どーぞ。
<<<大埼高校・教室<<<
朝が過ぎ直射日光の途切れた教室をシャーペンの走る小気味良い音と教師の低い声が支配する。四限という空腹と疲労に苛まれる時間帯に、古典という眠くなる教科というこの二重苦は生徒の忍耐力が大いに試される。
一学期の期末を一週間後に控えているため寝ている生徒は見た感じ見られないが、どうやら博也は脱落したようだ。一方真司の忍耐力は凄まじいの一言。坊主頭と相まって経典を書いてるようにしか見えないが。視線を下げて笑いを堪えて、黙々とノートを書き取っていく。
「衣沙の符を並列して操作する術式...多分両端の符に魔力を貯めて必要な時にそこから供給する、みたいなことをやってる。そうすると常時流すより魔力は軽減できる。けど別々の符を使うんだからイメージを切り替えるのは難しくないか...?」
頭に流れる思考の断片をすらすらとノートの右のページに書き留めていく。黒板の板書は左のページに書いているのでちゃんと授業は受けている。全く問題はないのだ。うん。
ノートに均等に敷かれた線を上書きしながら符に書き込む術式用の文字や円が踊る。このような地道な努力がいつか大成を結ぶんだ、と思うな。
いや、不真面目過ぎるわ!脳内セルフコントを済ませながら捻じくれた文字を書き終えて授業に頭を切り替える。
無心でノートに書き入れていけば時間はあっという間に過ぎ去った。授業がもう数分で終わるという時、宿題提出だと教師が生徒達から集めさせる。一番後ろの席に座っている人が集めてください、の一言を聞いて立ち上がり自分の前に座る生徒たちから事務的に受け取ってそれを先生に渡す。
「ありがと、えっ!」
積み重なった山を受け取った先生がぎょっとする。
焦ったように教卓に山を移すと俺の右手の甲を指して言う。
「秋近君、大丈夫なのかい?」
「あーはい。昨日の掃除ん時に...なんかの破片で切っちまっただけなんで。そう深くないですしほっとけば治りますよ」
左手で右手の甲...そこに斜めに一直線で刻まれた切り傷を擦りながら俺は振り返って自席に戻った。
昨日の放課後。一人で教室で掃除をしている時を思い出す。箒で教室を適当に掃いて教室の前に塵やごみを集める。そしてロッカーからちりとりを持って来て、ゴミ箱に捨てようとした時だった。
ちりとりがぶつかってバランスを崩した鞄が机から落ち、開けっ放しの口から教科書や予備の符が吐き出される。咄嗟に受け止めようとして、反射で魔力を体に巡らせたのがいけなかったのだと今更思う。偶然近くに飛んで来た『刃』の符が魔力を受けて...この惨事だ。
(ガッコにまで符を持ち運ぶのは辞めよっかなぁ...)
魔術の秘匿という重要な規則を守るために、符を隠しながら生きるスリルも慣れれば億劫なだけ。欠伸をしながら席についた時、丁度授業を終える鐘が鳴る。全て集め終わったらしい先生が号令をかけて授業が終わる。さて、今日は何を食べよ、
「あ、そうだ秋近くん。今日は美化委員会の活動があるから昼食は後にしてね」
「ハァ?、い。先生、わかりました」
それだけ言って先公は教室を去った。うむ、危なかった。セーフセーフ。息を吐き出すと、後ろから誰かに肩を叩かれた。当然のように野郎の顔が視界に入り込む。
不幸しか呼ばない笑顔は今日も絶好調だな。周りではそれを察した馬鹿共が期待の眼差しを向けてこちらを見てくる。うざい。
「やぁ。頑張ってね美化委員!ところで今日は購買で抹茶抹茶ぜんざいパンが売ってるらしいぜ?まぁ?後で感想くらいはさ?教えてやらんこともーないかな??」
───よし。
周囲を見渡して人の集まりを確認する。十分に居る事を確認して両手を口元に寄せメガホンを作る。大きく息を吸って、
「みんなぁー。浜崎くんはぁ、ちゅうがっこーのと」
「やぁ愁利?今すぐ抹茶抹茶を買ってきてあげるからな。何?遠慮する必要はない。だって───僕達は、親友じゃないか」
薄っぺらい友情だな...。
恒例の強制肩組みによってドアップになった博也の顔は輝かんばかりの笑みを湛え、その歯は白磁の如く煌めいていた。そして俺も向かい合いながら負けじとにっこりと微笑む。この時俺たちの間には確かな友情が芽生えたのだと実感させられる。がっちりと噛み合った打算という歯車は決して外れることが無いような気がした。
そして前を向いた。
「みんなぁー」
<<<秋近家・愁利の部屋<<<
「抹茶抹茶ぜんざいパン旨し。再販求む」
