『霊異伝』   作:月日星夜(木端妖精)

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第十九話 太古の鬼の巫女退治

 石畳を蹴って跳び上がった直後に、振り下ろされた拳にぶつかって地面に叩きつけられ、跳ね上がったところを踏み潰される。骨と中身の潰れる音。下腹部あたりから空気が抜ける音がした。

 水風船が破裂したみたいに飛び散った血液を見て、もう動けそうに無いな、と暢気に考える。

 うーん、鬼、強い。がんばって避けてたけど、一撃当たっただけでこれだ。全身の骨がばらばら。踏み潰されてぐちゃぐちゃー。

 とどめにもう一度踏み潰されるのを見て、溜め息を吐く。健闘してくれていた分身がやられてしまった。

 分身を踏み潰した当の小鬼は、石畳に横たわって観戦していた俺に目を向けて、「まったく、脆いね、人間は」と笑った。俺もそう思います。

 最初の一撃を受けなきゃ良かった。防御に回した腕は、痺れるとかそんなんじゃなくて、感覚すらない。霊力でめいっぱい強化してるから、いかれてたりはしないと思うんだけど……。

 なんにせよ、吹っ飛ばされて石畳を転がって、動けなくなったもんだから苦し紛れに分身を出して戦わせてみたけど、あっさりやられてしまったわけだ。

 そろそろ起き上がって、俺自ら戦うしかないみたいだ。あの小鬼さんもそれを望んで、わざわざ待っていてくれているみたいだし。

 足を持ち上げて、背中のばねで飛び起きようとして失敗し、背を強かに打ちつけてしまったので、仕方なくころころと転がって起き上がった。鬼め、笑ってやがる。

 だらんと垂れて揺れる両腕に、回復するまでには時間が掛かりそうだと考えて、それから、鬼を見上げる。ああもでかいと、力を受け流して投げ飛ばすとか言ってられないな。じゃあ殴ればいいんじゃね、といいたいとこだけど、腕は動かないし、そもそも殴ったってあいつびくともしないし。

 蹴り、か。

 くいー、と足を上げると、途中で布が張って、大股開きもできやしない。スカートって不便だな。

 んー、今できる事は、と。蹴る、分身を出す、ノーモーションでの気合砲。これしかないな。

 ……よし、行ってみるか。

 足を下ろすと同時、前に分身を作り出して鬼へ向かわせ、少し遅れて自分も走り出す。

 纏めて吹き飛ばすつもりなのか、鬼が横薙ぎに腕を振るったので、分身はそのまま突進させ、自分だけ飛び上がる。分身を倒すために鬼が腕を振り切る頃には、もう顔の高さだ。む! と俺に目を向けたのを好機に、その瞳に気合砲を叩き込む。

 流石にそこは防御力が高くなかったらしく、苦しげな声を漏らして反対の腕を振るってきた。

 ……あ、防御できない。

 ど、と全身に衝撃を受けて弾き飛ばされ、地面にぶつかって跳ねる。一瞬息が詰まり、視界が真っ白に染まったが、無理矢理身をひねって自分から地面にぶつかり、ごろごろと転がって衝撃を殺し、足で地面を擦ってようやく止まった。

 長い袖が、摩擦でボロボロになって穴が開いてしまっている。転がった時に無理が出たか、いくつか擦り剥いて血が流れていた。

 だが、そんな事より気になるのは、この体。息をするたびにぎしぎしと骨が軋み、立ち上がろうと足に力を込めると、ビキ、と嫌な音を立てて激しく痛む。

 それでも立ち上がろうとすると、ずしんと地面が揺れたせいで尻餅をついた。片目を押さえた萃香が、えらく嬉しそうな顔をして近付いてくる。

 歩幅がでかい。揺れる地面に耐えていれば、もう目の前だ。

 振り上がった足に、潰されちゃあ堪らないと、地面に気合砲を叩きつけ、斜めに飛ぶ。振り下ろされた足が体を掠めて石畳を踏みしめた。

 気合砲を中空に放ち、方向を修正する。咄嗟にやったものだから高度が足りなくて、さっきのように目は狙えない。鳩尾にも届きそうに無い。なら、柔らかそうな腹に突撃する事にしよう。

