ラブライブ!~虹ヶ咲学園合同企画集~【完結】   作:薮椿

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赤色

 日々は続く、それは日常となる。日常は続く、それは人生となる。

 

 人生を一日に例えた時、今自分たちはどれくらいの時間にいるのだろう。

 

 夕日が沈む前に、新しい一日が始まる前に。

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 

 溜息交じりの吐息を宙に投げ背伸び、持ってる筆を机に置き、テレビに視線を送る彼。

やるせなさと沈黙が同居したその空間を切り裂いているのは、あるアイドルの声だった。

 

 

「皆さーん!今日は私のライブに来てくださりありがとうございます!」

 

「短い時間ですが、沢山の好きを共有しましょう!」

 

 

 挨拶を終え、彼女は歌いだす。

その歌声は天まで届くような、ある種宣誓に近い力を持っていた。

華奢な体躯からは想像が出来ない、力に満ち足りた声。

 

 

「元気だな」

 

 

 彼は呟き、テレビから少し目を逸らす。

前に進もうとする力強さと、好きなことを全力でやり遂げようという気概が画面から零れて、直視することが出来なかったのだ。

 

 ここにいる彼とテレビに映っている彼女は、関係がないと言えば嘘になる。しかし、関係があると言っても彼は語弊だというだろう。

 簡単なことだ。住んでいるマンションが一緒で、歳も近い。彼女の方が一つ下だが、所謂幼馴染のような存在。

小さい時はマンションの敷地内で顔を合わせて遊んだこともあったが、最近はすれ違った時に会話する程度。連絡先は知っていても、連絡をすることもない。

疎遠という訳ではないが、かと言って近しい友人という訳でもない。距離感としては、知人と友人の間を右往左往しているレベルだ。

 

 成績優秀、容姿端麗、元気な大和撫子を体現したかのような彼女。

大好きなスクールアイドルに自ら進み、その好きという感情を共有している。

 

 知り合いという括りの中に存在している二人は、それ以下でもそれ以上でもない。

思春期を経て、彼女はスクールアイドルへ。彼が今見ていた番組も、スクールアイドルの特番だった。

 彼女は自身が通っている学校、虹ヶ咲学園の絶対的エースとも言える存在で顔役に選ばれることも多い。

 

 では、彼は何をしているのか。答えは何もしていない、だ。進学を志望し美術系の大学を目指してはいるものの、先は雲が立ち込めていた。 

 芸術家、と言えば聞こえは良いが方向性も決まらず、ただ過ぎる日常に身を任せ、名前の付け難い時間を経ている。

それは犬の遠吠えがいつまでも反響しているかのような時間で、取り残されたような彼からは世界が加速して見えていた。

 

 

「飲み物がない……コンビニでも行くか」

 

 

 彼の家は親が共働きの為、夜まで一人で過ごすことが多い。

バイトもしていない、やりたいことは決まっていても、その先が見えないという時期。

 小さい頃に見たヒガンバナの群生、それが忘れられない彼は記憶に残る絵を世界に残したいと思い、芸術へと歩みを進めた。

 しかし、現実は残酷だ。感動する光景にどれ程出会ったとしても、自分の好きなものがどれ程あったとしても、それを表現する術は人として限られている。

己の表現したいものと、己の表現力との狭間に自分の目的を見失いそうな彼は、宙を浮いているようだった。

 

 

「あ、カラス」

 

 

 上空には群れを成して飛ぶカラス。

日常に並行して飛ぶカラスは、一日の苦悩や恥、辛酸を笑い飛ばすように鳴いた。

 それはまるで立ち止まっているだけの彼と、日常が根付いてる存在を対比しているかのようだった。

 

 

「良いよなお前らは、毎日が決まってて……」

 

 

 彼は空に向けて憎まれ口を投げた。

 カラスは鳥の中でも頭が良く、人間の社会人のような生活をする。

朝、決まった時間に巣から大勢で飛び立ち、ご飯を食べる。

昼、腹が満たされたら次は寝る。

夜、日没前に群れを作り帰路へ。日没後に眠る。

 

