<<<八ヶ山市・堀越公園<<<
「天井が...無い」
目を覚ます。視界の端に浮かぶ丸っこい雲を眺めて、暫くして天国じゃないらしいと気づく。野太い男の声が木霊する天国なんて御免だね。
真上に流れていく空を視線が過ぎて、未だ霞む両目が周囲を見る。砂利で舗装された道を俺の足すれすれで野球部と思わしき坊主の集団が通り過ぎた。少し離れたところで幼稚園生位の男の子と母親がブランコを押している。そこまで考えて、ああ、公園だ。と呟いた。
「痛、くない。寧ろ体が軽い」
立ち上がって肩をぐるりと回す。重さが消し飛んだのだろうか、と勘繰ってしまう程に体は絶好調だった。両手で全身を隈なく触ってみる。傷一つ無い健康体。青痣だらけの腹は元の色艶を取り戻し右腿も抉り痕どころか傷一つ無い。
何一つ残っていない。あの夜を思い出すその全てが。
夢、だったのだろうか。あの痛みは、あの後悔は、俺のやり遂げた事すらも。
「何だよ、それ」
腰に力が入らなかった。芝生を押し潰して仰向けになる。何だそれは。けれどそれを否定する材料は無いのだから、諦めてそれを認めるべきだ。認めてどうなる?ああ巫山戯るなと。
やっていい事と悪い事があるだろう。
顔を手で覆う。悲しみも怒りも無い。ただ空虚だった。照りつける太陽が眼を焼いた。そのまま目玉が潰れればいいのに。
「あーあ。クソゲー...」
思い出すのは、忌々しき白髏のアサシン、そして出会った捻くれたあの英霊。悪役のような格好をしたあの男。もう会えないのだろうか。助けてくれた礼くらいはしたかったんだ。どうすりゃいいんだ。どうもできない。
「馬鹿みてぇだな、俺」
乾いた笑い声が肺を震わせる。ごろんと半回転して、ほんのりと青臭い土と芝に顔の半分を
何も感じず、無意識のうちに家に帰ろうと呆けた顔のまま上半身を起こす。そのためには胴を捻って、片手(今回は右)を芝生につかなくてはならないから、自然とそれも目に入った。
──────傷跡が一つ消えた、右手の令呪。
理解するのに少し、時間を掛けてから撥条のように飛び上がる。確かに三本、くっきりと刻まれていた赤痣が欠けている。冷めきった心に再び激しい炎が燃える。指先の血管まで熱い血が流れていく。ああ、あった。あの日の証明!
「なら...お前がいるはずだ!」
念じる、願う、その姿を。サーヴァントとの契約が繋がっているなら届くはずだ。シールダー、俺のサーヴァント。シールダー、シールダーシールダーシールダーシールダーシールダーシールダーシールダーシールダーシールダーシールダーシールダーシールダーシールダーシールダーシールダーシールdsssssss
(喧しい!!!)
(情緒不安定かお前...呼ぶのは一度だけでいい)
わ...悪い。つい興奮しちまった。次からは気をつける。溜息混じり(念話なのに)にそう返すシールダーに謝ってから、俺は周囲の人影を見てからそそくさと背後に広がる林の木々の後ろに隠れた。で、肝心のお前は何処にいるんだよ。霊体化してるなら場所だけでも教えてくれ。
(此処だ)
いや何処だよ。何度聞き返しても此処だとしか言わない。壊れたカーナビか?目的地に到着しましたと言って崖に出たせいでキャンプの予定が潰れた恨みがある。はー、やっぱ時代は陰陽術よ。機械だろうとAIだろうと敵わないですね。ハイ。
勝手に納得して目を動かして周りを見ていると、不意打ちに左腕が軋んだ。筋肉を内側から殴りつけたような激痛に一瞬意識がとんだ。い、いや。俺はあのアサシンの猛攻を凌いだ男だ。これくらいは...。
くらくらする頭を抑えて左腕を見る。黒い。
「え?」
声が漏れる。シャツの半袖から伸びる腕は、黒かった。日焼けの焦げ茶色じゃない、黒曜石に似た平たい石?鱗?が貼り付いている。それは、蜥蜴の腕をすり替えたかのようだ。右手で恐る恐る触れる。この鱗、神経が繋がってる。表面はざらざらしていて鑢みたいだ。魔術、いや呪いか!?
(すしししし、シールダー!?)
