無限軌道杯は、元々は毎年開催されていた戦車道の大会だ。だが、戦車道の競技人口の減少に伴い、20年前から開催されなくなった。しかし昨今、国内で戦車道の人気が高まり、競技人口も上昇傾向になったため今年から復活したと言う。
戦車道に注目が集まっている理由は、大洗女子学園なる学校が見せた奇跡の試合の数々だろう。数十年ぶりに参戦し、戦力もままならないにも関わらず、全国大会では強豪校を次々と撃破し、夏の終わりには大学選抜チームとの試合も制した。それから武芸『戦車道』の知名度はうなぎのぼりだ。
しかしマリーにとって、戦車道が人気を取り戻した理由は些末な問題だった。大洗女子学園が奇跡の全国優勝を成したのも、大学選抜に勝ったことも、『すごい』程度にしか思っていない。
第一に考えているのは、BC自由学園が公式戦に参加する機会ができた点だ。
目下最大の目標は、エスカレーター組と外部生の完全なる和解。全国大会の時は、1人でそれを実現しようとし、結果挫けてしまった。だが、今は協力者がいて、状況も少しずつではあるが好転しつつある。今、大会に参加して両陣営が協力して結果を挙げれば、目標を達成する日がまた一歩近づくだろう。
だから、無限軌道杯に参加するのは即決だった。
「くじは私が引く」
「外部生にそんな大役が務まるか。私が引く」
「対戦相手を決めるだけのくじに外部生も何もあるか。器の小さい奴め」
「大雑把な貴様らに言われたくはないな、ん?」
そして、早くもトラブルが起きた。
ここは首都圏にある、無限軌道杯のトーナメント表を決める抽選会場。太平洋を航行する学園艦からはるばる出向いたが、抽選のくじを誰が引くかで、同行した押田と安藤が小競り合いを始めたのだ。
「はい、そこまで」
そこでマリーは、曙光が持たせたケーキを傍らに置き、仲裁に入る。掴み合いになりそうだった2人も、そこで動きを止めた。
マリーは、安藤に目を向ける。
「安藤、あなたが引いて」
「マリー様、外部生にそんな重要な役を任せるなんて!」
マリーの提案に、押田は案の定難色を示す。目の前で貶された安藤もムッとした顔を押田に向けた。
「くじを引くのに外部生も何もないじゃない。結局は運でしょう?」
しかしマリーは、肩目を瞑って優しく言い聞かせる。押田は『ぐぬぬ』と納得いかない様子だが、やがて乱暴に溜息を吐く。
「いい結果を出さないとただじゃ済まさないからな」
安藤を指差して告げる押田。所詮運なのだからいい結果も何もないのだが、やはり押田は初戦の相手を決める重要な役目を外部生に任せることが、未だに解せないようだ。
そんな押田の態度に、安藤もまた歯ぎしりをするが、すぐに壇上へと向かう。いい加減周囲の学校から向けられる戸惑いの視線も増えてきたので、ようやく話が進んだことにマリーは一安心した。
『BC自由学園、3番』
やがて壇上で安藤がくじを引き、掲げる。
アナウンスと共に、トーナメント表の左から3番目の空欄に校名が浮かび上がった。対戦相手はまだ決まっておらず、それを見てマリーの隣の押田は『ふん』と鼻息を吐く。一方の安藤は、さして動揺もせず戻って来た。その結果を見て、マリーもとりあえずは安心してケーキを食べる。
その対戦相手は、思ったより早く決まった。
『大洗女子学園、4番』
壇上に上がった、大洗女子学園の制服を着た女子―――西住流の隊長ではなかった―――がおっかなびっくりくじを掲げると、アナウンスが告げる。途端、会場の至る所から安堵の声や溜息が聞こえてきた。
トーナメント表に、大洗女子学園の名前が浮かび上がる。その位置は、BC自由学園の右隣。つまり、一回戦の相手だった。
「夏の優勝校と当たってしまったではないか!」
その直後、安藤が立ち上がりマリーに向かって怒鳴る。大方、にっくきエスカレーター組のマリーが自分にくじを引かせたから責めているのだろうが、それは逆恨みだとマリーは思う。
「くじ引いたのは君だろう!」
そして押田も、安藤の言い分を不服と理解しているから、立ち上がって指を差し指摘する。
だが、安藤はその押田の腕を掴んだ。
「人に責任を擦り付ける気か!」
「擦り付けてなどいない!全く受験組の連中はこすっからい奴ばかりだな!」
「エスカレーター組の奴らは上から目線過ぎるぞ!」
「何をこの外様が!」
そうしてまたいつものように、人目も憚らず取っ組み合いを始める2人。
その様子にマリーは辟易しつつも、ケーキを食べながらトーナメント表を見る。
一回戦から、あの大洗女子学園といきなり戦うことになってしまった。これは運なので、マリーには誰を責めるつもりもない。過去の相手の戦いを実際に見たことはないが、それでもどれだけ強いかは知っているし、だからこそ油断のならない相手だと思う。
しかし、これは逆に大きなチャンスだ。
分裂したエスカレーター組と外部生が手を組み、大洗との戦いで勝利できれば、かつて叶ったベスト4入りができるかもしれない。ともすれば、優勝だってできるかもしれない。
そうなれば、長年続くエスカレーター組と外部生の争いに終止符を打つことだって、できるはずだ。
□ □ □ □ □
「まさか、いきなり大洗と当たるなんてね・・・」
日を改めて、BC自由学園の学食。
マリー、押田、安藤の3人を前に難しい表情を浮かべているのは、このBC自由学園のOGであるり、現在は大学選抜チームで副官を務めているアズミだ。彼女は今、グレーのジャケットに黒のタイトスカートと大学選抜チームのユニフォームを着ている。
「先輩は、大洗を知っているんですか?」
「知ってるも何も、実際に戦ったんだもの」
安藤が訊ねると、アズミは苦笑して肩を竦める。彼女を含め、大学選抜チームは件の大洗女子学園―――正確には大洗
「だからこそ言えるのは、生半可な覚悟で挑んでは駄目ってこと。仲間割れなんてしていたら、勝つことなんてできないわよ。あなたたちは、協力すれば強くなれるんだから」
OGでもあるアズミもまた、BC自由学園の内部抗争をその目で見てきた。だからこそ、それが大きな弱点であり、それさえ克服できれば強くなれるはずだと思っている。
しかし、それを理解して即実行に移せれば苦労はしない。
「「・・・・・・」」
マリーを挟んで安藤と押田は睨み合っており、『誰がこんな奴と』と雄弁に顔が語っている。アズミはそれを見て、思わず溜息を吐きそうになった。
「・・・そうね、その通りだわ」
だが、マリーがそう告げると、溜息が口の中で消え去る。
アズミは今日に限らず、しばしばBC自由学園に顔を見せに来ていた。マリーが隊長に就いた時も訪れており、だからこそ『こんな子が隊長で大丈夫だろうか』と不安になっていたものだ。何せ、わがままで自由奔放なイメージが強く、隊長に不向きな性格だったのだから。
そのマリーが今、両陣営の協力に対して意欲的な姿勢を見せている。それも、この学園が抱える大きな課題を前にして。
「だからあなたたちも、仲良くなさい」
「・・・はい」
「・・・分かりました」
マリーがそうした態度を見せたので、押田も安藤も先輩を前にして喧嘩などしていられなくなる。不承不承という形でも、頭を下げた。
一見普通そうに見えて、BC自由学園では単純には見られない光景に、アズミも思わず唇が緩んでしまう。後輩たちが成長することは、とても嬉しいものだ。
そしてアズミは、可愛い後輩たちの勝利のために、早速知恵を貸すことにする。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ありがとう、アズミ。今日は勉強になったわ」
