寄港日を控えた夜、古文の課題を終えた曙光はぼーっと天井を眺めていた。
明日は休日、久々の寄港もあり生徒たちは港町で買い物なり観光なりを楽しむことなのだろう。曙光も前までは、そう言う過ごし方をしていた。
しかし明日は、マリーと一緒に、という点で大きく異なる。
女子と出掛けることは、別に初めてではない。しかし2人だけで、しかも相手がエスカレーター組のお嬢様となれば前例もない。気を揉んでしまうのは、誰にも責められないだろう。
そんな折、脇に置いていたスマートフォンが電話の着信を告げる。相手は真壁だ。
「もしもし?」
『おう、曙光。悪いな夜遅くに』
「いや、大丈夫だ」
挨拶も手早く、真壁は本題を切り出してくる。
『明日寄港するし、休みだろ?どこか行かないか?』
「あ・・・悪い。パス」
『ありゃー・・・何か予定でもあったか』
訊かれるが、答えに詰まってしまう。
真壁は、曙光がマリーと一緒に色々と動いているのを知っている。なので、素直にマリーと出掛けると言っても特に怒ったりもしないだろう。だが、休日に2人きりで出掛けるという点について突かれる可能性が高い。その方がよほど面倒に感じた。
「・・・まあ、ちょっと個人的な用事が」
『ふーん・・・じゃあ、仕方ないか』
適当にはぐらかすと、真壁は一応納得してくれた。安心と同時、騙して申し訳ないと思ってしまう。真壁の用件はそれだけだったらしく、電話は『おやすみー』と最後に掛け合い電話は切れた。
曙光は、今一度溜息を吐く。
(どうなることやら・・・)
初めてのこと故に、何が起きるかは分からない。
しかし、一度約束した以上は取りやめることもできない。マリーから『親交を深める』と言われたし、それは曙光と仲良くなりたいということだろう。そう言われたこと自体は嬉しいし、それは曙光も同じ気持ちだ。
以前安藤から言われた言葉とも違うが、曙光はマリーが自分のことを単なる『協力者』としか見ていないものと思っていた。だから、そうした関係に言及し、さらにこうして約束を申し出てくれたのは、正直に言って嬉しい。
だから、明日のことはむしろ楽しみ、という感情が近い。
そんな気持ちを抱きながら、布団に入ることにした。
□ □ □ □ □
深夜のうちに学園艦は港に着き、日が昇れば乗下船も可能になっていた。
BC自由学園艦は、乗降口もエスカレーター組と外部生でそれぞれ分かれている。学園艦の土地そのものが分かれているので、別々なのは仕方ないとも言える。
なのでこの日、曙光とマリーが待ち合わせをするのは、港町の中心にある噴水広場だ。
「今日どこ行こっか?」
「モールとかあったっけ」
同じく受験組の女子のグループが、これからの予定を相談しながら下船していく。
そんな会話を聞き流しながら、曙光は港に足を付ける。いくら学園艦の揺れが少なく地上と変わらないにしても、陸に降りると安心するような気持ちだ。
それから待ち合わせ場所まで移動する間、曙光は周囲の様子を軽く窺う。今日は日曜で天気も悪くなく、絶好のお出かけ日和。家族連れや友人同士のグループ、カップルなど多く人がいた。普段はどんな人が出歩いているかなど気にもしないが、何分今日は事情が違うせいで余計なことまで気になってしまう。
「ふー・・・」
噴水の前に着き時刻を確認すると、今は待ち合わせの10分前。時間前に待ち合わせ場所に着くのは、曙光が自分に課している鉄則なので上々だ。後は、マリーが来るのを待つだけである。
(・・・緊張してきた。今頃になって)
無意識に、拳を握ってしまう。
たまの寄港日に、お嬢様と2人きりで外出。昨夜は楽しみとか暢気に思っていたが、その事実に大事ではないかと今更ながら思う。身分の差はもとより、相手はあのマリーだ。最近は頼りになる面が強いが、元来の彼女の性格を鑑みれば、何事もなく済みそうにない。
マリーは、親交を深めるのもあるが、曙光のような一般市民がどう過ごしているのか、と言う点も気になっているらしい。とすれば、何事もなく普通に過ごすのが一番だろうが、マリーほどの人と行動するようでは、落ち着くこともできない。
自分の中で不安が噴出し、待ち合わせ時刻までが非常に長く感じる。
そんな中で、こつん、と際立つ靴の音が曙光の耳に入ってきた。
「お待たせ、曙光」
その柔らかい声に視線を上げると、マリーがそこに立っていた。
「・・・おー」
挨拶とも、感嘆とも取れない気の抜けた声を洩らしてしまう。
淡い金髪の縦ロールはいつもと変わらないが、つばの広い白い帽子は初めて見る。着ているのはフリルの施された薄桃色のワンピースで、その上にソフト・ラベンダーのカーディガンを羽織り、全体的に柔らかい印象を抱く。さらに、アンティーク調の白い小さなパラソルまで差している。
着ている服のみならず、帽子と日傘と2つのアイテムが、マリーがお嬢様であることを際立たせている気がした。
「どうかしたの?」
「いや・・・すごく上品な感じがして。改めてマリーっていいトコのお嬢様なんだなって思った」
「あら、普段はそう見えないって言うのかしら」
「とんでもない」
今日まで、マリーと会う場所と言えば学校、それも昼食と放課後だけで、制服姿しか知らなかった。私服の方が個人の性格やスタイルが反映されやすいため、よりマリーのお嬢様らしさを実感しやすい。ただし、学校でもその髪の色や髪形、立ち居振る舞いだけでも、お嬢様であることは感じ取れるが。
「・・・じゃあ、行くか」
「どこか行く予定の場所でも?」
「いや、特にあてはないけど、こういう場所は歩いて楽しみたいし」
実を言うと、曙光は事前に行く先を計画するタイプだ。
ただし、今日は感性が異なるマリーが一緒だ。加えて、この港町のように特定の観光スポットがあるのではなく、商店が多く点在する町は歩いて楽しむ方がいい。なので今回、ほぼノープランに近い。
「あんまり歩くのは嫌よ?」
「まぁ、そんな長距離歩くわけでもないし、マリーも気になる場所とかあったら言っていいから」
一先ずの方針が、自由に回って気になるお店には入るとなり、移動を始める。
だが、曙光は隣を歩くマリーの姿を見て、焦燥感を抱く。ネイビーブルーのシャツに黒のデニム、グレーのジャケットと『年相応』な自分の服は、マリーと比べるとアンバランスな気がしてならなかった。
「曙光、何か言いたいことでもあるの?」
すると、チラチラと視線を向けていたことに気付いたか、マリーが曙光の顔を覗き込む。
