『霊異伝』   作:月日星夜(木端妖精)

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びみょ。
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第二十八話 揺らめく住人

「迷ってるんでしょ?」

 

 ざわめく木々の声の中に、魔理沙の声が溶け込んだ。

 木に背を預けて、立てた膝と腹の合間に置いた腕から目を離し、隣に立って私を覗き込む魔理沙の顔を見上げる。

 変わらぬ笑顔をたたえたまま、彼女は再度、迷ってるんでしょ、と言った。

 

「……何が」

 

 顔を落とし、ぶっきらぼうに答えると、いやさ、と魔理沙が横に座った。

 

「我慢してるから、そんなにストレス溜まるんだよ」

 

 人差し指と親指の腹を擦り合わせるのを眺めながら、別に、ストレスなんて溜まってない、と返す。

 そんな要因はないし、だから、苛つく事なんかないし。

 太ももに擦れる布をつまみながら、そんな風な事を口にして、返事を待つ。だけど、いくら待っても魔理沙から言葉が返ってこない。

 どうしたのかと思って顔を上げようとして、「霊夢だ」と魔理沙が言うのに、勢い良く立ち上がった。ぴんと背筋を伸ばして、体中に気を張って。

 生まれた威圧感が木々を揺らし、紅葉した葉が雨のように降り注ぎ、生まれた風が地を撫ぜていく。

 そうして体裁を整えて、霊夢の姿を探した。

 ……いない。前にはただ、森が広がるのみである。

 脱力して座り込み、「ほら、やっぱり会いたいんだ」と笑う魔理沙を一睨みしてから、息を吐く。緊張で強張った体に、汗が滲んでいた。

 少しだけ開いて青空を覗かせる木々の合間、そこから降り注ぐ光を眺めながら、右の肩を抱く。

 過剰な反応だと思う。自分で、わかってる。……会いたいと、考えてるのは。

 頭も体も記憶も、全部があの子を求めてる。一緒にいたいと願ってる。でも、まだ心の整理ができてない。気持ちが落ち着かないから、答えが見つけられないから、会いたくない。

 たしかに、ストレスが溜まってるかも、と呟いた。

 

「でしょ? だったらほら、それを解消しちゃえばいいじゃない」

 

 やりたい事もできて一石二鳥、と指を振る魔理沙に、こちらは首を振る。

 どんな顔をして会えばいいのか、わからない。自分から出てきたというのに。会いに来てくれたあの子を、追い返したというのに。

 ぐるぐると胸の中で渦巻く暗い気持ちに眉をしかめていると、顔の前に拳を差し出された。

 何のつもりかと魔理沙に問えば、じゃんけんしよう、とよくわからない答え。

 

「理由が必要なんでしょ。会う理由。作ってあげるから、ほら、じゃんけん」

 

 真剣そのものの魔理沙の目を見て、それから、拳を見て。なんとなく、こちらも手を出した。

 彼女の音頭で、規定のポーズを作る。手を握りこんだ形。対して魔理沙は、手を広げていた。

 ……負け、か。

 すっと手を腹の上に戻して、顔を落とす。あー、あー、と魔理沙が声を上げるのを意識の外に追いやって、目をつぶってまぶたの裏の暗さに沈む。

 もしかしたら、なんて淡い期待を抱くんじゃなかった。理由ができれば、動くかもと思ったのに、結局動かない理由を作ってしまった。

 

 わかってはいるのだ。

 会いたければ、会いに行けばいい。それで済むのだから。

 でも、頑固な私は、それができない。恥ずかしいのかもしれない。変わった自分を見られたくないとか。

 馬鹿馬鹿しいと、全部を投げ出して神社に駆け込みたい。それが、今の自分の気持ちだ。

 もうなんでもいいから、あの子を抱きしめたい。どう思われたって構わないから、その一度きりでも構わないから。

 そう思いながらも、それを行動に起こさないのは、やっぱり、私が弱いからか。

 嫌われたくない。

 

 魔理沙が息を吐く音が聞こえた。

 くるんと動く気配がして、次には、魔理沙の気配がさっぱり無くなっている。帰ってしまったらしい。

 彼女も、いつまでもうじうじしている女の相手なんかしたくなくなったんだろう。

 頭に重くのしかかる何かを無視して、そう結論付ける。

 

 後にはただ、木々のざわめきだけが残っていた。

 

 

 ざわざわと、木々のざわめきとは別の、いくつもの声が重なった音。少女達の会話が雑多な音として耳に届くのをそのままに、妖精に手渡された木の実を口に運んで黙々と噛んでいた。

