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静謐な空気が広がる教会の中。夜闇を潜り抜けて月光が差し込む室内で一人の男が椅子に蹲っている。男は30を過ぎた程に見える長身をまるで虫のように丸めて、いや蹲っているのではない。その内に何かを抱えていた。男の神父服に包まれる小さな包み。只の神父にしては筋肉質なその体がそれを覆い、その中身は杳として知れない。
「...神よ。貴方はこのような罪なきものにすら、試練を与えたもうと仰るのか」
男は立ち上がり、顔を凍てつかせて教会の祭壇へ向かう。いっそ不気味と言っていい静寂に硬質な足音と男の呟きが木霊する。そして祭壇に辿り着くと、彼は幾何学的な文様が描かれた床に抱えるそれを下ろした。男の呟きが終わる。片膝をつき、瞑目する彼を輝き始めた文様の淡い赤が照らす。
ふと、男は右手に巻かれた時計に視線を落とす。刻々と時を刻む短針は間もなく一周し、ほどなく針は約束の時を告げるだろう。男はざんばらに切られた髪をヘアゴムで結うと、踵を返して招かれざる”客”への相対を試みる。直後。
「あぁ...やはり、此処にいたのかい」
足音は無く、代わりとでも言うように軋んだを立てて薄暗い空間に新しい影が滑り込む。上品な仕立ての良いコートを纏い、豊かな白髪を垂らす老人は、あくまで穏やかな口調を持って男を見据える。向かい合う彼は緊張を隠さない表情だ。男が言う。
「此度の聖杯戦争。『御三家』は全て参加を辞退し、『魔術協会』も沈黙。全ては貴方の掌の上だ。これ以上を...一体何を望むのです」
厳しい表情の男は続けようとして、止まった。老人がコツ、と杖を鳴らしたからだ。老人はその好々爺とした空気のまま視線を彼の後ろ、文様へと向ける。そして微笑むと、
「人が、心の底からの願いを叶えようとした時、どうすればいいと思う?」
一歩、また一歩と、老人は前に進む。老人の声はゆったりと柔らかく、心地よい響きが男の鼓膜を叩く。
「自身の全てを賭けて、それでも尚届かない高みに人が辿り着くにはどうするのか。答えは実に単純だ。他人を使えばよいのだ」
穏やかな笑みを湛えた老人は、既に男の二メートル先にいる。
「誰かと共に協力し、助け合い、力を合わせる。それこそ最も人間らしい生き方だ......私はね。君に、私の夢を共に叶えて欲しいんだよ」
老人が男の正面に立つ。杖を持たない左手を掲げ、握手するかのように男へ差し出した。
「共に往こう。君は私の部下として、ひいては聖堂教会として。破ってはいけない罪を被った。だが!まだやり直せる!君は一時の過ちを犯しただけだ。私のもとでもう一度修練に励めばいい。───ずっとそうしてきたじゃないか」
幼い子供を宥めるような老人の言葉に、男は静かな笑みを返した。
そして、左手を掲げると、
「───『爆ぜろ』!!」
空気を切り裂く爆音と轟炎。神聖な静寂を保っていた教会が、刹那のうちに野獣の如き暴虐に染まった。そして二度、三度と続けざまに放たれる爆炎。十秒もかからずに男の視界の全てが炎に舐め取られる。
床が、椅子が、男を中心に燃え広がった炎は瞬きの間に礼拝堂を喰らい尽くす。
急激な魔力消費によって息を切らした男が顔を上げた、そして数歩下がる。不自然にも、男の目の前だけがぽっかりと空いている。全てがオレンジに変わった中で、老人とそれは不変を貫いていた。
「ああ。君も、私を裏切るのか」
嘆くように溢れた言葉は、そのまま老人の落胆を表していた。杖が一度鳴らし、それまでと人が変わったように凄然とした眼を男に向ける。その眼は別人のように濁っており、まるで硝子で出来たビー玉だ。老人は杖を投げ出し、代わりにコートの裡から捻じくれた木の棒を抜いた。
男も神父服から長方形の紙───難解な文字や線がびっしりと並ぶそれはどうやら東洋の呪術師の使う符らしきものだ───を掴み出し、それらは男によって火炎に変えられ老人を襲う。しかし老人が大雑把に杖を振るう。それだけのことで炎は全てかき消えた。老人が呆れたように言う。
「君はいつもそうだったね。他人の厄介事を引き受けては不幸になる。そしてそれを繰り返し続ける。君の優しさは美徳だろう。だが...それで何が出来たんだ?君に出来たことなんて所詮その当たりの子供ですらできることだ。磨き上げた魔術もこの体たらく。そうやって学ぼうとしない、諦めの悪さしか取り柄のなかった君は私は酷く...」
不愉快だったよ。その言葉を引き金に、老人の杖が振るわれた。結果は、直ぐに。
「ァ、ゲブッ...」
巻き上がった風は男を強かに打ち付け、その衣服と肌に荒れ狂う。
たったの一撃で、勝敗は決した。
黒い神父服は殆どが破れ、その下の皮膚から止めどなく漏れ出る彼の血が残り僅かな生地を濡らす。口から溢れる血の混じる咳が、傷が内蔵まで至っている事を示していた。
