サイレンの音が聞こえる。
何がどうしたんだろう。
何故身体が動かないんだろう。
あの子の元へ…行かなきゃ行けない…のに。
……
………
…………
……………
………………
…………………
……………………
「……」
…知らない天井だ。
瞼を通して突き刺さる光に僕は目を覚ました。
油の切れたような軋みを首のあたりに感じながら辺りを見回すと、なるほどどこなのかは一目瞭然だ。
白い部屋には僕の心音と連動して電子音を鳴らす機械や、得体の知れない液体が入った袋が宙吊りにされている。
ここは病室の様だ。
それが分かったのはいいが、なぜ病室にいるのか?という疑問がすぐに湧いて出た。
ひどく鈍い感覚に支配された頭に手をやると手のひらを通して包帯やらガーゼの感触が伝わってくる。
どうやら頭に何か怪我を負ったらしい。
体の節々は長く動かされていなかったからなのか多少鈍痛があったが、すぐに意のままに動く様になった。
ベットから上半身だけを起こして、何か他にこの状況を紐解くきっかけがないかを探ってみる。
そして、ふと目に入ってきたモノを手に取る。
写真立てには、1人の少年と1人の少女が写っている。とても楽しそうにはしゃいでいるのが写真越しでも伝わってきた。
外は雨が降っていた。
どんよりとした灰色の空がどこまでも広がっている。
窓には冴えないぼくの顔が映っている。
よく見るとイケメンかもしれない。
…コンコン
くだらないことを考えていると、ドアが控えめにノックされる。
来客の様だ。
返事をしようとして、ベットの横にある小さな棚に花瓶が置いてあることに気づいた。
中には水と花が一輪差してある。
マリーゴールドが差してあった。
ぼーっとしていると病室のドアが開かれて、1人の女の子が中に入ってきた。
「えっ」
女の子は、一瞬驚愕の表情を浮かべるとすぐさま涙を目に浮かべて僕の身体に抱きついてきた。
「…よかった!!目…覚めたんだね」
知らない女の子に抱きつかれて、僕は気が動転してしまう。
そんな汗を振り撒く僕の様子を見て女の子は不思議な顔をする。
「あなた?」
「え、もしかして…いや、あなたのことだからどうせからかってるんでしょ!」
女の子は頬を膨らましてそっぽを向いた。
僕は、彼女に記憶がない事を打ち明けた。
「あ、ご、ごめんね。病人にいきなりこんなこと…」
なんだが気まずい雰囲気になってしまった。
そんな雰囲気が嫌で、僕はとりあえず自らの記憶がないことを打ち明けた。
「そんな…私のこと、分からないの?」
可愛い顔がみるみるうちに悲しい表情になって、彼女は期待した様な眼差しをこちらに向けてくる。
それでも、残念ながら彼女の名前は浮かばなかった。
「そっか…私、上原歩夢。あなたとは小さい頃からの幼馴染なんだ」
歩夢と名乗った少女は、そこから僕との関係性や僕のすっぽりとぬけた記憶の穴を埋める様に長時間にわたって話をしてくれた。
それを聞いても結局、僕の記憶は戻らなかった。
「じゃあ事件のことも何も覚えてないんだ…あなたはね通り魔に襲われて死にかけたんだよ?」
彼女の口から最後に語られたのは、僕が記憶を失った原因。
その日はたまたま学校から1人で帰った僕は、人気の無い路地裏で通り魔に襲われたらしい。
犯人の足取りは全く掴めておらず、事件は迷宮入りしてしまっているようだ。
「何はともあれ、あなたが生きていてくれて本当に良かった」
安堵した表情で僕の手を握る歩夢。
その感触にひどく愛おしさを感じて、僕は自然とその手をギュッと握り返した。
「あっ……」
小さな声を上げた歩夢は頬を赤らめると、勢いよく椅子から立ち上がって帰り支度を始める。
「ご、ごめんねいきなり手握っちゃって。私今日はこれで帰るから!明日また来るね!」
