ジムチャレンジ敗北者、ジグザグマになる。 作:匿名希望
何の手がかりもないまま、さらに3日が過ぎてしまった。
レンのほうも必死こいて何かしているふうでもなく、モンメンはもはや俺の存在を当然のものとして受け止めているようだ。
探すとか預かるとかもう建前で、俺は既に我が物顔でこの家を占拠している。
暮らし自体には困っていない。イオノという人間が消えたところで悲しむ存在はいないので、そういう面でも心は痛まない。
『はあ……』
──だからといって、このままでいいか、と手放しに何もかもを諦める気にはなれなかった。
不安だし、落ち着かないし、怖い。
いきなりポケモンになってしまったのだから当然といえば当然だろうか。
これからどうすべきなのか、が頭を占めて、眠れない夜がたまにある。例えば、今とか。
『………………』
あてがわれたポケモン用のベッドで、じたばたと足を動かす。
大して疲れるようなことをしていないというのもあるが、目が冴えて仕方ない。
ジグザグマになって夜目が利くようになったらしく、電気の落とされた部屋の内部は昼と変わりなく見えた。それでより眠れないのだろうか、と責任転嫁してみる。
まあ、寝不足だとしても何に支障が出る訳でもないのだが。眠くなった時にまた眠ればいい。人間だった時と変わらない、怠惰で気ままな生活。
『……ん、』
伏せかけた顔を上げる。
隣の部屋で、微かに物音がした。
思わず時計を見る。午前3時過ぎ。まさか、起きてくるような時間ではない。
起き上がろうとした瞬間、慎重に扉を開けて部屋に入ってくる人影。
『……レン?』
それ以外だったら逆に大変なことだが、案の定この部屋の家主だった。寝間着ではなく、きっちり服を着込んでいる。
気負いなく近づいていくと、ジャケットの襟を正していたレンがぎょっと目を剥いた。人差し指を唇に当て、『静かに』の仕草をしてみせる。
それから小声で、
「音を立てるな、モンメンが目を覚ます」
モンメンは寝かせたままらしい。あいつ、俺より上等な寝床使ってるんだよな。
「起こして悪かった。でも散歩じゃない」
『いや、寝てはなかったんだけどさ……』
散歩じゃないことくらいはわかるのだが。ジグザグマってのはそこまでアホに見えるのか?
レンの認識がたまに心配になる。
「仕事に行くんだ。家で寝ていろ」
なんでこんなド深夜に起きてきたのかと思ったら、そういうことらしい。
『仕事……ね、』
急な連絡でもあったのだろうか。
電話も何も来たようには聞こえなかったが。
しかし、この状況でジグザグマ相手に誤魔化しをかますメリットがあるとは思えない。そもそもレンはそんな小癪な真似はしないだろう。
仕事。今はとりあえず、レンの自己申告を信じるべきか。
そういう視点でもって、今のレンの着衣を観察してみる。マウンテンジャケットに、リュック。いかにも屋外で活動します、と言わんばかりのアウトドア感に溢れた格好だ。
行くのは道路、もしくはワイルドエリア?
