自分の娘が通っている学校がどこかを考えれば、当然曙光含む受験組の印象も耳に入っているだろう。それも今は改善されつつあるとはいえ、そう簡単に染み付いたイメージは払拭されないはずだ。

 

「・・・まぁ、なるべく早い内がいいよな」

 

 だが曙光は、そう答えた。

 不確定要素が多すぎる挨拶など気が重いが、避けては通れない。後回しにすれば、億劫な気持ちが積もってますます打ち明けるのに抵抗してしまう。自分だけでなくマリーにも関係していることだから、決断も遅くては駄目だ。

 

「じゃあ、この冬休みの間に済ませましょうか」

「・・・ああ」

 

 それでも、マリーからはあまり気が進まなそうな感じがしない。どころか、むしろ嬉しそうな感じさえする。曙光の家族に会うのが楽しみなのか、それとも自分の家族に早く会わせたいのか。

 

「聞いておきたいんだけど、マリーの家族ってどんな人?」

「そうね・・・お父様はちょっと厳しいけど、根は優しい人よ。お母様は元戦車乗りで、穏やかって感じかしら」

「なるほど・・・不安だ」

 

 信用していないわけではないが、心理的なハードルは上がった。特に、父が厳しいという情報は聞き捨てならず、如何にして納得させるかが大きな課題となるだろう。弱音を吐きたくはないが、どうにか穏便に済ませたい。

 

「曙光のご両親はどんな人なのかしら?」

 

 カヌレを食べ終えたマリーが訊いてくる。曙光も一旦、コーヒーカップを手にするのを止めた。

 

「父さんは、まぁ結構優しい人だよ。俺のことは、のびのびと育ててくれたけど、ちゃんとしてるところもある」

「ふ~ん・・・お母様は?」

 

 続くマリーの質問に、曙光は一度コーヒーを飲む。渋い表情を浮かべるが、それは決してコーヒーが苦いせいではない。

 

「・・・それは後で話すよ」

「どうして?」

「今話すとケーキが不味くなるし」

 

 ケーキが不味くなるのは困るのか、マリーも深く訊ねてくるのを止めて、サクランボが載ったフォレノワールを食べ始める。

 そのマリーに感謝しながら、曙光も次のケーキはどれにするかとメニューを眺めた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 マリーが心行くまでケーキを食べ終えてから、曙光たちは店を出る。

 ケーキ食べ放題系の店に行って、最初にギブアップをするのは決まって曙光だ。マリーは満足いくまで食べ終えても、苦しそうにもせず余裕の表情で店を出る。果たして、食べたケーキがどこへ行くのか不思議でならない。

 

「ねぇ、曙光。さっき話さなかったご家族のこと、聞かせてくれる?」

 

 店を出て少ししたところで、マリーは改めて訊ねてくる。ケーキを楽しんで忘れていたかと思ったが、やはりマリーにとっても大事なことだからか、しっかりと覚えていた。

 問われた以上、答えねばならないので、曙光は小さく息を吐く。

 

「俺の父さんと母さん・・・離婚したんだよ。だから、今の俺に母親はいないんだ」

 

 周囲の人が少なくなったのを確認してから、明かす。マリーも、この手の話題がデリケートなものと分かったらしく、表情が暗くなる。

 

「・・・ごめんなさいね」

「いや、謝ることじゃない。教育方針のすれ違いからの離婚なんて、腐るほどある話だし」

 

 マリーに言った通り、曙光の父は物腰柔らかな性格だが、母は対照的にきっちりした性格だった。それでも、当初は仲良くやっていたのだから、いい意味で釣り合いが取れていたのだろう。

 曙光はその間を取ったような、まさに2人の子供といった感じの性格である。

 しかし、袂を分かつきっかけとなったのは、その曙光が幼い時分に『菓子職人になりたい』と言ったことだ。

 それに対し父は賛成し、母は反対。反対したのは、『職人』とは確実性に乏しくて、安定しているとは言い切れないからだった。幼い曙光にはそれがまだ理解できなかったが、今はその言葉も間違っていないと分かる。

 けれど、父はその夢を諦めさせることもできずに、意見が衝突。母も譲れずに口論になった末、離婚した。手が出なかっただけ、まだよかったと思う。

 

「俺はあの時、自分で夢を諦めることもできた。そうすれば、父さんと母さんが喧嘩することもなかったんだから」

「・・・・・・」

「けど父さんは、喧嘩している時も、離婚してからも、俺にその夢を諦めるなって言った。子供の夢を大人の都合で諦めさせたくはないって」

 

 父の言葉もあって、菓子職人の夢は諦めなかった。だが、自分のことを考えてくれる父の負担を極力抑えるため、カリキュラムが充実し、外部入学なら学費がさほど高くないBC自由学園に進学を決めたのだ。

