息をひそめる。
暴れるように酸素を求めうなる鼓動を抑えるように少しづつ、息を吸い込んでいく。
かじりつくような呼吸を縛るように抑える。
注意を払い、少しづつ、少しづつ、心臓を黙らせる。
大きく動く肺を握るように、食いしばる。
それは留まることなく
止まることなく。
考えたこともなかったその自分の鎧を恨めしく思う。
その事実にすっと頭が冷えたように冴えていく。
<冒険者>の体はそれだけで、先ほどまでの倦怠が嘘のように抜け、呼吸さえも戻っていく。
しかし、じっとりとかいた汗は鎧の中にまだ残り、アンバランスさを感じる。
そして、小さな音が聞こえる。
それは僅かな風切り音。
数え切れぬほどに聞いたその音。
襲撃者の足音。
動くことはなく、ただ石のようにそこにある。
気づかれぬよう、暴かれぬように。
通り過ぎる羽音が一つ、二つ。
六つ目、最後の羽音が聞こえる。
聞こえなくなったその音に口の中に溜った生唾を飲み込んだ。乾燥した喉に張り付くような感覚はその中へとようやく元へと戻っていく。ゆっくりと立ち上がると彼は鎧にへばりついた羽毛たちを剥がす。白かった鎧は赤く染まり、ところどころには羽毛がへばりついている。無数の傷はかぎづめに依って抉られたように彫りこまれている。
「いっつ」
泥と酸化し黒く変色した血がその顔を汚していた。まさぐるようにアイテムボックスをまさぐると指の先に触れたのは最も回復量の小さいポーション。自分のステータスを確認すればそれを用いたところで耐力の一割も回復することはない。しかし既に受けたダメージは全体の七割、焼石に水ともいえるその小さな小瓶が最後のアイテムだった。
「無限沸きはずるいって」
誰もいなくなった通路を行く。既にはなくHPの六割はなく、ともすれば半身を失っていてもおかしくないようなダメージ。然し彼の五体は無事であり、それが痛みとなって体に影響することはない。元のゲームの仕様のように全快時と変わらぬ体はいつもと変わらぬように動いてくれる。
「調子に乗ったかね」
いくつかの追手をやり過ごしながら地図で確認した先、ゲーム時代であれば小さな回復部屋として設けられていた空間。非戦闘エリアとして設けられ、避難所として用いられていた小部屋へと行きつく。
「そうなるかね」
しかし、朽ち果てたその小部屋はゲームのように僅かに回復することもなく、置かれていたはずの小さなアイテムボックスも存在しない。
彼は壁にもたれかかるとそのままゆっくりと座り込んだ。
鎧が小さく鳴る。
彼は大きくそしてゆっくりと息を吐き、そして吸い込む。
「まだまし」
セーフルーム出会った名残なのか、それとも別の理由なのか、他の部屋よりも羽毛と糞による汚れは少なく、崩れた瓦礫のみがその部屋に詰まれ、発酵したような腐ったような酸っぱいような匂いは薄い。建物に入って初めてのように深く息を吸えば、ようやく呼吸が戻ってくる。
「レイドダンジョンじゃねぇだろうがよ、ここは」
ゲーム時代、彼が訪れた時にはここはソロプレイを主軸としたストーリークエストの舞台として用いられていた。同時に実装した大型のレイドクエストとは分けられ、多くともNPCをパーティーに含んだ一般的な六人パーティーまででの攻略を行うことを目的としたダンジョンだった。
しかし、彼が相対したのはここでは見たこともない変位種、さらに彼の推測によれば六人パーティーを二つ用いてようやく討伐出来るほどの力を持つハーフレイドクラス。ソロでの討伐は単純計算で十二倍の労力がかかることとなる。
「ゲームと違う」
