ジムチャレンジ敗北者、ジグザグマになる。 作:匿名希望
『はあ、はあ、はあ……』
駅を飛び出し、エンジンシティを駆け抜ける。目立たない体色とすばしっこさのおかげか、俺に注意を向ける通行人はほとんどいない。
どこへ逃げよう。
どこに行けばいい。
混乱する頭でもぱっと浮かんだのは、
『ワイルドエリア、』
木を隠すなら森へ、ポケモンを隠すならワイルドエリアへ、という訳だ。
幸い、エンジンシティにはワイルドエリアへ出入りするポイントが存在するし。とりあえず、この後のことはそれから考えよう。
例によって例のごとく検問所があるが、ポケモンならそれに引っかかることもない。
『よっ、と』
ちょうど検問に止められていたトレーナーのグループに紛れて、ワイルドエリアに侵入成功。
石造りの階段を駆け下りて(じぐざぐ走りのせいで何度もすっ転びそうになった)、手頃な草むらへと身を隠す。目の前に広がるのは大きな湖。ギャラドスが優雅に巨体をくねらせている。
『エンジンシティ……ってことは、ここはキバ湖のほとりか……』
キバ湖とミロカロ湖の並ぶエンジンシティ側のエリア。ここからガラル第二鉱山側に回り込み、陸橋に囲まれたハシノマ原っぱを抜けると、ナックルシティ側のエリアに出る。
訪れるのは久しぶりでも、昔とった杵柄か、そのあたりの地理はまだ頭に入っていた。
階段の様子を窺う。
やはり、ヤツやレンがこちらを追ってくる気配はない。けれど、
『……もう少し、離れたほうがいいよな』
ほんのわずか心が落ち着いて、咥えたままだったモンスターボールの破片の不愉快さに意識が行く。
『ああもう、口の中気持ち悪っ』
いい加減これは捨ててしまいたい。
少し考えて、キバ湖に放り込んでしまうことにした。まさか湖をさらったりはしないだろう。環境汚染だが、特例として許してほしい。
ぺっ、と凪いだ水面に吐き出して、ついでに湖の水で口を洗いでおく。
『……行こう、』
これで証拠隠滅が終了。後は、ここを離れて身を隠してしまえばいい。
湖には、しょぼくれたジグザグマの顔が映っている。最後にそれを足先で乱して、その場を去った。
ミロカロ湖の北を下って、橋を渡る。
エンジンリバーサイドを抜けた先、今まで晴れていたのが、急に雨が降り始めた。
特筆することもなかったのでさらっと流してしまったが、ここに来るまでには結構な時間を使ったと思う。いくら元引きこもりとはいえ、体は若いジグザグマなので、疲労感はあまりない。
『でも、この雨じゃあね……』
結構なざあざあ降りだ。
止むまで待つより、このエリアを抜けるほうが現実的なのはわかっているけれど。
少し、休憩がてら雨宿りしていくことにした。濡れた毛皮がやけに重く感じる。
樹の下に体を横たえ、一息。
『……はぁあ……』
視界を慌てた様子で横切っていくトレーナーのを、ぼうっと見送る。休日のせいか、思ったよりも姿を見かけるように思う。
モンスターボールを破壊してしまったので、今の俺はおそらく野生個体。つまり、トレーナーに捕まってしまう可能性があるのだが。
リージョンフォームとはいえ、所詮は色違いでさえないジグザグマ。そんなマニアはそうそういない──と思いたい。
『……はぁあ、ぁ……』
ダメだ。ため息しか出てこない。
状況を改善したくて、結局逃げ出して、より悪くしてしまったように感じる。
ただ、どうすれば良かったのかはわからない。おとなしく引き渡されればよかった? それともレン相手にごねて先延ばしにするべきだった?
……終わったことを考えても仕方ないか。
これから、どうすればいいのか。
レンは、どうするのだろうか。
モンメンは?
