弾幕の雨の中を、魔理沙は飛んでいた。一発一発が力の凝縮されているそれを、箒に体をくっつけるようにして巧みに避ける。
さて、魔理沙が永琳の気を引いてくれている内に、俺は俺のやるべき事をやるとしよう。
空気を裂くように、前に見える基点の一つへと飛び込んでいく。と、基点が光り、幾つか光弾を飛ばしてきた。
危機を察知したのか、ぴたりと止まってしまう。むむむ、別に進んだって構わないのに。
自動操縦の羽に心の中で文句を言いつつ、左腕を振るう。気合砲を飛ばしたわけではない。というか、俺の力程度じゃ、あんな光弾は弾けやしない。
俺の腕の振りに一瞬送れて、背後にくっついて浮かぶ天使様が杖を振った。途端に、ごんぶとな光線が俺の前から放たれて、光弾を打ち消して基点を貫いた。
爆発する基点を前に、よし、と片腕だけでガッツポーズをする。魔理沙が壊してくれたのと合わせて、これで三つ目だ。
必死に飛び回る魔理沙の方に目を向けて、そちらに行こうとして……しかし、動けない事に息を吐く。天使様、この羽言う事聞かないんだけど。
俺が眉を八の字にしているのを見たからというわけではないだろうけど、進みたいと思うのです、と天使様が教えてくれた。思うだけでいいの? そりゃ楽だ。
まっすぐ進む、と考えれば、その通りに動き始めた。弾幕の中に突っ込み、永琳へと星の魔力弾を飛ばす魔理沙に近づいていき、その腰をがっしりと掴んで掻っ攫うようにその場から離脱する。
そうすると、魔理沙が進もうとしていた場所を光線が貫いていった。おお、こわ。
顔を青くして、短く「ありがと」と魔理沙が礼を言ってくるのを見るに、やっぱり気づいてなかったのか。遠目から見れば、永琳が後ろ手に力を溜めているのは見えてたけど、逃げ惑う魔理沙からは見えなかったわけだ。突っ込んで行って正解だったな。
後ろから降り注ぐ弾幕に、右に左に避けるのも面倒くさくなってきたので、ぽいと魔理沙を軽く放る。そうすると、弾丸のようにどこからか飛んで来た箒に乗って、魔理沙は俺から離れていった。
振り返りざまに腕を振って、迫る弾幕の殆ど全てを天使様に消し飛ばしてもらい、間髪いれずに光線を放つ。
ありったけ力を込めたつもりではあったが、やはりというか、永琳が放ってきた光弾の一つにあっさりと飲み込まれて行く。が、それはいい。
さっと、天使様が永琳へと杖の先を差し向けると、俺の光線を道にして神力の光線が放たれた。溜めの時間などない、されど、凄まじい破壊力を持つ光線。
それは、永琳の放った大きな光弾を飲み込みはしたものの、霊力の壁に阻まれてしまった。半透明の分厚い壁が、青白く光って揺れる。破れそうで、しかし、破れそうにない。ぱっと、光線の射出が終わると、「恐ろしいですね……」と、背後で天使様が呟くのが聞こえた。
確かに、そうだ。あんな強い力を防ぎきるなんて、一体全体どういう化け物だ。千年生きた妖怪程度では、土台無理だろう。まして、彼女は人間のはず。妖怪の気は感じられないし、魔力も、妖力も。ただ、純粋な霊力だけが、恐ろしい波動となって彼女から放たれていた。
両腕を前に突き出して霊力の壁を支えていた彼女は、元の姿勢に戻るその一瞬の間に、片手に大きな弓を握っていた。矢を
後方に飛んで距離を作り、余裕を持って避ける。大きい弾、小さい弾、半透明の弾。威力もスピードもあるが、当たらなければ問題はない。それに。
ぶん、と黒棒を持ったままの左腕を振るえば、それに合わせて天使様も腕を振るう。そうすると、神力でできた腕と拳が前方の空間を打ち付けてくれるのだ。
そうすれば、ほら、視界が開けた。
広くなった視界に口の端を吊り上げていると、矢のない弓を俺へと向けている彼女の姿が目に入った。瞬間に、強烈な危険信号が脳を駆け巡る。
両腕を前に突き出して霊力の壁を作り出したのは、ほぼ脊髄反射的なものだった。だから、その薄さでは破られると、恐怖した。
彼女が、何かを撃った。途端に、光の矢が可視化する。先程の、天使様が撃った神力の光線に負けないくらいの力の矢。冗談じゃない、そんなもの、防ぎきれるわけが……!