呼び止める隙が無く、僕の視界からあっという間に歩夢はいなくなった。
なんだかひどく疲れてしまった。
目が覚めたとはいえ、やはり身体は深刻なダメージを負った様だ。
僕はベッドの中で、手に残る暖かさを感じながら眠りについた。
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次の日。
歩夢は言っていた通りに病室を訪れてくれた。
「調子はどう?…ふーんそっか。じゃあ…」
体の具合を聞いてきた歩夢に腕の力こぶを見せると、彼女は昨日と同じ様に僕の手を握って微笑んだ。
「少し外の空気を吸いに行こう?あんまり引きこもってると嫌な気分になっちゃうでしょ?」
彼女の提案を断る理由はなく、僕は患者衣の上にコートを羽織って外に出ることにした。
「ふふっ、ちょっと寒いね」
風通しのいい患者衣の隙間から入り込む冷気に身体を震わせていると、歩夢は横から身体をくっつけてきた。
記憶を失ったおかげですっかり季節感がなくなっていたのだが、今は秋。
夏の暑さは去り、冬の訪れを知らせる様に少し肌寒い秋風が吹いていた。
「そうだ!こんな時はあそこに行くしかないよ!」
彼女に手を引かれてたどり着いた先は、繁華街の大きな広場だった。
周りにはたくさんの恋人達が、見ていてむず痒くなるほどイチャついている。
「よくここで学校の帰りにいろんなものを食べてたんだよ?」
彼女は目を瞑って、嬉しそうに言った。
僕も同じ様に目を瞑る。
…美味しいね♪
…あっ、それ私の!
…一口が大きいよ〜
…えへへ…間接…キスだね♡
店先から漂う甘い香りや食欲をそそる匂いと共に、ぼんやりとした記憶を感じた気がした。
「どうしたの?」
現実の声に再び目を開けると、不思議そうにこちらを覗き込む歩夢とその手に乗ったたこ焼きが目に入る。
「ぼーっとしてただけ?そっか。ほら!よく一緒に食べてたたこ焼き♪食べよ?」
ソースに青のり、とどめに鰹節と味気ない病院食に早くも飽きていた胃がたこ焼き一つで幸せになった。
猫舌なのか、ハフハフと口をパクパクしている歩夢を見てさらに幸せの重ね焼きだ。
「ぐふっ!?…けほっけほっ!いきなり何言いだすのあなたったら!」
気づかないうちに心の声が漏れ出ていた様で、歩夢はびっくりしてむせてしまっていた。
でも、すぐに今度は頬を染めて俯いてしまう。
「ひどいなぁー、せっかく病院食じゃ飽きるだろうと思って食べさせてあげたのに!」
ぷんぷんと頭から煙を出す歩夢の頭を撫でると、歩夢は頬を真っ赤に染めた。
「ねぇ、あなたは自分に大切な人がいたかどうか覚えてる?」
歩夢は真面目なトーンで問いかけてくる。
素直に覚えていないと答える。
でも、薄々だが大切な人はいて、それが歩夢だったのではないかと思った。
素直に分からないと答える。
だが、大切な人が歩夢だったらいいのにと思った。
「そっか、そう簡単にはいかないよね…実はね私、あなたの恋人だったんだ」
自分で言うのは気恥ずかしかったのか、明後日の方を向いて歩夢はそう口にした。
「本当はあなた自身で思い出して欲しかったけど…やっぱり他人行儀は寂しいよ」
震える声で話す歩夢を見て、僕は彼女を抱きしめた。
「ごめんね、あなたは大変な目にあって私なんかより辛いはずなのに」
泣きながら自分を責める歩夢に、少しでも自分の思いを伝えたくて力強く彼女の身を引き寄せる。
「…ありがとう。あなたの匂い久しぶり…とっても落ち着く」
僕自身も、歩夢の髪から漂うシャンプーの甘い香りに目覚めてから1番落ち着いていた。
思い出せないけれど、本当に僕達は付き合っていたんだろう。
この懐かしい感覚がなによりもそれを証明している。
…?
