夜、風呂上がりの曙光は、葡萄ジュースで一息吐いていた。
BC自由学園は、葡萄の栽培が盛んなマジノ女学園なる別の学校の分校にあたるため、ここでも栽培と加工は主要産業の一つとなっている。葡萄の加工品に関しては、受験組もエスカレーター組も分け隔てなく楽しんでいた。
ちなみにこの学園艦では、葡萄ジュース以外ではコーヒーもよく飲まれているが、曙光はどちらかと言えば葡萄ジュース派である。
「・・・ふー」
冷たいジュースを飲んで、息を吐く。視線は、机に置かれたスマートフォンに向いている。
今日あったことを思い返すが、どれも曙光にとっては重要なものばかりだ。
BC自由学園の内乱を止めるために、マリーと結託した。それだけで十分信じられないが、そのために作りあげたモンブランも評価され、これらのことはとても喜ばしい。
だからこそ、現実味が持てない。
そして、やり遂げられるかどうかも分からない。
(本当に・・・始まるのか・・・)
校外にまで知れている深い因縁を、本当に自分たちで止められるのか分からない。自分たちが蒔いた種ではないし、ずっと昔から埋まらない溝だからこそ、簡単に終わらせるのは難しいだろう。曙光はそれが分かっているし、気がかりだ。
すると、スマートフォンが電話の着信を告げた。
「おっと・・・」
コップを置いて画面を点けると、マリーからの電話だった。迷わずに『応答』をタップする。
「もしもし?」
『
電話越しに聞く、夕方ぶりのマリーの声。フランス語で挨拶をしてくるとは、何とも茶目っ気のあるものだ。
曙光は、こうして女子と電話で話すのは初めてでもない。クラスメイトの安藤や、ほかの仲が良い女子と軽い雑談を交わす程度には慣れっこだ。こういう点は、庶民的な外部生らしいとも言える。
しかし、エスカレーター組のお嬢様と電話をしたことはない。初めて電話越しに話す今は、物凄く奇妙な感覚だ。決して不快ではないが、どう表現していいのか分からない気持ちでいる。
「どうした、こんな夜更けに」
『少し、明日のことを相談したいの』
自分の気持ちを落ち着かせる意味も込めて、マリーに訊ねる。電話越しに聞く声はやや真剣みを帯びており、曙光も次の言葉に意識を集中する。
『私とランチを一緒にどう?』
「は?」
集中していたから、突拍子のない提案を聞いて間髪を入れずに返してしまう。
『何よ?』
「いや、あまりにも唐突だと思って」
『もちろん、外部生とエスカレーター組を仲良くさせるためよ。こういう時は、まず最初にお互い仲良くしようとする姿勢を見せないと、何も始まらないわ』
説明を受けて、曙光は少し考える。
いきなり両方の陣営に『仲良くしよう』と言っても、聞く耳を持たない。それは最初にマリーが実践して証明されている。だからまずは、お互いに歩み寄る姿勢を見せて、周りの理解を得ることが先決だと、マリーは判断したのだろう。
「ちなみに、場所は?」
『学食よ』
そうだろうな、と思った。
同時に、一気に不安にもなる。ただでさえエスカレーター組の外部生に対する視線は鋭いのに、そんな彼女たちが集う学食など、ライオンの檻に放たれたウサギ同然。肩身が狭くなるのは目に見えるし、冗談抜きで胃に穴が開きそうだ。想像しただけで冷や汗が止まらない。
『このことは、砂部と祖父江にも伝えてあるわ』
「砂部さんたちにも?」
『私以外にもあなたと仲が良い人がいれば皆にも伝わりやすいから。それに、あの2人は信用しているしね』
一対一では、曙光とマリーが同席しても、ただの偶然と捉えられるかもしれない。だが、同席する人の数が多ければその可能性は低くなり、さらに向けられる視線も『拒絶』から『関心』へと変わりやすくなるだろう。その関心の方向がどう向くかは分からないが、この先こともスムーズに運びやすくなるはずだ。
それならば、と曙光は一つ考える。
「なら、俺の友達も1人誘っていいか?外部生も、多い方がいいだろうし・・・」
両陣営の生徒が一緒に食事を摂ることで、周囲の理解を促すのは間違っていないだろう。だが、外部生側が曙光1人だけとなると、『あれは特例』と思われて、効果がいまいち望めないかもしれない。なら、外部生側の人も増やした方がいい。
『・・・そうね、その方がいいかも』
その意図を、マリーはちゃんと汲み取ってくれたらしく、納得したようだ。曙光も胸を撫で下ろす。
『でも、そうなると分散させた方がいいわね』
「分散?」
『お互いに複数以上だと、エスカレーター組、外部生でグループが分かれちゃうわ。もしお友達を呼ぶのなら、私と曙光、砂部と祖父江とお友達で、分けるべきよ』
自分にとって共通点のある人がいれば、自然とその人と話を多く交わすことになる。それは外部生やエスカレーター組だけでなく、友達、同性など多くの枠組みにも言えることだ。
「・・・分かった。それで行こう」
『それじゃあ、明日はよろしくね』
方針が決まったところで、マリーは電話を切る。
その後もしばしの間、曙光は手の中のスマートフォンを見つめる。