「俺たちって何か、アンバランスな気がするなって」
「大丈夫よ、私は特に気にしないわ」
曙光は思わず苦笑いを浮かべて零すが、マリーは首を横に振る。
「それに、曙光の見た目だってそんなに悪くないわよ?馬子にも衣裳って感じで」
「褒めてないだろ、それ」
軽口を叩き合いながら、街を歩く。こうして話をしていれば、最初に曙光が感じていた緊張や不安も自然と薄れてくる。
その中で、マリーが日傘を曙光に差し出してきた。
「ねぇ、曙光。腕が疲れちゃったわ。日傘持ってくれる?」
「・・・はいはい、お嬢様」
最近はあまり聞かなかったわがままに、曙光は鼻で息を吐きつつ、皮肉を交えて日傘を受け取る。
するとマリーは、何故か表情を輝かせた。
「・・・今の良かったわ。もう1回言って?」
「自分で言っておいてなんだが、絶対嫌だ」
首を横に振ると、『えー』とマリーは不服そうに唇を尖らせる。
その様に、ほんの少し曙光の表情が緩んだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
今、曙光とマリーが歩く港町は、西洋の街並みをモチーフとしているらしい。建物や歩道はレンガ造りで、街灯は洋風のガス灯で統一されている。店舗も、種類こそまちまちだが、雰囲気を壊さないよう洋風または明るい色合いのものばかりだ。
「中々いい街ね」
「そうだな・・・」
そうした洋風の景色に、マリーは溶け込んでいた。本当に彼女が異国の人であると思ってしまいそうなほどに雰囲気が合致し、何よりも綺麗に映っている。その姿に、曙光も少しばかり見惚れてしまう。
「あら」
そのマリーは、街の一角にある店の1つに目を付けた。曙光も視線を移すと、そこにあったのはケーキ屋だ。外見は緑を基調としていて、ショーウィンドウからは温かそうな店の中が見える。
「寄っていきましょ?」
言うが早いか、マリーの足がケーキ屋に向く。1人で行かせるわけにもいかず、曙光も後に続き店に入る。
その店は、『木』を基調とした温かみを感じさせる内装だった。壁に掛けられたメニューを見るに、店内で食べるだけでなく、テイクアウトも可能らしい。そして、ショーケースには色とりどりのケーキが並んでおり、それを見たマリーの瞳が輝いているように見えるのは店内の照明のせいだけではないだろう。
「・・・食べるのか?」
「当然じゃない」
マリーは視線を逸らさずに答える。
今はまだ『朝』と言っていい時間帯。こんな時間からケーキを食べるなど、曙光もほとんどない。しかし、マリーは既に食べる気満々だし、店員もお客が来て嬉しいのかニコニコ笑っている。回れ右して店を出るのは気が引けた。
「このモンブランと、チーズケーキと、コーヒーを1つくださいな」
「かしこまりました~」
1人注文を進めるマリー。
こうなると、自分だけ何も頼まずに待つわけにもいかず、それにケーキについては曙光も興味があったので、結局何かを食べることにした。
「すみません、モンブランとレモネードを1つずつ」
「ありがとうございます~」
嬉々としてマリーがケーキとコーヒーを受け取った後で、曙光も注文する。店員はにこやかに頷いてくれた。
朝からケーキ、という初めてのことに罪悪感にも似た何かを抱きつつ、ケーキとレモネードを受け取る。マリーは先んじて、窓際の2人掛けの席に座っていた。
「それじゃ、いただきます」
曙光がマリーの向かいに座ったところで、早速マリーがモンブランをフォークで丁寧に切り取り、口に運ぶ。その直後、表情が輝いた。
「ん~♪」
言うなれば、至福の表情。見ている曙光まで、釣られて表情が緩んでしまう。マリーのケーキを楽しむ姿は、人を幸せにするようなものだ。
それを気取られないように、曙光もモンブランを楽しむことにする。
「本当、ケーキが好きなんだな」
「?」
「いや、そうやって美味しそうに食べてるのを見るとな」
曙光が笑ってレモネードを飲むと、コーヒーに伸ばそうとした手を止める。
「ケーキが好きで、何が悪いのかしら?」
「馬鹿にしてるわけじゃない。むしろ、そうやって美味しそうに食べてるのを見ると作ってる側としては嬉しいよ」
一口分のモンブランを切り取って、曙光は口に運ぶ。その曙光を、マリーは少しの間だけ眺めていた。
「・・・思えば、曙光には色々作ってもらってるわね」
「何だ急に」
「いいえ、ただ・・・まだお礼を言っていなかったと思って」
フォークを置くマリーだが、その前に曙光は首を横に振った。
「お礼なんて今更いいよ。元々は俺が言い始めたことだし、菓子作りも好きだから」
「好きで、ね」
隠しようのない本心を伝えたが、マリーには引っかかるところがあったらしい。何か聞かれると思い、曙光もモンブランを食べる手を止める。
「曙光はどうして、お菓子を作るのが好きなの?」
「どうしてって言われてもな・・・結構単純な理由だけど?」
「いいわ。聞かせて」
本当に興味があるかのように、マリーはニコニコと笑みを向けてくる。これはきっと、正直に話さない限りは興味を持ち続けるだろう。曙光としても、別に墓まで持っていくほど恥ずかしくもないため、レモネードでのどを潤してから話すことにした。
「まだ小学校の頃かな。実家の近くのケーキ屋の前を通りがかった時に、ケーキを作ってる人が見えたんだよ」
「ふんふん」
「そのお店って、ケーキを作ってるところが見られるようになってたんだよな。工房に窓ガラスが付けてあるような感じで」
その時の様子は、今も覚えている。
ケーキを作っていたのは女性だったが、その表情は真剣でありながらも、どこか楽しさを交えているかのように、微笑んでいた。
「それで、菓子職人を目指したいって思うようになったんだよ」
ケーキを作っている様子が、カッコよかった。曙光がその夢を目指したのは、そう言う理由だ。周りがサッカー選手や科学者など、男子の夢の花形を目指す中で、菓子職人は正直女子の目指す夢のイメージが強く、最初はバカにされたものだ。
「それでも、BCに来たってことは諦めてないのよね」
「ああ、菓子職人になろうと思ってる」
その途中で迷うこともあったが、それでもやはり夢は捨てられなかった。折り合いをつける必要もあって、あのBC自由学園に進学したけれど、それでもその夢のために今もまだ勉強を続けている。
話し終えてモンブランを食べる曙光だが、マリーは物珍し気に曙光を眺めていた。
「いいじゃない、夢があるって」
「そうか?」
「ええ。あなたのこと、少し見直したかも」
