夕暮れに染まる河川敷を見下ろしながら、土手を歩く。
いつもはイナビカリ修練場で事足りるので、河川敷のグラウンドを利用する機会はほとんどなかった。あったとしても、日がどっぷりと暮れた後。外灯を頼りに皇帝ペンギン1号をモノにしようと使ったくらいだ。
流石にこの時間だと、まだ小学生チームが練習に励んでいた。どうやら試合を行っているらしい。違うところにするか、と提案しようとすると、
「あっ」
円堂が素っ頓狂な声を上げた。
向ける視線の先を見やると、そこには、小学生チームに混じって試合をしている豪炎寺の姿があった。俺も呆気に取られて足が止まった。
「……サッカーしてるな」
「ああ」
腰を下ろして、しばらくその様子を観察することにする。
小学生相手に本気を出す気は全くないようで、シュートが打てる位置であったとしても、仲間にパスを出すことを優先していた。手を抜いているのだろうか。けれど楽しんでいるように見受けられる。「楽しそうだな」俺はそうこぼすが、円堂は「……そうか?」と同意してはくれなかった。
流石の豪炎寺も、ジッと向けられる視線に気付いたらしい。ちょうどいいところで切り上げて、普段通りの仏頂面でこちらに向かってくる。
「何の用だ」
そして腰に手を当て仁王立ちしたまま、強い口調で言った。しかしそれで怯む円堂ではない。
「おまえ、サッカーやってるじゃん!」
「いつオレがサッカーをやらないと言った」
「でもサッカー部には入らないって」
「部活は入らない。サッカーはやる。矛盾しているか?」
「えっ」
一瞬で論破され、食い下がる言葉が続かなくなった円堂。俺に助けを求めてくるが、正直頭がこんがらがってそれどころではない。
「……豪炎寺はどうして部活としての活動が嫌なんだ? 雷門の設備は他のどの学校よりも充実していると思うが」
俺の言葉に、豪炎寺は微かに口元を歪ませた。「その雷門だからこそ」とでも言いたげに。
俺はそこでようやく、至極あたりまえのことに気が付いた。自分の馬鹿さ加減に、嫌気が差すほどに。
ーー豪炎寺は木戸川清修のエースストライカーだった。
そして去年のフットボールフロンティアの決勝戦の相手は、ここ雷門中。側から見れば、まるで寝返ったかのようだ。中学生なのだから、家の事情で転校することなどままあると思うが、この世界においては、大会の注目度もあってそうすぐに割り切れることではない。原作でも木戸川清修のメンバーと不仲だったわけではなくむしろその逆。作られた悲劇によって引き裂かれただけだった。
そもそもの話、原作で豪炎寺が雷門に入学してきた理由はなんだった? ……病院が近いから? サッカーから離れるため? ダメだ、完全に忘れた。ド忘れしたのか、単純に描写がなかったのか。
もし妹関連でなければ、かなり不本意な形で転校してきたのかもしれない。
ならば、俺たちの事情をキッチリ説明すれば、豪炎寺の葛藤も解消できるのではないか?
