「オラァ!!」
繰り出された左之助の拳を赤髪の流浪人は見切って易々と避ける。
その事に一瞬驚いた左之助だがすぐに面白そうに口元をつり上げて次々と拳を繰り出した。
しかし何れも動きが読まれたかのように当たらず、正拳から裏拳へと変えた拳も体を屈めて避けられた。
その際に流浪人は左之助の体を押すと同時に後ろへと下がった。
「どういうつもりだ? まさか剣客が刀も抜かずに俺と拳で
「……拙者は別にこの道場の者ではないし、お主とやり合う理由もない。もしや、お主が要殿が言っていた喧嘩屋でござるか?」
要の名を聞いて左之助が頭を掻く。
「あの
「いや、拙者は誰かに頼まれてここに来た訳ではござらん。ただこの件を放って置けなかっただけでござるよ」
流浪人の言葉に二人は僅かの間、膠着状態になるが、左之助の方から警戒を解く。
「……そうかい」
今の動きを見ても流浪人の動きはチンピラのそれとは明らかに異なり、格が違うことを感じ取っていた左之助は相手に敵対する意志が無いことも感じてまだ意識のある男の胸ぐらを掴んだ。
「おい! 比留間って野郎は何処だ!」
痛みで苦しそうに息を吐いてから男は怯える声で答える。
「ひ、比留間先生なら、さっき兄の喜兵衛さんと一緒に、神谷道場に……」
「!?」
それを聞いた流浪人は踵を返して走り出す。
「おい待て!!」
左之助も後を追うように走り出した。
「薫ちゃん、今日はあの流浪人さんは居ないの?」
「今日はって……元々関係の無い人なんだから、それが普通でしょ?」
道場に居た薫に要が話しかける。
話題に上がるのは自然とあの赤髪の流浪人。
「名前くらいは聞いとけばよかったね」
「別に。もうきっとこの町を出てるわよ」
「そうかな?」
「そーよ」
そんな風に取り留めの無い会話をする。
「まだ夕飯には早いし、運動ついでに少し打ち合う? 怪我してる薫ちゃんなら今日こそ一本取れる気がする」
「怪我してる相手から一本取ってもしょうがないでしょ」
昨日怪我したところはまだ癒えていない。
要も本気で言っている訳ではないのでそれ以上打ち合おうと言わない。
そんな他愛ない話をしていると喜兵衛が入ってきた。
彼はこの剣術道場の土地を売る話を薫に持ちかける。
しかしそれは以前断っており、薫には父が残したこの流派と道場の土地を売るつもりはなかった。
しかし既に書類は纏めているという。
そこから喜兵衛の計画が話された。
剣の達者な弟を使い、神谷道場の評判を下げて精神的に追い込んだ薫にこの土地を売らせる気だったと。
しかし、道場の事に関しては存外に頑固な薫に痺れを切らしてこうして強行策に出たと。
薫が信じられない、と言った様子で喜兵衛を見る。
しかし後ろには彼の弟である人斬り抜刀斎を名乗っていた剣客が居て。
薫は道場を守ろうと偽の人斬り抜刀斎に立ち向かうが力量差は明らかで薫の全力の打ち込みは片手で止められてしまう。
「ふん、やはり人を活かす剣などと世迷い言を言っている小娘の剣などこんなものか。それとも後ろの小娘が相手になるか?」
偽抜刀斎が要を見るがこうした場に慣れていない彼女は足が震えてしまっている。
「要ちゃん、にげて……っ!」
胸ぐらを掴まれながら逃げるように促す薫。
その間に、喜兵衛は薫の指を切手血判を押させている。
これで、この道場はあの老人の手に渡り────。
「そこまででござるよ」
道場に凛とした声が届いた。
「流浪人?」
「どうやら間に合った用でござるな」
ホッとしたように道場の中へと入る。
