BC自由学園全体で、男子の数は1割にも満たない。BC高校と自由学園が合併した当初は、男女比が4:6ほどだったが、それ以降男子の数は減り続けて、現在の状態に落ち着いている。
男子の数が減ったことで、剣道や柔道などの男子向けの選択授業は撤廃され、今は通常カリキュラムの食品関係の授業をそのまま受ける形になっている。中でも、実際に菓子などの料理を作る実戦形式の授業が多く、今日はまさにその日だ。
「では各自、時間内に1つケーキを完成させるように」
『はーい』
エスカレーター組の校舎の、調理実習室。教師の言葉に曙光を含めた男子たちは返事をし、早速準備に取り掛かる。ちなみに今着ているのは、学校の制服ではなく調理用のコックコートだ。
ちなみに教師陣は、外部生やエスカレーター組の抗争に関しては静観に徹している。昨今の教育体制が『生徒の自主独立性を重んじる』という方針だからであり、教師が介入するのは怪我人沙汰にならない限り無さそうだ。
「真壁は今日、何作るんだ?」
「俺は・・・ミルクレープにでもしようかな」
深い意味もなく、曙光は真壁に訊ねる。材料は一通り揃っているので、無駄遣いをしなければ困ることはない。多様なケーキを作ることができるし、直前まで決めていなくてもどうにかなる。食品に力を入れているBCならではだ。
「曙光はどうするんだ?」
「モンブラン」
しかし曙光は、それを作ると決めていた。
業務用の冷蔵庫から必要な材料を取り出す傍ら、真壁が実に意外そうな目を曙光に向けてくる。
「珍しいな。あれって結構手間だし作らなかっただろ?」
「ああ・・・ちょっと、挑戦してみようかと思って」
適当に答える曙光。
真壁は気の置けない友人だが、マリーと手を組むためにモンブランを作るとは、流石にまだ言えない。誤魔化しが通じるかは不安だったが、真壁は深く疑いもせず『まあそんな時もあるか』と、自分のケーキ作りを始めた。
疑われずに済んだが、材料を前にすると曙光は緊張する。
モンブランに限らず、初めて挑戦する料理を作る前は、いつもこうして不安で身体が強張ってしまうものだ。失敗したらどうしよう、美味しくできなかったらどうしよう、と尽きない不安が湧き上がってくるから。
しかし、それよりも純粋に作りたい気持ちが勝って、緊張や不安を振り払って作り始める。加えて今は、期限付きでマリーに作らなければならない義務があるため、取り掛かるのに時間はかからなかった。
(・・・どれぐらいかかるかな)
バターを常温に戻しつつ、メレンゲを作りながら曙光は考える。
マリーはケーキ好きというのもあって、恐らく舌が肥えているだろう。中でも一番の好物のモンブランを渡すとなれば、半端な出来は許されない。それ以前に、曙光の『自信のないものは他人には食わせない』という理念に反する。
だからこそ、今まで作ったことのないモンブランを、自信を持って完成したと言えるようになるまでは、一朝一夕では済まないだろう。
しかしこのケーキは、何としても完成させなければならない。曙光自身が『必ずや作る』と言ったし、このモンブランが長年のBC自由学園の因縁を終わらせる足掛かりとなるのかもしれないから。
メレンゲを混ぜる曙光の手に、力が籠る。
絶対に完成させよう、と強く思った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「何て言うか、味がぼやけてる感じがする」
完成品を一口食べた真壁の感想は、芳しくなかった。
授業では、完成品はこうして別の誰かにご馳走し、忌憚のない意見を言ってもらう。曙光もそれに従い、試製モンブランを食べてもらったところ、先のレビューを受けた。
「・・・不味いってことか?」
「いや、不味いのか美味いのかも分からん・・・」
この授業の趣旨を分かっていて、かつ付き合いも長いからこそ、率直な感想を述べてくれる。それは曙光としてもありがたいし、憤りなど感じない。
それにしても、味がはっきりしないのは致命的だ。曙光も真壁も、意欲的に菓子作りに挑戦してきたが故、味覚は確かなものだ。根本的に味覚が破壊されている可能性も低い。
