旅先で受け取った手紙について。
※pixivにも投稿しています。
(うわ、教科書たっかいなあ……)
六花教育大学の生協は、後期の始まりとともに教科書を求める学生で混み合っていた。唯我成幸もその一人。成幸は目当ての教科書を見つけると、裏表紙に書いている値段を見て深いため息を付いた。
前期に取った授業の教科書はサークルの先輩から譲ってもらったり、大学の近くの古本屋を回ったりして全て集めることができたのだが、後期に選択した授業のうち一つが今年から開講されたものだった。当然先輩にも古本屋にも教科書を頼れない。興味があって選んだのだから後悔しているわけではないのだが、それでも改めて値段を見るとため息の一つもつきたくはなる。
気持ちを切り替え教科書を持ってレジへと向かう成幸の目に、処分品と書かれたコーナーが映った。売れ残りの商品が破格の値段で置かれている。その中に犬をあしらったデザインのレターセットがあった。
成幸はセンター試験のあとの一時期、うるかが犬のコタローの世話をしていたことを思い出して、なんとなくそのレターセットを手にとった。値段は200円ほど。何千円もする教科書に比べれば誤差のような金額だ。うるかとはスマホでいつも会話をしているが、手紙でやり取りをしたことはなかった。そもそも誰かと文通をしたこともない。遠距離恋愛ですらやる必要がないのだから、これで書かなければこれからも書く機会はないだろう。せっかくそういう経験をしているのだし、手紙のほうが気持ちが伝わるとはよく言うものだ。あえて手間のかかることをするのも悪くないかなと考えて、成幸はそのレターセットを買い物カゴに入れた。
◆◆◆◆◆◆
帰宅して夕飯を食べ終え片付けを済ませた成幸は、鞄からレターセットを取り出した。葉月と和樹は兄が見慣れないものを手にとっているのを見て、興味津々といった様子で成幸に尋ねた。
「兄ちゃんそれなに?」
「レターセットだよ。うるかに手紙書こうと思って」
「嫁に来いって書くの?」
「書くわけないだろ!」
「へー。いいなー。おれも書きたい!」
「わたしもー!」
「うーん……」
手紙を書くという行為に大人びた響きを感じた葉月と和樹が自分もやりたいと騒ぎ出す。うるかに迷惑を掛けてしまうのではないかと悩んだ成幸だったが、うるかなら2人のことを知っているし、自分が中身を確認すれば問題ないかと思い直した。
「……まあうるかならお前らのこと知ってるからいいか。あんまり変なこと書いたら書き直しだからな」
「はーい」
便箋を1枚ずつ渡すと2人は居間のちゃぶ台で手紙を書き始めた。何を書くのか気になった成幸が2人の後ろから覗こうとしていると、水希から声をかけられた。
「ねえお兄ちゃん」
「ん? どうした水希」
「私も武元先輩に手紙書いていい?」
成幸が振り返ると、水希が真面目な顔で手紙を書かせてほしいとねだってきた。大きくなってからは水希から何か頼まれることはあまりなかったので、成幸は不思議に思いながら水希に問い返した。
「珍しいな。葉月と和樹みたいなこと言って」
「私だって武元先輩にいっぱいお世話になったんだから、手紙書きたいの。それに葉月と和樹も書いてるのに私だけ書かないなんておかしいでしょ?」
水希の言葉を聞いて、そういえば水希はうるかに可愛がられていたなと成幸は気づいた。あれだけうるかのことを慕っていたのだから、自分が手紙を書くのであれば水希も手紙を書きたいと思うのは当然だ。
「そっか。水泳教わってたんだもんな。いいぞ、というか気づかなくてすまん」
「ううん。ありがとう、お兄ちゃん!」
「はい、これ」
満面の笑みを浮かべて喜ぶ水希の様子に、成幸はむしろ自分から先に言うべきだったなと少し反省をした。そのまま葉月たちと同じように便箋を何枚か手渡そうとすると、水希は首を振って断った。
「ううん。私は自分のがあるから大丈夫。それに、それだと足りないと思うし」