誰かに見られている気がする。
視線を感じて辺りを見回すと、一瞬広場から路地裏に歩いていく赤いリボンが見えた。
「どうしたの?」
キョロキョロしていると、歩夢が疑問符を浮かべている。
抱きしめあっていたから、見られていただけだろう。
気にすることじゃない。
なんでもないと言って、秋風でちょうどいいくらいに冷えたたこ焼きを口に運び、僕らは病院へと戻ったのだった。
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その日の夜。
僕の頭は歩夢のことでいっぱいだった。
することもなかったので何か歩夢との関係を決定づける記憶を思い出したいと考え、所持品から手がかりを探してみることにした。
しかし、もともと少ない所持品からは大した情報は得られず。
最後の頼みの携帯は、暗証番号が思い出せず開けられなかった。
コンコン
誰だろうか。
歩夢だったらいいな、なんて考えつつ扉を開ける。
すると、そこには知らない少女が立っていた。
「っ!」
彼女は僕の姿を見て驚愕の表情を浮かべる。
よく見ると、さっき見た赤いリボンで髪をまとめていた。
やっぱりあの視線は勘違いではなかった様だ。
「えっ」
少女は僕の言葉で呆気に取られて、しばらく固まった後、何も言わずに走り去っていった。
「っ!」
少女は僕の言葉で呆気に取られて、しばらく固まった後、口を押さえ泣きながら走り去っていった。
なんだったのだろうか。
なんだがひどく頭が痛い。
僕は倒れ込む様にベットへと吸い込まれていった。
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朝、物音に目を覚ますとすでに病室に歩夢がいた。
何をしているのかと聞くと、昨日落とし物をしたらしい。
「でも、大したモノじゃないから。気にしないで」
胸の前で手をひらひらと振りながらそう口にする歩夢。
そういえば、昨日病室に来た知らない少女のことを歩夢に話していない。
僕は、少女が何も言わずに逃げていったことを歩夢に話した。
「あの子。まだあなたに付き纏ってたんだ…しつこいんだから」
顔を曇らせる歩夢に、わけを聞く。
歩夢によればあの少女は、僕に付き纏うストーカーだったらしい。
僕達が付き合ってからは諦めたのか特に何もしてこなかったらしいが、僕が事件に遭ってからまた現れたということの様だ。
「あなた優しいから。なかなかあの子のこと拒めずにいたの。だから私からしっかり言ったはずなのに…」
記憶はないが、話を聞くに僕は大変な人生を送っていたんだろう。
「ねぇ、あなたは自分の記憶全部取り戻したいと思う?」
歩夢が妙に真面目なトーンで問いかけてきた。
「そっか。やっぱりそうだよね」
彼女はうんうんと首を縦に動かして腕組みをしている。
「何それ〜。相変わらずあなたって価値観変だなぁ」
彼女は少し苦笑いをして、僕の頬をツンツンとつついた。
「私は…思い出さなくてもいいんじゃないかなと思う」
歩夢の言い出したことに僕は首を傾げる。
「渡そうか迷ってたけど、これ…」
彼女は鞄から一冊の手帳を出して僕に渡した。
適当にページをめくってみる。
そこには信じられないような内容が書き記されていた。
「あなた、ひどい嫌がらせに遭ってたんだ。あのストーカーから。通り魔も、多分あの子がやったんだと思う。証拠が見つからなくて犯人にはならなかったけど…」
一呼吸置いて、彼女は僕の手を握った。
「人生はやり直せない…なんて言うけど、あなたはやり直せるでしょ?私は昔も今もこれからもずっとあなたのそばにいるから。新しい人生を踏み出すのも悪くないんじゃないかな」
歩夢の声は、するりするりと僕の心の穴を縫う様に塞いでいく。
こんなにも想ってくれている歩夢が僕には天使に見えた。
「大丈夫だから。私がずっとそばにいるから…あなたを守るから…」
歩夢に抱きしめられて、僕は身を委ねる。
歩夢が帰るまで、僕らは抱きしめあっていた。
→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→
歩夢が帰ってから、相変わらずやることがない僕は彼女の落とし物を探すことにした。
ベットの下や、家具の隙間を徹底的に探すと小さな写真立てを見つけた。
見てみると、僕が目覚めた時見た写真だった。
今になってみれば写真に写っているのは僕と、歩夢だ。
やっぱり僕達は恋人同士だったんだろう。
ふと、中から写真を取り出そうとしてあることに気づいた。
写真が折り曲げられている。
っ!
