右腕の蝶   作:紙粘土

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後編

-1-

 

 

『怪我をして倒れた男の人を、偶然通りかかった娘が介抱してあげました。二人はやがて、恋人同士になったのです』……やっぱり、恋愛ものの一文みたいだ。読書好きの彼女は常々そう思う。平々凡々な日々を送った彼女の元に、そんなロマンチシズムが訪れるなど欠片も思っていなかったのだ。

恋人はハンターを生業とする、物腰の柔らかな男であった。女の彼女が見ても美しい容姿をしてるのに、彼は「なにいってるの、綺麗って言われても嬉しくないよ」とそっぽを向く。それ以来彼女は「かっこいい」と言うようにした。やはり彼は「なにいってるの」と素っ気ない返事をするけれど、綺麗と言った時のように「嬉しくないよ」とは言わなかった。

彼は背にいつも、身長を超えるほど長い武器をしょっている。そして腕には、オオシナトと呼ばれる猟虫を留めていた。操虫棍というらしい。

 

 

「原因究明できてよかったです、なんだかホッとしちゃいました」

 

二週間ぶりの帰宅となった彼に夜食を差し出しながら、彼女は朗らかに笑って見せた。

四日に一度の頻度で帰宅していた彼が、此度は二週間にも渡って家を空けていたのには理由がある。モガの村を中心に周辺に数々の変異を齎した、その原因が特定されたためだった。

現地から限りなく近場に滞在する彼に、より緻密な報告と今後の方針に対する意見が求められたのは然るべき流れだ。彼はモガに滞在し、村長を通して協会とやりとりをしていたらしい。一通りされた説明のほとんどが専門用語ばかりなために、彼女は理解の追いつかない所の方が多かった。要約するなら、解決した。その一言で彼女が微笑む。よかった。そう、安心したような顔だった。

 

「……どうだろう。まだ、終わってないかもしれない」

 

だのに彼は歯切れが悪かった。

周辺に度々及んだ様々な変異は、ラギアクルスによるもと結論が出された。

モガの村にはとあるハンターが滞在しており、しかも件のラギアクルスと因縁深いというから奇っ怪なこともあったと思う。どうなったかと言えば、ラギアクルスはそのハンターに討伐された。つまり解決だ。だのに彼は、終わりでないかもなどという。

 

「範囲が広すぎる。ラギアクルスは恐ろしい竜だが、特筆して巨大というほどでもない。なのに、影響を受けた地が広すぎるんだよ」

 

ここだって、と、彼が床を指差した。水没林だって影響を受けた地の一つだ。水棲の種を中心に、数々のモンスターが「普段はとらない行動」を繰り返した。それが、彼が釈然としない理由であった。

 

「……なんていうのかな。もっと別の何か……巨大な動きがあって、ラギアクルスもその片鱗だったんじゃないかって思う。証拠とかないけど」

 

彼女の家の天井に、一際太い柱がある。屋根の頂上を支えるそこが、彼の猟虫、オオシナトの〝お気に入り〟の場所だった。決まっていつもそこで羽を休めてる。

 

 

「……じゃあ、もしかしてまだ、変異が……?」

 

「わからない。でもひとまずの解決をしたのは確かだ。もしかしたらまだ続きがあるかもしれないけど、とりあえず今は平気」

 

なんだか安心出来るのか出来ないのか微妙な言葉で、なんと答えるべきか彼女が困った顔をする。それでも黙りでは申し訳ないとでも思ったのか、頑張って話について行こうとするようだった。

 

「最近、地震多いですよね……!変異ってそれ、だったり……しないですよね流石に。なんかごめんなさい、なにもわからなくて」

 

「……モガも度々地震が、いや、でも……。まさか海底遺跡……?」

 

「あの……?」

 

「それかもしれない」

 

「え?」

 

彼女の何気ない一言は、しかし彼に一つの仮説を齎した。海に浮かぶ新月……白銀の巨人……。神話のような単語がぽつぽつ漏れ聞こえてくる。

モンスターの異常行動は水棲種を主とし、孤島から水没林までかなりの広範囲で報告された。そして海に近づくほどその傾向が強まっていた。

地震と、海。地震は地上で起こるものだ。だが海上にあるモガの村でも起きている。地震と海に関連性があるのは間違いないが、結論はラギアクルスと定まった。彼はそれが釈然としない。

 

頭の中に、三つの点が浮かび上がる。

地震と、海と、水棲モンスターの異常行動。三つは繋がっていると思っていた。だが実際は繋がってるのではなく一つの事象かもしれない。〝なにか〟が、これら三つに影響を与えている、本当の原因があるかもしれない。

