「じゃあ、行ってきます!」
「待ちなさい、帰りの時間は?」
「今日は4時頃には終わるから!」
私はそれだけ言うと靴をつっかけてドアから飛び出した。
リビングからはお母さんの「気をつけなさい」という声が聞こえた。
閉まるドアの隙間から大きな声で「はぁーい」と返し、私は学校への道を急いだ。
お母さんとの二人暮らしは、かれこれ2週間ほどになる。
私はこの暮らしにもようやく慣れてきた。
あれからお母さんは、テレワークとか言うので一日中部屋でパソコンとにらめっこをしたり、誰かと電話したりしている。
たまにどこかに出かけることもあるけれど、そんなときも必ず夜までには帰ってくる。
この間まで一日中どころか、何日も帰ってこない日だってあったのに。
仕事に行かなくて大丈夫なのかと訪ねたことも合ったけれど。
「みほは心配しなくていい」と言われてしまった。
私のために不便を強いているようで心苦しくはあるけれど、こうしてお母さんと昔みたいに会話ができていることが嬉しくて、もうしばらくこのままでいたいと思ってしまう。
対して、お姉ちゃんの方はいくら携帯にメールをしても帰ってこない。
もう黒森峰でも新学期がはじまっているだろうし、戦車道で忙しいのだろうと思い、それからメールは送らないようにしている。
全国大会が始まれば元気に戦う姿が見られるし、それまでの辛抱だ。
そうやって、私生活の方は順風満帆、とは行かないけれど、黒森峰の頃に比べれば心穏やかな生活が送れているのだが、学校生活はいまいちうまく行っているとはいい難い状況だ。
なぜなら、新学期が始まって一週間。
私はまだ一人の友達も作れていない。
「はぁ……」
今日も一人で学食かと思うと気が重くなる。
コンビニで買ったり、家でお弁当を作ってくることも考えたけれど、毎日コンビニによるとそれなりにお金もかかるし、朝早くからドタバタやるのは、仕事で疲れているお母さんに気が引ける。
そんなこんなで、私はお昼の時間が……。
「へぇーい、彼女っ!私達とらんちでもどぉ?」
暗い私の気分を吹き飛ばすかのように、明るい声が降り注いだ。
「ふぇっ!?え、ええっ!!」
「沙織さん、西住さんが困っていますよ……」
思わず、奇声を上げてしまった私は悪くないと思う。
そんなナンパするみたいな台詞、漫画以外で初めて聞いたもの。
私に声をかけてきたのは武部沙織さんと、五十鈴華さんだ。
私はこのクラスの人の、誰と、いつ仲良くなってもいいように、名簿に載っていた名前と誕生日はすべて覚えている。
地形、編成、戦車の特性、隊員のプロフィール。
人数も戦車も多い黒森峰で、いつもそれらと格闘してきた私にとって、名前くらい覚えるのなんて苦労することではなかった。
「ってなわけで、一緒に御飯行こうよ?西住さんも学食だよね?」
「あ、えっと」
はい。
そう言いたかったのに、驚きのあまり言葉が出てこなかった。
この機会を逃したら、おそらく私は一年間友達なんてできないだろう。
今しかない。
けれど、言葉が出てこない。
「私達、西住さんとお友達になりたいと思っていたんです。いかがでしょう?」
そんな私の心に、五十鈴さんが優しく、穏やかな声が自然と染み込んでいく。
そして私の焦った気持ちはすっと落ち着いて、あれだけ開かなかった口がいとも簡単に開いた。
「はい、ぜひ!」
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
「へぇ、じゃあみほはお母さんと二人暮らしなんだ」
「わざわざ熊本から引っ越してこられるなんて、優しいお母様ですね」
二人との会話は、とても楽しく、まさに花が咲いたように次から次へと話題が飛び出てきた。
もう、一日中三人でおしゃべりをしていられるんじゃないかと思うくらいに。
「でもお母さん、当日まで一緒に大洗に来ること言わなかったんだよ?「言っておいたでしょう?」なんて、思わず言ってないよっ!って」
武部さんと五十鈴さんは、私のことを『みほ』、『みほさん』と呼んでくれる事になった。
まだ会って間もないけれど、とっても仲良くなれた気がする。
私も彼女たちのことを、『沙織さん』『華さん』と呼びたい気持ちはあるのだけれど、コミュ力のない私には、それを実行するだけの勇気は持ち合わせていなかった。
「そのくせ、荷物とか家具の手配はきちんとしてあって、ついた日には全部揃ってたんだよね。お母さんらしいけど」
そして、私はこうして自分のお母さんの話を笑って友達にできているという現状が、とっても不思議だった。
大洗に来る前は、目を合わせることでさえビクビクしていたというのに。
「あ、そうだ。今日の放課後、みんなでお茶していかない?もっと一緒にお話しようよ」
「それは名案ですね!みほさん、ご予定はいかがですか?」
唐突なお茶の誘いに、私のテンションは一気に高まった。
黒森峰では、そんな女子高生らしいことはしたことがなかったし、もっとこの二人とおしゃべりをしていたいと思っていたところだ。
嬉しい……、いや、すごくすごくすごく嬉しい!
