<<<ホテル本能寺・808号室<<<
ひでぇ夢を見た。ベットから飛び起き、洗面で顔を洗ってからそう言った。
喉を震わせて背筋を伸ばすと背骨が心地良い音を立てる。関節を隈なく曲げてから、やはり酷い夢だったと顔を覆う。ほんの少しして、指の隙間から両目が正面を捉えた。鏡の中の白い前髪は薄っすらと濡れているが、水を弾いているようにも見えた。どういう原理だこれ。加えて、左の黒目が琥珀色と化している事に気付く。サーヴァントと混ざるとこうなるのか...。
なんか俺の遺伝子負けてない?残っているのが左目だけて。
シャツを捲くった体も見慣れたベージュではなく外人らしく色素が欠けている。それと筋肉が増えたな、これは。
(マスター、早い目覚めだな。疲れは取れたか?)
ようシールダー、まぁまぁな朝だな。備え付けのタオルで顔を拭き、水道水で喉を潤す。おお生き返るぅ。まずは食事か、でもなぁ、パン置いてあったかな。一階行くか?
...いや落ち着け落ち着け。深呼吸だ。............よーし、シールダー。
意識がはっきりした後、シールダーに夢に出てきた男?について話した。新手のサーヴァントだと思ったからだ。燃える建物、人影、本能寺。事情を聞き届けたシールダーは、何とも難しそうな口調でこう告げた。
(まぁ、害はないのだろうな。融合した俺に気付かれず夢に現れてマスターを狙い撃ちできるとは驚いたが、態々姿を晒した以上こちらも無視で良いと思われる)
(分かった)
多分真名分かるから対処も出来ると思うし、いっか。若干の安堵を感じながらリビングルームへ向かう。
部屋に入った途端、頭上にぶら下がる馬鹿に大きなシャンデリアがぎらぎらととても眩しい。この時点で庶民派な俺は圧倒されたね。それに部屋広っ。俺の部屋が幾つも入るぞ。視線の先、窓から見て右に俺が寝ていたソファー、反対側にでかいテレビとレコーダーが置いてある。
テレビの横にはテラスに繋がる扉があり、テレビを挟んで扉が2つ。1つ目は衣沙が寝ていたのでそっと閉じて、2つ目は空の寝室。3つ目はさっきまで居た洗面とバスルーム。そこを過ぎれば短い廊下がトイレとキッチンに続いている。
いやーここまで凄かったら嫉妬も湧かないなー。しののめの六畳一間と比べちゃ駄目なやつじゃん。
(俺は壁と屋根さえあれば寝れるぞ)
バッカ、衣食住の大切さは失ってから分かるってもんだよ。偉そうにぼやいてから、刺繍の施された一人用のソファーに沈み込む。まるで底なし沼…!冷蔵庫から戴いた茶請けの羊羹を頬張る。ババアと同格くらい美味い。高級ホテルパねぇ。
その後も空のベットに飛び込んだり、風呂に入ったり、バスローブを着てみたり、シールダー初めてのテレビを使わせてみたりした。ぱらぱらとホテルのパンフレットを読みレポーターの平坦な声に耳を澄ませる。左横の壁に壺や金庫と並んだCDレコーダーは20年も前のジャズを掻き鳴らして、シールダーがそれを聞き入っている。ニュース番組の端でひっそりと浮かぶ数字は7時32分。一時間が経つには早いと感じた。
パンフレットの表紙を飾る名はホテル本能寺。夢で見た男?の発言と一致する。創業は1933年。初代社長が信長の大ファンで、建てられたホテルには悉ことごとく信長関連の名前が付けられている。ホテル安土、ホテル勝幡しょばた、ホテル比叡山…最後のは違うだろ。信長が焼いた場所じゃん。結構家近いし。
時価と書かれた恐ろしいフルコースを過ぎると、驚くべき事に次頁から十頁に渡って耐火設備の説明がされている。よっぽど苦情が多かったんだろうな。俺もするだろうけど。
『...る奉納祭に向け、半月山の観狐杜神社一帯は多くの人と資材が行き来し、都度142回を迎える今回への意気込みが伝わって...』
最後に載っていた街の地図を開いたまま、ローカルニュースが流れるテレビを切る。席を立ってCDレコーダーの電源を落とすと、喧騒に溢れた部屋が水を打った様にしんとした。ソファーに戻りリモコンをサイドテーブルの上に置いて、シールダーに念話を送る。改まって声を掛けたのは言うまでもなく。
(率直な意見を聞かせてくれ。俺たちはどうしたら良い?)
