『霊異伝』   作:月日星夜(木端妖精)

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約束通り、私たちは来た。さあ、力を貸そう!


第二十二話 「力を貸そう」

 

 私には理解できなかった。空ろな瞳を私に向ける両親が、なぜ頭しかないのか。その頭を持っているのが、なぜあの人なのか。

 理解が追いつかなくて、理解したくなくて、でも、目は両親に釘付けだった。

 

『頭だけ残して食べるのは大変だったわ』

 

 その人は、自慢をするように、笑顔でそう言った。

 なんで?

 あなたは、そんな事をするような妖怪じゃないはずなのに。

 あんなに、仲良くしていたというのに……。

 違う、何かの間違いだ。この人が、こんな、お父さんとお母さんを、食べてしまうような人じゃ……。

 彼女本人が食べたと口にしたのに、それを受け入れられない。信じたくなかった。

 優しい人だ。こんな事するはずない。きっとなにか、なにかがあって――――。

 

 彼女の口がゆっくりと動く。発せられた声が耳から入ってきて、胸の奥にどろどろと落ちて溜まっていく。

 父と母を侮辱する妖怪に、私の理性は壊れてしまった。

 

 

 

「っ…………」

 

 びり、と手の平の皮を爪が破る痛みに、現実に引き戻された。

 背に掻いた嫌な汗を気にせずに、開いた手の平に目をやれば、四つある爪(あと)から血が流れていた。ああ、せっかく塞がったというのに、またやってしまうとは。

 一つ息を吐いて、手に霊力を纏わせ、治療する。みるみる内に塞がっていく手から目を離して、部屋の入り口に目をやった。

 もう夜も深い。今日は稗田の子の誕生を祝う宴会があったから、あの子もそろそろ疲れに負けてここにくるはずだ。我侭なんかは言わないけど、そういう欲には正直な子だから。

 ふっと、笑みを漏らす。あの子の事を考えれば、胸に焼け付く憎悪の念も鳴りを潜める。それは、一時的なものでしかないけど、それでも。

 しかし。

 そんなあの子に、この腕の事を告げなければならないと思うと、胸が痛む。

 勘の鋭いあの子の事だ、気付いていないはずはないのだろうけど、だからといってそれに甘え続けるわけにはいかない。

 それに……それに、私は、敵を討つと決めたのだ。

 一瞬、あの子の姿が脳裏によぎって、顔を落とした。

 考えるな。……考えちゃ駄目。もし私がやられたら、あの子はどうなる、なんて。

 わかってはいる。きっとだとか、もしかしたらなんて希望的観測はなく、必ず私は負ける。両親を殺されたあの日に、嫌というほど思い知らされた。その実力の差を。

 強さには自信があった。かつて負けた事は無いし、両親にだって……こんな強い奴は、見たこと無いって。

 なのに、負けた。ただの一度もこの拳を打ち込む事もできずに。

 余裕綽々として、奴は私を見逃した。もっと強くなって挑んで来いと、まるで『また遊ぼう』と約束を取り付けるかのように、軽い調子で言って見せた。

 私の自信なんて、それで砕けて散ってしまった。

 

 たとえ圧倒的に力の差があっても、それでも、私はあいつに挑まなきゃいけない。この世界のために、里の人たちのために、なによりもあの子のために。

 誰もが、あの妖怪を信じきっている。博麗の巫女を殺しただなんて、夢にも思っていない。妖怪たちだってそうなのだ、無理もない。

 両親の死体を見せられなければ、私だってあいつに両親の居場所を聞きに行っていただろう。そうやって助けを求めたはずだ。

 それ程までに奴は狡猾で、仮面をかぶるのが上手い。そして、それら以上に、性格が悪い。

 今日の日に、奴はのうのうとこの神社にやってきた。里の人たちと共に、御阿礼の子の生誕を祝うために。

 里と懇意にしているのだから、来る事は予想できていた。でもまさか、本当に来るとは思わなかった。

 あの穏やかな顔が、憎くて憎くて堪らなかった。人間達の手前、飛び掛ることができないのが悔しかった。

 別に、私はなんと思われようと構わない。里の人たちにとってあの妖怪は恩のある妖怪。その妖怪に襲い掛かる私が、どう思われようと。

 でも、あの子に被害が行くのを理解できていたから、私は耐えられた。あいつが涼しい顔をして握手を求めてきた時は、流石に口の端が引き攣りそうにはなったが。

 