つまり、曙光の作ったモンブランは失敗に終わったのだ。
「・・・やっぱり難しいな」
「けど、見た目はいいじゃん。もうちょっとだろ」
初めて作るから、上手くいかないのは予想していた。しかし、いざ実際に失敗したと知ると、どうしても凹んでしまう。
真壁がフォローしてくれた見た目に関しては、曙光もそれなりに自信があった。モンブランの最大の特徴でもある何重ものマロンクリームには、一番神経を割いたと思う。この部分に失敗しては、見てくれまで最悪になってしまうと思ったから。
「・・・んん、やっぱり味だな」
曙光自身も食べてみるが、真壁の言う通り味が良くない。見た目に反して味が不透明で、いわば有名無実だ。ただ、見た目に関しては問題ないので、課題は味と判明した。
一方で、曙光もまた真壁の作ったミルクレープも真剣に評価しなければならない。なので、断りを入れてから一口食べてみる。
「・・・美味いな」
「そりゃよかった。今日のは自信作だからなあ」
友達として悔しいことに、このミルクレープは美味しかった。ふわりとした食感や間に挟まれたクリームの味、色合いも総じて文句なしだ。
普段は軽薄な節のある真壁だが、菓子作りの際は絶対の自信を持っている。その自信の強さは、曙光以上だ。かと言ってお高く留まっているのでもなくて、そんな姿勢は曙光も見習いたいところだ。
そうして食べ終えた後は、使った食器などの後片付けに取り掛かる。いかにここが敵対するエスカレーター組の校舎でも、使うものが共有である以上は綺麗に片付けなければならない。
その後はコックコートから制服に着替えなおして、自分たちの教室へと向かう。同じタイミングで、昼休みの到来を告げる鐘が鳴った。
「あー・・・鳴っちゃったか・・・」
「もっと早くに戻りたかった・・・」
その鐘を聞いた男子たちは、揃って苦い表情になる。早めに教室へ戻って昼休みをゆっくり過ごしたいのもあるが、どちらかと言えばお嬢様たちの冷たい視線を浴びたくなかったからだ。実際、戻るまでの間に強烈な視線を集めてしまっている。
「ホントもう、何でこんなに厳しいのかね・・・」
真壁もまた、周囲の視線を気にしながら廊下を歩く。外部生とエスカレーター組の仲が悪い原因は知っているが、それでもなぜ自分たちがこんなことに、と思わずにはいられない。
曙光もまた、今までは真壁と同じように縮こまって歩いていたものだ。
「・・・仕方ない。我慢しよう」
しかし、曙光はそう言うに留めた。
少し前なら『本当になぁ』とか『嫌だな・・・』と言って同意していた。しかし、昨日マリーと話をして、現状をどうにかしようとした彼女の話を聞いて、曙光の意識も変わりつつある。その事情を知って、あまり彼女たちを悪く言うのも少し気が引けた。
「・・・どうしたお前」
「何が?」
「いや、何か大人しいなって」
しかし、友人・真壁は、そんな曙光の心の変化を機敏に感じ取った。
「前はもっとさ・・・俺が言うのもなんだけど、俺と同じ感じだっただろ?あちらさんの態度が気に喰わない感じで。だけど今日はさ、何か丸いな」
真壁は、BC自由学園に入学して以来の曙光の友人だ。だから、ちょっとした変化にもすぐ気づけるし、それを当人に指摘することだってできるのだろう。鋭いな、と曙光は感心しつつも答える。
「そんな気分なんだよ」
「・・・急にモンブラン作りだしたのもそうだけど、まさか昨日マリーさんと何かあったのか?」
ギクッ、とする。実に勘が鋭い。
「・・・いや、そんなことはない。ありがとうな」
「ふーん・・・ま、あまり抱え込まない方がいいぞ」
マリーとのことは、今はまだ秘密にしておきたい。何せ、本当にこの状況が好転する保証もないのだから。隠し通すほかないのだが、それでも何とか真壁を納得させることはできた。
それからは、刺々しい視線に晒されること以外は特に変わったこともなく、自分たちの教室へと帰り着く。丁度、同じく選択授業で教室を離れていた女子たちも戻ってくるところだった。そしてその中には、曙光たちはもちろん、エスカレーター組にも知られた女子がいる。