デフォルトされたまんまるなツチノコと河童のキュートなぬいぐるみが並ぶベットに寝そべってネットで呟く。誰とも知らぬ人の投稿を眺めていると、忘れ去りたい記憶が蘇る。三ヶ月前に一年に芸能人が転校してきたことによって巻き起こった空前の「映え」ブーム。知り合いは皆スイーツやら風景やらの写真や動画を投稿しており、正直気乗りはしな勝った過去の俺だが、芸能人美少女のパワーは絶大だった。
俺は不良漫画の敵の学校のヤンキーが主人公の噂を聞きつけたかのように他の知らない生徒と一緒に教室に乗り込み、薄い本の如く即落ちした。
衣沙で耐性が出来ていると思ったが妹とそれ以外の美少女の違いというものをわからされた一瞬だった。
「誰だこいつ即行低評価入れやがって...。H・S・ライトニング。
ネットに飽きて日課の読書に移る。右手がじくじくと痛んだがもし酷くなれば親父か医者のところにいけば良いと放置。ぱらぱらと頁を捲り古ぼけて所々霞んでいる本を読む。
久しぶりに読んだこの本だが、インパクトは強いので結構覚えている。記憶からこれは平安時代に記された書物であり、封印蔵の中でも特に年代物。そして俺のお気に入りの本の一つ。
内容はありきたりな英雄譚で、日本でも有数の妖怪殺しであり武者、源頼光とその配下である頼光四天王の話だ。有名な話である大江山の酒天童子討伐を始めとする幾つもの物語が挿絵付きで載っている。流石に千年物の書物なのでババアの保存の術が掛けられておりインド象が踏んでも大丈夫だ。いや何言ってんだ?
紙が鳴らす乾いた音と共に目下を文字が流れていく。記憶の補完が済んだところで、問題の絵が俺の前に現れる。それは京の牛鬼退治の話。頁下では体が蜘蛛、顔が牛という巨大な妖怪が大量の刀傷を受けて倒れ伏しており、その上に源頼光と坂田金時を始めとする四天王が勝鬨を上げるかのように描かれている。
この本の問題点はそこではなく...主人公の源頼光が、女なのだ。そして胸がでかい。すごくでかい。ものすごくでかい。凄く凄くもう兎に角凄い。このサイズのメロン下げて戦ってるの?大丈夫頼光四天王??最高の職場過ぎない???聖杯があったら頼光四天王に就職したいんだが...。
「平安時代の絵師マジ神。晴明絶対潰す法師マジ神。平安の時代から女体化の歴史は続いているんだよなぁ」
人間の歴史は深く、性癖の歴史もまた深い。女体化、触手、コスプレ、催眠。人の歴史とは即ち之人の持つ業の歴史である...にしてもこの人巨乳好きすぎじゃない?
読んでいる途中、衣沙が俺が俺を呼ぶ声が聞こえた。どうやら夕飯が出来たらしいので部屋を出て綺麗に磨かれた木目の廊下をスケートのように滑りながら向かう。改築がされてここだけ洋風になっている屋敷の一角にある部屋の一つに入ると、既に食卓には皿が並んでおり、肉とソースのいい香りが鼻をつく。
「今日のご飯は〜ハンバ〜ク〜」
「きもい」
ぶっ飛ばすぞテメェ。俺より先に席に座っていた衣沙が切り分けたハンバーグを口に放って言う。牛鬼の如く睨む俺と雪女のような氷点下の視線が交差する。
それを食卓の向こうで眺める親父は、黙ってビールの缶を空けた。プシュッ、と空気の抜ける音がして、親父が缶を一気に煽る。
ふい、と衣沙が視線をずらしたので顔が疲れていた俺も表情を戻して頂きますをする。そのまま二言三言会話しながら食事が終わる。
その後台所に並びながら適当にぽつぽつと喋って皿を洗い終えると、そのまま衣沙は自分の部屋に戻った。水がしみた右手をタオルで拭いていると居間から笑い声が響いてくる。
親父がテレビでも見ているのだろう。聞き覚えのある漫才師の声が聞こえてくる。その時。唐突に、右手が軋んだ。
「痛っ...ああもう絆創膏でも貼るか」
掲げた甲に刻まれた一筋の傷。小指の根本から親指の根本まで綺麗に両断するそれはどうやら本当に深いところまで切ってしまったらしく、ペイントのように真っ赤に染まっている。
それも、呪われた痣の様に。
喘息混じりに散々愚痴を零す。棚から出した絆創膏で傷を覆うと、ついでに治癒の魔術をかける。ああもう今日は散々だ。とっとと早く寝よう。風呂を済ませて寝巻きに着替える。親父も衣沙も既に眠ったらしく屋敷は静寂と暗闇が降りている。
布団に潜って見慣れた天井を見上げる。また、明日が始まる。穏やかな水が、俺の意識を刈り取った。
<<<???・???<<<
微睡みの中、ずっと上下左右の感覚も無いまま恐らく前に進んでいる。何せ感覚がまるで機能していないので前に進んでいる筈だが、もしかしたら右にふらふらと曲がっているかもしれないし、左かもしれないし、或いはその場で倒れているのかもしれない。
長い、永い道を歩いている。終わりの見えない道のりを只一人で歩き続ける。
