夢うつつ   作:pathfinder

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遅くなりましたが、一昨日11月11日は近江遥ちゃんのお誕生日。
そして、今日11月13日は天王寺璃奈ちゃんのお誕生日。

二人とも誕生日おめでとう!!
(本編内容とは一切関係ありません)



ミラージュ

 

「先輩、こっちです」

 

沈んでいく橙の太陽が少女を鮮烈に照らしている。俺が彼女を見つけたとき、自分の場所を知らせるために手を大きく振っていた。駆け足で彼女のもとへ向かう。

 

「……ごめん、待たせた」

 

「いえ、そんな。全然待ってませんから」

 

彼女――桜坂しずくさんは俺の謝罪に少し焦った口調になった。こっちのほうが年上だし、まだまだ親しい訳じゃない。なので遠慮があるのだろう。

 

「それよりもごめんなさい。急に呼び出してしまって」

 

「いいよ別に。まあ仕方ないよ」

 

俺も彼女も同じ方へ視線を向ける。ベンチに腰をかけた彼女の、その太ももの上で。彼方さんは眠っていた。

 

「すやぁ……」

 

とても気持ちよさそうで、起こすのも躊躇ってしまうぐらい。というか。

 

「桜坂さん、起こそうとしたんだよね?」

 

「はい。声をかけたり何度も揺すってみたりしたんですけど」

 

「でも起きなかったと」

 

「はい……。この通り、起きてくれないんです」

 

ぐっすり眠る彼方さんを見て、それから桜坂さんと目が合って、二人して苦笑した。

 

「本当なら起きるのを待っていていたいんですけど」

 

「用事があるんだよね?」

 

確か、彼女から届いたメッセージにはそう書いてあったはずだ。届いたのはほんの数十分前。

放課後に桜坂さんと彼方さんが二人で遊んでいた。その途中二人で座ったベンチで彼方さんが眠り始めたが、しばらく経ってもそのまま気持ちよく眠っていた。桜坂さんにはこの後家族と用事があり、帰る時間が迫っていたがなかなか彼方さんが起きてくれなかった。そんな内容がメッセージで送られてきた。

すやすや彼方さんを桜坂さんの膝枕からゆっくりと慎重に移動させ、背中におぶる。流石に俺の身体にも負荷がかかる。

 

「その……ごめんなさい。彼方さんのこと任せちゃって」

 

「いいよいいよ。家族の用事なら仕方がないよ。彼方さんのことは任せて」

 

「よろしくお願いしますね、先輩」

 

最後まで申し訳なさそうにして桜坂さんは去っていった。……と思ったら戻ってきた。なぜ?

 

「寝てるからって、イタズラしちゃダメですからね?」

 

うるさいやいと、その囁きに返してやろうと思った。だけどその時にはもう離れて距離が開いていた。やられた。

そのまま離れていくのかと思ったら、彼女は一回こっちを振り返って手を降ってきた。軽く笑いながら俺はそれに降り返して、彼方さんの家へと足を向けた。

ところでどうして桜坂さんは俺のことを「先輩」と呼ぶのだろうか? 聞いてみても「先輩だからですよ」としか答えてくれないし。確かに年上ではあるのだが、学校は違う。謎だ……。

夕暮れを歩く。どうしても歩く速さはスローなものになる。背負っている状態の動きづらさももちろんあるけど。それ以上に、背中に感じる重さと柔らかさは大事なものだから宝石を扱うようになってしまう。

 

「すやー……むにゃ……すぴー……」

 

彼方さんの呼吸の音が耳元で響く。一定のリズムで繰り返されていた。乱れのない、安らかな寝息。どんな夢かはわからないが、悪夢ではなさそうだ。

世界は夕焼けによって黄金に染められている。その光景は黙って歩いているのと相まってセンチメンタルな気分にさせられた。感傷的になって思考がマイナスへと向かってしまう。