「あのね・・・仮にも私が年上なんだし、せめて『先輩』ぐらい付けなさい」
話し合いは2時間ほどで終わり、マリーはアズミを送るために校門へと向かう。押田と安藤は、それぞれの陣営の戦車隊を呼集し、大洗女子学園との試合に向けて話を詰めていた。
アズミを送る途中で、マリーは感謝の言葉を述べるが、年上への敬意に欠ける言葉にアズミは苦笑する。マリーからすれば、アズミは気心知れた先輩後輩のような印象があったので、呼び捨てにしている。
「それにしても、あなたも変わったものね。ああして、エスカレーター組と受験組の仲を取り持とうとするなんて」
先ほどの話し合いの中でも、事あるごとに押田と安藤はマウントを取り合い、口喧嘩が始まりそうになった。その度に、マリーは押田や安藤を宥めて、その場を収めた。アズミからすれば、どうもマリーのそんな様は新鮮に見えたらしく、不思議に思ったらしい。
訊かれたマリーは、少しだけ笑みを浮かべた。
「・・・ちょっと、ね。気が変わったの」
「ふーん・・・?」
適当にぼかした答えでも、アズミは一応は納得してくれた。マリーの元の性格を知っているからかもしれない。
「そう言えば思ったのだけれど・・・」
「?」
「アズミがいた頃は、ウチの学校もベスト4入りしていたみたいだけど、何か特別なことをしていたの?」
マリーが訊ねる。アズミは『だから先輩を付けなさいって・・・』とブツブツ言いつつも、腕を組んで思考する仕草を取る。
アズミもまた、BC自由学園で戦車道を履修していた。だが、彼女が在籍した3年の間、BC自由学園は初戦敗退もなく、準決勝まで進んだこともあったのだ。その前も後も初戦敗退を重ねているため、その時代に在籍していたアズミが何かを知っているのではないかと思って訊いてみた。
「・・・私は受験組だったけど、無理にお互いを協力させようとしたわけじゃないの」
「?」
「ただ受験組の皆に、『嫌なのは分かるけどエスカレーター組のフォローに徹して』って言っただけよ」
エスカレーター組の戦車はARL44、外部生の戦車はソミュア。敵戦車を余裕で撃破できる火力を持つのはARL44であり、ソミュアでは囮程度にしかならないと、アズミは理解していた。
だからこそ、無理に前に出てエスカレーター組の鼻を明かそうとはせず、できることをやろうと方針を仲間に示したのだ。もちろん、外部生の中には『エスカレーター組の尻拭いなんて』と嫌がる人もいたが、そう言う人には前線で攪乱を任せた。他の『エスカレーター組は嫌いだけど勝つためなら吝かではない』と思う人には、フォローを任せた。要は、適材適所を選んだのだ。
「それでも、準決勝は駄目だったわ。やっぱり、チーム全体が協力してくれないと勝つのは無理だった・・・」
結果、アズミの代でも優勝はできなかった。しかし、そのチームの個性を見抜き適切な指示を出した功績が認められて、大学選抜チームにスカウトされ、今は中隊長を務めている。
「ただし、これはあくまで私がいた頃の話よ。今はメンバーも全員変わっているし、同じ方法ができるかは分からない。やっぱり一番なのは、お互いに手を取り合って戦うことね」
アズミの言ったやり方は、きっとアズミの代だからこそできたのだろう。今のマリーの代でそれができるとは、押田と安藤の普段の様子を見れば思えない。
だからこそマリーは、お互いに理解し合って和解することが大切だと思った。
「今日はありがとう、アズミ。色々訊けて良かったわ」
「せ・ん・ぱ・い、でしょ。まぁ、また何かあったら連絡しなさい」
「ええ、分かったわ」
そして校門まで着き、マリーは挨拶をする。アズミはやはりマリーの呼び方に若干不服そうだったが、最後には笑って手を振り校門を抜ける。そして、外で待っていたカメラを提げた同い年ぐらいの男と一言二言話を交わし、一緒に連絡船の乗り場へと向かって行った。
その後ろ姿を、マリーは少しの間眺めていた。アズミの隣を歩くあの男は、友人だろうか。はたまた恋人だろうか。アズミが男と縁の無いことは知っていたし、今までは大して興味もなかったが、今は不思議とそう言うことが気になった。
(・・・何でかしら)
自分でも、興味の無かった事柄に興味を持つようになった理由が、分からない。いや、何となく理由は分かるが、確証が持てないでいる。
ここ最近で親しくなった曙光。彼の存在が、マリーの中で大きくなっている。
それは果たして、同じ目的を志す協力者だからか。それとも別の要因があるのか。
少し前から考えているこの疑問は、今のマリーにとって第二に重要なことだった。
□ □ □ □ □
その翌日の放課後、曙光は屋台の料理を持ってマリーのいるサロンへと出向いた。屋台の料理は、マリーが久しぶりに食べたいと事前にメールで伝えてきたので、昼休みに買っておいたものだ。持ってきたのは、たい焼きとたこ焼きである。
「そうか・・・最初から厳しそうなのか」
「ええ。アズミも、半端な覚悟じゃ勝てないって」
コーヒーを淹れながら、マリーから無限軌道杯の話を聞く。一昨日は抽選会場に行き、昨日はOGのアズミとの話し合いが長引いたため、曙光がマリーと顔を合わせるのは実に3日ぶりだ。
「大丈夫なのか?」
「まぁ、皆が協力してくれれば、イケると思うわ」
「それができないから悩んでるわけだけど・・・」
勝つために要求されているのは、普通ならそこまで難しくないものだ。しかし、この学園に限ってはそれも実現不可能に近い。
しかし、憂う曙光とは違って、たい焼きをナイフとフォークで食べるマリーは、特に不安そうにしていない。どころか、むしろ微笑んでいた。
「それでも、前よりは仲良くするのも難しくないと思うわ。少しずつだけど、お互いに仲良くなってきてはいるし」
その点については、曙光も同意見だ。お互いの校舎を行き来する間、曙光たちが厳しい視線を向けられることも少なくなってきたし、曙光や真壁以外も学食で昼食を摂る受験組もぽつぽつと増えつつある。恐らくは気分転換だろうが、嬉しい傾向だ。
「でも、まだ完全に協力するには至らないだろ」
「けど、無理な話ではなくなっているわ」
たい焼きを一口食べて、マリーの唇が綻ぶ。
戦車隊長のマリーとしては、無限軌道杯での優勝よりも、両陣営が協力して勝利することに重きを置いているらしい。もちろん優勝できれば御の字だが、お互いに手を取り合って勝利できれば、マリーと曙光が願う和解への道もぐっと縮まる。
曙光は、マリーの方針を聞いて尤もだと思う。自分たちの目的が近づくであろう無限軌道杯の開催は、願ってもないことだ。しかし、曙光は男で戦車に乗れず、戦車道の知識も素人なので、これに関してはマリーに一任するしかなかった。
「で、曙光。試合の時はケーキをたくさん用意してね」
「ん、試合の後に食べるのか?」
「いいえ、試合中に食べるの。試合中は糖分が足りなくなるから、ケーキが欲しくなるのよ」
マリーは隊長で、試合中は常に作戦を考えつつ指揮をしているので、糖分が足りなくなるらしい。それを補うために、試合中でもケーキを食べていると言うのだ。理に適っているような気がしたが、それって結局ケーキが食べたいのを誤魔化しているだけなのでは、と思わなくもなかった。
「前までは祖父江とかに作ってもらってたんだけど、曙光のケーキが食べたいわ」
「・・・分かったよ、用意しておく」
「レパートリーは豊富にね」
「はいはい」
注文が多いな、と思う。だが、マリーが心から望んでいるように首を傾げて笑みを浮かべると、反論する気も起きなくなった。
しかし、マリーがたい焼きの最後の一切れを食べた直後、サロンの扉がノックもなしに開いた。それも、勢いよく。
