「ほらほらどうした、足だけであしらえちゃうよ!」
振った拳を蹴り上げられ、足を掴もうと伸ばした腕を蹴り戻される。
どんどん後ろに下がっていく萃香を追って走っていれば、さっと足を払われて転んでしまった。
じゃらじゃら、がしゃん、と腕につけた鎖が音をたて、ぶんどうが石畳とぶつかって振動を伝えてくる。
打ち付けた顎をさすりながら手を付いて体を起こすと、「あー、まだまだ修行が足んないねぇ」と飲んだくれの声。ちきしょう。
立ち上がって、ぱっぱと袴に付いた砂埃を払い、屈伸して力を溜める。
「ん? どこ行くの? 勝手に出掛けるとれーむがおこーるぞー」
知らないよ。……知らないもん。
どん、と石畳を蹴り、境内から幻想郷の空へと飛び出す。
流れる風に、目の端から熱い雫が零れて行ったのは、きっと、気のせいだろう。
あー、悔しい!
◆
穏やかな昼下がり。
梅雨も終わりを告げ、夏の暑い日ざしがより一層強くなったこの頃を、穏やかと言っていいのかは別として、俺は、前にボロボロにしてしまった巫女装束を修復してもらった香霖堂に足を運んでいた。
短い草を踏みしめて歩く、魔法の森の入り口付近。そこに建つのは、無愛想な店主が経営するお店、香霖堂。
目の前に立って店を眺めてみれば、どうした事か、この日差しだというのにお店がびしょ濡れになっていた。まるでそこだけ大雨が降ったみたいに。
お店の周辺の地面はたっぷりと水を含んでいるみたいで、歩くたびにちゃぷちゃぷと音がする。足袋の裏から水がじんわりと染みこんでくるので、足早に店の入り口に立ち、扉を押し開いた。
カランカラン、と、軽快な鈴の音。
カウンターに肘を置いて斜めに座り、本を片手にしていた店主が顔を上げて、こちらを見た。
「やあ、君か。いらっしゃい」
軽く頭を下げ、店内に入り、そっと扉を閉める。外と違い、中はなんだか涼しかった。
薄暗い店内をカウンター目指して歩いて行くと、店主、森近霖之助が、「順調かい?」と聞いてきた。こくりと頷きはするものの、俺には何に対して順調かと聞かれているかは判断つかなかった。巫女のお仕事のことかな。でも、毎度毎度来店するたびにそれを言うのはどうかと思う。
カウンターの前に立つと、森近さんは体をこちらに向けて、服はもうできてるよ、と言った。奥に取りに行くらしいので、その間に袖からお財布を出して、お金を用意する。
いつもの服を抱えて出てきた森近さんは、それをカウンターに置いて、君みたいに払ってくれればいいんだけどねえ、と呟いた。
……あー、霊夢と魔理沙ね。何でかしらないけど、あの子達はお金を払わない。でも、何か理由がありそうだから、森近さんに「君が代わりに払ってくれないか」と言われてもお断りしている。
ぽつりぽつりと、彼と会話をする。
最近はどうだとか、何があったとか、そういうのを。
彼の、綺麗な銀髪に目を向けるわけでもなく、首の黒いチョーカーみたいなのを見るでもなく、肩に通った二本の縄のようなものに腕を通してみたいなー、なんて思いながら、世間話。
こう、落ち着いた雰囲気というか、咎められない雰囲気というか、そんな感じの雰囲気が彼にはあって、なんだか話しやすいのだ。まあ、あんまり話す事もないんだけど。
つきのものに効く外のお薬とかがあったりするから、それを貰ったり、懐かしい小物があったりするから、それも貰ったり、後は、使い方がわからないという物で、俺がわかっている時は、ヒントをあげたり。
彼は、自分で考えるのが好きなようだから、答えをそのまま言うのは駄目だ。最初にそれをやって不貞腐れられてしまったから、それだけはだめ。本人は「不貞腐れてなんかいない。ちょっと気分を害しただけだ」と言ってたけど。