「くそ~・・・やはり火力が足りないのか・・・」
「すぐ近くまで忍び寄れたのはいいんですが、まさか気付かれたとは・・・」
「全く、普段はのんべんだらりとしているくせに、ああいう時は無駄にいい動きをしてくる」
やや勝気な話し方をするのは、浅黒い肌に三白眼、肩まで伸びるやや癖の強い黒髪の女子・
反エスカレーター組の代表となれば、エスカレーター組からもマークされている。特に安藤の性格は、向こうからすれば『粗暴』『野蛮』と捉えられており、お世辞にも印象は良いとは言えない。
「安藤、お疲れ」
「お疲れ様~」
「おお、曙光と真壁。そっちもお疲れ」
ただし、安藤は同じ外部生に対しては分け隔てなく気さくに接してくれる。同じクラスの曙光たちも、安藤は普通に仲の良い友達のポジションだ。普通の共学校だったら、男女問わない人気がありそうでもある。
「男子は今日は何したんだ?ケーキ作り?」
「そう、俺はミルフィーユを」
「俺はモンブラン・・・失敗したけど」
「へー。完成したら食べさせてくれよ」
話の流れで、ついモンブランを作ったことを洩らしてしまったが、安藤もまた大して気にした様子はない。完成品を食べさせる約束に、つい頷いてしまっても、安藤は『よし』と白い歯を見せて笑う程度だ。
そんな彼女だが、浅黒い肌や髪に、煤や埃のようなものが付着している。恐らく、彼女たちが履修している戦車道によるものだろう。
「大変そうだな。戦車道は」
「ああ、大変も大変だ。我々は今回、奴らに気付かれないように接近したが、ついさっきまでのんびりしていたくせに突然キビキビ動き出して返り討ちにされた。まったく」
忌々しそうな安藤に、曙光と真壁も苦笑する。
戦車道について、男子たちはそこまで詳しく知らない。と言うのも、戦車道が乙女の嗜みで、男子の入り込む余地がないために、そこまで興味が湧かないのだ。加えて、戦車道でも外部生とエスカレーター組の抗争が起こっていると言うので、近寄りがたい雰囲気もある。
「安藤さん、そろそろ」
「ああ、よし。それじゃ、行ってくる」
別のクラスメイトに促され、髪や肌の汚れを濡れタオルで軽く拭うと、安藤は自らの鞄から焼きそばパンを取り出して教室を出ようとする。その前に、安藤は曙光と真壁の方を向いてきた。
「2人も参加しないか?抗議の声は少しでも多い方がいい」
抗議とは、他ならぬ外部生の待遇改善活動のことだ。安藤が外部生のリーダーとなってからは、こうして同じクラスの曙光や真壁、他の男子を誘うことが多い。しかしながら、それに対する2人の答えはずっと同じだった。
「悪いけど・・・遠慮しておく」
「そうか。分かった、悪かったな」
真壁が首を横に振ると、安藤は軽く手を振って教室を出ていく。
争いごとを極力避ける曙光と真壁は、こうして断ってきたし、参加したこともない。安藤も、こうして断られることはこの2人だけではないから、その意図を細かく汲めるのだ。
「安藤もよくやるよな」
「ホント。屋台だってあるのに」
『屋台』とは、外部生側の敷地内の一角にある食べ物屋台のことだ。これは、学食の無駄に豪勢なメニューにうんざりした外部生が独自に始めたもので、外部生の多くが利用しており、規模もそこそこ大きい。
その中で、安藤はたい焼きの屋台を営んでいる。曙光たちも、何度か安藤の作ったたい焼きを食べたことはあるが、結構美味しかった。その屋台の営業に加えて抗議活動まで率いているのだから、結構タフだ。
「じゃ、俺らもメシにするか」
「ああ」
真壁の言葉に頷き、それぞれ鞄から弁当箱を取り出して、机を合わせて昼食にありつく。
学食は、曙光も真壁も入学したばかりの頃に一度使ったきりだ。メニューの中に『定食』があっても、高価なうえに上品すぎるイメージの料理は学生の昼食に向かなかった。それ以前に、お嬢様ばかりの空間に行くこと自体嫌なので、節約も兼ねて自作の弁当を持ってくることもある。屋台に行くことも、時々あった。
「そうだ、曙光」
「ん?」
「今日の帰り、本屋に寄って行かねえ?」