俺が逃げ出したのは、監督役を買って出たレンのミスになるとも言えるし、そうではないとも言える。二人は俺を探すだろうか。
不安にさせただろうな。
『……ごめん、』
良くないことに巻き込んだ。
そんな自責の念が、やっと芽生えた。
自分のことだけで精一杯だった。レンの手を借りなければ生きていくのが難しかった。
事実だけれど、それは俺の都合で、何も知らない二人を危険に巻き込んだということだ。俺さえも、これから何が起こるかについての覚悟なんてないというのに、あまつさえあの二人を。
『はあ……』
でも、こんなところでレンとモンメンの先行きを祈っても、どうしようもないのもまた事実。
俺が一番気にかけるべきは、これからの俺自身についてなのかもしれない。
いや、本当に。
俺と離れられたことで、多少なりとも危機は去ったと思いたい。
さて。これからの身の振り方だが。
木の実でも残飯でも何でも漁って、食いつなぐこと自体は可能だろう。けれど、もうガラルに留まるべきではない? ホウエン行きの船にこっそり乗り込んで、本当に身を隠してしまおうか。
天文学的な確率だが、ホウエンに帰る予定のトレーナーに拾われるのが一番安全か。
さくっと地方に戻ってしまえば、今度はトレーナーごと危機から逃れられるし。
『いや……無茶だろ』
惜しむらくは天文学的確率すぎて、探すとか探さないの次元ではないことだろうか。
まだ濡れていない草原に伏せる。土と、草の匂い。毛並みの湿り気は当然、取れる気配がない。乾かさないと、獣臭くなってしまうかも。
くだらない現実逃避に耽っていた頭が、近づいてくる何かの気配を捉える。
『なに……』
下草を踏みしだく音。トレーナーだったら厄介だが、それよりも響きは軽い。
特に警戒なく振り返った眼前に。
──衝撃の一閃。
『ぅぎゃ』
本能でぎりぎりかわしたが、転がったはずみに石造りの塀へ思いっきり背中をぶつけた。
痛みに悶える俺の前に、のっそりと姿を表すウイの実色のムシ。逆立ちしたような奇妙なフォルムにはもちろん見覚えがあり──
『スコルピ!』
この辺では、とびきり好戦的なヤツ。よく見かけるのだが、体長が低いせいで上手いこと草むらに隠れられるのがまた厄介なポケモンである。
『チッ……縄張りだったのかよ、』
毒/虫タイプ。
弱点を突きも突かれもしない関係だが、野生ポケモンとの戦闘はこれが初めてだ。
奴らの死にものぐるいっぷりの面倒臭さは、それなりによくわかっているつもりである。
手持ちのポケモンとは違って、殺し殺されではないバトルを知らないのだ。負けたら殺されると思っている。だから、殺しに来る。
『■■■■■!』
『ハッハ、何言ってんのか全然わからん……!』
何か呼びかけているらしいことはわかるが、不快な金属音にしか聞こえない。
今までこんなことなかったのに、ポケモンの言葉にもわからないものがあるんだな。
『まあ怒ってることはわかる、よッ』
すんでで尻尾の一撃を避ける。速い。
実際にポケモンとして相対してみて、改めてわかる。進化前の甘えた感じは一切ない。
さすが、運と腕っぷししか頼れるものがない野生ポケモンは面構えが違う。
『コイツ毒タイプなんだよな、刺されたらさすがに厄介だぞ……』
毒を負った身でモモンなんて悠長に探してはいられないだろう。無傷で突破が大前提だ。
スコルピは未だにやる気満々。尾のハサミをがちがち打ち鳴らして、こちらを威嚇している。
『技が出せるか出せないかもわからないのに、こんなところでぶっつけ本番かよ……』
レンと暮らしていた時は楽しみに思う気持ちもあったが、純粋な野生同士のバトルとなると、今の状況では不安要素が勝る。
『ふぅっ……落ち着け俺……ナメた真似してたらマジで死ぬんだぞ……』
よぎる不安。
技を出せないかも。
いや、出すんだ。
こんなところでへこたれてどうする。
出せる、俺なら、
出せ、
出せって、
『──ほら行けっ、今っ!』
地面を蹴る。宙を舞う。雨が止まって見える。スコルピの間抜けな顔が眼前に迫って、
『ふんぬッ』
──ごちん。
鈍い音がして、頭部に衝撃が走った。
揺らぐ視界に映る、よろめくスコルピ。さっきの一撃はかなり効いたらしく、苦痛に悶える表情だった──が、それはこちらも同じだった。
『アッ硬ぁ……どんだけ石頭だ……!』
あの技だった。妙に速く、ダメージもない。スコルピの頭が予想以上に硬かっただけで。
頭部がじんじんするが、それ以外に痛みや苦しさは感じない。対するスコルピは、ひょこひょこと情けない歩みで草むらに引っ込んでいった。
俺は野生ポケモンではないのでその背に追いうちをかけたりはしないが、調子乗りクソ野郎ではあるので、とりあえず嘲笑っておく。
『ばーかばーか、ざまみろ! ふぎゃっ』
いきなり隣の地面が抉れた。
……バチが当たるのが早すぎやしないか?
今度はおそるおそる振り返った先。スコルピを二回りくらい大きくしたようなポケモンが、明らかな憤怒をその目に宿して立っていた。
化け蠍ポケモン──ドラピオン。
『あー……もしかして、親御さん? ゔッ』
今度は逆サイドの草地がオダブツ。
暴力的なお返事ですね、この親にしてこの子ありって感じですか、バカヤロー!