「おい、貴様!」
数名のエスカレーター組のお嬢様を伴って入って来たのは、押田。揃って厳しい表情を浮かべており、その視線は全て曙光へ向けられている。用があるのは自分だと分かったが、まさかマリーが呼んだのかと、思わず視線を向ける。だが、マリーは何も知らないと首を横に振った。
「俺に何か用が?」
「ああ、大アリだ。貴様、マリー様に取り入ろうとしているようだな」
取り入る。思ってもいない、見当違いもいいところな指摘だ。
しかし、押田の後ろにいる女子たちが、そうだそうだと頷いている。なるほど、どうやら彼女たちがチクったらしい。
「何をもって、取り入ろうと?」
「それだ、それ」
曙光は訊き返すが、押田はテーブルの上に置かれた皿を指差す。具体的には、曙光が持ってきた屋台の料理だ。
「貴様は庶民の料理をマリー様に渡して篭絡し、由緒ある我々BC学園側を内側から侵略しようとしている!」
「ちょっと待ちなさい」
いわれのない罪を押し付けようとする押田に、横槍を入れたのはマリーだ。
「それは私が持ってくるように言ったの。彼らが普段どんなものを食べているのか気になって」
曙光は醜く保身に走るつもりもないが、マリーの話は本当だ。基本学食に行かない受験組が昼食をどうしているのか、という話で曙光が屋台の存在を教えて、マリーが興味を持ったから持ってきた。それだけの話だ。
マリーは、曙光たちのことを理解しようとしていた。曙光には、マリーを騙すつもりなど少しもない。
「マリー様は騙されているんです。外部生は狡い連中で、綺麗ごとを並べて虎視眈々と革命の時を窺っているのです!」
だが、押田は曲解したままマリーに告げる。後ろにいる女子たちも『そうよそうよ』と賛同した。こういう時に結束した女子の集団とは七面倒くさいものだ。
「それに、気品あるマリー様が庶民の味に染まってしまうなど、あってはなりません」
「でも、こういう料理も美味しいのよ?美味しいものに貴賤はないわ」
「ですが、それはマリー様・・・ひいては我々エスカレーター組の品格が損なわれます。そしてそれこそが、奴らの狙いです!」
再び押田が、曙光を指差す。
「我々の気品が下がれば、奴らもこちらに文句をつけやすい。そこを狙って、貴様らは革命を謀っている!」
押田の推理は、冷静に考えれば根拠がない。根底にあるのは、『外部生が嫌い』という感情だけだ。しかしその感情が厄介なもので、何年にも渡って染み付いたせいで中々解れない。その固定概念を取っ払い手を取り合うことこそ、曙光とマリーが求めていたものだ。
ここ最近で態度がやや軟化してきたエスカレーター組の生徒は、まだそうした感情が『薄かった』のだろう。それはエスカレーター組でも少数派で、多数を占めるのは、今目の前にいる押田たちのように、排他的な思想がこびりついている人が多いのだ。
「押田、あなた糖分足りてないんじゃないかしら?曙光は私たちを出し抜こうとして近づいたわけじゃないの」
しかし、異を唱えたのは、そのエスカレーター組のマリーだ。
押田たちの視線がマリーに向けられる。例え忠誠を誓っていても、その視線には疑いが含まれていた。
「曙光はね、私と協力しているの。私たちエスカレーター組と、曙光たち外部生が仲良くなれるようにね」
できればこんな形で明かしたくなかったが、自分たちの目的をマリーは押田たちに話した。しかし、向こうも一筋縄では納得しない。
「マリー様、向こうがそんなことを本気で考えていると思っているんですか?普段から奴らは待遇の改善を訴えていますが、それは完全なる和解と程遠いものです」
ここにいない受験組代表の安藤含め、受験組の生徒が校門で待遇の改善(主に食事関係)を訴えている様子は、曙光も何度も見てきている。戦車道でも、武芸であっても受験組はエスカレーター組を打ち負かして革命の時を狙っているとされていた。
今この場にいる受験組は曙光のみ。マリーを除くエスカレーター組は、全員が曙光及び受験組に良いイメージを抱いていない。多勢に無勢で、何をどう言っても押田たちは否定的なイメージにしか捉えないだろう。例えそれが、エスカレーター組の代表のマリーの言葉でも。
この状況を、曙光はまだ冷静に捉えられた。
「・・・分かった」
横に入るように、曙光が声を発する。全員の視線が集中した。
「で、俺にどうしろと?」
「金輪際、マリー様に近づくな」
押田の突き付けてきた勧告は、今の曙光にとって非常に聞き入れがたいものだった。
曙光は、ちらっとマリーの様子を窺う。何かに縋るような、見ようによっては不安そうな表情を向けていた。できれば、そんな顔は見たくなかった。
「・・・ふぅ」
そんなマリーに対し、曙光は肩を竦めて見せる。
そして、テーブルの上に置いていたたこ焼きの袋を持って、消え入るような溜息を吐くとその場を後にした。
(これしかないんだ、今は)
あの場では、何をどう言っても曙光の立場は変わらなかっただろう。受験組は1人だけで、マリーの言ったことも全て真実だったが、頭に血の上った押田たちは聞く耳を持たなかった。加えて、エスカレーター組は受験組に対し、基本的に校門で抗議活動をしたり、戦車道の時のような過激なイメージを抱いている。だから、曙光に対するイメージもそれと同じだったのだ。そんな奴が『和解を目指す』と言っても、エスカレーター組には穏便なものに聞こえるはずもない。
つまり、あの場での最適解は撤退することだけだ。
「これからどうするかな・・・」
受験組の校舎へ向かいながら、独り言つ。
あの場では戦略的撤退をするほかなかったが、本当にこれで和解を諦めたわけではない。マリーから教わった無限軌道杯のプランもあるし、一部のエスカレーター組の受験組への態度も変わりつつある。学食に来る受験組も増えているし、成果は見えてきていた。つまり、あと少しだったのだ。
「はぁ・・・」
境界線の鉄扉を開けて、受験組の校舎に戻ってくる。
扉を閉じたところで、マリーに渡すはずだったたこ焼きがあるのを思い出す。丁度小腹も空いていたので、その場で食べることにした。
―――試合中は糖分が足りなくなるから、ケーキが欲しくなるのよ
ついさっきのマリーの言葉を思い出す。あの話を聞いてから1時間と経っていないのに、随分と昔のことに感じる。押田たちとの不毛な押し問答のせいだろう。
疲れた時にものを食べるとは、自分もマリーに似てきたと思わず笑ってしまう。食べるのはケーキではないが、そんなことを考えながらたこ焼きを1つ口に放り込む。
時間が経ち、冷めてしまったそれは、お世辞にも美味しいとは言えなかった。
□ □ □ □ □
翌日、曙光が登校してクラスに着くと、いつになくざわついていた。
そのざわめきの中心にいたのは、安藤だ。
「どうかしたのか?」
「どうもこうもあるか。エスカレーター組の連中、ついに我々のソウルフードにまでケチをつけてきやがった」
安藤が不満を露にすると、曙光の口が引き締まる。
話を聞くと、昨日の放課後にエスカレーター組の押田が取り巻きを数人従えて、受験組の屋台街にやって来たそうだ。普段から受験組の敷地に入ってこない向こうから来ただけで驚きだったが、向こうは『みすぼらしい』『衛生環境が悪い』『庶民の味はBCにそぐわない』などと扱き下ろし、終いには全ての屋台を七日以内に撤去せよと命令してきたと言う。
「あいつは、マリーさんの言ってた『協力し合うことが大切』って言葉を思いっきり履き違えてるんだ」
「?」
「押田たちの言う『協力』ってのは、我々が完全にエスカレーター組の麾下に収まることなんだよ。平等なんかじゃない」
