夢うつつ   作:pathfinder

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虹の根元

 

しとしとと雨が降り続いていた。連日の雨。降り止む気配はない。

今日も彼方さんの家に泊まっていた。高揚感が俺を支配していた。恋人の家に泊まるのだから当然だろう。もう何度も泊まっているが。

 

「……眠れない」

 

おかげさまで全然眠れなかった。現在午後10時。眠気は訪れそうになかった。

 

「彼方ちゃんも~……」

 

隣に座る、パジャマを着た彼方さんがいつもなら想像できない台詞を言っていた。まあ、お昼からついさっきまで二人で長すぎるお昼寝をしていたからというのもあるんだろうけど。

 

「寝るまでお話、しよっか~」

 

「うん」

 

俺は彼方さんのそんな提案に乗ることにした。

彼方さんの部屋。床に並べた座布団の上。彼方さんと俺はただ寄り添っていた。

本当に珍しいことだと思った。あれだけ寝てれば、というのは彼方さんには関係がないと思っていた。

 

「う~ん、今日が特別なんだと思うなぁ」

 

それに対して彼方さんはそんな言葉を漏らした。

 

「どういうこと?」

 

「あなたと二人っきりだから~」

 

そうだった。今、近江家には彼方さんと俺だけだった。二人っきりだ。遥ちゃんはスクールアイドルの合宿をしていて、二人の母親は仕事らしい。

 

「お風呂、一緒に入りたかったな~」

 

だというのにあやまちを犯したくなるようなことを彼方さんは言い出した。ちょっとドキッとする。心臓に悪い。

 

「我慢できなくなりそうなんで」

 

「我慢しなくていいのに……」

 

さらにくらっとクる言葉が飛び出てきた。やめて。

 

「襲わないなら~……彼方ちゃんが襲っちゃうぞー怪獣彼方ちゃんだーがおがお」

 

迫力はない。ただただ可愛いだけだった。パジャマ姿だから余計に。

ただ言葉とは正反対に、そういう行為をする気配はない。彼方さんは俺の肩に顔をもたれさせて寄りかかってきて、それだけ。

 

「重い?」

 

「重くない」

 

「よかった~」

 

子供みたいなじゃれ合い。ぬるい空気が揺蕩う。

会話の内容だって中身がないようなものばかり。そんな会話を交わし合って、俺たちは睡魔が訪れるのを待っていた。

 

「パジャマ似合ってる。かわいい」

 

「えへへ~、そーかなぁ。嬉しい」

 

パジャマを着た彼方さんは可愛いかった。いつも可愛いけど。俺の褒め言葉に照れっぽくはにかんだ。

 

「ずっと見ていたい~?」

 

「見てたい」

 

「んふふー」

 

問答に満足したのか、彼方さんはご機嫌そうに笑い声を零す。

 

「彼方ちゃんを喜ばせるようなことばっか言って、嬉しいけど照れちゃうよ~」

 

その言葉は冗談ではなく、彼方さんの頬は薄っすらと朱に染まっていた。

 

「思ってることを言っただけだけど。言わないほうがよかった?」

 

「むぅー……それは、言ってほしいけど~」

 

彼方さんは拗ねたように赤い頬を膨らませた。リスみたいだ。

 

「……いじわるぅ」

 

肩にもたれていた頭を起こし、彼方さんは俺の鎖骨の辺りをぐりぐりと責め始める。地味に痛い。

 

「痛いんだけど」

 

「いじわるした仕返しだぁー」

 

そう言ってさらに強く頭を押し付ける。余計に痛くなる。

 

「ちょっ」

 

「えいえいえーい」

 

彼方さんは頭をぐりぐりと動かすのを止めない。俺の鎖骨は攻め続けれられていた。ちょっと痛いけど、彼方さんが楽しそうにしているので止めようとはしなかった。

 

「あー楽し~」

 

しばらく続けて鎖骨ぐりぐりに満足したのか、そう言って彼方さんは責めるのを止めて胸に寝転がった。ぽすっと、心地の良い重みを感じる。

 

「あなたとこうやってだらだらしてるの好きー」

 

間延びした声が胸元から響く。その声と重みに安心感を抱く。

 

「俺も好きー」

 

その言葉はすらっと出てきた。意識したわけじゃなかった。発音まで彼方さんみたいになった。

 

「一緒だぁ」

 

彼方さんはニコニコと微笑んだ。俺もきっと気持ち悪いぐらいにやけている。

会話と会話の合間。その隙間にできた声のない瞬間。外の雨音が響く。

止まない雨。いつまで続くんだろう。

 

「雨、やまないねえ」

 

彼方さんも同じように耳を傾けて、同じことを感じていた。

 

「天気予報では朝には止むみたい。確か天気予報でそんなこと言ってた」

 

そうは言ったが俺自身雨が止むとはあまり思ってなかった。今日の空の雲はそれぐらい厚かった。明日になってその灰色がなくなるなんて思えなかった。

 

「じゃあじゃあ、もしかしたら虹が見えるかも~」

 

「だったらいいなぁ……」

 

虹が出てきたらいい。それを二人で見れたらどれだけ最高か。夢みたいな、ささやかな願望を抱いた。

 

「きっと見れるよ~」

 

彼方さんの言葉があんまりにも自信満々だったから俺までそう思ってしまいそうになる。でもきっとこれ、根拠はないなと勝手に思った。

 