成幸はそれほど書くことがあるのかと水希の言葉に少し驚いた。ただ、考えてみれば自分ほど頻繁に連絡を取り合っていないはずだから積もる話もあるのだろう。成幸は自分の部屋へと戻っていく水希を見送って、自分も書かなきゃいけないなと、葉月と和樹の隣で手紙を書き始めた。
◆◆◆◆◆◆
「ふー。終わった。手紙書くのって結構大変だな」
レターセットを買った翌日。2日かけて手紙を書き終えた成幸は、手をブラブラと振ってほぐしながら一息ついた。伸びをしながら体を休めていると、ちょうど水希が居間に入ってきた。
「あ、お兄ちゃん。書き終わったの?」
「ああ。今ちょうど。水希も終わったのか?」
「うん。はいこれ」
水希から手紙を受け取った成幸は首を傾げた。便箋はすでに小さめの封筒に入れられていて、表には水希の名前と最後に読んでくださいというひと言が添えられている。封筒に入れられているのは成幸に読まれたくないのだろうと想像がつくが、最後にというのはなぜなのだろうと疑問に思った。
「最後に読んでくださいって……なんで?」
「んー。大した理由じゃないんだけど、秘密」
「そっか。まあいいけどさ。葉月と和樹は書き終わったか?」
水希が自分に隠し事をするのは珍しいと成幸は思ったが、そういうこともあるかと思い、葉月と和樹に声をかけた。2人は満足げな顔をして成幸に手紙を見せる。
「終わってるよー」
「どれどれ」
『うるかねーちゃん水泳頑張って! あといつ嫁に来んの?』
「こんなもん送れるか!」
「あー、兄ちゃんおーぼーだ!」
「おーぼー!」
文面を見た成幸が2人を叱ると、葉月と和樹は抗議の声を上げる。そういえばこの弟妹は自分が知り合いの女性といるところを見るたびにこんなことを言っていたことを思い出して、成幸は頭を抱えた。
「いやお前らな……」
「いいじゃない別に。恋人同士なんだから別に武元先輩も迷惑だなんて思わないでしょ?」
「水希まで……いや、まあ確かに恋人同士だけどさ」
思わぬ援軍に成幸の声が弱りだす。まさか3人とも敵になるとは思ってもみなかった。
「まあ別れるかもっていうなら別だけど」
「そういう言い方はズルいって……わかったよ。そのままでいいぞ」
「わーい!」
別れるなら別だけどという言い方は本当にズルいと成幸は思う。ただ恋人になっているのだし子供のいうことでもあるし、何よりうるかであればおそらく笑ってくれるだろう。そう考えると送れない理由もないように思えた。弟妹が喜ぶ姿を見ると、多分これで良かったのだろうと成幸は思う。
「これでうるかねーちゃんすぐ嫁に来てくれるかな?」
「来るわけないだろ!」
本当に良かったのかと、成幸は少し後悔をした。
◆◆◆◆◆◆
「あれ、日本から手紙? 誰からだろ……って成幸からじゃん!?」
突然日本から届いた手紙を不思議そうに眺めていたうるかは、それが自身の恋人である成幸からの手紙であることに気がつくと驚愕の声を上げた。信じられなくて何度も見直したが、確かに成幸の名前が書いてある。筆跡も成幸のものだ。間違いなく成幸が書いたものだということを確認すると、驚きと喜びで胸を高鳴らせながら、ペーパーナイフで丁寧に封を破って中身を取り出した。
「もう、成幸も送ったんなら送ったって言ってくれればいいのになー」
うるかは鼻歌交じりに声を弾ませて独り言を呟く。可愛らしい犬のデザインは一時期世話をしたコタローを思い起こさせて、恋人からのサプライズに気分を高揚させていた。
「わ、成幸の字だ」
高校生の頃は毎日のように見ていた成幸の字。成幸から貰ったノートは留学先にも持ってきていて何かあれば読み返しているが、新しい字を読むのは久々だ。中学生の頃からずっと見てきた筆跡に郷愁を呼び起こされて、そっと指で字をなぞる。
成幸から送られた手紙には六花教育大学での授業やサークルのこと、それと家族とのあれこれが綴られていた。通話で話したことも話していないことも含まれていたが、成幸が特に自分に伝えたいことなんだと思うと、それだけで万金に値する宝物のように感じられた。