 両親の離婚は意見のすれ違いが原因だが、よくよく考えればそれは曙光が原因でもある。それこそが、曙光が争いごとを好まなくなったきっかけだ。目の前で、自分にとっては大切な親同士が、自分のせいで争っているのを見てしまったからこそ、諍いは見るに堪えず、参加しようとも思えない。それでもあのBC自由学園に入学したのは、自分の主義より父のことを考えた結果だった。

 

「・・・それは、確かにケーキが不味くなっちゃう話ね」

「だろ?」

 

 マリーが困ったように笑うと、曙光も頷く。両親の離婚は確かに辛いが、今はある程度気持ちの整理はできている。それでも、ものを食べながら―――ましてやお互いの好物のケーキを食べながら話すものではない。

 その話を聞き終えたマリーは、大きく頷く。

 

「曙光が話してくれたおかげで、何の心配も無くなったわ」

「心配?」

「だって、曙光のお父様とお話しするまで知らなかったら、ショックが大きかったでしょうし。今曙光から話を聞いたから、気の持ち方も変わるわ」

 

 言って、マリーは歩きながら曙光の手を握る。

 

「それでも、全部が上手くいくってことはないと思うわ。特に私の家族とのことは、ね」

「・・・・・・」

「だから曙光にも、ちゃんと言いたいことを考えて、そして全部を伝えてほしい。私だって、曙光とはこの先一緒にいたいもの」

 

 見上げてくるマリーは、自信に満ちているように笑う。

 今までも、マリーと行動を共にして、幾度となくその言葉や姿勢に曙光は背中を押されてきた。マリーの言動は、今や曙光にとっては自分を支える大きな柱となっている。

 

「・・・ありがとう、マリー。俺も、認めてもらえるように頑張るよ」

 

 マリーが握ってきた手を、強く握り返す。

 すべてが思い通りに進むなどと、曙光も楽観的にはなれない。

 しかし今や、マリーは自分にとって大きな存在であり、マリーもまた曙光のことを信頼してくれている。その思いには、何としても応えなければならない。簡単にはこの関係を終わらせたくもない。

 だからこそ、相手に認められなくても、住む世界が違っても、やれるだけのことはやり遂げる。元々決めていた覚悟を、より強固にすることができた。

 

 そして、マリーの実家への挨拶は、冬休みの間で年末を迎える前と決まった。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

「結論から言うと、2人の交際は認められない」

 

 当日、マリーの父からそう言われた曙光の心はへし折れそうになった。

 屋敷と評すに値するマリーの実家に着いた時、マリーの母と使用人は温かく迎えてくれたが、マリーの父に限ってはどうも厳しい視線を向けていたので、嫌な予感はしていた。それでも、覚悟を決めていても、言われて悲しいものは悲しい。

 

「・・・理由を聞かせていただいても、よろしいでしょうか」

 

 そう尋ねる曙光は、少しでも自分をよく見せようと学園の制服を着用し、礼儀作法についても一通り勉強済みだ。

 

「君はマリーと同じBCに通っているが、俗に言う外部生なのだろう。だとすれば、君は一般家庭の出であり、マリーとはまた住む世界が違うわけだ」

 

 確かに、曙光の父は何の変哲もないサラリーマンだ。特別実家がお金持ちでも何でもない。

 言われたことは全て事実なせいで、何も反論できない。しかも、どうあがいても解決できない問題であり、曙光自身今まで何度も痛感してきたことだから、言葉の重さは相当だ。

 

「住む世界が違えば、価値観、思想、方法・・・とにかく多くのことに差がある。それが原因で、衝突することだってあるだろう。その可能性がある時点で、頷くことはできない」

 

 もちろん、それは分かっている。両親は価値観の違いで離婚し、BC自由学園だって、多くのすれ違いのせいでずっと争い続けてきた。

 

「それに外部生は、常々革命を目論んでいたと聞いている。だとすれば、君は本来マリーとは相容れない、敵対する人間だろう」

 

 傍から見れば、育ちが違う曙光とマリーは、BC自由学園においては敵対関係にある。父からすれば、外部生の曙光は、大事な娘のマリーにとって敵だ。曙光が穏健派だったことなど、向こうは知る由もない。

 しかし、そこで口を挟んできたのは、曙光の隣に座るマリーだ。

 

「でも、お父様。BCの抗争は終わったの」

「終わった?」

「ええ。私と曙光で、止めて見せたわ」

「あなたたちで・・・あの内乱を?」

 

 マリーの言葉に、両親ともども目を見開く。特にマリーの母は、BC自由学園のOGで、内部抗争についても目にしていただろうから、驚きはひとしおのようだ。

 そこで曙光も、閉ざすしかなかった口を開いて、自分の考えを伝える。

 