「何だ貴様。貴様もこの娘のように人を活かす剣などと抜かすつもりか」
偽抜刀斎の言葉に流浪人は一拍置いて否定する。
「剣は凶器。剣術は殺人術。どれだけお題目を掲げようとそれが真実。薫殿か言っているのは、一度も自分の手を汚したことが無い者が言う、甘っちょろい戯れ言でござるよ」
「流浪人……」
まさか流浪人の口からそんな言葉が出るとは思わず、薫は哀しそうに顔を歪めた。
たが、そこでだけど、と付け加える。
「拙者はそんな真実よりも、薫殿の言う甘っちょろい戯れ言の方が好きでござる。出来ることなら、これからの世はその戯れ言が真実になって欲しいものでござる」
この事態に介入しようとする流浪人に偽抜刀斎の手下が得物を抜いて立ち塞がる。
「なるべく怪我人は出したくない。医者通いの嫌な者は、早々に立ち去るでござるよ」
「怪我人なんざ出やしねぇ!! 出るのは死人、テメエ一人だっ!!」
複数人で流浪人に襲いかかる。
その後に訪れるであろう結果に、要は思わず目を閉じた。
しかし────。
「ぐえっ!?」
聞こえてきたのは手下の悲鳴だった。
目を開けると目の前で複数の敵を同時に叩き伏せている流浪人の姿だった。
その速度は早くて、要の目では離れていても捉えるのが難しい。
偽抜刀斎の手下を全て戦闘不能にすると流浪人は驚くべき真実を口にした。
「一つ、言い忘れたが。人斬り抜刀斎が振るう剣は神谷活心流ではなく、飛天御剣流。こんな
そこで、追い付いた左之助。
彼も流浪人の正体を聞いて驚いている様子だ。
まさかの本物が登場したことに偽者の方は笑みを浮かべる。
「あの小物だと思って見逃していたが、貴様、力を隠していたな」
「お前と違ってむやみやたらと力を振るうのは好きじゃないんだ。でも今はあの時倒しておくべきだったと思う。反省してる」
流浪人の言葉に偽者は刀を振り下ろそうとするが、既に流浪人の姿は消えていた。
「上だよ」
左之助が視線を上へと動かす。
そのまま流浪人の逆刃刀が振るわれ、たったの一撃で叩きのめされた。
「人斬り抜刀斎の名に未練も愛着もないが、それでもお前のような奴には譲れんよ」
そのまま流浪人は逆刃刀を喜兵衛に向けて威圧すると、彼はそのまま気を失ってしまった。
その様子に息を吐く流浪人
「策を弄する者ほど根は臆病なものでござる」
そして書類を拾い上げてビリビリと破く。
「別に拙者は騙す気も隠す気もなかったが、出来れば語りたくなかったでござるよ」
そこで要は左之助が居ないことに気付き、道場を出た。
外へ行くと左之助が去っていくのを止める。
「待ってくださいよ! なんで帰ろうとするんですか!」
「あ? もう事件は終わりだろ? 俺がでしゃばる事はねぇじゃねぇか」
「何を言ってるんですか! あの破落戸連中を運ぶの手伝って下さいよ! 医者にしろ警察にしろ、私達だけじゃあ無理ですって! 特にあの大男!」
左之助が力自慢なのを知っている要はあの破落戸どもを運ぶようにお願いする。
警察に来られると色々と面倒そうなので、このまま警察署の前に捨てておくのが一番都合が良いのだ。
「お前なぁ……俺をなんだと思ってんだ? 喧嘩屋だぞ」
「いいじゃないですか。今日のご飯奢りますからー。手伝ってくださいよー!」
腕を引っ張ってくる要に左之助は頭を掻いて仕方ねぇと根負けする。
「分かったから、引っ張んなよ」
「やった! 労働力確保!」
勝った、という表情で握り拳を作る要に左之助はやっぱり帰るかと思い直した。
次話は飛んで、元門下生の騒動です。