(本当に・・・始まるんだな・・・)
ついさっきまで、現実味があまり持てなかった事実を、今度は強く認識する。
BC自由学園の歴史を変えるかもしれない転換点に、自分は立っているのだ。
マリーも、電話で話したような策を考えてくれているから、この問題について真剣に取り組んでくれると分かった。さらに、理屈を整然と話してくれたのは、最初にマリーに対し抱いていたイメージとは大きく違う。戦車隊の隊長を務めているのもあるのだろうか。
ともかく、マリーが真摯に取り組むのであれば、力を貸す曙光も全力で取り組まねばならないと、改めて決意する。
ぬるくなった飲みかけの葡萄ジュースを飲み干した。
□ □ □ □ □
翌朝に登校した曙光は、いきなりで申し訳ない気持ちを傍らに、真壁を呼び出した。昨日のうちに電話しておけばよかったが、何分マリーから連絡を受けた後では時間が遅すぎたのだ。
「悪いな」
「どうした、朝っぱらから畏まって」
人通りの少ない校舎の一角に呼び出したが、真壁はさして気を悪くした様子もない。
一方で、曙光はどう話を切り出したものか迷う。この真壁が、外部生とエスカレーター組の諍いをどう思っているのかを考えれば、昼食の同席を頼んでも断られるのは目に見えた。
どう言うべきかは悩ましいが、一先ず話を始めなければ何もならない。
「実は、今日の昼メシなんだけどな・・・」
「昼メシがどうした?」
「向こうの学食で、食べないか?」
「は?」
間抜けのような声を洩らす真壁。その反応も仕方ないと曙光は思う。
学食と言えば、エスカレーター組の校舎にあるあの悪趣味なメニューの揃う学食以外存在しない。そのメニューだけでなく、周りのお嬢様からの視線が痛くて立つ瀬のない学食など、曙光も真壁も入学当初一度行っただけでそれきりだ。何故今になって、そんな場所へわざわざ行こうとするのか。そんな真壁の疑問がすべて、『は?』に込められていると曙光は理解できた。
「すまん、話が急すぎたな」
「急にもほどがあるだろ、どうした?」
理由を聞かれるのは至極当然の流れだ。未だに、自分たちの構想を話すことに若干の抵抗はあったが、マリーは既に砂部と祖父江に計画を明かしている。真壁も曙光の頼みに応じるかどうかはさておき、理由を話さなければ話も進まないから、話すことにした。
「実は昨日・・・またマリー、さんと話をしたんだ」
マリーのことは既に呼び捨てにしているが、今はそこまで明かす必要はないと思い、経緯を説明することにした。挨拶のケーキを渡した日のことから、モンブランを作り話をつけ、お互い協力関係を築き、BC自由学園の内乱を止めることを決起したことまで。
「マリーさんと・・・」
「ああ。それで、まず何ができるかってことで、お互いに敵意がないことを周りに示すために、外部生とエスカレーター組の人が一緒になって食事をしようってなったんだ」
本来ならば、それをするべきなのはそれぞれの陣営のリーダー格であり、かつ影響力も大きい安藤と押田なのだろう。しかし、あの二人は同じテーブルについたところで、フォーク片手に取っ組み合いを始めかねないので、断念せざるを得ない。
それに、マリーがエスカレーター組の中で地位が高く注目を集めることが多いのに対し、曙光は外部生の数少ない男子。注目を集めやすいがために、振る舞いに注意すれば周囲にも悪い印象を植え付けることはない。そうすれば、エスカレーター組に対する印象を多少なりとも改善させることはできるはずだ。
「・・・なるほどな」
真壁は、そんな曙光の考え―――と言ってもマリーの受け売りもあるが―――を聞き、一応は納得したかのような返事をする。
「・・・けど、悪い。ちょっと協力はできそうにないや」
だが、渋い表情で真壁はそう告げた。
断られることを、曙光はある程度予想していた。真壁は、このBC全体の問題に対して保守的な立場にいる。お互い仲の悪いことに居心地の悪さを感じてはいるものの、自分から進んで関わろうとは思わず、要は現状維持でいいと思っているのだ。付き合いの長い曙光も、その考えはよく分かるし、尊重したい。
「そうか・・・悪かったな。変な話して」
「謝る必要なんてねぇよ」
難しい話も終わったことで、お互いの空気も解れる。
そして真壁の視線は、同情を含むものとなった。
「仲良くさせるためとはいえ、災難だな。あの学食で、マリーさんとサシで食べるなんて」
「ああ、いや。サシじゃなくて、砂部さんと祖父江さんも一緒だ」
「何?」
だが、曙光がそう言った途端、またしても真壁が緊張するような面持ちになる。
「砂部さんと、食べるのか」
「そうだけど・・・」
確認に曙光が頷くと、先ほど以上に真壁は悩み込む。腕を組み、唸り、ゆっくりと頭を振って考え抜く。
「・・・やっぱり無理だ。本当に残念だが」
「お、おう」
たっぷり悩んで、結局答えは変わらなかった。断腸の思いで、と言う点は先ほどと違うが。