腕を組んで、荒っぽく息を吐く安藤。周りにいるクラスメイト・・・特に屋台を営む女子たちも安藤と同意見らしい。
マリーが受験組とエスカレーター組の協力を示唆したことは、それは押田と安藤にとっては初めてだった。しかしながら、押田にとってのエスカレーター組との協力とは、完全な支配下に置くことと思っているようだ。だから昨日、押田が曙光やマリーに対し聞く耳を持たなかったのか。
曙光は、胸に不安を抱えたまま安藤に問う。
「・・・それで、これからどうするんだ?」
「当然向こうの要求は呑まん。こうなった以上、徹底抗戦しかあるまい!」
安藤が高らかに宣言すると、周りの女子たちが『おー!』と従うように腕を挙げ、声を上げる。
徹底抗戦となれば、これまでの抗議活動とはまた違ったものとなるだろう。押田たちも、わざわざ受験組の敷地まで来たとなれば、今までと違いそれだけ本気という意思の表れでもある。
「・・・安藤」
「なんだ。曙光も今回ばかりは参加するか?」
「いや・・・少しだけ、話したいことがあって」
しかしながら、曙光はどうしても安藤に言っておきたいことがあった。それは、あまり人に聞かれたくないことだったので、安藤と二人で屋上へと向かう。
「・・・俺のせいかもしれない。こんなことになったのは」
「何?」
マリーが受験組の食事情を理解するために、曙光は屋台の料理をマリーにこっそりと持って行っていた。しかし、それがエスカレーター組の別の女子に見られ、押田に伝わってしまいこんな事態になってしまったのだろう。
安藤には、前もって曙光とマリーが個人的なつながりがあることを伝えてある。屋台の料理を持って行っていることも、和平に向けて動いていることも言っていた。
だから、曙光は今回のことで自分に責が飛ぶことを覚悟している。それでも、隠したままでいるのが辛くて、言っておきたかった。
「・・・そうか」
曙光が経緯を話し終えると、安藤は神妙な表情で頷く。
複雑な気持ちになっているのは、曙光にも分かる。だが、それでも安藤は、曙光を責めはしなかった。
「曙光は曙光で、この問題をどうにかしようとしてただけだ。結果としては残念だが、責めはしない」
「それは・・・ありがたい」
安藤の気遣いに、曙光は頭を下げる。
だが、安藤は未だに厳しい表情だ。
「しかし、これでハッキリした。奴ら相手に話し合いで和解なんて生ぬるい。やはり強く出なければ」
安藤の言葉に、曙光は心が痛む。自分のしてきたことが無駄と言われたようなのもあるが、争いごとが苦手だからこそそれを避けようとしてきたから、こうした結果になってしまったのが辛い。徐々に成果が見えてきていたからこそ、水泡に帰した結末が辛かった。
「徹底抗戦って言っても、具体的にどうするんだ?」
「向こうがこちらの敷地に入って来たんだ。なら、こっちも同じことをするまでだ」
今の時点で安藤が計画しているのは、エスカレーター組の領地に直接乗り込み、向こうが使用している施設の前に陣取って直接抗議の声をぶつける。今まで自分たちの敷地から出なかったことを考えれば、踏み切った判断だ。
「これぐらいやらねば、奴らは聞く耳を持たん」
「・・・・・・」
「曙光も、参加したくなったらいつでも言ってくれ」
そう言って、安藤は踵を返して屋上を後にする。恐らくこれから、仲間たちとより綿密な計画を企てるのだろう。
曙光は自分の無力さに溜息が出そうになるが、そこでポケットの中のスマートフォンがメールの着信を告げる。今は無視したい気分だったが、何の連絡かも分からないので一応確認はしておく。
その送り主は、マリーだった。
『今宵、学校の前で』
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
夜に、マリーのメールの指示通りに、曙光は校門の前に立っていた。昼間は抗議活動をする受験組と、それを冷ややかに見るエスカレーター組が行き交い何だかんだで賑やかだが、今は非常に静かだ。自分以外に生徒などいない。
ポケットに手を突っ込み、肌寒さをどうにか凌ぎながら、曙光は何故呼び出されたのかを考える。
考えられる理由は、大きく分けて2つだ。
1つは、完全なる決別。
マリーはエスカレーター組の代表として、この状況でも冷静な決断をしなければならないはずだ。今や大々的に敵対する関係になってしまった受験組の曙光とは、もう共存の道を探れない。そうなれば、この先曙光は最低限しかエスカレーター組の校舎に入ることができず、マリーと会うこともないだろう。
あるいは、協力関係は継続。ただし、今まで以上に表立った行動は控え、完全なる水面下で活動を続けること。その場合も、マリーとは直接会わずメールや電話でやり取りを交わすだけになるかもしれない。
できれば、と曙光が願うのは後者だ。自分とマリーの協力関係は強いものとなっているし、まだ穏便な方法での和解に未練が残っている。
そして、決別を恐れているのは、
「?」
すると、何か重々しい音が遠くからじわじわと聞こえてきた。
明かりの消えた道の向こうへと視線を巡らせるが、音の出所が分からない。乗り物のような音だが、自動車ではない。だが、聞き覚えがある音だった。
音はどんどん大きくなり、やがて曲がり角から姿を見せたのは、1輌の戦車だった。明かりもないが、見たことがあるその車輌は、マリーの乗るBC自由学園の隊長車・ルノーFTだ。
そのルノーFTは、曙光の前で静かに停車した。そして、前面のハッチが開くと。
「乗って!」
顔を出したのは祖父江。お嬢様らしからぬ慌てぶりで、戦車の後ろを指差す。声量は抑えているようだが、どうにも急いでいる様子だったので、言われた通り曙光はルノーFTの後部に乗る。
「中に入ってください!」
だが、上に乗るだけではダメなようで、仕方なく曙光は後ろのハッチを開けて中へ滑り込む。すると、それを確認した祖父江は、操縦桿を動かしてその場でルノーFTを180度ターンさせ、発進させた。
「・・・どうして、祖父江さんが?」
揺れる戦車の中で、曙光は祖父江に訊ねる。初めて戦車に乗るという貴重な体験もさることながら、いきなり祖父江が戦車に乗ってきたのも気になる。恐らくは、何らかの事情を知っているに違いない。
「マリー様から、曙光さんを迎えに行くようにと仰せつかったんです」
案の定、付き人として祖父江が従うマリーの命だった。マリーの名が出て、曙光も少し嬉しくなる。
祖父江は操縦しながら、話を続ける。戦車という武骨な物体を、焦る様子もなく優雅にゆったりと動かすその様は、やはりお嬢様らしいところを感じさせた。
「・・・今回の件は、伺っています。私たちエスカレーター組の一部が、強硬策に出たと・・・」
祖父江の語調から察するに、彼女も押田たちの横暴とも言える手段には素直に頷けないらしい。元々、受験組に対しても偏見を抱かない良心とも言えるから、やはり弾圧などの強気な姿勢は嫌うようだ。曙光も表情が曇るが、こうして心配してくれていると分かっただけでありがたい。
「けれどそれは、どうか私たち全員の総意ではないということだけは、どうかご理解ください」
操縦桿を動かすと、ルノーFTが左に曲がる。そして、地面から伝わる振動で、レンガ敷きの道から土や草などの上を走っているのが分かった。
「決して多くはありませんが、私たちの中にも抗争を望まない人がいるんです。と言っても、マリー様や曙光さんのように本当の意味での和解を求める人がいるかは、正直分かりませんが・・・」