ふむ。バトルの予感。
「おい、」
俺を連れていけ、アピールで足元にまとわりついてみる。
レンはもちろん俺を蹴り飛ばすようなことはしなかったが、鬱陶しそうな顔はした。
「ジグザグマ」
嗜めるように呼びかけてくる。明らかに面倒なことになった、が滲み出る声だった。
もしかしなくても、
「だから、遊びに行く訳じゃない」
『知ってるっつーの!』
レンはまだ、俺がただ遊びたがっているとしか思っていないようだ。ふうっとため息を吐いてから何かを探すような仕草をして、
「ボール……ないんだった、」
がっくり肩を落とす。
整えた髪を苛立ったようにぐしゃぐしゃ掻き乱してから、俺の目の前に腰を下ろした。
「ジグザグマ。危険な場所なんだ」
危険な場所。ピンと来る。
「……ワイルドエリアに行くんだぞ」
『キタ! ワイルドエリアキタ!』
レンは脅かすつもりで言ったのかもしれなかったが、ただテンションを上げる材料になっただけだった。
しかし、こいつポケセンのスタッフじゃねーの。なんでそんな現場にわざわざ駆り出されるんだ。よくわからない。
「なぜはしゃぐ……」
俺の興奮は新たな頭痛の種を生み出してしまったようで、額に手を当てるレン。
うつむき加減に目を閉じること、十数秒。てっきり俺はこちらの不理解さに苦しんでいるのだと思ったが、
「…………わかったよ、」
レンなりに色々考えていたらしい。その結果、俺を説得するのは諦めたようで。
抱き上げられる。
「でも、エリアの中ではリュックの中に入っていろ。外に出るんじゃない」
『よっしゃ、了解! ぐえ、』
肩から降ろしたリュックの中に詰め込まれそうになったので、慌てて自分で入った。頭を下にして押し込もうとする奴があるか。
「タクシーの時間に遅れる」
それで余計に急いでいるように見えたのか。
頭だけ中途半端に出す形になったリュックを背負って、レンは早足で部屋を飛び出した。
「──おう。レンさん」
シュートシティ、『空の広場』にて。
今は誰もいない薄暗い広場に、ぽつんと佇むアーマーガアタクシー……とその運転手。
「朝早くからご苦労だね。連絡、聞いてるよ」
おはようございます。そっけなく答えて、タクシーに近づいていくレン。運転手の男は慣れっこなのか、単に距離感がおかしいのか、さらに馴れ馴れしく話を続けてようとしてくる。
レンの腕の中の俺を見て、
「おっ、相棒かい?」
「迷子です。一時的に預かっているだけですよ」
「ほお」
それがどうして。
フライトゴーグルで男の表情は窺えないが、明らかにそう言いたげな沈黙が落ちる。
「……連れていけって聞かなくて」
レンは少し悩んだようだったが、すぐにありのままを伝えてみせた。
何だよ、俺が駄々こねたのが悪いみたいな。いや、それ以外の何物でもないんだけどね。
「なかなか面白いポケモンだねえ」
「変なんですよ」
端的にそう切り捨てて、座席に乗り込む。リュックごと俺を隣に降ろして、シートベルトを締めた。
「逆鱗の湖……までだね?」
「ええ」
今度はスピーカー越しに声が聞こえてくる。
レンがそれに応えるなり、ふわりと車体が浮かび上がった。窓の外の景色も浮上する。
「こりゃまた遠い……なんでまたシュートシティのレンさんに?」
「俺もそう思いますよ」
アーマーガアタクシー、久しぶりだ。安いものではないので、補助の出るジムチャレンジ中くらいしか乗った覚えがない。
硬い革のシートの寝心地は悪かったが、レンは目を瞑って、安らいでいるように見える。
……コイツ、ポケモンバトルも好きじゃなさそうなのに、なんでトレーナーの手伝いなんかしてるんだろうな。
ふと、そんな疑問が芽生えた。
人助けが好きなだけなら、ポケモンを助けたいだけなら、もっと相応しい職業があったのではないかと思う。
それとも、心変わりをしただけか。
何か、嫌なエピソードでもあったのか。
『………………』
俺がレンを謎の多い存在と思うように、レンも俺に疑問を抱いたりするのだろうか。
けれど、俺はポケモンで、レンは人間だから、話し合って相互理解を深める理由がない。
何となく、もどかしい気持ちになった。
俺の手持ちたちも──そんな思いを抱いたことが、あったのだろうか。
──明らかに平均速度よりぶっ飛ばしていたおかげなのか、目的地には体感より早く着いた。