頭を冷やすように含んだ水は思っていたよりも速く唇を濡らす。自分の喉の渇きにも鈍感になっていたことに自虐的に笑った。自分では気が付かずとも気を張っていたらしく、ずっと握っていた剣を外してみれば握っていた右腕が小刻みに痙攣していた。長時間握りしめていたそれは柄の形に合うように固まっており、開くのにいつもの倍の力を入れる。
「ちがう、ちがう」
砕け、割れ落ちた壁からのぞく空を眺めながらマジックバッグの中から煙草を一箱取り出した。既に封を切られたそれの外装はところどころゆがみ潰れている。<黄金煙草>と呼ばれるそのアイテムは幾分前のイベントで配られたアイテムの一つだった。消費アイテムであり、一時のHP最大値減少の代わりに一定時間MP最大値が増加する効果を持った一品。効果がないわけではないものの代用しようとすれば上位互換が存在し、このアイテムによって所持品が埋まるくらいならば別の者を使う程度の効果を持ったアイテム。現在で入手するのは不可能であるために多くのプレイヤーが死蔵しているもの。
しかし、ゲームが現実となったこの世界では局所的に高値で取引されているというアイテム。愛煙家だったプレイヤーにとって数少ない心の休まる香、しかし、ゲームにおいてもとより紙巻きたばこというアイテム自体が少なく、残されているアイテム数自体が少ないため値が吊りあがっている一品。
それを彼はこともなげに取り出す。一アイテムのステータスを除けば既に残りは半分程度になっている事が分かるだろう。彼はそれを指でたたき、一本取り出した。焚き火用のマッチを擦り、先をあぶれば紙巻へを侵食するように赤く、そして黒く燃えていく。じりじりと立ち上る白い煙を長め、そしてそれを吸い込み、肺にくゆらせる。
僅かに甘く香るそれの味など分からない。リアルでも喫煙者であったわけではなく、冒険者の体にそれがいかほどの楽を与えるのか、それとも受け付けることすらないのかは分からない。
つまらないものを見るように
果てないものを眺めるように
けれど、彼は儀式のようにその煙を吐いた。
灰が落ちる。
そのことに彼の意識は目覚める。
指でつまんだ煙草は半ばまで燃え尽き、白い灰へと変じていた。
時間にすれば一分と経たないような僅かな意識の断裂、深く寝入ったように彼の体は硬くこわばる。
ダンジョン内で僅かなりとも寝入った、その事実に彼は自分の図太さにあきれながらも回復した精神力は得難いものだった。ふとステータス画面を開けば先ほどまでより幾分回復したHPとMPが表示されていた。自然回復量の倍ほどだろうか。最大値の半分ほどまで戻ってきつつある。待ちなどに戻り宿屋で睡眠をとり回復することができるものの。本来ならばダンジョン内で眠ることなどできない。しかし、ゲームがリアルとなってしまったこのセルデシアにおいてその自由度は無限に広がった。
使いにくい小さな発見は燃え尽きて尚煙草へとぶら下がっていた灰とともに衝撃によって崩れ落ちていく。建物そのものが揺れるような、大きな衝撃が彼を襲う。積み上げられたほこりは舞い上がり、天井から落ちてくる砂埃が彼へと降りかかる。同時に聞こえるのは聞きなれた鳥の鳴き声、仲間を呼ぶための高く、遠くまでよくとおるその鳴き声だった。
吸いかけの煙草を投げ捨て、彼は走り出した。
それは直ぐに見つかった。
遠見の目薬を使ってようやく見つけた建物の中庭、オブジェでもあったのだろうか大きな円錐型のだったらしいコンクリートの塊が崩れ落ちていた。何かがぶつけられたように壊れたようなその崩壊具合は新しく、先ほどの衝撃は禿赤鳥がそれへとぶつかったものによるものらしい。あちこちに存在する焼け焦げたような跡がまっすぐ走っている。黒く焼け焦げた道筋は未だに燻り小さく、然し赤く焼いている。黒く焦げた燃え差しがあたりに散らばり、砕けたコンクリートが黒く崩れている。むき出しになった鉄骨は赤熱し、錆びの赤褐色から熱の白へと染まる。