(おい。落ち着け)
(アホかお前ぇ!人の腕は鱗が生えたりしないんだよ何なんだこれっ)
落ち着け。覇気の籠もった声で言われてしまえば、念話とはいえ黙るしか無い。
俺を黙らせたシールダーはまず、静かに謝罪した。
ただ一言、申し訳無かったと。悔しさと、罪悪感と、俺への後ろめたさを孕んだ。念話のせいかもしれないが、短い言葉に、山のような感情が込められていたのを感じた。冷水を被って冷えた頭が、どもりながら彼にかける言葉を選んでいく。
(その...謝罪は受け取る。だから、説明しろよ)
空白を置いて、小さく感謝すると告げたシールダーはゆっくりと語った。あの日の出来事を、全て残さず。
昨日アサシンの襲撃を受けた俺はシールダーの召喚に成功。半狂乱の上傷だらけな俺と出会い、最初は困惑していたようだ。それは悪かったよ...。そうして、俺を追って現れたアサシンをシールダーは撃退した。片手片足を破壊し、アサシンは逃走。そして、殺さる直前。
「宝具を使った?」
シールダーは肯定した。そして続ける。
(宝具とは、サーヴァントがサーヴァント足る所以。その者の功績や武器が昇華されたサーヴァントの切り札だ。俺も持っている。アサシンの場合、それは腕だった。奴の宝具は恐らく遠隔呪術の類だ。条件が発動すれば相手に触れず、守りを無視して何処からでも標的の心臓を握り潰す)
え。チートじゃん。言われて気づくアサシンの強さ。ヒョロヒョロとした案山子みたいな体してそんなキモい技持ってんのかよ。うそん?
(嘘じゃない...実際お前は血を吐いて倒れたんだぞ。だが、あれは俺の責任だ。敵が手負いだからと気を抜いていた。マスターを殺しかけたのは、俺だ。処罰は好きなようにしてくれ)
けど俺の心臓は今も健康的に脈を打っているんだが。胸に手を当てればドクドクという鼓動が伝わってくる。その疑問を打ち消すために、シールダーは続ける。
(そこでだ、死の淵を歩いていたマスターは無意識に令呪を切った。そして俺はマスターの心臓となった)
は?
(何を言っているか分からないのはよく分かる。だが事実だ。令呪の魔力を受けた途端、体が溶けた。泥のようになった体はマスターの体に流れ込み...体を補填した。マスターの心臓は自身の心臓ではない。マスターに取り込まれた、俺の心臓だ。そして俺の意識は今マスターの左腕にある)
言ってる意味が分からない。いや、全く分からない。分からないが、分からないということが分かったという事だ。
左腕を目の前に持って来る。鱗に覆われた刺々しい左腕は、よく見ればシールダーの鎧に似ていないこともない。俺は服に砂がつくのも無視して地面に寝転がった。瑞々しく広がる木々の合間から太陽が眩しく輝き、漢たちの野太い声と鳥の飛び立つ音の合唱が聞こえてくる。
ゆっくりと、大きく空気を吸い込んでカッと眼を見開く。
「マジでぇっ!!!」
遠くで鳥が大勢飛び立つ音と、木々が擦れる音が流れてくる。絶叫を聞いたシールダーはか細く、マジだ。と返した。そっかーマジかー!
(どどどどdddどうすればいいんだ...!?)
(ああ、すまない...やはり殺してくれ...)
唐突にくっ殺?しかも男。左手を握ったり開いたりするが、痛みや不快感は無い。やはり軽い。嘘じゃないなら、この体はサーヴァントの血肉が混ざっているのだから納得できるけれど
。
しかしサーヴァントの肉体を只の人間が取り込めるのだろうか?そう、疑問はそこだ。サーヴァントの強さ、恐ろしさは身を以て知っている。俺には無理だ。そもそもサーヴァントの体は魔力で出来ている。人間とは成分が違う、魔力を術式にして扱うならまだしも只の魔力(エネルギーの塊で傷を防げるのか?
「分からん...が夢じゃないよなぁ」
(あ、ああ。夢じゃない、と思う)
いや、夢じゃない。頬を抓れば痛いから。
いや兎に角!アサシンは死んで!俺は令呪を使って生き返った!そういうことだな!そう言うとシールダーは肯定した。そうか、ああどうしよっかなぁ...。俺はどうすれば良いのだろう。このまま聖杯戦争出るべきか。一度死にかけている。その事実が俺を引き止める。このまま終わるまで何処かに隠れているべきだと、理性が強く訴えている。
(ああ、聖杯戦争が終われば俺は退去してしまうから、それまでに心臓を戻さなければマスターは死ぬぞ)
殺すぞ先に言えや。すまないじゃねーよ!クッソ、実質戦わないと俺死ぬじゃん!?じゃあもういいわ戦いますよ戦えって言ってんでしょ神様がさぁ!
