『霊異伝』   作:月日星夜(木端妖精)

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第十六話 日常

 春雪異変から十日程経ち、春の訪れた神社には桜の花が舞っていた。

 鏡台の前の椅子に腰掛けて、ふんふんと鼻歌交じりに櫛で髪を梳いていると、フランが隣にやってきて、ご機嫌ね? と聞いてきた。

 そうかねー、そんなにご機嫌に見えるかねー。うふふ。

 丁寧に丁寧に髪を梳いて、櫛を置き、白い布で後ろ髪の毛先を纏めて結ぶ。それから、短い布で顔の横の髪を纏めて筒状に固定し、反対側もそうする。最後に頭の後ろでリボンを結べば、完成だ。

 ちょいちょいと指先で髪を弄りつつ、フランに顔を向けると、お腹空いたーと抱きついてくる。

 今日は霊夢は朝から出掛けてしまっているから、朝食は俺が作らなきゃいけないんだよね。とはいっても、俺はもう食べたんだけど。

 はやくはやくと催促してくるフランを膝の上に乗せると、首に腕を回して抱きついてくる。うーん、愛されてるなあ。

 ……なんてな。

 フランが愛してるのは、俺じゃなくて俺の血なんだよね。こないだ知った真実。知りたくなかった。

 異変が終わり、白玉楼に一泊して戻れば、霊夢はもちろんだけど、フランも相当ご立腹だった。

 俺が帰ってこないせいで二日も食事ができていないと言うのだ。霊夢がいるのに何で食事がでないのかと聞けば、普通に食事は出したという。

 じゃあなんでとフランに聞いて、真実を知らされた。今までフランが引っ付いてきたのは俺の血を独占するためだとか。甘くて美味しいんだってさ。

 ココアより濃厚で、紅茶よりも甘くて、と語るフランに、俺はショックを隠しきれなかった。

 一緒に寝ている時、こっそりと血を吸っていたとも聞かされた。全然気付かなかったよ。

 傷跡を魔法やらで治していれば、魔力の残り香か何かで気付いてもいいはずなのに、と思ったのを覚えている。

 で、その日からフランはこっそりではなく大胆に血を要求してくるようになった。

 ……ああ、別に仲は悪くなったりはしてないよ。別に血を飲まれるくらい構いやしない。でもそれを秘密にされてたってのはいやなのー。

 がったんと椅子ごと押し倒されて首筋に噛み付かれ、ちゅうちゅうと(じか)飲みされるのに悶えながら、そんな事を考えていた。

 あー、せっかく髪の毛梳いたのに……。

 

 

 フランと共に神社を出て、人里を目指した。甘味を味わおうと思ったからだ。血を抜かれると、どうしても甘いものが欲しくなる。

 ぽかぽかと暖かい昼の空を飛ぶ。ぽつりぽつりと玄爺とフランと言葉を交わしていれば、人里に着いた。

 フランだけを連れて里に入り、真っ直ぐにいつもの茶屋を目指す。すれ違う人の殆どが顔見知りで、笑顔で挨拶を交わしているのだが、フランも慣れたもので、ちょこちょこと頭を下げて挨拶をしていた。

 ふと、向こうから妖夢が来ているのを見つけた。買い物に来ていたのか、膨らんだ手提げ袋を持っていた。

 近くまで来て、一瞬視線が合ったが、すぐにそらされる。挨拶の一つもしてくれなかった。

 道の向こうに消えていく妖夢の背を見送り、嫌われてるな、と息を吐く。何が気に入らないかわからないけど、妖夢は俺にいい顔をしない。

 ……やっぱり、あれかな。異変の時に、まともに相手をしなかったから怒ってるのかな。お堅い武人さんだし。

 今度決着をつけてやるか。戦う事で解決するなら、それは喜ばしい事だから。

 ぱちくりと目を(まばた)かせるフランに、さあ行こうと声をかける代わりに、手を引いて歩き出した。

 

 