真壁がそこまで迷った理由を、曙光は今更聞き詰めたりはしないが、それでも嫌なものは嫌かと思った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
さて、真壁が同席を断ったことで、曙光は1人でマリーたちと学食で昼食を共にしなければならなくなった。
調理実習室での授業が終わり昼休みになると、外部生の校舎に戻る真壁たちを見送ってから、曙光は学食へ向かう。
(気が重い・・・)
待ち合わせ場所は、学食の目の前。そこまでは当然一人で向かわなければならない。
マリーにケーキを渡しに行くときもそうだったが、お嬢様たちの視線は痛く、それを自分1人で受け続けるのは相当心に来る。おまけに今から行くのは、そんなお嬢様たちが集う学食と来たものだから、余計に気は進まない。
また、外部生が学食を全くと言っていいほど使わないのに対し、エスカレーター組はほぼ全員が学食を利用する。昼休みが始まって間もない今、学食へ向かう生徒は多く、その中の曙光は唯一の男子だ。特に悪いことをしているわけではないが、罪悪感は半端ではない。
(・・・いた)
そんな中、どうにか学食の近くまで来ると、マリーの姿が見えた。聞いた通り、傍には砂部と祖父江も控えている。
しかし問題なのは、他の生徒が遠巻きにマリーたちのことを見ていることだった。
マリーはエスカレーター組の代表格であり、エスカレーター組・外部生の間でも知名度が高いのは知っている。しかしながら、ああして遠巻きに注目を集めているというのは、今の曙光にとっては大きな障害だ。このままマリーに声を掛ければ、周囲からの視線は一層厳しくなるだろうし、ひそひそと陰口を叩かれようものならまず間違いなく胃に穴が開く。学生の身分で胃潰瘍など勘弁してほしい。
「あっ、曙光」
だが、そんな曙光などお構いなしに、マリーは曙光の姿を見つけると、声をかけてきた。控えている砂部と祖父江も、笑みを浮かべてくれる。
けれど、周囲の女子は、怪訝な目を曙光に向ける。内心逃げ出したいが、マリーから声をかけたことで、逆に周囲の疑惑の感情が少し薄れた。マリーほどの人物が親し気に呼んだのだから、『疑惑』よりも『困惑』の方が強いのだろう。
「少し遅かったわね?」
「ええ・・・はい」
昨日のように軽い調子で接するマリーだが、それでも曙光は周りの視線を気にし、相槌一つとっても慎重になる。昨日の取り決めも忘れて、つい畏まる形で返事をしてしまった。それに対し、マリーはムッとする。
「昨日の話を忘れたの?」
「ええと、忘れてはいないですけど・・・」
口には出せず、周囲の目があるからと、曙光はただ視線で示す。
そこで砂部と祖父江が、いち早く曙光の視線の意味に気付き、そっとマリーに耳打ちをする。
「マリー様、ここは他の方の目もありますから・・・」
「んー・・・それじゃ仕方ないかしら」
祖父江の言葉に、マリーも不承不承であれど一応は納得したように目を閉じる。すると、祖父江と砂部が曙光を見て小さく頷き、曙光も感謝するように笑みを浮かべる。
そんな挨拶もほどほどに、4人で学食へと足を踏み入れる。
天井にはけばけばしい装飾のシャンデリアが吊るされているが、食堂全体は柔らかい感じの明るさで満ちている。内装は白をベースとしており、『高貴』『優雅』なエスカレーター組のイメージに拍車をかけている。
この光景も、曙光には久しく見えるものだ。入学当初に興味本位でやってきて、周りの視線にびくびくした挙句、メニューの高さに辟易していたのを思い出す。
「曙光さんは、どうなさいます?」
「ええと・・・」
砂部にメニューを訊かれ、曙光は少し悩んだ末にポトフ定食に決めた。出費は痛いが、必要経費と割り切ることにする。一方で、マリーたちは何の躊躇もなくエスカルゴ定食だのフォアグラ定食だのを頼んでいた。この辺りに、両陣営の価値観の差が垣間見えた気がする。
そのマリーは、料理も持たず先にテーブルへと向かう。マリーの分は、祖父江が自分の分と併せて持っていくようだが、流石に少し大変そうなので、曙光が脚を動かした。
「片方持ちますよ」
「あら・・・ありがとうございます・・・」
断りを入れてから、祖父江が持っていたマリーの分の料理を運ぶ。この程度なら曙光にもできることだ。
また、この行動が図らずも、ほんの少しだけ周囲の空気を変えた。
曙光に対するお嬢様のイメージは、他の外部生の例に漏れず『野蛮』『粗忽』だ。しかし、今の曙光の行動が『気遣い』から来るものだとお嬢様は感じ取ることはでき、『一応いいところもある』程度の認識を与えた。
しかし、そんな空気などお構いなしなエスカレーター組の女子がいる。
「おい、貴様!」
マリーや砂部たちと同じ席に着こうとしたところで、穏やかでない声を掛けられた。それはどう考えても自分へのものだと、曙光は即座に把握する。
無視したかったがそうもいかないので、嫌々振り向くと、案の定押田がいた。いかにも不機嫌そうな顔をしている。