 

 

「……地震が起きたらどうなる?この辺りで、大規模な地震が起きたら」

 

「え……大規模な……?海が近いですから、津波が怖いです」

 

「そうだね、地震は津波を呼ぶ……と思ってたけど逆かもしれない」

 

「逆……?」

 

「逆。津波の前触れで地震が来てるのかもしれない。津波が起きそうで、水棲のモンスターが異常行動を起こしてるとしたら」

 

そしてその津波が、〝とある古龍〟により引き起こされそうとしてるとしたら。

彼女のまばたきが早まった。津波すら引き起こせるほどの、強大な龍など想像もつかない。

それでも彼には、一つだけ心当たりがあったのだ。

 

……モガの村の真下には、海底神殿と呼ばれる遺跡がある。そしてそこに、「深海の光る巨人」という言い伝えが存在していた。

 

 

「申し訳ない、出掛ける。モガに行かなきゃならない」

 

彼は食べ終わっていない食事を突如中段させた。行かなきゃ。今すぐ、この仮説を村長の耳に入れなきゃならない。事態が一刻を争うような、深刻な予感が彼にはあった。

 

焦燥が彼女に伝染してくる。せっかく久々に会えたのに、と、我儘を言うことすら忘れてしまった。それだけ危険だと伝わったのだ。

 

立ち上がりせかせかと身支度を整える彼の背中に、彼女は泣き出しそうになる。寂しいからというのも本音だ。だがそれ以上に、言いようのない不安が涙を齎していた。

 

 

「……あんた、うぶそうだから」

 

振り返りもせず彼は言った。

 

「あんた、うぶそうだから、抱き締める以上のことしなかったけど」

 

何を、言っているのか。なにもかもが唐突過ぎて、思考がまだ追いつけずにいる。ここで暮らした毎日が、次々頭に蘇る。たった数ヶ月だ。なのに十年くらいの濃度に思えた。出会う前が思い出せない。

 

「あの、私、」

 

言いかけた小さな唇を、遮ったのもまた唇だった。引き寄せたのは彼の腕だ。優しいのに力強く、彼女の肩を引き寄せた。そのまま、唇が軽く触れたのだ。偶然ではない、意図された。接吻だった。

 

「結構我慢してたんだ、本当は」

 

刺さる視線がひどく熱い。言いかけた言葉の続きが真っ白に塗りつぶされてしまって、彼女は何もしゃべれない。それどころか、指先一つ動かなかった。

 

「……帰ってきたら、ちゃんと言う。いってきます」

 

 

そう言って彼は、暗峠を走り去ってしまった。オオシナトの群青色が、月明かりにぼんやり浮かぶようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

-2-

 

 

いやな予感がする。

最初にそう感じたのは、彼の危惧感に触発されたためだった。だのにもう四日も経つのに、予感がずっと拭われない。

 

 

そこを道と呼べるかどうかは疑問が残る。獣道ほど荒んでないものの、人が歩きやすい程度に草を掻き分けた程度だからだ。土は水気を孕み常に泥濘んで、小雨でも浅瀬のような有様になる。分岐路の東に行けば孤島に続く定期便の停留所であり、西に行けば水没林の入り口になる。モガは孤島の近くであるが、時折海が荒れて船が出ないことがある。そんな時彼はぐるりと遠回りして水没林方面から帰ってきた。だから彼女は、この分岐路の前で東西のどちらも選ばず待っていた。

 

手頃な高さの岩を椅子に、ひたすら祈り続けてる。相変わらずいのる神の名も知らぬというのに、漠然と神様、神様と繰り返すのだ。神様……どうかあの人が無事に帰ってきますように。この嫌な予感が、どうか外れますように……。

 

そうやって、昨日からパンと水だけを持って、ずっとここで待っている。

恐ろしいのだ。かつてここまで嫌な予感がこびりついた事などなかった。それ故に、この予感が当たりそうで恐ろしかった。

 

彼は、帰ってきたら何を伝えるつもりだったのだろう。いってきますと言ってくれた。ならば、おかえりなさいとどうしても彼女は伝えたい。

そして彼がどんな言葉で、何を要求したとしても、彼女は受け入れようと心に決めた。

 

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

 

呼ぶ声がする。

彼女の名前を呼ぶ声がする。その声は、求め続けた声だった。

 