「確かに自分は外部生で、マリーとも分かり合えないと最初は思っていました」

「ふむ」

「ですが、マリーは本当は、俺たち外部生と自分たち内部進学生が分かり合えることを望んでいたんです。自分は行動こそ1人で起こすことはできませんでしたが、同じことを考えていたので、その気持ちはよく分かりました」

 

 自分の全てを、正直に伝える。おべんちゃらを並べたり、詳しいことをぼかすのは意味を成さないと分かっている。

 そして何より、自分の全てを知ってほしい。そのうえで、自分がマリーの隣を歩くに相応しいと認めてほしい。だから、最初は分かり合えるとは思わなかったことも、話した。

 

「お互いに同じ考えだったからこそ、自分が何か力になれればと思い、協力を申し出ました」

「曙光は私のために、私が好きなケーキを作ってくれたの。それは、本当にBCの争いをどうにかしようと思っていたからこそなの。それからも、外部生なりの意見を伝えてくれたし、私の頼みにも答えてくれたわ」

 

 曙光の意見に、マリーが付け加えてくれる。曙光だけの問題ではなかったので、同じく当事者のマリーの言葉があるのはとてもありがたい。

 そこで、黙って話を聞いていたマリーの父が、軽く手を挙げて話を止めさせる。

 

「・・・ケーキを作ってくれたとマリーは言ったが、本当かね?」

「はい。自分は将来菓子職人を目指していて、BCではその技術も学んでいます。味も、マリーのお墨付きをもらっています」

 

 問われると、曙光はその目をまっすぐに見据えて答える。マリーも頷くと、マリーの母は喜ばしそうに笑って頷いた。

 一方、父の方は未だに険しい視線を向けたままで、打ち解けられる様子がない。目で、話を続けるように訴えてくる。

 

「最初は、協力してくれたことのお礼として、ケーキを作っていました。それと同時に、どうすればお互いの陣営が仲良くできるかも、考えていました」

「・・・・・・」

「けれどその内、自分は協力してくれているからとか、お礼とか、そんなことは関係なくて・・・ただマリーにケーキを作ってあげたいと思うようになったんです」

 

 曙光は、隣に座るマリーのことを見る。今初めて、父から視線を外した。

 

「だた自分は、マリーのために尽くしたい。本当は優しくて、大きな心を持っていて、ケーキを食べると嬉しそうな笑顔を見せてくれるマリーと一緒にいたい。そんな彼女のことが、俺は好きです」

 

 今一度、視線をマリーの両親に向ける。

 その言葉に、マリーの母は小さく頷く。気持ちは分かった、と言っているようだ。

 マリーの父もまた、同じような反応を示す。

 

「・・・感情だけでは、人を支えることはできない」

 

 それでも、やはり否定的な意見を浴びせられる。

 

「君は菓子職人を目指していると言っただろう?その夢自体は素晴らしいものだとは思う。しかし、職人という道はどうにも安定しない、そんな印象を抱いてしまうがね」

 

 感情だけではどうにもならないのは、知っている。BC自由学園の内乱も、ただ平和を願っているだけでは何の進展もなかった。実際に行動に出なければ、何も変わらなかった。

 自分の目指す道が簡単ではないことも、分かっている。職人とは、基礎となる技術はもちろんのこと、時の流れに応じて新しい要素を吸収し続け、それを自らの作品に組み込んで昇華させる技術が要る。安定する印象は正直薄い。

 

「でも、お父様。私は、曙光のお菓子作りの腕は確かだって思うの」

 

 マリーは、毅然とした態度で口を開く。

 

「自分で言うのもなんだけど、私は今までたくさんケーキを食べてきて、舌にもそれなりの自信があるわ。でも、曙光が作るケーキはどれも美味しくて、口に合わない、美味しくないものなんて1つもなかった」

「・・・・・・」

「分裂していたBCの2つの陣営を納得させたのも、曙光の作ったお菓子だった。それができた曙光なら、この先も大丈夫だって私は信じてるの」

 

 長年BC自由学園の悩みの種だった内部分裂に終止符を打つきっかけとなった、チョコレートたい焼き。アイデアをマリーが発案し、曙光がそれを形にして評価を得られる出来にした。考えも、好みの味も違う両陣営を納得させられるものを作れたのは、曙光としても結構な自信になった。

 そしてそれは、ケーキが好きで、曙光のケーキをこれまで多く食べて来たマリーにとっても嬉しいことであり、かつ曙光に大きな信頼を置くことができる事実のようだ。

 

「・・・マリーは、彼のことを大切に思っていると」

「ええ。私にとって、美味しいケーキは確かに大切。だけど曙光は、やると決めたら必ずやり遂げる、誠実な人よ。努力をして必ず自分の夢を実現し、そして私のことを幸せにしてくれるはずなの」