 描きたいものが分からない、どうすればいいかも分からない。

これからの生活に不安感を覚える、うまく笑えない。

 彼が文句の一つでもつけてやりたくなるのは、抗えない感情だった。

 

 そんな彼に向かい、後ろから近づく声が一つ。

 

 

「誰に言ってるんですか?」

 

「うわっ……びっくりした」 

 

 

 ステージ上とは違う雰囲気を纏い、話掛けてくるのは彼女。

背丈はそこまで高くなく、この小さい身体からあの歌声が出てくるとはとても思えない。

 

 

「あれ、ついさっきライブして……」

 

 

 彼は気が動転していた。

不意に声を掛けられたのもそうだが、自分が先程見ていた番組に出ていたのに何故。

事態を呑み込めないまま、泳ぎ目を逸らした。

 

 

「あれは前のイベントですよ、先月やった他校との合同のフェスの映像です!」

 

「ほぉ」

 

 

 相槌交じりの返事をし、彼女を見るわけでもなく歩みを進める彼。

彼女は自ずと横へ行き、並んで歩く構図へと変わる。

 

 

「久しぶりですよね、会うの」

 

「ん、まぁ……」

 

「まぁって、もっとマシな返事ないんですか!?」

 

 

 煮え切らない返事に、彼女は驚いた表情を見せた。

覇気がない、言葉に強さが宿っていない、何なら顔にも強さは宿っていない。

ただ過ぎる時に身を任せて浮遊している物質の成れの果て。

ビルが突風を煽ると、彼はそのまま連れ去られてしまいそうだった。

 

 

「結構見かける機会あるし、そんな気もしないんだよ」

 

 

 彼のその発言は事実だった。

スクールアイドルという存在は今やブームの中心で、各都道府県、市から町まで様々な場所で盛んに取り組まれている一種のカルチャーなのだ。

その中でも、彼女は一目置かれている存在。特集を組まれたり、動画サイトの再生数がとてつもなかったり、インタビューを受けていたり。

 

 彼の生活範囲の中でも十分過ぎるほどに彼女の存在は目に入ってきたし、歌も何曲かは知っていた。

小さい頃の幼馴染が、いつの間にか大ステージで一人で歌っていて、自分は部屋に籠って進歩はしない。

彼女の存在は彼にとって、希望であり絶望であった。

 目を合わせることが出来ないのも、毎日が輝いて好きなもので溢れている彼女に対して自身の生活が後ろめたいからだ。

さながら自己嫌悪の吹き溜まり、かといって開き直れるほど心が強いわけでもなく、彼女が語る夢や、好きという言葉は彼にとって眩しすぎたのだ。

 

 

「それはありがたいですけど……そういえばどこに向かってるんですか?」

 

「コンビニ……飲み物買いに」

 

「そしたら目的地は同じですね!一緒に行っていいですか?」

 

 

 彼の心拍数が上がる。幾ら幼馴染といえど、片や全国放送のスクールアイドル、片や夢にぶら下がってる夢追い人。

小さい時は一緒にいることに違和感を感じなかったが、流石に時が経ったらそうはいかない。

 彼女は含みもなく聞いてくるが、彼はどう返事をしたらいいか分からなかった。

ここで彼女と一緒に歩いても良い存在なのか、隣に並んで歩く資格があるのか。彼は言葉に詰まった。

 

 空は赤が押し寄せ出していて、とても本心は言えなかったのだ。

 

 

「……もう、なんで無視するんですか!」

 

「あ、あぁ……ごめん、一緒に行こう」

 

 

 詰め寄られてやっと喉を通った言葉。

一緒に行こう、それさえも力を振り絞らなければ出せないワードだった。

小さい頃からこうだったかと言えば、そうではない。彼も幼い時は無邪気だったのだ。

歳を重ねるにつれ、自分に自信がなくなり人と顔を合わせて喋るのが苦手になっていった。

今や空元気を出すことも出来ず、一定のテンションのまま。

それ以上でも以下でもない、日常と並行した自分を維持するだけになっていた。

 

