夢を見ていた。電車に揺られて、いつの間にか眠ってしまっていた。目が覚めて、目的の駅がまだだったことに安心した。
思えば、懐かしい夢だった。昔の、高校生の頃のことを夢に見ていた。あまりにも若くて、青くて、むず痒さを覚える。最近はあの頃の夢ばかりを見ていた。
そんな夢を見てしまった原因はわかっている。これからの将来のことを考えていたからだ。これから先、どうするか。どうしたいか。それをどうやって彼女に伝えるか。
今日はそのために人に会う約束をしていた。彼女本人ではない。彼女の妹である、遥ちゃんだ。
年下である遥ちゃんに相談事なんて情けないかもしれない。それでも遥ちゃんと話をして自分の考えに自信をつけたかった。誰かに相談する時なんて、結局のところ自分の考えを信じたくて、肯定して欲しいからなんだ。そう、俺は思っている。
揺れる車窓から見える景色が馴染みあるものに変わっていく。いつの間にか、目的の駅に着きそうだった。
停車し、自動ドアが開いて、電車から降りる。人の流れに従っていく。改札口を抜けて駅舎から出た。暖かい日差しが心地よい、そんな天気が俺を出迎えた。
「こっちです!」
良く通る声が耳に飛び込んでくる。その先に遥ちゃんがいた。俺は手を挙げて、遥ちゃんに近づいた。
会うのはそこそこ久しぶりだ。二か月ぶりぐらいだろうか。最近は少し忙しくて会えていなかった。
出会った頃と比べて遥ちゃんも随分と大人びた。目の前にいる遥ちゃんを見て思う。落ち着いた雰囲気を纏っている。下ろした髪のせいか。それだけではないはずだ。
遥ちゃんを伴って、駅近くのカフェに入る。立ちっぱなしでできるような話ではない。店内は騒々しくなくて、ゆっくりと落ち着いて話ができそうだ。
向かい合って座り、まずお互いに注文をした。俺はコーヒー、遥ちゃんは紅茶。当然俺持ちだ。相談事を持ち掛けたのは俺なのだから当然だろう。
注文した飲み物が来るまで、どちらともなく、近況を話し合う。とりとめのないない話だ。遥ちゃんも元気にやっているようで俺は安心した。それを見た遥ちゃんにくすくすと笑われてしまったが。
店員さんが注文したものをお盆に乗せて運んできた。目の前にコーヒーが注がれたカップが置かれる。白い湯気が立ち上る。
一口、カップに口をつけてコーヒーを流し込む。ちょうどいい苦み。温かい液体が身体の中へと溶けていく。カップを置いて、そろそろ本題に入ろうとした。
「……それで」
俺よりも前に、遥ちゃんが口を開いた。昔と変わらない、綺麗な瞳が俺を見ていた。
「プロポーズ、するんですか」
……思わずむせそうになった。なんとか堪えた俺を褒めてほしい。
「いきなりすぎないか」
コーヒーを飲んでいるタイミングじゃなくてよかった。遥ちゃんの服を汚すところだった。めかし込んでお洒落なその服が台無しにならなくて本当によかった。
「ご、ごめんなさいっ」
遥ちゃんは申し訳なさそうにしながらも少し笑っていた。わかっていてやったのかい?