思考の対象は今日学校で配られた進路希望調査のプリントだった。なにを書けばいいのかわからないでいた。将来に対するぼんやりとした不安が気を重くさせる。今が幸せだから余計に。この幸せがなくなってしまうんじゃないかと、つい考えてしまう。

なにを怖がっているんだ。まだ不確かなことじゃないか。そう鼓舞しても不安は消えてくれない。

――そこで脈絡もなく、頬になにかが触れる。

 

「暗い顔して、どうしたの~」

 

のんびりとしたその声が聞こえてきたのと同時に今頬に触れているものが同じく頬だとわかる。自分のものと違ってもっと柔らかくてもちもちしていて、触れていて気持ちいい頬だ。

 

「……彼方さん?」

 

その頬の持ち主は一人しかいないだろう。近江彼方さんだけだ。

 

「ふっふっふ~、だいせいかーい。今頬をくっつけてるのはあなたが大好きな彼方ちゃんだよ~」

 

大正解て。一体いつからクイズになったんだ。

 

「この状況だったら考えられるのは彼方さんしかいないでしょ」

 

「むーぅ、もっと驚いてほしかったのに」

 

横目でちらっと見える、拗ねて悔しがる彼方さんが微笑ましい。くすりと声が漏れそうになった。

 

「まだ寝ててもいいのに」

 

「だって、気付いたらおんぶされてるんだよ~? 折角だし堪能したかったの~」

 

いかにも堪能してますよーと言いたげに、彼女は頬に頬擦りをしてくる。

 

「えへへ~、マーキング~」

 

ご満悦そうな声だ。こっちはくすぐったいし、その上歩きづらいよ。

 

「マーキングて。なんで。なぜにマーキング?」

 

「それは~……この特等席は彼方ちゃん専用だってアピールするため~」

 

そう言ってぎゅっと身体を寄せてくる。柔らかな彼方さんの身体で背中が幸せになる。

そんな意図があったんかい。というか誰に対してのアピールなんだ。

 

「こんなところを好き好むのは彼方さんぐらいだよ」

 

「え~……ほんとぉ?」

 

なぜに嬉しそう? 声だけでわかる。絶対ニコニコしてる。満面の笑みだよこれ。

 

「やったぁ、彼方ちゃん専用~」

 

弾んだ声。その嬉しさを表現するかのようにぎゅうぎゅうとさらに強く抱き着いてくる。

 

「あんまり暴れないで」

 

「え~……なんで? 彼方ちゃんとくっつけてあなたも嬉しいでしょー?」

 

「嬉しいんだけどさぁ」

 

彼方さんを落としそうになるから困る。あんだけくっつかれると力が抜けそうになる。

 

「それでそれで……暗い顔してたけど、どうしたの~?」

 

話が戻ってきた。寝起きの彼方さんが最初に言ったのが俺の表情のことだった。話が脱線した。

 

「なにかあったわけじゃないんだけど……将来のことをちょっと」

 

「おっとぉ、それは彼方ちゃんへのプロポーズか~?」

 

それはまだ早すぎだ。

 

「じゃなくて進路のこと」

 

進路希望調査の紙が配られて、なんと書いたものか迷っていた。こんなもの適当に書けばいいものの、ふと未来のことを考えさせられてしまう。5年後、10年後の自分は一体どこでなにをしているのだろうか、と不安になってしまった。そのことをぽつりぽつりと漏らした。

彼方さんは俺の話を黙って聞いてくれた。時折頷いてくれる声がして、彼女が居眠りせずにちゃんと聞いていてくれるのがわかる。

 

「そっかー」

 

まだ実体のない、ぼんやりとした悩みをその言葉で飲み込んで受け止めてくれた。俺は勝手に思った。笑わないで聞いてくれた。

 

「その気持ちわかるよ~。不安になるよね? 未来のことってわからないことってわからないことだらけだから」

 

腕に回された彼方さんの腕が優しく覆ってくれて慈しんでくれているように思えた。大丈夫だよってことを教えてくれていた。

 