「もっ!もちろん行くっ!」
私は椅子を倒す勢いで立ち上がって言った。
慌てて椅子を支えたから、ガタンと大きな音を立てるのはなんとか回避できたけれど、それなりに大きな声を出してしまい、周りの幾人かの視線を集めることになってしまった。
そのため、私は視線から逃れるためにそろそろと椅子に戻ることになった。
「あっ……、でも……」
勢いで行くと言ってしまってから、私は朝のやり取りを思い出した。
お母さんには、四時頃に学校は終わると言ってある。
あまり遅くなってしまえば、心配……、するかどうかはわからないけれど、怒られる可能性は高いだろう。
せっかくお母さんとの仲が良好なのに、ここで水を差す自体になるのは嫌だった。
「お母さんに、四時頃帰るって言っちゃって……」
「そっかー、私達は一人暮らしだからいいけど、急には困るよね」
「また、日を改めてというのでいかがでしょう?」
二人はそう言ってくれたけれど、私はどうしてもこの機会を逃したくなかった。
だって、学校帰りに新しくできた友達とお茶して帰るなんて、そんな楽しいことを見逃せるわけがない。
「武部さん、五十鈴さん。私、決めたよ」
「なにを?」
私はポケットから携帯を取り出した。
携帯のアドレス帳にはお母さんの電話番号も入っている。
いまから私は、この番号に電話を掛けるのだ。
「お母さんに、ちょっと遅くなってもいいか聞いてみるっ!」
「あ、うん。でもみほ、なんでそんなに気合い入れてるの?」
気合を入れるに決まっている。
お母さんに電話なんて、携帯を買ってもらってからほとんどしたことがない。
まして、その電話であのお母さんにお願いをするなんて、気合をいれずにできるわけがない。
「よし……」
気合がどこかに霧散してしまう前に、アドレス帳のお母さんを選択する。
あとは、通話ボタンを押すだけ。
ふうっと一つ息を吐いてから、両手で携帯を握りしめてボタンを押す。
心臓が変な高揚感と緊張感でバクバク言っている。
どんな戦いの前でもここまで緊張したことなんてない。
『もしもし』
「え、あっ……、えっと」
2コールなり終わるかといったタイミングで、お母さんの声が聞こえた。
こんなに早くつながるとは思っていなかったから、私は動揺して言葉が出てこなかった。
『……どうかしたの?まだ、学校の時間よね』
「あ、あのね、お母さんに、お願いがあって……」
電話越しでお母さんと話してみると、一つ気づいたことがある。
なぜだか、いつもお母さんから漂ってくる怖い感じがしない。
顔が見えない分、あのじっと見つめてくるような鋭い視線がないからかもしれない。
「今日、学校のお友達とお茶をして帰りたくて……」
そのせいか、私はすんなりと自分のお願いをお母さんに伝えることができた。
『わかりました。夕食までには帰ること。良いですね?』
「え?あ、うん」
そして、私のお願いは思ったよりもすんなりと受け入れられた。
特に怒った様子もなく、むしろ、いつもよりも声が明るいような気がする。
『ああ、お金はもってる?お小遣いもあんまり渡していなかったけれど』
「あ、うん、そんなに使ってないから大丈夫」
『足りなくなったら言いなさい』
「え?あ、ありがとう」
いつも、学食でご飯を食べる分くらいしか使っていないし、女子高生のお小遣いにしては割と多めの金額をもらっている。
それは、昨年までは戦車道の合宿とか、いろいろと入用だったからだ。
今年は、そういった出費はないし、朝と夜のご飯はお母さんが買っておいてくれる。
日用品も自分で使うものをちょこちょこ買い足すだけで済む。
そのせいで、私のお財布には今現在、そこそこの額が入っている。
それでも、お母さんは私のお財布を心配していた。
どれだけ私は浪費家だと思われているのだろう?