だけどそれは、望んだ甘い時間でなかった。

いつの間にか眠ってしまった彼女を揺する、彼は水没林側に立っていた。

ああやっぱり、この分岐路に居てよかった。そうでなければ、入れ違っていたかもしれない。

よかったと言おうとした。だけど、それより先に、彼は逃げろと声を荒げた。

 

いつも悠々として、物腰の柔らかな彼が初めて声を荒げていたのだ。

 

 

 

「ロアルドロスが来る!チャナガブルも!早く逃げろ!」

 

開いた視界に映る彼は、険しく眉を吊り上げていた。

何を。どうして。疑問の答えは直ぐに眼前へ広がった。彼は彼女を揺するのを止め、水没林に続く道に走ったのだ。向かう先には、大量のルドロスが群がっている。

数が、多すぎた。

 

 

「ナバルデウス討伐作戦が決行されてる!〝とあるハンター〟が海底神殿の最深部へ誘導してる!その影響で、水棲モンスターが一斉に逃げ出してるんだ!」

 

彼が叫んだ。それは簡潔な説明だけれど、やはり彼女には専門用語ばかりでよくわからない。

モンスター達が逃げ出している。水辺から、安全地帯を求めて陸地に避難してくる。普段保たれていたテリトリーが破られて、地上は阿鼻叫喚の混戦地帯と化してしまった。そうして今、人間の生活区まで雪崩れ込んでる。

 

ルドロス達が、こんな場所まで押し寄せることなどかつてない。だのに今は草根を掻き分け、木々の隙間から我先にと押し寄せている。

まるで悪夢のような光景だった。

 

彼の操虫棍が振り回された。かつて彼女を救ったように、一撃で一匹が討伐される。急所を外して生き延びた個体も、二撃目で命を散らしていった。足場に血飛沫が散らばってゆく。

瞬く間に五匹、十匹と仰向けに屍を転がしてゆくが、それでも数が一向に減らない。次々に三方向から群がってくる。

少しでも水場から離れようと、ルドロス達も必死であったのかもしれない。それでも彼が武器を振るのは、この先に彼女の村があるからだった。

 

「一匹も通すものか……!」

 

後ろに彼女がいる。

その更に後ろには、彼を暖かく迎えてくれた村がある。彼女と過ごした、彼の帰るべき家がある。

踏み荒らされるわけにはいかない、彼には理由と信念がある。

 

ルドロスが複数で飛びかかるのを、彼の武器がまとめて横殴りに一閃した。ほぼ同時に全ての個体が血を撒き散らすけど、時間差で地上から腹這いに飛びかかる一匹が噛み付いてきた。彼が蹌踉めく。それでも倒されることもなく、武器は足に噛み付くルドロスの額を刺した。眼球がぐるりとひっくり返り、白目を剥いたのち足を噛んだ個体が地に沈んでく。

猛攻は止まない。二十やそこらの数ではないのだ。彼の立つより先の大地が、琥珀色に染まってしまったようだった。全てがルドロスだ。

 

信じられない光景を前に、彼女は眩暈を覚えてる。気絶してしまいそうだった。かろうじて繋ぎ止めた意識で踏ん張り、抜けそうな腰を細腕で支える。どうしたらいい。まともに戦うことの出来ない非力さで、必死に彼女は考える。どうしたら彼を救えるだろうか。

 

群がる琥珀色の群れの中に、一際大きな個体を見つける。他と明らかに異なるのは、体躯の大きさだけではなかった。仰々しいトサカを持ってる。

ロアルドロスだと、すぐにわかった。見るのは初めてだが、書物で僅かに知識があったのだ。この悪夢のような群れの中には、大型モンスターも含まれていた。

 

瞬間彼は大地へ武器を突き立てて、棒飛びの原理で宙へ大きな跳躍をした。いつか見た、あの美しい宙返り。だけど今は、月は見えない。

彼の腕にいたはずの、オオシナトがいつの間にか飛び立っている。群青色の綺麗な羽は、真っ直ぐにロアルドロスを目指していた。

 

彼は突き立てた操虫棍を空中で持ち直し、その鋭い切っ先をロアルドロスの背に打ち付けた。衝撃に怯んでロアルドロスの体制が崩れる。そのまま、着地は背中に行われた。引き抜かれたハンターナイフの刃が反射してギラギラ光る。痛みに呻く声がする。

……突き刺していた。何度も、何度も。剥ぎ取りに用いられるナイフが、何度もロアルドロスの背中を貫く。痛みにのたうちまわるたび、周囲のルドロス達が薙ぎ倒されたり踏み潰されて力尽きてく。彼は落ちない。振り払われないようトサカをしっかり握り込み、何度もナイフを振り落とす。やがてロアルドロスが、痛みに耐えかねて転倒をした。一瞬早く飛び降りた彼が、その眼前に着地する。オオシナトが浮遊していた。腹は赤い液体で膨れていた。

