メイデンボヤージュ   作:ネビュラプロ就職希望

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①-1

 福島(ふくしま)ノアは、可愛いものに目がない。

 まあ実際には目が無ければ、視界に映るものが可愛いか可愛くないかを判断できないし、下手を打つと可愛いという概念を理解できるかどうかすら揺らいでしまう。事実硝子玉のように透徹した双眸が、それぞれの眼窩(がんか)に収まっているのだけれど。

 普段は博学才穎、品行方正。

 淑やかで、しなやか。

 たおやかで、柔らか。

 しかし、彼女が可愛いものを発見した際の豹変ぶり。それを考えると、表現上では“目がない”とするしかない。

 この話を、何とはなしに()()()()()に振ってみた。するとお姉ちゃんは、「ノアが可愛いものを発見した時、無くなっているものは目じゃなくて自我なんじゃない?」と返してきた。

 自我が無くなる。もとい我を失う。

 実の姉ながら、エスプリの効いた答えだった。あの日、聴いたあれを思えば言い得て妙だ。“あれ”とはタッタッタッと腕の立つドラマーが刻むビートの如く至極規則的で、それでいて着実に彼方から此方へ何かしらが接近していることを知らせるように僕の耳朶を打ったその音は、紛れもなく、間違いようもなく我を失った彼女の足音だった。

 思い返せばそれが福島ノアとの初対面である。いや、わざわざ思い返す必要などなかった。その衝撃たるや、どれだけ月日を重ねたとしても忘れることはないであろう。だからこそ僕はこうして話の種にしているし、思い出語りに花を咲かせようとしているのだから。

 彼女との邂逅の一体何処が、どれほど衝撃的なものだったのか。その微に入り細を穿った説明は後々語るものとして、勘案しているうちに福島ノアは可愛いものに目がないのではなく、可愛いものにしか目が行かない、の方が正しいのではないかとも思えてきた。

 自家撞着も甚だしい。

 全くもって恥ずかしい。

 そんな具合に、これから語ろうとしている少女の特徴を言い表す言葉すら、探すのに手間取ってしまうような僕だから、すぐに見失ってしまうような僕だから、先にこの一言だけ断言しておこうと思う。

 

 恋は盲目だ。

 

 

 日めくりカレンダーを見ようが、月めくりカレンダーを見ようが、卓上カレンダーを見ようが、はたまたカレンダーのアプリケーションを見ようが、今日は、その日付欄に記されたアラビア数字が赤く染まった日曜日だということは、外出前の十数回に及ぶ多重チェックによって確認済みである。

 ユダヤ教・キリスト教の聖典である旧約聖書『創世記』によると、神は次六日間で世界を創造なされ、七日目にお休みになられたという。それが長い時間を経て、一週間と日曜日という概念になった。

 現代日本においても、日曜日は殆どの学生や会社員にとってお休みの日であるわけだけれど、その休日の過ごし方は三者三様であろう。自宅で、溜めていた本やアニメを消化する人もいるだろう。平日は行けないような遠方に家族とお出かけしたり、あるいは買い物をしようと足を運ぶ人もいるだろう。

 どっちにしろ休日というものはウキウキとしたり、ホッとしたりするものであって、その赤いアラビア数字にブルーな思いを馳せている人は、例外中の例外というほかない。

 

 その例外というのが僕のことだ。

 

 僕は折角の休日をブルーな気分で迎えた。というより、現在進行形でブルーな気分である。

 ブルーというよりかはマリンブルーか。

 ここは都心に屹立する大型ショッピングモール。

 僕は、ふとショーウィンドウに映り込んだ自分の姿を、視界の端に捉えた。花柄のワンピースに無地のカーディガン、そして黒のタイツにショートブーツ。マリンブルーというのは髪の色のようで、それが肩口まで伸ばされている。背丈は、23対目の染色体の構成がXXの者にしては高めの部類だ。

 先程から、一人称として「僕」を使っていることも合わせて、どうも所謂「僕っ娘」らしい。

 ────と思った読者には非常に心苦しく、申し訳なく思うのだが、僕は男だ。いや、精神的な性別が男だとか、そういうわけではなくて、オギャーとこの世に生まれ落ちたその日から僕は男であったし、七五三は三歳と五歳の時にやったし、端午の節句が近づくと五月人形を眺めていたし、男でなかった日は一日たりともない。別に僕自身は読者をからかったり、誤謬を招くような意図はなかったのだけれど、ありのままの姿を描写した結果、豈に図らんや、糠喜びをさせてしまったようで重ねて謝罪しておく。