外がびしょ濡れな事の理由を聞いたり、霊夢の仕事振りについて話していたりすると、ふと彼が私の腕に目をつけた。
それ何だ? と指差し確認。これか。これは、鬼のぶんどう、と鎖を持ち上げて、適当な説明をする。鬼の力がこもってるんだとか、ある事ない事。そうすると彼は俄然興味がわいたのか、手に取らせてくれとお願いしてきた。
腕輪を外し、彼に渡すと、じっと重りを見て考え込む。能力でも使っているのだろう。
その隙に、ずっと気になっていたものを見せてもらう事にした。……と、その前に、彼にくっついている紐をびょーんと引っ張って遊ぶ。癖になる感触だ。
ぐいぐい引っ張って体を揺らしても、彼は気にも留めない。集中している証拠だ。余程それが気になるらしい。
踵を返し、気配を頼りに店の中を見回して、そこに飾られた
細い柄を取り、刀身を眺める。うーん、なんというか、それっぽいのにそれっぽくない。
不思議な力を感じるのに、感じない、というか。わけわからん。
で、わけわからんものって、大抵は妖怪の武器か。それか……
「神の、武器」
ちらりと、彼の方を見やる。声は届いていただろうが、顔を上げすらしない。なんだ、違うのか。
まあ、そんな大層な物だったら、無造作にたてかけておいたりはしないかな。
軽く振って、その重みににんまりと笑みを浮かべる。これ、欲しい。だって格好良いんだもん。
これ、頂けますか。そう声をかけると、ああ、構わないよ。と許可が出る。その声音からするに、俺が何を選んだかは見ていないようだ。現実に、彼はやっぱり顔を上げずに、舐めるようにぶんどうを転がして見ている。
まあ、俺が当たり障りのないものしか持って行かないと思っているのだろうし、事実、持って行くのは彼にとって当たり障りのないものばかりだし。
きっとこの剣も、大したものじゃあないんだろう。
カウンターまで戻って、剣をふりふり振りながら彼の興味が尽きるのを待っていると、満足に顔を上げた彼の表情が、俺の持っている剣を見て凍り付いた。
……当たり障りのあるものの反応だな、これ。
あー、それは、ちょっと、と、一度あげると言った手前、返してくれとは言い辛いらしく、おずおずと声を発する彼。
その様子が面白くて、からかってみたくもなったが、そんな事をすれば物を買う時に値段を上げられたりしてしまうので、やめておいた。
素直に壁にたてかけ直すと、ほっと胸を撫で下ろす。そんなにレアなものなのかな。だったらやっぱり、欲しいかも。
ぶんどうを返してもらい、腕につけながらそんな事を考えて、ふと思い当たった。
神の武器。いや、神といえば、技能の一つに神を降ろす技があったな。神の力を借りれば、萃香をぶっ飛ばす事ができるだろうか。
……俺は別に、自分の力だけで敵を倒したいと思ってるわけじゃない。何の力を借りようと、自分でぶっ飛ばせればそれで良いのだ。
この拳でぶっ飛ばす、と固く拳を握っていると、彼はとってつけたように「夕飯でも食べていくか」と聞いてきた。ふと窓を見れば、もう外は暗い。道理で、薄暗い店内が、更に暗くなっていたわけだ。
どれくらいの間話し込んでいたのかと考える間もなく、お誘いに乗る事にした。
うーん、たまには別の味っていうのも、いいかもしれないからね。
服を抱えて、奥へ通してもらう。何が出るかな、何が出るかなとわくわくしていれば、話の流れから俺が作る事になった。
……森近さんは、酷い人だ。客人に作らせるだなんて。
でも断れずに作っちゃうのも、悪い事なのかな。
食卓を囲みながら、そんな事を考えた。
なんでもない、夏のある日の話である。