「見直されるほど評価低かったのか・・・」
げんなりするが、マリーは『あぁ、違う違う』って手を横に振る。
「あなたのことは元々評価してるのよ?私の頼みにはちゃんと応えてくれるし、ケーキも美味しいし」
「・・・・・・」
「それに、さっき聞いたたみたいにちゃんと夢があるんでしょう。そういうしっかりした芯があるのも、私個人としては良いと思う」
曙光からすれば、自分にできることを最大厳努力してやり遂げているに過ぎず、認められこそすれ褒められたものではないと思い込んでいた。
けれど、今マリーから称賛されたのは意外だし、何よりも素直に嬉しい。残ったモンブランを口に運ぶ曙光の口元が緩んでしまう。
「・・・ありがとう」
最後の一口は、少し甘く感じた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ケーキ屋で一休みした後は、また街の散策を始める。
だが、ケーキ屋を出て間もなくして、マリーはある場所を見つけて足を止めた。
「・・・いやいや、流石に早すぎだろ」
視線の先にあったのは、ケーキバイキングの店だった。ついさっきケーキを2つも食べていたのにもう別の店を見つけるとは、目ざとい上にどこまでケーキが好きなのか。
「いいじゃない。好きなものはお腹いっぱい食べたいの」
「だからって時間は開けた方がいいだろ。胃がもたれるぞ」
「私は胃もたれとかしないのよ。これでもお腹は丈夫な方なの」
言いながらマリーはお腹をさする。ケーキを1つや2つ食べるぐらいなら、特に問題はないだろう。しかしそれ以上の数を食べるとなれば、相応に胃も丈夫でなければなるまい。マリーもそれだけの自信があるようだ。
しかし、曙光はまた別の懸念がある。
「胃が丈夫でも、お腹に肉がつきそうだけど」
「戦車道で鍛えてるから大丈夫よ」
戦車道の試合では戦車が激しく動き回り、揺れ動くため自然と身体が鍛えられるらしい。さらに、マリーは隊長として頭を回転させることが多く、糖分もかなり消費する。なので、自然と体調も整えられるそうだ。
「とにかく、だ。ケーキバイキングに行きたいなら行くよ。けど、後だ」
「えー?」
それでも曙光は、推し留めると先へ行こうとする。ぶー垂れるマリーだったが、妥協したのか曙光の横に並んで歩くが、名残惜しいのかいつまでも店を見たままだ。その様子に、嘆息する。
「俺も行くつもりだったし、後で行くから」
「あら、そうだったの?」
「ああ。けどさっきケーキを食べたばかりで胃が重い。どうせなら、もう少し腹の空く午後の方がいいだろ?マリーだってお腹いっぱい食べたいって言ってたし」
曙光は、バイキング系の店に行く時は、必ず元を取るとは言わずとも、食べられるだけ食べるスタンスだ。なので、胃の容量に若干の不安がある場合は避けたい。
「ケーキバイキングに行きたがるのも意外な気がするけど、やっぱりケーキ屋志望だから?」
「だからって程でもないけど、まぁ味の研究とかしたいなぁって」
今はインターネットも便利な時代で、レシピや画像は調べれば見つかる。だが、曙光としては、どれだけ見たところで味の方を知らなければ気が済まない。なので、先ほどのケーキ屋で出来に未だ自信の持てないモンブランを食べ、寄港地でカフェなどがあれば色々食べて研究する。ケーキバイキングもその範疇だ。
「・・・仕方ないわね。そこまで言うなら我慢してあげる」
やれやれ、とマリーが渋々納得する。曙光は『悪いな』と一言謝りを入れておいた。
ケーキバイキングが後回しになったので、それまではまたしばらく街を歩いて楽しむことにする。ただ、何の会話もないのは気まずくなるので、適当な話を振る。
「マリーって、普段こういう寄港地に来たらどうするんだ?」
「そうねぇ・・・その時々にもよるかしら。買い物はすることもあるけど、砂部や祖父江が一緒だし・・・でもケーキは必ず食べに行くわ」
ブレないな、と思う。
「ただ今日は、曙光と一緒に出掛けるのが目的だし、買いたいものとかは特別無いから、適当に歩いているだけで充分よ?」
「そっか・・・なら、行きたいところがあったら言ってくれよ」
そもそも今日は、親交を深めるという目的もある。なので、結果的に2人で街を散策するだけになったとしても、それで目的は達せられたようなものだ。
そうして、色々街を見て回っていると、洋風の大きな建物が目についた。一見、何の建物か分からなかったが、付近には映画の予告映像が流れるサイネージがいくつも設置され、家族連れや若い年齢の男女が出入りしている。
「映画館か」
「あら、こんな造りの場所があるのね」
寄港した先で映画館を見ることは何度もあったが、いずれもビルの上層階だったり近代的な外見だったりで、今のように西洋風の建物は初めて見る。マリーも同じだったようだ。
「あ、この映画やってたのか・・・」
何の気なしに上映作品の一覧を眺めていると、気になっているものがあった。世界的に有名なカーチェイスの映画で、派手なアクションが気に入っている。
曙光が何を気にしているのか気になったのか、マリーも隣から覗き込んでくる。すると、通常とは違う上映形式に興味を持ったのか、『ねぇ』と曙光を見上げて訊いてくる。
「これ、普通とは違う映画なの?」
「これは座席が動いたり、風とか雨とかのエフェクトがあるんだよ。映画の中の世界を体験できるみたいに」
「へぇ~・・・面白そう」
マリーは、曙光が気になっていた映画のポスターも眺める。
やがて、マリーは頷いた。
「これ、観てみたいわ」
「シリーズものだけど?」
「いいわ。曙光も気になってたみたいだし、私もその特別な映画が気になるから」
そう言うとマリーは、曙光を置いて映画館へ入ろうとする。色々と言いたいことはあったが、ああしてずんずんと先へ行くマリーを見ると、もう止める気も起きない。
恐らくマリーは、純粋にその映画の特殊効果を体験したいのだろう。しかし曙光としては、『観よう』と言ってくれたのが嬉しく思う。学園艦に映画館はなく、この機を逃し次の寄港までに上映期間が終われば、DVDがレンタルで出されるまで待たねばならない。だから、今日観られるのは僥倖だ。
それと、無邪気に映画を楽しみにしているマリーの姿も意外な一面だ。ケーキぐらいでしかああした態度を見なかったから、新しい姿を見られて得をした気分にもなる。
「ねぇ、曙光」
そんな風にありがたみと嬉しさを感じていると、マリーが立ち止まって振り返る。