この学園艦は、敷地が外部生とエスカレーター組で分断されているが、外部生側の敷地には書店やスーパーなど、庶民的な商店は割と揃っている。
反対に、エスカレーター組の敷地にはそういった店はほとんどない。エスカレーター組の寮は3食保障されるため自炊の必要がなく、買い物に関しても大体取り寄せのため、買い物をする機会自体少ないのだ。
曙光たちも、学校の帰りに買い物に寄ることはあったので、今回の真壁の誘いも珍しくないことだった。
「あー、ごめん。パス」
だが、曙光はその誘いを断った。どちらかの都合で、こうして寄り道が無しになるのもよくあることだ。なので、真壁は『そっかー』と大人しく引いた。
その後は、それ以上の詮索もなく、適当に駄弁りながら昼食を楽しんだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
放課後、曙光はエスカレーター組の校舎を訪れていた。
帰り際なので、昼休みと同じかそれ以上にエスカレーター組の生徒とすれ違う機会が多く、それに比例して向けられる視線の
心が押し潰されそうになりながらも、どうにか曙光は調理実習室へと辿り着いた。
「よし・・・」
わざわざ真壁からの誘いを蹴り、お嬢様方から集めたくもない注目を集めてまでここへ来たのは、目下最大の課題であるモンブランを完成させるためだ。
もちろん許可は事前にとってある。元々食品関係には力を入れているし、教師も生徒の自主性や熱意は尊重するため、許可はすんなりと下りた。授業外での練習も、無駄遣いはしないようにと釘を刺されるだけだ。
ただし、曙光はここに入学してから、一度も時間外の自主練などしたことはない。
今こうして、自主練に励もうとしているのは、やはりマリーへのモンブランを一刻も早く完成させることに他ならなかった。
日中に作ったモンブランは話にならず、それが分かった時点で『もっと練習しなければ駄目だ』と思い至った。それも、授業中だけでなく、こうした時間にも取り組まなければならないと。
材料を買い揃えれば、寮の自室でできないこともないが、ここの方が設備は整っている。さらに若干狡いが、学校の方が材料費を節約できるのだ。なので、この場を借りない手はないし、それを考えればお嬢様の痛い視線など安いものだった。
(絶対に下手なものは食べさせられない・・・)
そこまでするのも、モンブランが好きと言ったマリーに不出来なものを食べさせるわけにはいかないからだ。それだけは、外部生やエスカレーター組という枠組みを考慮せず、ただマリーに対して美味しいケーキを食べさせたい、としか考えていない。
そのために、曙光は練習をするのだ。
(マリーさんに、喜んでもらいたいから・・・)
それは、菓子を作る者としての純粋な気持ちの表れだった。
□ □ □ □ □
マリーと約束を交わしてから6日目。タイムリミットまで1日。
毎日調理実習室に通い詰めて密かに練習をし、材料の配分を細かく変えて理想の味に近づけようと努力を重ねてきた。
そしてこの日、何度も失敗を経たモンブランだが、ようやく真壁から『美味い』と評価をしてもらえた。念のために教師にも食べてもらったところ、同様の感想を貰えたので、これでモンブランは完成だ。ようやく半分クリアと言えるだろう。
(後は、渡すだけだ・・・)
さて、今更ながら、曙光はマリーと連絡を取る術を持ち合わせていない。最初に屋上で話を付けた時も、予鈴が鳴って早く教室に戻らなければならなかったため、タイミングを逃してしまった。またエスカレーター組の校舎でマリーを探し回るのも、周囲の視線が痛いので止めておきたい。
「それでしたら、私の方からマリー様へ話を通しておきますよ。それと、お会いするというのであれば、お部屋をこちらで用意しておきます」
「すみません、わざわざお手数をおかけしてしまって・・・」
そこで、偶然会った砂部に、マリーと話がしたいことを伝えたところ、快くそう言ってくれた。こういう時は、人脈と言うものがとても重要になる。
「・・・やはり、私たちエスカレーター組と、あなたたち外部生が個人的に会うとなると、周りの目も厳しくなってしまいますから」
