太陽が照り付けている。痛さを感じるような暑さだ。まさしく地獄。人が出歩くような環境ではない。
いったい今日の気温は何度なんだろうか。今朝のニュースをよく見なかったから正確なところはわからない。それでも絶対に30度以上であることは確かだろう。命にかかわるレベルだ。
そんなんだから外を歩く彼方さんも俺も汗をだくだくと流していた。二人して服が汗でびしょびしょになっていた。
「あっつーい~……」
隣の彼方さんが胸元でぱたぱたと手で仰ぐ。首筋の汗が鎖骨や胸元へと流れていった。その光景を見ながらどうすることもできない暑さに辟易とした。
俺たちはなんでこんな日に外出なんてしているんだろう。こんな日に外に外出したことを後悔した。
なんで外出したのかって? 至って単純なことだ。
俺の家で彼方さんと夏の宿題や自習をしていたのだが。勉強を始めてから1、2時間からたった頃に彼方さんが
「彼方ちゃん頑張ったよ~。勉強頑張ったご褒美にアイス食べた~い」
と言い出したのがきっかけだった。ただしかしうちにはアイスがちょうどなかった。なので買いに行くことになった。
だが、まあ、外はこの有様だ。外に出て、30秒ぐらいで後悔した。自分でも早すぎると思うが、本当に苦痛を感じる暑さなのだから仕方がない。
彼方さんも似たようなもので、家から出てすぐさま顔を歪ませた。気だるげな顔をしながらも、それでも彼方さんは引き返すとは言わなかった。
「彼方さん、やっぱり帰らない? いくらなんでも暑すぎる」
「むむむ、確かにそうだけど……でも帰らないっ」
「なんで」
「だって彼方ちゃんのお口はもうアイスのお口になってるの~」
家から出てすぐに交わした会話がこれだった。彼方さんはアイスをご所望らしい。気持ちはわからなくはないけど。暑い日には特に恋しくなる。
「あっつーい~……」
今日何度目かの台詞。気持ちは同じだ。暑い。とてつもなく暑い。人が生きていけるようなレベルじゃない。
汗に濡れたシャツが身体に張り付いて気持ち悪い。そう思っていても、この暑さのせいで発汗を抑えることができなかった。
陽炎が見える。アスファルトの上でもやもやと揺れる。
「あっつーい~……」
隣の彼方さんはそんな言葉を言いながら、距離を詰めてきた。隙間がなくなって、お互いの腕がぴったりとくっつく。くっついたところが暑い。
「彼方さん」
「ん~、なにー」
「暑いんだけど」
「夏だからねぇ。彼方ちゃんも暑くてつらい~」
「そうじゃなくて」
こんなにも暑いのに、なんで近づくのかと。俺は彼女に言いたくなった。
わかっているのかわかっていないのか。彼方さんはとぼけたかのように逸らしてきた。
どころか腕を絡めてより密着してきた。腕に抱きついてきた。彼方さんの身体がさらに密着しているせいで余計に暑くなる。
なにもこんな灼熱地獄でこんなにくっつかなくてもいいだろう。なにゆえ?