そしてそのすべてを駆らずけるように一陣の突風が吹き荒れる。鋭い刃となったその竜巻は受け流してなお未だ赤熱し焼ける鎧を容易く引き裂いた。
「にゃんまる、ケンケンっ」
五人のパーティーが禿赤鳥を迎え撃つ。確認すればレベル九十台の精鋭たち。しかし、そこにいたのは二体のレイドボス。見ているうちに<神祇官>が倒れる。二人のアタッカーに一人の支援職、一人の回復職。あまりにも不釣り合いなパーティーはどうやら既に壊滅しかけているらしかった。
「なんで」
疑問が流れていく。
何故ここに<冒険者>がいるのか
何故戦っているのか
何故レイドボス二体がいるのか
無数の疑問に答えは出ない。
走っているためではない、いやに呼吸が粗くなってく。
呼吸の弁が止まってしまったとでもいうように、いくら吸い込んでも灰が酸素を取り込んでくれない。強靭な<冒険者>の体はそれでも力強く走り抜けた。
たどり着いたのはテラスのような場所、眼下には傷ついていく彼らの姿があった。
呼吸は浅く速くなっていく。
走ったことでも気温に依るものでもない嫌な汗が鎧の中に籠る。
何かが背中を這いずるように蠢く。
無数の蟲が這うような、大きな百足のが皮膚の下を蹂躙するような感覚。
名前をつけないそれは頭へと回る。
転落防止用に作られたそのテラスの手すりの間から目をそらす。
けれど、彼らのリミットが近いのは一目瞭然だった。
<妖術師>が呪文を仕掛ける、それに合わせてメンバーも動き始めた。
それは切り札ともいうべき一計、流れるような連携はよどみ無く発動して、有り得ない失敗へと至る。
関係のないことだった。
彼に関係なく、彼らが死亡したところで彼に不具合はない。
むしろ彼が戦闘に参加したとこで彼の危険が増えるだけ。
元はといえば村に出没するまでになった害獣の駆除だけ。
レイドボスの盗伐なんてものは含まれていないし、
見ず知らずの冒険者の救助任務なんて入っていない。
報酬はなく、リスクのみがある。
無数の壁を張っていく。
やらないための理由をつける
臆病に鎧を着せる。
見ぬふりの傘をさす。
怖いのは嫌だ、痛いのは嫌だ。
「ああ、でも」
誰かを助けない自分がもっと怖い
だから
歯を食いしばりながら彼は飛び出す。
大楯を剣でたたきつけ大きく鳴らしながら落ちていった。
黄色く輝く城が落ちてくる。
人の身でありながら堅牢なる城壁となったその人影は誰よりも前へと立ちふさがるとまっすぐ大怪鳥へと向き直る。
「<タウンティングシャウト>っ」
カンカンと剣の柄で二度、大楯を叩くとその音が波となったように視界に映る。嘲るように、侮るように、挑発するよう視線を向ける。
怪鳥の視線は<妖術師>から<守護戦士>へと移り変わり、その攻撃範囲は本来向かうはずだった彼らへ向かうのとは真逆へと捻じ曲げられる。中庭を囲う大きな壁を背に彼はその炎に包まれる。
彼一人へと向けられたその業火は彼を焼き、それだけでは飽き足らず彼の後ろの朽ちたレンガ壁までも黒く焼き付けていく。あたりへと広がるはずだったその効果範囲は壁に遮られるように狭まり、代わりに行き場を失った火炎の渦が竜巻となりダンジョンの壁を肥えるほどの高さへと至る。HPが強靭な<守護戦士>であろうと耐えることのできないその一撃必殺ともいえるその攻撃が彼を襲い、一瞬にして蒸発した水蒸気が爆発したように黒煙とともに吹き荒れた。
「<シールドスイング>っ」
そして、その煙を切り裂くように甲高い音とともにその巨躯が飛び出していく。城砦に傷はなく、煙を突き破るように出ていったそれは前面に大楯を構え突進していく。未だに続く紅炎の効果範囲から逃れるように突き出たその体、全身を包んでいたはずの黄色の光は彼へと突進した瞬間に効果を失ったようにその輝きを失った。
