『霊異伝』   作:月日星夜(木端妖精)

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※射命丸さんはもみじもみもみしに帰りました



第二十七話 迷いのある巫女

 激突した瞬間に弾き返され、後方に立っていた木をぶち折って宙に舞った。

 羽を出現させて体勢を整えると、遅れて激痛が全身を駆け巡る。あまりの痛みに声も出ず、歯を食いしばって耐えた後に地面に降り立ち、何事もなかったかのようにそこに立つ幽香を睨んだ。

 ……痛い。妖怪ってのは、本当にどいつもこいつも馬鹿力だ。

 突っ込んだ勢いもあるだろうが、いつだったか受けた鬼の拳よりもダメージがでかい気がする。骨は……折れてない、と思う。というか、これくらいで折れてもらっては困る。

 『力を貸しましょう』、と天使様の声が聞こえてきたので、一も二もなく了承する。力を見誤ってはいけない。天使様たちの力を借りなければ、拳一つ受けただけで粉微塵だ。

 背後に現れた天使様を見て、幽香が小首を傾げて見せた。

 

「……なあに、それ」

 

 純粋な疑問の声。そんな事聞かれてもね。

 まあいいわ、と言って傘を揺らした彼女は、次に、それにしてもと呟いた。

 

「その翼……自力で空を飛ぶ事もできなくなったの?」

 

 言ってから、二度頷く幽香。挙動不審な、何を考えてるんだこいつ。

 空を飛べないのは、当たり前でしょう。俺にそんな力はない。力を借りてようやく飛べるようになるのだから。

 土を削ぐ音。幽香が足に力を込めたのだと気付いてすぐに構え、ようとして、胸に突き立つ傘を見た。

 刺さった傘を拒絶するように、体が後ろへ吹き飛ぶ。ガラスの砕ける音がして、後ろから気配が無くなった。……嘘でしょ、早すぎる。

 いや、速いのは、あいつか。

 胸に手を当てて、体にも服にも傷一つないのを確認しつつ、注意深く幽香を見る。傘を伸ばしきった状態で、余韻に浸るように目を細める彼女。

 ……そんな速かったっけ。もっと遅いと記憶してるんだけど。……それは、飛ぶ速さだったか?

 構え、息を吐き、次の手を考える。目で追えない速さなんて、冗談にも程がある。どう捉えようか。

 二秒。彼女が元の姿勢に戻るまでの短い間に、案を考えた。

 ぴったりくっついてれば、速さなんて関係ない。それに、力なんて全部いなせばいい。

 体を前に倒して見せると、反応した彼女が足に力を込めるのがわかった。突進しか能がないのか。それとも、単純に力比べがしたいのか。

 ノーモーションで気合砲を叩きつける。彼女の前面に、一度ではなく、四度も五度も。そうすれば一瞬の隙を作れる。

 その間に地を蹴り、距離を詰め、衝撃に目をつぶって踏ん張っている彼女の、傘を握る方の腕を外側へと弾いた。

 反対の腕が襲い掛かってくる前に、半身になって胸に右肩をぶつけ、戻ってきた彼女の右腕の手首を取る。するりと手を滑らせて傘の柄を掴む彼女の指に手を添え、零距離で光弾を放ち、爆発させれば、堪らず彼女は傘を手放した。

 落ちる傘を取ると同時に、地を蹴って幽香に体を押し付ける。押し倒す心積もりだったが、勢いが足りずに押し返された。

 ずん、と腹から腕が伸びる。同時に、背の羽が砕けて、吹き飛ばされる。

 地を転がってすぐさま立ち上がると、目前に幽香が迫っていた。振りかぶった拳を見て、左腕を防御に回そうとして、傘が邪魔で腕を前に出せない事に気付く。

 慌てて手放すが、拳はもう振られていた。

 

「魅魔っ!」

 