 

 これまで曙光は、何度もマリーの頼みを聞いてきた。

 だが、一度も曙光はマリーの頼みを断ったことはない。途中で挫折して、取り下げたこともない。マリーの希望に応えようと努力を積み重ね、多くの約束を今まで果たしてきた。

 それは曙光自身、誰かの頼みを断りたくないからであり、約束は守るべきものと理解しているからだ。それを特別なことと思ったことはないが、それでもマリーは自分のそう言うところを好きでいてくれているらしい。それはとても、誇らしかった。

 

「・・・なるほど」

 

 そこでマリーの父は、納得するかのような仕草を取る。

 それを見て、曙光とマリーの気が一瞬緩むが、『だが』と続くと再び神経が引き絞られる。

 

「どれだけの信頼を寄せても、言葉と意思を持ち合わせていても・・・実際にどうなるのかは分からない。不安定なことに、変わりはない」

 

 その言葉は、曙光にもマリーにも『賛成』とは取れなかった。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 結局、その日はマリーの父から交際を認められることはなかった。

 荘厳な雰囲気の夕食を気圧されながらもやり過ごし、曙光は割り振られた来客用の部屋で静かに休む。来客用の割に、部屋は曙光の実家の私室の倍以上は優にあるし、調度品もそれなりに値が張りそうに見えるので、マリーの実家が如何ほどのものかは窺える。

 

(参ったな・・・)

 

 思い出すのは、マリーの父との話のことだ。

 ああ言えばこう言う、とばかりに何を言っても納得してもらえなかった。マリーも助け船を出してくれたけれど、それでも無理だった。

 冷静に考えれば仕方ないと、理解はしている。自分は庶民で、マリーとは雲泥の差がある。お嬢様と庶民が付き合うこと自体異例で、故に全てを疑ってかかるべきことなのだ。マリーの父の態度も、その面を鑑みれば当然の反応だろう。

 曙光も、こうなることは予想していた。しかし、実際に当人から言葉を投げつけられると、ダメージは大きい。自分はどうあがいても庶民の枠を越えられず、自分とマリーは釣り合わないと思い知らされているような感覚だ。

 

(どうする・・・)

 

 ここまで来て、諦めるつもりはない。納得してもらえないから諦めるなど、許せない。

 かと言って、どうすればいいのかはすぐには思いつかない。舌戦では勝てないのは今日で分かったし、相手が大人で人生経験も豊富だからこそ、それこそ二十年も生きていない曙光が説得力のある言葉をぶつけるのは難しい。

 それに、気になることもある。

 まず1つは、認めてなかったのにこうして曙光を泊めたこと。こんな事態になっては、泊まることさえ許さないと思ったのだが、意外にも泊まっていいと言ってくれた。曙光としては願ったり叶ったりだったが、今思うと少し頭に引っかかる。

 また、マリーの母の方も、曙光に対しては好意的でも否定的でもない態度で接していた。特に、昼に4人で話した時も、気になることに対しては問いかけたが、それ以外ではあまり口を挟まなかった。中立的な態度でいたのも、少し気になる。

 頭の中でぐるぐる考えると、サイドテーブルに置いていたスマートフォンが電話の着信を知らせる。相手はマリーだった。

 

「もしもし?」

『こんばんは、曙光』

 

 電話に出ると、普段と同じ調子のマリーの声が返ってくる。

 直接来ればいいのだが、どうもマリーの両親にそれが許されている雰囲気ではない。同じ屋敷の中にいるはずなのに、こうして会えずに電話でしか話せないのは少し物悲しい。

 

「・・・今日は、すまなかったな。親御さんのこと、納得させられなくて」

『まぁ、仕方ないわ。あれぐらいは想定の範囲内よ』

 

 今日で話をつけることができなかったのを謝るが、親の性格を知っているマリーは今日のようになると分かっていたらしい。自分と曙光の身分の差も、十分に理解しているのだろう。曙光としては不甲斐ないことこの上なかった。

 

『で、曙光はどうする?』

「・・・検討中」

 

 力なく曙光が答えると、電話の向こうでマリーは『うーん』と少し考えるように唸った。

 

『言うほど悩むことかしら』

 

 ところが、続く言葉は思いのほか軽い調子のものだった。思わず、曙光も『え?』と口にしてしまう。

 

『曙光は認めてもらうまで諦めはしないんでしょう?』

「それはもちろん」

『曙光も今日は、言いたいことを言い切ったのかもしれない。それでも、お父様は納得してくれなかった・・・』

「ああ」

『なら、どうするかなんて決まってるようなものじゃない』

 