ふと視界が開ける。
この場所はまるで暗い水底にいるかのようだった。一つを除いて光源の無い海には俺と光源であるそれを除いて一切が存在しない。暗い、重い、怠い。幾つもの感情や思考が途切れては浮かぶ。まるで自分が海そのものになったかのように。
目の前にまで近づいた光源は、いつか水族館で見た光る海月のようだった。
ゆらゆらと揺れるそれは喜んでいるようにも、期待しているようにも、不安がっているようにも、希望しているようにも見える。
いつまで経っても落ち着かないそれはまるで小さな子供のようだ。
そして、その光は俺に何かを問いただしているかのような気がした。
何の確信も無くそう考えて、突然我に返る。
体が透けていた。朧気に見える腕は何故かゼリーのようだった。その事実に恐怖して。急いで自分を取り戻そうとしたが思考が立ち止まった。自分は何なのか。俺とは何なのか。自分が透けていく感覚。自分という塊が海に溶けていく実感。自己の定義は揺らぎ続けた。俺は一体誰だ。自問自答して我に帰る。
俺は...何に成りたいのだ。分からない。分からない。何時しか自分と海の境界は曖昧になり、初めに右腕が消えた。次に左足が体が水に溶ける砂糖のように消えて溶ける。非現実的な事実を受け入れ切れた時にはもう、胸から下が無かった。
このまま消えて死ぬのか。死ぬのは嫌なのか。
───どうなんだ。
日々。走馬灯のように友の顔が蘇る。皆笑っていた。とても楽しげに顔に笑みを貼り付けて、こちらに手を振っている。
手を伸ばそうとしてその手が無いことに気づき、手を欲した時には皆居なくなっていた。そして同時に、この世で最も憎い顔が現れる。正面に立つ自分の母は、硝子色の目で、無表情のまま淡々と告げた。
『恨むならば、己の非才を恨みなさい』
それだけじゃなかった。家族が。会ったことのある魔術師が。本家の、土御門の奴らが俺の前に立っていた。
地方の分家に収まりきらない程の、本家の術師すら上回るとされた天才の兄。比較され続けた俺は常に下だった。そしてそれに勝るとも劣らない秀才の妹。眉目秀麗の一言が似合う才女だった彼女もまた、俺の前に立ちはだかる。大きな、厚い壁として。
悔しかった。辛かった。───けれど、頼りになる人は喪失の絶望とともに消えた。きっともう出会いないだろうという実感と共に。そして助けてくれる友に手を差し伸べることも出来なかった。走って、立ち止まって、また走って、立ち止まって、また走って、漸く行き詰まった最後に、俺は兄にねだった蔵の所有権にかまけて引きこもった。暗く厚い、誰も入れない封印に。
かなしいの?
そりゃまぁ
じゃあ、ねがわなきゃ
一体何に。頼れるものはもう無くなってしまったのに。
いいえ。いいえ。まだきぼうはある。あなたは、あなたのゆめはおわらない。おわらせない
さっきからなんなんだ。一体。ここは何処だ。お前誰だ。
あなたにねむるそのねがい。わたしはそれをかなえられる。くやしかったよね。かなしかったよね。きらいなあいつらを、
みかえしてやりたかったよね
ああ。
すとん、と。心の内に言葉が落ちて来た。嫉妬だ。羨望だ。理解と同時に自分の意地汚さを直視させられる。
偉大な兄も、一族も、どいつもこいつもぶっ飛ばして俺は間違ってないのだと証明する。そんな幼稚園生のような馬鹿な願望。喩えそれが間違った馬鹿な欲望だとしても、それが出来たらどれ程爽快か。いや出来るわけがない。日本最高の術師の一族だぞ。そんじょそこらの三流二流とは違う。あの「安倍晴明」の一族なんだ。
ううん。だいじょうぶ。だってわたしはなんだってできるの。わたし
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はかなえる。しゅくふくする。せかいがうんだばんのうのがんぼうき。
あなたのゆめは、きっとかなう
その言葉は。気がついたときには五体は戻り、肺が作られた事で窒息という概念もまた生まれる。息をしようと藻掻く俺が浮上していく間。それはゆっくりと明滅し続けた。別れを告げる為に手を振るように。
じゃあね。おんみょうじさん
肺に水が潜り込む。失敗を悟った時には既に遅く、俺は意識を失った。
==Tips==
白芥子
・しらげし。秋近愁利の魔術系統を利用した固有術式であり、周囲の人間の魔力に干渉し複数人に暗示をかけて記憶を失わせることが出来る。加えてその効果範囲はかなりのものに及ぶ非常に便利な術式だが、使用する本人が大した魔術師では無いため大抵の術師には防がれてしまう。劣化ニュー◯ライザーと言ってはいけない。