思わず目をつぶろうとすると、目の前に炎が湧き上がった。ごう、と音を立てたかと思うと、金属を弾くような大きな音。
炎の中に、誰かの背中が見えた。その人が、手に持つ、何か凄そうな刀で矢を弾いてくれたらしい。頭の後ろで結ばれて炎の中に揺れる黒髪が、とても綺麗に見えた。
コンガラです、と天使様が言うと、ちらりとこちらを振り返った彼……彼女? が、小さく頷いた。ああ、どうりでこの人を包む炎が憤怒に溢れているわけだ。ごう、と一際強く炎が吹き上がり、彼を包み込むと、一瞬後には、そこには誰もいなくなっていた。永琳が弓を放った格好のまま、驚いた表情で固まっているのが見えるが、多分俺もおんなじような顔だろう。
「彼もまた、力を貸してくれているのです」
聞いてもいないのに、天使様が教えてくれた。ああ、そう、なんか凄いね。
というか、いきなり現れなくてもいいのに。しかも、いるのは一瞬だけとか、何か制限でもあるのだろうか。
ちゃ、と黒棒を構えながら考えていると、ふと、棒にわけのわからない力が備わっているのに気がついた。この感じは、そう、さっきの彼が持っていた刀の……。
ああ、と口の中で呟く。なんとなく、からくりがわかった気がする。
力を貸してくれている人たちは、常時現れているか、一瞬現れるかで、その武器の性質やら何かをも貸してくれるのだろう。
だよね、と天使様に問いかけると、え? と呆けた声を返された。あれ、心を読めるのかと思ってたのに、そうでもないのか。
悠長に考え事なんかをしている間に、魔理沙と永琳が弾幕を撃ち合っていた。その中で、永琳が弓を引き、魔理沙に狙いを定めているのが見えた。む、危険!
ぶん、と黒棒を振るうと、そこから炎が吹き出て、大蛇のようにのたくりまわりながら永琳へと迫り、壁にぶつかった。棒に熱は無い。だけど、至近でこんな憤怒の情を感じさせられていると、こっちまでそんな気分になってくる。
ちらりとこちらを見た永琳が、すぐに魔理沙へと視線を戻し、矢を放った。
自分で放った弾幕さえも溶かして進む矢が魔理沙を貫こうとした時、しゃしゃん! と二度音が鳴って、魔理沙の姿が消えていた。
床を穿ち、爆発する矢から目を離し、その姿を探せば、永琳を挟んだ向こう側に魔理沙を抱えた魅魔の姿があった。
なんだ、もしもの時はあんたが助けるのか。ほっと胸を撫で下ろしていると、魔理沙を放って、しゃんと杖を鳴らし、また魅魔は姿を消してしまった。サポートに徹するつもりらしい。
魔理沙からすぐさま俺に標的を変えた永琳が、矢を放ってきた。だが、来る事がわかっていれば、避ける事も容易い。
なんて事があるはずもなく。
避けようとして、わき腹を貫かれた。肉を穿つ感覚の代わりに、ぱきゃあんと、何かの砕ける音。
背後から気配が消えた事を考えるのに、俺の受けるダメージを天使様が肩代わりでもしてくれたのだろう。で、あんなものを食らえば、消えてしまうのも当然で。
死んだかな、と暢気に考えながら、棒を振るって炎を放ち、無防備になっていた基点の最後の一つを破壊する。
風船が破裂するように、霊力の壁が四散した。これで、ようやく壁を挟まずに永琳と対峙できたわけだ。
彼女は、まさか俺が怯みすらしないとは思っていなかったようで、流石に動揺していた。まあ、予想外の事が立て続けに起こってるんだし、そろそろ耐性を持ちそうなものだけど。
魔理沙が弾幕を放ちながら永琳に迫っていくのを見て、俺も突っ込む事にした。壁を壊したら殴るって、最初に決めたような。
しかし、それは永琳が全方位に放った波動によって防がれた。全身を襲う衝撃に顔を顰めて、回転する視界をどうにかしようと、止まれと念じると、ぴたりと止まる。うまく羽を操って体勢を立て直せば、魔理沙が壁に叩きつけられているのが見えた。うわあ、痛そう。
というか、今のって気合砲のような気がする。まあ、気合砲ってただ目に見えない力をぶつけるだけだし、誰でもできるもんだけど、実際やられると厄介だな。
引き絞った弓を向けられているのが見えたので、空中を飛び回って狙いを外そうと試みた。が、どうにも上手くいかず、それなら、とその場に止まった。逃げ切れず撃たれるくらいなら、防御に徹した方が良い。
体の中から霊力を引き出し、ついでに、なんか隣に置いてあった感じの神力も頂戴して、身に纏い、黒棒に流し込んで強化する。
それを、自分を庇うようにして前に突き出せば、ちょうど光の矢が飛んできたところだった。
棒と矢がぶつかると、単純な力比べが始まる。羽には前に進め前に進めと強く命令しながら、震える腕を押し付ける。ぎしぎしと悲鳴を上げているが、知るもんか。痛いのも無視だ。弾かれたら、今度こそ死ぬ。
気合の声を上げてなんとか棒を押し込むと、ぱきゃあんという音と共に棒が砕け散った。同時に、光の矢も消滅する。
手の中で棒が弾けた痛みに泣きそうになるが、ぐっと握り拳を作ってなんとか堪える。泣いてる場合ではない。
放たれた光弾を羽を操って避け、永琳へと近付いていく。力の高まりを感じた。波動を放つつもりらしい。
それをされれば、俺はなすすべもなく弾かれるだろう。どうする。どうすればいい。
必死に考えていれば、隣にひょいと魔理沙がやってきた。彼女の余裕そうな表情を見て、何か考えがあるのかと聞こうとすれば、じゃあね、と手を振られる。え、なに、帰るの?