「・・・ですよね」
部屋を用意するのには、曙光とマリーだけでなく、周りに対しての忖度の意味もあった。その点に対する気遣いも踏まえて、曙光は砂部にお礼の言葉を述べる。
ただし、砂部にも外部生とエスカレーター組の和解云々の話はしていない。こうしたデリケートかつ重要な話は、おいそれと他人に話していいのかも判断が難しいからだ。なので砂部には、マリーとは超個人的な用事があるとだけ言っておく。それで砂部も、妙な誤解を抱くことなく納得してくれた。
「・・・ここか」
そして放課後17時、完成したモンブランを携えて曙光がやってきたのは、エスカレーター組の校舎の一角。教室とは違ういくつもの部屋が並ぶ場所で、『サロン』と呼ばれているらしい。ここは単純に、生徒同士で静かにゆっくりと語らう憩いの場のような扱いだそうだ。普段から調理実習室以外の場所に行くことがなかったから、曙光は『こんな場所があったとは』と思わずにはいられなかった。
その中にある一室の、繊細な装飾の施された扉を叩くと、中から『どうぞ』とマリーの声が聞こえてくる。
「失礼します」
断りを入れて、中に入る。
扉が派手なら中も派手で、学校とは思えないような装飾がなされていた。広さは通常の教室の3分の2程度だが、床には細かい紋様が縫い込まれた赤い絨毯が敷かれている。灯りはコンパクトながら豪勢な雰囲気のシャンデリアで、壁際に置かれている戸棚や時計もアンティーク調のものばかりだ。
そしてマリーが座る椅子や、その傍に置かれたテーブルも、どこか高級感漂うものだった。マリーのようなお嬢様が座っていると、余計にその品々が美しく見える。
「すみません、遅くに」
「別にいいわ。大好きなケーキが食べられるんだもの」
部屋の雰囲気に気圧されつつも、曙光はマリーの下へと歩み寄る。砂部から聞いた話では、この少し前まで戦車道の練習があったらしい。けれど、今のマリーからは戦車道の練習で疲れた様子もなく、肌や髪にも汚れなどは見られなかった。身だしなみに対する意識も、外部生と違う。
「それで、例のものは?」
「ここに」
マリーが待ちきれないとばかりに急かすと、曙光は手に提げていた箱をテーブルの上に置き、蓋を開ける。
中から取り出されたのは、皿に載ったモンブランだ。
「あら、美味しそう」
マリーの表情が明るくなる。両手のひらに収まるような程よい大きさ、綺麗な曲線を描くマロンクリーム、その頂点に添えられたマロングラッセの色合いも綺麗だ。さらに、白い粉砂糖も主張が激しくなく、かつ存在感が薄くない程度の量。総じて、盛り付けのバランスは良く、単純に美味しそうなだけではなく、優雅な雰囲気を醸し出している。
「どうぞ、お召し上がりください」
マリーから褒められたことに、心躍りつつも曙光は食べるようにマリーに促す。
マリーは椅子を引き、フォークを手に取る。漂う香りを楽しむようにゆっくりと目を閉じて、唇を緩めた。
「いただきます」
フォークでモンブランの一部を切り取り、ゆっくりと口へ運ぶマリー。
この瞬間こそ、曙光にとっては緊張のひと時だ。一応他人に食べてもらい『美味しい』という評価を貰っても、ケーキを食べて肥えた舌を持つマリーに気に入ってもらえるのかは、今ここでしか分からない。
そして、恐らくこの機を逃したら、マリーとの取り決めも白紙になるだろう。つまり、せっかく決起した和平交渉も無くなり、外部生とエスカレーター組のいざこざはずっとこのままだ。
「・・・・・・」
ゆっくりと、黙々と咀嚼するマリー。
それを、固唾を呑んで見守る曙光。
「・・・美味しい」
ぽつり、とマリーが口にする。その瞬間、曙光の中での緊張感が緩んだ。無意識に引き締めていた口から、安堵の息が漏れ出す。
「驚いたわ。苦手って言ってたのに、こんなに美味しいのが作れるなんて」
「正直、苦労はしましたがどうにか出来上がりました。お気に召されたようで、良かったです」
二口目、三口目を口に運ぶことに躊躇いは無いらしく、もぐもぐとモンブランを食べ進める。