「……彼方さん」
「んー、なぁに~」
「彼方さんのせいで暑いんだけど」
「えー、彼方ちゃんのせいじゃないよ~。夏のせいだよ~」
「いやさぁ、明らかにこれ彼方さんがくっついているせいだよ」
俺の言葉に心外そうにする彼方さん。
「ええー、そんなことないよ~」
やはり予想通り、彼方さんは否定する。すっとぼけていた。
彼方さんにだってわかっているはずだ。こんなに身体を密着させて、少なくとも触れ合っている部分は彼方さんだって暑さを感じているはずだ。感じていないわけがない。
「そんなことあるでしょ。彼方さんだって汗かいてるし」
頬に伝う汗と、その跡に張り付く髪。それがなによりの証拠だ。
「えっち~」
彼方さんの身体を見ながら指摘すると心外な言葉が返ってきた。
えっちな要素がどこにあるんだって言うんだ。これっぽっちもいやらしい気持ちなんてないのに。
「なんでさ」
「え~、視線がなんかいやらしい」
「言いがかりだ……」
いやらしい視線なんか向けていない。彼方さんの首や顔に汗が張り付いているのを見ただけだ。
いやらしいと言いつつも彼方さんは離れるどころか、しっかりと腕を絡めてくる。より簡単に抜けられないようになる。さらに暑くなる。
そもそも彼女の言葉に恥じらいや嫌悪感などの負の感情が込められていなかった。俺で遊んでいるかのような楽しそうな声だった。
「それなら尚更離れるべきじゃない?」
「えー、やだ~」
即座に拒否された。こっちがえぇ……と言いたくなる。なんでよ……。
「だってくっついていたいも~ん」
子供みたいな言い方だ。堂々と彼方さんは言い放った。
「暑くても?」
「暑くても~」
迷いもなく言い切った。彼方さんに離れる気は微塵もなさそうだ。こんなに暑いのに。それでもくっついていたいという。
「ああ、もう……わかったよ。もうそのままでいいよ」
「やった~」
俺が諦めると嬉しそうにもう片方の腕を突き上げた。
なんというか、いつものこんな感じで押し切られるなあと思ってしまう。まあ彼方さんが楽しそうでなによりです。
そのまま、腕を組んだまま、コンビニへと向かう。冷たいアイスを求めて。あるいは涼しい冷房の効いた店内を求めて。
太陽がじりじりと照り付ける。汗は止まらず流れ続けていた。日差しが弱まる気配はまったくない。
上から浴びせられる太陽の熱気と、地面からの照り返しと、組まされた腕と。俺の逃げる場所はどこにもなかった。
早く、早くコンビニに辿り着いてくれと。切に願った。
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「あ~……涼しい~~」
彼方さんのいつにもまして気の抜けた声に心の底から同意した。
涼しい、生き返る。コンビニの店内は冷房が効いていて、外の地獄とは大違いで極楽だった。身体を覆っていたむわっとした熱気が消えて、なんとなく呼吸もしやすくなったような気がする。
「生き返る~」
俺の心の声が彼方さんの口から飛び出してきた。二人して考えることが同じになるのは仕方ないことだ。
「あー、本当。生き返るな~」
俺だって気の抜けた声になってしまう。本当に天と地の差だ。
彼方さんと俺は早速アイスコーナーへと向かう。出入口である自動ドアから一番離れたところにあった。行けば、ボックス型の冷蔵ケースの中にたくさんのアイスクリーム商品が敷き詰められていた。
ケースから漂ってくる冷気でさらに身体の温度が下がった。気持ちいい。
「気持ちいいー。彼方ちゃんずっとここに住む~」
「ダメでしょ」
めちゃくちゃ気持ちはわかるけど。俺もずっとここにいたいけど。住みたいけど。
「スーパーに比べると割高感があるねぇ」
冷蔵ケースの縁の辺りに貼ってある値札を見ながら彼方さんは呟く。確かにスーパーに比べるとコンビニの値段はちょっと高い。
「まあそれでも買うんだけど」
だってスーパーには少し距離がある。こんな暑い中行けるか。行きたくない。
「だね~」
彼方さんもぐったりした様子で答えた。もうあの炎天下の中を彷徨いたくないよね。俺たちは値段よりも利便性を選んだ。
「どれにしよう。たくさんあって迷っちゃうな~」
彼方さんの言葉通り、たくさん種類がある。彼方さんの視線は冷蔵ケースの中を右往左往と流れ流れる。定番のものから新商品、いわゆるプライベートブランドと呼べれるものまでより取り見取りだ。選ぶのに迷うってしまうのは仕方がないだろう。俺の視線も揺れに揺れる。
迷い彷徨っていた視線がふと止まる。あるアイスに目が留まった。
安くて美味しい定番の氷菓だ。かき氷にアイスキャンディーでコーティングした、くじ付きの有名なやつだ。小さな頃、暑い季節になるとよく食べていたことを思い出した。