どうしたんだろう、と思ったが。
「映画のチケットってどうやって買うの?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
映画は、無事に観ることができた。
マリーは映画館に入ること自体初めてではなかったが、チケットはいつも大体友人兼付き人の砂部か祖父江が買うものだから、買い方が分からなかったそうだ。
そして肝心の映画は、大いに楽しめた。カーチェイスの映画だから、特殊効果で椅子は揺れるし跳ねるし、時には水飛沫や風、匂いまでも全力で襲い掛かってくる。ストーリーも面白かったし、星5のレビューをつけたいところだ。
しかしそれは、曙光の意見。
一方でマリーは。
「・・・侮ってたわ・・・」
映画館内のベンチに仰向けで横になっていた。
上映前に特殊効果の説明をした時、マリーは『戦車に乗り慣れてるから大丈夫』と自信ありげだったが、上映が終わればこの有様である。特殊効果はあくまでも疑似的な動作の再現で、実際に戦車に乗っている時とはまた違ったせいで疲れたようだ。
「けど、最後までは観るんだな」
「ストーリー自体は嫌いじゃなかったし、特殊効果も楽しかったから」
寝転がるマリーのそばに座りながら、曙光は話しかける。恐らく、上映中は映画本編の楽しさにのめりこんで特殊効果もそれなりに楽しんでいたが、映画の後で身体の疲労を自覚したのだろう。曙光も最初にこの特殊効果を経験した時はそうだったと思い出す。
「水飲むか?」
「ええ・・・」
自動販売機で買ったミネラルウォーターを差し出すと、起き上がってマリーは受け取り静かに飲む。どれだけ疲れていても、水を飲む所作さえ優雅に見えるものだから、なんかズルいと思う。あまつさえ、その姿を美しいとも思ってしまった。
「ちょうど昼時だけど、どうする?ケーキ食べに行くか?」
館内の時計を見上げると、ちょうど正午を回ったところだ。加えて、特殊効果のおかげでエネルギーもかなり消費している。
「・・・ケーキの前に何か食べたいわ」
「そうか・・・なら、行くか」
しかしマリーは、意外にもワンクッション挟むことを望んできた。どうやら、疲労困憊ではなく万全な状態でケーキは楽しみたいらしい。
ともあれ、曙光としても疲れを感じているので、どこかで身体を休めたいと思い、立ち上がる。だが、マリーは曙光を見上げたままだ。
「何か力が上手く入らないわ。立たせて?」
「まったく・・・」
小言を言いたくなるが、わがままなのは今に始まったことではない。やれやれ、と思いながら曙光はマリーの手を掴んで立ち上がらせる。そこまで力を入れずとも、マリーは自分の足で立ち上がった。
「ほら」
「ありがとう」
ふわっと笑みを浮かべるマリーに対し、曙光も嘆息する。
ただ、よく考えてみれば、マリーの手を掴んだのは最初にお互い協力することを約束した時以来だと思う。先ほどは、特に深い意味はなかったが、再認識すると自然と自らの手に視線が落ちる。
「どうかした?」
「いや」
マリーに訊かれるが曙光は首を横に振る。特に気にするべきことでもないのだ。
ともかく、どこで何を食べるかを考えながら、映画館を後にする。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
風に当たりたい、と言うマリーの希望により、昼食はテイクアウトで頼んだものを緑地公園で食べることになった。
「前から思ってたけど、箱入りのお嬢様って感じがしないな。マリーは」
「あなたたちの言う『お嬢様』には、私みたいなのもいるってことよ」
どうやら曙光は、マリーがこうして外で手軽にランチを楽しむ風には見えなかったらしい。実際、こうして外で食べることを行儀が悪いと極端に嫌う人もいるにはいるが、マリーはあまり気にしないタイプだ。
そんな話をしながら、2人でどこか座る場所がないかを探す。マリーとしてはベンチに座って食べるのがベストだったが、晴れの日で家族連れが多いのもあり生憎どこも埋まっていた。
「仕方ないし、芝生に座って食べるか」
「まぁ・・・そうなるわよね」
直射日光の射さない木陰に、腰を下ろすことにする。
しかし、その直前で曙光はポケットから取り出したハンカチを芝生の上に敷いた。
「何の足しにもならないだろうけど、高そうな服だし汚すわけにもいかんだろ」
「・・・ありがと」
意外なアシストに、マリーも舌を巻きつつゆっくりと腰を下ろす。
前々から片鱗が見えていたが、割と曙光はこうした細かな気遣いができるとマリーは思う。外部生の不当な扱いに疑問を抱いているのは確かだが、マリーのことを考えて行動する時は、そうした垣根を考えていないようだ。
それは言い換えれば、人を気遣う時は固定概念や先入観に囚われず平等に接するということ。その点に関しては、マリーも好感を持てる。
「ほら、サンドイッチ」
「ありがとう。曙光はそれだけでいいの?」
「この後ケーキバイキングだし」
マリーの隣に曙光も座り、先ほど移動販売で買ったサンドイッチ(それなりに高い)をマリーに手渡す。一方で曙光は、小ぶりなサイズのおにぎり2つ(高くない)だけで、育ち盛りの男子高校生的には少ない気もする。ただ、この後の予定を考えれば満腹になりたくない気持ちも分かった。でなければ、今朝の二の舞である。
「・・・おにぎり、長いこと食べてないかも」
そんな曙光が手に持つおにぎりに、マリーは注目する。白米と味付け海苔のシンプルな見た目のそれは、お嬢様として生活していたマリーから見ると、懐かしい外見だ。
「・・・食う?」
「あら、いいの?」
「そりゃ、そんな興味ありげに見られたら」
さすがに露骨すぎたか、曙光がおにぎりを差し出してくる。
悪いことをした、と思いつつ、目の前の懐かしい感じがする食べ物に対する食欲を抑えられずに、かぶりつく。
「あむっ」
おにぎりの上半分ほどを貰い、ゆっくりと味を楽しむ。
まず感じ取るのは、塩っ気が混じる米と味付け海苔の混じりあう味。かと言って味が濃いなんて感じはせず、なめらかな味わいだ。
そして次に感じるのは、
「あ、梅干しって大丈夫だった?」
「んっ!!?」
口いっぱいに広がる強烈な酸味。一瞬で目に涙が浮かび、口の中が熱くなる。
さすがに初めて思い知る味には平静を保てず、バシバシと曙光の肩を叩く。今のマリーには上品さも優雅さも欠片もないのは自覚していた。曙光もマリーが梅干しの酸っぱさに悶絶しているのを理解したようで、すぐさまミネラルウォーターを差し出してくる。それをマリーは飲んで、口の中の大災害をどうにか収めることができた。