 並んで歩くが、沈黙。その分速くなる鼓動。

それを打ち消したい彼は、咄嗟に口を動かした。

 

 

「そういえば、そっちは何が目当てな」

 

「よく聞いてくれました!私は今日発売の雑誌です!ずっと好きなラノベに待望のアニメ化のお知らせが……!」

 

「お、おぉ……良かったな」

 

 

 彼の発言に食い気味に入る彼女。

何を隠そう彼女は生粋、筋金入りのアニメ好きなのである。

無論、アニメだけではなく特撮、ラノベ、漫画、アニソンまで全てのコンテンツに精通しており、日常生活の半分はそっちに時間を割いていると言っても過言ではない。

 

 小さい頃からヒーローの真似をしたり、必殺技を叫んだりと彼もそれを見てきているので、彼女の発言には何の疑問も抱かない。

ただ、この手の話題になると留まることを知らない勢いで話してしまうので、彼は押されてしまう。

 

 彼女が大好きを共有したい、大好きを世界に溢れさせたいという名目の元スクールアイドルをやっているルーツは、このアニメ事情にある。

好きなことを好きと言えなかったり、恥ずかしかったり、貶されたり、馬鹿にされたり。最早世間は言葉狩りに近いレベルで、人の感情を否定しがちだ。

 

 しかし、スクールアイドルは違ったのだ。演者はスクールアイドルが好きで、歌い、踊る。それを好きと声に出して言ってくれるファンたちがいる。

好きという感情がなくては、成り立たない世界。逆に言えば、好きという感情が溢れている世界。

 

 彼女にとって、その光景は夢の世界だった。

自分の歌で、もっと好きな世界を広げたい。誰が何を好きと言っても良い世界を作りたい。他人に自分の好きを押し付けたくない。

その想いの元、彼女は日常を過ごしているのだ。

 

 

「そういえば……最近も絵は描いているんですか?」

 

「ん……まぁ一応美大志望だし」

 

 

 一番聞かれたくないことを聞かれた。

彼は内心そう思い、心臓を針で刺されたような気分になった。

 

 絵を描いていない、というと嘘になる。

しかし、描いているというのも語弊だろう。

何を描いても途中でやめ、続きを描くわけでもなく積み重ねるキャンパス。

 

 描きたいものがないわけではない。でも、想像力のその先が分からない。

彼の人生での現時点での到達点は、あの日見たヒガンバナの群生。真っ赤に燃える、まるでこの世の終わりのような赤。

 

 だけど、この世の誕生のような赤でもあって、慈悲を孕んだ赤でもあった。

 

 赤という一つの色にも、様々な表情、感情、角度が生まれることを知ってたからこそ、彼はそれを描きたかった。

 

 だが、それはあくまで目的であり到達点。

今彼がしなければならないことは、入試に提出する絵を描くことだった。

 

 それが今の苦悩の原因で、宙に浮いているような感覚の正体。

何を描けばいいかもわからない、どれが正解かも分からない。描くことは無駄じゃないと思っても、それも無駄になったらどうしようと考えてしまう。

正解でも間違いでも、それは日常の地続きにある未来にしか分かり得ないことで、それはきっと過去の積み重ねで。

 それでも、それらが彼の筆が動かない原因になるのは、全くおかしくないことだったのだ。

 

 

「校内入試に出す絵を描かなきゃいけないんだけど……思いつかないんだ」

 

 

 何を描けばいいか分からない、そんな漠然とした悩みを彼女へいうのは変だと思いつつも、思わず口をついて出た本音。

 

 

「大丈夫です!私は受かると信じていますよ」

 

「え、あ、ありがと」

 

「もう暫く見ていないですけど、私は大好きです!」

 

 

 無邪気な笑みで彼をのぞき込む彼女。慌てて目を逸らす彼。

彼女のその何気ない言葉は、本音だった。決して励ましの言葉やお世辞などではなく、本心から彼を思って出た言葉だった。

 