「ねぇねぇ、あなたは決まった~?」
その声で顔を上げる。いつの間にか、彼方さんがこちらを見ていた。
「お~、それ懐かしいねぇ」
俺の視線を辿った彼方さんはそのアイスを見て、懐古しているのか浸るような声で言った。ド定番だし彼方さんも食べたことがあるのだろう。
……久しぶりに食べてみるのもいいかもしれない。懐かしの味を堪能したくなった。
「決まったみたいだねえ」
「なんでわかるだよ」
「よく見てますから~」
よく見てたらわかるものなんだ……。
俺は素直に感心した。恐怖とか困惑とかよりもまず先にそんな感情が浮かんだ。すごい。
「彼方ちゃんもおんなじのにしよっと」
彼方さんは冷蔵ケースから二つ、アイスを取り出してはいと俺に手渡した。受け取るとひんやりとした温度が手の肌に伝った。なんとか触れれる冷たさ。
俺は受け取った手とは反対の手を彼方さんに差し出す。
「お手?」
「違うから」
ほれと彼方さんが持つアイスをこちらに寄こすように伝えた。
「はっ、彼方ちゃんの分まで奪うつもり!」
「いや違うから」
彼方さんは驚いた顔したのち、自分の分のアイスを奪われないように抱え込む。
なんで奪う必要があるんだよ。
「俺が買うから」
「奢ってくれるの? ありがと~」
彼方さんはころりと表情を一転させ、過去イチ眩しい笑顔になってアイスを俺に渡してきた。現金だなと俺は笑った。
そのまま二人分のアイスを持って、レジへ。奢るといっても値段的にはたかが知れている。百円玉を二枚出して購入する。二つのアイスとお釣りを受け取って、アイスを一つ、彼方さんに渡した。
コンビニの出入り口である自動ドアが開く。むわっとした熱気が外から侵入してきて身体にぶつかる。そのまま一歩一歩、外へと向かって足を進める。外に出ると身体を覆っていた冷たい空気は熱へと塗り替わっていき、その熱が身体を覆っていく。
「あっつい~……」
「暑いな……」
二人してげんなりした。天国から地獄だこれは。
「……ねえねえもうアイス食べようよ~」
「……だなぁ。これじゃすぐにアイス溶けそうだしな」
お互いに顔を合わせて頷いて、俺たちはアイスの封を開ける。木の棒を摘んで引き抜いて、アイスを取り出した。
水色の輝きが、漂う冷気が、熱で表面が融解しかけている様がなんとも冷たそうで、早く味わいたくて仕方がなかった。
「んんっ! つめひゃ~い」
早い。彼方さんはもうアイスを頬張っていた。想定以上の冷たさに彼女は目を細めて顔を歪めた。
俺も、と。いかにも冷たそうなそれにかぶりつく。舌を始め、口いっぱいに冷たいという感触だけが広がった。彼方さんみたいに声にならない声を上げてしまう。
そんな俺を見て、一度アイスを口から離していた彼方さんがくすくすと笑い出した。
「変な顔~」
彼方さんには言われたくない。彼方さんだって変な顔だった。
「これは永久保存しなきゃだねぇ」
「待って。それは止めてくれ」
彼方さんは片手にアイスを持ち、もう片手でスマホを取り出した。そのカメラを俺に向かって構えた。撮る気満々じゃないか。
恥ずかしいんだけど。そんな画像を記録に残すとか止めてほしい。
「え~、いいじゃんか~」
俺の顔がそんなにおかしいのか、彼女はさらにまた、笑った。
「よくない。恥ずかしいんだけど」
そんな恥ずかしめを俺だけが受けるなんてまっぴらごめんだ、などとごねてると。
「じゃあじゃあ、一緒に撮ろ~」
彼方さんがそんな提案をしてきた。
「彼方さんと一緒に?」
「そ~。一緒に」
……まあ、一緒ならいいか。
「彼方さんも変な顔してくれよ?」
自分だけ普通の顔するなんて許されないぞ。いちおう釘をさしておく。
「大丈夫~。アイス食べたらしたくなくても変な顔になっちゃうよ」
それもそうだ。
彼方さんはスマホを構えた。そして彼方さんも俺も同時にアイスにかぶりつく。頬いっぱいに冷たい刺激が襲い掛かってくる。かしゃりとシャッター音が鳴り響いた。
二人でその写真を覗く。俺も、そして彼方さんも口を歪ませて、間抜け面になっていた。酷い写真だ。
「思い出がまた一つ増えたねえ」
アイスとスマホを持った彼方さんがにんまりと笑った。それを見ただけで写真を撮られた甲斐があったものだ。
夏の思い出をこれからもいっぱい撮ろうね~と、彼方さんは夏の楽しみを指折り数え始めた。プールに、花火に、お化け屋敷に……。夢を見ている暇なんかないような忙しさになりそうだ。彼方さんの語りは止まらない。
彼女のアイスが溶けて、水滴となって地面に落ちていく。夏はまだまだ長いなあと思った。
お目汚し失礼いたしました。
ありがとうございました。