消えるのか、と見ていればそうでなく、魔理沙は唐突に加速して永琳へと突っ込んでいった。
放たれた波動に、魔理沙がぶつかる。弾かれるのではと思ったが、幾つも魔方陣を背負って、必死になって押し止めていた。
しゃん、と音が鳴り、隣に魅魔が現れる。
「今だよ」
……何が。
聞き返そうと口を開きかけて、やめる。意味なんて、わかってる。撃てって事だろ。でも、魔理沙は……。
躊躇う俺を置いて、魅魔は魔理沙へと杖を向けた。そこに魔力が集まるのを見て、本気なのだとわかった。
……わかったからといって撃てるわけでもないが。
「怖いのかい? 無理もない。だけどあれは……私たちは、あんたの分身みたいなものだ。いいかい、モノなんだよ。消えたって、あんたが呼べば戻る。いつだって力を貸す。心配する事は無い」
青白い光と、杖の先に収束する黄色い光に照らされた魅魔の横顔を
「私を見てる場合じゃないよ。そろそろあの子も限界だ」
はっとして見れば、魔理沙の背負う魔方陣が一つ、また一つと砕けて、そのたびに波動が押し寄せてくる。ここからでは魔理沙の顔を見る事はできないが、きっと歯を食いしばって耐えているのだろう事は、見なくてもわかる。
……わかった、撃つ。何もしないでいたら、やられるだけだ。
手の平に霊力を集め、光球を作り出す。体の芯から溢れ出す霊力を流し込み、神力を流し込んで、凝縮させていく。
それでいい、と魅魔が言うのに反応せず、魔理沙の背へと手を向けた。
「行くよ!!」
隣で魔力が膨張するのを感じて、同時に光線を放つ。……気合砲で、横合いから魔理沙を吹き飛ばしてから。
驚愕の声。なんて馬鹿な事を、とでも言うような、声。撃てるわけないでしょうよ、と言ってやりたかったが、ちょうど俺と魅魔の放った光線が見えない壁とぶつかったので、それどころではなくなってしまった。思った以上に勢いが強い。二人して押し
白色と黄色の極光が交じり合い、力を増幅させて、しかし無色の霊力に押し返される。そうしている間にも、体の中からどんどん力が流れ出していく。何をどうする事もできない。何も考えられない。
びきりと、こめかみ辺りに血管が浮かび上がるのを感じて、限界だと思った。しかし、止められない。例え無駄な抵抗だとしても、体が反抗する。負けたくないと。
手の平に硬いものが押し当てられ、霊力の放出が止まる。いや、止めざるを得ない。さすがに、零距離での光線の放出は、こちらの腕まで駄目になってしまう。光線に回していた霊力やら神力を体中に回し、身に纏い、霊力の波動へと押し付ける。反発する力が、腕を通って体中に広がっていくのを感じた。びきり、びしりと骨が軋み、筋肉が収縮し、無意識の内に体を丸め込んでいた。
肘が完全に曲がり、体で壁を止める羽目になる。濃密な霊力は風圧ではためく袖を燃やし、肌を露出させ、そして肌を焼くが、どうしてかそれが心地良かった。
ああ、なんだ。体でやれば、止められるじゃないか。
額をごりごりと押し付けて、進行の止まった壁に笑いかける。……笑うつもりはなかったんだけど、ふつふつと、そういう感情がわきあがってくるのを、止められなかった。
と、透明の壁の向こうに、俺に弓を向ける永琳の姿があった。何をしているのか理解する前に、矢が放たれる。それは、俺が押さえつけていた壁を易々と貫いて、そのついでに俺の腹をぶち抜いていった。
薄いガラスの割れるような音と共に、隣から気配が消える。ダメージの肩代わり、か……。
矢によって壁に入った
どん、と衝撃。それは、矢が届くよりも早く、横合いから来たものだった。
風を引き裂いて真横を矢が通り過ぎていく。風に煽られ、長い後ろ髪が顔にかかった。
それでようやく気を取り戻して、何が起きたのかの把握に努めるために、目を動かす。遠くの方で、俺に両腕を向ける魔理沙の姿があった。どうやら、光弾でもぶつけられたらしい。目が合うと、にやりと笑って、全速力でこちらへと飛んで来た。
くるんと一回転して体勢を整える。もう後はないよ、と声を掛けられて、ああそう、と自然に返していた。力を貸してもらっていながらこんな態度は、自分でもどうかと思うけど。
ぐん、と体が引き寄せられる感覚に抗って、後方に飛ぼうとする事でその場に止まれば、波動を逆再生させるように、永琳へと力が集まっていた。凝縮していく霊力を感じながら、焼け付いた上服を破り去る。見えない矢を番える永琳から目を離し、ちらりと隣を見やると、帽子を手で押さえていた魔理沙もこちらを見て、にこりと笑った。不敵とも、悪戯っぽいとも言えそうな、とにかく元気いっぱいの笑み。
靈夢、靈夢と呼び掛けられるのに、永琳に視線を戻しながら「なに」、と短く聞き返すと、魔理沙と一緒に、こんびねーしょんあたっくだよ、と言われた。コンビネーション……同時攻撃?