折り曲げられた部分に写っていたのは、ストーカーをしていたらしい少女だった。
なぜ、彼女も写真に映っているのだろうか。
訳がわからず写真を睨んでいると、看護師さんが病室に入ってきた。
どうやら、僕の落とし物らしいものが届けられたらしい。
「手帳よ。きっと、大事なモノでしょ?見つかってよかったわね〜。あ、彼女さんとのラブラブな内容は見てないからね〜」
ふざけた看護師だ。
多少憤りを感じながら、手帳をめくる。
○月○日
歩夢と同好会に入った。
これからが楽しみだ。
○月○日
歩夢の初ステージ。本人は納得がいかなかったらしい。
○月○日
歩夢が練習中に怪我した。マネージャー失格だ。
………
○月○日
歩夢は次のライブにやる気満々だ。また怪我をしないといいが。
しずくちゃんという後輩が同好会に入った。演劇部との兼ね合いらしいから、色々大変だろう。気にかけるようにする。
○月○日
歩夢は今日調子が悪いようだ。大丈夫かな。
しずくちゃんは歳下だが、かなり達観しているみたいだ。期待の新人として掲示板でも人気で、マネージングのしがいがありそう。
○月○日
しずくちゃんと歩夢の3人で出かけた。
歩夢もしずくちゃんをえらく気に入ったようで嬉しそうだ。
また3人でどこかに出かけたい。
○月○日
しずくちゃんから告白された。
信じられない。あんなに可愛い子が彼女になったなんて。
きっと夢だろう。
明日目が覚めたらどうせ夢オチだ。
○月○日
夢じゃなかった。歩夢に話すと祝福してくれた。
○月○日
しずくと初めてデートに行った。
お金持ちだからか、普段行ったことのない屋台が並ぶ広場が一番楽しかったらしい。
これから2人で帰る時は頻繁に寄ることにしよう。
○月○日
歩夢の調子が悪いらしい。
今日も部活に来なかった。どうしたんだろうか。
○月○日
歩夢は学校も来ていないようだ。
無遅刻無欠席神話がついに終わった。
しずくと見舞いに行こう。
○月○日
最近妙な視線を感じる。
なんなんだろうか。
○月○日
しずくがひどい嫌がらせを受けた。
犯人はわからない。見つけてボコボコにしてやる。
○月○日
信じたくないが、犯人は歩夢のようだ。
もう1ヶ月も歩夢と話していない。
何かの間違いであって欲しい。
○月○日
今日はしずくとは別々に帰らなければならない。
不安だ。
友達と帰るらしいが本当に大丈夫だろうか。
○月○日
歩夢は変わってしまった。
もう俺達の知っている歩夢はいない。
何が間違っていたのだろうか。
…………
………………
…………………
まるで、割れたガラスが元に戻るような。そんな風に記憶が次々と再生されていく。
自然と体が動いた。
院内から走って抜け出す。
今すぐ会って謝らなければ。
彼女はひどく傷ついているはずだ。
記憶が戻ったおかげで、見知らぬ土地だったはずの道が手にとるようにわかる。
だが、肺に冷たい空気が一気に押し寄せて苦しい。
それでも無我夢中で走り続けた。
そしてある路地裏にたどり着く。
確かここで俺は襲われて…
気づいた時には遅かった。
頭に衝撃を感じて、身体が地面に倒れる。
消えゆく視界に涙を流す少女がいた。
「どうして思い出しちゃったの?」
そうか…
俺は…
大切な人を得た代わりに、大切な人を失ったんだ…
→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→
サイレンの音が聞こえる。
何がどうしたんだろう。
何故身体が動かないんだろう。
あの子の元へ…行かなきゃ行けない…のに。
……
………
…………
……………
………………
…………………
……………………
「……」
…知らない天井だ。
瞼を通して突き刺さる光に僕は目を覚ました。
油の切れたような軋みを首のあたりに感じながら辺りを見回すと、なるほどどこなのかは一目瞭然だ。
白い部屋には僕の心音と連動して電子音を鳴らす機械や、得体の知れない液体が入った袋が宙吊りにされている。
ここは病室の様だ。
外は雨が降っていた。
どんよりとした灰色の空がどこまでも広がっている。
窓には冴えない僕の顔が映っている。
よく見るとイケメンかもしれない。
…コンコン
くだらないことを考えていると、ドアが控えめにノックされる。
来客の様だ。
返事をしようとして、ベットの横にある小さな棚に花瓶が置いてあることに気づいた。
中には水と花が一輪差してある。
…マリーゴールドが差してあった。