 一つ一つ言われて、曙光は気づかされる。

 言葉を全て出し尽くしたのであれば、後は行動で示すほかない。その行動を示すことができる、自分の得意とする武器をマリーに気付かされるとは、自分もまだまだだと思う。

 

「ケーキか」

『そ。その腕で、納得させるしかないじゃない』

 

 職人の道は、確かに安定しないだろう。だが、その不安を打ち消すほどの実力を見せれば、その印象を変えられるかもしれなかった。曙光の作るケーキが、マリーや、対立していた生徒たちをの意識を変える一手となったのは事実だが、それをマリーの両親は知らないからこそ、これしか打つ手はない。

 本当なら、今日それができればよかった。しかし、話をしたのは午後からだったので、時間が足りなかった。それに、いきなりキッチンを使わせてほしいなどと言うのは、あまりにもおこがましいだろう。

 

「・・・そうだな、それしかない」

 

 自分の実力は口で説明するよりも見せた方がいい。

 先ほどまで手詰まりだった思考は、ようやく答えを見つけたことで晴れやかな感じだ。

 

「ありがとう、マリー・・・。おかげで、やるべきことが分かった」

『それなら、良かったわ。でも、前とは違って今日はすぐに決断できたのね』

 

 前、とはあのたい焼き革命前にマリーからチョコレートたい焼きを作るよう頼まれた際、判断を渋った時のことを言っているのだろう。

 揶揄うような感じのマリーだが、それでも曙光は全く動じずに答える。

 

「あの時は、俺のせいで厄介なことになったって思ってたからな」

『言ったでしょ?それは元はと言えば私のお願いもあったって』

「ああ、だからそれはもう解決してる」

 

 ただ、と口にしたところで曙光は無性に恥ずかしくなってきた。

 さっきすぐに結論を出せたのは、確かにあの時とは事情が違うからだ。しかし、それとは別にもう1つ、決定的な違いがある。

 

「これは、俺だけじゃなくてマリーにとっても大切なことだし、グズグズしてられないだろ」

 

 BC自由学園の内乱と同等かそれ以上に、マリーとの交際がどうなるかは曙光にとって重要なことだ。特に、マリーという掛け替えのない人間の人生も懸かっている。判断を渋るのはあの1回きりで充分だし、二の足を踏む時間も残されていない。

 

『・・・曙光って』

 

 すると、電話越しのマリーはゆっくりと話しかけてくる。まるで、何かに呑まれたかのように。

 

『意外と、言う時は言うのね』

「そりゃあ、な。ここまで来て全部ナシなんて嫌だろ?マリーも」

『・・・ええ』

 

 電話越しにも、マリーが少し不安そうな様子が窺える。学校では肝が据わっている印象の強いマリーだが、今は恐らく経験したことがなく、かつ今後を左右する状況だからこそ、マリーとしても気が気でないのだろう。

 

「じゃあ明日・・・ケーキを作ってみるよ。厨房は借りられるのか?」

『ええ、私が言えば貸してくれるし、材料も一通りあると思うから大丈夫よ』

 

 聞いた話では、屋敷にも専門のケーキ職人がいるらしい。それはマリーだけでなく、マリーの母もまたケーキが好きだからと言うが、それは曙光にとっては安心と不安の両方の材料になった。マリーの親でケーキが好きとなれば、相応に舌も肥えているだろう。一方で父は、甘いものは特別好きでなければ、嫌いでもないらしい。

 ちなみに、使用人たちは曙光に好印象を抱いている、とマリーから聞かされた時、曙光は鼻の頭を軽く掻いた。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 翌日、厨房を借りて曙光が作ったのは、モンブランだった。最初は難しそうという印象で作らなかったこれも、今やマリーの好物で、曙光の十八番だ。ただ、高さは普通のものと同じで、下手な出来のものを作る気はなかった。

 

「あら、美味しい」

 

 マリーの反応は言わずもがな、マリーの母からは好評価を貰えた。口にした途端に笑みを浮かべ、『美味しいですよ』と優しく声を掛けてくれる。こうした感想を貰えると、とても嬉しい気持ちになれた。

 

「・・・・・・ふ」

 

 気になる反応を見せたのは、マリーの父だ。モンブランを一口食べると、空気が抜けたような息を洩らした。失笑とも呆れとも違うし、露骨に美味いと顔に表すでもない。

 だが、娘であるマリーと、何度も食品を人に振舞う曙光には、分かっていた。あれは、美味いと思っているのを必死に隠そうとしている顔だ。

 

「・・・君のケーキの腕が悪くないことは、認めよう」

 

 半分ほどモンブランを食べ終えたマリーの父は、フォークを置く。だが、その言い方に含みがあって、曙光はまだ納得ができない。

 