「・・・何か、御用でも?」
「御用も何もあるか。なぜ貴様がマリー様と同じテーブルに着こうとする」
もっともな問いかけだろうと思う。
学食は、別にエスカレーター組専用ではない。外部生にも開けてあるが、メニューがメニューなだけに寄り付かないだけだ。なので押田が指摘したのは、外部生がここにいるからではなく、マリーとのことだ。
しかし、そこで曙光が何か言おうとする前に、座っていたマリーが押田に話しかけた。
「いいのよ、押田。私が個人的に誘っただけなんだから」
「個人的に?」
エスカレーター組の代表・マリーの言葉は説得力があり、内容にも偽りはない。押田にとっても尊敬するマリーの言葉だからか、戸惑いの表情を浮かべつつも疑う様子はない。近くにいる砂部と祖父江の方を見るが、2人とも黙って頷き『本当』と無言で答える。
しかしながら、押田は解せないらしい。
「外部生に個人的な用事とは?」
「この前、ハンカチを拾ってくれたでしょう?その縁もあって、まぁ仲良くしようかしらと思って」
まだ押田には、曙光と結託していることは伝えていないらしい。言ったところで素直に聞き入れないのは分かっているし、特に血の気の多い押田は納得しないだろう。それは曙光も想像がつく。
「外部生、しかも男子と仲良くするなんて駄目です」
「なぜ?」
「外部生は皆野蛮、しかも男子はケダモノです。もしマリー様の身に何かあったら」
箱入り娘が集うエスカレーター組らしい意見。周囲で様子を窺っていた一部の女子も、同意するように小さく頷いている。
押田は、安藤たち外部生の行動派と対立することが多いからこそ、そうしたイメージを強く抱いている。そのような印象は、押田と関りがほとんどない曙光からすれば言いがかりも甚だしく、ムッとする。
「心配してくれてありがとう、押田」
しかし、マリーは笑みを崩さないままに、扇子を取り出す。そしてそれを、曙光に向けた。
「でも大丈夫よ。彼は悪い人じゃないし、信用もしているから。何も心配する必要は無いわ」
その瞬間、場の空気が静止する。
エスカレーター組のマリーが、外部生で、男の曙光を、『信用している』と言ったのだ。外部生を信頼するなど、これまでのエスカレーター組ではあり得ないことで、その代表のマリーが言ったものだから、確かな重みがある。周囲の曙光を見る目が、明らかな『驚愕』や『関心』へと変わった。
流石の押田も、マリーの言葉にどれだけの意味と重要さが含まれているかは理解できたようで、ぐっと言葉に詰まっているようだ。やがて押田は、曙光の方をきっと睨みつける。
「・・・マリー様に変な真似をするなよ」
それだけ言って、押田は去って行った。
すると、緊迫していた空気が緩み、食堂には和やかな空気が戻る。落ち着いたところで、曙光たちもまた席に着いた。マリーの分の食事を持っていた曙光は、注意深くトレーをマリーの前に置く。
「気を悪くしないで頂戴ね。押田も悪い子じゃないんだけど」
「まぁ、あれぐらい割と昔も言われてたし」
席に着いたところで、マリーが困った笑みを浮かべるが、曙光はそこまで根に持ちはしない。あの程度の言葉に不信感を抱いても、いちいち憤慨していては本当に気が持たない。ああいう言葉を面と向かって言われるのは初めてだったが、そんな気持ちもあってさほど響いてはいなかった。
「あら、マリー様とはそう言った感じで話すんですね」
「・・・あっ」
隣に座る祖父江に指摘されて、気付いた。知らない内に、普通の感じでマリーと言葉を交わしてしまっていた。
しかし、先ほどのマリーの『信用している』という言葉もあってか、そこまで曙光には厳しい視線を向けられてはいない。同席する祖父江と砂部も同様に、非難しているようではなかった。やはり、エスカレーター組の代表のマリーの言葉は、相当の影響力はあるらしい。
「あぁ、責めているわけではないですよ?それだけ曙光さんも緊張してないということですし、こちらとしても安心します」
話をしようにも、食事をしようにも、相手が緊張しているようでは周りも遠慮してしまいがちになる。砂部の言い分も分かる気がした。
「マリー様から話は伺っています。私たちと曙光さんたち外部生が仲良くなれるように、協力すると」
祖父江が告げると、正面に座るマリーが頷く。そう言えば昨日の電話でも、2人には既に話をしたと言っていた。
「とても良い考えだと思います。私たちも、今の状況をどうしたものかと思っていましたし・・・」
「ええ。お互い仲良くなれるようであれば、できる限りご協力いたします」
祖父江と砂部が積極的な姿勢を見せてくれるのは、とてもありがたい。味方が増えてくれるのは、曙光とマリーにとっては貴重であり、心強くもある。
また、砂部と祖父江も同様に、BC自由学園の現状を良しとしてはいなかった。同じように胸を痛めてくれているからこそ、この問題により真摯に向き合ってくれるはずだ。
「ところで、曙光?あなたのお友達も来るんじゃなかったかしら?」