 

あれは……確かエキスだと言っていた。だが彼女がかつて見たのと色が異なる。真っ赤だ。それがなんだかわからないまま、彼の腕に注射されてゆくのを見た。

次の一撃は、最初よりも数段強力なものに思えた。ロアルドロスが悲鳴を上げる。だがまだまだ終わらない。自らの長を守ろうと、ルドロス達が襲いかかってくる。彼はそれでも後退しない。背中にまた一撃もらったが、彼は怯まず攻撃を続ける。血飛沫が舞うけど、それがモンスターのものか、彼のものかもわからなくなる。

 

中には逃げ出すルドロスもいた。戦わずに、この場から離れる選択をした個体であった。

村を目指してか、或いはすくみあがる彼女を標的に変えたのか。ずりずりと腹這いで彼女の方へ数匹がくる。

 

瞬間、彼の跳躍は今度は後ろに向かって行われた。モンスターの爪が彼女の元へ届くより先に、操虫棍が空から振り払われながら落ちてきたのだ。

 

 

「行け!ここから先には一匹も通さない……!村に行ってみんなを避難させろ!」

 

彼が怒鳴った。綺麗だと言った面立ちが、血で真っ赤に濡れている。

 

不意に彼女は、いつかの穏やかな日を思い出した。

四日ぶりに彼が家に帰って来て、散歩でもするかと一緒に歩いた日のことだ。足場の水で小魚と遊びながら、今までしてきた様々な冒険談を聞かせてくれた。

 

ハンターって、もっと怖い人って思ってました。彼女がそう言えば、だろうね、と彼は頷いた。最初は彼にも、彼女は怯えることがあったのだ。今でこそ頬を赤らめながら隣で笑っているけれど。

 

「まあ、狩猟って言い方しても要するにモンスターを殺すのが仕事だから。怖いって思うのも無理ない」

 

「ごめんなさい、不愉快でしたか」

 

「全然。実際、殺すのに快感を覚えてる奴も少なくないよ。無骨な野郎ばっかだし」

 

彼は苦笑する。水場の奥まったところに、黄金魚が泳いでる。木漏れ日が鱗を反射して、水面がキラキラ輝いていた。

 

 

「でも、殺すために殺すばっかでもない。守るために殺すこともある」

 

彼はそう言って、黄金魚が泳ぎ去るのを眺めてた。

 

 

守るために、殺すこともある。

彼はあの日、そう言ったのだ。

 

 

オオシナトが二度目のエキスを注射した。赤色だ。この地獄のような光景の中、彼は呼吸する間すら惜しむように武器を振るった。また一匹、ルドロスが力なく地に伏してゆく。屍の数が増えていくのに、安心感は一向にない。まだ数え切れない数がいる。

 

堪えきれずに涙が落ちた。

ロアルドロスが吐血したのち動かなくなる。痙攣で二度尻尾が地面を叩いた後、ぐったりと腹が空を向く。……死んだのだ。

それでも地獄が終わらない。ロアルドロスの屍体をまるで食らうかのように、泥濘む大地が下から爆ぜた。大きな口が動かなくなったロアルドロスを咥えてる。鋭い棘が周囲のルドロス数匹を貫いた。電球のような小さな光が、左右にふらふら揺れている。

 

チィ、と彼が舌打ちをした。チャナガブルだ。圧倒的な数の小物に混じり、大型モンスターまで押し寄せる。神様。彼女が呟く。

 

そのチャナガブルの真横から、水が光線のように放たれる。木々が鈍い音で薙ぎ倒された。

ぬらぬらと滑るような光を放つ、魚のような鱗が見える。頭部は正面から見たら鋭い牙が並ぶばかりだ。鱗は翠に輝いていた、それは……

 

 

「……ガノトトス亜種まで来た。早く行ってくれ」

 

彼の肩がぜいぜいと、荒い呼吸で上下している。

 

 

「背を向けて走っていい。ここから先は一匹も行かない。あんたに追いつけるモンスターなんか、いないから。させないから」

 

 

彼はそう言って、彼女の背中を強く叩いた。

 

 

 

 

 

 

 

-3-

 

 