 私が背を預ける木を中心に、数十か数百の妖精たちが集い、思い思いに動いていた。

 お喋りに興じていたり、弾を撃ち合っていたり、抱き合って寝転んでいたり、小物を使った、なにやらよくわからない遊びをしていたり、果物や木の実を食べていたり。

 私の横に座って、私に寄りかかる妖精をちらりと見やり、それから、私の周りに集まって、喋ったり寝転んだりしている妖精たちをぐるりと見回す。

 金や黒や、緑。奇抜であったり、そうでない髪色の者や、長い髪を編んでいたり、短髪だったりする者。妖精にも色々いる。

 性格もそう。穏やかであったり、気性の激しい者もいれば、感情の不安定な者もいる。

 それがどうしたのかと聞かれれば、何も答える言葉は無い。だけど、どうしてか、妖精たちに何か思うものがあった。

 なんだろう。人間より人間らしい? ……違う。なんだろう、わからない。

 妖精の頭を撫でてやりながらぼーっとしていると、ざわざわが一層強くなったのに気がついた。

 見れば、ほとんど全ての妖精たちが顔を合わせてひそひそやっているじゃないか。しばらく眺めていると、どうやら向こうの方から情報か何かが流れてきているようで、それを全員が全員に伝えようとしているらしい。

 時々ある事だ。どこそこに厄介な妖怪が現れただの、どこそこに人間が来ただの。

 それを聞いた妖精が何をするかといえば、興味本位で見に行ったり、悪戯しに行ったり、または鉢合わせしないようにそこに行かないようにしたり。

 また何十匹か飛んでいくかな、と見ていれば、どうしてか誰も飛んでいかない。どの子も、眉を八の字にして困惑しているようで、まず情報の処理に(つと)めているようだ。

 私と同じように顔を上げて辺りを見回していた妖精に、駆け寄ってきた妖精が耳打ちした。ふむふむと頷いていた妖精は、その妖精が離れるやいなや、私の袖を引いて手招きをした。なに、耳を貸せって?

 

「……!」

 

 体を傾けて耳を貸してやると、妖精はすぐにごにょごにょと情報を伝えてくれた。

 その内容に、僅かに目を見開く。そうか、もうそんな時期か!

 

 すっくと立ち上がると、ざわめきがやみ、全員が私を見上げていた。一度全員の顔を見回してから、静かに告げる。

 妖怪の山へ向かう、と。

 ざわりと騒ぎ立てた妖精たちは、しかし、すぐに静まり返り、私の指示を待つようになった。

 なぜ言う事を聞いてくれるのかはわからないけど、今はそんな事はどうでもいいか。

 大まかに三つにわけて、博麗神社に向かって巫女を足止めする者たちと、私と一緒に妖怪の山に向かう者たち、その道中に向かう者たちを決め、飛び立った。

 あの子が動き出す前に、私がこの異変を終わらせる。

 遠く見える山を睨みながら、すぐに終わらせよう、と何度も言葉を繰り返す。もしかしたら、あの子に会えるかも、なんて期待は、胸の奥に蹴り込んで。

 

 

 数百からなる妖精の群れを引き連れて、向こうの山を目指して飛ぶ。

 私一人なら十秒も掛からないが、こうも妖精たちが周りにいると、そんな速さで飛ぶわけにもいかない。

 すぐに甦り、本人達が気にしないのだとしても、自分のためだけに命を散らすのには躊躇いを覚える。

 それに、移動が遅ければ遅いほど、あの子と顔を合わす可能性が……。

 

「…………」

 

 眉根を寄せて、浮かび上がった甘い考えを捨て去る。一度、全てを終わらせてからあの子に会おうと決めたのに、どうしてこう、すぐにあの子の事を考えてしまうのだろう。

 力は強くとも、心は弱い。そんなだから……負けるのだ。

 唇の端を噛んで、思考を異変解決だけに傾ける。今は、それ以外いらない。

 

 興奮しているのか、妖精たちがやたらと動き回っている。

 そこかしこから飛んでくる妖精たちがそれに合流し、あちこちに妖力弾をばら撒いていた。

 何を攻撃しているのか少し気になったが、目の前を飛んでいた妖精たちがざっと割れて、地上へ降り注いで行くのを見送って、前へ出た。

 後ろにくっついてきていた者も、何かを見つけたかのように下に見える川に降りて行く。何度か妖精の死ぬ音が響いたのを見るに、誰かを襲っているようだ。

 山の妖怪か何かだろう。あれこれ考えている内に、山に近づいてきたようだ。

 慌しい気配の満ちる山の、その山頂付近。ぴりぴりと張るような、または曖昧な大きな力を感じる。あそこに、今回の異変――正確に言えば異変でもなんでもないのだろうけれど――の元凶がいる。