 嫌な事を思い出したために気分が悪くなったので、気持ちを静めるために感覚の無い右腕を撫でる。

 左腕にだけ暖かい感覚。動きはしなくとも、血は通っている。それを確認すると、何だか安心するのだ。そのために、これがすっかり癖になってしまった。

 ふと、傾けた視界に自分の髪が見えた。長い、黒髪。

 ……そういえば、紫じゃなくて、黒かったんだっけ。

 変な思考をしながら、左手で髪を梳く。母から貰ったものだ、手入れは欠かしていない。綺麗だと言えるだろう。

 なんとなく、また右腕に手をやる。

 ある、な。腕が、ある。それがどうしてか、変な事に思えた。

 そもそも私は腕を失ったんじゃなかったか、いや、そんなはずはない。

 奇妙な感覚に眉を顰めていると、とんとんと床を打つ音と、衣擦れの音。あの子が来たらしい。

 姿勢を正し、この寝室の唯一の出入り口に顔を向ける。襖の前で気配が止まり、それから、そっと戸が開いた。

 

 

「お前ってさ、ほんと霊夢が好きだよな」

 

 メロンソーダの海に浮かぶバニラアイスの島に、長いスプーンを差し込んでいると、向かい側に座った友人がそんな事を言った。

 別に、と短く返すと、いやいや、好き過ぎるだろ、とテーブルの上に置いてあった俺の携帯を指差した。

 霊夢のストラップだとか、キーホルダーがこれでもかというほどくっ付いているが、ファンならこれぐらいは普通だと思う。

 ウェイトレスがやってきて、友人の前に熱々のハンバーグを置いていった。ナイフとフォークを手にして嬉しそうに切りかかる友人を眺めつつ、アイスを口に運ぶ。うーむ、うまい。

 

「しかしねえ、異常だと思うよ」

 

 暫くの間かちゃかちゃと金属音を鳴らすだけだった友人は、唐突にそんな事を言った。何が、と見返すと、その愛情、と指摘される。

 あんまりにも執着してるからさ、いつか犯罪を犯すんじゃないかと冷や冷やしてるよ。

 彼は、そんな風に茶化して言っていたが、それを聞いた俺はと言うと、確かに、霊夢のためなら犯罪ぐらいは、なんて思っていた。

 だって、霊夢のためだし、なあ。

 

 

 浮遊感に身を包まれ、次には、地に足をつけていた。

 しゃがんだ体勢から立ち上がり、辺りを見回す。ここは……博麗神社の境内だ。石畳を軽く蹴って感覚を確かめつつ、空を見上げる。

 黒い絵の具で塗り潰されたような夜空には、満天の星と煌々(こうこう)とした満月が浮かんでいた。

 ふと気配を感じて振り返れば、後ろには博麗神社。縁側の前を、小さな影が横切っていったかと思えば、闇に溶けて消えた。

 今のは、霊夢? なんだか随分小さかったけれど……。

 奇妙な事に、その姿に妙に懐かしさと申し訳なさを感じて、胸に手を置いた。と、そこで気がつく。右腕が無い。

 ……それも、そうか。八意永琳の手によって、右腕は切り飛ばされてしまった。一拍置いたせいか、怒りなんて欠片もわいてこない。痛みも無いし、血も、完全に止まっているようだ。

 庇うように断面に手の平をかぶせておき、それから、どうして神社にいるのかを考える。

 俺は、確か、光弾にやられて……ない?

 その直前に意識を手放したと思う。思うけど、でもやっぱり死んだとも思った。

 あのまま光弾に当たったのなら、跡形も無く消し飛んだのだろうし、だとすればここは……なんだろう。

 

「こっちこっち」

 

 懐かしい声に、顔を上げた。

 少し離れた、森の木の上辺り。箒に腰掛けた魔理沙が、そこにいた。

 風が吹いてもいないのに、夜に映える金髪を揺らして、はあい、と俺に向かって手を振るのは、紛れも無く、記憶の彼方(かなた)にいるはずの魔理沙だ。

 なぜここに、と問おうとして、魔理沙が「ついて来て」といって、向こうの方へと飛んでいってしまったのを、慌てて追いかけた。

 体が、重い。いや、ふわふわしているというか……とにかく、動きづらい。

 片方しかない腕を振って、長く遠く、地平線まで続いている石畳の上を走っていく。

 俺と同じ速さで彼女は飛び、俺を(いざな)っていた。

 ぐにゃりと景色が歪んで、風景が変わる。人里だ。大きな通りだというのに、誰もいない。先程まで夜だったのに、ここは昼も同然に光で満ちていた。

 だというのに人っ子一人いない。しかし、俺はどうしてかそれが気にならなかった。

 たまに振り返って、俺がついてきている事を魔理沙は確かめているようだ。時に目の前まで降りてきて、はやくはやく、と急かす。どこへ連れて行く気なのだろうか。

 人里の中で山道に入り、真っ直ぐ走っていけば道路に出て、走っていけば、かつて住んでいた実家へと続く道に出る。

 記憶の中の様々な道を走っているのだと気付くのに、そんなに時間はかからなかった。

 