 叫ぶと同時、目の前に現れた悪霊が勢いの乗った拳を叩きつけられて砕けた。

 風圧に地を削って後退し、だけど、すぐさま地を蹴って肉迫する。魅魔を貫いて伸びきった腕を取ろうとして、恐ろしい速さで逆に腕を取られ、捻り上げられた。

 苦痛に顔を歪める暇もなく、持ち上げられて足が地面から離れる。

 

「ちゃちな技術で、私を倒せるとでも?」

 

 さあ、どうだろうね。

 答えを口にする事なく、挑発的な笑みを浮かべるその顔に気合砲を叩き込むと、うっ! と声を漏らしたと同時に投げ捨てられた。

 馬鹿力に、錐揉み回転する中で体がばらばらになりそうだったが、がむしゃらに気合砲を飛ばして勢いを殺し、肩から地面にぶつかって転がり、立膝をつく形で止まった。

 あちこちで花が散り、荒れ狂う風と気迫に飛ばされて舞い上がり、雪のように降り注ぐ。綺麗ではあるが、全身に走る痛みにそれどころではなかった。

 地面に叩きつけられていたら、どうなっていた事か。体の奥底から霊力を引き出し、体に纏う。荒々しい風が花畑を撫ぜていった。

 流れる紫の髪に花弁が付くのがわかる。この時ばかりは、髪が長い事を歯痒く思った。

 彼女は、片手で顔を押さえていた。手の隙間から見える表情は、愉悦そのもの。この戦闘を心から楽しんでいると、そう読み取れた。こっちは、ちょっと面白くない。こんなに力の差があるのでは、勝負にならない。

 ……だけど、負けるわけにはいかない。もうすぐ、きっとあの子がくる。その時に倒れているような事が、あってはならない。

 彼女が構えた。また、突進するつもりだろう、体勢からわかる。だけど、俺は構えない。ただ立つだけ。俺の姿勢に、彼女は怪訝な顔をするでもなく、ただ口の端を歪めていた。

 ひゅっと、彼女の方へと空気が引き込まれていった。来る。

 そう判断したと同時に彼女の姿がぶれる。速い……けど、この攻撃に、そのスピードは命取りだ。

 瞬時にしゃがみ、足を前へ伸ばす。なんの事はない。ただの足払いだ。フルスイングした金属バットを足にぶち当てられた感触がして、しかし、骨に響く痛みを無視して振り返り、凄まじい勢いでずっこけようとしている幽香の足を掴む。後はただ、踏ん張るだけ。

 それだけで、彼女の突進の勢いのままに、彼女を地面へと叩き付けることができた。

 びりびりと痺れる足に一際強く霊力を纏わせて補助とし、ついでに倒れる彼女の背に気合砲を叩き込む。

 と、ふとして、彼女が立ち上がっていた。

 どういう速さだと悪態をつくのも惜しんで、腰を落として構える。振り返った彼女には、服にも顔にも、土一つ付いていなかった。地面には、陥没した跡があるんだけど。

 ……こっちは土まみれ花まみれだってのに、よくもそう優雅さを保っていられるな。

 

「相変わらずの戦闘センスね」

 

 一音一音、噛み締めるように、彼女が言う。そりゃ、ね、突っ込んでくるだけの奴よりはあるとは思うよ。

 

「だけど、どうして本当の力を出さないの? まさか忘れたとでも? 私は一日だって忘れた事はないというのに」

 

 ……うるさいよ。空を飛べないのも、そんなに強くないのも、当たり前の事だ。……そう、当たり前の事。そうでなければ、どうして。

 

「夢美」

『出番きたー!』

 

 ぽつりと名を呟くと、すぐさま耳の奥に声が響いた。キーンと音を引いて消えた声は、次には遥か上空から聞こえてきた。

 俺と幽香が、同時に空を見上げる。

 舞い上がる白い花のその向こう。青い空に黒い渦が現れ、それが巨大なものになると、ゆっくりと船が出てきた。

 最先端に立つ全身真っ赤の女性が、岡崎夢美か。なびくマントに、不思議な文様が刺繍されていた。

 