そんな考えが頭をよぎる。
「豪炎寺。去年の雪辱を果たすのに、良い方法がある」
「……なに?」
「四軍に入るんだ」
豪炎寺はまたそれか、とでも言いたげにため息を吐いた。話を終わらそうと踵を返す彼を、俺は引き止めた。
「聞いてくれ、豪炎寺! 実はフットボールフロンティアが開かれる前に、雷門中のサッカー部内で、試合が取り行われるんだ。そこで、俺たち四軍も一軍のイナズマイレブンと試合する機会がある」
豪炎寺は顔を顰めた。俺は掴んだ腕を強く握る。
「確かに不本意かもしれない。木戸川清修の仲間と一緒にやれるならそれが一番だ。でも現実はそうじゃない。このまま何もしないで突っ立ってるだけで、本当にいいのか?」
「それはっ」
「おにいちゃん!!」
唐突に入ってきた甲高い声。不意を突かれた隙に、豪炎寺は手を振り払う。土手から斜面を危なげなくおりてきたのは、ひとりの少女だった。笑みをたたえながら、俺たち、と言うよりは豪炎寺に向かって手を振っている。
「……夕香」
豪炎寺は、普段見せないような穏やかな顔で夕香と呼んだ少女の頭を撫でる。土手の方には、ネギが飛び出した買い物袋を肩に下げているふくよかな女性が立っていて、その様子を微笑ましげに眺めていた。夕香は彼女と共に買い物に行って、その帰りに豪炎寺を迎えにきたのだろう。なんだか居た堪れなくなったが、彼は何も言わずに夕香の手を引く。夕香は俺たちのことが気掛かりだったのか、何度か振り向いた。
「豪炎寺、待ってるからな」
豪炎寺は何も言わなかった。
□
湯船に浸かりながら今日のことを振り返る。
とにかく色んなことが一日で起こりすぎていた。前世知識で無双しようにも俺の頭のスペックではついていけない。去年一年間は、そもそも原作と全く異なる展開すぎて、前世について懐疑的になっていた。そんな気の緩みもあって、未だ現状に慣れないでいる。
ただひとつ確からしいのは、何者かが原作のレールへと無理矢理引き戻そうとしているということ。その誰かが、運命なのか神様なのか、はたまた俺と同じような異邦人なのかは分からないけれど。
ぶくぶくぶくと泡は弾ける。
心を折られかけて立ち直って、部員を集めて仲間と距離を縮めて、退部の危機に遭ってすげない態度を取るエースストライカーを説得しようとして。
ーーはたして青春とは、こんなにも作為的なものであっただろうか。
若干のぼせながらリビングに向かうと、夕食をリスみたいに頬張っている春奈が、なにやらサッカーの試合を真剣に観ていた。今日は両親共に旅行に行っているので(これだとまるでフラグのように聞こえるが)、テレビ権は春奈が持っている。どことどこの試合だ? と問う前に、見覚えのあるユニフォームが目に入ってきた。
「帝国と雷門の試合……いつのだ?」
「去年の地区大会の二回戦、だね」
お味噌汁をずずッと呑み干してから春奈は答えた。
「色々調べたんだけど、これしか手に入らなかったの。どう? 参考になりそう?」
そして得意げな顔をするので、俺は呆れたように頷いて、炊飯器からご飯を盛る。男子中学生の食い意地というのは恐ろしいもので、さっきおにぎりを食べたとて、腹は減るのだ。
「……なんで俺たちが帝国と戦うことを知っているんだ」
「ふふん、舐めてもらっちゃ困るな。人海戦術ってやつだよ」
「人の懐に入るのが上手いな、春奈は」
「それ褒めてる?」
「褒めてる褒めてる」
春奈が「ほんとー?」と頬杖をついて眉をあげる。それを適当に宥めながらビデオを試合開始まで巻き戻した。イナズマイレブンは必殺技すら使わずに開始僅か数分でゴールを決める。米をかっこみながら帝国の動きを分析してみるが、呑み込んだタイミングで思わず「はあ」と息を漏らしていた。口にこそ出さなかったものの、帝国ってこんなに弱いのか? という驚きも少なからずはあったからだ。
「雷門に当たってなくても、地区大会決勝まではいけなかったかもね」
「四軍の相手には、もってこいだな……」
ホッとする反面、どこか遣る瀬無さもあって、内心複雑だった。そんな俺の心を知ってか知らでか、さらに追撃をする我が妹。彼女は楽しげに語り出した。
「そういや雷門にはこんな噂が立っててさ。練習試合をかなり多く行うんだけど、いつも一軍は出てこないの。どうしてか分かる?」
「……一軍のデータを取らせない、とか」
「ブッブー。正解はね、対戦校に、一軍以下さえ負ける弱者だって大会前に分からせて、心を折ってるんだって」
「ただの噂だろ」
「まあ確かに、練習試合でも雷門が負けないこと前提だしね……あ、また1点」
それが本当なら耳の痛すぎる話だ。