深夜でありながら、報せを受けた村人の動きは速やかだった。どうやらモガで漁業を行う者達の間では、最近なにかと物騒な噂があったらしい。それがこの村まで風とともに運ばれてきて、朧ながらも危機感は漠然と広がっていた。近々、そう遠くない未来に……なにかが起きるかもしれない。声を大に騒ぎこそしなかったけど、そんな思考が蔓延していた。だからこそ、泣きながら彼女が家の戸を叩いて回った時に、疑う者もまた皆無であった。

 

避難は女と子供を優先するよう計らわれたが、情報源である彼女は村のリーダーの男性の元に居た。車座になり指示を落とす男達に加わって、より詳細な情報を伝えるためだ。

 

「ナバルデウスが……そう言ったのか」

 

彼女にとってはチンプンカンプンな単語であっても、外に働きに出る男達には心当たりがあるらしい。それでか、と深刻な顔をしてみせるから、彼女の不安が強まった。

 

「どうする、加勢に行くか……?」

 

一人が言った。一応のこと槍や短剣は持っている。だがそれは狩猟のための強力なものではなかったし、そもそもハンターと肩を並べるに足る腕前を誰も持ってない。行ったところで、足手まといなのは明白だった。むしろ守る対象を増やしてしまって、彼の負担になるだけだろう。ともすれば命を落としかねない行動であり、それはこの村の全員を守ろうとする、彼の意思にはそぐわなかった。

だが今孤立無縁でモンスターの大群と戦う、操虫棍使いをどうして見捨てられるというのか。決して長いとは言えない付き合いであれど、村の人々もまた彼を身内と認識していた。彼女の恋人であることも知っているのに。

 

「セガレ……セガレなら、あいつなら戦えるんじゃないか?モガの……」

「いや、モガに行けば、他にもハンターが滞在してくれてるかもしれない」

 

口々に提案が重なってゆく。ここに戦力となる人間はいない。だがモガなら、モガに行けば……。それは一縷の望みであった。

急いでモガに報せを出せば、彼を助けに行ける誰かがいるかもしれない。今はもう、そうと信じるしかないのでないか。話の方向性が定まってゆく。

だがそれでも、彼女の瞳は暗く沈んだままだった。

 

ここからモガまで、往復でどれだけかかるのだろうか。きっと夜が明けるだろう。その頃まで、彼が無事でいる保証がどこにあるのか。現場の壮絶さを知るからこそ、彼女は胸がひしゃげるような思いであった。

大地が琥珀色に蠢くような大群で、ガノトトス亜種やチャナガブルまで現れて……。彼は、一匹たりともここから先には行かせないと立ちはだかった。それを鵜呑みに、じゃあよろしく頼みますと逃げ果せるなど、彼女には到底出来そうにない。

 

 

「すみません……ちょっと、お手洗い」

 

彼女はそう言って立ち上がる。

話は、モガに助けを求めることで纏まっていた。村で一番俊足なガーグァに跨って、騎乗に長けた若者が駆け付けようと名乗り出ていた。

それでも彼女は、やはり「そうしましょう」と頷けない心境だった。

 

トイレに行くなど嘘だ。彼女は家を飛び出して、自宅に向かって走っていた。

自分の部屋には、彼が荷物置き場にしていたスペースがある。そこには、数々のアイテムが置かれていた。

中には秘薬や、生命の粉塵があるのも知ってた。

あれを持って、彼の元へ戻ろうとする。住人を避難させろと彼は言った。その約束は果たしたのだ。そして、戻るなとは言われなかった。逃げろとは言われたけれど、戻ってくるなとは言われなかったのだ。

彼女が水没林に向かう理由など、その言い訳だけで充分だった。

 

 

 

 

 

 

 

-4-

 

 

「……通さない、絶対に」

 

既に息絶えたチャナガブルの腹を足場に、彼はガノトトスへ向かって飛び降りながらの一撃を繰り出した。

満身創痍だ。関節も筋肉も骨も、全身が悲鳴を上げている。回復薬は尽きていたけど、撤退するわけにはいかない。

彼は村へと続く一本道に立ちはだかって、押し寄せるモンスターを殺し続けた。ガノトトスが、奇妙な雄叫びと共に横たわる。ルドロスの数も大分に減った。

ナバルデウスが討伐さえされたなら、海は平穏を取り戻す。そうしたら、狂った水の生態系もまた戻るだろう。この水没林の水地にも、元の平和が訪れるはずだ。

ナバルデウスが、討伐さえされたなら。

 

それまで、この道を死守すること。やがて生態系が本来の姿を取り戻し、モンスターが在るべき住処に戻ること。それ以外に、無限にモンスターの沸く〝今〟を生き延びる可能性は存在しない。