「・・・謀ったわね、曙光」
「・・・説明が遅れたのは悪かった」
落ち着いたところで、マリーは恨みがましい視線を向ける。と言っても、曙光が悪気があってあの梅干しおにぎりを差し出したのではないことは、分かり切っていた。
「梅干しはともかく、おにぎりのお米は、何だか懐かしいような味がしたわ」
「まぁ、おにぎりって食べるとそういう気持ちにはなるな。なんかこう、日本人の心が揺さぶられる感じ」
そう言って曙光は、(大半をマリーが食べた)梅干しおにぎりを食べる。
マリーもずっと昔におにぎりを食べたことがあるが、その時の味は正直言ってほとんど忘れていた。今はその時を思い出すかのようで、同時に自分の中で埃を被っていた感覚が蘇ったかのようだ。
「はぁ・・・落ち着く・・・」
その感傷に浸るのもほどほどに、マリーは口直しにサンドイッチを食べる。フレッシュな触感の野菜やハムが、梅干しで乱れた心を穏やかにさせてくれた。
そうして落ち着いたところで、曙光が話しかけてくる。
「酸っぱいものとか苦手なのか?」
「そうね・・・。私たちが食べてる料理って、大体は舌触りが滑らかだし、味付けも濃すぎず薄すぎずなのよ。だから、さっきみたいなすっごく
梅干しの味を感じた時、『無理』と言うより『驚いた』という気持ちの方が強かった。
普段食べる料理・・・例えば学食や曙光が作ってくれるケーキは、『甘い』『苦い』という味は伝わってくる。
しかし、それらは口の中に長く居座ることはない。先ほどの梅干しや、以前曙光に持ってきてもらった屋台の料理のように、濃い味付けでインパクトのあるものは、ごく少数だ。
「曙光も、学食で私たちが普段食べてる料理を何度か経験したと思うけど、ああいうのは嫌い?」
「嫌いではないよ。物足りなさはあるけど」
「それはやっぱり、味付け?」
「かなぁ。普段食べてるのと比べると、どうにも薄く感じてな」
おにぎりを1つ食べ終える曙光を見て、マリーも頷く。
「まぁ、私たちも薄めの味付けに慣れてしまったし、あなたたちが食べる料理をすぐに受け入れるのは難しそうだわ」
「学食に庶民の料理が入らないのは、そんな理由だよな・・・」
「そのあたりは、お互いに理解を深めあってからにしましょう」
今すぐにはどうにもならない話だ。仕方ない、とお互いに肩をすくめてマリーはサンドイッチを食べる。横目に曙光が包装を解いたおにぎりを見るが、中身は鮭だそうだ。そっちの方を貰えばよかったと、今更マリーは後悔する。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
昼食の後は、いよいよお待ちかねのケーキバイキングだ。
最初に見たその店から緑地公園は若干距離が離れていたため、そこに辿り着くまでにはほどよくお腹も空いていた。しかし、時間帯が丁度ティータイムと被ってしまったために、店の前でまた少し待つ羽目になってしまう。
「仕方ないわ、待ちましょう」
「だな」
順番待ちのリストに名前を書いて、曙光とマリーは邪魔にならない場所で待つことにする。
その中でも、曙光たちは異質に見えた。他の客は女性客がほとんどだし、男性客はいたとしても女性と一緒―――恐らくカップルなのだろう―――で、おまけに曙光はマリーに日傘を差しているのだ。あらゆる面で目立っており、ちらちらと視線が向けられる。学園でエスカレーター組から向けられるものとはまた違った恥ずかしさがあった。
「・・・なぁ、今だけでいいから日傘ぐらい自分で持ってくれないか」
「イヤよ。腕が疲れちゃうじゃない」
「俺はもう既に疲れてるんだけど・・・」
耐えかねてマリーに日傘を返そうとするが却下された。今日は最初によったケーキ屋から映画館、さらにそこから緑地公園を経由してここに至るまで、日傘は一貫して曙光が持ったものだから、腕も悲鳴を上げている。長時間同じ姿勢でいるのは思った以上に辛い。
それでも、マリーの言葉だから、とあっさり引き下がる自分自身がどうにも情けなく思う。
そして並び始めてから数十分、ようやく自分たちの順番が回ってきた時には、曙光も歓喜の息を洩らしたほどだ。
「こちらへどうぞ~」
店員に導かれるままに席に着き、説明を受ける。ケーキバイキングと謳っているが、ここは食べ放題のコースを決めた後は、席から注文をするシステムになっているらしい。なんでも、以前1種類のケーキを独り占めした客がいたようで、その対策だそうだ。
何にせよ、ケーキが食べられるだけで、今の曙光とマリーにとっては十分だった。
「それじゃ、ここからここまで1つずつくださいな」
そしてあろうことか、メニューの端から端まで1つずつ注文という荒業を、マリーはやってのけた。破天荒とも無計画とも言える注文に、曙光の度肝が抜かれる。
一方で、店員は嬉しそうな笑みを浮かべる。接客スマイルだろうが、こういう食べ放題の店では逆に売れ残ると損失となるため、マリーのように多く食べる客はありがたいのかもしれない。それでいいなら口出しはしまいが、と曙光は苦笑して自分の分も注文する。
「あんな頼み方をする奴、初めて見たよ」
「ご不満?」
「いいや。けど、食べきれなくて泣きついてくれるなよ」
「まさか」
誇らしげに自分の腹に手をやるマリー。その仕草、声音、表情でケーキを心待ちにしているのが窺える。そんなマリーを見ていると、曙光自身気持ちが穏やかになり、笑みが零れる。好きな食べ物を心待ちにしている姿は、見ていて微笑ましいものだ。
それから少しして、店員がカートに載せたケーキを運んでくる。まとめて頼んだからどうなるかと思ったが、そこは店側も考えているようで、大きめの皿数枚に分けてケーキが載せられ、全体的にコンパクトに収まっていた。
「んまっ!」
それを目にした途端、マリーの瞳が宝石のように輝く。色とりどりの大好物のケーキが目の前に並ぶその光景は、感激ものらしい。曙光が日々マリーにケーキを持ってくる時以上に、表情は生き生きとしていた。
そして曙光とて、心が動かないでもない。好物のケーキを前にし、ケーキの甘い香りが鼻腔をくすぐり、昂るのを感じる。
「「いただきます」」
併せて頼んだコーヒーが届いたところで、ようやく食べ始める。頭の中でゴングが鳴り響いた気がした。
手始めにマリーが食すのは好物のモンブラン。曙光はミルクレープだ。
