陽が落ちても、汗が出てくるような暑さだ。額の汗を拭い、思った。
時刻は20時すぎ。多少はマシになったとはいえ、暑苦しい。
冷房や扇風機が恋しい。せめてぬるい風でもいい。外に風はなく、空気中の熱は停滞していて、身体が溶けてしまいそうだった。
「お待たせ~」
特徴的な靴音とともに彼方さんはやって来た。慌てて来たのか、息を少し切らして。
「言うほど待ってないよ」
「そぉー? でもあなた、すごい汗かいてるけど~?」
「そりゃ暑いから。そう言う彼方さんも汗、かいてる」
「……あんまり見ないでねぇ。彼方ちゃん、はずかしぃ……」
つうっと。彼方さんの額から首筋を通って、汗は彼女の服の中へと吸いこまれていった。
見ないで、と彼方さんは言ったが。
「ごくり……っ」
色っぽくて思わず息を飲んでしまった。彼方さんにも聞こえるぐらいの音だ。薄暗い闇でもわかるぐらい、彼女の頬が赤色に染まった。
「も、も~……えっち~」
「……ごめん」
恥ずかしそうな彼方さんに俺は謝るしかできなかった。いやうん、これは俺が悪い。ごめんなさい。
「……あっついねぇ」
「あっついなぁ……」
二人して手を仰いで、自分たちの体温をなんとか下げようとしていた。傍から見たらきっと滑稽な光景なんだろうな、これ。
……そんなことよりも。彼方さんにまず言わなきゃならない言葉があった。
「……綺麗です、彼方さん……その浴衣」
恥ずかしいがその言葉を口にした。するとすぐに彼方さんは綻んだ表情を見せてくれた。その顔が見たかった。
白と基調とした、菫色の花があしらわれた浴衣。赤紫の帯が映えて見えた。彼方さんの足元には眩しい素足と下駄。
「えへへ~、似合う? 似合う~?」
「すっごく似合ってる」
その言葉でさらに嬉しそうに顔を蕩けさせた。こっちまでにやけてしまいそう……もうすでににやけてる。暑いなぁ。夏だからかな。
「……そろそろ、しよっか~」
二人でひとしきり恥ずかしがって、最初に声を上げたのは彼方さんの方だった。まだ少しだけ顔が赤いように見える。
「ああ、うん」
頷く。そのためにここに来たんだから。人気のほとんどない夜の公園に。
鞄からあるものを取り出す。ここに来る前にコンビニで買ったもの。
「おお~、これは迷っちゃうなぁ」
俺の手に持ったものを見て、嬉しそうに彼方さんは言った。
取り出したのは手持ち花火。今日は彼方さんと二人で手持ち花火をしようと約束していたのだ。
手持ち花火をするための準備をする。消火するための水を用意したり、火をつける道具やゴミ袋の準備……などなど、いちおう火を取り扱うのでそこら辺はしっかりと。
「まずはどれからする?」
「うーんとね~……じゃあ、これ~」
いくつか用意した手持ち花火から彼方さんは一つ選び取った。ススキ花火と呼ばれるものだ。俺もそれに倣い、同じものを取り出す。
まずは彼方さんのから火をつける。勢いよく火花が飛び散る。火花は薄の穂のように長い尾を描く。
「うおお~……すごーい、綺麗~」
俺も自分のに慎重に火をつける。鮮やかな火花が彼方さんのものと同じように長い尾を描くように飛び散る。
「これは確かにすごいな……」
楽しそうに火花を見つめる彼方さん。俺もその鮮やかさに目を奪われる。
「あっ、色が変わったぁ」
彼方さんの驚きの声。白の火花を上げていた彼方さんの花火が赤の火花に色合いを変える。俺のも黄色から青色へと火花の色が変化する。
「振り回しちゃダメだよ~?」
何を思ったのか、そんな風に彼方さんは俺を嗜めた。
「俺、振り回しそうに見えた?」
「だって男の子って、そういうの好きそうだし~」
「しないよ、俺はそんなこと」
「えぇー、本当かなぁ?」
「信じられていないし」
心外だ。
「だってあなた、ちょっと子供っぽいところあるから~」
「それは彼方さんも」
「そんなことないも~ん」
そんなくだらない言い合いをしている間に花火はいつの間にか消えていった。
「あ」
「あ」
彼方さんも俺も、揃いに揃って間抜けた声を上げた。俺たちは何をやってるんだ……。
二人して顔を見合わせて笑った。笑うしかないなこれ。
「まあ、まだまだ花火はあるし」
「だね~」
新しい花火を取り出す。今度こそはちゃんと花火を楽しまないとな。
彼方さんにも新しい花火を渡して、順番に火をつけた。鮮やかな火花を散らす。
「……この間の花火大会、行けなかったねー」
その様子を見ながら、彼方さんはポツリとそんな言葉を発した。
彼方さんが言う花火大会とはつい最近この近辺で開かれてた打ち上げ花火大会のことだろう。
「お互いに用事があったし、仕方ないって」
彼方さんはスクールアイドル同好会の、俺は親戚の。二人とも外すことのできない大切な用事があったから、そこは仕方がない。
「そうだけど~……やっぱり二人で見たかったなぁ……」
「確かに。見たかったなぁ」
残念そうに言う彼方さんに心底同意する。浴衣の彼方さんと打ち上げ花火を見られたら、妄想しただけで楽しそうだ。