 

 そうやって、僕が男であるということを証明してみせたところで、次の疑問は何故に僕がそんな女性的な格好をしているかという点に移ることは理の当然であると思うし、きっと僕が同じ立場でもそう考えるはずだ。

 そしてその回答は、僕の十センチ程度下から弾き出されることとなった。

 

「うんうん。やっぱり乙和(とわ)ちゃんのセンスはバッチリだね。ハルちゃん、本物の女の子みたい」

 

 言いながら、僕が映り込んだショーウィンドウをまじまじと見つめる少女こそ僕が休日に女装をしている理由にして元凶。

 僕の実の姉、花巻(はなまき)乙和である。

 流石に服のサイズやら背丈やらは違うけれど、髪型は現在の僕のものとほぼ同じで、顔もよく似ていると思う。勿論、髪の色はマリンブルー。

 彼女はどうも僕を着せ替え人形のごとく扱っているようで、自分の背丈では似合わなさそうな着合わせを僕にさせてくる。

 別に彼女とて強要してきているわけではないから、断ればそれで済むのだろうけれど、訳あって僕は彼女の要求はある程度呑むことを標榜としているので、受け入れた形だ。

 しかしながら、いざ街に繰り出してみると気恥ずかしさみたいな感情が自然湧き出てきて、ちょっとブルーもといマリンブルーな気分になっていたところである。

 何が落ち込むって、自分でも結構似合っていると思えるところが落ち込む。まるで、僕がとてもなよなよとした男みたいではあるまいか。

 先程、背丈は23対目の染色体の構成がXXの者にしては高い部類だと言った。それは裏を返せば、構成がXYの者にしては低いということでもある。まだ骨端線が閉じていないことを祈りつつ、牛乳を飲んで早寝を心がけるしか道はない。

 でも、姉や地元の友人と幼少の頃からマリンスポーツに興じてきたこともあってか、マッチョというわけではないにしろ、身体はそこそこ引き締まっている方ではあると自負している。断じてなよなよとしてはいないはずだ。

 ちなみに、女装して出掛けるのは初めてではない。慣れているといえば慣れているのだから、そうマリンブルーになる必要はないだろうともう一人の僕が宥めにきたけれど、「いや、そんなもん慣れたかねぇわ!」と一喝してしまい、彼は雲散霧消してしまった。

 

 そんな感じで言い訳がましいことを縷々と述べたところで、未だにショーウィンドウを見ていた乙和を置き去りにして歩を進める。

 

「あ、待ってよハルちゃん!」

 

 乙和はトコトコと小動物のような早歩きで、僕との距離を詰めてきた。姉としての威厳が絶無な光景である。

 

「んもう。こんなに可愛いお姉ちゃんを置いてくなんて、酷いよ」と頬を膨らませながら乙和。

 

 それに対して僕は戯けるような口調で、こう返した。

 

「いやぁ。悪い悪い。僕は前しか見ない性格なもんだからさ。まさか付いて来てないとは露程も思わなかったよ」

 

「お姉ちゃん!」

 

「ん?」

 

 藪から棒な発言に、僕は思わず素っ頓狂な声を出す。

 

「お姉ちゃんとお呼び!」

 

 乙和は腰に手に当てながら言う。

 

「はいはい。次からは気をつけるよ、()()

 

「もうっ。気をつけてないじゃん!」

 

 プリプリと怒りながら乙和はさらに続ける。

 

「昔は“お姉ちゃん”って呼んでくれてたのになぁ」

 

 懐旧談を口ずさみむ乙和。その足取りは、近くに石ころが転がっていたら蹴っていそうな調子だ。まあ、ショッピングモールの中だから石ころなんて落ちてないけれど。

 

「でも、さっきの修辞的な表現。何だか咲姫(さき)ちゃんみたい」

 

 いや修辞的な表現というか、お前はあまり背が高くない僕よりも更にちんちくりんだぞ、という皮肉を込めたのだけれど、どうやら伝わらなかったようだ。それよりも、僕が聞き慣れない人名が出てきた。いや、何処かで聞いたことがあるような気がしないでもないけれど。