 しかし、彼女の彼に対する絵の印象は随分前のものになってしまう。

二人が同じ学校に居たのは中学生の頃の話で、それから既に数年が経過。彼女は都内屈指のお嬢様学校へ進学し、彼は美大付属の高校へと進学。今の彼の絵を見たことはなかった。

 

 突然自分に向けられた太陽みたいな微笑みに、少し頬を染め気恥ずかしさを感じながら彼は歩みを進める。

隣に女性がいるにもかかわらず、足が僅かに速まる。それは後半時間で訪れる、日の入りに比例しているようだった。

 

 

「はやく描きたいものが見つかると良いですね」

 

「まぁ、それが難しいんだよな」

 

 

 自由に生きたいと思えば思う程、向かい風は強くなる。何をしても、何を目指しても、問題がない事など稀だ。

しかし、相場がそうと決まっているならば、彼は目指すものを諦める必要もないし絶望の淵に立つ必要もあまりないのだ。

 

 難しいと言った彼も、彼の絵が好きだと微笑んだ彼女も、列を成して飛ぶカラスも、あなたも。日常には何かと不安や悩みが付きまとう。

それを乗り越えるなんて簡単には言えないが、それと共存するのも、解決するのも、また一つの日常なのだ。

 

 コンビニに着いた彼らは、どちらからでもなく目的の売り場へとそれぞれが進む。

彼は作業中に飲むものを、彼女は目当ての雑誌を。夕暮れ時の店内はいつもより静かで、ガラス窓から射し込む光が店内を仄かに赤く染めていた。

 互いに目当てのものを確保したのを視認し、同着程度の距離感でレジへと並ぶ。

 

 

「……綺麗だ」

 

「……え?なにがですか?」

 

「店内、赤くなってて」

 

 

 彼は言葉足らずながらも、説明を加えた。

彼女は一瞬胸が鳴ったが、彼にそういう感情はないことは承知している。勿論逆も然りで、彼女も彼に対する恋愛感情はない。

 朱色に染まった店内を彼女は見渡し、言われてみると普段の店内とは別の雰囲気になっていることに気付く。

決して目当ての本に目がいきすぎていて周りを見ていなかったという訳ではなく、ありふれた日常の風景に目を向けることがあまりなかっただけだ。

 

 

「言われてみると……綺麗ですね」

 

「気付いてなかったんだ」

 

 

 人が目にしている風景は、人によって捉え方が違う。

 例えば、綺麗な風景の絵があるとする。或る人は、描かれている連峰に対して感嘆の溜息をはくかもしれない。或る人は、その手前に流れている川に関心を抱くかもしれない。

或る人は空を飛んでいる鳥たちに目を向けるかもしれない。

 

 視野は人の数だけ存在し、思考も人の数だけ存在する。これはこう、それはこう、と決めつけるのはナンセンスで、自分の良いと思うものやその感情が何よりも大切だったりする。

それは芸術だけじゃなく日常にも通ずるもので、彼にも彼女にも存在するものである。

 

 彼女は自分の好きだと思ったものをみんなと共有したい、好きという感情をもっと素敵だと言うことを広めたい。彼は自分の見た景色を絵に閉じ込めたい、自分の力で表現したい。

一見方向性が違うように見えるが、どちらも自分の意志で自分のやりたいことを遂げようとしているのだ。

 

 多様性、その中で生きる少年少女、紳士淑女。日々は続く、その生活の果てに芸術があり、音楽があり。

 

 

「あなたが教えてくれなかったら、きっと気にすることもなかったです」

 

「そんな大げさな」

 

「本当です!いつもなら気にしないことも、少し目を向けるともっと素敵に見えますね」

 

 

 大袈裟。彼はそう言いつつも、彼女が目を輝かせながら顔を覗いてきたのに対し咄嗟に顔を逸らす。

やはり、顔を合わせるというのは緊張するわけで、同性の友人に対しても顔をあまり合わせない彼からしたら彼女は破壊力が高すぎた。

 しかし彼女としては顔を見て話すという行為は、いとも容易いことで日常に根付いてることだった。

スクールアイドル。同じ同好会のメンバーやライブに足を運んでくれるファン、取材にくるメディア。顔を逸らして話してしまっては、伝わることも伝わらない。

一つの癖のようになってしまっていたので、彼のことを見るのも何の抵抗もないのだ。たとえそれが、彼のジュブナイルに多大な影響を与えてたとしても。

 