『システムオールグリーン! さあ行くよ!』

 

 地を蹴って、無言で空へと手を伸ばす幽香から離れる。船の先に、黄色い光が収束していた。それが、教授の合図と共に地表へと放たれる。

 細く細く収束された一本。だけど、その太さはマスタースパーク程。そこに、凄まじいまでの力が込められていた。

 さらに後方へとステップを踏む中で、幽香の手から光が伸びるのを見た。黄色とも白ともつかない光。それは、空を飛ぶ船から放たれた光線を呑み込んで……あっという間に、船ごと消し飛ばした。

 薄いガラスが砕ける音が耳に響く。

 腕を下ろした彼女は、俺に向き直って、これだけ? と両手を挙げて見せた。

 ……力もあり防御力もあって、光線もあんな強さなんて、反則でしょ。どうやって勝てというんだ。

 あの力を逆に利用できれば……? しかし、光線を跳ね返すなんて……やるやつ、いたなあ。

 ふうと息を吐いて、熱を逃がす。体の痛みは全く引いてないが、あんな強さを見せ付けられれば、そんな事も気にならなくなる。

 お前にゃ、こいつがお似合いだ。

 

「アリス」

 

 呼び掛けると、目の前に光の粒が集まり、ついで、「きゃあ!」という声。

 どさっと音がしたかと思うと、そこには尻餅をついたアリスの姿があった。……マーガトロイドの方。

 裁縫の途中だったのか、糸の付いた針と布を両手に持って目を白黒させている。が、幽香の姿を見つけると、あー! と大声を上げた。

 

「いつぞやのっ! なんでここに!? って、靈夢!?」

 

 幽香に向けていた指をぶんと振って、俺に向けるアリスに、こちらも少々驚いたまま、手を差し出す。

 アリスが手を取るのを確認してから引いて立たせ、未だ混乱の中にいる様子のアリスをざっと見た。

 ……本物、だな。……おかしいな、てっきり幼い方がくるかと思ってたんだけど。

 胸の下で腕を組んで待っている幽香を一瞥して、それから、どうしてこっちのアリスがでてきたのかを考えようとして……耳の奥でアリスちゃんアリスちゃんと神綺の声がキンキン響くのに、思考を放棄した。

 帰っていいよ。

 頭の上に?マークをいくつか浮かべていたアリスが光に包み込まれて消えるのを確認した後、リボンからカードを引き抜いて絵柄を見る。

 ……幼い容姿のはずのアリスの絵が、現代のものに変わっていた。……ついでに、幽香の絵ももんぺではなく、目の前にいる幽香の姿。

 あー、よくわかんないけど……使えそうなのはたしかだな。

 

「もういい? いい加減時間が惜しいのだけれど」

「……ええ」

 

 声を発しながらこくりと頷いて、それから、腕を解いて構える幽香に向けて、大きく腕を振りかぶって見せた。

 それは、彼女から見れば大きな隙に見えただろう。誘っているわけでもない、ただ単純な隙。

 拳が届くわけもないのに、意味のない動作をする俺に、幽香はにやりと笑って地を蹴った。

 飛び散る土と白い花弁に、腕を振るう。同時に、心の中で彼女の名を呼んだ。

 ぱっと視界にいっぱいに光が広がったかと思うと、それはすぐに収まり、目の前に走り出した姿勢のままの幽香が現れた。

 振った拳に重い衝撃。勢いのまま押し切ると、顔面を殴られた幽香は大きく仰け反って地に足をつけ、一歩二歩とよろめきながら下がった。

 流石に硬いな。鼻っ柱を叩き折るつもりでやったのに、こっちの拳が壊れそうだ。

 鼻を押さえて僅かに背を丸める幽香の腹を蹴って吹き飛ばし、自らも後ろに跳んで距離をとる。認識が追いついていないのか、それとも一発入れられたのがショックだったのか、蹴る足をとられたりはしなかった。