 

「咲姫ちゃん? 誰だそれ?」

 

「えぇ!? 前にも説明してあげたじゃん。ハルちゃん忘れちゃったの?」

 

 呆れたように嘆息しながらも、「やれやれ」といいながら解説を始める乙和。姉としての威厳を保てるのが嬉しいのだろうか。

 

「咲姫ちゃんというのは、我ら《Photon Maiden(フォトンメイデン)》のDJ兼ボーカル、出雲(いずも)咲姫ちゃんのことなのです」 

 

「ああ、フォトンの人なのか。それで何処かで聞いたような気がしたのか」

 

「うん。咲姫ちゃんはね、共感覚っていう能力があって……」

 

「ああ。本とかで読んだことあるな。一つの刺激に対して、別の感覚も同時に生じることだっけ?」

 

 例を引くと、聴覚情報に色を感じたり、味覚情報に音を感じたりすることがあるのだとか。

 

「なーんだ。知ってるんだ。つまらないの」乙和は唇を尖らせる。より一層小動物感が増したように感じる。

 

 そんな乙和だったが、にわかにぱっと顔色を明るくした。その視線の先を追ってみると、成程、クレープ屋さんだった。乙和はクレープ屋さんをはじめ甘味処を見ると、自然頬の肉が緩むという体質の持ち主なのだ。

 

「おいおい。大丈夫か。乙和だってフォトンの一員なんだろ。太ったらパフォーマンスに影響が出ちゃうんじゃないのか?」

 

「ふ、太っ……。んもっ。衣舞紀(いぶき)みたいなこと言わないでよ」

 

 またもや聞いたことがあるような無いような名前に、「衣舞紀?」と反射的に返した。

 

「ああ。衣舞紀のことも忘れちゃっているんだ」

 

 乙和はやれやれと肩を竦めた。さっきまでの緩みきった顔は何処へやら。再び得意げな顔になって、

 

「衣舞紀。本名、新島(にいじま)衣舞紀は、フォトンのリーダーの娘。ストイックなんだけれど、他人にも厳しいって感じなんだよね。プロポーションの維持の為に甘いものは控えなさい、って頻りに言ってくるんだ」

 

と至極記号的な紹介をしてくれた。

 

「成程ね。その新島さんとやらはストイックなのがネックで、僕のさっきの忠告によって彼女の言を思い出して、それこそ恐怖が鎌首を(もた)げてきたと」

 

「おお! 今度は言葉遊びかぁ。“ネック”っていくのと“鎌首”っていうのを掛けてるわけだね」

 

「説明するな。恥ずかしくなる」 

 

「いやいや。中々いい趣味をしていると思うよ」 

 

「この手の言葉遊びに定評のある作家さんがいるんだよ。その影響だ」

 

 閑話休題。

 乙和は胸の前で両手を軽く握りながら言う。

 

「でもでも、最近はあんまりクレープ食べてなかったし、それにほぼ毎日レッスンで体力使っているんだし、自分へのご褒美としていいでしょ?」

 

「まあ、僕は別にフォトンのパフォーマンスに容喙(ようかい)するような立場じゃないし、いいんじゃないか?」

 

「わーい。さっすがハルちゃん! お姉ちゃん想い〜」欣喜雀躍(きんきじゃくやく)とする乙和。忙しい表情筋だ。

 

「じゃあさ。じゃあさ。二人で別々のフレーバー頼もうよ。それをシェアされば二つの味を楽しめるわけだし」

 

「いいよ。でも、それは僕の買い物を済ませてからな。流石に食べ物を持って本屋に入るのは頂けないから」

 

「はいは〜い。分かってますよ〜」

 

 乙和は莞爾と笑いながら、ステップを踏むような軽い足取りになる。姉弟とかそういうのを抜き目にしても、かなり分かりやすい性格をしていると思う。

 それにしても、本人が居ない前でもその言いつけを守るとは。新島さんとやらに結構な信頼を寄せているようだ。

 

 そんなことを考えていると、矢庭に僕の方に向き直って、「それにしても」と言を紡いだ。

 

「本を買う為だけに都会に出てくるなんてね」

 

「ああ。好きなの作家さんのサイン本屋がここに入ってる本屋に置かれてるらしくてさ」

 