ゴールキーパーは再びゴールを許してしまう。反応すら出来なかったのか、圧倒的な差を目の前に呆気を取られていたのか。彼はただ立ち尽くしていた。
「でもさ、この地区って雷門以外の中学はパッとしないよね。だって地区大会じゃ絶対に敵わない相手がいるんだもん。それだけでも蓋をしてるって思わない?」
「肯定しにくい立場だな、俺は」
苦い笑みを張り付けて、この話題から逃れるように試合を早送りにする。両手いっぱいになったビードロが溢れるようにポロポロと失点していく様を観るのは心が痛む。後半に入って止めると、ちょうど帝国が選手交代をしていたところだった。どうせ知らない三年生か、もしくは佐久間辺りだろうか。そんな当たりをつけていた。
しかし、予想は見事に裏切られた。
「え」
箸から逃れたブロッコリーが机に転がる。
「知り合い?」
俺の声につられた春奈も、画面に映る少年を認識する。
「ああ、不動明王くん? 今は帝国のキャプテンらしいよ」
そしてとんでもない爆弾を、食卓に落としたのだった。
■
転校先は雷門中だ。
そう言い渡された時、豪炎寺は強く反対した。
父親と会話する機会は少なかった。けれど時折向けられる視線は、サッカーに傾倒している自分をあまり良く思っていないことを雄弁に語っていた。
だからこそ、わざとなんじゃないか、という思いがなかったと言えば嘘になる。仕事の話をされたことはなかったが、転勤先の病院を選べるのなら、父親なら間違いなく雷門の近くを選んでいたことだろう、という確信はあった。
父親の言いなりにはなりたくない。でも、サッカー部に入れない理由がある。豪炎寺は、雷門に転校してきてから、ずっと宙ぶらりんだった。クラブチームなどに軽く参加して、誰の定義かは知らないが健全と思えるような距離の置き方をした。しかし、さっさと落としてくれればいいものを、とさえ願っていた彼を唯一繋ぎ止めていたのは、皮肉にも円堂たちの執拗な勧誘だった。
ーー断ち切りたいのか、そうじゃないのか。
そもそも豪炎寺は、クヨクヨ悩むのが嫌いな性質だった。悩んでいる時間こそもったいない、さっさとケリをつけてしまえばいい。そう豪炎寺は決意した。
「そこに立っていろ。オレはお前に向けてシュートを打つ」
鉄塔を宿り木にしていたカラスたちは、ばさばさと音を立てて、赤みがかった雲の方へと飛び立った。大砲が放たれたような衝撃音が、さっきから鳴り止まない。いつの間にか人は寄り付かなくなり、鉄塔広場はまるでこの世界からまるごと切り取られたみたいに、置き去りにされていた。元凶であるひとりの少年は、顔ひとつ変えず袖で額の汗を拭う。ジャケットはとっくに脱ぎ捨てられていた。
「これで、満足か?」
10個のボールが、バラバラに転がっている。もう何度目か分からない、焦げて黒くなったボールを2人で拾い集めたのは。そして、その全部が円堂の弾いたものではなかった。円堂はただそこにいただけだ。そこにいて、あらぬ方向に飛んでいくボールを眺めていただけ。
10発中10発外すストライカーが、本当に欲しいのか。言葉にはしない。だが、豪炎寺の眼は誠実にそう語っていた。
だから円堂も真摯に受け取める。受け止めながらも、否、受け止めたからこそ、首を横に振る。
「本気でサッカーやりたいんだろ」
円堂はひとつの確信を胸に秘めていた。あの日。ここ鉄塔広場で出会ってから、ずっと。昨日巳漣が言及していた木戸川清修への負い目が、真実かどうかは分からない。けれど魂を揺らし、燻り続けているその熱い意志を、無視しようなどできるはずもなかった。
負い目がある。シュートが入らない。ストライカーとしての責務を果たせない。
しかしそれがなんだと言うのだ。
それらはいったい誰に向けての言い訳なんだ、と。
「こいよ、豪炎寺」
ボロボロに擦り切れたグローブをグッとはめ直して、拳を強く握りしめる。
円堂は知っている。
フットボールフロンティア決勝の、後半ラスト1分で決めた、あの全てを吹き飛ばしたシュートを。出会った日、鉄塔広場で受け止めきれなかった、重く、それでいて弾けるようなボールを。あれを止められるキーパーは、きっと世界中探したってどこにもいない。自分ひとりだけが、止めることができるようになれば良い、と。そう強く願ったことを、円堂は生涯忘れることはないだろうと思っていた。
たとえ、豪炎寺自身が否定しようと、円堂はここにいる。おまえはすげえ奴なんだと伝えるために、ボールを待ち続け、ここに立っている。
豪炎寺はボールを蹴りあげ空に溶かす。
自分は決して宙ぶらりんなどではなかった。ここにいて、ずっと地に足を着けて立っていたのだ。
「後悔するなよ」
二人は多くは語らなかった。語らなくとも、お互い何を思っているのか、どこかで分かっていたからだ。