「……あー、あー。なるほど」

 

 靈夢になる前の記憶を巡らせていると、そんな声が降ってくる。魔理沙を見上げれば、彼女は俺に顔を向けて、続けた。

 

「あなた、まだ本当の自分を思い出せてはいないのね」

 

 本当の自分?

 それは、なんだ。かつて男だった自分の事か。それなら、結構覚えてるんだけど。

 疑問に考えを移していれば、また、魔理沙の声。

 

「それなら、思い出しなさい。ゆっくりでいいから、ね」

 

 ぱちんと、指を弾く音。と同時に周囲の風景がぶれ、足元が崩れて消えた。

 当然のように投げ出され、暗闇の中に自由落下する羽目になる。だけどさして驚くわけでもなく、バランスを取って深く深く落ちていった。

 

 十数秒もしない内に、重々しく着地する。床に叩き付けた左腕が痛い。というか、凄い音だ。……ダイエットしようかな。

 場違いな事を考えつつ、周囲を見回す。黄金色の光を放つ、円盤状の足場は、飴細工のように薄く、透き通っていて綺麗だ。俺は、その端っこに立っている。向こうの方の端には、縁に沿って奇怪なオブジェクトが並んでいた。右端から、鎖に繋がれた巨大なぶんどう。ぐねぐねと折れ曲がった石のような、床と同じ素材でできているっぽい物。中心には、八雲紫を模した黄金色に光る石造だ。胸から上だけの彼女は、儚げな顔をして俯いている。左側は、右側と同様に、ぐねぐねと曲がった棒状の物とか、ぶんどうとか。

 そういえば、周りは……周りは、闇だ。夜の闇よりも暗く、触れれば飲み込まれてしまいそうな黒色が、この空間を満たしている。

 

「なぜ、非力でありながらその拳で戦う?」

 

 周囲に気を取られていれば、目の前に霧が集まってきて、中空に横になった小鬼が現われた。最初に会った時と同じ体勢だ。

 そんなの、迷っている内に人が死ぬからでしょ。それに、体動かさないと太っちゃうもん。……あれ、前にもおんなじ様な事言わなかったっけ。

 ずどんと、明らかにおかしい音を立てて、小鬼が床へと足をつけた。腰に付けた瓢箪を口に運んで呷り、ぐびりと喉を鳴らし、口を拭って、赤らんだ、しかし怒りに満ちた顔で俺を睨み付けた。

 

「いくよ、博麗の巫女!!」

 

 ……ああ、戦闘か。いいよ別に。

 

 

 吸血鬼の馬鹿力を逆に利用して、その小柄な体を床へと叩き付けると、枯れ枝にも似た羽から垂れる色取り取りの宝石が、がしゃんと音を立てて幾つか砕けた。

 呻いた後に、霧になって消えていくフランを見送り、投げの体勢から、脱力した体勢に戻る。

 うーむ、片腕でも意外となんとかなったな。

 

 ぐにゃぐにゃと空間が歪み、再びの場所移動。萃香に幽々子にフランと来て、今度は何だろうと身構えていれば、そこは、四方八方が真っ暗闇な空間。

 慌てて下に向けて光線を放とうとして、別段落ちたりはしない事に気付き、ゆっくりと腕を下ろした。

 驚いて暴れる心臓に、胸を押さえて、落ち着かせる。一つ息をついて、それから、眼前に視線をやった。なんというか、こういうものって、必ず前から何者かが現われるものだと思うし。

 案の定、闇の中からゆっくりと歩んでくるものがあった。赤色の着物の裾と、白い靴下に、草鞋(わらじ)。風も匂いも無い中で、膝元で揺れる布まで見えれば、それが着物だとわかったし、それには様々な花の刺繍がしてあることもわかった。

 長い振袖。胸元まできて、そこに垂れる藍色のリボン。腰まで届く長い髪に、腰に巻かれた大きな布。

 顔が見えた。

 ……霊夢? あーいや、違う。あんな大人びた顔じゃない。あれは、どちらかというと……そう、鏡で見る俺の顔のような……?