お互いほぼ同時に、一口目を食べる。
「・・・んふ」
空気が漏れるような笑みを、マリーが見せた。あれだけ楽しみにしていたケーキ、しかも自らの大好物故の反応だろうが、曙光は可笑しくて思わず吹き出してしまう。
「何よ?」
「あ、すまん・・・別にバカにしたわけじゃない。マリーの反応が面白くて、な」
「それをバカにしてるって言うんじゃないかしら」
曙光の言い分にも、マリーは釈然としない。美味しいものを、好きなものを食べているだけなのに、笑われたのが不服なようだ。
「美味しそうに食べているのは、見ていて楽しいし、嬉しいよ」
「嬉しい?」
「ああ、作っている側からすれば」
ミルクレープを食べ終えて、改めてマリーを見る。
「そのケーキを作ったのは俺じゃない。けど、今さっきみたいに、作ったケーキを美味しそうに食べているのを見るのは、嬉しくなるよ」
これまで曙光は、マリーに対して多くのケーキや菓子を振る舞い、マリーはそれらをどれも美味しそうに食べてくれていた。
曙光はその反応を見ると、純粋に嬉しかった。いつだって曙光は菓子作りには真剣に取り組んでいるし、その成果をマリーは美味しそうに食べてくれる。自分の中にわずかでも残っていた不安や緊張を全て取り払うようだから。
「だからきっと、このケーキを作った人も、さっきみたいなマリーの顔を見たら喜ぶと思う」
「そうかしら?」
「ああ、絶対そうだ。俺だって、マリーのそういう顔を見るのは好きだし」
言ってから、今のは踏み込みすぎたと自省する。
マリーがフォークを咥えたまま、視線をわずかに下に向けた時点で、それは明らかだ。
「・・・まぁ、あくまでケーキ作りが好きな一個人の言葉として、適当に流してくれ」
「ん、そうね」
それでも曙光本人は、本当にマリーのケーキを食べて嬉しそうな表情を気に入っていた。だから先ほどの発言は撤回せず、適当にお茶を濁す程度に留めておく。
(そういう表情もできるんだな)
そして今の、わずかに動揺したような、妙にもじもじした表情も初めて見た。
物憂げな表情や、嬉しそうな表情、楽しそうな表情はこれまで何度も見てきたが、今のマリーは見たことがない顔をしている。その表情だけならば、彼女も格式高いお嬢様であれど、中身は1人の女の子であると思わされる。
「・・・あの、曙光。あまりじろじろ見られると食べにくいのだけど」
「あぁ、悪い・・・」
どうやら、ほんの少し見惚れてしまっていたらしい。誤って曙光は、誤魔化すようにコーヒーに口をつける。
ほろ苦く温かいそれを飲むと、曙光も手元のチーズケーキに視線を落とす。今は、マリーと自分の好物であるケーキを存分に堪能することにしよう。そう思い、フォークでチーズケーキを小さく切り取り口に運ぶ。チーズ特有の風味が美味しい。
そこで、ちらとマリーの様子を伺うが、やはり美味しそうにケーキを食べている。
「・・・・・・」
が、そこで不意に視線を上げたマリーと目がかち合った。
別に悪いことをしたわけでもないが、慌てて曙光は視線をチーズケーキに戻す。無性に気まずい感じがした。
曙光はそれから店を出るまで、必要以上に視線を上げず、マリーと視線が合わないように努めた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
思う存分、マリーはケーキを堪能した。全てのケーキを2~3回ずつは頼んだと記憶している。その分、お腹は若干膨れているし、少しばかり苦しい気もするが、好きな食べ物を好きなだけ食べての結果だ。悔いはないし、心地よさすらも感じる。
曙光は、マリーがすぐに動けないのを察し、落ち着くまで帰るのを待ってくれた。
そして今は、やや陽が傾き始めた街を2人で歩いている途中だ。もちろん、日傘は曙光が持ってくれている。
「いつもこれぐらい食べてるのか?」
「そうね。やっぱりこういう時じゃないと、ケーキを好きなだけなんて無理だもの」
学校でもケーキを食べることは多いが、その場合数には限りがある。今日のバイキングのように、時間制限付きだがケーキを食べられる機会は、マリーにとってもそうそう無い。
「曙光が私のためにもっとケーキを作ってくれれば、話は別なんだけど」
「それは無理だなー。学校の食材にも限りはあるし」
曙光の答えにマリーは肩を落とす。
昨今の教育方針は、生徒の自主独立性を尊重するものと、マリーも理解している。前に曙光から聞いた話では、ケーキを作る調理実習室は申請さえすれば自由に使って問題なく、食材も無駄遣いをしなければ良いらしい。かと言って、あまり使い過ぎると学園側に迷惑が掛かり、教師から白い目で見られかねない。あまり出すぎた行動はできなさそうだ。
「まぁ、これからマリーが食べたいってケーキがあれば、極力応えるよ」
「本当?なら、期待しておくわね」
曙光の心意気に、マリーもすぐさま嬉しくなる。次はどんなケーキを作ってもらおうか、と心が躍る。
そんなマリーを傍らに、曙光は傘を差しながら訊ねてきた。
「さて、これからどうする?」
「んー・・・疲れちゃったし、もう帰ろうかしら」
「分かった」
時刻は午後4時前で、まだまだ学園艦の乗降締切時刻まで余裕はあるが、色々あってマリーも疲れている。なので、寮に戻って休みたかった。曙光も食い下がりはせずに頷く。だが、マリーに視線を向けたままだ。
「何かごめんな。せっかくのお休みの日に、疲れさせて」
「いいわよ、楽しかったし」
梅干しに悶絶し、映画の特殊効果に叩きのめされたりもしたが、それらをマリーは単に『嫌な思い出』と処理はしない。いずれも、庶民の曙光と出掛けたことで経験することができたのだ。『嫌な出来事』として処理したくないし、むしろ楽しかった。
「・・・楽しかったのか」
「ええ。ケーキも思いっきり食べられたしね」
「そっちが本音だろ」
曙光は苦笑する。普段のマリーのケーキ好きを考えれば、その反応も当然かもしれない。
しかしマリーは、曙光を見上げる。
「曙光と話をしたり食事をするのも、楽しかったわよ?」
そう言った途端、曙光はまた前を見据える。
マリーの言葉は、リップサービスなどではない。同じ目的を持つ者同士であり、気心知れた仲の人間とだからこそ、今日の出来事は楽しかった。
「・・・そう言ってもらえると、普通に嬉しい。ありがとうな」
そして曙光は、マリーの方を見ずにお礼を告げる。