そら難しそうだ、なんて考えていると、ダンプカーもかくやという勢いで魔理沙に押し飛ばされ、次の瞬間には矢が放たれていたのだと知った。
体勢を立て直そうとする前に魔理沙に掻っ攫われて、もう一発を避けていた。
「私が道を開く。そうしたら、靈夢はどかんと一発やっちゃって」
……えらくアバウトだね。
ぽんと放り出されて、慌てて飛行し始める。見れば、魔理沙が永琳へと突っ込んでいったので、その後ろにくっついて行く事にした。
俺たちを押し返すために放たれた波動をどうするつもりかと見ていれば、数多の魔方陣を展開し、真正面からぶつかっていった。
すると、不思議な事が起こる。魔理沙は弾かれる事なく、どころか、霊力を吸収し始めたじゃないか。魔方陣を通して凄まじい勢いで吸収し、発光する魔理沙。それでも、壁は存在する。後続する俺を押し返そうと迫ってくる。これじゃあ、魔理沙に続く事ができないじゃないの。一体どうすれば……?
握り拳に禍々しい神力を纏わせて、駄目元で壁に叩きつけようとした時、魔理沙が爆発した。
あまりの唐突さに驚く事も忘れて、もうもうと広がる黒煙の中を突っ切っていく。爆発の影響か、壁には俺が通れるくらいの大穴が
道を開くって、そういう事か。なんであんたは……いや、いい。今は、そう。あいつをぶっ飛ばす事だけを考えよう。
黒煙の尾を引いて飛び出せば、表情一つ変えずにこちらに弓を引く永琳の姿を拝む事ができた。放たれた弓が、脳天を貫いていく。背の羽が砕け散って、だけど、勢いは止まらない。
最大の速度で突っ込む俺に、二発目が放たれる。彼女に動揺などは見られない。当たり前か、散々ダメージを負ってないのを見たんだ、連射くらいしてくるよな。
目前に迫る矢を、自身の頭上から気合砲を叩き込む事によって回避する。肩代わりするものがいなくなった今、久しぶりのダメージはかなりきついが、矢を受けるよりはましだ。
床を陥没させる勢いで着地し、屈伸する。力を余す事無く反発させ、速度はそのままに跳び上がり、永琳へと突っ込んでゆく。
弦に掛けようとした彼女の手を気合砲を飛ばして弾き上げる、三発目なんて放たせるもんか。
波動を放とうとする彼女の腹に、掬い上げるようにして拳を叩き込む。くの字に折れ曲がって一瞬動きを止めた彼女に邪気が流れ込んだかと思うと、思い出したように弾かれた彼女が、吹き飛ばされる中で内側から破裂するように爆発した。
降り注ぐ血肉を不快に思う間もなく着地して、転がって勢いを殺し、即座に立ち上がる。ざあざあと降り注ぐ血の雨が目に入らないように腕で庇いつつ見上げてみれば、彼女は跡形も無かった。ただ、薄い煙が漂うのみ。
……やったのか?