 既視感に小首を傾げていれば、彼女は薄緑色の瞳をまっすぐ俺に向けるだけでなく、その両腕もゆっくりと持ち上げて、『ちょうだい』をするかのように、俺に向けた。

 

「――――見せて」

 

 儚い声。どこかで聞いた覚えのある声。幽霊のように、ふらふらとした足取りで彼女は歩み寄ってくる。一歩、また一歩と距離を詰めてきて、指先が、目と鼻の先までに迫っていた。

 

「もっと近くで――――あなたを」

 

 ぶつんと、声が途切れた。それと同時に、彼女の姿も消えてしまった。最初から存在していなかったかのように、後には闇が残るばかりである。

 ……なんだったんだろう、今のは。

 もやもやする胸に再び手を当てて、息を吐く。ちょっと、苦しい。気分が悪い。

 息苦しさに俯いていると、しゃらん、と、錫杖を鳴らしたような音が聞こえてきた。顔を上げれば、暗闇の向こうから淡い光を纏った少女……が、現われた。

 

「……魅魔」

 

 太陽の絵柄のある青い三角帽子に、ダークグリーンのロングヘアー。帽子と同じ色の服の、長いスカートには、いくつかの三日月が踊っていた。

 悪人面の中で鈍く光る緑色の瞳が俺を射抜いている。何を言うでもなく、歩みを止めた彼女は、先端に三日月の付いた、自身の身長よりも長い杖で地面を突いた。

 しゃらん、と不思議な音色が空間を駆ける。ありえるはずの無い音が出るのは、彼女が魔法使いだからだろうか、それとも悪霊であるからだろうか。

 

「いかにも」

 

 私は魅魔だ、と、彼女は言った。無駄に重々しく、無駄に尊大に。

 凛として立つ彼女を胡散臭い思いで眺めていると、上空から魔理沙がやってきた。すいー、と魅魔の横まで来ると箒から飛び降り、彼女の名を呼びかけながらその隣に立つ。それから、二人揃って見つめてきた。

 ……なんだろう。なんか、大事な用があって呼ばれているような感じなんだけど、今すぐすっぽかして逃げ出したくなった。

 ふと、魅魔が一瞬、右に左に目を馳せた。そうすると、左右からも少女がやってくる。

 左から来るのは、水色の長い髪と、六枚の羽を持った少女。あれは、覚えがある。天使だったかなにかだ。青い水晶のはまった長い杖を手にして、両方の目をつぶっている。

 右から来るのは、遠い記憶の中の、そのまた一枚隔てた向こう側で見た少女だ。床、があるかどうかは知らないが、そこから少し浮き上がって移動してきたのは、魔界の神である神綺。僅かに揺れ動く銀髪のサイドテールが、幼い容姿とあいまって、この空間でコミカルさを演出していた。神々しい、いや、まさしく神の力と雰囲気を纏う彼女には、そんな自覚はないのだろうけど。

 赤い肩掛け、(ふち)には白色のフリル。首元に覗く白いシャツに、結ばれるのは黒いリボン。全体的に赤い。どこか、邪悪な気を感じられた。

 三方向に大物が揃ったようだが、さて、何が始まるのだろう。腕を組もうとして、片方が無い事を思い出し、宙を彷徨わせた後にゆっくりと下ろす。

 

「あはは、靈夢。かたっぽ無くしちゃったんだ?」

 

 その仕草を見て、魔理沙が反応したようだ。悪気の欠片も無い笑顔を浮かべて、そんな事を言う。彼女にとって、俺の腕が肩ごと無くなっているのは、大して気にする事でもないらしい。

 左側だけで肩を竦めて見せると、痛ましいですね、と透き通った声。天使様の声らしい。喋れたんだ、あんた。

 

「ずっと見てたよ、あんたのこと」

 

 唐突なカミングアウトに、一瞬硬直する。魅魔、今、なんて?

 見てた? ずっと?

 ……ストーカー?

 

「頑張ってきたみたいじゃあないか」

 

 ぽふんと、魅魔が魔理沙の頭に手を置くと、顔の半ばまで帽子が埋まって、魔理沙はそれを慌てて押し上げた。

 長い間戦ってきたんだ、感動したよ、と魅魔。それは、どういう意味か。……感動させるような事をしたつもりは、ないんだけど。

 

「ち……力を貸そう。魂の代価は……既に頂いた」

 

 台詞の最初でぴくっと眉を動かして、明らかに今考えて喋っているような様子の魔界神様。魂の代価。なんだか凄そうなものだけど、そんなもの払った記憶なんてない。というか、なんで力を貸そうとしてくれるのか、その経緯がわからないんだけど。

 カードを掲げなさい。と、天使が言うのに、首をかしげる。どのカードの事?