エスカレーター組の重鎮・マリーは、男子とこうして一緒に外出したことや、向かい合って話をしたことがほとんどない。彼女もまた箱入り娘の部類に当たり、ずっとお嬢様学校育ちだったから。
だから今日のことも、曙光の言葉も、どれもマリーにとっては経験したことのないものであり、それが心に穏やかに染み渡っていく。不快な気持ちなど、少しも入り込まない。
自分の心が、曙光と接している内に変わりつつある。
それを実感しながら、学園艦への道を曙光と並んで歩いた。
□ □ □ □ □
休日になると、真壁は割と積極的に出歩くタイプだ。それが寄港日となれば尚更で、よほどのことがない限りは自室に籠ることもない。
なのでこの日も、真壁は自前の朝食を食べ終えると早速港町へと繰り出した。
その周囲には、友人や知人の姿はない。
(曙光も用事があるって言ってたし、しょうがないよな・・・)
こうした休日、真壁は大体曙光をはじめとした友達と過ごすことが多い。だが、前日に誘ったのもあってか、曙光は何か予定があるようで断られてしまった。他もまた、それぞれ用事なり課題なりがあるというわけで、結果今日は1人で過ごすことになった。
真壁は別にパーティーピーポーでもなく、1人でそれなりに楽しめる人間なので、友達がいなくて寂しいなどとは思わない。それでも、多くの人に断られるのはそれなりに残念だ。
「さて、どうするかな・・・」
一先ず、西洋風の街の中心まで来て、どうするかを考える。
真壁は休日に綿密な計画を立てる方ではなく、ノープランで歩き回ることが多い。だが、この港町は初めて来た場所であり、考え無しに歩き回ると迷子にもなる可能性が高い。この年で迷子など避けたかった。
なのでまずは、大体の地理を把握するために街の簡単な地図を見ておく。
「あら、真壁さん?」
だが、そこで後ろから突然声を掛けられた。全く予想だにしない場所からの言葉に驚き振り向くと、そこには意外な人がいた。
「あれ・・・砂部さん?」
ダスティピンクのニットのセーターに、グリーンのマキシ丈スカートと、余所行きの装いの砂部。やや明るめのポシェットを肩に提げており、学校で見る姿とはまた違う落ち着いた印象がした。
それよりも真壁は、偶然にも砂部と休日にこうして会えたことが嬉しかった。ただ、相手が何か用事の途中の可能性も否めないが。
「どこかへ行くところ?」
「いえ、それが・・・一緒に出掛けるはずだった友人が体調を崩してしまったようで・・・」
「ありゃ・・・」
「それで、仕方なく街まで来たんですが、どうしようかなって」
どうやら砂部も、1人で手持無沙汰な感じらしい。
「真壁さんはどうしたんですか?」
「あー・・・特に予定もないから、適当に街をぶらぶら歩こうかなって」
「あら、そうでしたか」
真壁の答えを聞いて、砂部も笑みをこぼす。
(・・・これは)
『チャンス』ではないか?
砂部は見る限り1人、真壁自身も同様。おまけに休日とくれば、ここで真壁が砂部と一緒に街を歩こうと誘っても違和感はほとんどない。
前に昼食を一緒にした時も誘おうとしたが、その時はあれこれ考えて結局日和った。
「あの、砂部さん」
「はい?」
しかし、また今もぐずぐずしているとこの機を逸してしまう。
身分の差とか、断られたらどうしようとか、そんな考えても進展しないことは、今だけは考えない。
振り向いて、きょとんとした砂部に向かって、言葉を投げかける。
「よければだけど・・・今日、一緒に見て回らない?」
さりげなく提案したつもりだ。表情がいつも通りを保っていられたかは自信がない。
けれど、真壁の言葉に、砂部は穏やかな笑みを浮かべてくれた。
「・・・いいですよ。私でよろしければ」
内心、飛び跳ねて喜んだ。しかしその気持ちはおくびにも出さず、『ありがとう』とお礼を告げて、改めてどうしようかと考える。
誘ったはいいものの、結局はノープランに変わりはない。街を歩くのもいいが、それだと知り合いにばったり会いそうな気がしてならなかった。疚しいことをする気は微塵もないが、同じBC自由学園の生徒・・・特にお嬢様にこの状況を見られると砂部に迷惑が掛かってしまいそうだ。
「砂部さんは・・・どこか行きたいところがあったりします?」
「えーっと、実は一か所・・・」
とりあえず砂部に希望の場所がないかを確認したところ、どうも候補があったらしい。しかし、どうにも砂部が恥ずかしそうなのはなぜだろうか。
「こちらのお店に・・・」
スマートフォンを操作して砂部が見せたのは、ケーキバイキングの店だった。ここから距離はさほど離れてもいない。
「ケーキバイキング?いいよ、行こう」
「いいんですか?」
「いいも何も、砂部さんが行きたかったんでしょ?」
何かと思えば、別に女子なら行きたくてもおかしくない場所だった。なので、真壁は快く頷く。これがランジェリーショップの類だったりしたらどうしようもなかったが。
ともかく、砂部の希望に従って、真壁は並んでその店へと向かうことにする。
こうして男女が並んで歩いていると、どうにも気持ちが逸ってしまうのを真壁は抑えられないが、砂部が何か申し訳ないような表情を浮かべているのも気になる。
「どうかした?」
「いえ・・・こんな時間からケーキバイキングに行きたいなんて、少し恥ずかしいなって」
どうやら、食い意地が張っていると思われるのが嫌だったらしい。それについてどう感じるかは人それぞれだが、少なくとも真壁はそれだけで失笑するような人柄をしていない。それに、砂部がケーキ好きなのは知っていた。
「俺は別に・・・恥ずかしがることはないと思うなぁ」
「ですが・・・私にとっては割とデリケートな問題なのですよ?」
困ったように笑う砂部。男が軽く考えていることも、女にとっては由々しき事態であることもしばしばある。それはこのケーキ問題についても例外ではなくて、真壁がどう言っても砂部は納得しなさそうだ。
「んー・・・でもさ、砂部さんが一緒にいるマリーさんは、いつもケーキを食べてるでしょ?」
「いつもってほどでもないですけど、まぁそうですね・・・。マリー様はケーキが大好きですし・・・」
マリーが大のケーキ好きとは、受験組でも知られた話だ。
また、曙光がマリーと交流を持つようになってから、本人と何度か話をしたこともある。その際、曙光の作るケーキは美味しいとか、試合中でもケーキを食べているとか、彼女を語るにおいてケーキは外せない。
「マリーさんだって、砂部さんと同じ女の子だろ?だから、砂部さんがケーキが好きだって言っても何も不思議じゃないはずだ」