終わったらまた呼べ、と告げて、タクシーは薄闇の中へと再び羽ばたいていった。幻想的な光景だったがレンは見向きもせず、湖の畔を黙々と進んでいく。
『ワイルドエリア、』
足を踏み入れるのは間違いなく数年ぶり。
アーマーガアタクシーの比ではない懐かしさが込み上げてくる。景色をきょろきょろ見渡す俺と同じく、レンもあたりを見回している。こちらは何かを探しているようだ。
「……お前だったら、その鼻でトレーナーを探せたりしないか?」
探しものは人間だったらしい。
ワイルドエリアでトレーナーが行方不明、別に珍しいことでもない。よくあること、で済ませるようなことでもないのだが。
『そーゆーのはワンパチかウィンディに頼めよなあ……』
特定のものをこの広いエリアで探す。
ご褒美をくれたってそんな面倒な作業はしたくない。『実際にやれる』ことと『簡単にできる』ことは天と地ほどの差がある。
例えて言うなら、絡み合って縺れた毛糸の束を丁寧に解きほぐして辿っていくようなものだ。疲れること大請け合い。
「ダメか」
俺にやる気が無いのが如実に伝わったのか、レンが嘆息と微笑の中間じみた息を漏らす。
それからしばらく無言で歩いていたのが、
「あ、レンさん」
畔に佇む2つの人影の前で、足が止まった。
「すみません、遅れました」
「いえ、来てくださって有り難いです」
白っぽい、見覚えのあるアクティブな服装。
リーグスタッフだった。その隣にいるのは手持ちであろうエルレイド。スタッフの女は、かぶっていた白いキャップを取ってレンに微笑む。
こいつが今回の同行者らしい。
どちらからともなく、連れ立って歩き出す。まあ、腐っても捜索、談笑するような雰囲気には当然ならない。
「……大丈夫でしょうか……」
「大丈夫ですよ、きっと」
二人の後ろをやや遅れてしずしず歩くエルレイドと、目が合う。
『エルレイドだ』
『……どうも、はじめまして。こちらの方の手持ちですか?』
思った以上に礼儀正しかった。わざわざ会釈までしてくる。
『いや。ま、戦闘になったら格闘タイプとゴーストタイプ以外なら任しておけよ』
『ふふっ』
『は?』
おい今なんで笑った。
追及してやろうと思ったが、エルレイドと入れ代わりでこちらを覗き込んできたスタッフに遮られる。彼女は俺を見て顔を綻ばせて、
「ジグザグマですね。可愛い」
「ああ、……」
『ふふん』
若い女に「可愛い」と褒められるのは悪い気分ではなかった。仮にお世辞だとしてもだ。
しかしレンはしかめっ面で、
「手持ちのポケモンではないので、本当は良くないんですが。どうしても着いてきたがるのを振り切れなくて、仕方なく」
「なるほど?」
苦笑して、でも頭を撫でてくれる。レンよりもだいぶ優しい手つきだった。
「よろしくね、ジグザグマ」
『おい、あんたの手持ちに俺笑われたんだが?』
『すみません』
可愛いポケモンのつらさってヤツ?
強そうには見えないってか。
「……なあ、あれ……」
不貞腐れた思考が、レンの呼びかけで霧散する。彼が指差す先、岩肌の影から、誰かがおそるおそる顔を出していた。
「あ、」
腰をかがめていたスタッフが弾かれたように立ち上がり、そちらに駆け寄っていく。エルレイドがその後ろを慌てて追いかけた。
レンは俺を背負っているせいか、彼女らのようには走ったりはせず大股でその後に続く。
「大丈夫ですか?」
岩陰に隠れていたのは、10歳くらいの少年だった。着衣は汚れ、ひどく焦燥しているように見える。モンスターボールを胸に抱いていた。
少年はスタッフとレンを見比べ、
「……リーグの……?」
「ええ、私たち、あなたを探していたんです」
顔をしかめたまま早口でそこまで言って、息を吐き出す。心からの安堵が窺える仕草だった。
「良かった、見つかって。…………」
そこで表情を緩めたのが、一転。
背後で響いた羽ばたきに眉をしかめた。振り返った先、こちらを好戦的に見据える大型のポケモンに唇を尖らせる。
「アーマーガアですね……こっちに来る、」
それなりに強そうなエルレイドを連れてはいても、喧嘩を売ってくる輩はいるらしい。
アーマーガア。
タクシーのイメージが強いポケモンだが、ワイルドエリアには普通に生息していて、しかもわりとトレーナーを襲ってくるのだ。
「行って、エルレイド」
『仰せのままに』