 神、だったか。神綺の持つ力とはまた別の、(きよ)い力を二つ……三つ? 感じる。それらを張っ倒せば、ひとまず終わりだ。

 

「止まれ!」

 

 この先いくつ異変が残っていたかを思い出そうとしながら山頂へ飛んでいくと、山の中から複数の影が飛び出してきた。殺気立った……天狗。

 入るなだとか引き返せとか言われても、私は行くしかない。一言、お願いをしてみたが、向こうも引く気はなさそうだ。それが仕事、なのだろう、たぶん。

 遠慮の無い妖力弾が眼前に広がるのを、特に何も思わず掻き消す。不可視の霊力を放っただけだが、力の加減が難しく、思いのほか大きな風が生まれた。

 紅葉した葉っぱと天狗たちが散っていくのを眺めて、それから、山に入る。

 ……いや、入ろうとして、その場で止まった。

 

 山中に広がっていた神の気配が、全てこちらに向いていた。一点に集中して穿とうとしてくるような気配を鬱陶しく思いながら、しかし、手間が省けたと考える。

 向こうが私に気づき、また、敵意を向けてきている。なら、向かってくるだろう、たぶん。

 静まり返った山を気に留めず、じっと気配の向こうを見つめていると、不意に気配が膨らんだ。

 次には、そこから棒が飛んできていた。

 ……間違った事は言ってない。棒が、飛んできたのだ。横幅も縦幅も長さも、木の枝のように小さなそれが、神力を纏って飛んできていた。

 なんの冗談だと眺めていれば、それはいきなり肥大化し、山頂を覆い隠すほどの大きさになったじゃないか。

 茶色い平面が迫ってくるのは、なかなか壮観だった。かなりの力を注いだのだろう一撃を、姿も見えない私にいきなり放った事にも驚きだが。

 

 一度右足を後ろにやり、風圧と共に迫ってきたそれを、上へと蹴り上げる。投げやりにやったのが功をなしたか、良い力加減だったようで、棒は砕ける事無く上を向いた。

 左の手の平を空へ向けてさっと動かすと、重い音が響き、巨大な棒が浮き上がる。それを蹴り飛ばして、お返しにしてやった。

 山へ帰っていった棒は、山頂を穿つ前に萎み、元の小さな棒になって落ちていった。……あそこら辺に、神がいるようだ。

 音も立てず、霊力を纏う。揺らめく霊力を操り、不可視の道を作り上げる。その中を、全速力で飛び抜けた。

 

 木々の中に突っ込み、神社の前に広がる石畳に着地すると、上手くいかなかったのか、びしりと亀裂が広がった。壊すつもりは無かったのに、と思いながらも、神の姿を探す。

 ……いや、探すまでも無かった。目の前に、片膝を立てて座っているのだから。

 紫の髪をした、いかにも神だというように神々しい力を纏った女が、顎に手を当てて訝しげに私を見ている。対して私は……私は、えっと、何をすればいいんだろう。

 ……そもそも、今回の()()の事の起こりはなんだったか。何があってあの子が動き、目の前にいる者を倒すに至ったのか。

 ……理由が見つからない。戦う理由。倒すという目的はあるのに、正当な理由がないせいで手を出せない?

 近くに見える湖の、そこにたつ棒の山々を眺めながら、先に攻撃してきたのは向こうだから、こちらが攻撃する理由はそれで十分か、と結論付けた。

 上から下へ、力量を測るように目を動かす神を前にして、待つ。……本当は、その間に後ろに回りこんで蹴り飛ばしでもすればそれで終わるのだろうけど、どうしてか私は、そうしない。

 いや、白々しい、か。

 こいつが行動を起こすのを待っているのだ、私は。期待している。私の行動を阻害し、時間を稼いではくれないかと。

 そうすれば……そうすれば。

 

「麓の……」

 

 ……?