がばっと立ち上がって俺は大股で歩き出す。おいシールダー!
(何だ)
宜しく!一度しくってるかんな!次は無ぇかんな!いいな!?
(...ああ。破れた誓いだが、これ以上恥を上塗りする気もない。これから先、死んでも貴方を守り通します)
いやお前が死んだら俺も死ぬー。乱暴に髪を掻いて、抜けた白い髪に髪色すら変わっている事を知り空を仰ぐ。
歩く上には満天の青空。陽光の祝福が俺の背中を押す。憂鬱な気分がそうさせたのか、憂鬱な男の顔が浮かんだ。蝋燭が灯った夕焼けの窓際で神父は俺に向かって言う。
晴れは転じて、いずれ曇る未来を暗示すると。
嫌な記憶を空気と一緒に吐き出して、頬を両手で叩く。兎にも角にも前進あるのみ。まずは朝飯にでもしよう。大きな不安と一人の
<<<八ヶ山市・新町通り横<<<
公園を抜けて拠点に向けてのんびりと歩く。昼だからサーヴァントに襲われることは無いとしても、問題は笑えるくらい山積みだった。まずは髪の色だ。アルビノですか?いやまぁまだいいよ、まだ。でもさぁ、これは明らかに問題あるじゃン?そう、左腕だよ。
さっきから横を通った人から明らかに見られていた。最初に住宅街であった主婦なんてツチノコ見たようなリアクションされた。悪くないのに悪い事してるみたいだったんで睨んでやったらさっきの運動部より早く逃げてった。解せん。
これ以上目立つと他の参加者にも情報が届くだろうし、急造の幻覚術式組んで一般人ならごまかせてるけど、帰るまでずっとこれはなぁ。装備も脱走した囚人みたいだし...。
道路脇に立つカーブミラーに映るのは、泥だらけのジャージを穿いて、ボロボロに擦り切れた灰色のTシャツの男。しかも白髪だ。幻術は自分には効かないという大問題が発生している。
あっ、やっべ警察来た。僅かに緊張に身を固くして見慣れた青い制服の横を通り過ぎる。おお良かった。
(今のがこの国の騎士か)
騎士...間違っちゃあいないんだろうけどなぁ。なんかイメージ違うわ。
違うのか。とシールダーが若干落ち込んだような声色になる(念話なのに)。こいつ性格変わったな?知り合いの坊主見習いがヨーロッパかぶれになった時でもまだ面影あったぞ...。困惑と無関心のブレンドで腹を満たしていると、目の前に三人の男が立っている事に気づいた。
道の横に動くと、真ん中の見るからに柄の悪い赤髪が肩をぶつけてきた。そして大袈裟によろける。蹈鞴を踏んで腰の鎖が金属質に鳴った。見れば後ろにも三人。目の前にいるGジャンの二人は隠そうともしないで俺を笑い、赤頭が巫山戯た口調で痛いだの骨折れただの嘯いている。
「おーいおーいおい。ヒデェじゃねぇかよぉーー??イキナリぶつかるとかさ?」
「何なんこいつ?外人?」
「観光か〜お兄ちゃん、浮かれてんじゃねぇよぉ〜」
そのまま目の前で喋られているうちに道の脇の裏路地に連れ込まれてしまった。まじか。まじですか。人生初カツアゲだよ、やっちまったよーシールダー。いきなりのトラブルに頭がついていけてない。昼間だというのに薄暗い路地は排気ガスの匂いが漂い地面には灰殻とビール缶が転がっている。
気がつけば壁に背中をつけて赤髪に肩を組まれているよ。恐怖で心臓が高鳴る。喧嘩なんかしたことないんだけど、こいつらは違うんだろうなぁ。明らかに手慣れてるもんなぁ。
ヤバイ...死ぬかも...。
にやけつらを隠そうともせずに赤髪が言う。
「おまえあれか?そんな泥まみれでも自分イケてますよってカンジ?いいじゃ~ん、ついでにさ?ちょっとお金貸してくんなーい?」
ですよねー。でも俺持ってるの壊れた首輪と木片だけなんすよぐぇっ!
