「んふふ~、お茶どうぞー」
湯気の立つティーカップを彼方さんは俺の目の前に置いた。いい匂いだ。今日はジャスミンティーかな。
彼方さんとこうやってティータイムをするのは恒例のことになっていた。時間を決めていたわけではなかったが、時間がある時に彼方さんが言い出す。週に3、4回は開催されている。ちなみに今日は日曜日の午後。
彼方さんが楽しそうにテキパキと準備してくれているのを俺はただ見ているだけ。居心地の悪さを感じてしまうのは当然のことだった。だが俺が手伝うと言っても。
「旦那様は座って待っててね~」
決まってそんな言葉を返されて、俺に手伝いをさせてくれなかった。今日もそうだった。
手持ち無沙汰な俺は彼方さんをただぼんやりと見つめるだけ。そんな俺の視線に彼方さんはすぐに気付いて、くすぐったそうに笑っていた。
そうやって準備されたティーカップ。湯気は止まらず、まだまだあっつあっつで舌が焼けそうだった。匂いを楽しみながら、ちょうどいい温度に冷めてくれるのを待った。
突然、彼方さんがにやりと笑った。悪戯を思いついた子供のようだった。
「熱そうだねぇ。もしよかったら、ふーふーってしてあげようか?」
「それじゃあお願いするよ」
「りょーかい~。ふーふー」
彼方さんのじゃれつきに半分冗談めかして返すと、彼女は顔をニコニコさせてティーカップに顔を寄せて、嬉々として湯気を吹き飛ばしてお茶を冷まそうと息を吹きかけてきた。口をすぼめて何度も繰り返し息を吹きかける動作には色気があって、ついついじっと見つめてしまう。慣れているはずなんだけどなぁ。
「どうしたの~?」
「なんでもない」
「んふふー、えっちだねぇ」
「どこにえっちな要素があったの」
「ん~、わからないの~?」
さてはて。俺にはよくわからないな。わからないったらわからない。
あなたがそう言うならそうなんだろうね? と見透かしたように彼方さんが言うものだからなんだか負けた気分。
その後も何度か湯気と共に液体の熱を飛ばそうと彼方さんは息を吹きかけて、それから顔を離した。
「さ、どうぞ、飲んで飲んで~」
「それじゃあ……遠慮なく」
カップの縁に口をつけた。口に含んだ熱を帯びた液体が喉を通り、身体に染み込んでいく。彼方さんのふーふーに効果があったのか、ジャスミンティーは程よく冷めていて、それでも温かさは残っていて、ちょうど飲みやすい温度になっていた。身体が温まり、心がほぐれていった。
「どぉ? おいしい~?」
「ああ、美味い……」
「なんか言い方、おじいちゃんみたいだねえ」
俺の言葉があんまりにもしみじみとしていたせいか彼方さんがそう零した。だけど彼方さんの言い方もなんというか、おばあちゃんっぽい。年寄りみたいなのんびり具合だ。彼方さんの場合はこっちのほうがデフォルトだけど。
お茶を楽しみながら思い思いの時間を過ごす。二人でお喋りしたり寄り添ってぼんやりすることもあれば、それぞれ読書したりパソコンで仕事したりすることもある。その日によって変わってくるのだ。
彼方さんはA4ぐらいのサイズで雑誌ぐらいの厚みの、スクラップブックのようなものを1ページずつ眺めては捲っていっていく。彼方さんの眩しいものを見るような慈しむような眼差しをジャスミンティーを味わいながらなにをするわけでもなくぼんやりと見つめていた。彼女のその表情からなにを眺めているのか気になってきた。
「なに見てるの?」
「アルバム。あなた専用の」
「え」
なにそれ。初耳なんだが。
「あなたの寝顔とかスクラップしてるんだ~」
「恥ずかしいんだけど」
「え~、いいじゃん。可愛いよ~?」
くすくすと笑いながら彼方さんがそのアルバムを見せてくれた。どう見たって可愛くない。間抜け面の男がそこいるだけだ。耐えられない。
「こうやって記録に残して置くのはいいことだと思うんだ~。あとから振り返って思い返せるし~」
確かに彼方さんのいうことにも一理ある。ただ被害者が俺だけなのはいかがなものか。それなら。
「彼方さんのも撮ろうよ。彼方さんの寝顔コレクションもちゃんと残して置くべきでしょ」
「んー……それはちょっと恥ずかしいかな~って……」
頬をかきながら彼方さんは顔を赤らめ、拒否した。俺だって悶絶して叫びたいぐらいに恥ずかしいなのに不公平だろう、これは。
「じゅ、需要が……」
「あるよ。俺には、ある」
なんなら遥ちゃんにも需要があるだろう。少なくとも俺の寝顔コレクションよりかはある。自分で言うと微妙な感じがするが。
「だ、断言するねえ」
カップの取っ手を軽く弄んだあと、彼方さんはカップを持ってその縁に口をつけてジャスミンティーを飲む。こくっと喉を鳴らし、口からカップを離して、そして息を長く吐いた。
「……しょーがないなぁ」
撮ってもいいけど誰にも見せちゃダメだからね、と念押しされたが彼方さんからのお許しが出た。ダメ元で言ってみてよかった。永久保存確定だ。シャッターチャンスが待ち遠しくなる。
彼方さんはこれまで溜めに溜めたコレクションの質量を確かめるようにスクラップブックをペラペラと捲った。