 妙な所で区切って、口を(つぐ)んだ神を訝しげに見ると、二度三度口をぱくつかせた神は、「……巫女か」と重々しく言って、息を吐いた。

 それから、ゆっくりと首を振り、腕を上げて私を指差した。

 ぴかりと指先が光り、放たれた光線がまっすぐ伸びて私の眉間にぶつかってきた。

 反応できなかったわけじゃない。する必要も無いと思ったのだ。

 驕っているのではなく、片方しかない腕を、真に私を脅かす攻撃を打ち込まれた時にとっておくための動き。

 ……動いては、いないけど。

 

 微動だにしない私を細めた目で見ていた神は、すっと立ち上がり、何を思ったのか、私に背を向けて拝殿の中へと消えた。その最中、軽く上げた腕を、後ろから前へ振る。ついて来いと?

 拝殿の入り口に濃い力が膜のように張られているのを感じるが、敵意が無い。……あってもどうにかできるだろうと判断して、後を追った。

 膜を潜り抜け、目の前に迫っていた鉄の輪を掴み取り、そのまま投げ返す。

 畳敷きの部屋――真ん中に卓袱台があるのを見るに、居間か何かだろう――の奥に、不思議な帽子をかぶった少女が、鉄の輪を受けて目を見開いていた。

 見ると、目を細めて、何かに納得したように一つ頷いていた。

 なんだ、こいつらは。さっきから薄目で私を見ては頷いて。言いたい事があるなら言えばいいのに。

 

 小さな神と見つめあっていると、からからと音を立てて戸が開き、そこからさっきの神が入ってきた。

 小さな神の元まで歩いていった神は、小さいのと顔を合わせ、次には構えていた。

 対称になるように腕を突き出した半身の構え。身長差ゆえに滑稽に見えるが、隙はない、と思う。

 正直、隙がどうとか、そういうのはわからない。いけるかいけないかは感覚だ。今は、いける感覚。

 構えたという事はやる気なのだろうが、敵意も何も無いのは一体どういう事なのだろうか。

 漂わせている神力は、ただの飾りか。

 何をするつもりなんだろうと見ていれば、二人は顔を見合わせ、それから、腕を下ろして構えを解いた。

 ……何がしたいのよ、あんたらは。

 

 どっかりと座り込んだ神を見て、次に、立ったまま私を見続ける小さな神に目を移す。

 視線が絡み合うと、小さな神は肩を(すく)めて、困ったような顔をしながら座り込んだ。

 少しの間私の顔を見ていたが、飽きたのか、卓袱台の下に目を向けて、ついでに腕を突っ込み、小さなかごを引っ張り出した。

 透明の袋に詰められた煎餅。ピンクや薄緑の、表面が白いざらざらに覆われている寒天のような菓子。

 懐かしい物を見たような気分になった。

 どこから取り出したのか、袋を破いて皿の上に中身を乗せた小さな神は、大きな神――いい加減、名前でも聞くべきだろうか――を見上げて、見上げられた神はというと、腰を上げて部屋の外に出て行った。

 

 その背中を見送って顔を戻すと、煎餅をくわえた小さな神が、自分の対面を指差していた。

 座れ、という事らしい。

 いぶかしみながらも正座をして、なぜこのような事をするのかを聞こうとして、こちらに差し出されたおせんべを受け取って一口齧った。あ、味が濃い。

 ……なんてやってる場合ではない。

 

「……なぜ神社を」

 

 姿勢を正し、せんべいは置く場所が無かったので全部食べてから、発する言葉を探して、それで、その言葉。

 卓袱台の下から取り出した本を読んでいた小さな神は、少しの間顔を上げ、しかし、何も言わずに顔を戻した。

 妙な沈黙が下りる。

 

 困った。

 たぶん神社に何かしたのだろうから、あの子が動いたのだとして、その理由を聞いてみたわけだけど、神は答えなかった。戦う理由を作ろうとしているのを感づかれでもしたのかも。

 しかし、答えられない事には、私は動けない。

 先に攻撃を仕掛けられた、というのを理由にしようにも、こんな風に受け入れられてる中で、いきなり殴りかかるのもおかしいし。

 どうしようかどうしようか、いっその事このままここに座っていようかと考えていると、戸が開き、大きいほうの神が入ってきた。

 湯飲みを三つ乗せたおぼんを持って。

 

 目の前に置かれた、湯気の上がる湯飲みを見ていると、おぼんを置いた大きな神が手を振った。

 ……遠慮なく飲め。そう言っているような気がする。

 なぜ喋らないんだろう。理由でもあるのだろうか。そう思いながら湯飲みを取り。

 取ったところで、後ろでガラリ! と大きな音がした。

 

「戻りました、神奈子様ー。諏訪子様ー」

 