踏鞴を踏んで退いた彼は、それでも歯を食いしばって両の足で立ち上がった。床に散った符を掻き集め両手に構えて老人を睨みつける。果たして、その行為に意味があるのかは分からないが。
燃える教会の中、二人の間に奇妙な沈黙が降りた。
「先生。人は...協力する存在だと、助け合って生きていくものなのだと、人生に絶望した私に教えてくれたのは先生でしょう。何故。何故その貴方が!このような血に濡れた道を歩んでいるんですか!?」
沈黙を破る男の叫びを、老人は嘲弄も持って返す。まるで滑稽な見世物でも見たかのように目尻を細める。
「ああ。まだ理解できないのか...それとも理解しようとしないのか。いいかい?私はいつだって他人を愛しているとも。勿論さ。君は愚かであったが決して馬鹿ではなかったはずだが?私の思い違いだったかな」
肩をすくめる老人に、男は歯噛みする。
「貴方は!他人を駒としか思っていない!本当に愛しているのなら!愛そうという心があるのなら!!多くの屍を積んでまで此処に来ないはずでしょう!!」
「中々、言ってくれるじゃないか。いいか?たとえ私の友が亡くなっても、私がその意志を継いでいくのだよ。そう、彼らは私の中で生き続けているんだ」
それだけを言って、老人は杖を仕舞った。コートのボタンを留め、冷淡な言葉を続ける。
「そろそろ、愛しい弟子との会話にも飽きた。『ランサー』、殺せ」
ランサー、と呼ばれた人物が動く。片手に持つ長槍を手首の返しで構え、
男は貫かれた。
一秒にも満たない攻撃。驚く暇も無く引き抜かれた槍が次に男の肺を穿つ。ボチャボチャと、ありえない程の出血によって焼けた床に赤色が広がる。
ダメ押しとばかりに胴を袈裟斬りにされ、男は遂に崩れ落ちた。音を立てて沈んむ愛弟子を一瞥もせず、老人は奥の文様へと意識を向ける。ランサーを前に出し、ゆっくりと歩を進める老人を阻む者は───。
「...ぁあ、び、がぜ、ばい!」
...男は最早死に体だった。僅かな命を絞り出し老人の足を抑えようとしても、彼は血を失いすぎていた。老人の足を掴む力は赤子程しか生まれない。決死の思いで命を掻き集めて掻き集めて、限界が来る。血塊を吐き出し、やがて赤子ほどの力すら失った。男は死ぬ。老人が何もしなくとも後数秒で死に絶え、どの様な処置を施そうと手遅れなのは素人目にも明白だった。
だから、老人は男を無視した。
だから、老人は間に合わなかった。
「は?」
「ちぃっ!」
老人が緩慢な動きで視線を下げる。見覚えのない物が。いや、
「死ねぇ!!」
己がマスターを狙う敵対者を、ランサーの槍が串刺しにせんと大気を裂く。横から迫る脅威に対し、彼女は胸から抜き打ちしたその何かでいなす。抜かれた反動で鮮血が噴水のように吹き出る。体勢を崩し、男の横に倒れるマスターを見ながら、ランサーは再度舌打ちをした。
刹那の交差。人外の身体能力を持つサーヴァントだからこそ、火炎から飛び出した人影を捉えていた。
金。太陽の如く煌めく
焼け落ちる聖堂の中で、少女は恐ろしくも美しかった。鮮烈に輝く黄金の髪。玉の如き翡翠の眼。纏う鎧は彼女の美貌を損なうこと無く更に凛々しく押し上げる。太陽の如く煌めく少女は怜悧な視線で地に伏せる男を一瞥した。
呼吸と共に少女は透明な何かを構える。槍の間合いとしては近すぎる、剣の間合い。ランサーは咄嗟に後ろに跳ぼうとするも、火事によって崩落した天井がそれを阻んだ。
三度目は、終わりと同時だった。
「はぁっ!!」
裂帛とともに斬り上げた少女の一閃。人外の膂力によって振り抜かれた得物は敵の胴と足を断ち、それでも止まらずに大気と教会を引き千切った。金属質な音が壁に反響し...程なくしてランサーは光の塵へ還り、老人も事切れる。
敵対者の消失を見届けると、少女は手品のように自身の得物を消した。特徴的な癖毛を揺らして側に崩れている息絶えた男を見る。その顔は満足げで、顔から下を除けば微睡んでいるようにしか見えない。無言の少女はゆっくりと片膝をつき、男の顔についた血を拭った。
びきり、と燃える教会が揺れた。立て続けに衝撃を加えられ、少女の斬撃が決め手となったようだ。少女は立ち上がり、立ち去ろうとした時。
「...まさか」
急に反転して男の死体を見つめる。先程の慈愛に満ちた表情ではなく、険しい目つきで男を見る。ミシミシと柱が唸りを上げる。建物は既に限界だ。燃え盛る炎の中、耳を澄ませる少女は
その美貌を一瞬歪めると、再び踵を返して死体から去る。
そしてその数十秒後。教会は跡形も無く崩れ落ち、二人の魔術師は永遠に失われた。
==Tips==
登場人物:謎のサーヴァント
聖堂教会の神父に呼び出された金髪翠眼の少女騎士。不可視の武器を操り、ランサーを瞬殺したことから、かなり強力なサーヴァントだと伺える。
頭の癖毛がチャームポイントな彼女は、一体何トリア何ドラゴンなんだ。