「改めて見ると、あなたとの思い出がもうこんなにも積み重なっているんだねぇ。こうやってスクラップすると一目でわかるや」
「その思い出、寝顔ばっかりなんだけど」
「あはは~、そうだけどね。寝顔だって思い出だよ~」
こんなにも彼方さんとの時間を過ごして、彼方さんと寄り添って、彼方さんと心を通わせて。彼方さんと出会ってからの密度がそこにはあった。寝顔が記録されるのは恥ずかしくて堪らないが、思い出が積み重なっていくことは嬉しいと思った。
「それじゃあ、俺も彼方さん寝顔コレクションたくさん積み重ねていくよ」
「う~……そんな宣言されちゃうと彼方ちゃん困っちゃうな~」
俺の方が最初に恥ずかしくて困った思いをしたんだけどね。彼方さんにも同じ思いを是非とも体験してほしい。
「も~……」
恥ずかしそうにしながら彼方さんは仕方ないなと言いたげな表情を浮かべていた。
写真と言えば、二人で一緒に写ってる写真も増やしていきたい。現状少なくないけど、たくさんあっても困らないはずだ。
それでいつか振り返った時に思い出を話し合えたら、それはとても。
「二人で一緒に撮った写真ももっと増やそうよ」
思い出は積み重なっていく。それが幸せなものばかりとは限らないけども。だとしても楽しい思い出を積み重ねていきたい。彼方さんと一緒に。いつかの終わりまで。そんな想いを込めて言葉にした。
「だねえ」
短い言葉で彼方さんは俺の考えに頷いた。それだけで十分だった。彼方さんの瞳から言葉以上の思いが伝わってきたから。
ほっとして、そこで一回、またカップに口をつける。まだ保たれていた陽だまりのような液温に心がふやけた。休日の午後は間延びしていて、時間の流れもどこかゆっくりだった。まるで心地の良い夢をみているようだ。現実感がない。
「ふぁ……」
思わず欠伸が零れてしまった。この空気がそうさせたんだ。
「眠たいの?」
「そういうわけじゃないけど」
「寝たいなら寝てもいいんだよ~?」
「寝ないって」
「お昼寝って気持ちいいよ~」
お昼寝が気持ちいいのは確かだけど。彼方さんのお昼寝猛プッシュはなにゆえ……。
「久しぶりにあなたを膝枕したいんだ~。膝枕したいなぁ。させてよ~」
そういえば最近してもらってなかった。というかなんで彼方さんは膝枕したいんだろうか?
「彼方ちゃんのお膝で眠ってるあなたの無防備な顔が見たいんだよ~。一番近くで見れちゃう特等席だからねえ」
悪戯っぽく無邪気に言う彼方さんに俺は断れることができない。彼方さんの言う事に俺は逆らえない。ある種、彼方さんに調教されているのだ、俺は。
「だから、ね~。いいでしょ~? お膝にごろんって寝転んじゃおうよ」
正座をして、その太ももをポンポンと叩きながら彼方さんは優しい声で誘ってくる。つい委ねたくなる、ふかふかの布団みたいな声だと思った。
でも今寝ると夜寝れなくなってしまう。今日は日曜日の午後。それで明日は平日。明日の昼間はうとうとしてしまうかもしれない。
「大丈夫~。夜も彼方ちゃんが寝かしつけちゃうから」
どんな寝かしつけ方をされるのか。なんて少し不安に思ったが彼方さんの太ももは確かに最高級の枕に匹敵する柔らかさだし、案外あっさりと夢の中へと旅立てるのかもしれない。膝枕じゃなくても、彼方さんを抱き枕にしてもきっとよく眠れる。
それはそうと。彼方さんが俺を膝枕したい理由は……。
「寝顔コレクション増やすつもりはない、と?」
きっとこれ。寝顔の盗撮する気だろう。確信を持って言える。
「それは~……えっと……そのー……えへへ~?」
笑って誤魔化された。増やすつもり満々じゃないか。可愛いなあ畜生。
「だってだって~、増やしたいんだから仕方ないよねえ」
自分のことを正当化する彼方さん。だが彼方さんのその表情に俺も仕方ないと思えてきた。恐ろしい……。
「ほれほれ~、彼方ちゃんのお膝においでおいで~」
その手招きに抗えずに、彼方さんの太ももに吸い込まれるように頭を乗せた。ふにふにとした柔らかさを持つ太ももに頭が沈み込んで、そのまま意識さえ持っていかれそうになる。なんとか堪えたが、またしても欠伸が零れた。
「ふふふ~、気持ちよさそうだね~」
「ああ、すっげー気持ちいい……」
「顔、すごくだらしないよ~」
彼方さんは本当に嬉しそうに、そう教えてくれた。
「重くない?」
「ちょうどいい重さだよ~。それよりも早く目、閉じて」
ちょうどいい重さなんて、さすがにそんなことはないと思うが。彼方さんがそういうならいいか。
目を閉じる。視覚情報がなくなる。他から感じられる情報に敏感になる。彼方さんの身体の柔らかさとか彼女の溶けそうな声とかジャスミンティーの匂いとか。
「寝顔はやっぱり取るの?」
「当然だぞ~。これも思い出だよ」
「思い出かなぁ……」
まあ、これも思い出か。そう思い直した。
続く日々の中で、きっとまた。ジャスミンティーの香りを嗅げば、今日のことを思い出す。何気ない一日のことを。
お目汚し失礼いたしました。
ここまで読んで頂いて本当にありがとうございました。
感謝の言葉しかありません。改めてお礼申し上げます。