「なんでさ」

 

「んー……なんとなく~?」

 

尋ねたらやっぱりそんな答えが返ってきた。ですよね。

 

「彼方ちゃんの未来予知~……なんちゃって」

 

「当たるのを期待してるよ」

 

「あ~! ……信じてないなぁ~?」

 

わかりやすい俺の発言に彼方さんは少し不満そうにした。むぅと唸って、彼女はわかりやすいむくれ顔を見せる。可愛いと思った。

 

「そりゃまあ」

 

見れたらいいなとは思うけどさ。

 

「むむむぅ」

 

ちょっと威嚇するような唸りをまた見せる彼方さん。

 

「夢の中なら見れるんじゃない」

 

俺はそんな彼方さんを宥めるためにそう口にした。夢の中なら、そんな都合のいいことだってきっと起こりうるだろう。少なくとも現実よりも可能性はある、多分。いやどっこいどっこいか。

 

「二人とも同じ夢見れるかなぁ」

 

彼方さんは心配そうに言う。

 

「こうやってくっついて寝てれば、見れるかも」

 

俺も根拠のないことを口にした。これは願望だ。

 

「なら今日は一緒に寝よ~」

 

正確に言うと『今日も』だ。毎日ではないけど。

 

「ああ、うん」

 

彼方さんと一緒に寝たい気持ちが俺にはあったからその言葉に首を縦に振った。

 

「ぎゅーって抱きしめて、あなたを抱き枕にしちゃうぞー」

 

「来いよ」

 

「とりゃー」

 

ウェルカムしたら彼方さんは身体をその場で一回転させ、正面から覆いかぶさり体重をかけてきた。負担はさっきよりも大きい。というのも彼方さんが抱きついてぎゅうぎゅう締めてくるからだ。

 

「ぎゅぅ」

 

と擬音を口にしながら、抱きしめる力は緩めずさらに強くしてきた。さらに密着する。パジャマだから彼方さんの身体の感触がはっきりとわかる。心臓が跳ねる。

 

「ふふー、ドキドキしてる~」

 

「彼方さんだって」

 

お互いにお互いの心臓の鼓動がわかる。ドキドキしていることがお互いにわかる。なんかちょっと恥ずかしい。

 

「でもこれ、安心する」

 

「あ、それ彼方ちゃんもわかる~」

 

だけどそのドキドキと同じぐらいに安心感を得ていた。彼方さんも同じみたいだ。

 

「あなたを直に感じられて、包まれているみたい~」

 

蕩けた声が耳元で聞こえる。囁くような小さながくすぐったい。

 

「……囁かれるの、好き?」

 

「……彼方さんはどうですか?」

 

俺も同じように耳元で囁く。抱きしめ合ってるから顔は見えないが、同じような顔をしてるだろうなと思った。

 

「ひみつー」

 

「じゃあ、俺も」

 

「ずるーい」

 

「彼方さんだって」

 

どうでもいい問答をしているな、と俺は自分で思った。意味のない言葉のやり取りだと彼方さんもわかっているだろう。その言葉の交わし合いが愛おしく思える。もっと話がしたくなる。

だけどそれは長く続かないだろうとも思った。だってこうして抱き合っていたら安心して眠くなってしまう。

 

「眠くなってきてるねぇ」

 

「彼方さんだって」

 

お互いにお互いに体重を徐々に預けてしまう。少女の重みが当然ながら重くて少し煩わしくて、心地よく思えた。

 

「おも~い……」

 

「それはお互い様だって」

 

「彼方ちゃんは重くないよ~?」

 

「嘘つくな」

 

「ほんとだもーん。彼方ちゃん、枕みたいに軽いもーん」

 

「あはは」

 

「いい加減彼方ちゃん怒るぞぅ」

 

と言いつつ、彼方さんは俺を突き飛ばそうとかそういうことをしてこなかった。どころか力を抜いてより身体を預けてきた。暖かくて柔らかくて、こっちの力も抜けてしまった。

 

「いい枕だね~、これ」

 

「俺は枕じゃない」

 

「仕返しー」

 

さっきのあれを根に持っているみたいだ。いや人間なんだから決して軽いわけはない。軽い方だと個人的には思うけど。

 

「女の子に対する態度が問題なんだぞー」

 

「許してよ」

 

「えー、どうしよっかなぁ……」

 

微睡むかのように考え込む。いや半分寝ているのかもしれない。

 

「じゃ~あ……ずっと一緒にいてね」

 

夢見心地で呟かれたその言葉。耳朶をくすぐらせ、夢うつつな意識に温かさをじんわりと染み込ませた。

 

「それで……いつかでいいから、一緒に虹、見ようね~?」

 

俺はその言葉になんて返したのだろう。微睡みに包まれて、もうなんて返したか、果てして言葉を伝えられたのかすらわからない。

夢の中に誘われていく。その中で彼方さんも自分と同じ状態であることがぼんやりとわかった。彼方さんが先か。それとも自分が先か。それすらもあやふや。

その夢の中で、さっき話したように虹が見れるといい。二人で同じ夢が見れればいい、そう思った。

一緒に虹を見に行こう。そんな微かな願望を意識が消える、その時まで抱き続けていた。

 




お目汚し失礼致しました。
ありがとうございました。

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