真壁と砂部は住む世界が違うし、感性のずれも少なからずあるだろう。だが、好きな食べ物を好きな時に好きなだけ食べることに関しては、真壁もとやかく言わないし、賛同する。それに砂部のすぐそばには、同じくケーキ好きのマリーがいるのだから、気負うことも恥ずかしがることもないはずだ。
「そうでしょうか・・・」
「絶対そうだよ」
砂部はまだ自信が持てないようだが、真壁は自信を持って頷く。
それでも一応気が晴れたのか、砂部からはその困ったような笑みは消えた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
そのケーキバイキングの店だが、客が一種類のケーキを独占しないように、食べたいケーキを席で注文し、店員に持ってきてもらうシステムらしい。
時刻はまだ昼前で、客もまだまばらだったため、真壁と砂部は待つことなく席に着くことができた。それから、食べ放題のコースとコーヒーを2人分頼む。
「すみません、私のわがままに付き合ってもらっちゃって」
「謝らなくていいよ。俺も正直、どこへ行こうか悩んでたし、ケーキバイキングも好きだから」
そう言って真壁はお冷を飲むが、砂部は先の真壁の言葉に興味を持ったらしい。
「好きなんですか、こういうところ」
「ああ。菓子作りにハマったせいでもあるんだけど、割と甘いものも気に入っててね」
「そうでしたか・・・けど、和菓子が好きって仰ってませんでしたっけ」
以前の話のことを覚えてくれている。それだけで、真壁は嬉しい。
だが、砂部の言わんとすることも分かる。ここの店では、真壁が好きな羊羹や饅頭などの類は提供していない。
「確かに和菓子は好きだよ。けど、ここみたいに洋風のケーキとかも俺は好きだし」
するとタイミングよく、頼んでいたケーキとコーヒーを店員が運んできてくれた。砂部が頼んだケーキは3つ、真壁は2つだ。
「「いただきます」」
食材に対する最大限の礼儀は忘れずに、お互いにそれぞれケーキに舌鼓を打つ。
「さっきの話ね。やっぱり学校の授業だと、和菓子は作りにくいんだよ。材料が用意されてないし、ウチってあんなだから・・・」
「あぁ、そうですね・・・失礼ながら、それは確かに」
最初のショートケーキを食べ終えたところで話を続けることにする。
BC自由学園は、全体的に洋風のイメージが強い。なので学食はもとより、授業で作る菓子も自然とケーキ類に寄ってしまいがちになる。また、学校側もそのイメージ的な面を重視しているのか、和菓子を作るのに必要な材料を用意してくれてはいない。なので、和菓子作りを好む真壁も、授業中は洋菓子を作るしかない。
「でもね、洋菓子を作ってると・・・愛着って言うのかな。これも悪くないなって思うようになったんだ」
和菓子に目覚めるまでは、普通にケーキなどは食べてきた。しかし、病みつきになるほどでもなく、『好きな食べ物は?』と聞かれて悩んだ末に『ケーキ』と答える程度だ。
けれど、和菓子に目覚めて、学費の関係でBC自由学園に進学し、授業でケーキを作ることが多くなって、洋菓子の魅力にも遅くなったが気づけた。
「だからまぁ・・・こういうところで食べるのも好きだよ。砂部さんも、気にすることなんてないからさ」
「そうですか・・・ありがとうございます」
そう言う砂部も、モンブランを一つ食べ終えたところだ。
しかし、何か不安そうに自らのお腹をさする。2つ目のケーキにフォークを伸ばそうとした真壁は、すぐさまそれに気づいた。
「どうかした?」
「いえ、・・・食べ過ぎると、またちょっと怖いなぁって」
どうやら、女の子のデリケートな問題を今まさに心配しているらしい。ケーキバイキングに行きたかったのに何を今更と思うが、それは愛嬌で中和する。
「俺が思うに、砂部さんは全然そんなの気にしなくていいかなって」
「でも、ちょっと食べすぎるとどうしても不安になってしまいます・・・。いつも、祖父江さんと一緒にいるせいで、比べられやすいというか・・・」
言われてみれば、真壁も学校で偶然砂部を目にする際は、祖父江と一緒だった覚えがある。ついでに言えば、祖父江は若干細い印象もある。一方で砂部は、髪の色など雰囲気もあってかそういった感じではない。なので、2人並んで立っていると、砂部の方がどうにもそれっぽく見えてしまうのを気にしているようだ。
「大丈夫だって。それに俺個人としては、好きなものは我慢しないで好きなだけ食べてほしいし」
「そういうものでしょうか・・・」
「もちろん。そういう見てくれを気にして、思うように食べられなくて苦しんだり悩んだりするのを見るよりかは、ずっといいよ」
太るのを気にして食べるのを我慢するのは、個人の自由だ。
しかし真壁からすれば、好きなものを食べるのは我慢しないでほしい。食品を作る側としては、好きなものを食べて幸せそうな顔を見ていたい。
「・・・あっ、美味しい」
具体的には、迷った末にチーズケーキを食べて表情を綻ばせる砂部のような姿を。そう言う素顔が、真壁は見たい。
だがそこで、真壁はあることを思い出す。
「そうだ、和菓子を作って差し入れるって話、したじゃない?」
「あ、そう言えばそうでしたね」
「それなんだけど、次の学校の日に持っていくよ」
「あら・・・よろしいんですか?」
砂部は申し訳なさそうだが、真壁は素直に『もちろん』と答える。言い出しっぺは自分だし、砂部も楽しみにしているようだったから。
「でも、どうしましょう・・・また食べ過ぎてしまいそうです」
「だったら、今日一日色々な場所を歩いて回ろうよ。そうすれば、エネルギーも消費できるし」
また苦笑いをする砂部だが、お菓子を食べて摂取するカロリーは、今日の内に消費してしまえばいい。そのために、色々な場所へ行ってみるのが効果的だ。
「・・・そうですね。それでは、この後はどこへ行きましょうか」
「んー・・・この街もそこそこ広そうだし、どこに何があるのかもちょっと分からないからなー・・・」
何せ初めて来た街なので、勝手が分からない。仕方なく、この店の後は適当に街を歩くということになった。
だが、そのタイミングで、計らずとも今日一日砂部と行動を共にすることになったと、真壁は思い至る。提案した時はそのことを考えていなかったが、無意識の自分を褒めてやりたい。
今日は、楽しい休日となりそうだと、真壁は思う。
同時に、今日予定があって真壁との外出を断った友人たちに、心の中で礼を告げた。