最後の血の一滴が床で弾けると同時に、痛む腕を下ろして息を吐く。どうやら、終わったようだ。
まったく、わけのわからん理由で殺されそうになって、腕の一本を失う羽目になってしまうとは。そりゃ、不法侵入したこっちが悪いんだけど。……こんな事なら、神社で寝てれば良かったかな。
右肩に手を添えて、腰や足とは対照的に軽くなった頭でそんな事を考える。
戦闘の余韻。払った犠牲は多かったが、それでも、戦いが終わった時のこの気持ちは、なんとも言えない高揚感をもたらしてくれる。
犠牲といっても……魅魔は、また会えると言った。だったらその通り、また会えるのだろうし、腕だって、別に……いや、良くは無いけど、気にする程の事でも……あるけど。
それは、あれだ。なんか、もうどうでもいいや。不便であるだろうけど、それだけだし。
もう一度大きく息を吐いて、辺りを見回して出口を探す。あー、あったあった。ちょっと遠いな。
「あらら、永琳ってば負けちゃったのね、珍しい」
扉の前に立った時だっただろうか。澄んだ声が、静かに響いたのは。
ゆっくりと振り返り、上へと顔を上げると、血に濡れて重くなった髪が揺れた。頬にべったりとくっつく横髪を指でどかして見ていれば、右側の壁の高い所を擦り抜けて、着物を纏ったお姫様が歩いて出てきた。
そう、まさしくお姫様である。
カラスの濡れ羽のような黒髪に、纏う着物の優雅さ。見える横顔の儚さ。気品とか、力とか、色々。
綺麗な人だな、と見惚れていると、裾を揺らして空中を歩いていた彼女は、中央付近にまで来て、ねえ、と空気に話し掛けた。
一転して、ああ、頭の残念な人かと思って見ていれば……その場所に、臓器が浮かび上がり血管が張り巡らされ骨ができ皮が張り髪が伸びて……八意永琳が、復活した。
驚愕や、戦慄なんかするよりも、うんざりしてしまった。しつこい。ただでさえ強いというのに、甦るとは。……そういえばお前は、そういう奴だったな。でかい力を持っているのも、当然というわけだ。
戦意を失っているというか、やる気がわかないというか、顔を顰めて彼女らを眺める俺とは違って、永琳はまだまだやる気のようだった。
「どうしたの? やけに執心してるわね?」
お姫様の言葉に、弓を出現させて俺に向けた永琳が、あの子を止めなければ、と早口に言った。
考え込むように上を向いて顎に手を添えたお姫様が、「あの子?」と疑問の声を上げる。
「あの子って、あいつ?」
「……ええ、そうよ。今度もまた妙な事を――――」
ああ、まってまって、とお姫様。
「そんな、親心満載で言わなくてもいいから。……だけど、わからないわ」
「……?」
お姫様が首を傾げると、永琳は弓を下ろして、そちらに体を向けた。何も言わないけど、何がですか、と言ったように見えた。
「だって、全然違うじゃないの、全然」
「それは、あの子はよく姿を変えるから――」
「でも、あいつの力はちょっとしか感じないけど? あんまりに、薄すぎるんじゃないのかしら。
ほら、別の力の方がいっぱいあるし」
「それは……」
自分と違う意見を突きつけられて、困惑する様子の永琳。
なんか、俺の関係ないところで話が進んでいくんだけど……帰っていいかな。もう疲れた。話の流れからして、なんか勘違いで殺されかけたっぽいし。もう帰って枕を濡らしたい。腕が痛いよ。
「どちらにせよ、あれは危険だわ。世界を――」
「破壊する程に? 確かにそうでしょうね」
「だから、ここで始末しなきゃいけない。……ところで輝夜、他の奴らは?」
「お客様? あー、うん。あいつらが夜を長引かせていたみたいだから、えいやっとやっつけといたわ」
ぶらぶらと腕を揺らしていて、ふと耳に入ってきたお姫様の声に反応した。
なんだって? 霊夢たちがやられたって?