『お■……■さな■……』
ドラピオンも何か語りかけてきている。
こちらはところどころ聞こえるが、全体的にノイズがかかったようではっきりしない。まあ、やはり苦情であるのは間違いないだろう。
『クソ、あんたの子どもが喧嘩吹っかけてきたんだからな! このモンスターペアレント! まあ種族からしてモンスターだけど、ぉおお!?』
片方のハサミが、足元の地面を抉り取りながら俺を宙に放り投げてきた。
無茶苦茶だ。パワーの桁が違いすぎる。そもそも体躯の差がとんでもないのだ。
『南無三!』
ハサミに掴まれるより早く体勢を立て直し、再びその頭めがけてあの技を打つ。
たまたま眼球あたりにぶつかったようだが、それは幸運ではなく悪運の象徴となった。
苦痛に悶えるドラピオンは、目を瞑ってめちゃくちゃに両のハサミを振り回し。
『いっ、づ……!』
狙いも何もないその中の一撃が、俺の脇腹を掠めていった。瞬間、疼くような痛みが走る。
やらかした。悔やむより早く、
『あ゛っ』
制御を失った体が、濡れた地面に叩きつけられる。痛みでか、それとも毒のせいか。
ドラピオンはまだ苦しんでいるようだが、俺のほうもそれどころではない。まさか骨が折れたとかそういうことはないよな。めちゃめちゃ息が苦しいんだが。毒なら毒でヤバい。
『クソ、』
ここが俺の墓場か。
感慨もなく、事実として理解する。
一寸先は闇とはよく言ったもので、レンの庇護下から出てしまえば、俺はこんなにも脆い。
せめて苦しまずに──なんてよく言うが、このままだと俺は苦しみ抜いて死にそうだ。まあ、人生なんてそんなもんなのかも。
『……ワイルドエリアで死んだら骨って拾ってもらえない感じ……?』
ぶるぶる頭を振りたくっていたドラピオンだったが、ようやく持ち直したらしい。
咆哮をひとつ上げて、のしのしとこちらに歩み寄ってくる。まだやる気かよ。当然か。
あーあ、俺死んだ。
せめてきつく目を瞑っておく。
ジグザグマなんか食べても美味しくないよ。雑食だし、あ、でも俺のメシはしばらくお高いオーガニックせいだったんだよな……じゃなくて。
あれ。
なんか、おかしくね?
『……ん?』
衝撃が、来ない。
ゆっくり目を開ける。
ドラピオンの背後に誰かいる。
あの丸いフォルム──カビゴンだ。
カビゴンが、背後からドラピオンの片方のハサミをがっちり掴んで押さえ込んでいた。
カビゴンの太い手の中で、ぐしゃっと、紙屑のようにハサミがひしゃげる。こっちもどんな馬鹿力だよ。濁った悲鳴を上げるドラピオンだが、彼だか彼女だかの追撃の手は緩まない。
『え、ええ……?』
エリアから考えておそらく野生個体だが、そう好戦的な種族でもなかったはずだ。もしや因縁のある相手だったのだろうか。
『場外乱闘……』
カビゴン対ドラピオン、カビゴン側が特性“免疫”持ちなら前者が圧倒的有利な大怪獣戦争につい見入ってしまったが。もしやこれはチャンスでは。
『しめた、』
三十六計逃げるに如かず。
という訳で、体の痛みも多少馴染んできたあたりで、俺は“逃げ足”のイーブイがごとくスタコラサッサとその場から脱出したのであった。
『っ、はあッ、はぁ、うぇっ、げほ……ッ』
呼吸が整わない。
降り続く雨が視界に入って鬱陶しい。霞む視界に、陸橋が見えてきた。
『あ、れを超えたら、ハシノマ原っぱ……』
回らない頭で考える。
ああ、確か、育て屋の支部があるんだっけ。
この状態で門を叩けば、上手いこと助けてくれたりしないだろうか。
ガラルに住んでいるトレーナーにはできれば関わりたくはないが、背に腹は代えられないかも。
『ヤバ、死にそう……』
本当に。冗談抜きで。
先ほどは何とも思わなかった走りが、今になってものすごくつらくなってきた。クソ、やっぱりあの時、毒を打ち込まれたかな。
『ちょっと、休もう……休みたい、』
休んだら今度こそ死ぬかも。
『いや、現在進行形で死にそうじゃん……』
眠くて眠くてしょうがない。
『安全な場所なんてない、』
どうせ今襲われたって何もできやしない。
『ああもう、』
脳内がうるさくて仕方ない。
そんなこんなで見えてきたのは……2つ目の陸橋だ。幻覚じゃないよな?
振り返って、確認する。
いつの間にこんなところまで。じぐざぐな走りでもそれなりのスピードは出ていたらしい。
雨はまだ降っているが、小雨になってきたようにも感じる。どちらにせよ、橋の下まで来てしまえば関係ないのだけど。
『はぁ、……ふぅ、』
ああ、毛並みが芯まで濡れてしまった。
『ちょっと、やす、む……』
岩陰に隠れるようにして、身を丸める。周囲にポケモンの気配はない。とりあえず今は安全。
そんな仮初の安らぎに縋って、重たい瞼をゆっくり下ろした。
ワイルドエリアはエンジンリバーサイド付近のスコルピが鬱陶しかったイメージしかありません。