言われて曙光は、以前曙光に挨拶をしてくれたエスカレーター組の女子を思い出す。恐らくは、ああいう人物こそ、祖父江の言う『抗争を望まない人』なのだろう。今までこびりついていた受験組のイメージを、曙光や真壁が少しずつ剥がして、害意がないことをアピールした結果、そうした人もは少しずつ接してくれたのだ。
言い換えれば、そういう人たちはいわゆる『事なかれ主義』なのだ。曙光だってそんな自覚があるから、それを責める気は全くない。
「マリー様と曙光さんが、お互いのことを考えて動いてくれていたのはよく分かっております。だからこそ・・・このような形で終わりを迎えるのは辛いですから。できる限りの力を貸します」
「・・・ありがとうございます」
祖父江の言葉に、曙光は静かにお礼を告げる。
やがてルノーFTは、ゆっくりと停車した。外の様子が分からなかったが、ハッチを開いて降りるとそこは格納庫のようだった。壁には工具が掛けられ、壁際には戦車のパーツなどを仕舞う棚が並んでいる。
「こちらへ」
電動式のシャッターを閉めた祖父江は、エスカレーター組の校舎へと曙光を導く。校門前の大通りと同様、この時間帯に校舎をうろつく生徒は他におらず、誰ともすれ違うことはなかった。
通用門から校舎へ入り、連れてこられたのは見慣れたサロンだ。
「こんばんは、曙光」
戸を開けると、中にいたマリーは穏やかに出迎えてくれた。
シャンデリアの明かりは点いていない。光源は、テーブルの上に載った華奢な装飾が施されたランプのみだ。恐らく、密会していることを万に一つも他の生徒に気付かれないようにするためだろう。
マリーは椅子に悠然と座りコーヒーを飲んでいるが、表情は凛々しいものだった。曙光の前で見せるふわふわした笑みや、少しばかり不機嫌そうな顔ではない。珍しいその表情に、曙光は唾を飲み込む。
「・・・夜更けに呼び出すほどの用事が?」
「ええ」
曙光が訊ねると、マリーはコーヒーカップをテーブルに置く。
「押田たちが何をしたかは、知ってるわよね?」
「ああ」
「それで、安藤たちが大きな抗議活動を企てていることも?」
曙光は頷く。同時に、情報が早いと思った。安藤がわざわざその情報を洩らすヘマをするとは思えないし、一体どこからその情報を入手したんだろうか。しかし、それは今の論点ではない。
「今、エスカレーター組と外部生の関係は、合併した時以来の緊張状態と言っていいわ」
「ああ・・・今まで以上に仲が悪くなってる」
ただでさえ受験組の待遇は悪いのに、その上押し合いへし合いどうにか続けてきた庶民の味まで取り上げられるのだ。食べ物の恨みは深いとよく言うが、それを実際この目で見ることになるとは思わなかった。
「私は、このまま全部終わりになるのは嫌よ。曙光と2人で始めたことだもの」
「・・・・・・」
「だから、またあなたの力を借りたいの」
呼び出された理由は、曙光が『そうであれ』と予想していた、協力関係の継続。
それ自体は曙光にとっても嬉しいし、協力することは吝かではなかったが。
「・・・いいのか」
「え?」
「俺のせいで、今回のことが起きたようなものなのに」
元はと言えば、曙光が受験組の料理をマリーに持ってきたことが原因だ。その行動が押田の配下の強硬派に見られ、今回の弾圧と革命の騒ぎに発展した。世が世なら、戦犯の烙印を押されてもおかしくない。
「気にしていないわ。それに、元を辿ればそれは私があなたに指示したことだし」
けれど、マリーには曙光を責める姿勢が見られない。どころか、自分にも非があると認めた。これは滅多に無いことらしく、後ろに控えている祖父江が驚いた様子が見える。
「もしかして、凹んでるの?自分のせいでって」
「そりゃ落ち込みもするさ。良かれと思ってやったことが、却って最悪の結果を生み出したんだから」
エスカレーター組の校舎に何度も出入りし、猜疑心にまみれた視線に晒され続けた曙光だが、結局心の強さは人並みだ。自分の灯した一本のマッチが町全体を巻き込む大火事を引き起こしたような事実に、総毛立ってしまいそうになる。
「けれどこれは、大きなチャンスよ」
「チャンス?」
「お互いが近い距離で喧嘩をしているからこそ、それぞれの訴えは届きやすくなるでしょう。聞き入れるかは別だけど、だったら私たちの考えだってずっと聞こえやすくなるはずだわ」
今までの受験組とエスカレーター組の抗争は、それぞれの陣地からそれぞれの主張をぶつけるだけだった。戦車道の時は直接対決の様相だったが、話し合いの場もない。
けれど今は、お互いがお互いの陣地に踏み込んで、自分たちの主張をぶつけようとしている。両者の間にある距離は、悪い意味でだが近くなった。緊張感ですさまじいが、これはマリーの言った通り確かにチャンスだ。
「・・・・・・」
曙光はマリーの言葉を頭では理解しているが、やはり起こした事の重大さによるショックが未だ抜け切れていない。マリーは結果オーライと言ってくれているが、心に突き刺さった罪悪感は簡単には消えないものだ。
そんな及び腰な態度が目に見えたか、マリーは呆れたように息を吐く。
「あなたって、意外と小心者だったのね」
「俺は元々こんなだよ・・・そうじゃなかったら、マリーと会うまでビクビクしながらここに通ってない」
「私と会うまで、ね」
マリーと会って、本心を話し合って、同じ志を抱いた者同士手を取り合ってから、曙光も変わったのだ。それまでの曙光は、エスカレーター組の校舎に出入りする度に胃が縮み、何事もなくこの学園で3年間を過ごしたいと願っていたチキンだった。
「曙光、お願い」
そんな曙光に向けて、マリーは改めて一歩踏み出す。
「私とあなたでやってきたことを、無駄にしたくないの」
真っ直ぐな言葉を、真っ直ぐな視線と共に向けられる。
それで、曙光の中で渦巻いていた不安や緊張が、消え去った。
「・・・分かった。で、何をすればいい?」
決心がつき、マリーに訊ねる。すると、またいつものようにふわふわした笑みを浮かべてくれた。
「お菓子を作ってほしいの。1つ、特別な」
その特別なお菓子がどんなものかを聞かされて、曙光は腕を組む。
それがどういうものかのイメージはできるし、そこまで複雑ではないと思う。だが、それは意外とも言えるもので、かつ普通に作っては失敗することは予想できた。
しかしマリーは、エスカレーター組と受験組が分かり合うのに、これ以上のものはないと言う。
「できる?」
最後にマリーはが問う。
曙光の表情は、渋かった。
「・・・すぐには作れない」
けれど、決して首を横には振らなかった。
「だけど、必ず作ってみせる」
□ □ □ □ □
モンブランを完成させるのに1週間程度かかったが、今回作る菓子もまた同じぐらいの時間がかかると、曙光は見込んでいた。しかも、昼間はエスカレーター組と受験組の抗争が激化しており、おまけに曙光は表向きマリーと接することができないため、練習時間は陽が落ちてからの短い時間しかなかった。
「どう思う?」
「うーん・・・ちょっと微妙」
「そうですね・・・何というか、口どけが少し良くないと言いますか・・・」
練習にはマリーだけでなく、事情を理解する祖父江と砂部も同席してくれている。今回作る菓子は、舌の肥えたマリーのお眼鏡に適わなければならない。また、他の人からも意見を貰いたくて、祖父江たちにも協力を求めた。最低でもこの3人から高い評価を得られなければ、完成とは言えないだろう。
ただ、モンブランの時もクラスメイトや教師に感想を求めていたが、マリーたちは根っからのお嬢様だ。真摯な感想をと曙光は言っておいたが、味覚も庶民と違うため、道は険しそうだと曙光は考えている。
「そう言えば、祖父江も砂部も、曙光の菓子を食べるのは初めてだったかしら」