 

頼むよ、名前も顔も知らぬハンターよ。そろそろ、ヤバイ。頼む、早く撃退なり討伐なりやってくれ。

彼は祈る。意識が霞み出したから、自分で自分を殴って気を取り直す。

 

 

その瞬間、不意に痛みが緩和されたような気がした。何事かと彼は驚く。まるで回復薬でも飲んだみたいだが、実際にはもう尽きている。……まさか。目を凝らせば粒子がきらきら光って見えた。そうと気付けば間違いもない。これは、生命の粉塵だ。使用した本人だけでなく、その周囲の人間までも回復させる貴重品。第三者を遠距離から癒す手段。

 

だれが、いつのまに。

振り返れば、逃したはずの彼女がそこに立っていた。手には粉塵の瓶が握られている。

 

 

「あ、安全、なんです……!」

 

声を発するのもまた、彼女の方が先だった。

 

「あなたよりこちらに、モンスターは来ない、から、私は安全な所にいます……!安全なところに行けって言ったから、あなたの背中は、私にとってなにより安全なところです」

 

理屈もクソもない言い訳を、頬を濡らしながら彼女が述べる。そんな理由が通用するはずもない。だのに「言われたとおり、みんな避難させました」などと言い出す始末だ。

 

「だから、死なないでください……」

 

「あんた、なに言って、」

 

「一人で、死なないでください……」

 

魔物が現れれば勇者が立ち上がり、姫が攫われれば王子が駆けつけ、「この仕事が終わったら結婚しよう」と告げた男は死ぬものだ。たくさんの恋愛小説を読んだ彼女は、そんな極めて王道的なストーリー展開を初めて嫌った。

これは夢物語の類でないから、魔物が押し寄せても撤退していいし、攫われてしまった姫などいない。そして、「帰ってきらちゃんと言う」などお約束のような言葉を例え聞いたとしても、その男が死ぬわけもない。

 

「村は今無人です。だから、だから……」

 

「……まだだ。老人や子供を引率しながらじゃ、たいして遠くに行けない。どっちみち、時間は稼がなきゃなんだよ」

 

粉塵、ありがとう。そう言って彼が再び駆ける。オオシナトが風を切る。血塗れの身体で、なおも通せん坊をやめられない。

 

 

現実だ。今、目の前の悪夢のような光景は全て現実だった。

 

 

 

不意に生暖かい風が吹き抜けて、彼は異様な気配を感じ取る。暗闇の水没林に、異様な存在感が現れた。

……いや、ずっといたのかもしれない。この辺りの水源に、おそらくナバルデウスの影響が広がり始めたその頃から、ひっそりと奥地にいたのかもしれない。「現れた」と感じたのは、今になりようやく彼の感知圏内まで接近したためだろうか。

暗い視界で、だけど確かな存在感で、まるで〝闇〟そのもののような禍々しさを放ちながら、〝それ〟は静かに現れた。

全身の産毛が逆毛立つ。その悍ましさを感じるのはどうやら人間だけではないらしく、琥珀色の軍団が恐怖を露わに退いてゆく。

ルドロス達が撤退────だがその撤退は、待ち望んだものではなかった。「理由」があったのだ。撤退せざるを得ない恐ろしいものが、ひたひたと水没林を前進してくる。

 

 

「……お前か」

 

彼が言った。

 

「ナバルデウスの影響で……深い眠りから覚めたのか。お前が……この水没林を恐怖のどん底に落としたんだろ。全部、納得だ、お前なら……」

 

 

勝てる気がしない。彼がそう、ぽつりという。

今がボロボロだからだとか、回復薬がもうないからとか、〝こいつ〟はそれ以前の問題なのだと。

 

ナバルデウスの影響は、本来なら深海の奥深くに眠るはずの悪魔を起こしたのだ。討伐作戦で海底神殿が閉鎖され、陸地に上がってきたのだろうか。赤い眼光がギラついている。

彼女は声も出せそうにない。黒い影が近付いてくる。

〝こいつ〟が海底神殿から閉め出しなんかくらったばかりに、水没林がパニックになった。ナバルデウス討伐作戦は、迅速な対応が必要だった。タイミングを計らう余裕などどこにもなかった。だから最悪のタイミングになったことなど、不可抗力としか言いようがない。

 

 

「あれ、なに……?」

 

「……ラギアクルスは知ってるな。こいつは多分、希少種だ」

 