 会計を終え、二人でコンビニを出る。

 

 帰路。暗くなる前に帰る足取りは、まるで先程のカラスのよう。月がぼんやりと浮かびだし、太陽と同居を始めていた。

空は入る前より少し赤が濃くなり、太陽の色も濃さを極めつつあった。歩道に影二つ、目的地は同じ場所。逃避行という名の買い出しも、もう現実へと時が進もうとしていた。

 

 

「二冊も買ってしまいました!こっちは保存用で、もう一冊は観賞用です」

 

「よく聞くやつだ」

 

  

 声を掛けられた時のような臆病な鼓動は、彼からはもうなくなっていた。

緊張しないわけではないが、流石に半時間ほど一緒にいると慣れも生じる。彼女の言葉に対しても、すんなりとした返事が出来ていた。

 

 人の数だけ日常がある。その中で学校、会社、家、友人や恋人と時間を共有する瞬間がある。それは日常の共有とも言える。

体育後の教室で窓から入る風も、仕事終わりに電車に揺られる振動も、ベッドに寝転がり感じる疲れも、友人との飲み会後の昂りも、好きな人とのひと時も。

日常の共有、或いは生活の果て。地続きで、常に終点に向かっている生活の果ての一部。

 

 

「良い気分転換になった気がする」

 

「外に出たからですか?」

 

「うーん……それもそうだし、なんか、久々に会ったからとか」

 

 

 彼の心は家を出る時よりも晴れやかなものだった。それは凍結したものが熱を帯びたり、流れる風が饒舌に聞こえるかのような晴れやかさ。

何故かは彼自身はっきりと分かっていない。親やクラスメイト以外の人と話すのが新鮮だったからなのか、コンビニに行くことが気分転換になり得たのか、夕日がそうさせているのか。

 

 急な角度から飛んできた彼の発言に、彼女が鼓動が早まった。彼の言葉足らずな言い方だと、彼女に久々に会えたから気分転換になったと伝わってしまう。

事実、彼女はそう受け取りその文面の通りの意味を想像してしまった。少しだけ赤らむ頬は夕日のせいだと言い聞かせ、平静を装った声を作り言葉を出す。

 

 

「そ、そういうことはそんな投げやりに言うものではありませんよ!」

 

「え?ごめん」

 

 

 よく分からないまま彼はとりあえず謝罪をする。彼は自分が彼女に対して含みを持った発言をしたことに気付いていないのだ。

 彼女は彼女で、未だ頬を染め少しだけ目を合わせる必要のない方向を見ている。高校生になってからは女子高ということもありスクールアイドルや趣味に夢中で、恋愛の経験は皆無と言っても過言ではない。

 互いにそういう気があると考えたことはなく、知人と友人の間程度の距離感。しかし、一度言われるとミリ単位でも意識が発生してしまうのは事実。彼女には耐性がなかった。

 

 沈黙が流れる空間に、空の赤だけが日常を雄弁に語っていた。

 

 

「でも、なんか浮かびそうなんだ。まだはっきりとは分からないけど」

 

「完成したら私にも見せてくださいね?」

 

「……機会があれば」

 

 

 早くもなく、遅くもない足取り。一定のリズムで二人は歩いている。彼が喋ってから、また沈黙。話す話題があるわけでもないが、どこか落ち着く。

車通りも少ない通り。この道を曲がり坂道を上れば無事帰宅。彼は息が詰まるような焦燥感から、随分と遠くへ来た気がした。

 

 カラスが鳴いたら帰ろう、そんな言葉もあるがカラスは既に帰路へ。行きに見ていた大勢達は、もう一羽と姿を確認できない。

彼の中には行きにはなかった感情が二つ芽生えてた。一つは浮かび上がりそうなアイディアへの期待、そしてもう一つは謎の名残惜しさ。もう少しこの時間が続けば、他にも見えてくるのだろうか。そんな気持ちが存在していた。