 戸を開く力強い声とは違って、弱々しいというか、投げやりな声が背後でした。

 おかえりー、お帰りなさい、と二人の神が返すのに、ゆっくりと振り向く。

 あ、こいつだ。感じていたもうひとつの力。

 綺麗な緑の髪に、肩やふちが擦り切れて肌が見えている巫女装束。随分ぼろぼろのもう一人の神が、元気のなさそうにそこに立っていた。

 

「どうだったー早苗? 倒せた?」

「いいえ、結局負けちゃいました……」

 

 悔しいです、と小さく言って顔を落とした神……さなえ、と呼ばれていたか、の目が、私の目と合った。瞬間、悲鳴を上げて飛び退られた。

 

「あっ、えっ、なんで!? 引き離したはずなのに!」

 

 わたわたと、手に持っていた棒切れを私に向かって突き出して早口で言う。神……巫女? そんな折れた棒切れで何をしようというのだろう。

 「その人はお客さんだよ」、と大きな神が、さなえとやらをなだめると、さなえははっと息をのんで、それから、まじまじと私の顔を覗き見た。

 あまりに顔が近づいてくるので背を反らして逃げていると、「あれは?」と小さな神。

 「あ、はい」と、ぱっと私から離れたさなえは、ぽつぽつと報告(だと思う)しだした。

 

「えっと、その、指示通り麓の神社に向いますと、そこの巫女が向こうから出てきていまして。それで、その、戦ったんですけど、強くて……。力を貸してくれる存在があんなにいっぱいいたのに、情けない」

 

 言葉の途中途中で私を見ては、眉根を寄せるさなえに、神は「いいよ、次は私の番だ」と言った。

 というか、いまさらだけど、喋れたのね、あんたら。

 

「早苗はそこの人間の相手をしていなさい。その内に体も休まるだろう」

 

 そう言って、開きっぱなしの戸を抜けて出て行った大きな神を見送って、さなえに目を移す。

 私の視線に気づいたさなえは、戸惑っているような表情で「あの、はじめまして?」と挨拶をしてきた。

 

「えっと、私、東風谷早苗って言います。一応この神社の巫女です」

 

 自己紹介をされれば、返さなければならない。こちらも名乗ると、いっそう困惑した様子になった早苗だが、私の隣から座布団を引っ張っていってそこに座り、小さな神が湯飲みを渡すと、一口飲んだだけで落ち着いたようだ。

 ……私もお茶を飲めば落ち着くかな。

 ほふー、と息を吐く早苗を見ながら、あの子がすぐ近くまで来ていると聞いてからざわついている胸を押さえる。……会いたい。いや、駄目だ。まだ終わってない。どうしよう。

 目を落とすと、視界が歪みだして、頭痛がした。

 ……ああ、いやだ。なんでこんなに考えないといけないんだろう。全部壊せば、気兼ねなくあの子に会えるだろうか。

 

 逃避でもするように悪い事ばかりを考えていると、小さな神と話していた早苗が、大丈夫ですか? と心配してきた。それに軽く手を振って返し、小さな神を見る。

 ……理由。戦う理由。終わらせる理由……だめ、見つからない。どうしよう、私が終わらせないといけないのに。早く終わらせないと。いや、でも、終わらせなければ、あの子に……。

 

 ただ見るだけの私に小さな神は何も言わず――そういえば、まだ声をかけられていない――、その代わりか、「冷たい麦茶でも持ってくるね」と言って部屋から出て行った。

 残った早苗は、丸まった私の背を撫でて、大丈夫ですかと声をかけてくれた。

 ……その優しさを、受け取れない。私は戦おうとしているのだ。あまり触れ合わない方がいい。

 そうは思っても、背をさすられていると気分が落ち着いてくるので、何も言えなかった。

 

「普段は、なにを?」

 

 気を紛らわせるためか、早苗が話を振ってきた。黙っているのは悪い気がして、それに乗る事にする。

 ぽつぽつと、小さな声で話す。質問されれば、それにあった言葉を。逆に、こちらから質問してみたりもした。

 何をしていたのかとか、何をするつもりだったのか、とか。

 神たちとは違って、早苗は黙ることも無く、しかし、言いづらそうにその理由を語った。

 要約すれば、幻想を守るためだとか。

 

 自分達でそれを成しえられると信じきっている瞳をどうしてか見ていられなくて、目を逸らした。

 自分が何を考えているのか、わからなくなってきた。何がしたいのか、わからなくなってきた。

 あれがしたい、と思うと、何かが邪魔をして駄目。これがしたいと思うと、準備ができてないから駄目。その準備はちゃんとできるの? いつ終わるの?