フォアグラ定食から視線を上げたマリーに問われると、曙光は極まりが悪そうに頭を掻く。
「誘ったんだけど、『ちょっと周りの視線が気になる』って言われて・・・」
「あら、残念」
コーヒーを一口飲み、肩を竦めるマリー。
一方で、砂部と祖父江は形の良い眉を下げて残念な気持ちを示す。
「でも、そうですね・・・私たちエスカレーター組の大半は、外部生のことを快くは思っていませんし・・・」
祖父江の言葉に、砂部も頷く。実際曙光も、これまでずっと周囲から容赦ない厳しい視線を浴びせられてきた。今もまだ、曙光のことを訝し気に見る視線をちらほら感じるが、マリーが近くにいるのもあってかさほど厳しくもない。
「だからこそ、よ。こうして普通にしていれば、あなたたちがそんなに邪険に扱うような人じゃないってアピールできるわ」
マリーがフォークを手の中でくるくると回す。
こうして曙光が足を運び、普通にマリーたちと接している姿を見せて、印象を改善させる。先にエスカレーター組の方から改善させるのは、マリーの影響力が大きいからだ。そして、エスカレーター組の意識を改善させた後は、外部生だ。頭ごなしに向こうのやることなすことを否定せず、改めてお互いに理解する場を設ける。
それが今時点での大まかな計画だ。
「今は、地道に積み重ねていくのが一番ってことか」
「そういうこと」
腕を組む曙光に頷くマリー。あまり事を急ぐと逆に失敗してしまうから、堅実に進めていくしかないのだ。
そこでその話は一旦終いとし、『食べちゃいましょう』とマリーが仕切ると、曙光たちも食事を再開することにした。
「・・・・・・」
食品の授業を受けている曙光は、食事のマナーについては一通り心得ている。
そんな曙光から見ても、やはりマリーや祖父江、砂部の食べ方は上品だ。フォークやナイフが耳障りな音を立てたりせず、咀嚼する音もほぼ聞こえない。食事をする姿勢も整っているし、彼女たちが名実ともに淑女であると思い知らされる。
「どうかした?」
「いや・・・3人とも、行儀がいいなって」
「私たちにとっては、これが当たり前なのよ。こういう礼儀作法なんかは、いやでも覚えなきゃいけないし」
マリーの言葉には、曙光も知らないお嬢様の苦労のようなものが見えた気がする。祖父江たちも同意見らしく、こくこくと頷いていた。
人には人の苦労がある、とはよく聞く言葉だ。曙光も以前は、エスカレーター組に対してそんなことをぽやんと考えた覚えもある。
この学園艦で、外部生は下に見られる。だが、外部生にとってにっくきエスカレーター組にも、それなりの苦労はあるのだ。良家に生まれたからこそ、仕込まれる礼儀作法、教養、私生活も庶民と大きく異なる。こうして実際に当人から聞くと、改めて実感が湧いてきた。
今までは敬遠していて気付けなかった事実に、曙光も少し心が締まる思いだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「おう、お帰り」
昼食会が終わり、曙光が外部生側の校舎まで戻ってくると、帰りしなに真壁に声を掛けられた。その声が抑えられているのは、今朝曙光が話したマリーとの結託云々がまだオフレコ段階なのを考慮してだろう。その点の細かい気遣いも、この男はできる。
「どうだった?」
「特に大きなトラブルもなかったよ。普通にマリーや祖父江さん、砂部さんと昼メシ食べて、おしまい」
「それだけ?」
「それだけ」
食事の前に押田が突っかかってきたが、あの程度は些末なものだ。エスカレーター組と昼食を共にしたなど、曙光にとって重大な出来事だったのだから。
どうやら真壁は、何事もなく帰ってきたことが驚きだったらしく、目を丸くしている。
「すげぇなぁ。普段を考えれば、全然想像できないぞ」
「そうだな・・・」
話すことはおろか、ただそこにいるだけで痛い視線を投げつけられてきたのだ。そんなエスカレーター組の校舎で、一緒に何事もなく昼食を摂るなどあり得ないことだ。曙光と真壁の立場が逆だったら、同じ反応をしていただろう。
そこで、今度は真壁がさらに声を潜めて曙光に訊ねる。
「・・・砂部さんとも、話したりした?」
「そりゃぁ、同じテーブルにいたし」
「そうか・・・いいなぁ」
羨ましそうに俯く真壁。
何故にこんな反応をするのか、と言えば答えは単純で、真壁は砂部に気があるのだ。
砂部が外部生に対して偏見を抱かないのは知られており、その面から彼女が優しい性格なのは窺える。加えて朗らかなのもあって、外部生の男子の間では密かに人気だった。真壁も同じで、エスカレーター組との衝突には保守的であっても、砂部にはそう言う淡い感情を抱いている。
曙光はと言えば、砂部に対して好印象は抱いても、好意までは抱いていない。単純に、そうした感情を覚えるに至らないだけのことだ。
「・・・じゃあ、明日もまた一緒に食べる予定だし、一緒に行くか?」
「ああ、そうだな。行ってみたい」
そんな真壁の気持ちを慮って提案すると、今度は真壁も頷く。