「その、ワザとじゃないんです。ほんとにっ」
わかってるよと返すと遥ちゃんは胸を撫で下ろした。わかってる。けどまさか遥ちゃんの方から切り出してくるとは思わなかったから驚いてしまった。それも直球だった。
「やっとかぁと思うと前のめりになっちゃって……」
「……そんなにやっと感ある?」
「ありますよっ」
遥ちゃん曰く、俺が高校卒業したらすると思っていたらしい。そんなこと考えていたのか。初耳だ。流石にそれは早いと思う。
「だとしてもお姉ちゃんのこと待たせすぎだと思うんです! お付き合い初めてからもう6、7年ぐらい経ってますよね」
「…………」
「お姉ちゃんももうちょっとで二十代後半に入るんですよ!?」
「…………」
あと1年ぐらい猶予はあるから……。と細かいところを反論したくなった。だけどまあ、大体のところ遥ちゃんの言う通りなので何も言えない。
「なんでお姉ちゃんをこんなに待たせてるんですか」
「いやまあ、結婚するにはちゃんとした収入が必要で。それにはもうちょっと稼がないと……」
「……甲斐性なし」
……痛い。物凄く痛いよ。
でもこれから先のことを考えるとお金のことは大事だ。結婚式、新婚生活、もしかしたら出産、育児……他にも色々。考えれば考えるほどお金はこれから様々な場面で必要になる。そう、考えてしまうとなかなか踏ん切りがつかなくなってしまってもおかしくないはずだ。
「……ちゃんと将来設計してるって言って」
「……ごめんなさい。ちょっと言い過ぎちゃいました」
「いいよ。わかってるから」
それだけ遥ちゃんが俺に心を許している証拠だと思う。最初のころはよそよそしかったからここまでの仲になれたことは喜ばしいことだ。
「でも、ようやくですね」
改まってそんな言葉を口にする遥ちゃんは本当に嬉しそうにはにかんでいた。照れくさくなって、鼻がむず痒くなる。
「……受け入れてくれるかな、彼方さん」
思いがけず、本音が零れた。弱い部分が出てきた。断れるわけがないという驕りを持ちながらも断られてしまったらという『もしも』を考えてしまう。
「弱気ですねぇ」
人生の一大事だから当然じゃないか。そんなことを考えていたが、それが顔に出ていたのか遥ちゃんは謝ってきた。
「……お姉ちゃんは嬉しいと思います」
多分ですけど、と遥ちゃんは予防線を張りつつも俺を勇気づけてくる。多分かあ……。
「きっと、おそらく、嬉しいと思います……よ?」
「余計に不安になることを言わないでくれ……」
「ふふっ、ごめんなさい」
遥ちゃんがあんまりにも可愛らしく笑うものだから怒る気なんてまったく湧き上がってこなかった。身体から力が抜ける。
目が遥ちゃんと合う。澄んだその瞳は真剣さを帯びていた。
「自信を持ってください。お姉ちゃんもきっと受けてくれると私は思います。だからちゃんとお姉ちゃんに伝えなきゃ、です!」
……しっかりと背中を押してくれた。ほんのちょっとだけ自信がついた、気がする。ちゃんと伝えなきゃいけないという気力は湧いてきた。
「ああ……ありがとう」
「……ダメだったら反省会、付き合いますから」
「……おい」
その言葉は言わなくてもいいだろ。くすくすと笑う遥ちゃんを半眼で見つめた。
まあ、遥ちゃんなりのジョークなんだろう。あとは予防線?
……なんにしても、彼方さんにちゃんとプロポーズしよう。想いを伝えよう。温くなったコーヒーを飲んで、決意を新たにした。
そのあと、少し遥ちゃんと話をして解散となった。『頑張ってください、お義兄ちゃん!』と去り際に遥ちゃんが背中を叩くように言ってくれて、彼方さんが待つ家への足取りが軽くなった。
--------
ただいまという言葉と共に玄関の扉を開ける。扉の音に気付いたのか、奥から彼方さんが玄関までやってきて、おかえり~と返してくれた。エプロンをつけている彼方さんはまるでお嫁さんみたいで毎度毎度感動してしまう。
ところで遥ちゃんから貰った気力も彼方さんを目の前にすると萎んでしまったような気がする。帰り道では大丈夫だったのに。心臓の鼓動が速くなった気がする。要するに緊張している。今このタイミングでするわけでもないのに。
「どうしたの?」
玄関で固まってると彼方さんが不思議そうにこちらを覗いていた。なんでもない、とポーカーフェイスを装って家へと上がる。ちゃんと装えているかは自分ではわからない。ポーカーフェイスだと信じたい。
スパイシーな匂いをなんとなく感じる。ちゃんと嗅ぎ取りたくて鼻を鳴らすと彼方さんが笑う。
「なんか犬みたいで可愛いなぁって」
犬みたいというのは自分でも思った。可愛いについては異議を唱えたいが。