「でもね、確かな事だってあるって彼方ちゃん思うんだ~」

 

続けて発せられた彼方さんの言葉が妙に力強く感じた。いつもと変わらないはずなのに。

 

「それはねー……ずっと一緒だってこと~」

 

「ずっと一緒?」

 

「そだよ~、あなたと彼方ちゃんはずっと一緒。これはもう決定事項だぜー」

 

おどけた口調。その響きには優しさが入り混じっていて、鼓膜を通して心にすっと染み込んで溶ける。剥離することなく、驚くほど良く馴染んだ。

彼方さんのその言葉を心に刻んでおきたくなった。いつでも脳内再生できるように脳みそに叩き込む。遠い未来でも覚えていれる様に。

 

「未来は不安なことよりも楽しいことばっかだぞー。だから大丈夫」

 

「そっか……うん」

 

見えないからこそわかることがある。回された腕に少し走った緊張。間延びした声に含まれる感情。触れた身体の感触と聴覚はより深くその言葉の意味を教えてくれた。

 

「じゃあ、こうやって彼方さんをおぶるのもきっとずっと変わらないなぁ」

 

「ふっふっふ~、末永くよろしくねぇ」

 

「へーい、こちらこそ」

 

約束と呼ぶには大げさな、ちっぽけで蜃気楼みたいな未来の展望を彼方さんと俺は交わした。本当に履行されるかどうかもわからない。そうなればいいと思う。

思えば、俺の不安も蜃気楼みたいなものだ。実体なんてない。保証なんてどこにもない。彼方さんと交わした契りとそう大して変わらない。楽しいことだって、そう。

 

「……進路調査用紙にはなんて書こうかな」

 

「彼方ちゃんのお婿さん~」

 

「それは駄目だろ」

 

学校に提出するものですよ? それを書いたら職員室に呼び出されるだろう。

 

「えへへ、ダメ~?」

 

「駄目。そんな甘えた声を出されてもこれは譲れないからな。絶対駄目だから」

 

「ちぇっ、ちょっとは彼方ちゃんを喜ばせてくれてもいいのにー」

 

そんな嬉しい戯言を聞き流して、考える。とりあえず、大学進学にしよう。必要になれば後から変えればいい。

大事なことを知れた。未来はどうなるかはわからないが、そこは間違えない。

不安は消えないまま、抱えていく。

 

「彼方さんが俺を喜ばしてくれるなら考えなくもない」

 

「……えっちー」

 

「なんでそうなる」

 

「わかってるクセに~」

 

そういう意味では言っていないのに。決して。

耳元でくすくすと噛み殺した笑い声が聞こえる。その声を聞けばこっちをからかっているのが丸わかりだ。

笑い声が止んで、しっかり聞いててねと彼方さんが前置きしてきた。音量はそのまま変わらず、囁きのような声。

 

「彼方ちゃんの将来の夢は~……あなたのお嫁さんになることだよ?」

 

「!?」

 

――思わず心臓が止まりそうになった。彼方さんのとびっきりの甘い声が耳に飛び込んできた。

とんでもない爆弾だ、これは。一歩間違えれば、俺の命は間違いなく逝っていた。

 

「どぉ~? 嬉しい? 喜んでる?」

 

こいつはしてやられた。完敗だった。やってやったぜという感情が彼方さんの言葉の端々から感じられた。

このままじゃ本当に進路調査用紙に彼方さんのお婿さんと書かなきゃいけなくなる。マズいマズい。

俺は頭をフル回転させてどうにかしてこの事態を避ける知恵を絞る。考える。呼び出しは嫌だ。呼び出しは嫌だ……。

 

「ふふふ~」

 

俺のそんな姿にご満悦な声の彼方さん。楽しそうでなによりだよ……。

……とりあえず。消えない将来への不安は脇に置いておいて。今すぐそこに迫る危機について、頭を悩ませることになったのだった。

 

 




お目汚し失礼いたしました。
ありがとうございました。

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