そんな、まさか。……それは、ないでしょ。ないない。
一瞬だけ心に入り込んだ不安をかなぐり捨てて、鼻で笑ってみる。いくら強力であろうと、あいつらを相手にしてこんな短時間ですむわけがない。
俺を殺す方向で話が固まったのか、こちらを見下ろす二人を見上げ、構える。いいよ、もう。戦う気は無いけど、戦ってやる。別に、敵討ちとかそんなんじゃないけど。というか、やられたなんて信じてないけど……軽々しくそういう事を言う奴は、腹ぱんの刑だ。
腰を落とすと、ぎしりと背骨が鳴った。痛みに顔を顰めて、しかしすぐに引き締める。動こう。心臓が止まるか、頭が吹き飛ばされるまで。
リボンからカードを引き抜き、使用する。カードが光になって消えたのを確認せずに空へと手を上げ、黒棒が落ちてくるのを待つ。
……あれ、落ちてこないや。
天井を見上げ、そろそろと手を下ろす。破壊されちゃったから、もう無いのかな。そうなると、少し心細い。
まあいいか、と気持ちを切り替え、永琳を見やる。弓を構えて、弦を引っ張り、今まさに放とうとしていた。
……無理じゃないの。跳んでも二発目で消し飛ばされちゃうし、転がってもおんなじ結果。しかも、一人増えてるから、何してくるかもわかんないし。
あーあ、閻魔様に体貰えたら、復讐しにでもこようかな。その時には腕も治ってるといいなあ。
抗う術が無い事を知り、完全に諦めていると、右側の壁が爆発した。砂埃の中を何かが突っ切ってきて、お姫様にぶつかって弾き飛ばす。輝夜! と永琳が声を上げた。
お姫様と共に床に転がったのは、白髪の少女。もんぺの妖怪……焼き鳥屋さんだ。服の所々が焼け焦げていて、よろよろと起き上がると、お腹の真ん中に空いた大穴からどばどばと血が流れ落ちていた。それもすぐに、青白い炎に包まれて癒えたようだけど。
「いつつ……なんだっていうのよ~……ん?」
「あー! あんたは!!」
「あー! 輝夜!! ここで遭ったが千年目!」
お腹を擦っていた焼き鳥屋さんに、起き上がったお姫様が指を差して声を荒げれば、焼き鳥屋さんも声を荒げて返す。
ぎゃいぎゃいと口喧嘩をしだす彼女たちをわけもわからず眺めていると、崩れた壁から特大の炎弾が飛んできて、お姫様たちの元に降りて行っていた永琳の下半身を蒸発させていった。
着弾する前に飛び上がった二人から目を離し、壁から弾丸の如く飛び出してきた影を目で追った。いや、力の感じからして、それが誰かなんてすぐにわかったけども。
恐ろしい形相で、邪気を撒き散らして再生した永琳を突き飛ばし、お姫様たち……いや、焼き鳥屋さんを狙ってるな、あれは……とにかく、襲い掛かっているのは、どこかに行ってしまっていたフランだった。
焼き鳥屋さんのお腹に頭突きを食らわせて、諸共床に突っ込んで瓦礫を舞わすのを見て、首を傾げる。何でフラン、焼き鳥屋さんと戦ってるの?
逃げ出すように瓦礫の中から飛び出した焼き鳥屋さん――藤原さんだったか――を執拗に追いかけて攻撃するフランは、どう見ても正常ではなかった。しかし、発狂しているようには見えない。
フランが発狂すれば、なぜか殆どの確立で俺に襲い掛かってくるからね。どこにいても、そう。だから寝る時も危険なのです。
そいつは私の獲物よ! と、なぜかご立腹な様子で姫様が参戦するのを眺めて、すぐに床に伏した永琳へと歩み寄って行った。
背まで腕の突き抜けた傷は見る影も無く消えているけど、そこには目に見えて闇の力が残っていた。どうやら永琳は、それに苦しんでいるようだ。
へえ。不死は、そうやっても苦しませる事もできるんだ。これは良い事を知った。
荒く息を吐いて、焼き鳥屋さんたちの鬼ごっこを見る彼女は、俺が後ろに立っても気づかない事から、かなり参っているのだとわかった。まあ、人間にはその力はきついでしょうね。
ちょいちょいと肩を突っつけば、ばっと振り向き、ばっと距離をとられた。傷付く反応だな、それ。いや、殺し合っていたのだから、その反応は合ってると思うけど……もうそんな気もわかないし、そんな反応されてもね。
腹を押さえ、息を荒くしてただ俺を睨み付けるだけの永琳に、片手を軽く上げて、ひらひらと振ってみせる。
降参ですよ。俺の負け。だからもう攻撃しないでね。そんな意思を込めてみたものの、彼女は俺をにらむのをやめない。
緩く息を吐きながら、自分の体を気遣いつつ、腰を下ろしてあぐらを掻く。腕に掛かっている彼女の血液を膝に擦り付けて、それから、彼女と目を合わせた。
どうして、私を襲うのですか。
静かに、そう問いかけてみる。不法侵入したからとか、巫女だからとか、そういう理由ではなさそうなのは、わかってる。だから、それを聞いてみたわけだ。
暫しの沈黙。フランたちが暴れているせいか、時折部屋全体が揺れて、ぱらぱらと砂埃が落ちてくる。
「……あなたは、夢を見た事はある?」
あんまりに永琳が答える気配を見せないので、焼け焦げたように固まった右肩の断面を指で突付いていると、小さな声で、問いを返された。
質問に答えて欲しかったんだけど……。それともなんだ、その質問に答えたら、俺が世界を破壊するとかなんとかってのをしないと理解してくれるのかな。
だったら、と、こくりと頷いて、見るよ、と返す。将来の夢とか? 眠る時に見る夢も。
彼女は、見極めるように俺の目を見つめてきたので、負けじと見つめ返す。……ああ、駄目。もう逸らしたい。めっちゃ瞬きして誤魔化しとこう。ぱちぱちぱち。
十秒くらいか、たっぷりとにらめっこをした彼女は、納得したように三度程頷いて、それから、その瞳から敵意を完全に無くした。
どうやらこちらの早とちりだったみたい。ごめんなさい。
そう言って頭を下げる永琳から目を離し、空を飛び回るフランを目で追いかける。あ、お姫様が落とされた。炎の剣で真っ二つだ、痛そうだなー。そうだ、後でフランから黒棒を貰おう。
あの、と声を掛けられて、視線を戻す。彼女の目は、俺の右肩に止まっていた。あー、そういや、やられたんだったな。治してくれるのかな?
