伊黒小芭内は、その鬼の頸を斬った。正しく斬った。
惑いもなく、迷いもなく、躊躇いもなく、一刀のもとに切り捨てた。
抵抗しない鬼を斬ることなど、蛇柱たる伊黒にとっては造作もないことであった。
くるくると宙を舞う頭、異形と化した若草の瞳が月を映しきらきらと煌めく。薔薇色の頬からは血の気が失せ、桜色の唇は青白く染まって、切断された三つ編みがはらはらと落ち、もはやその生き物は春とは程遠い屍人の様相をしていたが。
それでも、瞳ばかりは。
女の唇がわなないて、何かを囁く。
伊黒がそれを読み取るよりも、鬼の躰が崩れ落ちる方が早かった。
ばらばらと解け崩れて灰になる肉体を、伊黒は咄嗟に掴もうとした。頭はすぐに形を失くした、髪は風に流れて散った、残るやわらかであった肉体を、どうか、どうかとかき抱く。崩壊が早い。これは彼女の抵抗の証だと伊黒は思った。彼女は最後まで足掻き、耐え、そうして今、このときまで戦った。伊黒に頸を斬られるまで、理性を保ち、抗いぬいたのだ。
己が身に迫る死を彼女はどう思っただろう。
みるみるうちに形を失くしていく躰をどうにか繋ぎ止めたくて、伊黒は彼女の隊服の裾を結び、袋のようにして灰を集めた。大部分は風に持っていかれてしまったが、伊黒が抱きしめられるだけの量は残った。そのころには彼女の気配はとうになく、──彼女のあまやかな香り、花の綻ぶような微笑み、砂糖菓子めいた蕩ける声、その残滓すら、伊黒の前から消え失せてしまった。
夜が明ける。
残された服と、刀と。甘露寺のものをひとつひとつ回収する。
縞模様の長靴下を拾い上げながら、ずっと履いてくれていたな、と伊黒は思った。
遺灰の半分は家族に渡した。骨すら残らなかった娘の姿に、彼女の家族はおいおいと泣いた。
残りのもう半分は鬼殺隊に弔われ、穏やかな春の森に撒かれた。
伊黒の下には、ほんのわずかな灰が残り、それも日を重ねるごとに、少しずつ消滅していった。
一目惚れだった。
初めて彼女を見た瞬間から心を奪われた。
初恋であり、愛であったと今ならば思う。
そのすべてを過去にしなくてはいけないことが、苦しくてならなかった。
どうして守ってやれなかった。どうして救けてやれなかった。後悔を飽きるほど繰り返しても、甘露寺が戻ってくることはない。永遠に。
むなしかった。
太陽に晒されて今も霧散する灰を伊黒は見つめる。
靴下を受け取り、はにかむように笑った甘露寺。
たくさんのうどんや丼や団子を前に目を輝かせる甘露寺。
自らの失態に気がついて、顔を真っ赤にして焦る甘露寺。
大地を蹴り、しなやかに鬼を狩る甘露寺。
笑って、焦って、怒って、はにかんで、照れて、くるくると変わる表情が愛らしかった。
伊黒はもはや僅かとなった彼女の灰をとんとんと薬包袋に集め、それを右手でつまんで翳した。
鏑丸が首筋を這う。
伊黒はまさしく蛇がごとく、恋心を丸のみにした。
そうして、伊黒の春は失われた。