動機は若干不純かもしれないが、それでもこちら側で味方が増えてくれるのはありがたかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その日の放課後、マリーがサロンで寛いでいると、ドアがノックされる。
「どうぞ」
「失礼するぞ」
戸を開けて入ってきたのは、他でもない曙光だ。手には、お菓子が入っていると思しき箱を持っている。だが、曙光はマリーにすぐさまその中のものを差し出すでもなく、壁際の棚に置かれたコーヒーメーカーを操作しだす。
「コーヒーと一緒の方がいいんだっけ?淹れるよ」
「そうね、お願い」
昨日マリーは、お菓子を食べる時はコーヒーも一緒に嗜む、と話している。それを曙光は覚えていたようで、先にコーヒーから淹れてくれるようだ。手挽きコーヒーの方がマリーは好きだったが、こうして自分から言う前に淹れてくれるだけ上出来だと思う。
「今日は何を持ってきてくれたの?」
「フィナンシェって焼き菓子だ」
棚から取り出した皿に、曙光は丁寧に盛り付けをしていく。手のひらに収まるサイズで、内側が少しふっくらとした小麦色の長方形のそれは、仄かに甘い香りがする。
フィナンシェが載せられた皿がマリーの前に差し出されるのと同時、コーヒーメーカーも完成をアラームで知らせた。それを聞いた曙光は、手際よくコーヒーをカップに注ぐ。その様子を眺めながら、マリーは『ふーん』と感心したように息を吐いた。
「割と手慣れてるのね」
「俺たち外部生も、コーヒーを飲むことが多いからなぁ」
外部生の飲食事情はマリーも詳しく知らないが、コーヒーは葡萄ジュース同様この学園艦で分け隔てなく飲まれているようだ。
そんな事情を新しく知りながら、マリーはフィナンシェを1つ口に含む。
「ん、美味しい」
「それはよかった」
口に含み噛んだ瞬間、優しく甘い味が口の中に広まっていく。思わずマリーの表情が綻び、それを見た曙光もまた小さな笑みを浮かべながらコーヒーを傍らに置く。
ちなみにこのフィナンシェは、曙光が今日の調理実習で作ったものだそうだ。放課後にこうしてマリーと話をするのでせっかくだからと思い、多めに作ったのだという。マリーとしても願ってもないことだった。
「・・・なぁ、マリー」
「何?」
コーヒーを一口飲んだところで、曙光が話しかけてくる。
「今日の昼に、ああして学食で一緒に昼ご飯を食べたわけだけど・・・進展はあったのか?」
「ええ、一先ずは」
マリーはそこは自信を持って答えた。曙光が視線で根拠を求めてきたので、マリーも一度コーヒーカップを置いて曙光を見る。
「あの時、押田には曙光を信用してるって言ったでしょう?」
「・・・ああ」
「あれはきっと、その場にいた他の皆にも聞こえていたはずよ」
マリーがああ言った直後、周りの空気は確かに変わった。『安心』まではいかなかったが、それなりに高い立場にいるマリー自らが信用していると言ったからこそ、曙光の存在はそこまで害あるものとは思われなくなっただろう。それが一過性の可能性もあるが、それはこの先、マリーが曙光といる機会が増えれば改善されるはずだ。
「砂部と祖父江も、あなたのことは信用しているし、私も同じよ。普段は姿を見せない外部生のあなたを『信用できる』って言ったんだから、『もしかしたら外部生にもいい人はいるのかも』って、皆に思わせられたと思うわ」
「確実かどうかは・・・分からないよな。そりゃ」
「誰が何をどう思うかなんて、人それぞれだしね」
個人の思考まで完全に把握することなどできない。それに、お互いに染み付いた固定概念のせいで、思考はより凝り固まってしまっている。それを変えるためには、一朝一夕では不可能だ。
言ってマリーは、フィナンシェをまた1つ食べる。
「あなたの他にも、もっと学食を使う外部生の子が多くいれば良いのだけど・・・」
「そりゃ、無理だな・・・お堅いメニューと、雰囲気のせいで」
曙光の言い分も、マリーは分かる。BCの学食のメニューは、一般的なほかの学校とは全然違うと知っているし、値段も高い方なのだろう(マリーたちにとっては何とも思わないが)。そこに庶民的な感性を持つ外部生は納得できず、結果的に校門前で外部生の抗議活動が起きているわけだ。
そして雰囲気とは、食事だけでなく、エスカレーター組の生徒全体の育ちの良さから来るものもある。曙光が今日の昼食でマリーたちの行儀の良さに少し驚いているのを見て、その部分も影響しているのだろうとは窺える。
「雰囲気もメニューも、すぐに変えるのは難しいわねぇ」
「だよなぁ・・・」
いくらマリーが曙光を信用していると言っても、すぐに学食事情を改善させるのは無理だ。言い出したところで反対されるのは目に見える。難色を示すマリーの答えを曙光は分かっていたらしく、苦笑した。
「そういえば、普段曙光たちのランチはどうしているの?」
「俺たちは基本、弁当か・・・あるいは屋台だな」