その様子を曙光は静かに眺めるが、その食べる仕草はやはり上品に見える。モンブランはそこまで大きくないが、それをマリーはすぐ完食しようとせず、数回に分けてゆっくりと味わっていた。しかもそれがみみっちくは見えなくて、これも育ちの良さから来るものか。
「ご馳走様。美味しかったわ」
「ありがとうございます」
普通なら数分程度で食べ終わるだろうが、マリーは十数分かけてモンブランを食べ終えた。そしてハンカチで口元を拭き、微笑みを浮かべる。その顔を見て、曙光も少し心が温かくなった。
「それじゃ、この前の話なんだけどね」
フォークを置いてマリーが切り出すと、曙光はハッとする。無事にモンブランを完成させて、評価もしてもらえたが、そもそもはBC自由学園の因縁にケリをつけようとマリーに動いてもらうためだった。
マリーは、懐から扇子を取り出してひらひらと自らに向けて煽ぐ。
「正直ね、苦手って言ってたあなたが一週間ぐらいでこれだけのものを作れるとは思っていなかったの」
「・・・・・・」
「でも、こうして結果を見せられては、どうもしないわけにはいかない」
言ってマリーは立ち上がり、曙光の目を見据える。
「いいわ、曙光。手を組みましょう」
人差し指を立てて、ニコッと笑うマリー。
直後、曙光の心が昂るかのように、身体の中心が熱くなってきた。自分の作ったケーキであのマリーの腰を上げられたこと、この学園の諍いに終止符を打てるかもしれないこと。この2つのことの重大さにも分からないほど、曙光も愚かではなかった。
「もちろん、言い出しっぺの曙光にも協力してもらうから、そのつもりでね?」
「当然です」
曙光もまた、和平を願っているのだ。自分から切り出した話でもあるし、その目標に向けて力を貸してほしいというのなら、協力も吝かではない。むしろ、できることがあれば積極的に引き受けるつもりだった。
曙光の揺るぎない返事に、マリーも頷く。
「で、曙光。あなたのその話し方、作ったものでしょ?」
「気付いてたんですか」
「だってハンカチを拾ってくれた時、クラスメイトとは普通の話し方だったじゃない」
確かに、あの時は真壁と普通の喋り方で話していたが、少し離れていたマリーにはそれが聞こえていたらしい。マリーや砂部、祖父江に敬語で接していたのも、エスカレーター組の実態はともかくとして、身分が違うから敬語で、と無意識にインプットされていたからだ。
「だからまずは、その話し方を止めて、ありのままの話し方をして頂戴?」
「それは・・・」
「私はこれが普通の話し方よ?あなたもそうすれば、お互いに歩み寄る一歩になるとは思わない?」
畏まって接していたの人への喋り方を普通に、というのは案外難しい話だ。しかし、マリーの言い分を聞くと、そうも言ってられない。
やむを得ず、曙光は一度咳払いをして、深呼吸をしてから口を開く。
「なら、これでよろしく・・・マリー」
普段の喋り方をするが、若干ぎこちなくなる。
しかし、マリーは気を悪くした様子もなく微笑んで頷き、右手を差し出してくる。握手を求められていると理解すると、曙光も右手でマリーと握手を交わした。
「よろしくね、曙光」
握っているマリーの手は、男の曙光よりも小さい。だが、その繋げた手からは覚悟や意思のようなものを感じ取ることができた。
「あ、そうだ。ついでと言ったら何だけど・・・」
手を離してから、曙光はスマートフォンをポケットから取り出しながら話しかける。
「これから先、連絡を取ることも多そうだから、アドレス交換しないか?」
「確かにそうね・・・いちいち砂部や祖父江を通してってのも手間だし・・・いいわよ」
納得したマリーも、ポケットから同じくスマートフォンを取り出す。曙光がシンプルなシルバーのものに対し、マリーのはどことなく高級感のするメタリックピンクだ。
交換し終えると、改めてマリーが曙光を見て笑みを浮かべる。
「これからは、同じ志を持つ者同士として、仲良くしましょう」
「ああ」
曙光もその言葉を聞いて、唇を緩める。
これが、この先両方の陣営が分かり合える一歩となることを、強く願いながら。