何故名残惜しいか、彼はよく分からなかった。ただ、この時間が自分にとって何かしらの糧になるという淡い思いがあったのだ。

 

 彼のその思いは自然と遅い足取りになって表れていた。もう、家までは坂を上るだけ。

 

 

「どうしたんですか?」

 

 

 歩みが遅くなっていた彼を、既に坂を上りつつあった彼女が振り返って確認した。

俯いているわけではないが、かといって真正面を向いて歩いているわけでもなかった彼がその声に応えようと顔を上げる。

 

 その一瞬が全てだった。

坂の上から射すこの世の終わりと始まりを象徴したかのような赤。逆光で影絵の如く黒く染まった彼女。それが世界の果てだと言われても、彼は否定できなかった。

小さい頃に彼が見た、赤一面の花畑がフラッシュバックした。全てを見透かしたような色で世界を照らしながら沈む太陽と、慈悲の象徴かと見間違えるような彼女の姿。

 彼の中でずっとかかっていた霧が、吹き飛ばされたようだった。

 

 

「待った!そこで止まって」

 

「え、ここですか?」

 

 

 彼女に急いで声を掛け、彼はその光景を目に焼き付けた。写真を撮ってしまえばそれまでだが、脳裏に焼き付くように。この先ずっと、忘れない為に。

一分にも満たない時間、しかしそれだけ雄弁で、寡黙な時間。瞬きすら忘れるような光景を、彼は必死に目に焼き付けた。そして一応、カメラでも。

 

 

「ありがとう、描けそうだ」

 

「ど、どういたしまして……?何があったのか分からないですけど、描けそうなら良かったです」

 

 

 彼女からしたら夕日に照らされて眩しそうな顔をした彼が、じっと自分のことを見つめてきていただけだ。

それだけで礼を言われるのは、少しばかりの違和感があったが彼の満足そうな、晴れやかな顔を見るとそんな考えも不要なものだと分かった。

 

 夕日は誰にでも平等だ。誰の日常にも姿を現し、必ず一日の終わりを告げる。

辛いことも、泣いたことも、笑ったことも、怒ったことも、全てを受け入れるかの如く赤くなる。良い人にも悪い人にも、小さな草花から地球という惑星まで、赤く染める。

 

 日々は続く、日常となる。

その日常は、人生となる。夕日の赤に魅せられた彼にも、自分の好きを伝えたい彼女にも、あなたにも、夕日は等しくやってくる。一日一回、終わりを告げに来る。

 それを人生と呼ぶにはいささか大袈裟だが、それを日常と呼ぶには差し支えがない。あと何回人生で夕日を見れるだろうか、あと何回夜が来るだろうか、あと何回朝を迎えれるだろうか。

日常として平気な顔してそこにいる存在は、もしかしたら掛け替えのないものなのかもしれないのだ。

 

 もう夕日は姿を消して、辺りは夜の帳が下り始めていた。黄昏が急いで夜を迎えに行っている。今日は終わりと、明日は華よと、夜が来る。それは沈黙的で、しかし轟音で。

 

 

 マンションの入り口に着いた二人は、少しの沈黙を共有していた。二人とも何を言って別れれば良いのか分からないのだ。こんなに一緒にいるのは数年ぶりの出来事で、互いに戸惑いが生じた。

 彼は感謝を伝えたかった。面と向かってあなたの絵が好きと言われ、心が躍ったのも事実だし、何より帰り道に忘れられない光景に出会えたこと。それを伝えたかったのだ。

彼女は彼女で、どう話を切り出せば良いのか分からなかった。またねと言っていいのか、さようならというのは少し寂しいかとか、口から出る言葉を選べないでいた。

 

 先に沈黙を破ったのは、彼だった。

 

 

「今日はありがとう、描きたいものに出会えたし……絵、好きって言ってくれて嬉しかった」

 

「い、いえ!好きな気持ちはちゃんと伝えないと意味がないですからね!」

 