でも~、と彼方さんさんは口を開く。
「こうやって二人っきりで花火できるから、こういうのもありだねぇ」
その刹那的な閃光が彼方さんの瞳に映る。その光は彼女の横顔も照らす。花火に負けないぐらい、綺麗だと思った。
「あなたもー……二人っきりで嬉しいでしょ~?」
揶揄うかのように彼方さんは悪戯っぽく囁いた。
「嬉しいよそりゃ」
「えへへ~、彼方ちゃんと一緒だぁ」
へにゃりと、本当に嬉しいそうに彼方さんははにかむ。彼女のその柔らかな表情が胸を締め付ける。
ススキ花火は二つともまたしても徐々に勢いをなくして、やがてはその輝きはふっと消える。夜に咲いた花のように。花火が消えるとどうしても感傷的な気持ちになるのは俺だけだろうか。
そんな気持ちをかき消すように次の花火を取り出そうとしていると、
「ねえねえ、線香花火ないの~」
そう言って彼方さんはこちらを覗き込んできた。薄暗闇の中、目が合う。
「もちろんあるよ」
「じゃあ~、ちょーだい」
「はいはい」
彼方さんのおねだりに俺は少しだけ笑って、線香花火を彼女に渡した。
しゃがんだ彼方さんが持つ花火に火を灯す。ぱちぱちと音を立てて、爆ぜる。火花を散らす。
「手持ち花火と言えばやっぱりこれだよね~」
うんうんと頷く彼方さん。
派手さはない。だけどその小さな火は幻想的で、目を閉じるのも息を呑むのも惜しくなる。その光に照らされる彼方さんと共に、瞳の奥に焼き付けておきたいと思った。
「綺麗だ……」
思わず声が漏れた。馬鹿みたいな感想だがそれ以外思いつかなかった。
「そうだねえ」
彼方さんの言葉を聞きながら思う。夢みたいなこの光景を忘れてしまいたくなかった。できるなら、ずっと見ていたいと。この夜が、この夏が、終わって欲しくないと。
「彼方ちゃん、ずっと見ていたいな~」
ああ、同じことを考えていたんだな。嬉しくなる。
だけどそういうわけにはいかない。線香花火もやがて消える。小さくなる火花を見て、もうそろそろかと思う。
「あー……彼方ちゃんの消えちゃった……」
彼方さんのから先に消えた。寂しげな声音。
それから数秒後、俺のもあっけなく消えた。まだ見ていたかった。花火が消えるたびにそう思った。
また、視線がぶつかる。彼方さんは一転、ニヤリとしていた。何かを企んでいるのかのよう。
「ねぇねぇ、もう一回線香花火しよ~」
「いいけど、なんで?」
「どっちが先に消えるか、競争しようぜ~」
そういうことか。俺は彼方さんのおふざけに乗ることにした。
「よしきた。負けたら罰ゲームな」
「罰ゲーム?」
彼方さんは不思議そうに聞き返してきた。
「勝った方の言うことを聞く……どうだ?」
「お~、彼方ちゃんやる気出てきた」
俺の言葉に生き生きとし出した彼方さん。果たしてどんな罰ゲームを彼女は考えるのか。
公正にするために二人同時に花火をつけることになった。幸い、花火に着火するための道具は予備を持ってきてあった。
お互いに『せーの』で火をつける。ささやかな、それでも鮮やかな光がまた瞼に映る。
「彼方ちゃんの罰ゲーム、聞きたくない?」
「聞きたいけど……こういうのって先に言うものか?」
「だって彼方ちゃんが伝えたいから~」
まあ、俺も聞きたいからいいけど。そのまま彼方さんに続きを促す。
「彼方ちゃんの罰ゲームはね~」
ニコニコしながら話し始める彼方さん。薄明かりに照らされる彼女の表情は伝えたくて仕方ない、我慢できないというのが手に取るようにわかる。
「来年もー、こうやって一緒に花火することと」
『と』? これで終わりじゃないのか。まだ続きがあるっぽい。
「それで、打ち上げ花火も一緒に見に行くこと~」
そうか、そういう手があったか。
しかし彼方さんも欲張りだ。罰ゲーム一つだけじゃなくなってる。二つに増えてる。いやそもそも。
「それ、罰ゲームにならないよ」
「ふっふっふ~、そっかぁ」
満足そうな微笑み。俺の言いたいことがわかってると言わんばかりの反応だった。
「でもさ、今から? 気が早くない?」
「早くないよー。そうすれば確実でしょ~」
「確かに」
「だから~……来年のあなたの予定を今のうちから予約しちゃいまーす」
また、来年。どうしようもなく心が躍ってしまう。もう来年が待ち遠しくなる、そんな罰ゲームだと思う。もうこれ、罰ゲームじゃないなぁ。
「あなたの罰ゲームは~? 彼方ちゃんに聞かせてー」
彼方さんは楽しそうにそう催促して俺の言葉を待った。悩む必要はなかった。俺の、彼方さんへの罰ゲームはもう決まっている。
「俺の罰ゲームは――」
言葉が音になる。彼方さんは大きく目を見開いた。
そして、火花が小さくなり火種が落ちる。ほぼ同時の勝負。
暗闇の中、彼方さんは照れくさそうに微笑んで、こくりと頷いた。来年の予定は決まった。楽しみがまた増えた。
お目汚し失礼致しました。
ありがとうございました。