 迷っていれば、分身のためのカードだよ、と魔理沙が教えてくれた。なるほど! と頭のリボンに手をやってごそごそやっていると、まだ、思い出せてはいないのですね、と天使様。うーん、なんか天からの声って感じだ。……何を思い出すって?

 博麗幻影のスペルカードを取り出すと、俺が掲げる前に勝手に宙へ浮かび上がり、眩い光を放った。咄嗟に腕で目を庇うと、手の中にカードが飛び込んでくる。

 ちかちかする目で絵柄を見れば、俺を中心にして、周りに何人もの少女の姿が描かれていた。魔理沙に魅魔に、神綺にサリエル様。仰々しいマントを羽織った赤髪の女性だとか、緑の髪をしたもんぺの妖怪とか、他にも色々?

 デザインが大きく変わってしまった事に気を落として、だけどすぐに、凛々しく描かれた自分の姿に満足して頷く。きりっとした顔付きが、凄く良い。

 さっと、天使様が杖を振った。右肩の辺りに光が集まり、みるみるうちに長袖が作り出されていく。……袖だけ、なのね。

 厚みも無い、揺れるだけの袖を微妙な気持ちで眺めていると、そのままでは、見栄えが悪いからねぇ、と魅魔。なんだ、俺は商品か何かか。

 

「さあ、受け取りなさい。そして、進みなさい。役割のためでなく、あなたのために。あなただけのために」

 

 天使様が、相変わらず両目をつぶったままで、微笑んでそう言ったかと思えば、次にはそのままの姿勢で俺に突っ込んできた。

 ぎょっとして飛び退こうとすれば、力の奔流に飲み込まれ、それが鬱陶しいくらいに体に絡み付いてきた。激しい風が吹き荒れて、ばたばたと袖がはためく。流れる髪を押さえて目を細めていると、それじゃあ私も、と、魅魔まで突っ込んできた。やだ、気色悪いな、もう。

 ちょいと顔を背けて、身を貫く力そのものを耐え凌ぐ。何だかよく分からないけど、体の中心が熱くなっている。これが、力を貸すという事……なのかな。その理由も、それがそうなのかも分からないまま、火照る体を少しでも冷ますために、足を開いて体重を移動させる。

 袴の裾が揺れ動いた時に、僅かに入り込んできた風がじっとりとした足を撫で上げ、変な声が出そうになるくらい気持ちが良かった。

 すー、と空中を移動してきて目の前まで神綺がやってきたので、顔を上げて、顔を合わせてやる。俺とお前は、面識があったかなかったか。

 あまり気負いすぎるな。あなたが思う程、それは罪ではないし、苦しんでもいない。

 一層神々しさを増させて、神綺が言う。記憶の中の彼女は、もうちょっと子供っぽかったような気がするが、流石は『かみ』か。威厳がある。……じんわりと闇を照らす、霊力や妖力よりも余程濃密度なその神力は、だけれど。あんたは、別。ご大層な口調で話したくせに、にへ、と困ったように笑って、アリスちゃんと仲良くしてあげてね? なんて言うのは、全部台無しだ。

 ……仲良くは、するよ。仲が悪いわけじゃないから。

 こくりと頷くと、彼女は僅かに首を傾けてサイドテールをぴょこんと揺らし、良かった。あなたも頑張って! と声援を送ってきて、ゆっくりと俺に重なってきた。途端に荒れ狂う力。

 さて、残るのは魔理沙だけになったわけだ。風に細めた目で彼女を見やれば、紫色の、ふとすれば闇に溶けてしまいそうな服のスカートをぱたぱたと手で揺らして、一人遊びをしていた。俺が見ている事に気が付くと、ああ、魔理沙の番? と問いかけてくる。俺に聞かれてもねえ。

 彼女が手に持っていた箒をさっと空中に投げると、空間に溶け込んで、無くなってしまった。彼女が気にせずこちらに歩いてくるのを見れば、魔法か何かで仕舞ったのだと理解できた。

 

「久しぶりね、靈夢」

 

 小首を傾げて、それを返事にする。今更のような気もするが、そもそもなんであんたらがここにいるんだ?