曙光が次を準備する後ろで、マリーが祖父江と砂部に話しかける。『そうですねぇ』と応えたのは祖父江だ。
「ケーキは食べますけど、大体は同じエスカレーター組の方が作ったものばかりですしね」
「エスカレーター組も作ってるんですか?」
「ええ。授業で余ったものをお裾分けしたり、戦車道の際に用意してくれるんですよ。あるいは、趣味でケーキを作っている方も多くて」
戦車道云々については、マリーから聞いていた。また、祖父江曰く、菓子作りを趣味としているお嬢様はそれなりにいるらしい。プライベートでも、完成した品を分けてもらうことが多いようだ。
「何だか、すみませんね。最初に食べさせるのが試作品で」
「いえいえ、お気になさらず」
「今度他のケーキを作ってあげたら?」
「ああ、そうさせてもらうよ」
マリーに言われて、曙光は答える。流石に試作品しか食べさせないのは忍びないので、いつかは普通のケーキを贈ろうと思う。尤も、それも受験組とエスカレーター組が和解できなければ叶わないが。
「砂部さんもですか?受験組のケーキを食べたことは・・・」
「私は・・・ええと、真壁さんが作ったおはぎを食べたことは・・・あります」
「「「ほう」」」
砂部の言葉に、曙光だけでなくマリーと祖父江も関心を示す。曙光は真壁と親友だし、マリーと祖父江も砂部とは親交が深い。おまけに、2人はそれなりに仲が良さそうな様子なのは昼食の席で知っていた。だが、自分たちのあずかり知らぬ場所で、お菓子を渡し渡される関係にまで発展していたのまでは予想外だ。
「いえ、別に特別な関係とかではないですよ?ただ、前にお話しした時に気になるって言ったら、真壁さんが作ってきてくれて・・・」
3人の反応に、慌てて砂部があたふたと弁明するが、曙光たちからすればそれは照れ隠しにしか見えない。そんな反応をする時点で、どんな関係なのかはおおよそ見当がついた。
その砂部を傍らに、祖父江はマリーに訊き返す。
「マリー様は、曙光さんのケーキを食べることが多いんですよね」
「そうよ。ほとんど毎日ぐらいかしら」
「毎日・・・ですか」
何でもないようなマリーの声に、祖父江と砂部はぎょっとした様子だ。曙光とマリーが協力していたのを知っていても、流石に毎日は予想外だったらしい。よく考えれば、特定の誰かのためにケーキを毎日作っているなど、普通に考えてもペースがおかしいと思う。
砂部も、普通ではないと思ったのか、曙光の方を向いた。
「えっと、曙光さんは本当にマリー様に・・・?」
「協力する見返りに、マリーが欲しいって言ってきたんです。俺としては、ケーキを作ること自体は別に苦じゃないからいいんですけど」
「曙光の作るケーキってみんな美味しいのよ?」
マリーが評価すると、曙光は3人に見えないように笑みを浮かべる。力量を褒められると悪い気はしないが、それで表情が緩むとなると他人にその顔を見せたくはなかった。
「マリー様、曙光さんのケーキが好きなんですね」
「ええ。もう私専属のパティシエにしたいくらい」
「もう半ばそうなってるんだけどな」
マリーの願望に、曙光は辟易する。
一方で、祖父江はマリーの答えに対して、何かに感付いたように一層笑みを深めた。
□ □ □ □ □
そして、エスカレーター組が宣告した、受験組の屋台撤去の期限の日。
「我々庶民の味を奪う権利などお前たちにはない!」
「貴様らが手に持って食べている低俗な料理などBCにはそぐわないのだ!」
「お前たちだってフランスパンを手に持って食べてるだろ!」
「それとこれとは話が別だ!」
安藤を筆頭とする受験組は、計画通りエスカレーター組の施設の前に陣取り、声を大に抗議活動をしていた。一方で、押田を先頭にエスカレーター組の女子たちも、暴徒鎮圧のために用意した制服を着用しシールドまで持ち出して、全面的に争う姿勢を見せている。
両陣営の状況は、まさに一触即発。受験組は声高に主張し、エスカレーター組はそれを牽制。いつ大規模な掴み合いが始まってもおかしくなかった。遠巻きにその様子を見ている生徒たちも、それは分かっているようで不安そうな顔つきだ。
「お待ちなさい」
そこへ、凛として透き通った声が響く。
全員がその声がした場所へと視線を移す。そこにいたのは、エスカレーター組の代表であるマリーだ。その脇には砂部と祖父江、そして何かが載ったワゴンを押す曙光が控えている。
「あっ、貴様!」
だが、曙光の姿を認めた途端、押田の表情が一層険しくなる。『金輪際マリーに近づくな』と言っていたのに、曙光はそれを破ったのだから。だが、曙光の言い分としては、その時の押田の言葉に曙光は何の返事もしなかったので、要求を呑んだわけではない。
そして、今重要なのはそんな約束どうこうではない。
「本日は皆さまに、あるお菓子をご用意いたしました」
祖父江がそう告げる横で、曙光と砂部でパラソルとテーブル、椅子を準備する。セットが整うと、マリーはゆっくりと椅子に座り、曙光は台車からクローシュが被せられた皿をテーブルに移す。
「あっ、あれは・・・」
「たい焼き・・・?」
そのクローシュを曙光がゆっくりと外し、皿の上に載っていた料理が露になると、安藤含め受験組の生徒たちが驚きの声を上げる。エスカレーター組の女子たちも、目を見張った。
それは確かに、受験組の言う通りたい焼きだ。
だが、エスカレーター組はそれを『たい焼き』とは認識しない。
「マリー様!そんな庶民の料理を・・・」
押田が嘆かわしいような声を上げるが、それをマリーは無視してたい焼きにフォークとナイフを音もなく入れる。その様子に、受験組は『げっ』と言いたげな表情になった。
しかし、たい焼きが切り取られ、中身が明らかになった瞬間、またしても受験組とエスカレーター組の生徒たちは驚愕の顔を浮かべる。
「チョコ?」
安藤が、中身を見てぽかんとした顔でそう発した。
餡子の代わりに生のチョコレートを詰めたたい焼き。これこそが、曙光がマリーから頼まれた菓子だ。型を作るのはもとより、中にチョコレートを入れて焼き上げる間に全て溶け切らないように温度調整をするのも、一苦労した。技術的な面では、モンブラン以上に苦労したと思う。
そんな曙光の苦労を知ってか知らずか、マリーは切り取ったチョコレートたい焼きを優雅に口に運ぶ。
「ん、美味しいわ」
「ありがとう」
マリーの称賛に、曙光は
それを見て、祖父江がワゴンを前に動かす。
「よろしければ、皆さんもどうぞ」
砂部がそう言いながら、クロスを取るとその下には同じチョコレートたい焼きが、いくつも皿の上に並んでいた。
最初に動いたのは、一番前で威嚇し合っていた安藤と押田。半信半疑でチョコレートたい焼きへと近づき、それぞれ1つずつ手に取って口にする。
「「美味い!?」」
口ではそう言うが、顔は驚きに染まっている。それは、外見と中身がタイプの違う両陣営のもので構成されているのだから、当然の反応だろう。
その反応を皮切りに、他の生徒たちも掲げていたプラカードやシールドを捨てて、チョコレートたい焼きへと手を伸ばす。
「ホントだ、美味しい!」
「チョコレートってこういうのと合うんですね・・・」
そして口にした人は皆、笑みを浮かべて味を楽しんでいた。その様子を見て、曙光とマリーは視線を合わせて頷く。
今、受験組とエスカレーター組は、お互いの立場を気にせずに、チョコレートたい焼きに舌鼓を打って笑い合っている。その様子は、普段から牽制し、反発し合うほど剣呑な関係だったとは思えない。これこそ、曙光とマリーが望んでいた光景だ。
「もしやマリー様は、私たちに力を合わせるように説いている・・・?」