治してくれるのかと問えば、彼女は小さく首を振った。流石に、腕を再生させる事はできない、だって。腕が残ってれば、繋げる事もできただろうけど、私が消し飛ばしてしまったし……と顔を落とす彼女を、特に何を思うでもなく眺め、それから、別の事に思考を移した。治してくれないのならいいや。
俺が夢を見ない事は、すなわち世界の終焉を意味する。
……なんて。永琳の質問を考えると、なんとなく、そんな意味に思えてしまった。いや、俺が夢を見なかったからってなんで世界が崩壊するのかはわからないけど。
あれやこれや考えながら、ちらりと彼女を見れば、なにやら考え事をしている様子。何を考えてるんだろう。やっぱり俺を襲った事かな。もうどうでもいいのに。そんな事より気になる事ができたし。
ずん、ずずん、と一際大きい揺れが来て、危うく右に倒れそうになったのを永琳に支えて貰って持ち直していると、俺に気づいたのか、俺の名前を叫びながらフランが突っ込んできた。
そのまま頭突きでもかまされるんじゃないかと身構えていれば、目の前で急停止。ぶわ、と風が広がり、後ろ髪が流れた。
「靈夢! 靈夢が生きてる!!」
がばりと抱きつかれて、顔を擦り付けられる。そこらへん鎖骨が出っ張ってて痛いと思うんだけど。いや、むしろ俺が痛い。折れる折れる。
左手で抱いてやって背中を
顔を上げたフランが、「……腕は?」と、恐ろしく静かに聞いてきた。あー、うん、腕ね。なんかいつの間にか消えちゃったー、あはは。
「私がやったわ」
あまりの怖さに、適当な事を言って誤魔化そうとした矢先、永琳がそう口走った。途端に、トマトが破裂するみたいに、永琳の頭が吹き飛んだ。うげ、嫌なもの間近で見ちゃった。
俺を見上げたままで腕を振り抜いた格好のフランに、こら、と声を掛ける。しかし、フランは叱責には反応せずに、「靈夢大丈夫? 靈夢痛くない?」としきりに問いかけてくるだけ。お前が大丈夫か。
ぱたりと永琳の体が横倒しになるのを横目に、とりあえず何があったのかをフランに聞いた。
すると、白髪の女が俺を燃やして殺すのを目撃したので、激昂して飛び掛ったらしい。それからは、執拗に追いかけて、気が付いたらここにいた、と。
……なにそれ。わけわからん。
別に死んでないよ。この通り無事だよ、とフランを宥めようとすると、でも、腕……と悲しそうに肩を撫でてきた。あー、腕は気にするな。俺は気にしてない。むしろ、しっくりきてる所だ。
ああ、そうだとも。片腕でも、超えられる事を証明してやろう。誰に、かはちょっと思いつかないけど。
とにかく気にするなと言い聞かせれば、靈夢が気にしてないなら、と渋々引き下がってくれた。
ちょうど、永琳が復活した時だった。
不満たらたらの目で永琳を睨み付けるフランの肩を二回程叩き、立ち上がって、袴をはたく。それから、俺と同じように立ち上がって頭を振る永琳に、この傷の断面とか、どうにかならない? と聞いてみた。それくらいならできると答えられて、よし、と頷く。このままじゃ、ほんとに見栄えが悪いからね。せめて断面はどうにかしないと。
後でお薬を塗ってくれるらしい。今すぐじゃないのは、多分、フランがいなくなったのをいい事に戦い始めた焼き鳥屋さんとお姫様のせいだろう。
空腹と貧血と霊力の消耗に体力の消耗。色々重なって疲れきった体をフランに預けていると、壊れた壁の向こうから、ぞろぞろと霊夢たちがやってきた。あー、やっぱりやられてなかった。俺は信じてたよ。
複雑な表情で俺を見る永琳にちょいちょいと指を振って注意を引き、それから、霊夢たちを指差して来客を告げた。
お姫様に食って掛かる霊夢やレミリアなんかを見ていれば、焼き鳥屋さんも巻き込んで全員でどんぱちやり始めた。ああ、もう見てるだけで疲れる。
永琳が飛んでいくのを見送って、それから、フランの頭を撫で、胸を貸してもらって一眠りする事にした。
◆
誰かのえづく声に目を覚ませば、そこは柔らかいベッドの上だった。寝返りを打つと、着慣れないものの感触。あれ、いつも着てる服じゃない。背を丸めて眠っていたために、薄手の着物のような、白い衣服を身に纏っているのが、視線の先にあった膝から判断できた。