「……描いたら、一番最初に見せるから」

 

 

 それはあの光景を見た時に彼の中で決めていたことだった。

自分が描いたあの光景を見てもらいたい、こんなに素敵な絵だったことを知ってもらいたい。その為だけに描いても良いと思えるくらい、絵画のような光景だったのだ。

 

 今まで描きたいものが見つからず、目標にしてるヒガンバナだけを視野にいれ過ごしていた彼が、動き出すきっかけになった風景。

それは夕焼けが彼に魅せたのか、彼が彼女に魅せられたのか。或いは両方か。コンビニに行こうと外に出た時とは、モチベーションがまるで違っていた。今すぐ筆をとりたい、あの景色を描きたい。

 己を見失い宙に浮いていた彼は、しっかりと足を構えて立つことが出来ていた。

 

 

「はい!楽しみにしていますね」

 

「じゃあ早速帰って描かなきゃな」

 

「私も帰って雑誌タイムです!」

 

 

 

 行きと変わらず嬉しそうに微笑む彼女に、彼は少しだけ目を見て微笑み返すことが出来た。

 

 

 

 日々は続く、それは日常となる。その日常は日々の積み重ねで、日々は時間の積み重ねだ。

時間は刹那的に過ぎていく。過去を偲ぼうが、未来を仰ごうが、等しく時間は過ぎていく。

 そこに存在していることが存在意義そのもので、理想や感情を語るのが存在証明なのだ。

 

 彼女の方が住んでいる階が下なので、先に降りる。彼は未だ若干の名残惜しさを抱えながら、階層の文字盤を見つめていた。

あなたの絵が好きだとか、信じてるとか、なんだかしてやれてばかりだと感じた彼は最後に自分の本心も少し曝け出そうと決めたのだ。

 少しだけ額に汗、少しだけ力む手、少しだけ固まる表情。エレベーターのドアが開き、彼女が下りた後に彼は一言投げ込んだ。

 

 

「俺も……俺も菜々の歌好きだよ」

 

「……え」

 

「じゃまたな」

 

 

 彼は似合わない笑みを浮かべ、エレベーターの扉が閉まっていくのを満足気にしていた。

歌が好きというのは本心だ。最もスクールアイドルでやっている曲を全て知っているかと言われたらそうではないが、小さい頃からアニメの主題歌を楽しそうに歌っている彼女を見てきたのだ。

彼女の歌声には魂が乗っていて、本当に歌が好きだということが聴いている側にも伝わってくる。そんな熱量がある。彼はそれを知っていた。

 

 これでイーブンだろ、と心の中で思い、彼はエレベーターを降りた。

 

 一方彼女は呆気に取られていた。

 

 彼女はスクールアイドルの活動を本名ではしていない。だから本名を呼んでくる人は家族と学校での友人くらいで、どちらかと言えば今や少数派なのだ。

それを逆手に取ったかのように、突然名前を呼ばれ、しかも好きだなんていうものだから。彼女は感情の行き場が迷子になっていた。今家に帰れば、絶対に顔が熱を帯びているのがばれてしまう。

それは避けたい。せめて普通の表情で、せめて普通の動作で、帰宅したい。

 

 彼女は深呼吸を数回挟んで、家のドアを開けた。

 

 

 二人はこの後も彼の描いた絵を中心に、関係性が発展していくがそれはまた別のお話。

 

 

 日々は続く、それは日常になる。日常が続けば、人生になる。

 やりたいこと、好きなこと、やれること、やれないこと。きっとそれを決めるのはまだ早すぎて、きっと歳なんて関係なくて、でも難しくて。

それでも結局一番雄弁なのは行動で、その瞬間に出会えるかが重要で、誰といるかも重要で。

 序章とも言い切れない、まだ助走のような彼の物語は、逃避行的に始まり彼女が鍵を開けた。

 自己表現とは難しいもののようだが、好きなこと、自分のしたいことがそれに直結するのならば。

 

 彼女の歌も、彼の絵も、彼女の目的も、彼の到達も。

 

 

 物語は始まったばかりだ。

 

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