 今すぐがいい。今すぐあの子に会いたい。異変なんて、もういい。悪い事が起こるなら、全部壊すから。

 ……不意に、気付きたくないような事に気付いてしまった、ような気がした。

 ……それでも、いや、だからこそ? なおの事、壊さなければいけない。

 

「ええ、そうです! 私も好きなんですよ、クリームソーダ」

「え?」

 

 いきなり耳に飛び込んできた、わけのわからない単語に顔を上げると、きらきらとした笑顔がすぐ目の前にあった。

 

「子供っぽいってよく言われるんですけどね、好きなものは好きなんです。でも、良かった。ここにも、クリームソーダはあるんですね」

 

 どういう話の流れか、私は早苗に好きなものを聞いていたらしい。嬉しそうに言う早苗に、首を振ってみせる。

 残念ながら、ここにそれはない。

 

「え? え、でも、それじゃあレイムさんはどこで食べたんですか? クリームソーダ」

「……」

 

 どうやら、私が先にそれを好物だと言ったらしい。口を開いたつもりはないけど……考えている内にぺらぺらと喋っていたのだろうか。

 それにしても、くりーむ……ああ、クリームソーダ、か。たしかに、好きだった、のかな。昔の事すぎて覚えてない。好きだったとしても、ずっと口にしていなかったから、味も思い出せないような気もする。

 

「早苗は……いくつ?」

 

 いらない事を聞かれる前に、こちらから質問する。首を傾げていた早苗は、しかしすぐに私の質問に答えてくれた。

 若い。

 ……若いのは、良い。凄く良い。

 私も若いままでいたかった。未来を知らずに生きていたかった。

 ……ああ、今がその未来か。幸せじゃないか。あの子が生きているんだもの。

 …………それだけじゃ、満足できない。一緒にいたい。なんで、一緒にいちゃだめなんだっけ。

 ……あ、そうだった。私があの子の母親じゃないからだ。母親じゃないから……なんで? なんで母親じゃないの?

 あの子の親は私のはずだ。私だけのはず。なのになんで、あの子の親が私じゃない? そんなの、変だ。そんなの、おかしい。

 

「……あの、大丈夫ですか?」

 

 肩に手を置かれた感覚に、気を戻した。握りしめていた拳を開いて、早苗を安心させるために微笑む。大丈夫よ、と言おうとしたが、口が動かなかった。まるで、記憶を失くしていた時に戻ってしまったみたいに。

 事実は、そうじゃない。ただ、口の中が乾いていて、本当にうまく口が動かなかっただけだ。

 いつの間にか戻っていた小さな神からコップを受け取り、一気に飲み干す。

 冷たいものが胃に落ちると、随分落ち着いた気がした。

 

「ありがとう」

「いえ、どういたしまして」

 

 小さな神に礼を言うと、なぜか早苗が答えた。とうの神は、何も言わず読書に戻る。……あれ? 読んでるのは絵巻だ。えまき、じゃなくて、えー、漫画?

 しかし、変に喋らない神様だ、と思っていると、今度は早苗が質問してきた。じゃあ、私はいくつなのか、と。

 

「たしか、今年で二十」

「えー!? 本当ですか? いくらなんでも、若いような気が……」

 

 あー? 老けてるように見えるの? 違う? 外見が若すぎる、か。そう言えば、あんまり背も伸びてないし……この分だと、もうあの子に背を追い越されているかも。

 何か複雑な心境になって、それを振り払うために、出身は? と早苗に聞いた。

 

「学校のある町です。寺子屋、と言うんでしたっけ? 広いですよ」

 

 そうじゃなくて、出身地、と聞きなおそうとしたけど、どうせ言ってもわからないと思われたのだろう。それなら、聞き返さない方が良いかもしれない。

 

「そこでは何を学べるの?」

 

 聞いてから、これは変な質問だったかな、と思う。でも、外の世界の寺子屋なら、内容が違うと思ってもおかしくはないはずだ。

 ああもう、なまじ外の世界の知識があるのは、面倒くさい。邪魔なだけだ。向こうに対して思い入れは……ないといったら、向こうで育ててくれた両親に失礼か。

 そんな事をつらつら考えていて、ふと、早苗が返事をしない事に気付いた。

 きょとんとした顔。

 それが、私が何を言ってるのかわかっていないように見えて、軽く目を閉じた。

 やっぱり変な質問だったかな。なら、質問を変えるべきか。

 

「早苗の住んでたところは、どんな場所?」

 