 とんとんと後退して止まった幽香は、ゆっくりと手を下ろして、傷一つ付いていない顔を俺に向けてきた。

 怒りの表情でも浮かんでいるのかと思ったが、予想は外れていて、そこにあったのは喜びだけだった。

 溢れ出る感情をそのまま笑みにしたような表情。細められた紅い瞳が、煌々と輝いていた。

 

「……痛い」

 

 何かに思いを馳せるような声。いや、実際に思いを馳せているのだろう。持ち上げた手の先で鼻筋をなぞり、そのまま胸に持っていく。

 

「これが、本当の痛みなのね。……でも、足りないわ。もっともっと、激しいはず」

 

 腕を広げて、俺を受け入れる体勢を作る幽香に、腰を落として構える。安易に突っ込んだりはしない。彼女の言葉に、いちいち耳を貸すこともない。言ってる事わけわかんないし。

 

「どうして、遠慮してるの?」

 

 ゆっくりと、言葉が脳に染み込んでいく。

 ……遠慮? なにが? どうしてそう思うの?

 否定の言葉が浮かんでは消えて、胸の中をぐるぐると回る。遠慮なんか、してない。

 全部の力を出してやってる。力、出してるよ。

 

 でも勝てないんだよ。

 

「貴女の力はそんなものじゃないでしょう? それさえも忘れてしまったというの?」

 

 違うでしょう、と、幽香が首を振る。違くない。忘れてる。だから、勝てない。当たり前だ。だって、強くないから。

 

「だってそれなら、最初でもう死んでいるはず。貴女が今立っているのが、貴女の強さの証明」

 

 だから、全力で来なさいと、彼女は言う。

 ……違うよ。強くないよ。

 強くない。強いわけがない。強いんだったら……なんで勝てなかったの?

 

 風が吹き荒れる。

 たくさんの花びらが舞い上がっては、渦に乗って空へと上がっていく。

 彼女の体から滲み出す濃密な力が、風を呼んでいた。目に見える力。凄まじいまでのパワー。……だけど、だけど……本当は、私の方が強い。

 

 負けた事なんてなかった。

 いつだって、どんな世界でだって、ただの一度も。

 幽香とも、何度戦ったって結果は一緒だった。いつも同じ、私が勝ってた。

 この楽園を揺るがす大きな力を、大地が震える程のうねる妖力を、全部真正面から吹き飛ばして、殴って……それで、勝ってた。

 

 私は弱くなんかない。だって、あの子には強い私を見て欲しかった。

 だから、腕を失ってもどうってことないと振舞える私を見せた。

 あの子の前でずっと戦ってきた。

 なのにどうして? どうしていつもあの子を守れないの?

 あの子の愛するこの世界を、守ることができないの?

 あいつさえいなければ、私はずっと母親でいられたのに。

 

 気が付けば、嵐のような風が私たちを取り巻いていた。花の殆どがその花弁を散らし、風の中に消えていく。

 儚い。どうして、いつも死ぬのか。勝てない理由が、わからなかった。

 

 揺れる大地に、しっかりと立つ。凄まじい速さで流れていく雲を見上げていると、馬鹿正直に幽香が突っ込んできた。

 光を超えて迫る拳を、軽く振った腕でいなし、ただ一度、下から掬い上げるように気合砲を放つ。

 浮き上がった彼女に手を向けて霊力を放てば、真っ白な光の中に彼女は消えていった。

 音が消え、風も感じなくなって、それでも力の放出をやめない。

 強い? 私は強い? 世界で一番?