「けれど、やはり不安は尽きない。自分の技術1つでこの先立ち行くかどうか、とね」

 

 腕を認めても、安定性が低いことに変わりはない。技術の高さは安心材料の1つでしかなく、これだけあれば大丈夫というわけでもないのだ。曙光も眉尻が下がる。

 

「君のケーキは確かに美味しい。マリーの言うことが本当なら、大多数の人を認められるだけの技量はあるのだろう」

「・・・・・・」

「しかし、世間は広い。同じ技術が通用するかも、分からない」

 

 正論に正論を重ねられて、曙光は小さくなるような思いだ。ケーキを作って褒められなかった経験はあるが、『美味しい』と言われたのに何一つ喜べないのは初めてだった。

 曙光の自信も、どんどん無くなってきてしまう。もちろん、最初から生半可な覚悟を抱いてきたわけではない。だが、言葉でも技術でも響かないとなれば、本当に曙光に打つ手はなくなってしまう。逃避行なんて選択肢も、最初から存在しない。

ここまで来てしまうと、道は2つ。マリーを諦めるか、自分の夢を諦めるかだ。

 

「そろそろいいんじゃない、あなた?」

 

 だが、そこで口を挟んできたのは、マリーの母だった。下がり気味だった曙光の視線が映ると、申し訳なさそうな視線をマリーの母は返した。

 

「ごめんなさいね、曙光さん。お父さんは、あなたのことを心配していたの」

「おい、お前・・・」

「いいえ、言わせてもらいます」

 

 父が何かを言おうとする前に、母は押し通す。昨日はあまり自己主張をしなかったが、存外押しが強い性格なのかもしれない。

 しかして、心配していたとはどういう意味だろう。曙光の隣のマリーも、首を傾げている。どうやら真意を知っているのは、マリーの母だけのようだ。

 

「実は、主人も曙光さんと同じでね。名家に生まれたわけじゃないのよ」

「え?それでは・・・」

「あなたと同じ、一般家庭の出身だったの」

 

 ばつが悪そうに、マリーの父は腕を組んで視線を逸らす。

 ただ、マリーもその事実は知らなかったようで、是非とも聞いてみたいとばかりに身を乗り出す。

 

「あれは、私がBCの高等部に進学して少しの頃かしら」

 

 2人の出会いは、戦車乗りだったマリー母の姿を、父が偶然にも見つけたことがきっかけらしい。その頃もBC自由学園の内部分裂は変わらず、戦車道チームはギリギリの協力関係を保つのが精いっぱいだったという。マリーの母の乗る車輌は、ARL44だったそうだ。

 マリーの父が試合を観に来たのも、物見遊山だった。かの有名なBC自由学園がどれほどのものかと。

 しかし、戦車に乗るマリーの母の姿を見て一目惚れし、手紙のやり取りを交わしつつアタックを仕掛けた結果、どうにか付き合うことまではできたらしい。

 

「でも、厳しい私の父は反対だった。相手は私たちも知らない一般家庭の人だし、『どこの馬の骨とも知れん奴に娘の相手が務まるか』って。文字通り、門前払いされてたわ」

 

 よもや、そんなセリフを現実で聞くとは曙光も思わなかった。ただ、マリーたちのような上の階級の人間にとって、曙光を含め一般家庭の人間など有象無象にしか見えないのだろう。だからこそ、自分たちには釣り合わないと思っている。

 

「けど、諦めなかった。それから、『認めてください』『駄目だ』の押し問答・・・」

「・・・・・・」

「それでもこの人は、私に釣り合うようにって、教養や立ち居振る舞いを血の滲むような努力を重ねて身に付けて、一度だって私を諦めようとはしなかった」

 

 目を細めるマリーの母に対し、マリーの父はやきもきするように指をで自らの腕を叩いている。自分の過去を語られるのが好きではないのか、それとも照れ隠しか。

 

「それで私の父も・・・根負けに近い形で、認めてくれたわ」

「・・・良かったですね」

「ええ。でも・・・」

 

 表情が曇る。

 

「結婚した後も大変だったの。会社を引き継いだけれど、心労とかがひどくて。胃に穴が開いたこともあった」

「・・・・・・」

「同じ一般家庭の出身で、苦労をしてきたからこそ、曙光さんには厳しく接していたの」

 

 事前にマリーから、父は厳しい人だと聞いていた。だが、それは他人に対してだけでなく、自分自身に対しても同じなのだろう。

 人並みの知識と生活しか持たない人間が、住む世界の違う人を好きになれば、自分に鞭打ってでも努力をする。だが、結ばれるのが終着点ではなく、その後こそが本当に厳しいのだと、マリーの父は理解していた。

 

「・・・大体は、妻の言う通りだ。私の過去も、結婚してからも」

 