 後方に気合砲。ついでに、両足を揃えて、そこから光線を放ち、ロケットのように鬼の腹に突っ込んで頭突きをかます。

 おう!? と声が響いたかと思えば、鬼の体がぐらりと揺れて、後ろへ倒れこんだ。

 追撃の気合砲をしつつ、距離を取ってなんとか着地する。……ん、手、動かせそうだな。

 やっと感覚が戻ってきた手を握ったり開いたりして確認し、それから、いつものように腰を落として構える。

 倒れたままだった鬼は、シュルシュルと体を縮めて、それからむくりと起き上がった。

 

「やあ、やるね」

 

 ここにきちゃったよー、と嬉しそうにお腹をさする小鬼。

 なんだその顔は。こっちは首の骨が折れそうだったってのに。

 しかし……体を縮めたな? どうしてかは知らないが、それはチャンスだ。

 悲鳴を上げる体に鞭を打ち、走り出す。スピードは然程落ちていない。力にかまける鬼など、今のままで十分だ!

 どっしりと腰を据えて構える萃香に、腕を伸ばす。狙いは、腕から垂れる鎖。勢い良く右腕を振って鎖を取ろうとすると、おっと、と避けられた。空振りした手が空を掴む。反撃の拳を叩き込む絶好のチャンスだというのに、なぜか小鬼は動かない。

 なら、動かざるを得ない攻撃をすればいいだけ。

 反対の手を振りかぶり、振った腕を戻す勢いで突き出す。手の形はチョキ。目潰しだ。

 流石にそれには反応し、鬼は俺の腕を掴もうと手を伸ばしてきた。

 ぴたりと突きを止め、空振った鬼の手を掴み、振った方向へ引っ張る。

 そうすると、鬼は自分の力に引っ張られてぐらりと体を揺らすのだが、踏ん張って耐えた上に、腕を振り払うだけという力技で俺の腕を弾いた。

 直感的に、飛び上がる。と、鬼は振った腕を振りかぶる事も無くそのまま突き出していた。空気を裂く音が耳に届き、同時に、鬼の背後に着地する。

 即座に振り返ると、彼女もまた振り返り、至近で向き合う形となった。

 ぶんと無造作に拳が突き出される。反応が遅れたが、なんとか手で払う事ができた。

 力を受け流す柔の術が、効き(にく)い。豪腕め。伸びきった彼女の手を掴むと、肘の関節を回すだけの動作でぱしんと弾かれた。僅かな妖力を感じたのを考えるに、電撃のような瞬間的な技か。

 怯まず、大振りに腕を振りかぶる彼女に、今度は半歩前に出る。

 威圧して下がらせ、力を失わせるつもりだったが、彼女は引かなかった。どころか、向こうからも詰め寄ってくる。こう密着してしまうと、拳を受け流す事は難しい、だが、彼女だって、その位置からでは俺に拳を当てる事はできないだろう。よくてラリアット……ラリアット?

 その攻撃を受け流せない事に気付いた時には、もう遅かった。慌てて引こうとすると、胸の下に腕をぶち当てられ、弾き飛ばされる。瞬間、角を掴んで、引き込む事で力を分散する。

 石畳に背を打った時、角から手が離れた。投げ出された鬼が驚く程強烈に地面に叩きつけられて、地を陥没させる音が聞こえてきた。

 咄嗟にやった事は、成功したようだ。ざまあみやがれ。

 手をついて上体を起こし、ごほごほと咳き込んで肺に酸素を取り込む。肋骨は……折れた、のか。良くわからない。だが、折れているかのように痛むし、息がしづらい。

 胸を押さえつつ立ち上がる。小鬼は、石畳を散らして、頭から地面に埋まっていた。……我ながら、どう力を分散させればこうなるんだ、と思ってしまった。

 息をするだけで胸が痛むので、胸元をぎゅうと握り締めて喘いでいると、小鬼は地面に両手を立てて頭を引き抜いた。ちょっとは効いたらしく、ふらふらと頭を揺らして角に付いた土を落としている。額を押さえて、くぅ~、効いた! とか言ってるから、効いたんだろう。そうであって欲しい。

 

「いいね、いいね、いいねぇ! 懐かしいよ、この感覚。気持ち良いよ、この感触! もっと感じさせてくれよ、人間! 思い出させてくれよ、人間!!」

 