 

 光の中に、紅い着物がなびいていた。

 黒髪が流れ、顔に添えられた手に数本の髪の毛が引っかかっている。

 あいつは、誰だったか。なんて名前だったか。

 いや、名前なんてどうでもいい。

 お前なんて、死んでしまえ。

 

 光が収まると、伸ばす手の先にはまだ幽香が立っていた。シャツもベストもスカートもぼろぼろで、煙さえ上げているのに、清々しいまでの笑顔で。

 これよ、と彼女は言った。この痛みを知りたかった、と。

 

「もう時間がない。終わってしまう。……最後まで戦いましょう? ぶつけ合いましょう? 力の全てを出し切って」

 

 彼女の提案に、私は乗ることにした。

 だって、気分が良い。いや、すっごく悪いけど、でも、気分が良かった。

 溢れる力。世界にそぐわない力。それをぶつけられるのが、気持ちよかった。

 悔しい思いも、憎いと思う気持ちも、ぶつかっている間は、きっと忘れられるのだろう。

 それがただの逃避なのだとしても、私はそうしたかった。

 

 ぶつかりあう。

 幾度も拳を打ち合って、足をぶつけあって。単純な殴り合い。

 地面が抉れた。弾丸のように土が跳ねた。茎ごと千切れて飛んだ花が、袖にぶつかって落ちていった。

 地面に足を叩きつければ、地に蜘蛛の巣状のひびが入り、ぐんと隆起する。バランスを崩した幽香をただ殴り飛ばすと、ばねみたいに地面を蹴って跳ね返ってきて、殴り返された。

 彼女は笑っていた。私も、笑っていたと思う。膝同士をぶつけあい。服が破れて、血が飛び散って。その痛みが心地良かった。

 私だと、実感できたから。ただ、それだけ。ここにいるのは、私なんだと思えたから、もっと速く動いた。

 

 舞台は空に移る。

 青空をバックに拳をぶつけあうと、ごうんと鈍い音が響き渡って、肘にまで痺れが伝わってきた。循環する血液が一瞬止まってしまうような感覚に身震いする。

 踊るように飛んで、そう、私だけの力で飛んで、旋回する幽香を蹴り飛ばし、追いかけて足を掴み、一緒になって地面に落ちていった。

 

 ばりばりと身を削る土が、いや、削れているのは土だけだけど、体が悲鳴を上げて、全身から汗が吹き出て、額から流れる血が汗と混じって。

 ずっと息が詰まっているような、だけど、思いっきり息を吐けるような、そんな解放感。

 頬をぶたれると、一瞬意識が飛んだ。戻った時には、体が勝手に動いていて、殴り返していた。

 笑う。声を上げて、子供みたいに。

 こうやってやれれば、どんなに良かったか。

 これだけだったら、どんなに良かったか。

 

 幸せで、楽しい時間はあっという間に流れて、もう何度目かもわからないくらい私たちがぶつかり合った時に、そこまでよ、と声がした。

 

 

 ふと気が付けば、白い花に囲まれた中に立っていた。

 目の前には、左手で私を制し、右手に持った(しゃく)を向こうに立つ幽香に向けている小さな閻魔様の姿があった。

 ……さっきまでのは、夢?

 荒々しい気が体の中で渦を巻いているのを押さえて、幽香の顔を見る。彼女は、とくに興奮した様子もなく、かといって穏やかというわけでもない、そこら辺を散歩している時にするような顔をしていた。

 周りを見回す。一面に、オオなんとかの花。あれ程激しく戦ったはずなのに、殆どが散ってなんかいない。そういえば、踏み砕いた地面も、元通りになっている。

 『夢幻世界だねー』と、聞き覚えのない少女の声が耳の奥で響いた。

 夢、幻……現実じゃなかった? でも、現実に、私の体には力が溢れて……()()()

 こみ上げてきた気持ちの悪さに、口元を押さえた。なにを、なにが……なに?