 潮風の香る僕らの地元には、あまり大きな書店がないので────いや、変なプライドが一瞬邪魔してきたけれど、忌憚なく言うなら僕らの地元は()がつく田舎で、大型書店なんてものは絶無なので、こうして遠出をすることになった次第である。

 

「それ、電子書籍とかじゃだめなの?」

 

「電子じゃサインはできないだろ」

 

 僕の返答にふうん、と乙和。とても興味がなさそうである。しかしながら、他に変える話題も見つからないようで、

 

「で、何ていう作家さんなわけ?」

 

と尋ねてきた。

 

「ああ。百目鬼(どうめき)仁美(ひとみ)先生、アイ先生っていえば分かるかな? その人の新作だよ」

 

「いや、全く聞き馴染みがないんですけれど。何、その目要素たっぷりの作家さんは」

 

「お! 勘がいいじゃん。百目鬼仁美先生、通称アイ先生は、修士課程在籍中に『眠気眼(ねむけまなこ)』って作品で作家デビューしてさ。主人公の高校生たちの甘酸っぱいくも、生々しくて時に残酷な青春模様が見事に描かれていて、処女作にして傑作って言われているんだよね。んで、その後修士課程を修了してからは本格的に活動を開始して、『視線』ではミステリー方面にも展開したんだ。元々、見落としてしまうような細部に張られた書き方から、“瞬きを許さぬ作家”って言われてた時期もあっただけに発表されたときには期待が高まったんだけど、いざ世に出回ってみるとそれを裏切らない、いや、良い意味で裏切ってもきた作品でさ。それ以降ミステリーは書いてないんだけど、是非もう一作書いて下さいって、あちこちの出版社から要望が来てるんだってさ。そして、最新作の『見えない糸』なんだけれど、これは発表時のインタビューでアイ先生本人が、執筆している最中で『眠気眼』の頃に回帰いる感が出てきた作品ですって答えてから、一気に注目が集まったんだ。ああ。もうここまで説明したら何となく察したと思うけれど、アイ先生っていうのは、先生が視覚情報を中心に緻密な情景描写をする作風が特徴的だから、ファンからはそう呼ばれるようになったんだ。それで……」

 

「ストッープ! 長い、とてつもなく長いから。いきなりそんな滔々と語られても脳の処理能力が追いつかないから。っていうかその先生、作品のタイトルまで目関連のワードばかりじゃん! もはや狂気だよ」

 

 キャパシティの限界だと言わんばかりに頭をブンブンと振りながら乙和。

 彼女は感嘆と呆れが綯交(ないま)ぜになったような口調でさらに続けた。

 

「ホント、ハルちゃんって本が好きだよね。ノアと気が合いそう」

 

 驚くべきことに、本日三度目となる同様のやりとりである。

 

「はいはい。その人もフォトンのメンバーなんだろ?」

 

「え、何で分かるの? ハルちゃんいつの間にエスパーになったわけ?」

 

「もうこの流れならそうとしか思えないだろ。で、そのノアさんとやらはどんな人なんだ?」

 

「う〜ん。はっきり言って変人だね」

 

「変人? 乙和に変人呼ばわりされるなんて、そりゃもはや変人の域を超えてるんじゃないか?」

 

「ちょっと! それどういう意味?」乙和はむっと両の頬に空気を含ませて言った。

 

 そんな話をしながら歩いていると、天井から吊るされたインフォメーションがあった。そこには、赤と青で色分けされたピクトグラム。それを見るや否や乙和は思い出したように、

 

「ごめんね。ちょっとお花摘みに行ってくる」

 

「花? こんな都会の建物の中に花畑なんてあるのか?」

 

 僕は戯けてキョロキョロと周囲を見渡す仕草をする。

 

「もうっ。ハルちゃん。そんな意地悪言ってると女の子にモテないよ」

 

「別にモテなくてもいいよ。っていうか早く行って来なよ」

 

 僕がそう言うと、乙和は小走りでお手洗いの方に駆けていった。

 

 転ばなきゃいいけれど。遠ざかるその足音を聞き届けながら僕は思った。

 

 それは、そんなフェードアウトしていく足音に呼応してフェードインするように。

 

 聞こえてきた。

 

 タッタッタッと腕の立つドラマーが刻むビートの如く至極規則的な音が。

 

 それでいて着実に彼方から此方へ何かしらが接近していることを知らせるように僕の耳朶を打ったその音が。

 

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