 今度は答えられる質問だったらしく、ぱっと笑顔になって、口を開いた。

 

「学校のある町です。広い場所です」

 

 ……それは、もう聞いた。

 聞かれたくない事なのかと思ったが、そんな風には見えない。じゃあなぜ同じ事を言ったのか……。

 まあ、いいか。あまり考える事でもない。

 麦茶で口を湿らせてから、次の言葉を探す。と、早苗が、私はどこに住んでいるのかを聞いてきた。

 

「向こうの山。……名前はないよ。妖精がいっぱいいる。食べるものもたくさんある。結構快適」

「へえ。今度、遊びに行っても良いですか?」

 

 頷くと、よかった! と早苗は笑った。

 なんとなく小さな神様の方へ顔をやると、漫画は読み終わったのか、卓袱台に頬杖をついて私たちのやりとりを眺めていた。

 小さな神。頭の帽子がなければ、子供にしか見えない彼女を見ていて、「家族は」と、零していた。

 あ、と慌てて早苗の方を向けば、案の定、彼女は押し黙ってしまっていた。

 これは、駄目な質問だった。向こうから来たと言ったんだ。力の無い者は置いてきただろう事ぐらい、予想がつくはずなのに。

 

「あ、今のは、今の……」

 

 どうにか別の事を言って話を逸らそうとして、早苗の様子がおかしい事に気付く。

 きょとんとしているのだ。さっきみたいに。私が何を言っているのか、理解できていないかのように。

 その反応はおかしい。だって、家族を置いてきたのなら、少なからず悲しそうにするか、そうでなければ何か言ってくれるはずだ。それなのに、この表情はどういう事か。

 諏訪子の方を窺うと、特に表情も変えずに先程と同じ姿勢でいた。何を言うわけでもない。ただ、こちらを見ているだけ。

 

「……早苗」

「はい、なんでしょう」

 

 一度息を吐いてから、名を呼ぶ。彼女はすぐに応えてくれた。

 ……変だ。凄く、変。反応も、表情も、違和感しか感じない。だから、試す。彼女の反応を。

 もう一度息を吐いて、膝に手を置いてから、学校は、どんなところかと聞いた。

 

「広いところです」

 

 にっこりと笑って、同じ言葉。それしか言うことがないのだろうか。……他の事を言っても通じないと?

 

「選択科目なんかは、ある? ぱそ、こんのある部屋、はある? ……プールはある?」

 

 思い出せるだけ学校にありそうなものを並べる。パソコン室、パソコンであっていただろうか。ちょっとよく思い出せない。あの子の顔なら、鮮明に思い出せるのだけど。

 早苗は、私が言い終わると同時に、『きょとん』とした。え? などと聞き返す事もなく、ただ純粋に何を言っているのかわからない、といった風に。

 いよいよもっておかしい。横目で小さな神を盗み見れば、やはり先程と寸分も変わっていなかった。

 ……何か、変な術にでもかけられたか。

 神力の膜を通った時を思い出し、辺りの気配を探る。目の前の早苗。右の神。外の神。……あの子の力。

 全部全部本物だ。……本物だと、思う。……あの子だけ、特別に感じるのは、それは私に思うところがあるからだ。だから、みんな同じ、本物。

 周りにはそれ以外の気配はない。妖精のものと思わしき微弱な力はいくつも感じるが、それらがどうこうできるはずもなし。

 じゃあ、早苗のこの反応はなに?

 

 一度目を閉じて、すぐに開く。

 早苗、と声に出すと、はい、なんでしょう、と返ってきた。

 

「クリームソーダは好き?」

「はい! とっても好きです。でも、こっちにはないんですよね……残念」

 

 急に表情豊かになって、ぱっと笑ったかと思うと、頬に手を当ててどんよりと溜め息を吐く。見ていて面白い、なんて感情を抱いている場合ではない。

 少し躊躇ってから、次の言葉を口にした。

 

「家族は……何人いるの?」

 

 きょとんとした。

 目をまん丸に開いて、口を緩く結んで、『何を言ってるの?』とでも言いたそうに少しだけ首を傾げている。

 決まりだ。何が決まりなのか、自分でもちょっとよくわからないけど、決まりだ。

 この子は変だ。そして、神たちも変。私に話しかけないのは、まあ、いいとして。動かないし、まともに瞬きすらしない。

 立ち上がると、あれ、どうしました? と早苗が聞いてきた。今の今まできょとんとして、一言も発しなかったというのに。

 異変、なのだろうか。この子たちに何か起こっているのだろうか。私にはわからない。力で解決できれば楽なのに。

 とん、と、左にあった戸――早苗が入ってきた場所だ――の奥から、足音が聞こえた。外の気配を察するに、弾幕決闘が終わったのだろう。入ってきたのは、予想に違わず、ぼろぼろの神だった。