掛け布団をのけて起き上がれば、ベッドの横に両手で顔を覆ってえぐえぐと泣いている八雲さんと、ほっとしたように息を吐く霊夢が立っていた。何この状況。
霊夢に説明を求めれば、霊夢たちは集団で焼き鳥屋さんとお姫様のコンビをぼこって、それから、片腕を無くして倒れている俺に気付いたらしい。永琳からの説明を受け、勘違いで俺を攻撃したのを知ると、またまた戦闘に入ったらしい。結果は、もちろんというか、霊夢たちの勝利で。
腕を失った俺を見て、霊夢も取り乱しかけたらしいけど、それ以上に八雲さんが取り乱したので、吃驚してタイミングを逃したらしい。
こいつがこんなに感情を
死んではいないのね、力は衰えていないのね、と口早に確認してくるので、いや、見れば分かるでしょと頷いて返せば、良かった、と頭を振った。すると、次にはもう泣き顔の彼女はおらず、いつもの彼女に戻っていた。涙とかどうやって消したんだろう。
俺の手を取って、「必ず、
病室のような部屋に残るのは、俺と霊夢だけになった。
何も言わず、ただ辛そうな表情で俺を見る霊夢をおいて、右肩をさわってみる。硬い、けど、肌の柔らかさ。焼け焦げていた断面に、
それを確認してから、おいで、と霊夢を誘い、素直にやってきた霊夢を抱いて、赤子をあやすように肩を叩いてやる。
馬鹿、と呟くのに、ごめんね、と返していた。
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知らぬ内に、永夜異変は終わっていた。それぞれがそれぞれの日常に戻り、里では、時折ブレザーを着たうさ耳少女が薬を売っているのを見かけるようになった。
片腕を失い、バランスを取るのにちょっと苦心するようになった俺だが、霊夢やフランの助けを借りて、今のところ生活に支障はきたしていない。さすがに、修行なんかをするわけにもいかないし、というか、外に行く事も含めて霊夢に許されていないんだけど。
外へ行く時は、必ず霊夢と一緒に。
まあ、俺も……離れるつもりは無いから、それで良いし、霊夢が外へ出るようになるのは大歓迎だ。もうちょっとぐうたら具合を直してくれたらな、と思ってたところだし。
異変の終わりに、永遠亭の面々を呼んで宴会を開いた。俺の提案だ。もちろん、霊夢には反対されたが、彼女がうんざりするくらい四六時中永琳が悪いわけではないと吹き込んでいたら、
さて、何故俺が永琳を庇うのか、わからないだろう。
縁側と居間の仕切りに背を預け、居間に座って静かにお茶を啜る魔理沙をちらりと見やる。ああ、古い方じゃない。新しい方だ。
声に出して問い掛けたわけじゃないから、内容は伝わらなかったが、俺が見ている事に気付いて、魔理沙はこちらを見上げてきた。視線は、俺の右肩から垂れて風に揺れる袖に。
ふ、と笑い掛けると、意図が読み取れないといった様子で、しかし笑みを返してきて、お茶を楽しむ事に戻っていった。
外へと、目を向ける。秋の日は釣瓶落とし。日は山の向こうに沈みかけ、空はオレンジ色に染まっていた。日に手をかざす。作られた影が俺の顔に落ち、指の合間から、黄金色の光が漏れる。
台所から、霊夢とフランの鼻歌が聞こえてくると、自然に笑みが浮かんだ。
手を下ろし、それから、手の平を見る。そこに疵痕など影も見えないが、俺には確かに、そこに残る深い爪の痕が見えていた。
ずきんと痛むのに、拳を握りこんで、目をつぶる。懐かしい……忌々しさ。
激情が胸に溢れようかとした時、腰にフランが抱きついてきて、できたよ! と嬉しそうに言った。おー、そうかそうか。今日のご飯はなんでしょー。
卓袱台を囲み、用意されていたお箸を弄りながら、良い匂いにお腹を鳴らす。はは、と魔理沙が笑い、つられたようにフランも笑った。
料理が運ばれてくる。手伝おうか、と霊夢に問えば、駄目、じっとしてて、と言われてしまった。
……駄目。言う事聞いてあげない。立ち上がり、皿を並べる霊夢の肩に手を置いて台所に向かえば、もう! と霊夢の声。
たまには、私にも手伝わせなさい。