踏み込み、一瞬にして飛び上がった重装歩兵の一撃はその大楯を持って怪鳥の頭へと激突する。<冒険者>としての身体技能による高速の突進と百キロを超える大鎧、そして岩盤を思わせるほどの硬度を誇る大楯によるシールドバッシュ、トラックの衝突ほどのエネルギー―はその脳を揺らし、一時の意識を奪う。
「ぴよったっ、立て直せっ」
張り上げるような彼のセリフ。電撃的に現れたその姿にあっけにとられていたアマリリスはその声に目覚めたように動き出した。
「にゃんまるっ、ケンケンの蘇生っ」
「<ソウルリヴァイヴ>、<オーロラヒール>」
倒れた<神祇官>へと僅かな淡い光が降り注ぎ、そのHPの三割ほどを満たすと、ゆっくりと意識を取り戻し、よみがえる。続けざまに放った虹色の光はエリア内を埋めつくすように広がり、彼ら減少したHPを復帰させる。
「<瞑想のノクターン>」
<吟遊詩人>はそれまでセットしてた攻撃上昇効果のある歌から微細ながらもMP回復効果のある者へと付け替える。
「こっちだでかぶつ、<オーラセイバー>っ」
振りむこうとする相手へ彼は今もその注意を惹きつけ続けていた。
「ケンケン、援軍だ」
アマリリスのその言葉だけで<神祇官>の青年は心得たように僅かによみがえったMPを使う。
「<禊の障壁>っ」
鏡のような薄い板のような膜が<守護戦士>の周りへと出現する。怪鳥の鋭い爪の抉り、しかしそれは大楯に触れた途端梵字のような光とともにその威力を弱める。彼は少し不思議そうにこちらを見、そして又相手へと向かっていく。
「アマリリスさん、吉田三はっ」
「落ちた、念話が鳴ってるから後回しっ」
「MPは」
「リキャスト含めて跡二十五秒っ」
「にゃんまるっ、ケンケン、タンク貼り付けっ絶対落とさせるなっ」
<守護戦士>へとかかる無数の能力上昇バフ、ヘイトを握る彼へと向けられたそれによって彼の赤くなったHPバーはゆっくりと増加していく。
「二十八秒後だ」
アマリリスのその声を理解したのか返答はない。彼はそのまま怪鳥を壁際へと釘付けにしたままに抑え込む。
「行けっ」
<暗殺者>と<妖術師>は走り出した。彼が惹きつける反対側へ、ヘイトを握りしめた彼がその注意を引き続ける中でリキャストタイムを数える。
一秒が長く、呼吸が遅い。あと十三秒
しかし、怪鳥はのけぞるようにその身を反らした。
再び来る範囲攻撃の予兆、これまでだったら再使用に百七十秒あったはずのそれ。
未だ経過時間は百三十秒。
効果範囲にいるアタッカー二人が落ちればもはや元には戻せない。
二度目の食いしばりに奥がばぎり、と音を立てる。
「<吟遊詩人>っ早めろっ、二秒持たせるっ」
<守護戦士>の雄たけびに<吟遊詩人>は驚いたように唱える
「<シフティングタクト>っ」
途端二人の頭の上にはメトロノームが表示される。鳴り始めた機械音は、彼らのリキャストタイムを早めていく。
「<ヘヴィアンカースタンス>っ」
<守護戦士>の彼と怪鳥を結ぶように現れたのは太く重い光の鎖。二つを結ぶ光は地面へと入り込み、二人を固定するようにその場にとどめる。振り切ろうとする怪鳥に彼はその前例を持って抑え込む。範囲攻撃のための呼び動作、それすらも力技で抑え込む。
「んなあほな」
然し、規格外の使用法に技は耐えることはできず、本来の効果時間よりも速くちぎれ解けていく。
「よくやるわね」
しかし、そのわずかなスキは確かに二秒を彼らに与える。
「<アサシネイト>っ」
「<ライトニングネビュラ>っ」
あたりを光が埋め尽くし、そして残ったのは小さな一つの宝箱だった。
書き溜めはここまで
気が向いてまた書き溜ったら続くかも