原種、あるいは亜種と呼ばれている個体が年齢を重ねたことで巨大化し、深海へと住処を移した個体が「希少種」と呼ばれるようになる。名を冥海竜といい、名に相応しい暗黒色の巨躯を誇る。おそらく全海竜種中でも最大級のサイズだろう。角、背電殻、口内が藍色に光っており、黒い身体と合わせて非常に神秘的な姿をしている。完全な水棲と言われているが、悠に陸地を闊歩するあたり、元は亜種だったのかもしれない。

近年まで古文書にその存在を記されるのみであった海竜が、今目の前に立ちはだかる。それは、伝説との邂逅と呼んでも過言ではない。

 

……死ぬかもしれないな。彼は思った。これはもう、一対一でどうにかなる次元ではない。一流のハンターが最大人数で万全の準備をして臨み、それでも勝率は何割あるものか。そういうレベルだ。

 

 

「逃げてくれ!!早く!」

 

彼が叫んだ。勝てない。こんな状態で勝てる甘い相手ではない。まして彼女を守りながらなど到底不可能だ。

 

気付けばあんなにモンスターで溢れていた一帯が、痛いほど静まりかえってる。

当然だ。大半は彼が殺したし、そもそもここに押し寄せたのも、冥海竜から我先にと逃げ出そうとしてのことだったのだから。

その冥海竜がここに来たなら、堰を切ったように水の中へと逃げ帰る。

つまり、最後の敵だ。最後より最期というほうが正確だろうか。勝てるわけがないのだ。

今の彼にできることは、死ぬと理解しながらも、彼女と村の住人が安全地帯にたどり着くまで、時間を稼ぐ事だけだ。いずれ打ち砕かれる防壁。それが今の彼だった。

 

 

「早く!行け!死ぬぞ!!」

 

言わせないでくれ。勝てないのだ。こいつには、勝てない。そんなことを、惚れた女に言わせないでくれ、頼むから。

 

彼は彼女の手を取って、雑木林の奥へ力任せに突き飛ばした。痛かったろう。申し訳ない。生きてたらきっと謝るから、どうか一ミリでも遠くへ行ってくれ。彼は彼女の無事を祈りながら、その手に武器を光らせる。

ラギアクルス希少種など、エキスの位置や種類もわからない。オオシナト、頭だ。大概は頭だ。経験則から指示を出す。とはいえ言語によるものではなく、マーキングと呼ばれる手段だ。

 

 

未知数すぎる冥海竜は、ただその恐ろしい戦闘能力だけが古い文献に残されている。

それでも地面を蹴り上げるのは、先ず背中を狙うのが今日まで染み付いた戦闘スタイルの表れだろうか。彼は天高く舞い上がり、渾身の一撃を振るってみせる。

だが切っ先が背中に触れるより早く、黒い雷が彼の全身を貫いたのは、わずか〇・一秒後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-5-

 

 

「……何故、冥海竜は、私を殺さなかったのでしょうか」

 

 

彼女は暗い顔をして、モガの村の村長の元を訪れていた。

今でもよく覚えてる。肉の焼ける匂いまで、はっきりと記憶に刻まれている。

 

蓄電行動無しで大放電を連発可能という恐るべき特徴を持つ希少種は、原種や亜種とは比べ物にならない程の攻撃範囲で大放電攻撃を行うという。

彼はそれに貫かれ、一瞬にして尽きたのだった。

 

 

「暗黒の雷……か」

 

「はい、確かに漆黒の雷でした。暗くてそう見えたのではありません。黒く、光っていたのです」

 

まるで糸の切れた人形みたいに、黒く焦げた人影が水没林の地に伏した。オオシナトもまた、電撃に撃たれ落下する。後にはただ、彼女だけが残されていた。

 

直前に雑木林に突き飛ばされたが、冥海竜は彼女の存在にも気付いていたろう。そろりそろりと、勿体つけるように近付いてくる。

 

怖くは、なかった。

死んだとしても、覚悟の上で駆けつけたのだ。無駄と知りつつ残るありったけの生命の粉塵をまき散らし、それでも反応のない彼に決意が固まってゆく。

目を凝らさずとも鎧と小手の合間に見える、彼の皮膚が炭のようになっていたことに気付いてしまった。だからこそ、逃げようとも思わなかった。

 

 

「なのに、冥海竜はくるりと体を翻し、そろそろと水没林の奥へと引き返したのです。私は何もされませんでした。……どうしてでしょう。あの恐ろしい眼差しに、確かにまじまじと顔を見られたのに」

 