 気持ち悪い。意味がわからない。どろどろとした感情が胸に流れ落ちて溜まっていく。せっかく忘れていたものが、どろどろと。

 

 大人しくしてなさい、と幽香に言った閻魔様は、次には俺、に向き合って、顔を見上げてきた。

 無駄だとは思いますが、と、よくわからない前置きをして、すぅー、と息を吸う。

 

「どうして戻ってきたの!!!」

 

 怒声が、鼓膜を直撃した。

 きーんきーんと音の鳴る耳を押さえて――ああっ、手が足らないっ!?――堪える。気持ち悪いとか言ってる場合じゃなかった。

 興奮冷めやらぬ様子の閻魔様が、ぜえぜえと肩で息をしつつ、呼吸を整えて、それから、胸元に持ってきた笏を両手で持ち、目をつぶって何やら言いそうな気配を見せた。

 説教だ。

 一瞬幽香に目をやると、彼女は自分を抱きしめて、なんだかとても穏やかな顔をしていた。

 

「大手を振るって送り出したというのに、また同じ生をやり直すとは何事ですか! ……これは、まあ、仕方ないことですけど、でも言わなきゃ気がおさまらないわ!!」

 

 そんな、勝手な。やめて、お説教やめて。だから今まで人里に下りてきてるのを見ても、絶対に近寄らなかったのに。

 

「『これも運命だった』、『後は娘に任せます』。これは、あの世であなたが言った事です。

 しかし、実際はこれ! また戻ってきて、あまつさえ記憶を失ったなどと、ぬけぬけと!!」

 

 キンキン声に、顔を顰める。

 仕方ないでしょ、本当に忘れてたんだもん。そもそも、一度はたしかに何もかも忘れて転生した。なのに、なぜだかこっちの世界に戻ってきちゃったんだもん。

 

 何度も何度も『博麗靈夢』をやり直す自分に、閻魔様が切れて、説教をされた昔の事。その時、たしかに吹っ切れて、全部あの子に任せようと思った。

 だけど、こうして戻ってきて、あの子と触れ合う内に、自分の不甲斐無さを思い出して、悔しくなった。

 あの赤い着物の妖怪さえ――どうしても名前が思い出せない――倒していれば、ずっと母でいられたというのに。

 平和な世界で、一緒に暮らしていけたのに。

 くどくどと次から次へと閻魔様が発する声を右から左に受け流しつつ、そんな事を言うと、「知ってます!」と怒鳴られた。

 じゃあなんで説教するのー!?

 

「おさまらないからです! たしかに今度の事は、あなたのせいじゃない。だけど、あんっっっなに説得してようやくあの世からあなたを追い出したのに、戻ってくるなんて!!!」

 

 うがー、と笏を振り回す閻魔様を、その力の強さに驚きつつも宥めようとして、しかし、どうにもならない。

 どうどう、と声に出して言うと、さらにヒートアップしてしまった。

 手伝って欲しいと幽香に目を向けると、彼女は彼女で白い花を空に舞わせて、その中でくるくると踊っていた。なにが、私だけの時間よー、だ。頭おかしくなってんじゃないの。

 

 結局閻魔様が落ち着いたのはそれから十分後で、落ち着いたら落ち着いたで説教をされること四十分。しかも、その内容が生活習慣だとか、この世界に生を受ける前のあの世の振る舞いだとか、今の自分には直接関係の無い事ばかり。鬱憤が溜まってるのはわかるけど、それを俺に、言わないで欲しい。