そんな中で、押田が気付いたかのようにマリーの方を見る。それに併せて、周囲の喧騒も少しばかり収まってくる。
一方でマリーは、よくぞ気付いたとばかりに大きく頷いた。
そのマリーの反応に、安藤も自分の手の中のチョコレートたい焼きへ視線を落とす。
「このチョコレートたい焼きのように、お互いの良いところを組み合わせれば、我々もまた協力すればより良い関係になれると・・・」
「そういうことよ」
チョコレートたい焼きを食べ終えたマリーが立ち上がり、押田と安藤の前に歩み出る。
「アズミも言ってたでしょう?力を合わせれば強くなるって。それは戦車道だけじゃなくて、この学校も同じなの」
いがみ合っていた両陣営が黙り込む。
「私たちそれぞれの良いところを合わせれば、認め合えば、私たちは強くなれるし、この学校も素晴らしい場所になるはずよ」
マリーが扇子を広げて告げると、エスカレーター組も受験組も
お互いが分かり合うのに、革命は逆効果で、相互理解は時間が足りない。そして、緊張状態となった今になって曙光とマリーが辿り着いた結論は、お互いが協力した成果を示すことだった。
それが、エスカレーター組のマリーのアイデアを基に、受験組の曙光が作り上げた、このチョコレートたい焼きだ。見た目は受験組のソウルフードで、中身はエスカレーター組の嗜好品。かなりの手間と時間を要したが、その完成品は曙光とマリー、砂部と祖父江も納得の出来となった。
そして、それを振舞った皆の反応も大方狙った通り。自分たちのアイデアと成果は間違っていなかったと、改めて実感できる。
「・・・確かに、そうかもしれん」
そして、重々しく押田はそう言うと、安藤の方を見た。
「安藤くん。君さえよければなんだが・・・これからはまた一からやり直さないか?」
その言葉に、安藤は。
「・・・分かったよ、押田くん。私でよければ、力を貸そう」
そう言って、お互いに笑みを浮かべる。何故か二人の周囲が微妙に煌めいて見えるのは、陽の光のせいだろうか。
だが、周囲はその2人が和解した様子に、『おお・・・!』と感嘆の声を上げる。異論はないらしい。
受験組とエスカレーター組の仲が悪い理由は、合併当初の露骨な扱いの差だ。
しかし、曙光やマリーを含め今の世代は、入学した当初からそれぞれの環境が当たり前のものと認識している。事情を何も知らなければ、元々自由学園側がBC高校側に圧制を強いていたなど知りもしなかっただろう。
それでも今までこの諍いが続いているのは、誰かがこの学園の因縁を語り継ぎ、相手側は忌み嫌う存在だと吹き込まれてきたから。誰かの教えによって、相手を流れで嫌っているようなものだった。その中で相手の素行や態度の悪さが露見して、嫌悪感も一層増しただろう。
だが、その根本的な原因である受験組とエスカレーター組の争いが治まれば、歴史を語り継がれただけで嫌っていた周囲も同様に、争いに価値を見出しにくくなる。特に今回、現状で両陣営のリーダー格の押田と安藤が協力する姿勢を見せたのが、その効果をより強くしていた。
以前にマリーが1人でお互いを仲良くさせようとしてもできなかったのは、ただ仲良くするように説いただけだから。仲良くすればどうなるのかを示さなかったからだ。しかし、協力者と共に、仲良くすればどうなるかの縮図をチョコレートたい焼きという形で見せることで、同意を得ることができた。
「マリー様」
しかし、BC自由学園の歴史が動いた感動に浸る間もなく、砂部がマリーに耳打ちをする。
「スパイですって?」
マリーの発した言葉に、その場が凍り付く。
どうやら、無限軌道杯の1回戦で対戦する大洗女子学園が、情報を盗むためにスパイを送り込んでくるらしい。全国大会で優勝できるほどの実力があるのにスパイとは、抜け目ないと言うべきか。
「・・・なら、こういうのはどうかしら?」
だが、スパイに動じることもなく、マリーは人差し指を立てて提案をした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その日の夕方、前と同じように曙光はサロンでマリーにケーキを振舞っていた。今日はショートケーキだ。やはり、押田も安藤と協力する意思を示したからか、マリーとまた会うことに何の反論もなかった。
「スパイに効果はあるのか?」
「確実よ。何せ向こうも、ついさっきBCの内乱が終息したなんて信じないでしょうし」
マリーの思いついた作戦は、エスカレーター組と受験組が喧嘩したフリをするというもの。喧嘩を大洗のスパイの前で演じることで、未だにBC自由学園のいざこざが続いていると思わせる。それは、昨日までいがみ合っていたお互いにとっては朝飯前だった。
連絡ヘリが来て、スパイと思しき人物が降りてきてから、演技はスタートした。大洗のスパイは隊長車の乗員だったらしく、面が割れていたためマリーや安藤たちはすぐに分かったと言う。
そしてスパイは、受験組を装い学園と戦車庫を一通り視察し、最終的に『チームは分裂状態』と結論付けて撤収していった。
「後は、試合でチームプレイで大洗を打ち負かせば完璧よ」
「何と言うか・・・ようやくここまで来たって感じだな」
「そうねぇ」
曙光は感慨深く告げるが、マリーはさして気にもしていない風にショートケーキを食べる。反応が薄い理由は、曙光も想像がついている。
「でも、まだ少し脆いわ」
「脆い、か」
お互いが手を組むことの有用性は示したし、押田と安藤は手を組み、受験組とエスカレーター組の諍いも一旦終わった。
けれど、まだ足りない。表面上は落ち着いているが、この関係がまた崩れてしまう可能性もある。お互いにいがみ合う時期が長かったせいで、まだ安心できていなかった。
「そのための無限軌道杯か」
「その通り。力を合わせて勝利すれば、それがどれだけの結果を出せるか証明できるものね」
そこに至るまでの道は想定と少し違うが、今はお互いの敷居が低くなっている。この状況で成果を挙げれば、今日以上にお互いの関係も改善されるだろう。曙光とマリーが望んでいる、両者の間の壁を完全に取り払うことだってできるはずだ。
「で、それはマリーの腕に懸かってると」
「そういうこと」
最後の一口を食べ終えて、コーヒーを飲むマリー。
そこで、曙光のことを見上げた。
「ねぇ、曙光。試合にケーキを用意してほしいって約束、覚えてる?」
「ああ、もちろん」
「それとは別に、1つケーキを頼んでもいいかしら?」
瞳を輝かせて、マリーは頼んでくる。
「どんなケーキ?」
「とっても大きなモンブランを」
実にマリーらしい注文だった。
しかし、注文の内容がどうであれ、断る気はなかった。
「・・・そうだな。マリーにはここまで頑張ってもらったし、そのお礼も兼ねて作らせてもらうよ」
「ええ、その通りよ。ここまで頑張ったご褒美が欲しいの」
「自分で言うか」
曙光は一笑するが、同時にその通りだと思う。
元々、自分がマリーに対して協力を持ち掛けたのが事の発端だ。それまでマリーは協力、と言うよりも指針を示してくれていた。わがままと言われていたマリーにここまでしてもらったのだから、当然そのお礼は返したい。普段作っているケーキで借りを返したとは、曙光も思っていない。
「それじゃ、お願いね」
「ああ」
また曙光は、ただマリーの期待に応えたい、マリーの願いを断りたくないと思っている。
お礼の気持ちもあるが、それだけでなく、マリーのためにケーキを作りたいという気持ちが、自分を衝き動かしていた。それは決して、義務感や正義感ではない。
だが、曙光を衝き動かすのはなぜなのかは、自分自身では未だ掴めないでいる。
風呂上がりに、髪を梳かし終えた砂部は溜息を吐く。何とも憂鬱な気持ちだった。