 そこでようやく、沈黙を保っていたマリーの父が口を開く。先ほどと比べて、視線も言葉も、曙光に向けるそれらはわずかに柔らかくなっているように感じた。

 

「同じだからこそ、君のことは本当は応援したい」

「・・・・・・」

「しかし同時に・・・君たちが不安だ。君の目指す夢は、私と同じかそれ以上に厳しいものになるだろう。それで君がどこかで押し潰され、君たちの関係も崩れてしまわないかと、思わずにはいられない」

 

 曙光の未来は、今の時点ではまだ不安定なままだ。自分の弱さ、力の足りなさに打ちのめされるかもしれない。それでも曙光が、マリーの父のように、成長しても自分を保っていられる保証は、今のところは存在しない。

 

「・・・これから先、どうなるかは自分にも分かりません。自分が目指す道がどれだけ険しいかは、理解していますから」

「なら・・・」

「でも、分からないなりに努力はしたい。この先自分の夢を叶えるうえで必要な技術も知識も、今のままでは十分とは言い切れない・・・。だから自分は、それを必ず身に付けて、マリーを幸せにしてみせます」

 

 人生何が起きるか分からない、とはよく言ったものだ。まさか曙光も、自分たちでBC自由学園の諍いを止めたなど、入学当初は予想しなかった。

 だが、何が起きるか分からないからこそ、自分の人生がどう転ぶかもわからない。だから、少しでも不安になる要素は自分の手で消していく。

 

「マリーを幸せにするためなら、どんな苦労も厭わない覚悟です」

 

 曙光は、真っ直ぐにマリーの父の目を見る。

 マリーの父もまた一般家庭出身と分かった今は、親近感を抱くと共に、この人のようになりたいと思う。自分に足りないものを吸収し、補い続けて、自分の愛している人の隣に立つに相応しくなれるよう努力する。それは曙光にとっても見習うべき姿勢、目指すべき人物像だ。

 

「・・・マリーは、迷いはないんだね?」

「ええ」

 

 父は、マリーへと視線を移す。マリーの意思も固いのが、言葉だけで伝わる。

 ほんの少しの間だけ、部屋の中が静かになる。

 

「・・・分かった」

 

 マリーの父は母と視線を合わせて、頷く。

 そして、曙光に右手を差し出してきた。

 

「曙光くん。君がマリーを幸せにすると信じて・・・託そう」

 

 その言葉に、自分の中から感情が溢れ出そうになるのを今はぐっと堪え、同じく右手を差し出し、握手をする。

 マリーと母は、その様子を静かに見守っていた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 その日は、昨日と比べれば比較的穏やかに過ごすことができた。改めて、曙光とマリーの馴れ初めや思い出を話すことになり、つい先ほどまでは圧迫面接さながらの雰囲気だったのが嘘のようだ。

 

「やったわね」

「生きた心地がしなかったけどな・・・」

 

 その日の夜、曙光はマリーの部屋を訪れていた。昨日は会うこともできなかったが、交際を認められたことでそれも許可されたのだ。

 マリーの部屋は、やはり屋敷の住人用だからか、設えは来客用より豪勢に見える。マリーは既に慣れているようだが、曙光などここに泊まれば2日で音を上げそうだ。天蓋付きのベッドや、金の装飾が施された棚など、女子高生1人に対しては不釣り合い、と思うのは庶民の感覚だろう。

 

「あれだけ真剣そうな曙光は、あまり見たことがないわ」

「と言っても、目の前のことに集中しすぎただけなんだけどな・・・」

 

 ベッドに腰掛けるマリーが微笑むと、向き合って椅子に座る曙光は肩を竦める。2人の傍らには、コーヒーとモンブランが2人分置かれている。用意したのは、厨房を借りた曙光だった。

 

「・・・マリーの言う通りだったな、お父さん」

「厳しいけど根は優しいってとこ?」

「ああ。最初に正論をぶつけられた時は大分凹んだけど、俺を排除したかったからじゃなくて、結局俺のことを心配していただけだって」

 

 自分が大変な思いをしていたからこそ、不安定な道を歩もうとする曙光を簡単には認められなかった。その伝わりづらい思いやり、慎重な判断は、恐らく曙光が同じ立場だったら恐らくは同じ思いをしていただろう。そして、やはり簡単に納得もできなかったはずだ。

 

「マリーのお母さんは、俺のことどう思ってたんだろう?」

「さっき聞いたけど、最初からいい人と思ってたみたいよ。それでも、お父さんが苦労したのを知ってたから、やっぱりすぐに背中を押せなかったみたい」

「まぁ、その気持ちは分かる気がするからなぁ」

 

 曙光は安堵の息をついて、モンブランを食べる。自分で作っておいてなんだが、やはり美味しい。マリーも、最後の一口をぱくりと食べて、笑みを浮かべた。

 