 花畑の中で、閻魔様と隣り合って座る。幽香は、「時間だわ」と呟いてどこかへ飛んでいってしまった。

 きっとあの子の所に行ったのだろうとなんとなくわかったけど、ついて行ったりはしなかった。

 閻魔様がいるし、何より、今はちょっと、あの子の前に出たくない。

 私から話せる事は、殆どありません、と、閻魔様が言った。ですが、できる限りの事には答えられます、とも。

 聞きたい事、か。

 今自分でわかっている事といえば、わた、俺が……ああ、もういいや。今さら少ない男の生を引きずる必要もない。

 わかっている事は、私が何度も『博麗靈夢』としての人生をやり直しているという事。

 全部が同じ道筋を辿ったわけじゃないという事。あの子を拾わない事もあったし、両親がいた事もあった。魔理沙との間であの子を育んだ事も、数えるくらいだけど、あった。

 でもその殆どで、私はあいつに殺された。あの、赤い着物の妖怪に。あいつは……この世界の私が、命と引き換えに封印したんだっけ。だから、この世界では、あの子はああして健やかに育っている。少なくとも、一緒に住んでいた以上は、そうだと思えた。

 でも、あの子の心まではわからない。博麗の巫女としての責務を負わされて、迷惑に思っているかもしれないし、普通の女の子として生きたいと思ってるかもしれない。

 ……ずっとあの子を見てきたんだ、あの子がそういう事を考えないのは、わかってる。だけど、そうでないとは言い切れない。

 

 ……それから、何があったか。私が死んだ後のあの子を思い、転生して、もう一度自分をやりなおした私たちには、前世の記憶なんてものはなかったという事くらいか。

 記憶があるんだったら、最初からあの妖怪を倒す事だけを考えていただろう。最初から、信じていなかったはずだ。

 でも、記憶が受け継がれなかったばかりに、繰り返し、私は死ぬだけだった。

 どうして今回、突然この世界に戻ってこれたのだろう。この世界の私は、既に死んでいる。その魂は、どこへ行ったのだろうか。

 ぽつりと呟くと、閻魔様は「多くは語れませんが」と前置きして、話し始めた。

 

「この世界で死んだあなたは、あの世で今までの自分の記憶を取り戻し、嘆き、暴れました。それを押さえるのは苦労した……。博麗霊夢を守るのだと、あなたの憎む妖怪に止めを刺すのだと、法則を無視してまで現世に飛び出そうとしました。

 それを、何時間も、何日間も、何年間も静めて説得して、ようやく転生の輪へとあなたを蹴り……じゃなかった、送り出したのです」

 

 息継ぎをする閻魔様の横顔を見て、それから、笏を握る小さな両手を見る。

 迷惑を掛けたのだろうな、とは思えても、謝る気にはなれなかった。その時の私の気持ちは、本物だったのだろうから。

 

「あなたは、帰って来ました。たしかに向こうの世界へと行き、別人としての生を歩んではいましたが、この世界のあなたが死ぬと同時に、唐突にその魂は消えてしまった」

 

 そもそも、と彼女は言う。

 

「同一の時間軸に、同一の魂があること自体がおかしかったのです。私はそれに気付くことはできませんでした。気付いてはいても、管轄外。私の手が出せる場所ではない」

 

 そして、三途を渡り、私の裁きを受け、あの世に到達していつものように暴れ出したあなたも、博麗霊夢が十二になると同時に消えてしまった。

 それと同時に、博麗神社にあなたが現れたのです、と閻魔様は締めくくって、息を吐いた。

 

「二つあった魂は、一つに戻りました。だけど、問題はそれで終わらない。一度死んだ人間が、また生を受けた。しかも、ある程度成長した姿で」

 

 わけがわからない、と閻魔様はお手上げのポーズをする。だけど、わかってはいますと、理解しがたい台詞を付け足した。

 

「本当は、全て知ってます。どういう事が起こっているのか、何が起きて、ここにあなたがいるのか」

 

 だけど、それを私が口にする事はできない。

 そう言って、閻魔様は悲しそうにした。

 ……そう気を落とす事はない。大丈夫。ちょっと、話の意味がわかんなかったから。

 でも、私の魂が、霊夢の母親と同じものだとわかって、安心した。……安心したけど、それとこれとは別だと、心の中で思う。

 