村長は暫し考えた後に、夜は明けていたかと尋ね出す。彼女はこくりと頷いた。悪夢のようで、地獄のような深い夜。彼が命を削り、孤立無援のまま力を尽くしたあの夜は、もうじき明けようという頃だった。

黒と藍色を混ぜ合わせたような空の、東がうっすらと白んでいたのを覚えてる。

 

「……天晴れだ。彼は君と村の防衛に成功したんだ。

丁度そのくらいの時間に、ナバルデウス討伐成功の報せが届いて、海底神殿の閉鎖が解かれた。冥海竜は……棲家に帰る手段を得たんだ。タイムリミットまで、彼は誓いの通り一匹にも道を通さなかったことになる。守りきったんだ、君と、村を」

 

水没林から遠く離れた海底神殿のその出来事を、冥海竜がどのようにして察知したのかは定かでない。

龍達は、人間には理解できない原理を持ってる。解明できていないことのが多い。人々はそれを神秘と呼ぶのだ。

だから彼女は頷いた。彼が必死に戦ったから、ナバルデウスが討伐されるまで持ち堪えたのだ。あと二秒で死んでいた。それは彼が、呼吸すら惜しんで戦い抜いたからこそ、短縮出来た二秒だろう。彼女は深々と頭を下げて、それから静かに歩き出す。

水没林の近場の集落。彼の守ったあの村に、帰るのだ。

 

 

「ところで、見たことのない虫だ。それが例の操虫棍の……?」

 

「……はい、彼の猟虫でした。ついてきてくれるんですよ。彼の代わりみたいに」

 

彼女が泣きそうな顔で言う。

この地方で度々モンスターと勘違いされてきたオオシナトは、どうやらモガの村には入らずに、彼が報告に訪れた時も近場で舞い遊んでいたらしい。実際に見るのは初めてだったと村長が言う。

それから、すまない、と頭を下げるのだ。

 

……彼の、猟虫〝でした〟

過去形の言葉が胸に痛い。

このモガの村を救う影で、その日悲劇は起きていたのだ。

彼女はいえ、と、力ない顔で微笑んだ。

 

「もういいんです。モガの村も、私の村も無事だったんです」

 

それきり、彼女は振り返らなかった。オオシナトがひらひらと舞う。村長はその小さな背中を、見えなくなるまで眺めてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-6-

 

「ただいま」

 

「おかえり、モガの村まで危険なことはなかった?」

 

「オオシナトが着いてきてくれたから心強かったですよ」

 

「……俺以外に懐くとは思わなかった。あんたがほわほわしてるからかな」

 

「ほわほわなんかしてないです。ほら、お土産です。それからまたお野菜のお裾分けいただいたんです。いっぱい食べて、早くそんな怪我治してください」

 

「……申し訳ない」

 

「……?なんで謝るんですか」

 

「右肘から先、切断するしかなかった。ハンターは引退かな。それにまたあんたに介抱されてる」

 

「私、あなたのこと介抱するのちょっぴり好きですよ」

 

「……目もまだ見えない。あんたが今どんな顔してるのか、見えないんだ。そういうの、なんか、ね」

 

「生きててくれただけで幸せって、何回も言ったじゃないですか」

 

「……根性っていうスキルがあってね。あとは、まあ、あんたが粉塵ばらまいてくれたおかげだよ」

 

「役に立てたならよかったです。本当に心配だったんです」

 

 

オオシナトが、いつもの柱で羽休めする。彼女が猟虫の餌を差し出せば、そこからひらひらと舞い降りた。

失った彼の右腕の代わりに、今は彼女の右腕にいる。それがなんだかくすぐったくて、同時にとても誇らしくて、彼女は朗らかな笑みをこぼした。

 

「それより、帰ってきたらちゃんと言うって、あの時の話を教えてください」

 

これは本の夢物語の類でないのに、魔物が押し寄せたら勇者のようなハンターが現れ、危険に晒された村を救った。

そして、「帰ってきらちゃんと言う」などとお約束のような言葉を例え言ったとしても、その男が死ぬわけもない。これは、王道的な夢物語なんかじゃないのだ。

 

生きて、ここにいる。ハンターではなくなったけど。だけど確かに生きている。

 

どこかで聞いたことのあるような、ベタベタな出会いを彼とした。そしてそれが、一つの形になる瞬間がくる。

 

 

「……あんたさ、右腕のない夫なんて、どう思う?」

 

「きっと、世界で一番素敵な方だと思います」

 

 

こうして二人はいつまでも、まるで物語のように幸せに幸せに暮らすのだ。

それはまた、べつのお話だろうけど。

 

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