「屋台?」
「あぁ、食事情をどうにかしようと有志がやってるんだ」
外部生の食事情が垣間見えると、マリーの興味が湧いてくる。思わず、フィナンシェに伸ばそうとした手を止めるほどだ。
「どんな料理があるの?」
「たい焼きとか豚丼とか、焼き鳥とか・・・ホント、庶民的な料理ばっかりだよ」
「たい焼き・・・豚丼・・・」
曙光から聞かされた料理は、どれもお嬢様としての生活の中で馴染みのないものばかりだ。俄然として興味が湧いてくるし、外部生がどう言ったものを嗜んでいるのかも分かるチャンスだと、マリーは気付く。
「曙光、1つ頼まれてもいいかしら」
「?」
「都合のつく時に、その屋台の料理をいくつか私の下へ持ってきてくれる?」
マリーが申し出ると、きょとんとした顔をする曙光。
しかし彼もバカではないらしく、マリーが外部生側の事情を知ろうとして申し出たことにもすぐに気づいたようだ。『あぁ』と口にして、頷く。
「分かった。けど、明日は俺の友達が学食で食べたいって言うから、別の日でもいいか?」
「あら、そうなの?でも、そういうことならいいわ」
「助かる」
マリーも、明日すぐに持ってくるようにとまでは言わない。曙光やその友達と学食で一緒に昼食にするのは、もう少し継続していけばより印象を改善させることにつながるはずだ。すぐに間隔を開けてしまうと、周りには『やっぱり気まぐれだった』と思われるかもしれないから。
それにしても、とマリーは思う。
「断られたって言ったのに、そのお友達は来る気になったのね」
「あー・・・うん」
随分早い気の変わりようだ。曙光もどうしてそうなったのか言わないのが若干気になるが、今はもう少し外部生でつながりを持てる人がいればそれでいい。
「そのお友達は、信用できるの?」
「ああ。悪い奴じゃないよ、それは保証する」
「それならいいわ」
唯一と言っていいほどなのは、その『お友達』の性格に難があるかどうかだ。もしも横柄な態度をとるような人だったら、せっかくマリーと曙光が始めた計画が早くもお釈迦になりかねない。それを気にして曙光に聞いたが、どうやら杞憂で済みそうだ。
だが、答えた曙光は少しばかり不安そうな顔を浮かべている。
「何?」
「意外とあっさり信じるんだな・・・その、俺の友達のこと」
そんなことか、とマリーはフィナンシェを飲み込んでから曙光を見る。
「言ったでしょう?あなたのことは信用してるって。だから、お友達が悪い人じゃないって言うなら、私はそれを信じるわ」
マリーがその『お友達』を知らないのもあるが、マリー自身は曙光のことを信用している。最初に屋上で和解の道を探ろうと申し出られた時もだが、自分の要望にちゃんと応えて美味しいモンブランを作ってきてくれた。その時点で合格ラインはクリアしている。
加えて、曙光は若干慎重な面が見られるが、マリーには積極的に協力しようとしてくれている。その姿勢で、十分曙光は信用に足る人物だ。普段見る外部生が、荒っぽい輩が多いため相対的な評価も含んではいるが。
「・・・そうか」
しかし曙光は、そんなマリーの評価を聞いて、ほんの少し気恥しそうにはにかむ。
初めて見るようなその仕草に新鮮さを感じつつも、マリーはまたコーヒーを一口飲んだ。
学食に向かうまでの間、真壁は居心地の悪さをひしひしと感じていた。
普段からエスカレーター組の校舎に足を運ぶ時は、どうしても周りの視線を集めてしまいがちになる。おまけに、今から向かう場所は、その視線の主であるお嬢様がうじゃうじゃといる学食だ。早くも心が押しつぶされそうでならない。
「曙光は平気なのか?」
「まぁ、正直緊張はしてる。けど、マリーも砂部さんたちもちゃんと俺たちのこと考えてくれてるし、そこまで怯える必要も無いと思うけどな」
隣を歩く親友の曙光は、緊張してると言いながらもそんな様子がない。昨日学食でマリーたちと昼メシを食べたと聞いた時は、随分と驚いたものだ。何しろ、それまでは真壁と一緒になってエスカレーター組を敬遠してきたのだから。知らない場所で成長している事実に、若干の嫉妬心を抱いたのも事実だが、それ以上に尊敬の念が今は強い。
「あら、曙光。ごきげんよう」
そんな風に不安が募る中で、学食の前へと辿り着いた。先に待っていたマリー、そして砂部と祖父江も笑顔を浮かべて真壁たちのことを迎えてくれる。
だが、案の定周囲の視線は痛い。主に軽蔑と忌避の感情が含まれた視線が、そこかしこから突き刺さるかのようだ。真壁の肝がもう少し小さかったら、この場で胃に穴が開いていたかもしれない。
「言った通り、友達を連れてきたけど、問題ないか?」
「ええ、大丈夫よ。そう言えば、ハンカチを拾ってくれた時、一緒にいたわね」
「・・・真壁です。よろしく」
柄にもなく、畏まってマリーに挨拶をしてしまう。それぐらいには緊張していた。隣にいる曙光が『お前そんなキャラだったか』と不思議そうな目で見てくるが、知ったことではない。