 だって、魂は同じでも、記憶は違う。

 私が愛する娘があの子でも、あの子の愛する母親は私じゃない。

 だから、母だなんだと言ってあの子の前に立つ事はできない。それは、ただの押し付けだ。あの子を困らせるだけだ。

 私は大人しく、博麗靈夢を演じていればいい。

 ……なんて、そんなの、堪えられるわけがない。絶対に、私はあの子に甘えてしまう。受け入れられないとわかっていても、どうしても。

 守るとか、成長を見ていくとか、偉そうな事を言っていても、結局私は子供だ。わがままな子供。

 そんな私があの子の近くにいても、あの子に迷惑が掛かるだけだ。

 ……ああ、ほら、わがまま。だって、自分が苦しみたくないから、あの子に会いたくないって思ってる。離れようと、口実を作ろうとしてる。

 ……いいや、もう。ただ、見守っていられるだけでいい。近くにいる事はできないけど、それでいい。

 思えば、この世界が初めてだ。成長するあの子の姿を見ていられたのは。

 いつも、レミリアの起こす異変が来る前に、私は死んでいた。幼いあの子を残して。それが最善だと信じて。

 結局、死んだのに納得いかなくて何度もやりなおしたんだろうけど。

 でももう、あの妖怪の事で思い悩む必要はない。命と引き換えに封印する禁術は、恐ろしい程に強力だ。あの妖怪が出てこられるはずもない。実際に、今に至るまで出てくる気配も無いし、里の人に変化はない。

 ただ一つ気掛かりなのは、八雲紫。

 あの人は、何を考えているのだろうか。それだけが、わからない。何か良からぬ事を考えているような気がするのだけど、でも、それはきっと幻想郷に害を及ぼすような事では無いのだろう。

 

 不意に、肩を撫でられた。失った右の、肩。辛いですか、と閻魔様は聞いてきた。

 嘘をつく必要は、ないだろう。私は素直に頷いた。

 

「……自分の信じる道を進みなさい。あなたが信じるのなら、未来はなんにだって変わる。希望にも、絶望にも」

 

 それは、普通の事なんですけど、と付け足して、それから、俺の顔を見上げて、閻魔様は言う。

 

「全ての異変が終われば、それで、終わりです。全部。その時に、全部をぶつけなさい」

 

 どういう意味かと問おうとして、閻魔様は、口元に人差し指をつけて、「しー」と言った。

 

「秘密ですよ。こういった助言も、かなり危ない。私も消えたくはありませんが、何より、あなたたちが消えるのを見たくはない」

 

 それこそ、どういう意味かと聞きたかった。

 私たちが消える? それは、どうして?

 全ての異変が終わった時というのなら、やはり八雲紫が関わっているのか。

 ……だったら、お望みどおりにしてやればいい。私が全ての異変を終わらせて、八雲さんを見つけ出し、悪い事をしようとしてるのならとっちめる。

 それから……それから、私の気持ちの整理ができたら。

 もし、霊夢が受け入れてくれるのなら、その時は、私はあの子の元に行こう。

 

 それまでは、少しの間お別れ。

 波立った気持ちを静めるまで、全ての異変が終わるまで。

 そうしたら、きっと、私は。

 

「……時間です」

 

 ん? と閻魔様を見る。彼女は立ち上がり、彼岸に戻ります、と言った。

 

「そろそろ小町も懲らしめられた頃でしょう。私は私の役割(ロール)を果たすために、博麗の巫女と弾幕ごっこをしてきます」

 

 それではと言って、閻魔様は空へと舞い上がっていった。

 白い花が舞い落ちる。

 なんだか、誰かと踊りたい気分だった。

 

「あーあ、気が滅入っちゃうなあ。霊夢になんて言って、神社を出てけばいいんだろ」

 

 『私』ぶってみても、その気持ちは消えずに、私は、暫くの間、花びらの上がり続ける空が茜色に染まるのを眺めていた。


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