 目の前に立つ私の顔を一瞥して、すぐに横に座る早苗に顔を向け、終わった、と言った。

 どくん、と、胸の奥で大きく脈動する音。

 卓袱台の向こうに座る小さな神の隣まで行って腰を下ろした神が、二度終わったというのに、焦燥感を覚えた。

 ……どうしよう。終わってしまった。

 私が異変を解決しなきゃだとか、そういうのはどうでもいい。あの子が帰ってしまう。せっかく理由ができたのに、顔も見れず終わってしまう。

 

 それは、やだ。会いたい。もう異変もないかもしれないから。いつまでも気持ちの整理なんてできないかもしれないから。会う理由を作れないかもしれないから。

 

 気がつけば、私は飛び出していた。

 考えながら動くのは悪い癖だが、今だけは感謝できる。ここまでくれば、後はもう勢いで行くだけだ。会った後に何を言うかは考えない。今はただ、会いたいという衝動に突き動かされるだけ。

 

『時は満ちた』

 

 うるさい。

 耳の奥に響いた誰かの声に文句を言って、空を(かけ)る。配慮のない飛翔は暴風を生んだが、遠くに見えたあの子を止める効果があった。

 風さえも切り抜けて、無音の中であの子の正面へと回り込む。トップスピードを迎えていれば、そこに風は生まれない。

 

『全ての異変は終わった。今こそ、最後の役割(ロール)を果たす時』

 

 うるさいってば。

 あの子が目を見開いて、しかし、迅速に戦闘の準備を整えた事に笑みを零す。どきどきと鳴る心臓がうるさかった。止める方法は……ない。

 

「あんた……何でこ」

『時は満ちた』

 

 あの子の声が、耳の奥に響く女の声に掻き消された。

 わきあがった憤怒の念をそのままに耳に叩き付けると、ガンと脳が揺れて視界がぶれる。平衡感覚を一瞬失ったが、その甲斐あってか、忌々しい声は聞こえなくなった。

 

「霊夢……」

 

 驚く程に、落ち着いた声。こんなに息が切れそうなのに、我ながら格好つけたがりだ。

 『あの……』と、図々しくも再び何かを言いかけた声を耳を叩いて押し止め、困惑している様子の霊夢を落ち着かせようと声をかけようとして……目の前に、黒い亀裂が走った。

 ビキビキと音を立てて広がるそれは、非常に大きく育ち、私とあの子の間に壁を作った。

 何だこれは。どうして邪魔をする。せっかく覚悟ができたのに。……でもちょっとどきどきしすぎて死にそうだったから助かったかも。……じゃなくて。私の邪魔をするとは、どこのどいつだろう。実力行使で排除してやる。

 

 黒い亀裂を睨み付けていると、それを乗り越えて隣に霊夢が降りて来た。傍に来てくれた事に嬉しくなって声を掛けようとして、その険しい表情に口を噤んだ。

 

「……何よこれ」

 

 さあ? そんな事よりお話しましょう。この間はごめんね。ちょっと気が立ってたの。それに、私……。

 脳内が花畑になってそんな事を言いそうになるも、彼女の表情を壊したくなくて言葉を飲み込んだ。

 この子が真剣になって目の前のものに取り組んでいる。私もそうしなければ、示しがつかない。それに、ぺらぺらと軽薄に喋ってどうする。彼女にとって、私は彼女を怒鳴りつけた他人でしかないのだ。ゆっくりと、真剣に話さなければ、全てぶち壊しになる。私がどんなに望んだって、手に入らなくなる。そんなのは嫌だ。

 私の勝手でしかないけど、それでも。

 

『ええい、時は満ちたと言ってるでしょうが!!』

 

 つらつらと考えていると、急にぐんと体が引っ張られて亀裂に引き込まれそうになった。急な事に対処ができず――だから考え事は駄目なのだ――半分以上体が飲み込まれたところで腕をつっかえ棒にしようとして、それさえできずに飲み込まれかけた時、近づいてきていたあの子の表情が見えた気がした。

 驚愕、困惑、それとも、怒ってるような?

 その口が開かれた時、私はすっぽりと飲み込まれてしまっていた。

 

 ずっと遠くに、あの子の声が掠れて消えていった。


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