 膨らんだお腹とは対照的に萎んだお財布を握ってぼーっとしていると、蝶々を追いかけて一人でどこかに行ってしまったフランが戻ってきた。

 今日は一日晴れだって、と日傘を回して元気良く言う。羽、焦げてるんだけど。

 ああ、龍神様の像を見てきたのね。そうか、晴れかー。

 袖に財布を仕舞って、里の中央へ歩き出す。どこへ行くの? とフランが聞いてくるので、あっちを指した。

 そこにたつ龍神の像。台座に埋め込まれた機械には、今日の天気が映っていた。

 あ、ほんとだ。晴れだ。

 俺が何をしたかったのかわからない様子のフランに特に何を言うでもなく頭を撫でてやり、それから、像を見上げる。

 うーん、いつ見ても……願い事を叶えてくれそうな。

 ぺた、と台座に手を当てると、『まだその時ではない』と声が聞こえてくる。毎回毎回不思議に思ってたけど……これ、八雲さんの声じゃないか。

 その時ではない、という事は、いつかその時が訪れるという事。八雲さんは、俺に全ての異変を解決しろと言った。『その時』というのは、たぶん、全ての異変が終わった後。

 その上でこの台座に触れたら、何かが起こるんじゃないかと俺は思っている。

 おつかれさまー! って感じで八雲さんが飛び出してきたりするのかな。『わりと困ったちゃん』だと記憶しているし、案外そういうサプライズを考えていたりして。

 まあ、なんだっていいけどねーと思いつつ、ぺたぺたと台座を触って八雲さんの声をエンドレスさせて遊んでいると、背の服を引っ張られて、振り返った。早く帰ろうよ、とフラン。

 それにちょっと待ってね、と返して、袖から扇子を取り出し、両手で開いて自分を(あお)ぎつつ、 お小遣いを補充するためにお得意様の家を回る事にした。

 

 

 結果を言えば、荷物を運んでー、というほんとにお小遣い程度の金額しかもらえない依頼しか受けられなかった。

 なんだかみんなもう自分でやっちゃったり、困って無かったりで、俺の出る幕が無かったのだ。

 里の端っこに住む一番のお得意様でさえ、妖精が大人しくしているせいで何も無かった。ああいや、それは良い事なんだけど、何だか微妙な気持ちだった。

 よしみで、畑仕事のお手伝いと家事を少しやっただけでいつもの金額をくれようとしたのだけど、フランの手前、格好つけたくなってしまって受け取れなかった。

 だって、特別な事は何もしてないのに、お金を受け取るなんて。……それを言えば、お使いもそうなんだけど、何と言うか、いつもとは違う事をしたせいで実感が無くて。

 神社に戻って、またフランに血を吸われて悶えながらそんな事を考えていた。

 

 

 風呂に入る前に、月明かりの無い暗い境内で『型』をなぞって体を動かしていた。

 正式な名前など知らず、相手がいないために独りよがりな動きをしていると、自分でもわかってはいるが、どうしようもない。

 でも案外、これで実戦に挑んでもなんとかなるから、気にしないでいる。

 今やっている動きは、幽々子に()()()()動き。こちらの力を利用し受け流し投げる、合気道のような技法。

 ……合気道に詳しいわけではないから、合気道がそういうものなのかはわからないけど。でも、そんなイメージがあるので、ここでは合気道に似た動き、としておく。

 その練習、とは言っても、相手がいないので力を受け流す感覚が、あまりよくわからない。やられた感覚と痛みははっきりと覚えてるんだけどな。

 白玉楼に一泊した(おり)、幽々子にそういうものを誰に習ったのかと聞けば、妖夢の前任に習ったと聞いた。詳しく聞こうとしたけど、気が付けば別の話に誘導されてしまっていた。

 それに気付いて、前任について教えてくれないなら、幽々子から習おう! と詰め寄れば、それもふわりと避けられて別の話題に移されてしまった。

 何か教えられない訳でもあるのかと肩を落としていると、『貴女の反応が面白くって』と幽々子は笑った。

 弄られている。

 それは、別に悪い気分ではなかったし、難しいような、理解できるような話方は面白いから気にしなかったのだけど、湯飲みを乗せたお盆を持った妖夢が、ふすまの隙間から黒い笑みを覗かせていたのだけは気になってしょうがなかった。

 

 鋭く突くように手を伸ばし、相手の腕を掴んで引くイメージをしながら、その通りに動く。一歩引き、重心をずらして相手に対して半身になり、引き倒す。

 ……うーん、イメージの中だとこれですんなり倒れてくれるけど、実際だと抵抗されたり、そもそも飛ばれたりして届かなかったり、地面に叩きつけようとしたら蝙蝠になって逃げたりするからなあ。臨機応変にやらなきゃいけないよね、うん。