さて、学食の入り口は人の行き来が多く人の目も多いので、一同は揃ってまずは席に着くことにした。食べたい定食を注文するのは普通の学食と変わらないが、如何せんメニューが高級感漂うものだし、実際値段も高いせいで判断を鈍らせてくる。結局、迷った末にポトフ定食を頼むことにした。
「じゃあ砂部と祖父江は、真壁と一緒にね」
「分かりました」
「えっ」
だが、マリーと曙光は別のテーブルに座り、真壁は砂部と祖父江の2人と同席することになったのが、予想外だった。頷いた砂部に反し真壁が声を上げると、説明をし忘れたらしき曙光が『すまん』と顔で謝ってきた。
気になっている女子と食事を一緒にするのは真壁も嬉しいが、状況が状況なだけに素直に喜べない。これで傍に曙光がいれば多少やりやすいのに、困ったものだ。
「曙光さんと一緒の方がよろしかったかしら?」
「え?いえ、そんなことは・・・」
あれこれ悩んでいると、砂部から不安そうに訊かれてしまった。思わず手を横に振って否定するが、真壁の気持ちが分かるのか砂部もまた困ったような笑みを浮かべる。
「ですが、マリー様から言われたんです。曙光さんのお友達・・・真壁さんが来た際は、曙光さんと席を離すようにと」
「そうなんですか?」
「ええ。同じ席にしてしまうと、曙光さんと真壁さん、マリー様と私たちでグループが分かれてしまうから、と」
祖父江にも言われて、真壁は曙光たちを見る。何とも、穏やかな雰囲気でマリーと話をしながら昼食を摂っていた。つい何日か前まで、エスカレーター組の校舎に行くたびにビクビクしていたのが嘘のようだ。
「真壁さんは、曙光さんとは長い付き合いなのですか?」
「あ、はい。ここに入学した時から・・・ですね」
砂部に問われると、視線を戻しながら答える。この学園では、進級する毎にクラス替えがあるが、偶然にも真壁と曙光はずっと同じクラスだ。
しかし、同じ受験組の女子と話すのと違って、エスカレーター組のお嬢様と話すのはどうしても緊張する。ましてや、砂部は真壁も気になっている人なので、普通に会話するということ自体が難しかった。
「真壁さんも、そんな緊張しなくていいですよ。確かに私たちは・・・陣営こそ違いますが、あなたたちとも仲良くしたいと思っていますから」
にこにこと笑う祖父江の言葉に、真壁は少しだけ頭を掻く。祖父江や砂部が、外部生に偏見を抱いていないのは知っていたが、いざ実際に言葉で聞くと少し嬉しい。砂部も同意見のようで、朗らかな笑みを浮かべていた。
「そうですか・・・よかった」
ようやっと、真壁も安心してポトフ定食に手を付けることにする。砂部と祖父江も、それぞれの定食を食べ始めた。
だが、こういう時は何か話題の1つでも振らなければならないだろうと、真壁は思う。食事中に雑談をするなど、自分たちの校舎では日常だ。なので今は、相手がほぼ初対面なのもあって、沈黙が気まずい。そしてこういう時、真壁は割とするりと話題が出てくる方だ。
「・・・・・・」
だが、目の前でエスカルゴ定食を食べる砂部や祖父江の上品な姿を見ると、それができない。集中して絵を描いている人の邪魔ができないように、今の2人の姿を見ると迂闊に話しかけることができなかった。
すると、もくもくと食べていた砂部が視線を上げて、真壁と視線が合う。
「どうかしました?」
「あ、いや・・・ただ、食べ方がすっごく綺麗だなって」
「あら、ありがとう」
素直に褒めると、砂部は照れたりはせずにっこりと笑う。祖父江は、ほんの一瞬だけ食べる手を止めたが、すぐに元に戻る。
「私たちは、こうした礼儀作法をずっと教えられてきていたので、それが当たり前だったんです。けれど、いざこうして褒めていただけるのは嬉しいものですよ」
「そうですか・・・」
その生き方はどこか窮屈な感じがする、と真壁は率直に思う。
確かにマナーとは、身に付けておいて損は無いし、むしろその方が周りからは評価されやすい。けれど、それを身に付けることを
「・・・大変、なんですね。砂部さんたちも・・・」
「まぁ、これが私たちにとっては当たり前ですから」
フォークを置き、砂部が困ったような笑みを浮かべる。
その笑みを見て、言葉で聞いて、真壁の中で彼女たちは普段どんな生活を送っているのか、興味が湧いてきた。
「砂部さんたちが受ける授業って、やっぱり普通の学校と違ったりするんですか?」
「基本は普通と同じですよ?ただ、少し変わった授業もあって」
「そうなんですか・・・例えば・・・?」
「そうですねぇ、戦車道は真壁さんたちと同じ外部生の女子も選べますし、後は舞踏や芸術、服飾などでしょうか」
真壁は、純粋な興味ができたことで、先ほどまで抱いていた緊張を少し忘れられた。
砂部もまた、真壁の緊張が少しだけ解れたのを感じ取り、だったらと話し相手をし始める。それに、自分たちのことを知ってもらいたいという気持ちがあるからこそ、話は意外とトントンと進められた。
そして、そんな2人の様子を、祖父江は微笑ましく眺めながら、昼食を続けた。