いや、たしかにボコの限定グッズなら即買いするけれど。
「……うん、じゃあまた」
いくつかの言葉をかわしたあと、私はそう言って電話を切った。
ほとんど初めてとも言える、お母さんとの電話での交渉は思ったよりもあっさりと、というよりもなんの障害もなく終わった。
「お母様はいかがでしたか?」
「行ってきてもいいって!」
「やったねみほ!じゃあ、どこ行くか相談しよっか!」
「あ、でも夕ご飯までには帰るようにって言われてるから、なるべく近めが良いかな」
そうして私達はどこへ行くか、何を食べるかを話し合った。
事あるごとに脱線をしたり、お腹を抱えて笑ったりしながら。
このときは間違いなくこの大洗女子での生活が、私の理想の高校生活だと思っていた。
彼女たちが現れるまでは。
「っていうことだからさ、西住ちゃん。絶対に戦車道とってよねー」
私の夢の終わりは、案外すぐに訪れた。
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「そう、じゃあ、気をつけて」
私はそう言ってみほとの通話を終えた。
みほから電話がかかってくるなんて珍しい。
思わず、『彼女』との打ち合わせを放り投げて携帯に飛びついてしまった。
急にPCの画面を閉じてしまったし、彼女は今頃怒っているかもしれない。
けれどまあ、次の飲み会で私がおごるくらいで済むだろう。
そんな小さな出費に比べれば、今のみほとの電話にはもっと大きな価値もあった。
みほは、私にあまり学校の話をしなかった。
話したとしても、授業のこととか、行事の予定だとか。
友人の話題がみほの口から出てこないことを、私は言葉には出さなかったけれどもずっと心配をしていた。
前の学校でも、友人とはあまりうまくいっていなかった。
まして、今度は転校生という特異な立場だ。
いじめられているとまでは行かなくても、敬遠されているのではないだろうか、と。
「まあ、一安心かしらね」
今日、みほには新しい友人ができたらしい。
学校帰りにカフェに寄る程度には、仲良くなれたみたいだ。
みほにもまほにも、お金で苦労しない程度には小遣いを渡しているけれど、これからこうして遊びに行ったりすることが増えるようであれば、渡す額なんかも相談したほうが良いかもしれない。
まほの方だって、今年は最上級生だ。いろいろと必要なときもあるかもしれない。
こういう場合、どれくらいの小遣いが適切なのだろうか?
「とりあえず、謝るついでにちよきちに聞いてみましょう」
私は閉じていたノートパソコンをもう一度立ち上げ、子育て相談と、ついでに次の仕事の打ち合わせの続きのため、西住流と並ぶ戦車道の大家、島田流の島田千代へとオンラインの通話をつないだ。
もちろん、彼女の第一声は急に切ったことに対する嫌味だったし、想定通り、次の飲み会でおごらされることとなった。
そしてその後はずっと娘たちのことについて話し合っていた。
結局、私達は次の仕事の予定を決めるのをすっかりと忘れてしまっていたのに気づいたのは、彼女との通話を切った直後のことだった。
本当なら、すぐにでも通話つなぎ直すところだが、そんなことがどうでも良くなるような事件が私を待っていた。
「……ただいま」
まだ四時過ぎだと言うのに、みほが家へ帰ってきた。
友人と遊んでから帰ってくると言っていたのに。
そして、みほの目には……。
「お母さん……、どうしよう」
大粒の涙が浮かんでいた。