 ぐんぐんと周囲から妖気が集まり、萃香に収束していく。また巨大化か、と見ていれば、違う。単純に妖力を纏っただけだ。

 ……それ、巨大化より厄介じゃないの。

 大きくなるなら、目とかを狙いやすくなるけど、あんな小さいとねえ。しかも、身体能力の強化ときた。フランもやってたけど、強い奴がそれをやるのは反則だと思うんだけどなあ。

 まあ、いくら強力になったって、受け流してりゃあ勝てらあな。……と、思ったのだけど。

 向かってきた萃香を投げようとして、突き出された腕に手を添えれば弾かれ、負けじと握れば手を返されて弾かれ。逆に服を掴まれそうになって慌てて身を引き、詰め寄って角を掴んで地面に叩きつける。

すると寸前でぴたりと止まり、浮き上がって頭突きなんかしてこようとする始末だ。空を飛べるってずるい。飛び退いて、荒くなった呼吸を整える。

 ……四天王。四天王の萃香。…………あー。

 

「……技の、萃香」

「ああ、いかにも。よく知ってるね」

 

 うーん、技っちゅーかなんちゅーか、小手先の技が得意みたいね、あんた。力ある鬼が細かな技を使う。最強に見えるな。

 技、ねえ。

 構える事すらせずにそこにただ立つ萃香に、息を吐いてみせる。それから、やれやれのポーズだ。

 

「技に逃げるか、腰抜けめ」

「そうかい? 研磨した技、使うのは人も妖怪も鬼も同じだよ」

 

 短絡的に挑発をしてみたら、理解し難い言葉を返された。言葉の意味はわかる。意図はわからない。

 うーん、てっきりすぐ怒り出すかと思ったんだけど……だめか。

 

「だがその体格じゃあ大した技もできないのでしょう?」

「……いんや、そんなことはないさ。なあ、言葉なんかで濁さないでさ、続きをやろう。つまんない挑発なんかされると、酔いも醒めちまうよ」

 

 やーい、ちんちくりん、とコンプレックスを刺激してみようと試みたが、これも失敗みたいだ。どころか、別の意味で怒り出しそうだ。冷静な怒りなんていらない。怒り狂って我を失え。

 

「そう焦るな……餓鬼みたいだ」

「だからさー、そんな見え透いた挑発、やめなよ。鬼は心が広い。その程度の挑発には乗らないよ?」

「…………ぺったんこ」

「あ゛?」

 

 あ、乗った。心狭いな、この鬼。

 鬼ってのはみんな、そんな未発達な体つきなのか。それともあんただけ? だとしたら飛んだお笑い草だ。力ではあんたが勝っていようと、体つきじゃあ負けないね。

口が回る事をいい事にぺらぺらと思いつく限りの悪口を言ってみたら、萃香は『鬼』という単語に反応して、それ以上に『未発達』という単語に反応した。

 わなわなと震えて、かと思えば声にならない叫びを上げて地団太を踏む。やめて、それ以上境内壊したら霊夢に殺されるから。

 飛んできた石の欠片を、霊力を纏った際に放たれる突風で弾き返し、油断無く構える。む、霊力が弱い。ちょっと分身に割きすぎたかな。こんなんじゃ、拳一発貰っただけで殺されそうだ。

 ……よし、一撃で決めよう。全力全開で行く。スピードを捨てて、パワーだけを求める。

 全部の霊力を右手に集中させ、走り出す。萃香が巨大化を行おうとしていたので気合砲を叩き付けたが、怯みやしない。こうなりゃやけだ、巨大化する前に片をつける!

 体の事を考えて残しておく予定だった霊力を足裏で爆発させ、加速する。景色がぐぅんと伸びて、萃香の動きが酷くゆっくりしたものに変わる。――――これなら。

 

 俺の拳は、吸い込まれるように萃香の腹にめり込み、そのまま押し飛ばした。大砲のような大きな音。衝撃が跳ね返ってきて俺まで吹き飛ばされ、地面を転がる。砕けた石畳の欠片が刺さるのが、やけにはっきり感じられた。

 背を擦って止まり、止めていた息を勢い良く吐き出す。目を開けられないままはっはっと獣のように呼吸をした。

 どうなった。倒せたか。わからない。目を開けられない。胸が苦しい。腕は。腕はわからない。妖気が感じられない。感覚が麻痺してるのか。わからない。はやく、早く立ち上がらないと――――。

 

「天晴れ」

 

 どくんと、心臓が跳ね上がった。

 どうやら俺は、仕留め切れなかったらしい。

 