(マスター。どうしたら、とは曖昧な表現だな)
はいはい。分かったから早く続けろ。
(...やはり優先すべきは妹君の安全だ。マスター、増援の当ては有るのだろうか)
どうしようか。と考えて、まず浮かんだのは兄だ。いちいち隠し事をするのもなんだから、有るには有るとだけ呟く。しかしシールダーの返事は余り喜色に富んではいなかった。まぁ自信なさげだしな。
家庭状況を掻い摘んで話したその後、シールダーに幾つか案を出したが…戦力的。或いは経済的に現実味のある物が無くやはり兄かババアを呼ぶ事が一番と、始まってから全く状況が変わらなかった。
踊らない会議に嫌気が差してソファーの上を滑り落ちていると、何時もと変わらない偏屈な声で、シールダーが意外な事を言った。
(マスター。俺も兄君や御母堂を呼ぶのは最後の手段にすべきだと思う)
目を丸くした。同時に、何となくシールダーの言いたい事が分かった。体が混ざっているからとかそう言う理由じゃなくて、もっと根本的な。境遇の部分が似ているからだろう。
(親父さん。ランスロットが嫌いなのか)
いや、尊敬しているよ。
その言葉に偽りは無い。どこか誇らしげなその一言は、そう思わせるに十分な重みを持った一言だ。悪い事を聞いた、人の内心に勝手に入るもんじゃないな。俺も、お前も。
(…すまない。気を使わせてしまっただろうか)
(いや、こっちこそ悪かった。兎に角、これで話は終わり!本題を話すぞ。それで、兄貴たちの協力は借りない。だが衣沙は街から逃す。そんなことできるのか?)
案はある。ただ、確実さに欠ける手だとシールダーは言う。
(別に良いよ、言ってみろ)
けどなんか意外だな。あの大盾も大剣も、一朝一夕に身につく物じゃ無いだろう。純戦士だと思っていたが、円卓の騎士には軍略も要るのか…待てよ、よく考えたら公務員か。当然出来が悪くちゃ入れない。
つらつらと物思いが弾んでいる中、話し出したシールダーに思考が打ち切られる。
(先ずはこのホテルに潜伏する。極力外には出歩かず、使い魔を飛ばして他の戦力を探る。妹君は我々の数少ない協力者であり、同時に弱点だ。彼女も出来れば此処に待機。三日もすれば戦闘が始まるだろう。アサシンは倒した故、残り五騎。その中で群を抜いて高いサーヴァントが居るはずだ。そいつを使う)
使う?どういうことだ?
(同盟を結ぶ。と言ってもそいつ以外とだ。数はなるべく多くがいい。少し借りるぞ)
言うや否や幽体離脱が起きる。勝手に動く体がキッチンから硝子のコップを大小幾つか持ってきた。
ソファー前に机を動かしたシールダーは一際大きなコップを一つ、テーブルの上に置く。その後三つのコップをその前に、一つだけ上下逆向きに置いた。一際大きなコップを指差す。
(これが仮定する優勝候補。そして周りの三つが俺たちの想定する同盟だ。当然サーヴァントの強さが同程度の場合もあるだろう。そのケースは一先ず考えないとして話を進める。この作戦の根本は大駒を倒す事ではなく、敵を作らない事だ。多数対一の場面で後ろから刺されない為に同盟を作る必要がある。安全を確保できたなら、結界の調査も、その後の妹君の脱出も我々だけで可能だろう)
如何だろうか、って何だよ。正直軍略なんて分からないし…ああでも三段打ちとかは知ってるけど。まー悪い作戦じゃあなさそうだけどなぁ。うまく運べば上々。そしてそう行かないのが現実というもので。
「つーか今の話って仮定だろ?都合良くクソ強い奴がいるかも、同盟が結べるかも分からないだろ」
「分からない。それを知るには情報が足りない。さっきも告げたと思うが、先ずは潜伏と情報収集しかない。同盟作戦が上手く行くかは、後々自ずと分かるだろう」