手紙に同封されていた写真には大学の学園祭で準備をしている成幸とその友人や、高校生になって少し大人っぽくなった水希の姿などが写っていた。新たな環境で成幸も楽しんで生活している様が伝わってきて、うるかは顔を綻ばせる。一ノ瀬学園の制服に身を包んだ水希は新鮮で、日本に戻ったときに着てもらおうと密かに決意をした。
「ふふ。あのちびっこたち、いつ嫁に来んのだって。お兄ちゃん次第なんだけどなー」
成幸の手紙を読み終わったうるかは、次に葉月と和樹の手紙を開くと思わず笑みをこぼした。シンプルな文章からは2人が変わらずに元気でいることが感じられた。成幸がこれを読んでいたなら、意識をしてくれれば嬉しいと思う。
「最後に読んでください、か。何書いてるんだろ?」
うるかは最後に水希の手紙を手にとった。封筒の中のさらに小さな封筒に入れられていた。きっと成幸に読まれなくなかったのだろうと思う。封筒の厚みからは相応の枚数が入っていることが感じられる。うるかはペーパーナイフで丁寧に封を開けると、ゆっくりと水希の手紙を読み始めた。
『武元先輩、オーストラリアの生活はいかがでしょうか。私も一ノ瀬学園の水泳部で精一杯練習に取り組んでいますが、日本代表を目指して毎日練習に打ち込んでいる武元先輩は、きっと想像もつかないほどのプレッシャーの中にいることと思います。外国生活では水泳以外にも色々な苦労があるとは思いますが、何よりも体調には気をつけてください。
さて、最後に読んでくださいなんてわがままを言ってすみません。でもこの手紙の後ですとお兄ちゃんの手紙を読んでも純粋に楽しんでもらえないかもしれないと思ったので、そう書かせてもらいました。
LINEでも一度お伝えしていましたが、改めて。お兄ちゃんとお付き合いを始めたこと、本当におめでとうございます。
お兄ちゃんはいつも家族のため、妹のため、弟のためと言って自分を後回しにしてしまう人でした。そんなお兄ちゃんが武元先輩に告白したことは正直に言って驚きました。世界を舞台に戦っている武元先輩にとって恋人がいることは迷惑になってしまうでしょうから、それをわかって告白するなんて、今までのお兄ちゃんじゃ考えられませんでした。だからお兄ちゃんにとって武元先輩はそれほど大切で、失いたくない人なんだと思います。お兄ちゃんがそう思える人が、私の尊敬する武元先輩で嬉しかったです。
……嘘です。ごめんなさい、本音を言うととても複雑でした。お兄ちゃんに恋人ができたと知ったとき、お兄ちゃんが奪われちゃうように感じました。せめてその相手を恨めればこの気持ちも少しは晴れたかもしれませんが、その相手が他ならぬ武元先輩じゃ、恨めしいなんて思えるはずもありません。気持ちの持って行き場もなくて、一人でモヤモヤとした気持ちを抱えていました。武元先輩はとても素敵な人ですから、お兄ちゃんも好きになるなんて考えてみれば当然なんですけど。
迷惑かもしれませんが、私は武元先輩のことをお姉ちゃんのように思っていました。だから兄と姉のような2人が恋人になるなんて考えたこともありませんでした。……考えてみれば本当にお姉ちゃんになるかもしれないんですね。憧れの人がお姉ちゃんになるかもしれないなんて、きっと私は恵まれてるんだと思います。嬉しい気持ちもちゃんとあります。なのになんで素直に喜べないのかな。自分でもよくわかりません。
武元先輩が留学に行ってから、お兄ちゃんは寂しそうな顔をすることが増えました。ようやく恋人になれたのに中々会うことができないのですから仕方ありませんが、妹としては心配でした。恋人ができたからこうなってしまったんだと思うこともありました。
でも、武元先輩と電話しているときは本当に楽しそうにしていて、終わったあともしばらく嬉しそうにしています。こんなに幸せそうなお兄ちゃんの姿を毎日のように見られるのは、悔しいですけど武元先輩と恋人になれたからなんだと思います。特に武元先輩が日本に戻ってきたときにしたデートのあとは、今までに見たこともないほど幸せそうにしていました。お兄ちゃんが家族の前であんなに浮つくことがあるなんて私も知りませんでした。お兄ちゃんの知らない一面を見られて、心から良かったと思い、同時に寂しさも感じました。