「頭の冷える、いい一撃だった」

 

 ザッ、ザッと、わざと立てているかというくらいに、大きい足音。

 傍らに人の気配がして、咄嗟に跳ね上がろうとして、できなかった。

 体が動かない。

 

「そうだね、あんたは非力な人間だった。それを忘れてたよ。いや、天晴れ」

 

 誰が、非力か。

 俺は、強い。弱くなんか無い。非力なんかじゃない。

 それを教えてやるから、待ってろ。今、立ち上がる。

 手を握り、力を振り絞る。ひゅう、と、擦れた声が口から漏れた。

 これっぽちも、体に力が張らない。当たり前か。正真正銘、全力の一撃だった。

 

「その健闘を評してさ」

 

 だというのに…………どうして、そんなに、平然としてるの。

 それ程までに鬼が強いっていうの?

 

「あんたに、勝ちを――――」

 

 ずるいよ。

 そんなに強いのは、ずるい。

 勝ちたいのに。

 一番になりたいのに。

 すごいねって、褒められたいのに……!

 じわりと、目に熱い何かがこみ上げてきた。

 胸が痛い。

 それは、骨が折れてるとか、そんなんじゃなくて。

 ただ、息が詰まって……胸が痛かった。

 

「……ずる、い」

「勝ちを、ゆず……うおぇえええええええ」

 

 涙が零れ落ちる前に、別の何かが零れ落ちる音がして、お腹に……熱い何かが掛かった。

 

 

 黙して語らず。

 萃香が倒れ、妖霧が収まった。異変は、終わった。一時間もしてようやく立ち上がれた俺は何も言わずに風呂に入り、服を燃やした。

 壊れた石畳に見える地面を掘り返し、萃香を埋めててきとうに木の棒を指した俺は、今日の事を無かった事にして寝室にこもった。

 少ししてやってきた霊夢が何やら問い詰めてきたが、憮然とした表情で無視をする。

 鬼? なにそれ、しらない。境内に埋まってた? しらん。俺の名前を口走った? しらねえっていってんだろ。

 ふと入り口を見ると、扉から気まずそうな顔をした少女が顔を覗かせていたので、とりあえず挨拶をした。初対面には、最初の印象が肝心だからね。

 

「その……なんか、すまなかった……」

 

 なんで謝るのかしら、この子。今会ったばかりだというのに。でもなんか目障りね。その角とか圧し折ってあげようかしら。

 困ったように、少女は後ろ頭を掻いて、目をつぶった。何て言えばいいのかわからない、という表情をしている。俺も何て言えばいいのかわからない。もう吐かないで下さい?

 おろおろおろおろと、勝負の時の強さも見せずに弱々しい態度を見せる鬼に、その内大人気ない気持ちばかりが募ってきて、結局折れてしまった。

 別に、許す。その一言だけで少女……萃香は元気を取り戻す。

 いやー、強かった。強かったから今度一緒に酒のもう。あ、そうだ、なんかお宝もあげる。私に勝ったんだからね。何がいい? え? ドラゴンボール?

 

 

 まあ、こうしてなんか知らないうちに異変とやらは終わり……鬼の計画も潰えた。何を計画してたかは知らないけど。

 境内は萃香の手によって元通り。霊夢の機嫌も特に悪くなったりはしなかったし、一件落着だ。

 俺が求めたお宝は持ち合わせていないと言った萃香は、代わりに酒虫をくれると言った。虫? 嫌がらせか。そうらしいな。それじゃなくて、永続肩叩き券でも貰おうかな。

 あれだこれだと考えていると、萃香はじゃあこれ! と鎖付きのぶんどうを渡してきた。形は四角。萃香の着けている物とおんなじもの。

 ……それも、嫌がらせか。手にとって弄っていると、つけてれば、強くなれると思うよとアバウトな事を言われたので、しばらく右腕に付けてみる事にする。重い。とにかく重い。食事の時が大変だった。

 まあ、いいか。いつか萃香を倒すためなら、これくらいは。

 そんな事を考えながら、またまた開かれた宴会で、あれには引っ掛けられたくないと、隅っこの方で酒を飲むのであった。

 

 

 余談だが、アリスに服を燃やしたと伝えたら酷くショックを受けたようで寝込んでしまった。

 彼女の服だったらしいんだけど……あれはもう、しょうがないと思う。


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