「そう言えば、何で使用人は俺のこと好く思ってたんだ?ほとんど話もしてないのに」

「みんな大体が一般家庭の出身だからじゃないかしら?」

「ああ、そういうこと・・・」

 

 どうやら、自分たちと同じ立場の曙光が、マリーの彼氏としてここに来たことに驚いていたらしい。同時に、平民の曙光にシンパシーを抱き、またお嬢様のマリーの心を射止めたことを喜ばしく思っていたのだろう。そう考えると、使用人たちとも仲良くなれそうな気がした。

 

「何はともあれ・・・どうにか無事に済んで良かったよ」

「本当ね。話してる間、私もドキドキしちゃった」

 

 コーヒーを飲み干すマリーは、話をしていた時よりも生き生きとしているように曙光には見える。さしものマリーも、やはり自分の人生を左右するような場では緊張していたようだ。

 

「だから・・・今の私は、とっても嬉しいの。私たちのことが認められて、もう心配することはないんだって」

「それでもやっぱり・・・俺の目指してるものはやっぱり不安定なのに変わりはないし、この先不安にさせることもあると思う」

「その不安を私に感じさせないように、頑張るんでしょう?」

「もちろん」

 

 曙光は、力強く頷く。この先、自分の人生がどうなるか分からないが、マリーには不安な思いをさせてはならない。そうならないようにするために、曙光は全力を尽くすと親の前で誓ったのだ。

 

「これから・・・一緒にいてくれるか?」

「ええ」

 

 曙光の問いに、マリーは迷わずに頷いてくれる。

 その反応に曙光は安心したが、マリーは立ち上がって部屋の隅へと向かう。

 

「時に曙光、知ってる?私たちエスカレーター組には、舞踏の授業があるって」

「ああ・・・前に聞いた覚えがある」

 

 BC自由学園は、受験組とエスカレーター組で授業内容に若干の差がある。特にお嬢様が集うエスカレーター組では、礼儀作法に関する授業や、先ほどマリーが言っていた舞踏の授業まであるというのだ。

 何のためにとは思うが、お嬢様の大半は将来は社交界に進出し、多くの人間と交流するのだろう。その時に備えた練習、いわば体育の発展形だ。そうした社交界を見据えての授業は、お嬢様校として名高い聖グロリアーナ女学院にも存在するらしい。

 

「それで曙光も、私とこの先一緒にいるのなら、相応の振る舞いをしてもらわなきゃ」

 

 今日、マリーの父と話したことを思い出す。詳しく話してはいなかったが、きっとこういう舞踏についても、あの父は学んでいたのだろう。

 

「つまり、今から踊ろうと」

「そう言うこと」

 

 言いながら、マリーは棚からレコードを取り出す。まさか、お嬢様がこのご時世にレコードプレーヤーを現役で使っているとは思わなかったが、逆に格式高い名家だからこそなのかもしれなかった。

 また、部屋もそれなりに広いので、踊るスペースは一応確保されてはいる。

 

「・・・踊り方なんて、分からないけど」

「動きながら教えた方が効率がいいわ。口で説明するのはちょっと面倒だし」

 

 前もって言ったが、それでもマリーはいつになくやる気満々らしく、お構いなしだ。

 その理由は、問わずとも自分から言ってくれた。

 

「今はとても嬉しくて、曙光と踊りたい気分なのよ」

 

 その言葉だけで、踊らない理由も消え失せる。

 曙光は椅子から立ち上がり、マリーの元へと歩み寄る。すると、マリーが手を差し出してきたので、曙光は静かにその手を取る。

 

「で、この後はどうすれば・・・?」

「私に合わせるように踊れば大丈夫よ。それじゃ、始めましょう?」

 

 そうしてマリーは、片手でレコードプレーヤーをスタートさせる。

 すると、普通の音楽プレーヤーなどとは違う音質の曲が滑らかに流れ始める。当然流れるのは歌謡曲などではなく、優雅な雰囲気のする舞曲だ。

 そしてマリーが、軽やかに足を動かし、体を捻り、踊り出す。曙光はそれに引っ張られる形で、どうにかついて行こうと足を動かす。

 当然、舞踏会で踊るような踊りなど曙光は経験したことがないので動きはどうしてもぎこちなくなってしまう。だが、それでもマリーは楽しそうに踊っており、無垢な笑みを曙光に向けている。

 その笑みに心が満たされるような思いを抱えながら、曙光もまたマリーとのひと時を楽しむことにする。踊りはもちろん後でちゃんと覚えるが、今この瞬間の踊りに集中していたい。

 今日という特別な日の、2人だけの舞踏会を、心に刻んでおきたかった。

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