 近接格闘ってのはそういう目的のために作られた……のか? まあ、多分そうなんだろうから、それが臨機応変で当然なんだろうけど。

 ばっ、ばっと袖をはためかせつつ、腕を突き出し、足を伸ばし、引き、動く。

 力任せに戦うのも楽しいが、こうやって型にそって動くのも楽しい。型なんて無いけど。

型といえば、空手とかが思い浮かぶ。それからどうしても連想されるのは、ガ○ファ○ドだな。幼心にあこがれて、それで空手に挑戦したんだっけ。あんまり厳しすぎるんで半年ももたなかったけど。

 靈夢は、幼い頃から妖怪を相手に動いて体の動かし方を知った口みたいだ。自分の事のように思い出せる。武術でもなんでもない、ただ思いっきり暴れるだけの妖怪退治。

 ……あれ? 今と変わらないじゃないか。今やってるこれも武術ではないし。

 いや、ある意味で武術ではあるけど。

 

 石畳を滑り、体のバネを使って跳ね上がって、サマーソルトキックを空中に見舞う。着地すると、心地良い衝撃が後ろ頭に伝わってきた。

 ふー、と息を吐いて呼吸を整え、首筋に浮かんだ汗を腕で拭う。それから、髪をばさりとやって空気を入れた。

 今めいっぱい動いて汗を掻いておくと、風呂に入る時に気持ちが良いのだ。だから俺は、風呂に入る前のこの時間帯によく修行をする。

 ……修行って言ってもいいよね?

 えー、おほん。そいで、汗を掻いて、風呂に入ってさっぱりして、気持ち良く眠るのだ。

 やる事はたくさんある。飛んで跳ねて蹴って突いて、撃って投げて分身を出して組み合って。

 組み合う相手は、三通り。霊夢と、魔理沙(現代)と、フランドール。

 霊夢とは拳で、魔理沙とは弾幕で、フランとは黒い棒で、それぞれ戦う。

 まあ、分身は基本的に同じ事をしてくるから、全力で拳を振るったりすると、相手も同じ動きをして物凄いダメージが自分に返ってきたりするから困る。

 その点、魔理沙の相手をするのは、怪我が少なくて良い。痛い思いもあまりないし。

 でも、時々相手にする本物の霊夢や魔理沙は、地獄のように容赦が無いから痛くって堪らないんだよなあ。

 夜だけでなく、時々お昼前や朝なんかに修行をしていると、たまーに目の前に出てきて構えるから、相手にしないわけにもいかず。

 その上、顔とかお腹とか殴るわけにはいかないから、手加減しないといけないわけだ。彼女たち相手に。

 魔理沙は、まだいい。魔力で身体強化をしようとも、動きが読みやすいから、いい。弾幕ごっことなると鬼だけど、それもまあ、いい。問題は霊夢だ。

 元々強いのに、そこに手加減が加わると、一気に劣勢にたたされる。修行だから、死ぬわけじゃないんだけど、負けるのは悔しいし。

 最近は幽々子の真似をして受け流す型で手加減なしに霊夢とやったりしてるけど、拙い技術ではやっぱりやられるもので。

 あんまりに悔しいので、同じ土俵に引き摺り込んでやろうと、自分がやっていて思った最適な体の動かし方を教え、「それで来い」と言えば、霊夢は嬉しそうに応じてくれた。

 今のところは、黒星を上げている。だけど、霊夢の才能は恐ろしく、二日三日、俺の『再現』を見て本物の動きを掴み始めてる。それを見て俺もまた真似をし、技量を上げているとは思うんだけど……長く無い内に、きっと技量で負けるようになるだろう。

 現代の巫女は末恐ろしいばかりだ。もっと修行をすればいいのに。

 

 そいやー、えりゃーとやっていると、夕飯だぞー、と魔理沙の声が聞こえてきた。今日は……ああ、今日も泊まっていくらしいな、あの子は。

 

 汗を拭い、ご飯前に、フランとお風呂を浴びるために神社に足を向けた。

 

 ふと、夜空を見上げる。今宵(こよい)は新月。星の明かりだけが頼りの夜だ。

 なんとなしに星の輝きを目に納めて、ああ、今日ももう終わりだなー、なんて考えていた。

 

 なんでもない、日常の話である。


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