 彼女は答えず(声に出して聞いたわけじゃないから、当たり前なのだけど)、あの頃とは、随分変わったわね、と、そう言った。

 あの頃って……あの頃?

 遠くて近い記憶を思い出し、その中に彼女の姿を見つけて、それを、目の前の彼女に重ねる。

 あなたは、全然変わってないのね。自然と、そう口にしていた。

 

「そりゃあ、まあ」

 

 彼女は肩をすくめて笑い、それから、今のあなたは、とても楽しそうだ、と言った。今も昔も変わらず、楽しんでるつもりなんだけどね。

 そんな感じの事を言ってみれば、ちがうちがう、と手を振る。

 

「……思い出さない方が、幸せそうね」

 

 彼女は、寂しそうにそう言って、でも、もう賽は投げられたと、手を挙げた。ぱちん、と指を弾く音。ああ、また別の場所に行くんだな、と直感した。

 

 

 世界に色が戻り、音が戻り、光が戻る。思わぬ五感の回復に驚く間もなく、目前にゆっくりと迫る光弾を見た。どうしようかと立ち上がると、目の前を何かが過ぎり、と同時に轟音。爆風に煽られて、踏ん張る事もできずに吹き飛ばされそうになると、誰かに背中を支えられた。

 見れば、魔理沙が背を押してくれている。前に顔を戻せば、どうやら光弾を弾いてくれたらしい天使様が、俺の方を向いて微笑んでいた。手を貸してもらって体勢を整え、魔理沙に礼を言い、それから、隣に突っ立ってるだけの魅魔を見やった。ちらりとこちらを見てきて、すぐに前を向く。なんか言え。

 煙が晴れれば、驚愕の声が聞こえてきた。見上げれば、八意永琳がそこにいる。目を見開いて、いかにも驚いていますといった風な表情だ。さしもの月の頭脳にも、予測できなかった事態が起こっているからだろう。俺にも予測できない事態でもあるんだけども。

 だが、そこは流石と言うべきか、あっというまに冷静さを取り戻したようで、分析でもしようというのか、せわしなく目を動かして俺たちを見回していた。

 実体、と呟くのが聞こえると同時、天使様が動いて、俺の背後についた。魔理沙が隣に立ち、魅魔は、しゃん! と杖を打ち付けて、姿を消した。……なぜ消えた。

 ……まあ、いいか。そういや、神綺もいないし、別にそんな力を貸して欲しいとも思ってないし。

 背後霊のようになった天使様が、「あなたの右腕になりましょう」と、ふわふわ響く声で囁いてきた。あ、それは頼もしい。ぜひ転んだ時とかに助け起こして欲しいね。片腕だとバランス取り辛そうだから。

 援護するよ、と魔理沙。それもまた、頼もしい。と、そこでまた、天使様が囁いてきた。神綺からの贈り物です、だとかなんとか。

 聞き返す前に、背に生えた、いや、生えるようにしてそこに出現した六枚の黒い羽を見て、それから、なんとなく飛べるようになった事がわかったので、口を開くのはやめた。……ちょっと、この羽邪気が強すぎるんだけど。浄化しちゃだめかな。……だめか。

 

「でたらめね、本当に」

 

 永琳の声に、彼女を見上げる。何を、知った口を。俺にだって何が起きてんのかよくわからないのに。

 何をどうやってそうなったのか、床にめり込んだ黒棒を見つけて、しゃがみこんで取り出す。あっちい。爆発の真下にでもあったのか。

 さて、厄介なバリアーはまだ健在のようだが、どうやら空を飛べるようになったし、あの四つの基点を叩けば、たぶんだけどバリアは消えるだろう。そしたら、殴る。……平手にしとこうかな。

 そうこうやってる内に、あちらさんの考え事は終わったようだ。ばっと両腕を広げて、バリアーに霊力を流し込み始める。

 

「どうにも、力が混ざりすぎている。本当にあなたなの?」

 

 意味の分からない問いかけには答えず、腰を落とし、左腕を前にして構える。魔理沙が箒を手にして、一歩前へ出た。一瞬目配せをされたけど、意図は理解できなかった。

 霊力を爆発させて、身に纏う。心地良い感覚が体中に溢れ、漏れ出た霊気がふわりと髪を持ち上げる。

 

「どちらにせよ……ここで、終わりよ!」

 

 彼女の声を合図に、俺は飛び出した。





……約束なんかした覚え、ないんだけどなあ。

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