「今日はカレーだよ~」
この匂いはだからか。納得しながらいい匂いを嗅いでるとなんとなくお腹が空き出した。お腹は鳴らなかったけど。
かといって夕飯には早い時間だ。現在は夕方4時を半分過ぎた頃だ。俺のお腹の気が早いんじゃない。彼方さんの手料理がどれもこれも絶品なのが悪いんだ。
ああ、でも本当に、お嫁さんみたいだ。彼方さんに続いて、家の中へと進んでいく。彼方さんの後ろ姿を見て改めて思う。プロポーズしようとしているからそう見えてしまうんだろうか。
「まだ料理中だからもうちょっと待ってて」
「いや俺もなにか手伝うよ」
「いいよいいよ~。あなたは座って待ってて~」
と断られてしまい、手持ち無沙汰になってしまった。食卓に座り、彼方さんを眺めてることしかやることがない。これはこれで楽しいけど。
彼方さんの後ろ姿をぼんやりとずっと眺める。どうやってプロポーズしようか、そんなことを考えながら。
綺麗な夜景をバックにするべきだろうか。それとも雰囲気のいいレストランか。どうすれば彼方さんが喜んでくれるのか、想像を巡らせた。
「……んふふ~」
考えることに夢中になりすぎて、いつの間にか彼方さんが目の前に座っていたことにも気付かなかった。ニコニコとした笑みを浮かべて、俺を見て楽しそうにしていた。
カレーはと聞くと、もうできたよ~と彼方さんは答えた。もうあとお皿に盛り合わせるぐらいなのだが、まだ夕飯の時間には少し早いのでそうはせず、キッチンから食卓まで来たみたいだ。で、俺がぼんやりしていたのを見つめて楽しんでいたと彼方さんは説明してくれた。
「それで、なに考えてたの?」
その言葉にどきりとしてしまう。なにか考えてるみたいだったからと彼方さんが言う。プロポーズのことだと悟られないように、動揺しないように理性を総動員した。
「なにも。ぼーっとしてた」
「そっか~」
納得してくれたのか、してくれていないのか、表情からはよくわからない。ただアメジスト色の瞳が優しく見えた。
「…………」
「…………」
会話はない。お互いに見つめ合うだけの時間。彼方さんの瞳に俺が映る。きっと俺の瞳にも彼女が映っている。
それでも彼方さんと通じ合えている気がするのは気のせいだろうか。思い上がりだろうか。単なる願望だろうか。
遥ちゃんの言葉がふいに蘇る。なにか彼方さんに言わなきゃいけない。唐突にそんな衝動に襲われた。口を開いたり閉じたりして、唾を飲み込んで、気を紛らわせようとした。それだけでは衝動が収まらない。喉が震える。
「彼方さん、結婚してください」
「………………え」
気が付いたら、その言葉を口にしていた。彼方さんはぽかんとしている。いきなりのことだから当然だ。こんな浪漫もないし脈略もないプロポーズなんて驚くに決まっている。
ただもう、発言は取り消せない。過去には戻れない。だけど冗談にしたくはない。茶化してしまうなんてできない。それはよくないことだと思った。
「結婚してください」
だからもう一度、言葉を繰り返す。ゆっくりと真剣に。彼方さんの瞳から目を逸らさないようにしながら。
返事はどうなるんだろう。こんないきなりで浪漫もムードもないようなシチュエーションでのプロポーズなんて断られても仕方がない。保留ならまだいい方かもしれない。自分でもそう思う。
「えぇぇぇぇぇ~…………」
彼方さんはいつもよりも大きな声が出て、瞳は大きく見開いていて、驚いていた。そりゃそうだと内心苦笑いしてしまう。ポケットに準備したあるものを取り出して彼方さんに見せるように差し出す。さらに彼方さんは動揺を見せた。
「……冗談? それとも夢? 白昼夢?」
「冗談じゃないです。夢でも白昼夢でもないです。本当のこと。結婚してほしいんだ」
わかりやすくおろおろする彼方さんに俺はまたプロポーズの言葉を伝えた。信じられないんなら何度だって伝える。恥ずかしさはあるけど、ここは恥ずかしく引く場面ではない。
「…………」
これ以上言葉を重ねるとくどくなってしまう。言葉の重みがなくなってしまう。俺は彼方さんの答えを待つことにした。
「…………ぅ~」
顔を赤くして彼方さんは唸った。その表情に動揺はあっても嫌悪感はない、と信じたい。
数十秒間ぐらい、俺にとっては何十時間ぐらいに思える、沈黙があってから。彼方さんは意を決したかのような顔をして、口を開いた。
「彼方ちゃんは――」
夢ではなくて、確かに現実として、その言葉は耳まで届いた。
お目汚し失礼いたしました。
ありがとうございました。
次回「また、明日。」は2月下旬予定です。よろしくお願いいたします。