それは、先ほどマリーから『曙光が押田に非難された』と聞かされたからだ。
外部生とエスカレーター組の橋渡しとなるために、曙光がマリーと協力しているのは、砂部も知っているがそれは秘密裏に行われていたこと。だが、どこからかその情報が洩れてしまい、外部生と常日頃から対立する押田に伝わってしまったという。
しかも、押田たちが抑えた現場は、マリーが外部生のことを理解するために曙光に持ってこさせた、外部生の屋台の料理を食べているところ。そこでなければまだ言い訳はできただろうに、何とも間が悪い。
だが、それはともかく、この状況は由々しき事態だった。何せ、ようやくエスカレーター組の態度も(一部だが)軟化してきたのに、また振出しに戻ってしまったのだから。しかも曙光は、押田からマリーに近づかないよう言われたので、何とか改善させられるとは考えにくい。
「ふぅ・・・」
マリーの付き人故、そうした情報はいち早く伝わってくるのだが、知ったところでどうにもならない。こうなった以上、押田を含めタカ派は何を言っても止まらないだろう。今回のことが公になれば、せっかく上向きになってきた外部生に対するイメージもまた地に落ちる。
しかし、それでも砂部たちにはできることがない。少なくとも、この状況を打破する手が砂部には考え付かない。それが、砂部の気持ちを鬱屈とさせている。
そして同時に、この気持ちを誰かに零したいとも思っていた。
(・・・真壁さんに言っても、多分迷惑かもしれないし)
そこで真っ先に浮かんだのは、最近になって親しくなった外部生の真壁だ。
彼とは知り合ってそこそこ時間も経ち、仲もそれなりに良くなっている。お嬢様あるあるな愚痴を若干零しても、笑ってくれるような人だ。
しかし今回ばかりは、愚痴の範疇を超えている。個人が零したところで受け止めきれないようなことだ。言ったところで向こうが反応に困るのは目に見える。
机の上には、真壁と唯一連絡が取れるスマートフォンが置いてあるが、そこまでの距離が随分と遠く感じた。
が、不意にそのスマートフォンが電話の着信を告げた。『ふやっ!?』と謎の驚きの声を挙げつつも、画面を見る。
『着信:真壁さん』
一も二もなく、『応答』をタップした。
「もしもし?」
『もしもし、砂部さん?ゴメンね、こんな遅くに』
「いえ、大丈夫ですよ」
居ずまいを正して、何でもない風を取り繕う。
「それで、どうしたんですか?」
『いや、ちょっと・・・話したいことがあってね』
「話したいこと、ですか」
実に奇遇だ。砂部も丁度、話そうか迷っているところだったのだから。狙ったわけでもないが、自分と思考が同じと思うと少し気持ちが軽くなる。
さて、幸いにも同室の祖父江は現在風呂だ。今、部屋にいるのは砂部1人。特に問題はない。
「いいですよ。私でよろしければ」
『ありがとう、助かるよ・・・。けど、どう言えばいいのかな・・・』
電話の向こう側の真壁は、何やら言葉選びに悩んでいる様子。しかし砂部は、それを静かに待つことにした。
『実は今日・・・受験組が有志でやってる屋台街に、エスカレーター組の人が来てさ・・・』
やがて紡がれた話に、砂部の身が硬くなる。ついさっきまで、砂部が悩んでいた問題と関係があるのは明らかだ。
『7日以内に屋台を全部撤去しろ、って言われて』
「・・・はい」
『で、ウチのクラスの安藤たちが怒ってね・・・』
そこで、真壁がまた口を閉ざしてしまう。何か重大なことを言いあぐねていると、砂部には分かった。
真壁は、砂部と親しくても元々外部生だ。本来なら、自分たちの事情をあれこれ言ってはならないはずだろう。しかしそれでも、真壁は『話したい』と言って砂部に連絡を取ってきたわけだ。だとすれば、リスクを負ってまで何を砂部に伝えたいのだろうか。
『・・・受験組は、大きな抗議活動を計画してる』
「・・・・・・」
『きっと、そっちの陣地に乗り込む気だ』
その情報を、告げた。
瞬間、砂部の目は細くなる。
「・・・なるほど」
『この情報をどうするかは、砂部さんに任せるよ。誰にも言わなくていいし、誰かにチクってもいい』
単なる愚痴やリークで終わらせるつもりは無かったらしい。今の砂部と同じで、自分の中で処理しきれなくなった気持ちを、誰かに吐き出したかったのだ。
「・・・どうして、そのことを私に言ったんですか?」
だが、この情報を砂部がどうするかは、真壁も知らないはず。仮にもし、このことを押田に伝えれば、きっと外部生もただでは済まないだろう。例え事の重大さに耐えられなかったとしても、そのリスクを負ってまで砂部に話したかった理由は何なのか。
『もしかしたら、もう話せなくなるかもしれないと思ってさ』
しんみりとした様子で、真壁は話し出す。
『今まで以上に受験組とエスカレーター組の喧嘩が激しくなったら・・・もう砂部さんと話したり、お菓子を渡したりすることもできなくなると思うと、少し寂しくなってね』
悲しそうな真壁の言葉だが、反対に砂部の心は妙に熱を帯び始めている。
『それに、その大規模な抗議活動って情報を知ったまま何も言わないでいると、砂部さんたちを裏切るような気がしてね』
「そんなこと・・・」
少なくとも、砂部はそう思っていない。
だが、裏切るかもと真壁が思う理由は、それだけ真壁がエスカレーター組の砂部と親しくて、曙光とマリーの計画を知っているから。このBC自由学園の問題に、関わってしまっているからだろう。
「・・・教えてくださって、ありがとうございます」
『お礼を言われることじゃないよ。俺のやったことなんて・・・こっちからすれば戦犯みたいなものだし』
「いえ・・・私はそうは思いませんよ」
いつになく、弱気になってしまってる真壁。そんな彼に、砂部は何か気の利いた言葉を掛けたかった。
「真壁さんが気に病む必要はありません。あなたが教えてくれたことは、必ずや役立てて見せます」
無意識に、スマートフォンを握る手に力が籠っていた。だけど、気にするものか。
「真壁さんのしたことが決して裏切りとならないよう、私は努めます」
膝の上で、拳が握られる。
電話の向こうの真壁が、息を呑む気配を感じ取った。
『・・・ありがとう、砂部さん』
今日初めて聞いた、安心したような声色だ。それを聞いて、砂部も少し唇が緩む。
最後に真壁は、『おやすみ』と告げて、電話が終わった。
「・・・・・・」
電話を掛ける前と違い、砂部の心はもう萎れてはいない。
真壁が伝えてくれたことを、決して無駄にしてはならないと、自分の心に火がついている。折角マリーや曙光が、ここまでしてくれたのだから、ここで全てを無にするわけにもいかなかった。
だが、そこで1つ思ったことがある。
(私、真壁さんのことどう思ってるんだろう・・・)
電話を掛ける前から、自分の中の鬱屈とした気持ちをこぼしたいと一番に考えてしまい、電話の最中では言葉に籠められた感情を機微に感じ取ろうと努めていた。
今までは、真壁のことは仲の良い友人だと思っていた。
しかし、改めて考えようとすると、そう結論付けることができなくなる。と同時に、妙に顔が熱くなってきてしまう。
「どうかしたんですか?」
だが、突然後ろから声を掛けられてしまい、思考がぶつ切りになる。見れば、風呂上りと思しき祖父江が心配そうに見ていた。
そこで砂部は、妙に心に纏う悩みを振り払い、咳払いを1つする。
「祖父江さん」
「はい?」
「実はさっき、真壁さんから連絡がありまして・・・」
尊敬するマリー、曙光、そして真壁のしたことを無駄にするわけにはいかない。
そのためにまずは、祖父江に話をすることにした。