『ちぇ。気取っちゃってさ』
優雅に、アーマーガアの前へ躍り出る。ナイト気取りか──とは思うが、あれはまさにナイトそのもののようなポケモンなのだ。
「“雷パンチ”!」
さすが、きちんと弱点は把握しているらしい。指示を受けたエルレイドは、その小さな拳に電気をまとわせ、アーマーガアに飛びかかった。
それをまともに食らって、濁った悲鳴を上げるアーマーガア。最終進化形とはいえ、所詮は練度も何もない野生個体だ。その一撃だけで、かなりのダメージが入ったようだった。
それは、いいのだが。
騒ぎすぎたのだろうか。
『──あ、』
草むらからのっそりと出てくる、巨大な影。
見た目だけはファンシーな二足歩行──キテルグマ。
特級のモンスターが出てきてしまった。まったく接近に気づかなかった。
もちろん様子見などではなく、完全に“殺る気”に満ち溢れている。
現れたのは、アーマーガアとは反対側の位置。こちらには丸腰のレン(with俺ジグザグマ)と、遭難していたらしい少年トレーナーしかいない。
「ヤバッ」
スタッフが顔を引きつらせたのと、キテルグマがこちらに向かって丸い拳を振り上げたのは、ほとんど同時だった。
まずい。
その場の誰もがそう思ったが、その瞬間にはもう何もかもが手遅れだった。少年の掠れた悲鳴が脳裏にこびりつく。
迫りくる惨劇に備えてきつく目を──
『え、』
衝撃が、来ない。
ゆっくりと目を開ける。
──レンだった。
レンの片手が、しっかりとキテルグマの腕を握りしめ、その打撃を受け止めていた。震えも、よろけもせず。実に何事もないかのように。
さしものキテルグマの無表情にも、さすがに驚きが走ったように見えた。
しかし、それに確信を得るより早く。
利き手である右腕──左腕で攻撃を抑え込んだというのにもまた驚く──が、棒立ちのキテルグマの、そのみぞおち辺りに。
強烈に、めり込んだ。
「グォオッ」
重い一撃に、悲鳴とともにひっくり返るキテルグマ。レンは悠然と握りしめていた腕を離し、のたうち回るポケモンから距離を取る。
そのまましばらく冷ややかにキテルグマを観察していたようだが、起き上がったキテルグマは、再び向かってこようとはしなかった。這々の体で草むらへと逃げ帰っていく。
逆鱗の湖には、再びの静寂が訪れた。
『……………ええ?』
いや、じゃなくて。
『人体のバグか?』
どこに野生のキテルグマを一発で仕留める生身の人間がいんだよ。ここにいるわ。
──レンがわざわざ呼びつけられた理由、これではっきりわかってしまった。
身体能力がブチ壊れているせいである。ポケモンに頼らずいとも簡単に野生個体をブチのめせる人材、そりゃあ貴重だろう。
この場にいるトレーナーどころかアーマーガアもドン引いている。当たり前だ。腕力ゴリランダーかよ。
「大丈夫ですか?」
「えっ……あっ……」
キテルグマが登場した時以上に目が泳ぐ少年。逆にトラウマになったんとちゃうか。
それでもたどたどしく、
「あいつが……ずっと……俺のこと追いかけ回して……ポケモン出したけど……敵わなくて……」
「そうですか」
さらっと流して、キテルグマが消えた草むらを感慨なく振り返ってみせる。
「しばらく出てこられないでしょう」
「アッ……アッ……」
ビビり散らかしていらっしゃる。彼にとってはレンが第2のキテルグマだ。
「何か……気づかないうちに刺激してしまったのかもしれませんね、キテルグマは縄張りに厳しいですから……」
スタッフが引きつった顔でフォローを入れてくる。それからレンを見て、
「だ……大丈夫ですか、レンさん」
「何がですか」
「う、腕……とか?」
「腕?」
首を傾げてから、問題ないことを見せつけるように軽々と振ってみせる。
バトルの予感はしていたが、トレーナーが特性“力持ち”であることはさすがに想定外だった。もうこいつだけでいいんじゃないかな。
「……とりあえず、帰りましょう」
対話を放棄したらしいスタッフが、一周回って優しくそう促してくる。
エルレイドに肩を貸された少年は何とか自分の足で立っていたものの、その顔は青褪めていた。難は逃れたものの、彼には別の意味でトラウマが残ってしまったのではなかろうか。
レンの印象が『おとなしくて静かな人間』から『やべーゴリランダー』に変わった、衝撃的な朝の出来事だった。