そのあと武元先輩がまたオーストラリアに行ってしまったときには、なんでもないように振る舞ってはいましたが、とても寂しそうにしていました。妹ですからわかるんです。こんなお兄ちゃんの姿を見るのは本当に久々でした。
お兄ちゃんをこんなに喜ばせられるのも寂しくさせられるのも、武元先輩だけだと思います。だからもし武元先輩とお兄ちゃんが別れたりしたら、きっと今までに見たことがないくらい悲しんでしまうと思います。
お願いがあります。これから先どんなに水泳が忙しくなっても、お兄ちゃんと別れないでください。武元先輩がどれだけ大変な道を進もうとしているのか、私には想像することしかできません。きっとそれも全然足りないんだと思います。ですがそれでもお願いします。
私は今までたくさんお兄ちゃんに助けられて来ました。お兄ちゃんは私たち家族のためにすごくすごく苦労してきました。だからその分、これからはお兄ちゃんに幸せになってもらいたいんです。
武元先輩ならきっとお兄ちゃんを幸せにしてくれると思います。お兄ちゃんを一番幸せにできるのは武元先輩なんだと思います。わがままなお願いですが、私の大切なお兄ちゃんを、世界中の誰よりも幸せにしてあげてください。どうかよろしくお願いします。』
手紙を読み終えたとき、便箋に水滴が落ちた。うるかはそれで初めて自分の目から涙が流れていることに気がついた。これ以上濡れないように慌てて便箋を離して、涙を零さないように目を抑えた。
水希と親しい仲だったうるかは、彼女が書いた字を見たことがあった。成幸に似て字が上手かったことを覚えていた。けれど手紙の字は記憶にあるそれよりずっと整っていて、どれほど丁寧に気持ちを込めて書かれたものかが感じられた。一方で後半のほうは少し線が震えている。きっと手紙を書き進めるに連れて色々な感情が溢れて、抑えられなくなったものが文字に表れてしまったのだろう。水希がどんな様子で手紙を書いていたのかが、うるかには目に浮かぶように想像できた。切なる思いを込めて書かれたことが伝わってきた。
直接顔を合わせて話したのであれば、きっとここまで正直には言えなかったのではないかと思う。自分が水希に慕われていることは感じていたし、水希はそんな相手を傷つけてしまうかもしれないことを言えるような人間ではない。当然電話で言える話でもないし、文字だけでも伝わらない。手で書かれたから細かな感情の機微まで伝わったのだ。手間暇を掛けて手紙を書いてくれたことだけでも嬉しかったけれど、それ以上のものを伝えてくれるということがこれ以上なく実感できた。
溢れる涙はまだ止まらない。止めようとする気にはなれなかった。
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尽きぬように思えた涙もやがて止まって、うるかは頭を悩ませていた。なんと返事をすればいいのだろうか。成幸には近況とお返しに友達との写真やオーストラリアの自然の写真を送ろう。葉月と和樹の双子にはあたしはいつでもいいからお兄ちゃんに聞いてねと返事をしよう。だから水希への返事が問題だった。
できるなら直接会って話したかった。正直に気持ちを伝えてくれたことがとても嬉しかったこと。成幸を奪うつもりなんてかけらもなくて、水希たちの家族の一員になりたいと思っていること。自分がいつも成幸に助けられていて、成幸のことがどうしようもなく好きなこと。成幸が幸せになるならできる限りのことをしたいと思っていること。自分の中にある思いを全て、成幸のことをこんなにも大切に思っている彼女に直接伝えたかった。
もちろんそれは叶わない。だからうるかは手紙で伝えることにした。未来の家族へ宛てる手紙だから、受け取ったものと釣り合うくらい、できる限りの思いを込めよう。うるかはそう決意すると、受け取った手紙を大切にしまいこむ。そうして上着を手に取ると、レターセットを買うため外へと飛び出した。