シールダーはそう言い切った。そして一言付け加える。
「もし彼我の差が大きく無いならば、勝てずとも俺は負けない」
言い切ったな凡骨サーヴァントの癖して。アサシン戦は惨敗だったじゃねーか。いや違う、そこじゃない。一番に考えるべきは衣沙の安全だ。
生温い初夏の空気が肺を揺るがす。屈んだ背中に掛かるのははっきりとした自分以外の命の重みだった。
耐え難い重しを僅かでも軽くするために肺の空気を吐き出して、また吸う。そして吐き捨てる。
「mqず3日。お前の案でやってみる」
(ああ。了解した。マスター)
妹を、頼む。
心に零れ落ちた一言が受け取られたかどうかを知ることはできなかった。
短い了承の言の葉を以て、それ以上黒騎士は口を開かなかった。
>>>八ヶ山市・聖堂教会八ヶ山教会>>>
『四日前、教会近辺でサーヴァント同士の戦闘が発生。人的被害は0。周辺道路や建築物の被害が著しく、外壁と舗装の半分、結界用の樹木の何割かが破損。現在は修復済みであるため、聖杯戦争の続行には問題無し。また、本日未明。最後のサーヴァント、『アサシン』の登録が完了した。これより、第七次聖杯戦争を開始する。
聖堂教会監督役、サガラ』
名を書き終えた黒塗りの万年筆が動きを止める。ドイツ語の書かれた時代錯誤な羊皮紙を拾い上げた神父は奇っ怪な絡繰でそれを挟み込む。金細工の成された板を上から押し付けてレバーを引く。それが、絡繰の使い方だ。地平線の向こうにある本部へと報を届けた神父は、執務机の側でコーヒーに口をつけた。日中カーテンを閉めても溢れ出す日差しは鳴りを潜めてたが、今晩は酷く蒸し暑い。氷と入れた珈琲もすっかり微温湯ゆるまゆと変わってしまっている。
疲れの滲む顔を右手で撫で擦り、くぐもった声を上げて背筋を伸ばすと、一日中休む間も無かった背骨が悲鳴を上げていく。隈なく曲げてから、神父は倒れ込むように座った。眼前には幾つもの封筒や、既に開けられた書類が山積みされている。その量は巨大と言っていい机の大部分が紙の白に侵食されていることから察せられる。
ぶつぶつと記憶を引き出すように言葉を反芻させる声が部屋に流れる。
「遠坂の親書は...いい。誰かに唆されでもしなければ恙無く終わるだろう。はぁ...サリバンの親書はさっき出したからいい。...時計塔も無視。バーサーカーのマスターめ。とんでもない尻拭いだ」
そうして時計の針が一周するほどには、山の標高も殆ど下がっていた。そして最後の手紙を取る。
それは、ある魔術師一族からの手紙だった。手早く書類の処分を済ませていた手が止まる。封を破ると、中に入っていたのは一枚の紙と写真。失踪した息子の捜索願だった。
態々写真までつけてくれたのは有り難いが、そもそもの自分が共犯なのだから神父は何とも言えない苦笑を零した。紙と写真を封筒に戻し、これまでとは違い丁寧に引き出しに入れると
、一枚の別の写真を取り出した。そこに映る人物は同じ。だが、前者は学生服の平凡な少年なのに対し、後者は血塗れの浮浪者の如き格好という差異があった。そして、血塗れの彼の横に立つ、黒鎧の騎士。
「...止められなかった」
神父の言葉を聞き取るものはいない。夜の闇に溶けて消えたその懺悔の真意を知る者も、神父を除いていない。ただ時間は過ぎていく。少年の後悔も、神父の懺悔も、すぐに記憶の彼方へ消えるだろう。これから起こる戦争は、生温いその想像を超えていく。
今。第七次聖杯戦争は始まった。
===Tips ===
・ホテルの亡霊
勿論ノッブだ。厳密には、ホテルに保管された織田信長の聖遺物に残った残留思念がホテルの中に現出したもの。人らしい意思を持たず、姿が見える客の夢に入って悪戯する程度。