へらへらと笑っていたら赤髪に胸ぐらを掴まれた。その口を嗜虐的に歪めながらゆらゆらと握りしめた右手を揺らす。
「ふーん?そりゃあ大変だねー?でもさぁーその割にはお財布いっぱいじゃーん?」
「おいおい嘘ついちゃったちゃんかよ!」
「大人しく貸してくれればぁ?別に痛いことしなかったんでちゅよぉ〜」
ぐおっ、昨日尻ポケットから抜き忘れたのが仇に!赤髪の横の黒マスクをつけた男が慣れた手付きで抜き取って中身を物色している。うん...そろそろ諦めよう。
真打のお出ましだぜ、やっっちゃってくだせぇシールダーせいせぇい!!
(分かった。怪我はさせない)
冷えた返事が終わるか、同時と同じのタイミングで視界が暗転した。すぐに戻ったが、どうにも感じが可怪しい。自分の視界でないように見える。動かしてもないのに右手が赤髪の手に伸びたし口が勝手に動く。おっ、予想は当たったっぽい。シールダーが自分の体が俺の体を補填したって言ってたから、シールダーでも動かせんじゃないかなって思ったんだけど良かったわ。
でも君、ちょっとやりすぎじゃないの?
「付き合いきれん。金は返してもらう」
そう言うやいなや赤髪が倒れ伏す。強烈な一発を鳩尾にもらい瞬殺だ。土下座するように赤髪が倒れ、一番反応が早かった金髪が俺に殴りかかる。体を屈めてそれを避け、未だに放心している黒マスクの横っ腹に一撃。財布を剥ぎ取って金髪にも一撃。今度は脛だった。それは痛いよ。
その時、後ろから来ていた三人の一人、ハゲが俺に組み付いた。動きを止めて残りに攻撃させるのか。だがこっちはサーヴァントだぞう?
強引に引き剥がし、肘で鼻を殴り前から殴りかかる二人の拳を弾いて足を引っ掛けて、纏めて豪快に横転っ!
いやぁ痛快っ!チンピラが瞬殺されていく様は正しく不良漫画。いいもの見せてもらいましたよ。
よし、帰るぞシールダー。
(ああ、だがマスター。これからはこういう荒事に巻き込まれないようにしてくれないか。襲われては仕方が無いが、弱き者を一方的に...というのは気が引ける)
ふーん、騎士っぽいしな。まぁいいや、お前がしたいってんならいいぜ。それでいこう。俺もこういうのはもういいや。平和が一番だしな。
(感謝する。マスター)
今度はやけに機嫌がいいな。マジであん時のウザ野郎は何処に...。うん、気にしない方向で行こう。
そうして路地を逃げ出し、追いつかれないようにシールダーに走ってもらう。念の為見られても大丈夫な速度で。法定速度は守ろう!入り組んだ住宅地を越えて、中央のビル街と街を囲む八つの山々に見られながらしののめ荘へ飛ぶように走った。そうして見覚えのある道に来て、やっとシールダーから体を返してもらった。
「ぁ...あーあー、こんな感じなのね。おっけー把握」
再びの暗転とともに五感がクリアになる。両手を開いたり握ったりして体を慣らしていく。納得するまでそうして、しののめ荘まで歩き始める。
角を曲がる時に、またカーブミラーを見つけた。二度目に見えた白髪。右手に触れる艷やかな髪はよく見れば白、というよりも銀色っぽい色だ。すげぇなサーヴァント。
...そう。サーヴァントだ、シールダーは。過去の英雄だ。俺は最初に聞くべき質問を忘れていたらしい。改まってシールダーに声を掛ける。
(そういえばさ、あの、聞いてなかったんだけど。お前の真名ってなんなの?)
対するシールダーは無言。こういうのって聞いちゃ駄目だったか?急に罪悪感が胸を締め付けて、どうにも出来ずにその場に立ち尽くしてしまう。心地の悪い沈黙が流れて、そしてやや間を置いてシールダーは答えた。それは苦い感情を押しつぶすような、悪事を白状するような、俺の思う自己紹介からは遠く離れたものだったが。
(我が名はギャラハッド。湖の騎士、ランスロットの子)
(...円卓に選ばれなかった、不名誉の騎士だ)
<<<Tips<<<
登場人物:チンピラ
・愁利に絡んだチンピラ六人衆。この先の登場予定は恐らく無い。